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私も随分と歳をとったものだ…一度使って見たい言葉ベスト100の内の一つです。嘘です。ちなみに、今までで一番笑った「死ぬまでに一度使ってみたい言葉」は友人が昔聞かせてくれた「女のやきもちは可愛いが、男の嫉妬は醜いぜ?」です。彼は結局その言葉を使う機会はあったのかなぁ。あったらあったでちょっと笑ってしまうけれど。『思えば随分遠くにきたものだ』
2020/11/23
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信じられないほどお久しぶりです。僕です。ま、前回のお久しぶりは三年越しだったのでまだマシともいえますが・・・新しい一年がやってきたのでなんとなく更新してみようかなと思った次第であります。んで、タイトルの件なんですが、最近いい大人になってきたにも関わらず考え方や思考が退行してるような気がしてなりません。高校やら大学生当時の僕は・・・というかこのblogを始めた頃までの僕は所謂中2病というのにかかってたらしく、嬉しいとか悲しいとか、楽しいとか寂しいとかそういった感情を感じない、もしくはひた隠すのがかっこいいし大人なのだと思っていたフシがありました。今思えば恥ずかしいこと極まりないんですが、困った事にここ最近ふと気がつくと治りかけてたその悪癖が復活してきているのではないかと気がつきました。だからこそblogの更新なんぞしてみようと思っちゃったワケですが・・・いや、違うか。ぶっちゃけてしまうと、誰かの・・・・・。いや、ぶっちゃけるのはやっぱり恥ずかしいのでオブラートに包んでしまうと、嬉しいとか悲しいとか感じている自分と、それを感じる事で自分の精神状態が不安定になる事を恐れて無理やり押し込めようとしている自分が争ってる感じですか。相変わらず分かりにくいですが(笑)まぁ、勘のいい方ならどういう事かすぐに分かっちゃうんでしょうが、状況はあんまりよくないです。良い事があったのか悪い事があったのかで言えば悪い事の方でしょう。こういう状況はあんまり好ましくないです。というか、昔っから不安定なのは大っ嫌いです。なので僕は何も感じない事にしちゃうわけなんですが、そういう自分もいまいち好きになれません。不安定な今の自分も、その不安定さをどうすれば正しく折り合いをつけられるのかが分からないという状況も気持ち悪い。こういうのは一度や二度じゃないはずなんだけどなぁ。昔の僕はどうやってやり過ごしてきたんだろう?っていうか、今の僕はやり過ごしとか折り合いをつけるって事自体にすらなんか気持ち悪さを感じてるような気がする。なんかもうぐちゃぐちゃだなぁ。もっと素直な性格になりたい。とりあえず、最悪な一年の始まりです。早いとこ通常運転に戻りたい今日この頃でした。っつーか、完全にただの愚痴になってるな。勘弁してくれ。人間関係の事を考えなくても済む世界に行きたい(笑)『僕の世界はもう終わりかけてるんじゃないのか?』
2012/01/05
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眠れないので戯言を。とある本を読んでいて"小さな頃好きだった漫画を大きくなって嫌いになったり、逆に、昔は意味のわからなかった小説を、今は味わい深く読んでいたりする。(中略)価値があったものがどうでもよくなったり、捨ててきたものを惜しんだりする・・・そんなあれこれの繰り返しこそが、人生であり、また生きていくことなんだとすると、それが空しくないと言えば嘘になる。"という一文を見た。なるほど。我が身に照らしてみれば、そういう事がないとは言えないし、むしろ当たり前すぎて意識すらしなかったと言ってもいいだろうと思う。意識できる体感として、子どもの頃は嫌いだった牡蠣を食べられる様になったし、さして好きでもなかったピーマンだって今ではどちらかと言えば好きな部類に入る食材へと変化した。ただ、僕が空しく思うのは、嫌いだった物がすきになることはあり得ても、好きだった物が嫌いになるのはあり得ても、嫌いになった物を好きになる事はあり得ないということ。好きなものを嫌いになるのは不可逆で、つまりは切り捨てる事と同意なんだ。嫌い→好き→嫌いから、好きへのループはあり得ない。それを踏まえて、人は物事の一側面を見て簡単に切り捨ててしまえるという事実がとても悲しくて空しいなと思う。そうやって、今までいろんな物を捨ててきたのかなと思うと勿体ないなあと感じてしまう。本当は、世の中には代えのきく物は存在しないと思いたいけれど、実際はそうでもなくて、代えのきくものときかないものの両方が存在しています。ただ、しかし代えのきくものもきかないものも、どちらも等しく交換できてしまうのが現実です。そして、交換したものは、別のものには交換できても、元のものには戻せません。願わくば、取捨選択を行うときは後悔しない選択をしたいものです。ただ、結論は先送りにしても良いことは無いので決めるときはよく考えつつもしっかり答えを出すべきだとも思います。不可逆の万物流転でした。タイトル変わってます。でも気にしません。『全てがパズルの1ピースだけど多少ピースが欠けたところで、なんの絵かは大体わかる。人生が難しいところは、その1ピースが欠けると全体の絵が全く別のものに変わっちゃう所なんだよね。』
2011/04/03
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先日、忘却の必要性などと書いておいてアレですが思いでのなかには忘れたい思い出忘れられない思い出忘れてはいけない思い出がありますよね。昔読んだ小説に「 思い出 は全部 記憶して いるけどね、 記憶は全部は思い出せないんだ」という一文があって感銘を受けたんですがこれに一つ実体験を鑑みての感想を言うとすれば『思い出せる記憶は往々にして忘れたい出来事の方が多い』といった所でしょうか。正確に言うと忘れてはいけない記憶はライブラリの中から時々再生するものだけれど、忘れたい記憶は時々自動再生された上に関連動画まで引っ張ってきてしまう・・・といった所でしょうか。ところで、昨日無事誕生日なるものを迎えまた一つおっさんになってしまいました。この歳になると誕生日はめでたくないというのはよく聞くフレーズですが、まさかその台詞を身に染みるようになるとは思いませんでした。そんな台詞を吐く人に対しては『誕生日は歳をとることをお祝いする日なんかじゃなくて、その人が生まれた事をお祝いする日なわけだから、やっぱりいくつになってもおめでたいものだよ』なぞとのたまっていますが基本、僕の言う綺麗事は自分には適用されないのでやっぱり、僕自身の誕生日はあんまりめでたくないような気がします。ちなみに、僕は自身の誕生日が何をする日だと思っているかと言うと『僕を形成している人に感謝する日』だと認識しています。それらの人の中には本当は忘れた方がいい人達もいるんでしょうけど、年に一回、毎年走馬灯の様に無意識に記憶をたどってしまいます。両親は勿論地元の親友も連絡を取らなくなった友達も今遊んでくれてる友達も昔付き合った彼女も今好きな人も今嫌いな人も・・・というか、リストの中に今付き合ってる彼女という項目が存在しないのに泣けてきますが、とにかく、今の僕の50%を形成しているのは皆さんです。良くも悪くもありがとうございます。とりあえず、昨日はそんな1日でした。僕と絡むことで何かしらの良い効果を生むようであれば幸いです。そうでない方、ごめんなさい。そんなこんなで、新しい一年が始まります。今年もよろしくな人はよろしくお願いします。ちなみに今年の目標(誕生日後バージョン)は思い付いたんですけど忘れました。また思い出したら宣言します(笑)それでは『此処じゃないと素直になれません。嘘です此処でも素直になれません。』
2011/02/10
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好きだ。どこがとかじゃなくて、全部が。いいとこもやなとこもね。王さまの耳はロバの耳。流石にこれは吐き出せないな。かといって溜めておくと壊れちゃいそうだしね。『XXXXくんは恋愛が終わった後にしか教えてくれないよね』
2011/02/05
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というワケで、半ばフライング気味に再稼働。実に三年ぶりですか。まだ存在し続けていた事に驚愕を隠せません。ブログに?僕に?両方です。というか、このブログを開設したのはもう六年も前なんですね。歳とりましたね。あの頃の僕見てる?特に何も変わってないよ?ただ、少しは黒くなったみたいだよ。取り敢えず、書きたいことは以前と同じ日々思う事。三年前には感じなかった事を書けるんじゃないでしょうか。リアクションを意識しなくていい場所なので好き勝手やります。そういえば、久しぶりに日記書いたらいっぱい足跡ついてて、その内八割がアフィリエイトで、一割がセ◯レ募集掲示板とかってブログなのには笑った(笑)なにやってんだよ、楽天ブログ。『万物流転の思考と永久不滅の悪癖』
2011/01/29
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過去を大事に思っていても仕方がない。記憶を消すことは出来ないけれども。確かに大事な思い出だけど。思い出す事で悪影響があるのならそれは捨てた方がいい。違うな。捨てる事は出来ないから、思い出さない努力をすべきだ。不必要な記憶は思い出さない。人間は放っておいても忘れていく生き物だけど積極的な忘却が大事だということを僕は理解した。今更だけどね。それでは。『しつれいですけど、どなたですか?』
2011/01/27
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最近、眠りが浅くて朝起きた時に全然寝た気がしない。で、眠りが浅いからしょっちゅう夢を見るんだけど、今年中に死ぬって宣言される夢を見た。今年中。正確には「クリスマスまでに死ぬ」・・・えらく幅が広いな。けど、肉体的にはともかく、精神的には死ねそうな気がしなくもない。『奇跡ってのは意外にあっさりとしたもの 限界ってのは意外にすぐに訪れるもの』
2008/02/28
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常々思う事なのですが、責任を取れない立場にいる人、責任を取らない立場にいる人が軽々しく「責任」なんて言葉を口にするものではありません。ま、言うのはとても簡単だし、大体、責任なんて言葉を使うのは責任を取る気のない人だったりするんだけどね。しかしながら、同じくらい、若しくはそれ以上にたちが悪いのが責任を取るべき立場にいる人が、責任という言葉を口にしない事。責任を回避する、「責任を取る事を自らの価値」とする人なんて要らないよ。『邪魔だからどっか行ってください。』
2007/06/27
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タイトルには全く意味ないです(笑)時々、全てが要らなくなる気分になる事がある。持病の、あきらめ癖のハイエンドです。基本的に、色々欲しがりなんですが、人が手に入れられるものなんてたかが知れてます。というか、大抵のものは手に入らない事の方が多い。じゃあ、要らないよ・・・みたいな?少し前に、実家に帰った時に面白いものを見つけました。2001年の日記。ちょっと大きなモノを失ってんでもって、代わりに素晴らしき出会いがあった、なかなか山あり谷ありの思い出深い年だったわけなんですが、どうやら、その頃から諦観および我慢癖がついてた様です。その日記を読んで、「よし、今年からは素直に生きよう!」とこっそり決意したワケなんですが、どうにも上手くいきません(笑)長年しみついた悪癖は抜けず・・・といった感じでしょうか。お子様が大人になるには6年じゃまだ足りない様です。上手く変われるといいんですけどね(笑)『変われないんじゃないくて、変わらないんでしょ?』
2007/06/06
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最近、肌身離さず持ち歩いているものがある。それがコレサイコロ。人から貰ったラッキーのサイコロ。持ってると、なんか安心。基本的に、占いとかジンクスとかとは無縁の性格だけど、そういうのに関係なく、モノに宿る力については、以前、実感したしね。バイクと同じ赤ってのがなんかいい。そういえば、昔、これまた人から貰った時計も赤だ。ALBAのAKA。赤って、あんまり似合わない色だと思ってたんだけど、意外に幸運の色なのかもしれない。警戒色だしね(←関係なし)『once and for all, DICE away』
2007/05/21
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「すみわけと」、「とりわけ」って、似てますよね(笑)ま、それはどうでもいいんですけど。最近、ずっと放置してたmixiを再稼動させてみた。あっちは日々のつらつらとした日記。こっちは僕の想う事。いい感じですみわけできたらなぁと思ったり思わなかったり。しかし、招待制の方で日々のよしなし事をオモテである楽天ブログで黒い(たまに白い)精神的な事を書くってよく考えたら逆だよね?(笑)本音と建前が逆・・・みたいな?『特にナシ。』
2007/03/15
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あ~、あ~、てすてす。今日は珍しく・・・もないけど、毒々しい感じで。以前、というかかなり前に書いた『あんたには価値は無ェ。』に匹敵するくらい毒ってます。そ~ゆ~のが嫌な方。人を悪く言うのを嫌う方。「いや~ん、ひ~ちゃんがそんなの言うの見たくな~い」とか言う奇特な方(いねぇよ)の様な方は読まない方が賢明かも(笑)でわわ。今までそんな事思った事は無いんだけれど、最悪な人ってのは、「何が」最悪ってだけじゃなくて、一つだけじゃなくて、いくつも「最悪」な部分を持ってるんだなぁ・・・って思った。----------------------------------------------------------長々と批判めいた事を書いたんだけど、読み返してたら、それを書いてる自分が嫌になったんで削除感情を込めない箇条書きに変更----------------------------------------------------------・今時女性差別すんな。というか、女性をとやかく言える程、男らしさに溢れてない。・人をいじる事でしか笑いを取れないってのは自身が面白くない証拠だ。・しかも、人をいじって尚おもしろくない。・謝らなきゃいけない状況回避の為に予防線張るな。・人の悪口(というか不満)を言うのはいい・・・が、同意を求めるな。そんなに共犯者が欲しいか?・というか、たまには人を褒めてるトコロを見せてくれ。毎回人けなしてんな。などなど。あ、でもいくつか凄いトコロもありますよ?・この僕にここまで言わせるってのは凄いと思う。・たまに凹んでる時に、「この人も人間らしいところあるじゃん」つって、何かしてあげたい気持ちにさせるスキル。きっと、僕の許容量オーバーな事が最近多いのはこのせいだ。でも、出し尽くした気もする。これ以上、まだ何か出てくる様なら本当、尊敬に値するよ。最後の言葉は僕自身へ『人が黒く見えるのは、貴方自身が黒いからですよ?』
2007/02/23
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結局さぁアンタなんていてもいなくても大局にはなんら影響ねぇっつってんだよ!って事はさ。別にいてもいいんじゃねぇの?『だが、アンタはダメだな(笑)』
2007/01/17
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頭が痛い。 自分と、人の話を聞いて思った。 「苦しい時、人に言わない人」と、「苦しい時、それを言う人がいない人」ではどっちが悲しいんだろう? 両方だと、それがハイエンドなんだろうけど。 それに加えて、「人に話す程でもない」とか「結局自分の問題」とか、「話しても一笑にふされる」とか言う自己判断も要素に加わってくる。 難しい。 相手がいて、ちゃんとした自己判断が今出来ているんなら、それは大事にすべきです。 勿論、どちらか片方だけだったとしても…ね。 ここんとこ、「自己分析」やら「自己診断」やら「自己判断」やら、なんか自己ばっかですね。なんかの暗示か警告なんでしょうか。 『自己死』
2007/01/15
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そんな事はあり得ないのだけれど、僕は誰かの影響をダイレクトに受ける事が嫌いだ。同時に、誰かにダイレクトに影響を与える事を望まない。勿論、僕の言いたい事、想い、持論、人生観そういった物が誰かに伝わるのは嬉しい事だし、そういった物を誰かと共有できる事は嬉しい。でも、あくまでそれは僕の考えであり、それをそのまま受け入れられる事はとても気持ちが悪い。伝達において重要なのは、その言葉や思想そのものではなくて、受け取った人がそれをどう消化するかという事だ。『絶対なんて存在しない。』冒頭に「あり得ない」としたのは、そんな事は当たり前の話で、いちいち考える程の事ではないと思っていたからだ。しかしながら、年末にとある出来事があって、「誰かの言う事をそのまま受け入れる」という事も、人も、あり得るという事を知った。奴の事を危険だなと思ったのと同時に、そういう人の存在を考えなかった僕自身も危険だなと思った。その人に対しては、口を閉ざすべきなんだろうか?でも、ほっとけないという所もある。それこそ、余計なお世話なのかもしれないけれど(苦笑)それとは別に、今僕は別の知り合いの悩み相談・・・というワケでもないけれど、思い悩んでいる気分を楽にさせてあげたいという感じで、話を聞いて、納得したり、持論を吐いたりしている(ような気がする←なんだそれ)でも、その人に僕の持論を吐くのは、その人が(自分ではそう思っていないかもしれないけれど)確固たる自分を持っているから。その「自分」を僕はかっこいいと思うし、尊敬できる。だから、その人との会話はとても楽しい。しかし、例の危険な(おい)知り合いA(←ひどい表現だ)については難しい。以前書いた「肩を並べて歩きたいぜっ」っていう日記の通り行動するならば、無理やり引っ張った方がいいのか?これまた、以前書いた「でも、たまには優しくしてください。」の通りに行動するならば(←この場合は男の女に対する優しさの問題だから厳密にはそぐわない内容なんだけど)、無理やりひっぱるのはその人のためにならないから、ほっとくべきなのか。今の所は静観してるけど。というか、そういうおせっかいが嫌いじゃなかったのか?僕は(笑)自分以外の全方位を気にかけてるといつか破綻するっていう好例なんじゃないか、これはっていう気がしてきた(笑)どうすれば良いのかは悩みどころですが、この文の結論としては、「相談事には注意しましょう」ってなとこか。無理やりだけど(笑)他人はやっぱり他人です。じゃないと好きになれません。『お前は選択から逃げているだけだ。』
2007/01/07
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ブログの中でお世話になった方、ブログの外でお世話になった方、プライベートでお世話になった方、仕事で・・・はまぁいいや(笑)前年中は色々とお世話になりました。本年もよろしくお願いします。そして、当ブログを読んでくださっている一部奇特な方々(←ひでぇ)今年も、ちょこちょこと思想とも理想ともつかない、駄文乱文雑文やら見えない誰かへのメッセージともとれるような自分へのメッセージともとれるような文を書き連ねていく所存ですので、どうぞお楽しみ下さい。でわでわ。
2006/12/31
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何も持たざるこの両手。この両手に、何か大事なものを持った時にこそ、自分を認められるのかもしれませんね。いつでも死ねるのはある意味強みかもしれないけれど、守るものが何もないのは弱さでしかない。『右手に鉛筆が 左手にノートさえあれば良い』
2006/12/21
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最近、とある人にこんな事を言われました。「自分の事嫌いでしょ?」うん。続けて第二波「自分が嫌いな自分を、他の人に好きになってもらおうってのはおこがましいと思わない?」すごいなあ・・・。なんでこの人は、僕という人間の核の部分に、こんな簡単に言葉を届けちゃうんだろう。この人は僕とって、数少ない『僕に絶対的な影響力を持つ』人の内の一人なんだなぁっていうのを改めて確認しました。・・・と、まぁそれは良いとして、その時に、「なんで?」って聞かれた僕は「次までに考えときます。」なんて答えたので、ここん所、ずっとそれについて考えてました。で、色々と思考を巡らせてみたんですけど、理由がこれといって出てこない。もしかして、自分が思ってる程に、僕は自分の事を嫌いじゃない?いやいやいや(笑)僕が僕自身の事をあんまり好きでないのは事実。そして、その理由。強いて挙げるとするならば、「自分を好きになれるポイントがない」って所ですか。ポイントがない。すなわちゼロ。もしくは白。逆に、僕の良い点とかを尋ねてみたいくらいです(笑)そりゃ、自分にだって誇れる点はありますよ?少しは(笑)人がいい所とか。誰にでも優しさ振りまける所とか。真面目っぽい(っぽい!?)所とか。でも、僕にとってそれらは、誰でももっている、人としてベーシックな要素にすぎない。基本的な要素だけで僕は人の事を、自分の事を好きになれない。逆説的に、だから僕は自分が嫌いである。ん~。やっぱ自分を認めるところから入らなきゃならないんだけど、難しいよ、やっぱり(笑)結論はまだ出ませんけど、途中経過はこんな所。自己考察は続きます。あ~、そうそう。人には「自分らしくでいいよ」とか言っといて、こんな自己考しちゃってる、自分のひねくれ具合は好きかな(笑)ダメじゃん(笑)『あなたを好きな私 私を好きなあなた そのあなたを好きな 私を好きなあなた』
2006/12/15
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hide~~~!42回目のBirthday!今聴いても全く色あせてない楽曲の数々が凄いと思う。だって、RIZEのカバーと聞き比べると、音の数というか、緻密さが全然・・・なんにせよ、永遠のロックスターです。『Ready 3 2 1 go!』
2006/12/13
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人生とはなんぞやというか、人と人の関係とはなんぞや。むか~しむかし、ある所に一人の青年がいました。(今もいます)青年は、人生をこう考えています。「人生ってのは、みんなが横一列にならんで、一方向に歩いている感じ。近しい人は隣で歩いてる感じ。歩き続けてる感じ」「でも、歩き続けるのが人生だから、例えば隣の人が何かに悩んでうずくまっちゃったとしても、一緒に座って待ってあげる事はできない」「ま、声かけてあげる事はできるけど」知り合いが何か悩んでたら、そう言うそうです。まぁ、人と人ってそんなもんかな・・・と。例えば僕なら、声かけるどころか、おんぶして無理やり連れてっちゃいますけどね(笑)その人があきれて笑っちゃう様になるまで(笑)なんでまた、こんな話を思い出したかっていうと、悩んでいる人にこの話をして「ヒドイ」つってキレられたそうな・・・・話の前半部分がマズかったんでしょう。ダメじゃん・・・逆効果じゃん。僕とかの行動を実行したら訴えられそうだ・・・(笑)でもまぁ、キレる元気が出た分いいじゃん・・・と(笑)HAPPYになれると良いなぁ。無理やり背負って怒られないようにな(笑)僕だったら怒られちゃっても背負っちゃうけど(笑)『悩み事は共有できないけど、ほっとけね~っつ~の!』
2006/12/01
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昔好きだった「sex」とい漫画に、こんなシーンがあった。「なぁ、前に空って何色だって聞いたけどさ、空は空色、海は海色なんじゃねぇのか?俺たちが同じ空を見てる事には変わりないんだし。」それを聞いたもう一人が、唐突に吸っていたタバコを目の前に突きつけて言う「このタバコを押し付けたら熱いんだろうな」「はぁ?なに言って・・・当たり前だろ?」「それでも、俺にはその熱さはわからない。自分に押し付けてみれば、なるほど熱いのは分かる。それでもその熱さが、お前が感じた熱さと同じかどうかはわからないし、確かめる術もない。」「・・・・」「なにを見てるかじゃねぇ。どう見えるか・・・だ」細部はアレなんですが、こんな感じのやりとり。それを読んだ、まだ高校生だった僕は、「他人なんて所詮他人で、誰かの痛みを自分が感じる事はできないし、誰かの想いを本当に知りうる術なんてない。」という事と、「だからこそ、他人が他人であるからこそ、大切に思う」という二つの事を初めて意識しました。その考えは今でも変わりません。僕が僕であるからこそ、何かを大切に思えるし、誰かを好きになれる。自分の事は未だに好きにはなれませんが、僕以外の何かを大切に思う為に、僕以外の何かを好きになる為に、絶対的な前提条件として、僕は僕であり続けたいと思います。当たり前だけどね。変わりたくもないし、変わらなくてもいいと思います。まぁそれなりに黒く汚れちまった様な気もしますが、あくまでそれは表面一枚の薄っ皮。僕が白くありつづけたいと思うことだけは誰に何と言われようとも譲りません。だから、同時に貴方を認めます。『他人だからこそ、知りたいと思うし、触る事もできれば、愛する事もできる。』
2006/11/29
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もし、過去に戻ってやり直せるとしたら。多分、何も変わらないのだろう。・・・と、ふと思った。例えば僕が10年前に戻ったとして、今の僕を形作るAという選択肢を選ばないとは考えられない。その時、僕はAという選択肢を選びたかったから選んだんじゃないかな。選ぶべくして選んだ。そういう感じ。未来を知らない当時の僕は、きっと今の僕と同じ道を選択していたに違いない。でももし、仮に僕が今の記憶をもったままで、過去に戻って何かをやり直す事ができたら、今とは違う現在を過ごしていたんだろうか?それもないと思う。もし、そこでAではなくBを選ぶと、未来が全く変わってしまうとする。決定的に変わるのだから、当然今までの経験とは全く違う人生なんだろう。そうであるならば、僕はBを選ばない。だって、奴にも彼女にも会えなかっただろうし、アレやコレも経験しない人生になる事だろう。そう考えると、今のこの身も悪くない・・・と思う。そう考えると、今のこの状況も楽しめるんじゃないかな。なんだかんだで今の人生ハッピー イェ~『例えば、僕が3年早く此処じゃない別の場所に生まれてきていたら何か違ったかもね』
2006/11/23
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なんか周りが黒すぎます。真っ黒です。まぁ、社会生活を送る上で、嘘と保身と欺瞞と建前っていうのはなくてはならないモノなんですが、周りにそういうものが溢れていると気分が滅入ります。誰かの事を悪く言うのは嫌ですし、好きな人を悪く言われるのは更に嫌すぎです。「おいおい何をそんなに敵意を振りまいてんだよ」みたいな。昔はそういうストレスを、ツレとのバカ話で消化(もしくは昇華)できてたんですが、最近どうも吸収と消化のバランスが崩れてきてるみたいです。どうも調子が悪いです。ストレスがたまらないのが僕の売りの一つだったんだけどなぁ・・・う~ん。とか考えながら、「おいおい、いつからお前はそんなピュアピュアキャラになったんだよ」とか自分にツッコミ入れながら日々生きてます。もしくは死んでます(笑)ついでに、昔の日記を読み返してみたところ、「何かを選ぶという事は、その他の何かを選ばないという事だ」などと、妙に悟りきった事を書いてたりしてます。その言にのっとるならば、まぁ彼らは「自分を選んで」いるんでしょう、きっと。願わくば、自分以外の全てを選んで生きていきたいですね。もしくは、何も選ばず生きていきたいです。世の中には、オモテもしくはウラを選択するのとは別に、「選ばない」という選択肢もありますからね。・・・とかなんとか言いながら、僕にも最優先事項という人やモノも存在するワケですし、人の事は言えません。二転三転、というよりは七転八倒な文章ですが、それは戯言まみれな駄文こそがこの日記のテーマなのでお許しを。『世界をコインに例えるならば、確かに裏か表なんだろうけど、世界ってのは丸いんだぜ?』
2006/11/13
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とりあえず思った事 一時間に一本しか電車がねぇってどういう事だよ! 俺んちは陸の孤島かっ! 沖永良部島かっ! って、あれ? 日本最南端って、「オキノトリシマ」だったっけ? じゃあ、沖永良部島ってドコ? まあ一つ確実に言える事は、どっちも海の孤島だって事です(笑 『日本地図を穴があくほど眺めてろ』
2006/08/23
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なんというか、きっと、80%は使ってると思うんですよね。ネガティブな意味じゃなくて、過去に感じた幸せとか、毎日のちょこちょこしたラッキーとか、今まで出会った人とか、そういうのを全部足すと、80%とかそんな感じ。幸せだなぁ~・・・うんうん。って、僕は若大将かっ!って、今の若い子しらね~よ!いや、まぁ僕自身「てけてけてけてけ~じゃらぁ~ん」ってイメージくらいしかナイんですけどね(笑)だって、僕にとってギターと言えばhideだし、役者といえば豊川悦司なんだもん。だもん。かわいくね~(笑)『運は常に減っていくが、補充は利かない。』
2006/07/24
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随分前に「世界における幸せの絶対量」について書いたことがある。最近、考えてみたのは「個人における幸せの残量」。よく言う、「一生分の運を使い果たした」とかいうやつです。一生分の運って何だよ?ってな感じですが、それはおいておいて、もし仮に、運に残量があって、それをちょびちょび使いつつ毎日を生きているとしたら、僕には、今どれくらいの運が残ってるんでしょう?というか、今までどれくらいの運を使ってきたんでしょうか?僕なりの「多分こうだな、俺的に」っていう答えは出てるんですけど、またそれは次の機会に。ちなみに、あなたは一生分のウチ、どれくらいの運を使ったと「感じる?」「不幸せを幸福と感じる感性が不幸だな」
2006/07/19
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「もし生まれ変わっても」「もし生まれ変わったら」という二つの言葉について思考してみようと思う。前者は、「もし~も」という、今の状況を来世(そんなもんあるのか?)にも望む言葉で、とりあえず現状に不満は無い言葉である。(まぁ、現状に満足しているのに、生まれ変わった後の事を夢想するシチュエーションには問題ありですが)逆に後者は、「もし~たら」という、生まれ変わったその先に、今とは違う希望的な状況を想像もしくは願う言葉であり、引いて見るとポジティブな気もするが、ポイント的に見れば死ぬ程ネガティブな言葉である。要するに、似たような言葉でも前者は「今HAPPYで、その先の、そのまた更に先もHAPPYでいたい!」言葉であり、後者は「今最低で、その先はわかんないけど、とりあえずその更に先はHAPPYになりたい!」言葉である。みんながみんな、「もし~も」の方を謳ってれば世界は幸せなんだろうけれど、どっちかっていうと、「もし~たら」を願っている人も多い(多分)。というか、むしろそういう人の方が多いのかもしれない。かくいう僕も、どっちかと言えば後者に当たる。自分の人生はくだらない・・・とまで言うつもりもないけれど、自分の人生は幸せに満ち溢れている・・・とまでは言えない。まぁ、それなりに楽しくはあるけど。僕の知人にこんな事を言った奴がいる「人生はつまらんが、つまらん方が楽しいよな」彼はそもそも、「いや、っていうか基本的に人生はつまらんし」を前提に物を言っていて、その事自体は少々問題ありなんだけれど、彼みたいに、飄々と悠々と生きていれば、舗装されてない砂利道人生でも、道端に咲く花見つけてHAPPYみたいに、くだらない人生も楽しくやれるんだろう。昔は、彼と二人で「人生ってコンテニューできねぇし、できてもせいぜいリセットくらいだよね。セーブできねぇから、電源切ったらその瞬間終わりだし。最悪の手札でも、ブラフかまして楽しまにゃ」なんて事言ってたんですが・・・そろそろロイヤルストレートフラッシュが欲しいなぁ・・・って思うのは、歳くったせいなんだろうか。ダメだっ!こんなんじゃダメだっ!・・・と、言うワケで、僕、若返ります。気分だけ(来週、更に一個歳くうけどね(笑)別の言い方をすると、「ユルく生きるぜ宣言」。くだらん人生、飄々と生きてやるぜ!・・・っていうか、長いよ・・・今日のやつ。でも、恒例のキャッチコピー(僕作じゃないですよ?ちなみに)は忘れない。『僕らは旅の途中だ きっとまた会える筈さ』
2006/02/04
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絶対に逆らう事ができなくて、サイコロ遊びをしなくて、絶対的な視点を持っていて常に貴方の傍にいて、貴方の事を本当の意味でわかってくれるそんな存在を神と呼ぶのならば、神とは自分の内にある本音の事を言うのではないだろうか?故に、僕は自らの思いに勝てないのだろう。なんとなく、そんな事を考えながら今日はおやすみなさい。『結局、自分には勝てね~よ』
2006/02/02
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以前にも書いた事があるけれど(もう消しちゃいましたが)僕は他人とのボーダーラインを無意識に引いていてまた、そのラインの引き方が(不本意にも)上手いらしい。数年前に、知人に指摘されるまでは自分でも気づかなかった特技?なんだけど、今は悪癖として自分でしっかり意識できています。意識できてんなら直せよって話なんですが(笑)元々人見知りしない方でもあるので、ある一定ラインまでは簡単に人を近づけちゃうんですが、その線よりも中に入れない術というか、そのラインの引く位置がまた微妙にいい感じのラインだ。。。っていうのが知人の指摘でした。まぁ確かに、本音を言う相手は選ぶし、そもそも本音を言う事になれてないってのもあるし、ついでに言っちゃうと、僕が「この人には本音でOK」って設定しちゃうととことんその人に心酔しちゃうので、あんまり良くない結果を生むんですよね、コレが(笑)ここではそれなりに本音っぽい(っぽい!?)事を言ってるつもりなんですが、僕の中のリミッターは無意識に作動しちゃうので、どこまで本音なんだか・・・ってのが実は本音だったり。しかし、最近本音を晒す相手が少なくなってきました。正確には、晒す相手が少なくなったと言うより、晒す機会が減ったってのが実際で、状況が変わったり、話す機会がそもそも少なくなったり、お互い忙しくて会ったら第一声が「おっす、久しぶり」なくらい遊ぶ機会が無くなったり・・・困ったもんです。おいおい、大丈夫か?僕(笑)ま、いっか(よくない)指し当たって、数少ない彼・彼女らに嘘言う事はしてないし。あ~、なんか今日も適当文章だなぁ・・・支離滅裂っていうか、破綻してるっていうか・・・良い感じにおかしくなってる(笑)ま、こういうのは波があるので、まともな文章が読みたい方は絶好調時を気長にお待ちください(笑)とりあえず、今回のは近い内に消す候補入り確定(笑)『素顔を隠せ』
2006/02/01
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くそっ…久しぶりにキれてしまった。つっても、プチキれ。というか、客観的にみれば、「言うべき事を言った」ってだけの話なんだろうけどね、きっと。でも、人を怒るにしても何にしても、言葉は選ぶべきだ。あ~、もう。自分にムカつくっ!『人に痛みを与えようとするならば、 自分も同じだけの痛みを味わう覚悟をしなければいけない』
2006/01/31
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一番は当然あの人。次は多分、奴ら。そのまた次にその他大勢。溢れんばかりの書籍の山と、頭をかき回してくれるロックミュージックも欠かせない。あとは、少しのお金と、安息なる睡眠。最後に、思考の為の静かな時間。全部あれば、死ぬ程HAPPY一つだけでも・・・まぁ良しとする。『一番欲しい物?そんな分かりきった事訊くなよ』
2006/01/30
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僕が尊敬しているおねいさいん曰く、「男は、まず第一に優しくなければいけない・・・って思う?答えはNO」だそうです。スーパーにはしょった説明をすると、「なんでも感でも優しく許してしまうだけの男はダメだ。 例えば彼女の事が大切なら、明らかに間違っている場合には、 ちゃんと怒ってあげるのが男らしいって事。 なんでも許してたら相手が図に乗るだけ。」という事なんだそうだ。僕なりの解釈をしてみると、それはつまり、優しさと甘さの違いって事なんだろう。いつでもニコニコ優しくしてるっていうのは、結局の所相手に「甘い」だけでしかない。一般論としての話だったんだろうけど、中々に耳が痛い話でもありました。目に映る全方位に優しさを向けていたいという僕自身のスタイルをやめるつもりもないし、別にそれが悪い事だとは思っていないけれど、それが常に・・・となると、それは甘さでしかなく、長所というよりはむしろ欠陥でしかない。だから、まだまだガキって事で、自分に反省。こんなだから、いつまでたっても一人前として認めてもらえないワケなんですが・・・。あ~、もうっ!・・・って、自分には怒れるのか・・・。『優しいだけでつまんない』
2006/01/25
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…なんて彼は言う。「数」とは、神が落としたパズルのピースで、人は、組み合わせる事で無限の物を作り出す事が出来るその「数」という「神様のおもちゃ」に夢中になってしまった。だから、「数学ってのは『神の遊戯』を体験できる遊びなのさ」…だ、そうだ。僕にとってのコトバと同じ様なもんですね。
2005/05/25
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戯言では無く、たわ言でも無く、比喩でも皮肉でも無く、夢も無ければ希望も無く、正直に、心の底から、真摯に、全くの本音として僕以外の全て 早くブッ壊れてください。そうでなければ 僕を早くブッ壊してください。『世界中の全ての人が大好きで、世界中の全ての人が大っ嫌いです』
2005/05/24
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僕の言う事を理解する人がいたとして、きっとその人は僕と似たような思考法をする人で、僕と同じような嗜好をもつ人という事になるんでしょう。しかしながら、彼もしくは彼女が僕の言う事を理解したからといって僕が、彼もしくは彼女の言う事を理解するとは限らないのが世の中の難しい所です。それでも、止められない分かったフリ。手段としてのポーカーフェイス。目的は馴れ合い。くだらない事ですが、とても重要です。勿論、更に重要な事は「理解する努力」なのは言うまでもありませんが。己への教訓です。
2005/05/01
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「絶対は数学上にしか存在しない」そう言ったのは奴。「信じられないっていうのは、結局自分が信じていないって事なんだよね」そう言ったのは僕。「結局、なる様にしかならないし、なる様になるのさ」そう言ったのは奴。「綺麗ごとって言っても、やっぱり綺麗な事には変わりないよな?」そう言ったのは僕。「俺は、誰かの為にしか生きられない」そう言ったのは奴。「コインの裏表って言うのは似てるよな。ってか、同じもんか」そう言ったのは僕。「人生はつまらんが、つまらん方が楽しいよな」そう言ったのは奴。「世界中の全ての人が大好きで、世界中の全ての人が大っ嫌いです」そう言ったのは僕。「数学っていうのは、遊びだ」そう言ったのは奴。「お前の言う事の半分は嘘で、残りの半分は冗談だよな」そう言ったのは僕。「そういうお前は息をするのと同じ感覚で嘘をつく」そう言ったのは奴。「結局の所」どちらが言ったんだっけ?「お前の言う事はワケがわからない」「そっちもな」「全くな」「全くだ」
2005/04/27
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欲しいモノを定義する別の言葉を考えてみます。僕が考えるに、それはきっと「持っていないもの」。当たり前なんですけど。人は、持っていないモノを欲しがり欲しいモノを手に入れると、また次の「持っていないモノ」が欲しくなるものです。それは、手に入りにくいモノだったりそれは、手に入りやすいモノだったりしますが結局の所、直ぐに手に入ってしまう事の方が多いです。要するに、「欲しいモノ」なんていつでもあって、「欲しいモノ」と呼ばれるモノ達には、それほどの価値は無い…。それが僕の考えです。重要なのは、欲しいモノの中にひっそりと隠れている「必要なモノ」の存在を意識する事です。欲しいモノというのは、実際の所、特に必要なものではありません。その割に、手に入れにくいモノだとしても、長期的にみれば結構簡単に手に入っちゃいます。必要なモノというのは、コトバの通り自分にとってとても重要なモノで、手に入りやすそうなモノでも、手に入りにくそうなモノでも長期的にみても、短期的にみても、やっぱり手に入りにくいもんです。ここ何年か欲しいモノは手に入りますが、要るものが手に入っていません。あなたにとっての「要るもの」はもう見つかって、それを大切にできていますか?『真理はあると思って探すとないですが ないと思って探すとやっぱりないです 欲しいものは手に入りませんが 要るものが手に入りました おわり』
2005/04/12
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久方ぶりに聞いた君の声何年ぶりかのキミの笑顔ずっと変わらない何かを求めたあの頃のキミと、そんなモノは無いと首を振った僕と、どちらも正しくて、どちらも間違っていて何かが変わったキミと何も変わっていない僕時間は、時に何かを変化させるけれど時間は、時に何かを停滞させる僕は言う「僕は何も変わっていない。全然成長していないよ。」キミは言う「キミは何も変わらないね。本当にあの頃のまんまだ。」変わらない。変化しない。成長しない。進化しない。止まり続け、停滞し続け、流れない。本当に?『時間は常に一定の方向に流れるが 人が一定の方向に歩き続けるとは限らない 勿論、人が歩き続けるとも限らない 時が経つ事と、人の成長に因果関係は存在しないのだ』
2005/03/25
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コインを一つ投げて表が出るのか裏が出るのか誰も予見する事は出来ない。此処に銃があったとして僕は誰かの頭にそれを向ける事が出来るが僕は自分の頭にそれを向ける事も出来る此処に水があったとして僕は誰かにそれを与える事が出来るが僕は自らがそれを飲み干す事も出来る此処に僕を愛する人がいて僕は彼女を愛する事も出来るだろう僕は彼女を憎む事も出来るだろう世界は表と裏のたった二種類にカテゴライズする事が出来てたった二種類にしかカテゴライズ出来ないが故に僕が表を選ぶのか僕が裏を選ぶのか僕が表の裏を選ぶのか僕が裏の表を選ぶのか誰にも予見する事は出来ない
2005/03/05
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人間、暇になるとロクでもない事を思いつく…などと言いますが。至言だと思います。なぜなら…忙しいと、普段、湯水の様に溢れてくるくだらない事(すなわち駄文)が、全く思い浮かびません…。勿論、詩(もどき)のような高尚な文章なんて、露ほどにも浮かびません。これは由々しき事態です、非常にwarningです、天変地異です、諸行無常です(意味は無し)。「くだらない事」と、「つまらない事」と、「役に立たない事」を考えるのに、人生を…いや、命を賭けている僕としては、屈辱意外の何物でもありません。…が、まぁこれだけくだらない内容で、これだけつらつらと書ければ、今日の文章も立派に「駄文」と呼べるのではないだろうかと思ったり思わなかったり…。時は金なり…。…でも、これって逆から言えば「時間はお金で買えますよ♪」ってな事になりません?…なりません。
2005/02/27
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この世で最もくだらない行為とは自慢をする事で過去の栄光をいつまでも引きずる事だ。今この瞬間以降には「過去」は存在しないし、結局の所、何を成したかではなく何を成すかにこそ価値がある。(続きと意図は明日)--------------------------------------------------(続き)自慢という行為がとても嫌いだ。誇る事とは似て非なるモノだ。似て非なるモノとは、結局の所非なるモノでしかないしむしろ、コインの裏表の様に相似形の様であると同時に、絶対対極に位置するモノであるとさえ言える。最近、周囲で過去の栄光を自慢する人によく出会う(中年が多い)別に、一般論ではなくて、たまたま僕の周囲に多いだけの話なのだが、そのせいで中年おやじのイメージが悪くなりつつあるのは事実だ。彼らが何を成したのかは実体験としては知覚できないが僕よりも長く生きている事は間違いないので、それだけで本来ならば尊敬には値する。しかし、過去の経験を自慢気に話し出したとたんにその尊敬は軽蔑に変わる。「こんな経験をしたから、俺は他の人とは違う」そんなワケないだろう?小学生じゃないんだから、自分を特別だと思うのは止めにして欲しい。過去に様々な経験をしてきた事は別に良い。でも、同じ様な経験をしてきた人は数知れないだろうし違うベクトルで素晴らしい経験をしてきた人もいる筈だ。自分の経験を、自分だけの偉業だと誇るのは、自分の血液型を自慢している様なモノだ。本当に価値があるのは、自らの心に残る尊い体験でそれが自慢に変われば、価値は地に落ちる。だから、僕は貴方が大っ嫌いなんです。-------------------------------------「飴と飴と鞭と鞭」服従を欲しているのなら、それを与える事は出来るだろう快楽を求めているのなら、感じさせてやる事は出来るだろう愛情を求めているのなら、ずっとずっと愛してやれるだろう未来を夢見ているのなら、隣で一緒に歩いてやれる俺がお前に与えられないものは「過去」だけだ。お前の代わりは誰にも務められないし俺の代わりは俺以外に存在し得ない。-------------------------------------
2005/02/23
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------------------------------------------愛しています。そんな当然の事を確認しないでください。------------------------------------------・・・というか、いちいち確認しなきゃ信用できない「愛」って何なんですか?聞かなきゃわからない、見なきゃわからないというのも尤もですが、自分の「感じた」事は信用出来ないのでしょうか?相手を信用できないならば、それは恋でも愛でもありません。
2005/02/22
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結局の所、致命的に嫌いな人っていうのは自分が考えている程居ないもんだと思う。だから僕はゼロからでも始められる。昔、こんな一文を書いた事がある。--------------------------------------「赤い糸(=破壊意図)」自分にとって 少しでも嫌な部分がある奴を僅かでも気に入らないという奴を些細な不満を感じる奴を全て殺して壊して砕いてみなよ最後に残った一人が あんたの運命の人だ。そんな奴はいないんだけどね。--------------------------------------・・・と、まぁこんな感じの文章。細部は忘れましたけどね。結局の所、不満点が無い他者なんて存在しないと思います。でも、当然不満点で人を好きにはなれません。だから、不満点を覆いつくす程の欠点を補って余りある程の相手の良い部分を見て人を好きになるのが多分恋なのではないか。コインに裏表が存在するように全ての人に欠点があるのと同時に全ての人に長所はあると思います。欠点だけで構成される人間なんて居ない。だから、僕は大抵の人とならスタートがきれるんだと思う。勿論、運命の人なんてものが存在しない以上誰とでもスタートがきれる可能性がある代わりに誰ともスタートをきらない可能性だってあるわけですが。全ての人を愛していて全ての人が大っ嫌いです。
2005/02/19
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今までの女性歴の中で「付き合い始めた時点で好きではなかった」女性が幾人かいます。この話を人にすると(特に女性)、「なんで好きでも無い子とつきあえるん?」という意見をよく聞きます。けれど、僕から言わせれば、「嫌いじゃない子に付き合おうと言われて断る理由がない」という事になるんですが、どうなんでしょうね?別に、付き合った瞬間にその子に対する「好き値」(ワケがわからない)がゼロだったとしても、マイナスじゃないんだから、別に付き合わない理由は無いと思うんですけどね?それに、僕はそ~ゆ~所から、一個ずつ相手の良い所を探していく過程が好きなんだと思います。んで、その「良い所」にめろめろになっちゃうわけです(笑)という所で、本日は終わり。
2005/02/17
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のらりくらりと、思想めいた思考を駄文と称してつらつらと書き綴っているこの僕ですが、意外にも「お前には『自分』というものがない」と評される事もあります。…ま、そういう評価をしたのはたった一人ですが。普通の人は、まず人の思想に対していちいち評価を下す様な真似はしません。要らぬお世話にゃ涙がちょちょぎれるぜ(from hide「Bacteria」)まぁ、それは良いとして、彼のその言い分も、その根拠も分からなくはありません。何故なら、僕は「基本的に全ての人の意見を認め、明確な好き嫌いをあまり出さない」人間だからです。曖昧模糊とした事を好み、世界に明確な線引きをせず、全てを理解し、全ての存在を認める。全てを破壊し、善の存在も悪の存在も認めない。絶対の存在を否定し、全ての可能性を思考する。確かに、その人の言い分も間違っちゃいないと思います。でも、かといって正しいとも思いません。第一、彼が自分の意見「お前には『自分』が無い」を僕に押し付けるには、僕が「その意見を認める」という大前提が必要であり、裏返せば、人の意見を認める事の否定は、自らの意見を通す事の否定となるのです。勿論、僕にだって嫌だと言える事は存在します。しかし、何かを通す事は、同時に何かを通さない事だと言うのはいつも心に置いています。誰も彼も、自分を信じるべきですが、自分以外の存在を意識しなければそれもただ空しいだけだと思います。おしゃれをしても、見る人がいなければ意味がないのと同じです。…なんか違います。結局の所、世界はパズルゲームみたいなもんです。世界の小さな一ピース。ピースが一つ欠けても完成しませんが、だからといってピース一つで完成もしません。人なんて所詮はそんなもんでしょう。それをどう感じるかは、まぁ人それぞれなんですけどね。ところで、タイトルの「神様のパズル」は数年前に僕が読んだ、とあるSF小説です。内容はこの駄文とは180度無関係ですが、何か感じる所のある小説なのは確かです。お暇だったらご一読を。知恵熱が出る事必至です。
2005/02/16
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言葉には、力があります。影響力という言い方もできるかも知れません。なんの気なしに発した言葉でも、もしかしたら何かを、とても、破壊的に、破滅的に、絶対的に、壊滅的に、致命的に変えてしまうかもしれません。虚空に向けた言葉だったつもりが、意外に目の前は劇場だったりする場合は珍しい事でもないです。ま、そこまでの意識を持つ必要は全くありませんが、特に、誰かの相談事を受けたり、誰かにアドバイスしたりするときには、覚悟くらいはしておいた方が良いのかもしれません。無自覚に他人に影響力を持つ存在程やっかいなモノはありませんしね。…しかし、まぁ僕みたいな、「息をするのと同じ感覚で嘘を吐く」存在が何を言っても説得力ないわけですが(笑)しかしながら、この場合は説得力が無い事こそが、僕の強みです。
2005/02/15
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世の中には、幸せの絶対量みたいな物が存在するんじゃないか?昔、知り合いにそう話して、笑われた事があった。「あぁ、そうかもね」「まぁ、今思いついた、冗談みたいなもんだけどね」 僕はよく、思いつきで勝手な新説を唱え、そしてすぐに忘れていくのだ。「ってことはだ、あたしに今色恋沙汰がなくて不幸なのは、キミがあたしの分の幸せを取ってるかもしれないワケだ?」「いや、別に幸せでもないんですけど。僕だって彼女いないワケだし」「と、ゆーワケで、おごってね♪」…なぜか奢らされました。よく考えたら、全く奢る理由なってないじゃないか、くそぅ。ま、それはそれで良いんですが。世の中の「幸せ」は、実は量が決まっていて、例えば、100mlの幸せが世界の幸せ値だとしたら、100ml分の幸せをみんなで分け分けしてるのです。3mlハッピーな人もいれば、0mlハッピーな人もいて、それが、日々増減してるのです。これは、そんなにネガティブな考えではなくて例えば「あぁ、誰かの不幸の代わりに、僕が幸せなのかも知れない。その分も、この幸せに感謝しなきゃ。」とか「私がこんなに不幸でも、その分世界の誰かが幸せになってるかもしれない。それならそれでいっか。」とか、もし思えるとしたら、なんか、みんながみんな世界中の幸せを願い、喜んでるみたいで、それこそ、すごい幸せじゃないですか……とか、一瞬考えたんですけど、そんな君子聖人ばっかなワケないですよね、世の中。「俺の分の幸せを誰かがとってる」などと面白すぎる事を言う人とか、僕の友達にいますしね(笑)とりあえず、君の幸せとってるのは僕じゃないから(笑)
2005/02/14
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「絶対」は数学上にしか存在しない。などとのたまっていた友達が昔いましたが(いや、今もいますけど)、その言葉は、僕の深い所に根付き、僕に結構な影響を与えているような気がします。(なんか癪ですが)でも、いくら「絶対とか、100%とか数字の上でしか存在しね~んだよ、はっ」とか言ってても、「あ~、絶対むり~」とか思っちゃう事ってありますよね。ちょい前の駄文じゃないですけど、「絶対なんて絶対に存在しない」なんて見方ができるのは、絶対的な視点を持った神様くらいなもので、所詮僕ら卑しき人間から見れば「絶対」(だと感じてしまう事)なんてそこらじゅうにゴロゴロしてるって事です。
2005/02/12
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彼はこう言いました「人は、パンのみで生きるにあらず」良い事言いますね・・・。そりゃ、パンだけで生きてけるワケありません。お金だって必要です。はて?この言葉はそういう意味でしたっけ?・・・違います。
2005/02/11
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