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がっくり。気持ちの区切りをつけないと、なかなか日常に戻れないので、久しぶりに書きます。この2カ月半、気持ちの移り変わりを日記に書くということを思いつかなかったのは、あまりに個人的具体的な要素が多すぎるからでありましょう。それはたまこの幼稚園問題。だからー、幼稚園っていうのは、よっぽど状況が整わない限り、働くお母さんには無理なんだってば。というのは重々わかっていたのだが、2カ月間あれこれ考えてあちこち見学も行って、それで体で納得しました。できる人もいるんでしょうが、私には子どもを幼稚園にやるのは無理だということを。今日が、もっとも惚れ込んでしまった幼稚園の願書を出す日だった。ああ、願書、出したかったな。たまこが生まれて以来初めて、心底、仕事を続けていることを残念に思った。子どもの顔が子どもらしくイキイキとしていて、先生がしゃきっとしていて、昔の幼稚園をみるようだったそこは、とにかく穏やかな空気に満ちあふれていた。なんとかならないかなあ、と、幼稚園が終わってから保育園に通わせる、とかシッターさん、とかいう二重保育も考えましたが、やっぱりたまこへの、そして家計への負荷は無視できず、断念した。いまの保育園が小学校前まで通えるなら何も悩まないのだが、上は3歳児まで、それも定員が数人という、庭もない小さな保育園なので、それって何だかなあ、というもやもやを抱えていたところに、近所の野生系の幼稚園を知って、何とかならないか!といろいろ取材を試みたが、母親の行事参加率の高さにまず、断念したのが始まり。この間、いろいろアドバイスを下さった皆さま、本当にどうもありがとうございました。でも、味わってしまった幼稚園の楽しそうな空気が忘れられず、この1カ月、あちこち見学しました。延長保育があったり、給食があったりするところ。園舎がきれいなある幼稚園も見に行ったのだが、園庭は素晴らしく、たまこも「こうえん!こうえん!」と大喜びで遊んだのだけれど、授業の雰囲気が「○○ちゃん、手はおひざ!」「○○ちゃん、指は口に入れない!」って犬の訓練校みたいでがっかりしたり。。。。。こんなに幼稚園によって、子どもの顔と先生の顔、そして園の雰囲気が違うものなのか、とびっくりした。保育園は、基本的に公立だとあまり選択できないし、このへんの私立は小さいところばかりだから、何とも考えようがないのだけれど、幼稚園はこんなに選べるのですね。で、そこからついつい面白くなってしまって、選べるなら受験もアリ?とかいって、半分のぞき見気分で、幼稚園受験ワールドものぞいてみた。幼児教室の説明会とか、模試とか。たまこには、「遊びに行こう!」といって、保育園を休ませて、いろいろ行った。(あいかわらずだのう、我ながら)同い年の子たちの、よくしつけられてかわいらしいこと!たまこなんて、お受験服定番の紺色のスカートさえ、「こわいからいや!」といって、真っ赤な服しか着ないし。で、1つめの教室に行ってすぐに、「母親が働いていると、入園はほぼ不可能」(大笑)ということがわかり、あとはもう社会見学のためにまわってみました。そこでいろんな人に言われて改めて認識した、たまこの性格。すごーく恥ずかしがり屋で、初対面の人には固まってしまう。挨拶できない。「それは、人間を信頼する、ということを学んでくる機会がなかったんですね、保育園で育つ子に多い傾向です。これは意識して直さないと、大きくなっても治りませんよ」と、ある教室で言われた。ひいい。無理やり知らない大人の中にいきなり入れられた経験が先に立ち、知らない人、知らない場所は怖い、という刷り込みができている、ということらしい。商売が入っているとはいえ、治らないって断言するのはどうなのよ、と思うが、けっこうびっくりしました。私は無邪気に、保育園に行ってるのだから、知らない場所や人なんて平気だろう、と思っていたのだが、逆に、保育園というのは小さなプライベート空間だから、そうでない場所や人というのは、警戒するべき場所や人として存在することに変わりはないらしい。別の教室でも、「幼稚園受験は、人間を信頼する力が育っているかどうか、をみるのがすべてと言っても過言ではありません」という話があった。まあ、受験はしないからいいのですが、この、人間を信頼する力って、確かに大事かもしれないと思う。でも、そんなの、すぐに養われるってもんでもないしな。たまこは、知らない人に挨拶するのは「こわい」んだそうだ。本人談。普通子どもはみんなそういうもんだろうと思っていた私が世間知らずだったのか、それって何か外からの力で変わるものなのか、そのへんはぜんぜんわかりませんが、とりあえずは何もせず、たまこはたまこのまんまにしておこう、とだけは思うのだった。母子共にとっても信頼している担任の保母さんにこの話をしたら、「子どもは、小さな自信が少しずつ積み重なっていくことで、外側に開かれていくものなんですよ」といわれた。それはパズルができたとか、絵が描けたとか、当番で上手にお茶を配れたとか、そういうこと。いろいろ勉強になりました。書いている間に、願書提出の時間は無事終了してしまいました。でも、別に保育園がイヤなわけじゃない。たまこよ、これからも一緒に大きくなろうね。
2005年10月27日
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今日は私が早く帰れる。のをいいことに、シャチョーはうきうきデート。シャチョーは、飲み用とか、展覧会用とか、なんか目的別にいろんな女友達がいて、今日は展覧会らしい。ああ、思えばいなくなったなあ、男のお友達よ。。。。いずこへ。。。。うきうきとたまこを迎えにいったら、紙芝居がすごくいいところだったらしい、「まだかえりたくないいいいい!」と大泣きして抵抗するので途方にくれていたら、別のお友達を迎えにきたお母さんが、風船を持っていた!いっきにざわつく4人の子どもたち。うつぶせから一転、仁王立ちしてそわそわするたまこ。「商店街で配ってましたよー」というそのお母さんの声を聞いたとたん、「商店街いく!」。というわけで、無事、脱出成功、商店街のパチンコ屋さんで風船もいただいて、珍しくその近くのデリに寄った。オーガニック系デリで、テイクアウトもできてお店でも食べられて、ちょっと高いけどおいしい。中に入ったら、たまこが「ここで食べていく」という。お言葉に甘えてついつい、そこで注文して食べてしまいました。でも、お店のお姉さんが怖かったー。まあ、みんなくつろぎの夕食タイムだし、子どもはデリでテイクアウトして帰ってほしいよなあ、そりゃ。案の定、たまこはテーブルのコップをひっくり返して水をこぼしたのだが、お姉さんは黙って机をふいてくれただけで、お水は継ぎ足してくれなかった。。。。これも、まあ、そりゃ、そうだよなあ。ちょっとさびしかったけど。いろいろ食べて満足したのか、ベビーカーの上に移動して立ったまま、机に向かうたまこに何度も、すわって!すわって!というのに座らない。どうして座らないの?と聞いたら、「うんちがあるから。。。」はい、立派なのが、出てました。なんか、思いも寄らないところで会話が成立するというか、ちゃんと意味を持つというか、本人なりの理屈の上で行動していて、そっちのほうが筋が通っている、ということがあるので、ほんと、一方的に叱ったり、命令したりって、できないなあ、とこのごろ思う。そしてもう9時近くなった暗い帰り道、ベビーカーを押しながら、改めて、2時のお迎え人生に思いを馳せる。どっちのほうがいい、っていうことはない。たぶん。きっと。小さいころ、母親は働いていたのに、私が通ったのは幼稚園だった。あんまりよく覚えてないけど、お留守番のおばさんが迎えにきてくれたり、していたような気がする。いったいどうやってあのころ、乗り切っていたのかなあ。改めて聞いてみよう。その後、春夏冬休みがあることもわかり(当たり前だ)、ハヤリヤマイのような私の中の幼稚園ブームは早くも本格的終焉を迎えておりますが、子どもの育て方って、案外、自分でとっとと限定しているものだなあと、新鮮な気分を味わえたのはとってもよかった。私だってVERY母ちゃん、STORY母ちゃんになれる無限の可能性を秘めていたのだ!。。。。いや、それはないな。。。。
2005年08月03日
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近所の幼稚園から、入園案内のDMが来た。そう、来年たまこは幼稚園入園イヤーなのだ。ちょうど、私が仕事ででていたこの日曜日にシャチョーが、たまこを連れてその幼稚園の夏祭りに行って来た(ついでにどじょうもすくってきた)ばかりだったので、いろいろ説明してくれたのだが、確かにとっても自然が豊かでワイルドな幼稚園らしく、通わせてよかった!というお母さんからの手書きのメッセージが、まぶしい。。。。幼稚園かー。いいなあ。でも、午後2時に終わるなんて、2時に会社に行くこともあるような母のところに生まれてきたたまこには、無理。でもいまの保育園は3歳児の枠がすごく少ないし、園庭もないので、いよいよ公立保育園に移るべきなのか、それとももう1年、慣れたいまの園に通わせてもいいか、それとも思い切って幼稚園にいくか(いや、だから無理だって)、考えどころではある。幼稚園なんて一瞬も考えたことがなかったのに、そのDMを見ていたら、よだれが出てきた。。。木造の園舎で、大きな広い庭とたくさんの木があって、たくさんの動物がいて、食べ物や花を栽培していて、というその豊かな環境。いいことも悪いことも、何でもかんでもとにかくすいすいと飲み込むように吸収している2歳児たまこ(このごろは「なるほどね。」が口癖)が、さらにそんな豊かなことたちにふれちゃったらもう、どうなっちゃうのぉお? うっとりしていたら、「昼食はお母さんのお弁当です」というにっこりした一文が。どどーーん。夢は一気に覚めたのだった。。。。。「余裕のある家が通うんだね、やっぱり。」と、つぶやくシャチョー。余裕とはもちろんお金だけでなく心や時間や気持ちや、そういういろんなもの。でも、この幼稚園に通う通わないは別として、余裕のある子育て環境は必要だねえ、と心から思うのだった。まあ、何よりまずは母親の気持ちの余裕が最大の環境ではありましょうが。地球に優しい母への道は険しいのです。
2005年08月02日
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本を読んで会いたかった人に会いに行った。連載の執筆を頼みに行ったのだが、向こうが書きたいことと、こちらが書いてほしいことがかみ合わず、向こうが乗らなくなってしまって、結局今回は見送ることになった。。。。なんか、かなり、がっくりした。私がその人をわくわくさせきれなかったってことだし、結局、こっちの求めるものをその人も持っていなかったってことなんだけど、やっぱり、あくまで私の力不足、という要素は大きい。イメージがわかない、という彼を説得できなかったし、説得する以前の問題として、一緒に何かを作ろうという会話ができなかった。。。。。あーあ。失恋気分だわ。久しぶりだわ。で、改めて学んだのは、出会いはプレゼントってことだ。もらうだけでなくて、あげなくてはいけない。今日は何もあげられなかったなあ。そういう気持ちが足りなかったなあ。そういうゆるい自分に深くがっかりし、でもそこから学ぶだけ学んであとはすっきり水に流したい。って、たくさん、流しすぎという説が。いえ、失敗こそ贈り物なのだからなのだわ!でもさすがにいま売れている本を書いた人だけあって、その人は、全体が勢いであふれていた。そういう波に乗っている人に共通している特徴は、いい意味でものすごく「自分中心」なこと。自分の判断、自分のセンスや感覚、自分の言葉を中心にものごとを進めていって、そこに合わないものにははっきりすっきりさっぱりと冷たく、だからこそある部分はすごく熱い。だから、見ているだけではじめからああごめんなさーい、っていうか、いろんな場面で常にあいまいな自分のままではいてはいけないような(ま、それはそれで確かに問題だが)、心もとない気持ちになる。でもって、そういう人同士は、すごく話が早くて、ことが進むスピードも速い。何か魔法が起こるように。今日会った人にも、「話をしていて何かが起これば、面白くなるんですよね。でも今は何も起きないなあ」なぁあああーんて言われちゃったし。なかなか、そういうパキパキした人になれません。そういう風に、人に言うってこと自体がびっくりだった。それはその通りなんだけど、なんかすごいことではないかしら。そう言える自信、そして明確さ。パキパキになれないどうしの、ゆるーい通じ合ってる実感およびヨロコビ、というのも確かに存在する。いままではそれだけでいいやと思っていたんだけど、なんか、今日のできごとで、自分はいいかげんちゃんとしなくちゃいけないんじゃないか、と思った。でも、ちゃんとって、いまさら、なにを。。。。。なにから。。。。。(笑)。
2005年08月01日
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さっき帰宅。たまこには会えなかったが、仰向けにまっすぐ同じ寝相で同じ顔をしてくっついて並んで寝る父と子を見られたのでひと笑いしてすっきり。メッセージを下さった皆さま、ありがとうございます。1つ大人になったのを機に、またちゃんと日記の更新を続けてみるべく。やっぱり、むりやり書き続けるのは大事かもしれない、と、みんなの日記を読んでいるとつくづく思うのです。いや、みんなはむりやりじゃないんだけど、私には負荷が高い。でも、チリツモ効果って、いろんなことにおいてあるんだろうなと。ちりも積もればって、実際に家の中にちりばかり積んでてもなと。といっても、今日は朝たまこを送ってから家に帰って洗濯機に洗濯物を入れ(干すのはシャチョー)、デザイナーさんの事務所に暑いので差し入れをもっていきつつ、昨日取材したサッカーの○ッカムさまたちの記者会見の写真(くやしいがやっぱりすばらしく美しかった。でも○ティ選手のほうが実はカッコよかった。でも個人的にはやっぱり○ナウドが好きだ)を届ける。その足でベトナム料理店に入ってフォーとご飯のランチを食べ、その店のあちこちに飾られているきれいな花に一瞬心を奪われるもすぐに造花だとわかって少しがっかりし(どうなんでしょう、ごはん処に造花って、これほど信用を失うものってないと思うんだが)、そのまま会社に戻ってついさっきまで紙の山と一緒に過ごす。そこからいままでの間の記憶はあまりない。。。。というか、ただひたすら仕事をこなすべく疾走していた感じだけが残っている。その残像みたいなものの積み重なりがそのままわたしなんだと思ったらやっぱりそれはいやだというかこわいと思った。。。。帰り道、タクシーから見上げた夜の月がぴかぴかに光っていて、その美しさと、今日の強烈な暑さだけは、しっかり体に刻まれたような気がする。そことつながっていれば、とりあえずはだいじょうぶか?
2005年07月27日
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じみーーーにしずかーーに、年を取ろうと思ったら、なんと職場でサプライズでケーキにろうそく&ワイン&クラッカーとプチくす玉でお祝いをしてもらってしまった(書いてみるとハデだな)。うれしかった。1つ年を取る勇気が出ました。できたらまだ子宝に恵まれたいわたしとしては、無駄な加齢と排卵はもはやできれば避けたい!のだが、やっぱり、祝ってもらったら嬉しかった。みんなでこっそり相談してくれていたらしい。しかもわざわざデパートでおいしいケーキを買ってきて隠してくれていて。ありがたいなあ。卵子の老化問題さえ除けば、年を取るのは楽しいし、これからがどんどん楽しみなんですが。卵子の老化を防ぐエクササイズとか、ないかな。出そうだな、いつか。夜はたまこもいるし、ってことで、シャチョーとランチデートをムリヤリした。むりやり、というのは、私が希望したから。でも、行ってみたら行きたかった店は今日に限って貸し切り。で、その近くの魚の定食屋で、私はかつおのたたき、シャチョーは鯖の塩焼きをいただき、シブいランチデートはすぐに終了してしまいました。そのあと、仕事をしていたら、ケータイに両親から電話があり、たまこを連れてきて一緒にお祝いしようという。子どもが生まれてから特に、誕生日って親に感謝を伝える日だなあという気持ちが増していたので、その言葉に甘え(というわりにはしっかりご飯は作ってもらう。)、シャチョーがたまこを迎えにいったその足で実家に行ってもらい、私もあとから合流した。ケーキを買ってきて、といわれていたので、ケーキを買って行ったら、玄関先に走り出てきたたまこが「ハッピバスデーは?」と、まずケーキを探す。母よりケーキかい。そしてろうそくをたてて火をつけて、何度歌っても「ハッピバースデイ、ディア、たまたまー」と自分に歌ってしまうたまこだった。台風の強い風にはらわれて空気がすがすがしくきれいな夜。みんなに祝ってもらえる幸せをかみしめた。人は1人では大きくなれないし、生きていけないんだなあ、と、大きくなればなるほど、そしてこういう夜には特に思います。と、書いてるわりに不義理しまくりでごめんなさい、友だちのみなさんよ。
2005年07月26日
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どうしても仕事が終わらず、たまこを保育園に迎えに行ってから、また地下鉄に乗ってたまこと一緒に会社に戻った。シャチョーが近くの駅まで迎えにきてくれていたのだが、「ママとカイシャにいく!」とはりきるたまこを置いていくとまた大泣きして面倒そうなので、今日はわりとみんな余裕があってけっこう早く帰る月曜日だし、ま、いっか、と、連れていった。通算4、5回目ぐらいにはなると思う。8時過ぎの会社はさすがにまったりしていて、職場によっては忙しい時期なんだけれど、月曜日ということもあってやっぱり静かだった。当然、たまこは大喜びなんだが、いい子にしているという口約束を必死に守ろうともしていて、ついつい歌ってしまったり、私がコピーを取りに行ったりして見えなくなると大きな声でママ!と叫んでしまったりするのだが、まあそこそこみんなに許してもらって、何とか今日やらなくちゃいけないことの多くを片づけて帰ることができた。そのへんに転がっているチョコとか、あまりいつもは食べさせてもらえないものを食べて鼻の穴がふくらんでいるたまこ。そのまま、待っててくれていたシャチョーの車で帰宅。でも、おなかがすいたので、しかも雨が降っていたので、ファミレスに行ってしまいました。たまこと行くのは2回目だ。ほんとは、まだひざの裏にところどころ残る湿疹には最悪なので食べさせたくないのだが、たまには、いいか、ということで、たまこの好きなフライドポテトなどを注文。メニューを見ていたら、なんと、「から揚げラーメン」という子どもメニューがあった。鶏の唐揚げと、コーンと、ラーメンが入ってるの。確かに、子どもの好きなものばかりですが、これをそのまま組み合わせようと考えた人はすごいとおもう。。。。あまりに驚いて、しかもたまこがラーメンを食べたがっていたので、ついつい頼んでしまいました。すごいことだなあ。何でもありなんだなあ。お子さまメニューって、ほんとに、いつも「そんなもんで子どもは喜ばないぞ!」とおもうんだけど、で、実際に頼んでみると、やっぱりたまこは食べないんだけど、しかし、ついつい、頼んでしまうのはなぜ。近所の人気のカレー屋でも、お子さまカレーは新幹線のお皿に乗っていて、ジュースもついていて、とってもお子さま風なんだけど、何しろ薄めすぎていて、ほとんど味がしない。で、たまこはやっぱり食べない。本当に子どもが喜ぶお子さまメニューを出している店って、あるのかなあ。と思う。実際、たまこは、からあげラーメンも、ラーメンだけを半分ぐらい食べておしまいでした。那須に行ったときに行った牧場のレストランでも、ついついお子さまランチを頼んだのだが、ハンバーグとスパゲティと卵焼きと真っ赤なさくらんぼと、小さなロールパンという伝統パターンで、やっぱりこりゃ食べんだろう、とわかってるんだけど、メニューを見て「パッチ―(スパゲッティー)食べる!」というたまこの声をついつい信用して、頼んでしまうんだなあ。で、出てくると、まずいから食べない、その繰り返し。子どもの食事が置かれている状況は、別に貧しくはないと思う。親が子どもに食べさせるものって、昔も引用したけど、子どもに向ける「気」そのものだから、ひとくくりにはできません。ふつうのレストランだと、やっぱり子どものことを考えてご飯は作れないし、商売できないから、どうしてもそうなるのは仕方ないんだなあ、きっと。でもやっぱり、見かけがいいけどおいしくないお子さまメニューが多い国ってなんだかなあ。いや、そういう店に、いかなきゃいいし、頼まなきゃいいだけなんですけど。イベントとか刺激をすぐに必要としてしまうのは、2歳児親の宿命とはいえ、静かに穏やかに子どもを育てるのってつくづく難しいと、思います。独身の同僚が、いきなりスポーツジム通いを始め、なんかすごくめきめき気力が充実している感じが手に取るようにわかる。乳も気力もたれ流しているいっぽうという感の強い今日このごろ、自分のために何かをしたいととっても思う。同時に、なかなか会えないたまこともっと関わるためになにかをしたいとも思う。何かはよくわからんのですが。時間を無理やりでも作ることかな。でもそれは仕事の責任を放棄することかも、と思いそう簡単にはやっぱり早く帰りにくい。実際帰れない状況のときのほうが多いのだけれど。そして責任放棄でない時間の作り方というのは確実にあるはずなんだけど、まだノウハウを確立できていませんなあ。ばななさんとジュリアンさんの往復書簡を読んでいたら、ばななさんが子どものアトピーの原因を自分の精神状態に見い出していて、読みながら、私もものすごく共感した。そうだ、私の場合は、「たまこともっと関わりたかった」んだなあと。そういう気持ちが、たまこの湿疹を長引かせていたんだと。それに気がついたらすごく泣けてきて、でも泣いたらすっきりして、私もばななさんのように、たまこに言ってみた。たぶん別の関わり方もあるから、治っていいよ。ひっぱってごめんねー。いま、ちょうどおそらくホメオパシーの効果が出ている時期というのもあるけれど、そう言葉にしてみたら私も楽になり、そしてそれとの関連性はわかりませんし、まだかゆがるけれど、たまこの肌はずいぶんと元気がよくなった。そこで唐揚げラーメンを食べさせている、ブンレツ母ちゃんですが、ま、そんな感じで母子は(あ、父も)ともに育っていくのである。
2005年07月25日
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今月、初めて、おそまきながらヌノナプデビューしました。気持ちよかったー。これは小・中学校で教えた方がいい!と思った。あったかいし、やわらかいし。みんなが書いているように、体験すると、生理がジャマなものじゃなくなると思う。といいつつも、なんでデビューが遅くなったかというと、前に、「オニババ化する女たち」(光文社新書)を読んで、流れ出るものをコントロールする、というのに興味をもち、しばらく練習してたからなんですねー。もう、これって界隈では常識なんでしょうか。昔の人が何で和紙をそっと入口に置くぐらいで大丈夫だったかというと、みんなこのコントロールができてたからだというのだ。つまり、トイレに行ったときに、まとめて出す(笑)という練習。で、やってみたら、確かに慣れてくると、コントロールって可能になるものなんだというのがわかった。コントロールできるようになると、すっきり気持ちいいし、ちゃんとすっきり4日程度で終わるようになる。ばななさんのお姉さんは昔っからこれを当たり前のようにしていたと、日記に書いてあった。さすがだ。。。。で、何回かやってみて大丈夫そうだと思ったので、ヌノナプに挑戦したわけです。ああ、こんなに気持ちいいなら、練習のときからヌノナプにしておくんだったわ。結局、ほとんど失敗しないまま、実験期間(笑)を過ごすことができた。その達成感もまたよかったのだった。なんのこっちゃ。そして同時に、まだ夜は紙おむつを使ってしまっているたまこにあやまった。ごめんなさい。紙をやめたら、彼女も身体感覚が変わるだろうなあ、と思う。でも、おねしょされると困るという気持ちと、布おむつをいやがるのとで、ついつい、紙のまんまなのだった。おねしょしてもいい工夫を考えなくては。保育園では、トレーニングパンツなんですけど。別に、何かがすごく変わるわけではないのに、何か自分の体に少し近づいたような感じ。子供を産んだあとで、さらに近づくことになるとは思わなかった。どちらかというと、コンピューター漬けで、遠くなる一方だったんだけど。
2005年07月05日
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すみません、オオカミなもんで、また2ヶ月があっという間に経ってしまいました。その間にいろんなものを見た。勉強になっちゃったので、ちょっと記録します。●子どもの湿疹にステロイド処方というのは、ごくごく普通に行われる治療である。たまこの湿疹がひどくなり、毎晩2、3時間おきに痒がるようになり、母は先月、ついに重い腰を上げてついに皮膚科に行ってみた。そこであっさり、「あんまり強くないですから~。これでまずちょっと状態をよくしてから、徐々に弱い薬に変えていきましょう」と、ステロイドを処方された。これはネットであとから調べてみると、基本的な湿疹の治療パターンらしく、ごくごく普通のことらしい。それでも私はついついショックを受けて、あれこれネットをウロウロし、真剣に考えた末(おそいんですが)、やっぱりまだステロイドは使いたくないと決心し、(しかもそれはストロングという5段階中から3番目に強い部類のステロイドだった。)はじめて、ホメオパスのところに相談に行った。そこで、フラワーエッセンスとホメオパシーを処方してもらい、朝晩飲み始めてもうすぐ3週間。2週間目までは、噂に聞く好転反応が出て、湿疹が背中やお腹にもひろがり、そこにかき壊しが加わってさらにすごいことになった。●血液検査は、2歳児に意味があるとはいいがたい。保育園では、ずーーーっと血液検査をすすめられていた。原因が分かれば対処もできるので、という。痛そうだし、検査はあまり意味がないという噂を聞いてたので、のらりくらりとかわしていた。ホメオパスにみてもらってからは、ホメオパシー等の基本知識をプリントアウトしたものを添付して、「こういう治療を受けているので血液検査は受けません。それに、この程度の湿疹なら除去食をするより、食べて克服させたい」、という手紙も先生に書いた。実際、かきこわして悪化しているけれど、何かに反応している感じではないのだ。でも、かゆがるたまこを昼間ずっと見ていなくてはならないのは先生たちだ。好転反応がピークのころ、さすがに肌がぼろぼろでかゆがっているたまこの足に優しくクリームをすり込んでくれている先生(手紙を書いた先生とは別人)にも、「血液検査を受けてみると、いろいろデータがわかっていいですよ」と、言われてしまったときには、ちょっとまじめに考えた。で、2軒目の皮膚科に血液検査を受けに行ってみた。それでわかったこと。●やっぱり、皮膚科医に向かってホメオパシーやってます、っていうのは、ほぼ暴力である(笑)。皮膚科の先生は、まずたまこの肌を見て、「ああああーー、トビヒになりかけてるねえ。何か治療受けてますか?」というので、ついつい自虐的な気分になって、わかってたのに言ってしまった。「いまホメオパスにかかっていて、いわゆる毒出しをしていてこれは好転反応なんです」。「別の皮膚科に行ったんですけど、ステロイドを出されたのでそれから行ってません」いやあああああ、先生、逆上しましたねー。「これは、ステロイドじゃないと治りませんよっっっ。お母さん、それに毒出しとかいうけど、そういうものに医学的根拠はまっっっっったく、ありませんから!(これを3回ぐらい反復)」「いまはお母さんがケアしてるからいいですけど、これが全身に回ると入院しなくちゃいけなくなりますよ」(うわぁあ、おどしだ)「抗生剤を出しておきますが、いいですか、治るのにはものすごく時間がかかりますよ」「いまはねーー、インターネットで情報過多になってるから、お母さん、情報はきちんと選ばないと!」一応、反省するような真剣な顔つきをして神妙に聞いていたら、先生は少し落ち着いて、毎日、石鹸で洗うといい。ただし固形石鹸でね。と優しい顔になって教えてくれた。で、血液検査は?「意味ありません! だいたい、いまやったらお母さんびっくりしますよ。すべてにものすごく高い数字が出ますから。2歳っていうのは、いろんなものに抵抗力をつけていく時期なんです。ですから、いまはどんなものにでも反応します。だから血液検査は、このぐらいの子どもには意味はない。どんどんそういうものに反応して強くなっていく時期なんですよ」(同先生)やったー!これで血液検査は受けなくていい、という証明をもらった!ので、抗生剤を受け取り、逃げるように皮膚科をあとにした。そのまま保育園に連れていって、血液検査は受けられませんでした、と報告した。●やっぱりホメオパシーとフラワーエッセンスはすてき。で、実際、3週目からのたまこの肌は、急に元気になってきた。最悪の状態のときに、南方で海に10分ぐらいつかったのもよかったみたいだが、ともかく、赤くてこわばった肌の状態からは脱しつつある。「ステロイドを使わない限り治らない」と宣言されてから1週間で、とりあえずひざのうらやひじは、まだ一部かきやすいところは傷が残ってますが、かなりすべすべの肌を取り戻した。生命力万歳。ホメオパシーなどをあまり信用していなかったシャチョーもかなり驚き、「2軒目の先生に見せに行こうよ!」と言っている。はははは。これもネットをウロウロしていてわかったのだが、特に皮膚科治療において、自然派信仰が強い母ちゃんというのは一部ではとっても悪く言われてるみたいだ。確かに、皮膚科の先生には、本当のことを言って悪かったと思う。でも、いまのたまこの肌には、ホメオパシーとフラワーエッセンスと、クリームで、元気になる力があったみたいだ。ありがたいことだ。人によっていろいろだけど、ホメオパスの先生に教えてもらったクリームのうち、うちのたまこに効いてるようなのは、オーストラリアン○ッシュフラワーのエマージェンシークリーム。(ニー○ズヤードで売ってます)バッチのリカバリークリームも落ち着くみたいだけど、たまこのかゆみには弱かった。あと、ネ○ソンズのグラフィティーズというホメオパシークリーム(ナチュラルハウスで売ってます)もいいんだけど、たまこの肌ではすぐ乾燥してしまうようです。意外によかったのが、ホ○オパシージャパンのビーワックスC。これはしっとりが持続した。でも一番笑ったのは、ホメオパスの先生が、本当に丁寧に問診してくれてよかったのだけど、なんと、1時間半経つまで、目の前のたまこが男の子だと思っていたことだ。カルテにも女にマルつけたのになあ。思いもよらなかったんだろうなあ。女の子だといったら本当に驚かれてしまった。しばらく思い出し笑いしました。いまの悩みは、かゆがるたまこにいらついてしまう自分だ。朝方の3時と4時ぐらいにかゆがって、いくらクリームを塗ってもえんえん、体のいろんなところを痒がったりする。かいちゃだめ!というのもかわいそうな話なんだけど、ついついそう言ってしまう。で、結局、1時間ぐらい経って、自然なクリームだけでは対処できずに、結局かゆみ止めの薬を塗って眠りに戻る、てきとー母ちゃんなのだった。私にもエッセンスが必要なんだろうなあ、きっと。たまこはクリームを塗られて気持ちよさそうにしているときと、すごく嫌がるときがある。イヤなときは、「ちょっとごめんね!!!!」と叫んでクリームを拭い取ろうとする。(思えば私がたまこに向かって、だっこからおろすときとか、なにかとよく使ってるんだな)これがちょっとかわいくて面白くて、ついついしつこく塗ってしまう。いやな母ちゃんだわ。この湿疹騒ぎをギフトだと思うには、寝不足が続き過ぎてまだしんどいのですが、でもこういう苦労に出合うことで、自分のことや、たまことの関係を再発見する、という側面もやっぱりある。またそれについてはこんど考えます。
2005年06月24日
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夕食問題では、いろいろコメントをありがとうございました。本日も、大地を守る会の茶わん蒸しや納豆等に助けられつつ、無事母の勤めを終えました。おかげで先日来、問題意識が順調に芽生え、本日は1歳から子どもに包丁を持たせるというあの「台所育児」の本を買ってしまいました。。。。その前にまず母が包丁もっと持ちなさいってば。黄金連休前の怒濤の日々がはじまる、ちょっと前の静かな数日間。毎日、たまこを迎えに行けるシアワセを満喫している。今日は迎えに行くと、大喜びでダッシュしてくるたまこと一緒に、先生たちがびっくりして「本当だー!お母さんが来たー!」と顔を見合わせている。何かと思ったら、たまこは夕方からずっと、「今日はママ来るの!」とずっと先生たちに言っていたらしい。。。今朝、確かに「今日もお迎えに行くからね!」と言ってはいたけれど、そんなに何度も言っていたのか、娘たまこよ。。。そんなシアワセな時間の一方で、かえってゆとりがあるせいか頭の芯の疲れが意識されてしまい、今日もまた会社に行く前に、疲れが取れそうな何かを求めて表参道をウロウロ。ニールズヤードに行ったら、なんとバッチフラワーのブレンドボトルが発売されているのを発見した。迷わず買った、エネルギーを取り戻すのにいいというrevitalizeブレンド。このごろフラワーエッセンスの本を見ていて、単品で買ってブレンドするしかないかな~と思っていたオリーブとかオークとかクラブアップルとか、とにかくそういうお疲れ回復エッセンスが満載。ニールズヤードでは4月から売り始めたんだそうだ。売り場のお姉さんが袋に入れてくれながら、「これ、私も使ってますけど、よく効きますよ~」と笑顔で言葉を添えてくれた。それだけでもう効いた気分になりつつ、思いました。ニールズヤードにお勤めでも、疲れるのね。。。あんないい香りの空間で、あんな体によさそうなものを扱っていても、職場は職場、仕事は仕事、なのね。。。。そりゃそうか。ブレンドは他にもいろいろ、プレッシャーからの解放用とか、前向きな一歩用とか、気持ちの動揺時用とか、いろいろありました。エネルギーがどんなになるのか、楽しみだわと思いながら、そこのカフェで玄米ランチを食べる。ごま塩たっぷりかけて満腹満足アンドありがたい気持ちもたっぷり充電され、ずっと気になっていたスマトラ島募金をやっと振り込んで、会社に向かった。もろもろの自分の罪ほろぼしには募金とか貯金とか里親とか、とにかく自分以外の誰かのためにお金を使う方法しかないそうです。昨日、駅のホームで少し後ろから大きなカートを押した車内の新聞雑誌拾いのおじさんが来るのをうすうす知っていながら、たまこを乗せたベビーカーと一緒に先に乗っていた小さなエレベーターの「開く」ボタンを開けてあげなかった私。だってこわかったんだもーーん。と、まあ毎日そういう小さな罪を重ねているので、ちょっとやそっとの募金ではいかんともしがたいのですが。
2005年04月14日
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シャチョーが出張。私も仕事が一段落したので、夜7時、たまこの保育園にお迎えにいく。私は月の3分の1ぐらいしかお迎えに行けないので、行くとたまこが、よろこぶよろこぶ。きゃーーーー!と駆け寄ってきて、したくをして、保育園から駅までの商店街を歩いて、ひと駅電車に乗って、帰ってきた。ふだんはシャチョーの車でぽーんと帰ってくることが多いので、たまには楽しいのんびり帰宅なのだ。夜の商店街はまだ多少賑やかで、お店のきらきらしたライトの中を手を繋いでたまこと帰るのが、私にとっても本当に嬉しい。ついつい、ぷらぷらとお煎餅屋さんに寄ったらお茶をいただいてしまい、飲んで引き下がれなくなって揚げせんを買ったり、新しくオープンしたかわいい100円雑貨ショップをのぞいて、たまこの「お料理」用に小さな泡立て棒を買ってしまったり、駅までたまこの足で10分ぐらいを立派に歩ききったたまこについつい絵本を買ってしまったり、と、あっちこっち寄り道するので、家についたら8時。そこから、商店街で買ったおでんをあたためて、昨日のすき焼きの残りと、ごはんと一緒にいただく。たまこは甘え放題で、私のひざの上で「とうふ!」「だいこん!」と叫んでは食べさせてもらっている。。。。。ダメな母ちゃん。そして、お風呂に入って、やっと寝かし付けると、もう10時を過ぎている。いつも悩ましいのが、たまこの夕ご飯だ。いそがしいお母さんたちは、みんなどうしているのかなあ。あたためるだけで食べられるように、あれこれ週末に仕込んでおけばいいのだろうけれど、ついつい、思いきり遊び倒してしまって、結局平日に一緒に帰ってから作って8時すぎに食べさせることがとっても多いのだ。いかんなあ。しかも私が帰れないときは、シャチョーがチャーハンだの焼肉だの湯豆腐だの、一生懸命いろいろ作って食べさせてくれるのだが、それも精根尽き果てると、いきなりスーパーの海老フライ弁当とか食べさせていて、しかもそれをたまこが大喜びで平らげたり、している。。。。。おおおお。。。。おそろしい。。。。自分は何も作らずに文句はいえないので、黙っているのだが、ちょっと悩ましいことであるのは確かなのだった。根本的に、何かシステムを作りたいのだけれど、結局その日暮らしな感じ。必要な野菜がいつもあって、常備菜がいくつか作ってあって、ごはんのじかんになったら体にいい、栄養のあるものをぱっぱっとつくれる、そんな母ちゃんになれる日って、くるのだろうか。。。。ってそんな悠長なことをいってる場合じゃなく、目の前でこの小さな人は日々細胞分裂を続けているわけで、ああ亜莉さんとかshimangさんのところに生まれてくればきみはもっとおいしく体にいいものが食べられたのに、ごめんよたまこ。と、おもうのだったが、何から始めたらいいのかさっぱりわからない母の懺悔な気分をよそに、今日もたまこは元気におでんと海苔巻きを食べて、仕上げに母乳を飲んで寝てしまいました。時間がないとか、そういう問題ではないのだと思う。段取り力と、企画発想力と、実行力の問題でしょうか。これってたまこの問題だけではなく、もはや夜の外食がほとんど時間的物理的にできない自分たちの問題でもある。冬は鍋というすばらしい日本文化のおかげで、この問題に向き合わなくて済むのでしたが、散りゆく花びらのゆくえを追いながら、ああまたこれ、を考えなくてはならない季節が戻ってきてしまったと実感している、今日このごろです。
2005年04月12日
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昨日は久しぶりに花の教室に行った。すごーく久しぶりに。○○派とかではなく、山野草の投げ入れというか、茶花の世界なので、その日の気分とか体調とか、集中力によって、できあがるものがぜんぜん変わる。昨日は久しぶりで嬉しくて、いつもならもったいなくてできないような花材の切り方がばしばしできて、楽しかった。たとえば、つぼみのついたシャクヤクの茎を半分の所から切って、葉っぱだけ利用するとか。先生はいつも、「家に帰って活けられるように、花材をちびちび使うのがいちばんダメだ!」というのだが、本当にその通りだと思う。もったいない、という言葉は、いいときも、よくないときもある。一期一会っていうのは、花とにも言えるというか、もとはそこからきてるんだっけか? とにかく、そのとき、その場でしか活けられない花を活けるために、わざわざ教室に通うのだ。って、久しぶりだったけど。言葉だらけの世界に毎日身を置いているので、言葉なしで、花とひたすら向き合って、さわって、いける3時間が本当にありがたかった。やっぱり、言葉のない世界に行くのもたまには大事だ。。。。ほんとうに、文字通り、リフレッシュした。今日はまた、例によって会社に居残り作業になってしまい、昨日とはうって変わって言葉の海の中。ほとんど頭が働いていないけど待ち時間なのでまた日記を書いてしまいました。みるからにぼぉーーーっとした文章だわ。。。。新しい家のお向かいの庭が、いまあらゆる花が満開で、ものすごくきれいだ。何て言うのか、何十年もの間に育った木や花が非整然と元気よく盛っていて、とても面白い。そこのおばあさんがまた面白い人で、シャチョーをみつけるたびに、庭の木の説明を延々としてくれるらしい。あの桜の木は40年前に日比谷公園の植木市で苗を買ってきて…とか、あの椿は甥がイタリアから苗をもらってきて…とか、そんな話。それをちゃんとゆっくり聞いてあげるシャチョー。偉し。夜になると、最近、その庭から蛙の声が聞こえてきて、シャチョーと私は10年前に行った、田んぼの真ん中にあるバリの宿を思い出すのだった。あたりの夏がどんな音と空気になるのか、いまから楽しみだ。たまこは保育園で初めて覚えた花の名前が「ウメ」らしく、桜を見てもウメ!椿を見てもウメ!という。3回目のウメ!はどこで一緒に見ようかな。
2005年04月07日
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久しぶりに、会社の外に出て、インタビュー。いやああ、やっぱり人にあって話を聞くのって、いいなあ。これからも、自分に期待されている役割に自分から忠実になることなく、外に出てインタビューしよう、したい、と思いました。今日会った人は、自分で独学で英語が上手になったサラリーマン。MBAを国内で取ったのだが、その入学のために英語の勉強を猛烈にしてきた人だった。なんでそこまで勉強をしようと思ったのか、と聞いたら、自分の子供が所属している子どもサッカーのコーチをしているのだが、彼らに「学び続ける自分の姿を見せたいから」、という。小学生ぐらいになると、競争とか、比較とか、いろんな壁が現れて挫折感を感じている子どもがとても多い、そういう彼らに向かって、オトナもがんばっているんだ、自分から動くと面白いんだ、というメッセージを伝えたいと思った、と。ただ言うだけじゃなくて自分もやるっていうのか。かっちょいいなあ。で、面白いなあと思ったのは、結局、自分のために勉強をしようと思うと、どうしても甘くなって挫折する、でも、人のためにやろうという目標設定にすると、そのへんのやる気が続きやすい、というところだった。なるほどねー。もちろん、仕事の必要性とか、そういう現実的な理由もあるだろうけれど、そこに子どもが出てくる、というのがおもしろかった。子どもが生まれるまでは、そういう感覚ってわからなかったと思う。ただ、かっこいいお話ですね、ぐらいにしか思わなかったかも。でも、なんとなく今日は腑に落ちた。人のためにがんばる、って、まわりくどいけど、実はそれが何よりも自分のためになってしまうというのか、人のためにと思うことで誰よりも自分が助けられることって、ある。子どものためにがんばる、みたいな気持ちって、実はそう思える気持ちそのものが子どもに助けられているというのか。英語の勉強話で、子どものためにがんばる、という人には初めて出会った。かといって、おしきせがましさとか、恩着せがましさとか、そういう暑苦しさを感じない、なんだか不思議な気持ちになったインタビューだった。そしてMBAを取って、子どもに一番感謝しているし、勉強中につらいときも子どもの顔を思い浮かべた、と。私は、でも、たまこのために何かをがんばっているかといえば、別に何もがんばっていないし、たまこのために何かをがんばる、ということは、これからもないかもしれないなあ。だいたい、がんばらない人にならないべく、精神的ギアチェンジをしようとしているところだしなあ。いや、いまだってたいして何もがんばっていないけど。でも、これからたまこが大きくなっていく間には、そういう気持ちになることもあるのかもしれない。インタビューした彼の子どもらは宿題を一生懸命やっているお父さんのそばに、自分も本やら宿題やらを持ってきて、静かに一緒に勉強したり、していたそうだ。うう、うつくしい。そういう意味では、確かに、たまこに、何かを伝えたくてがんばることがらが出てくる、ということは、ありうるかもしれない。○○のために、という発想は、取り扱い注意なので、これからも用心しようと思います。が、新鮮でした。
2005年03月24日
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おととい、保育園に行ったら、たまこの担任を含むほぼ全員の先生が辞めてしまうということが判明し、あまりのショックにぷるぷるしていたその夜に父親が緊急入院。何ごともないことのありがたさ、仕事が忙しいだけだったということのありがたさを改めて思い知りました。父は発熱と高血圧が重なったことが大きな原因だったらしくおかげさまで大事にいたらず、この際徹底的に検査しましょう入院、ということになり、ひと安心。救急病院の待ち合い室で、母と弟と談笑しつつ遠隔ヒーリングをしていたら、右前頭部が重くなった。その時撮ってもらった父のCTスキャン画像を見せてもらったらまさにその部分に軽く梗塞が入っていたので、改めてレイキの力に感動した(してる場合じゃないって)。謙虚に、つつしんで、どんどん流していこう、流させてもらおうと改めて思った。毎朝、たまこを迎えてくれる保育園の先生達の笑顔が大好きで、この先生達がいるから4月からもお願いしよう、と思っていただけに、先生がいなくなるのは本当にショックだ。保育園の園長とスタッフの方向性の違いから出た結論、ということらしい。小さな保育園というのは、こういうときにもろいんだなあ。もっと早く知っていたら、何かしたのに。したかったのに。でも、園長と話をしたら、園長は園長で悩み、泣きながらいきさつを話してくれた。結局のところ、この小さな保育園は、その園長の園であり、その方針が気に入って預けた親としては、もう少し様子を見るしかないかな、というのが話を聞いた感想。お別れは本当に悲しいけれど、でもしっかりと先生方の住所を聞いたので、これからもいろいろと、保育のプロ、大先輩としてお世話になろうと思う。先生方、本当にありがとうございました。今朝はそういうわけで、あきらめきれず前売りを買っていたマザリングフェスタに行くのはあきらめて、読書好きな父のためにネットでは評判のよさそうな、寝たままでも本が読める書見台を探して買って行った。(「王様のアイディア」で売っています)。今日はずいぶんと調子がよくなったみたいで、ほっとした。書見台を組み立てて、本をセットしてあげたら、ちょっと嬉しそうだったので嬉しかった。来週は高野山へ、4月にはスペインへ、母と一緒に旅行に出る予定だった父は、そのことばかり残念がっている。「やっぱり行ったらダメかな」「薬いっぱい持って行ってくる?」「いやー。。。。ついていけないだろうなぁああ。あーあ。弱くなっちゃったなあ。。。。」病を得たときには、そのことに感謝すること。まわりの人は治癒を祈らないこと。それが、大切なことなのだそうだ。祈ると病の状態にかえって固定してしまうから。でも、本当に、なんだかありがたいなあと、思っている。父が旅行に行けないのはかわいそうだけれど、ずっと体調があまりよくなかった父が、こうやって大事にいたる前に徹底的に検査してもらえる、そのタイミングのありがたさ。夜、母に電話をした。ほとんど毎月、どこかしら山に登ったり、何かしら出かけるのが大好きな母は、「楽しみにしていた旅行に行けなくなっちゃったんだけど、なぜかあんまりがっかりしてないのよね。」と言う。たぶん、どこかで心配だったんだろうね、父のことが。そう言い合った。そういう心配が、現実化してしまったのかなあ。でも、そうだとしても、いま揃って安心しているということは、やっぱりありがたいタイミングなのだ。きっと。木や花の芽が吹くと、本当に心身の内側も外側も、いろんな変化が始まる。変わるから変われる。保育園の先生に、心からありがとうを伝え、どうやらピンチを乗り越えたらしい父にもありがとうと思い、そのタイミングを与えてくれたかみさまにありがとう、今日はうきうきと飲み会に行っちゃったシャチョーにもありがとう、そして早く寝てくれたおかげで日記を書けたので、たまこちゃんにもありがとうです。
2005年03月18日
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週末は、またもや雪の温泉に逃避行していました。何から逃げてるって、せっかく引っ越したというのになかなか片づかない、わが家からだと思う。。。。温泉は最高だった。食事も最高だった。が、どうしたら片づくんでしょうね、家。ものをもっともっと、減らさなくてはならないことはわかってるんですが。分類するだけで、なかなか捨てるにいたらず、部屋の中には服とか紙とか本とかおもちゃとか、あちこちにいろんな山が標高を競っております。もっと新しい家を可愛がりたいので、1日1つはここと決めていろいろやってはみている。が、時折、ゴビ砂漠にいるような気持ち(行ったことないけど)になるのはなぜ。。。。。今朝はとても天気が良く、まだカーテンをつけていない寝室(おいおい)に勢いよく朝日が差し込んで、早く目が覚めた。うれしいなあ!と思って起き出して、お茶でも入れてのんびりしようと、まずは顔を念入りに洗って、トイレを掃除して、リビングに戻ってみたら。。。。すでにシャチョーに抱っこされて私を探す起きたてたまこがいた。。。。。自由時間、終了。でも今朝の彼女は機嫌がよく、ひとしきり歌って踊って、ごはんをいろいろ食べて、スープを飲んで、さらにみかんまで食べて保育園に出かけた。ともかく、やっぱり少しでも早起きして、たとえ顔を洗ってトイレを掃除するだけで終わってしまっても、朝の時間を作るのは大事だと再認識。母ちゃんに余裕があると、たまこの機嫌も、そりゃいいですわなあ。って、いつもは顔もトイレも洗わないのか? いまの保育園は小さくて園庭がないせいか、シャチョーが7時に迎えに行って外に出ると、たまこは息を吹き返したようにうきうきと歩き回ったり走ったりして、なかなか車に乗らないし、家にも入らないのだという。園ののんびりした空気と方針と、先生たちの雰囲気が気に入っているので、4月からも公立に移らずに同じ保育園に通うつもりなのだが、4歳、5歳になったら、午前中に散歩に行くにしても、園庭なし夜7時までって、無理かもしれない。。。。それに、子どもの運動会とか、憧れるしなあぁ。毎日の仕事にやられないためには、とにかく自分から自分の領域をあちこちで少しずつでもふくらまして、大事な空間を細かく小さくもつことだという感じがこのごろ特にする。小さいことを大事にしていくことから始まるって、いろんなところで読んではいるけれど、すぐに路地を新幹線で走っていくような日々の速度にまきこまれる。まきこまれるのは、気持ちが巻き込まれるからで、ひっぱられないように杭を打ち込むすべとして、ちまちまとお掃除したり皿を洗ったりすることが、このごろの自分にはとっても大事になっている。ここ数年、楽しみにしているマザリングフェスタが近づいてきて、とっても楽しみなのだが、今年は行けないかなあ。。。。前もって午前とか午後とか、予約をしなくてはいけないというのを知って、すでにあきらめモードだ。。。。ああいうフェスタに集まってくるような、体にいいことやいいものたち、天然酵母のパンに囲まれて(単なるパン好き)、穀物おにぎりとか、ホメオパシーとか、フラワーエッセンスとか、体を大事にする術とか、とにかく心身魂によさそうな、気持ちよさそうなものやことだけが置かれた家で、ゆっくりと自分と家族と環境を大事にしつつ、自分にできることをお返ししながら暮らす。。。。書いてるだけで鼻血ブーだわ。。。。そういうものと、いまのそうでない自分との間にあるものは何だろう。意志?選択?早寝早起き?いや、また会社での待ち時間の勢いに任せてだらだらと書いてしまいました。早く帰れなくても、こうして楽しみを作り出すことはできるのだ!涙!でもとにかく、気持ちよさそうな世界に住んでる人たちは、たぶん目の前のことを1つ1つきっちりとやってるんだろうなあと想像する。で、私の今日のきっちりは、ちょこっと早起きでした。さあ、明日は何でしょうか? がんばらないで、そんな気持ちいい世界に行けるでしょおおおおうか? ぜひ、行きたいものです。
2005年03月08日
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ううう。おうちに帰りたい。だが帰れない。私は原稿を待たなくてはならない立場で、それでもってその原稿をいま目の前で書いている人がいて、しかもその原稿は3カ月も4カ月も前の取材で。。。。わかってるけど、人は書けないんだよね。前もって、時間があるうちには。いやーー、そんなの本人が一番わかっていて、私を待たせているというのもわかっているから一番しんどいのはその人なんだけど、さすがに10時を過ぎるとたまこの顔が浮かんでは消え、消えては浮かぶ・・・。できない人にできないことを責めてもしかたない。怒ってもしかたない。たぶん子育ても同じなんだろうなあ、想像だけど。黙って待つのはしんどく、ネットの子供用品オークションなんかをのぞいていたのだが、見ているうちに片っ端から勢いにまかせて不必要に高い値段で競り落としたくなるのでやめて、こうして日記を書き始めています。今日はしかも結婚記念日なのになあ。修行だなあ。たまこのひなまつりも一緒に祝えなかったし。なんか、罪悪感からいろいろたまこにモノを買い与えてしまいそうになるのを、いまのところは絵本で紛らわせている。うう。たまこにあいたい~。と、ぶちぶちモードを、書いているうちにどこまでアップできるか。それに今日は挑戦してみましょう。果たして私は、いまのこの状況に感謝できるでしょうか。背中がバリバリで、目もしょぼしょぼしていて、お肌はカサカサで歯も少し痛くて、ああ、こんなの読んでもらう人に申し訳ないですね、とにかくとってもヴァータちゃんなのだが、でもやっぱり家ではシャチョーとたまこが元気に待ってくれている!とか、親兄弟も元気だ!とか、いい友達もいるし!とか、いいことを見つけていくと、いろいろ確かにありますね。今日あった一番いいことは。。。。大雪かなあ、やっぱり。朝、たまこは目が覚めるまでは相変わらずおっぱい三昧だったが、「茶碗蒸したベる?」と言われてぴょんと起きて雪を見ると、まずにっこり笑った。茶碗蒸し(朝から…)を食べてから、シャチョーにだっこされてベランダの雪をさわりに行った。まだ遊びたそうなのをむりやり保育園に連れて行ったら、みんなもう粘土遊びをしていて、たまこは上着を脱ぐのももどかしくそちらに走り、真っ先に作ったのは。。。。「ママみて!エビ!」。。。。。。。なぜかたまこはエビが大好きなのだ。そのあと帰ってきたら、シャチョーにムラムラと雪かき欲が芽生えたらしく、窓ガラスを磨くデッキブラシみたいなのを持って外に出ていった。でも、わりとすぐに帰ってきた。隣の人がかき集める雪の場所と、シャチョーがかき集める雪の場所が、うまく折り合わなかったらしい。。。。で、気まずくなって2人とも早々に引き上げたらしい。。。。「なんかね、論理が違うんだよ」。そんな消化不良なシャチョーに珍しくチャーハンを作ってさしあげ、私は会社に出かけた。そう書いている分にはとってものどかな日常の暮らし。ありがたく、幸せな暮らし。だのに~、な~ぜ~、ぶすっとした気持ちになってしまうのでしょ~うか。実際確かに、こんな時間に会社にいて日記を書いてるのって、あんまりやりたくないことではあるが。。。。どうしたら幸せな気持ちになれるでしょぉおおお~うか(サンヨウさん風に)。やっぱり、夜は早く帰りたいのです。帰ってたまことシャチョーと一緒に過ごしたい。それができない自分の働き方に腹が立つのです。もちろん、夕方からばたばた忙しくなる仕事だし、けっこうそれでも無理やり9時ごろには帰ったり、しているのだが。まあ、でも、月に1度ぐらい、こういう日もあるってことかな。こういうときに大事なのは、やっぱり被害者気分になってはいけないということかも。それから、各論を一般論に拡大することも避けたい。これだから働く母親はしんどい、というわけではないのだ。うん。自分で自分を枠に入れたり、面でとらえると、どんどんしんどくなる。その時、その時を、その時の気分できちんとあるいはてきとーに、味わっていくしかない。ちゅうわけで、気分を入れ替えて、机まわりの片づけでもすることにしまーす。人生、形から入らなくてはだわね。はい。
2005年03月04日
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ここ数カ月、ずっと悩んでいたのが、たまこの湿疹だった。ある日、肌がカサカサになったと思ったら、そこからだんだんかゆくなってきて、かきこわして、湿疹になってしまって、そこからまた次の場所にとびひしてしまって……のくり返し。オイルはもちろん、馬油とか、EMクリームとか、美肌水とか、手当たり次第いろんなものを試してみたのだが、けっきょくのところ原因も理由も効果もよくわからない。。。。。いやーん、これって、アトピー? 夜中3時か4時ごろになるときまってヒザの裏やおなかをかゆがって、1時間ぐらいさすらなくてはならない、というくり返しに私の方がばてばてだった。いったい、どうしたらいいもんかなあ、と思いながらネットをうろうろしていてびっくりしたんですが、同じように子どもの肌で悩んでいる人って、本当に多いんですね。自然に子育てをしたいと思っている人にとってはすでに基本中の基本みたいなことを、遅ればせながらいろいろと勉強した。なんつーか、油断してテキトーにしてしまっていることが私の場合、たいへん多いのであった。 たとえば、お風呂のお湯の塩素除去。天然塩は入れていたのだが、ここに塩素を破壊するというビタミンCの粉末も入れてみた。ついでに、備長炭も。なんか魔女がアヤシいお湯をぐらぐらわかしているような感じですが、なんとなくお湯が柔らかくなった感じ。ここに事前にオイルをすりこんだたまこを入れるので、お湯はもう何が何だかわからない状態。あとから入ったシャチョーが「ビタミンCって、お湯がぬるっとするんだね!」としきりに感心していたのだが、たぶんそれ、違うと、思います。。。。でも、まず、これでたまこが夜中にかゆがる回数が減った。それから、洗濯石鹸を変えた。なんか新聞屋とか、シャチョーの一人暮らしの友だちとかがいらない洗剤をたくさんくれていて、うちでこれまで使っていた地球に優しい系の洗剤がなくなったころから、ついつい、そういう普通の洗剤を使ってしまっていたのです。が、やっぱり自然食品店で売ってるやさしそうなやつに戻してみた。なんとたまこの肌から一発で赤みが引いた。。。。。いやーーーー。反省。猛省。考えてみれば、湿疹がひどくなってきたのは、こういう洗剤をついつい使っていた頃からだったかも。。。。。しかもシャチョーは石鹸の香りがしないと落ちてる気がしないとかいって、香りが残るまでがんがん洗剤入れるタイプだし。これまでいちばん気に入っているやさしい系洗剤は「海へ。」という名前の液体洗剤。海洋タンカーの事故処理研究から生まれた、っていうやつなんですが、香りもすごく良くて、きれいになる感じがとても良かったのだ。だが、そういういいものばかり買える会員制の通販を、育休中の緊縮財政にともなって辞めてしまったので、いまは買えるお店を探し中。いま調べたら、ネットでも買えるみたいですね。やっぱりあれに戻そうかなあ。なんか、湿疹とかいって一瞬緊張が走ったのでしたが、そうやってあれこれ試したりするのが結構楽しく、楽しんでいるうちにおさまってきたので、ひと安心。いまは、カレンデュラのジェルをネットで注文したので、それが届くのをわくわく待っている。いや、ほかにも、いまだおっぱい大好きたまこの母親が夕方についつい食べてしまう甘いものとか、いろいろまだ改善の余地があるのはわかってるんです!はい。
2005年02月23日
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ほぼ1年4カ月ぶりに、ずっと心理学を一緒に勉強していたYさんに会った。お互いに自分のことでいろいろ忙しく、勉強会は止まったままだった。それ以上に、一緒に勉強していたSさんが亡くなっていたことを、やはりお互いにちゃんと受け入れて前に進んでいくことができていなかったんだと思う。2週間ぐらい前に、そろそろメールしようかな、と思っていたところにちょうどメールをもらって、会うことになった。そのメールで、Sさんが亡くなっていたことをちゃんと知った。Sさんはものすごく真摯にがんと闘っていた人だった。おととしの11月に思いきって彼女に電話をした日に日記を書いているんだけれど、実はそれから2週間ぐらいで彼女は亡くなっていた。Yさんも私も、直接家族の人から連絡をいただくような距離にはいなかったので、ちゃんと確かめるのが怖いまま、ここまできてしまっていたのだった。Yさんは、資格取得をめざして一緒に続けていた勉強会を休学したいと言った。ある心理学のある資格を取るためのプログラムに3人とも在籍していて、そこの決まりで3人1組の勉強チームを作っていたのが私たちの縁だった。私も同じ気持ちだったので、2人でそれを確認し合うために会った。彼女は芸術の道に進んだ娘さんの学費づくりのために始めた仕事が面白く、心理学の「もっともらしさ」よりも生身の人間関係の中にいることにリアリティを感じる、といった。私は私で、いまは自分の心や体の奥深くに入っていってメッセージを受け取る、という気分になれないので、実際、勉強は中断したまま。2人のサイクルは、別の理由だったけれども、この心理学が以前よりも心身から遠くなってしまい、勉強を続けられないというところで一致していた。そして、Sさんがいなくなってしまったということも、やっぱり大きな宿題として、残っている。休学するには、勉強を始めるときにお願いしている監督役のセラピストにちゃんと会いに行って、それがとるべき方向なのかどうかを話さなくてはならない。Yさんは、来週にもその人に会いにいく、と言っていたけれど、私はその気持ちにすらなれないでいる。うーん。いまは、自分の心身に向き合うのがイヤなんですう。向き合うと本当にしんどくなっちゃいそうで、いやになっちゃいそうで、それを引き受けたくないのだ。うう。そこまで息を止めて仕事をしているのか自分。Yさんは「中核とつながる」という言葉を何回か使った。アートセラピストをしていた彼女が、その間ずっと、心理学というメソッドに頼り過ぎて、「実際に人の中核とつながるような話の仕方ができてなかった気がする」、とか、「Sさんの中核とつながるような関わり方をしていただろうか」、とか。むうう。難しいなあ。中核とつながるなんて。自分とつながる、というニュアンスでいうならわたし自身、いまは自分の中心とつながる仕事の仕方をしていないと思うし、それを意識したくないし。。。。なんていうのか典型的なモーレツサラリーマンだなあこれって。ともかく、それはすごいしんどいことだ。でもそうやってないがしろにしていくと、どこかが病んでいくのだろうなあという気がする。自分の中心とつながりながら、会社員として働く。これは実現しうることなんでしょうか。している人はいっぱいいるのだろうがなあ。思えば会社に入ってから何度も何度も、その質問のまわりをうろうろ、うろうろしている。お若いころはそこにぶつかるたびに奮起して学校に行ってみたり、留学準備に走ってみたりして、そのたびになんとなく人事異動とかで暮らしの目先が変わったりしてここまできてしまったのだが。でもそういえば育休中にみてもらった前世占いの人に、今年はしんどくて会社を辞めたくなるが、今年は短気を起こさないようにと言われているのでここは我慢でありましょうか。うーむ。当たってるなあ。ってことはやっぱり私は前世はニュージャージーの外科医だったのか?血を見るのが怖いのはそのときいろいろ見過ぎたせい? ホラー映画が怖くてみられないのも? とかそんなことを思ったらなんか気持ちがゆるゆる~になってきた。あとはおはからいにおまかせすることにします~。
2005年02月16日
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連休は、那須にあるシャチョーの仕事関係の知り合いの別荘に泊めてもらいにいった。ぜんぜん知らない人だし、シャチョーの仕事仲間もいるし、めんどくさいなあと少し思っていったのだが、行ってみたら案の定、誰よりも満喫して帰ってきてしまいました。やっぱり自然は気持ちがいいし、その中で人は無条件に仲良く一緒に休日を過ごしてしまうのだ。シャチョーの仕事仲間の人たちも、みんなおじさんなのにたまこと本気で遊んでくれて、モテモテたまこは終始ご機嫌でしたし。自分の空が会社で占められてしまっていることを久しぶりに思い出すこともできましたし。耳も着いた連休初日に治りましたし。そうだった、自分からすすんで心身も時間も会社に忠誠を尽くしてしまっているのだ。いつもどこでも、山小屋にいるような気持ちで過ごせばいいのだわ!といいつつも今日は昼間、おじさんまみれの会議があったりして、ぐったり疲れた。自分の担当雑誌について、あれこれと批判をされるのが目的の会議だったので、「そんな事情もわかってない人たちにあれこれ一方的にいわれるだなんてっ!」と、編集担当者としてかなり構えて出席した。が、途中から、まあこういうおじさんたちも自分も、それがお互いの仕事で立場が違うだけなんだから仕方ないなあ、と逆になんか気持ちが落ち着いてしまった。読者ターゲットの分析とか、企画の相当性や誌面デザインの分析とか。自分たちがある意味てきとーにというか、数字とかそういう客観的な基準は何もないところでノリとか面白そうとか、強いぞこの企画は!とかそういう感覚的なもので作っていることがらが一度形になると、そこにいろんな結果や状況のデータや意見がぞろぞろ、ぞろぞろとたくさんついてまわる。当たり前ですが、かといって数字だけを判断基準にしても、面白いものは作れない。これだけたくさんのリッパなおじさんたちがもっともらしく議論をしていても、何が売れるか受け入れられるか、本当のところキモみたいな核心部分は数字ではなく、いつでも何かふわっとしたものに包まれていて、結局は人間が人間に向かって作っているから何が起きるかわからないというか、ナマモノなんだなあと改めて思う。作っている人の気持ちが丸ごと出てしまうのが雑誌のこわいところ。どうしたらやる気や楽しい気持ちを維持できるかなあ。この、維持が最近の課題。心身は明らかに、もっと仕事以外のことをのんびり楽しんで暮らしたがっている。ああ山小屋~。。。家についてチゲ鍋を食べてたまこと一緒に沈没。たまこがいろいろしゃべるようになって面白いのに本当に救われています。
2005年02月15日
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えーん。耳が聞こえなくなってきたー。焦って久しぶりに日記を書くことにしました。一度間があいてしまうと、いつから復帰したらいいものか、タイミングを逸し続けてはや数カ月。その間に、たまこは2歳になり、私の仕事はくるくる、くるくる、ますます慌ただしくなり、なんだか走り続けて気が付いてみたら、なんだかぼおおおおっっ、と、なんんんにもやる気が起きなくなってしまい、ついに今日は耳が聞こえにくくなってきた。って、なんだか、やばそーですね。1日のうちにパソコンに向かっている時間があまりに長いものだから、家に帰ってからもパソコンに向かう気力がわかなかったのだが、それよりも何よりも、こうなったらやっぱり仕事以外のパソコンの時間を作ることのほうが大事かも、という気がしてきた。やっぱり日記って、しんどいしんどいって書いててもなあ、というのがあったりするけれど、でもだったらしんどいときにかけない日記って何なのよ、という気もするし。な~んていいながらも、今日は会社に行く前にぷらぷらと銀座を歩き、エキナセアとか、元気が出るアロマブレンドとか、お部屋を浄化するスプレーとか、パソコンにやられないフラワーエッセンスとか、いろいろ買い込んだ。買ったものから判断するに、いま私は電磁波から身を守りながら浄化して免疫をつけて元気になりたいらしい。欲が多いのでまだ大丈夫かも。お、いま、飲んでみましたが、しょっぱくてうまいです、電磁波防止のエッセンス。会社でもこっそり飲んでみようと思います。ああ、怪しいなあ。もとは亜莉さんがすすめてくれていたのを、今日お店で見てハッと思い出した。お店の人に聞いてみたら「リピーターが多いですよー。敏感な人は、すごくよく効くみたいです」と言われ、うーーむ、そこまで敏感ではないがな、と思いながらもつい買ってしまいました。おまけに年末引っ越しをしたために、家の中もいまだ夜明け前にして原始時代つまり風水以前!!な感じ。ああ、早く気を整えたい。耳が聞こえにくいのも、きっと家中が滞っているからに違いない。年賀状も出さないうちに旧正月まで過ぎてしまいました。みなさん不義理ご無礼ごめんなさい。少しずつ地球の人に戻ります。うん。自分のリズムは自分で取り戻さないとだめなんだった。1つ1つ、取り戻していこうと思います。読む分にはけっこうみんなの日記を読ませてもらって、生活の細やかなことを大事にしながら暮らしているのを本当にうらやましく尊敬しながら読んでいたのですが、うらやましがってる場合ではない。尊んでる場合ではない。私もあきらめずに自分の心身を取り戻すという気持ちを持つ。ああまわりくどいが、そこからだわー。最近、横森理香さんの新著「がんばらないでも幸せ」を読んだのだが、そこにはもう、ひとごとではない話が山のように書いてあって、とにかくこれからはスローダウンだ、と改めて思ってはいた。でも結局、日常のあれこれに追われて、スローダウンなんてあきらめていたのですが、耳が聞こえなくなってみると(いや聞こえるんだけど、すべてが遠いのだ)、これはおかしい、とさすがに全身全霊で、思うぞ。がんばるのって、いやだな、といつも思っていながら、結果的にはがんばってしまっているわけで、これから真の意味でがんばらない、というクセを、つけることができるだろうか。がんばるのって、思考停止なのだと思う。
2005年02月10日
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しばらく保育園にも迎えにいけず、一滴も飲んでないのに日付けが変わってからの帰宅!みたいな日々が続き、たまこはぶちきれ、シャチョーもさすがに疲れ果て、でもそのシャチョーがついに金曜日から1カ月の長期出張に出てしまい、頼みの実家も温泉旅行中で、この連休は久しぶりに母子水入らず強制ギブスな3日間でした。3日めになるとどこか遠くへいきたくなり、無謀にも2人で水族館に行ってきた。やっぱり無謀だった。アシカショーもイルカショーも人の頭を見ただけで終わった。。。。。まあ、頭の上を巨大なエイや鮫が泳いでいくトンネル水槽には「おおおおお!」と歓声を上げていたので、目的は果たしたことにしよう。魚を見たら「おすぁかな!」とか、近頃大気に入りの工事現場をみつけるたびに「くれぇええん!」と叫ぶ、たまこの言葉の出具合が面白く、ついつい聞き入ってしまって会話を忘れる。何度もあいづちをうって何度も言わせては、「何度も言わせないでよ」という顔を一瞬、されるのだった。気のせいとは思うが。で、久しぶりにそういう母親気分なお出かけをしてみると、いやああ、久しぶりに、いろんな親子を見るものですな。とくに、水族館なんかだと。オットが、子どもの頭越しに妻に超イライラモードで「いちいちむかつくんだよ、お前の言葉は!」と言っていたり、どこもいっぱいのベンチで母と子どもがアメリカンドックを食べている、そのちょっと離れたベンチでいきなり父親は座ったまま寝ていたり(泣)、子どもが昼ご飯を食べている同じ席で、両親がすぱすぱタバコを吸っていて平気だったり、走っただけで必要以上に怒鳴られている男の子がいたり、もう、親子の百貨店! たまこでさえも魚より、他の家族連れに夢中だったような。ま、魚が見えにくかったというのもありますが。ともかく、いろんなエネルギー照射を受けて、たまこは帰るなり6時から寝てしまい、私も疲れたが面白かった。子どもはこれだけ様々な環境で生きているのだ。育っているのだ。すごいなぁ。。。たまたまうちにやってきたたまこに、私が伝えられるのは、あいさつとありがとうと履物を揃えることぐらいで、あとはこれだけ異なる人々に育てられている他のお子さんたちともみあいもまれあって大きくなっていっていただくしかないのだ、と、そう思ってくらくらする。あんまり自分の子どもだけに神経質になっていても意味ないよなあ。口を開けてぐるぐる泳ぐイワシの群れを見ながらそう思いました。なんでここのイワシは顔がシカクいんだろう、と思ってよく見たら、みーんな口を開けていたんだなあ。驚いたよなあ。仕事はむちゃくちゃ忙しいんだけれど、むちゃくちゃうまくいっていて、もういいんでしょうか、というぐらい、ありがたい偶然が次から次へと重なって、もう信じられません、という感じ。結果についても自分がしていることについても、いいイメージしか持たない、というのは大事だと思う。こんなにいいイメージしか持たずにカイシャの仕事をしたことがこれまでなかったのですが、実際やってみると本当に、すべてがいい方向に回っている感じがする。ここで大事なのは謙虚さを忘れないこと、だそうなので、謙虚に大喜びしようっと。ありがたや。ありがたや。そうしてモリモリと仕事をして、ふらふらになりつつもありがたいなあと思いながら帰り、そこにシャチョーとたまこが同じ顔してくっついて寝てたりすると、幸せな気分はさらに盛り上がりを増し、一人むはむはとごはんを食べる真夜中の我が家。。。。って、これってどうみても、日本の親父だよな、我ながら。
2004年10月11日
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なんだか1日、きゅーーーっと仕事をしていたら、脳みそが縮んだまま元に戻らなくなったような感覚に陥り、とても家にまっすぐ帰れそうになかったので文字どおり、同僚といっぱいひっかけて帰ってみたらもうたまことシャチョーは寝ていた。寝室に入ってみたら、仰向けになって熟睡しているシャチョーの腹の上で、たまこが、うつぶせになって寝ている。。。。カバの親子みたいで、笑ってしまった。一生懸命、寝かし付けてくれたんだろうな。ありがとうシャチョー。久しぶりにバーのカウンターみたいなところでちょっとおいしい物を食べ、お酒を飲んで(でも後半は母乳を意識して水。コオリミズ。ああ、、、、早く思いっきり飲みたい!)いるところへ、常連さんがきて初めましてのおしゃべりをしたりして、そういうことすべてが久しぶりなので、ああ、昔こういう世界にいたなあとしみじみしながら飲んでいた。水を。なんというのか、男と女の会話ともうしましょうか、世代をあてっこしたり、ちょっとしたことで盛り上がりのメリハリを付けた気のきいた会話、みたいなのが飛び交う中に、本当に数年ぶりに座ってたのですが、いやー、びっくりしましたね。働かないのです、頭が。そういうシャレた会話にスピード、発想ともについていけなくて、ひとりスッピンで(いや、もうほぼこの時間、実際に眉もすっかり麿となり、スッピン同然ですが)座っている感じ。しゃべっている相手の顔とか、会話上手なかわいい同僚の横顔をじっくり見てしまったりして、なんだか我ながら本当に違う星から来たようだった。うーーーーむ。おりてるなあ、いかんなあ。別にそういう緊張感はいままったく必要としていないので、久しぶりに海に潜ってきたような、そういう新鮮な気分で今はいるのだが、そういう、ピアノ線の上を歩き回るようなハレの時間というか、外に打って出る時間って、やっぱり少しは必要なのかしら。必要とさえも思わなくなっている、これってやっぱりやばいかしら。といいつつ、急いで帰ってカバの親子をみつけてすっかりなごんで、またこうして、昼間さんざん向かい合って疲れはてたはずのパソコン画面に向かっている。忙しいのは、怠惰の言い訳です。と、糸井重里さんが書いていて、すごく感心したのだが、本当に、いくら物理的に忙しくても、本当はできないことなんてなにもないはず。すべては、いま、いま、いま、なにをするか。そのとき、何をするのか。その積み重ね。ときおり、呼吸を確かめながら、自分を確かめる。といいつつ、今日も浅かったなあ、吸うほうの息も、吐くほうの息も。
2004年09月21日
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今日会った30代の女性は、なんと政治家だった。セクハラから後援会との付き合い方まで、聞けば聞くほど、特に日本の女性政治家って、本当に大変な世界に生きているんだなということがよくわかったのだが、面白かったのは、相手がどれぐらい自分に会うのを楽しみにしてくれているか、あるいは義理で会ってくれているのかが見分けられる方法があるのだという。それは、女性だったら、アクセサリーなどの装飾品、男性は、ジャケット。相手を思う気持ちがそういうところに出るのだそうです。ひえええええ。その人のワクワクが、女性だとアクセサリーに、男性だと、ジャケットなどの装いにちゃんと出てしまうのだそうだ。お義理の人は何もつけてないとか、上着がないとか、とにかく「ない」んだって。なるほど。むかし雑誌で見たノーアクセサリーのスタイルに憧れが残っていた上に、このごろ、たまこに片っ端からとられるので何もつけないことが多かったのだが、ちょっと考えさせられた。政治家が会う人たちが住む世界のこととはいえ、確かに自分のためのみならず人のためにちゃんと装わなくてはいけないなあと思う今日この頃ではありますが、アクセサリーさえもメッセージのうちだったということにいまさらながら思いがいたった。外側からも自分を創っていかないと、人は見た目、というのは本当にそうだと思う。ふう。思えばノーアクセサリーも、そのほかの服とか姿勢とかがびしっと決まった上での、引き算なんですわな。でも、きらきら輝いている彼女の言葉で1つ気になったのは、その人も子育て中だったのだけれど、「どれだけ働く母親がしんどい、つらい思いをして子育てをしているかを、世の中に伝えていきたいんです!」というそのスタンスだった。もちろん、つらいこともあるかもしれないけれど、それよりも、楽しいぞ、幸せだぞ、面白いぞっていうことを伝えていった方が、幸せな母親や父親や子どもが増えることにつながると思うんだけどなあ。もったいないなあ。政治っていうのはやっぱり欠乏と変革を訴えていかないと支持を得られないのかしら。考えさせられます。ちゅうわけで、少し外見についてお勉強しようと思います。じゃらじゃらすればいいってもんでもないでしょうしな。
2004年09月10日
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たまこの咳が、お盆以来ちっとも抜けなくて、さすがに気になって、やっと今朝医者に行った。夏風邪かなあ、と思っていたら、なんと言われた診断は「アレルギー」。ハウスダストかダニか、でしょう。いや、きれいにしていないとかそういうことじゃないんだけど、布団もほこりがたまりやすいし、まめに掃除機をかけたりしてあげて下さい。そう言われて、思わず思い当たることがあり過ぎる母ちゃんだった。ごめんよたまこ!とくにこのところ雨ばかりで湿気もいっぱいだったしなあ。さっそく、たまこをそのまま保育園に送り届け、家中の水まわりの掃除をしてから出社。でも時すでに遅く、たまこはさっきも寝入りばなに咳き込んでいたので、久しぶりにホメオパシーだ!と思ってAnt-tを飲ませたらさらに咳き込んではいてしまった。これって、好転反応なのかしら。それでおさまったんだけど。私も成長し、やたらと飲ませることはこのごろなくなっていますがそれにしても。ともかく、本当に、母親の状態がそのまま子どもに出てしまう。ちょっととどこおると、あせもとか、咳とか、いろんな形でそれは出てくるのだった。機嫌がいいのが救いなんだが、つらそうでかわいそう。。。。本当に、まだまだつながっているなあ、とつくづく思う。ホメオパシーよりも何よりもまず、自分をととのえなくては。というお話なのですな。この間の週末は、久しぶりに整体に行った。そうしたら、左脳の使い過ぎで体のバランスが崩れているといわれた。「1日のうちの20分ぐらい、音楽を聴いたり、右脳を使わないと、このままいくと左脳がハタンしますよ」「え? 右脳が使えなくなるとかいうことではなく?」「いや、論理的思考力がハタンするんです」ひいいい、ただでさえ、論理的思考力が苦手だというのに。いや、苦手だからこそ日々テンパっているのが、そのまま出ているんですね。左脳を使い過ぎている人は、右手の親指周辺がガチガチだそうです。たしかにそうなのだ。腱鞘炎だと思っていたら、そうではなかったらしい。右手の親指周辺がカタい方、意識してほぐしつつ、音楽聞いてぼおおっとしましょうね。あした9月9日は重陽の節句といって、菊の節句。お酒に菊の花びらを浮かべて飲むといいそうです。私は昨年、菊を買いに行って、何に使うのかと聞かれて酒に浮かべると答えたら、お花屋さんが喜んで、そこにある咲いてしまった菊を持っていっていいわよ!と100円でたくさん分けてくれた。今年は最初から、咲いてしまった菊を探しにいこうかな。何か菊に喜ばれそうな感じがしてすてき。こうやって自然とか花とか(酒とか?)、大きなものに自分を開いていくところから、だんだんリズムが整ってくる、そういう考え方が好きです。◎久しぶりだぜ、本日の分かち合い◎「クリエイティング・マネー」 サネヤ・ロウマン(マホロバアート)以前、ばななさんの日記に出てきて面白そうだなあと思って、探していたけれどなかなかなかったのが、やっとおととい本屋で見つけて買えた本。豊かになるとはどういうことか、が書かれていて、とても面白いです。分厚くてエクササイズがたくさんあるので、なかなか進まないんだけれど、読んでるだけで気持ちいい。「あなたが豊かさの源泉です」というのは、よくいろんなところで言われているのでふむふむと読んでいるだけだったのですが、お金があったら何をしたいか、ということをイメージして、そのしたいことをいますぐやり始める、というのはすごく考えさせられた。要するに、お金があったら、たとえば自由になりたいとか、のんびりしたいとか、自分のビジネスを立ち上げたいとか、時間に使われる側から使う側に回りたいとか、そういうことだったりするんだけど、それって、お金がたくさん入るまで待つ必要はないこと、だったりするわけだ。だから、いつか豊かになったらこうしたい、と思うことは、いますぐ始めてしまえば、お金はあとからついてくるんだそうです。うーん、そうかもしれない。面白いなあ。よく思い出すのは、大好きなベン・オクリという人の小説「見えざる神々の島」に出てくる、雲の上を歩くシーン。歩けると思う人はすいすいと歩けるんだけど、怖がったり、歩けないと思ったとたん、そこから落ちてしまう。そんな雲の上の話がすぐに文字どおり雲の上の話になりがちので、忘れずこまめに歩くようにしたいものです。
2004年09月08日
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うわーーー。ごぶさたし過ぎて、何が何だかもうわかりません。あっという間の4カ月間。マコ先生やオープンハートさんも書いてますが、人間、出さないと、くさります。暑い暑いこの夏の間に、すっかり腐敗が進んでおります。いかんです。というわけで、また少しずつですが再開します。お休みしようとしてしていたわけではないけれど、その間にトラックバックとかコメントとか知らない機能が増えていて、ちょっとこわくなっちゃったというのもあり。というわけでせっかくの多機能もよくわからなくてあんまり使いこなせないと思いますが、すみません。ここ3カ月は、新しい雑誌を作る仕事をしている。ことがらや言葉が集まってきて何かを伝えていこうとする新しい場所を作る、それがすごーく楽しくて、すっかり没頭していたのだが、なんていうのか、場所を作るということは、その場所を利用したい人のエネルギーをも受け止めるということで、これが意外に無意識の中でストレスかも、ということに、10分ほど前、気がついた。とても思い上がった話なんだけど、とりあえず感じたままに書いてみる。場所を作るためにはいろんな人にお願いごとをして、いろんな人の才能を分けてもらうことでその場所を作り上げていこうとしているから、どんな人に対してもまずはとにかく聞くこと。これが第一歩になる。何がしたいのか、何を一緒にやっていけるのか、何をしたらいいのか。とにかく耳になる。そうすると、みんな安心していろんなことを教えてくれるし聞かせてくれるし、思いをぶつけてくれる。でも、ここ3カ月、毎日毎日いろんな人の話を聞き続けてきて、その言葉たちはもしや、その場所のため、ではなく、その人自身のためなのか?ということを急に感じた。冷静になってみれば当たり前かもしれないんだけど。みんな自分のために仕事をしていて、たまたま縁があった人が同じ場所でその力をそれぞれ発揮していく、そういうことなのかなあ、仕事って。なんかもう少しビジョンとかがあって、それを共有しながら一つの物を作っていく、そんな仕事ってできないものかな。これからの仕事って、そういうものなんじゃないか、っていうか本当に何かを伝えていく、変えていく力を持つ仕事って、人がそういう風につながったときにしか生まれてこないのではないか、と思うんだけど。イケテないのは、私の力がまだまだ足りないということなのでしょうなあ、やっぱり。でも、仕事の途中でこういうもやもやを感じるのはいい傾向で、ここを抜けると、また違う景色が見えてくる、そういう段階まで来ているということでもある。私は、そこで仕事をしたい人のためにその場所を作っているわけではないはずなのだ。ではいったい何のためなのか。テーマや形は何でもいい、書く人も書かれる人も読む人も、体験してしまった後では、体験する前と違うように世界が見えてくる、そんな場所を作りたいのだ。そういう意味でやっぱりマドレの世界は私にとって常に昼夜問わずお空で輝く大事な存在だ。月はどっちに出ている、っていう、感じですね。一緒に研修を受けた4期生のみんながあまりにどんどんきれいに美しくなっていくので、最近は日記や写真でしか会っていないのですが、まぶしくて本当にパソコン画面も直視できません。真剣さが違うし、すべては自分のため、というところをちゃんと踏まえた上でそこを突き抜けている。遊びじゃないのに遊んでるよーにしか見えない部分があるところもすごい。うん。。。。あ、shim…さんを思い出したわけじゃあ、決して、ないです。と、昼間、たくさんの人のオレオレエネルギー照射を受けてちょっとぐったりしていたはずの私が、やっぱり確かに書いている間にすっきり、楽しくなってきた。たくさんの矢印はさくっと抜いて、カノウ姉妹のようにバラに包まれて寝ますわ。
2004年09月01日
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このところ、何か自分の興味があることで出かけよう!と思うと、たまこが決まっていろいろ病む。マドレのレッスンとか、amigoの勉強会とか、講演会とか、ほんとそういうプライベートで燃えてる時に限って(笑)、中耳炎、発熱、気管支炎、嘔吐下痢症。。。。で、今日こそは!とはりきっていたマドレの4期生主宰ブラッシュアップも、行けませんでした。マコ先生、いろいろ手配してくれたwooden farmさん、そして4期生のみんな、それから会えるはずだったshimangさん、などなど、みんなごめんなさい。ああ、バラバラに、サバカレたかった。。。で、今日のたまこの引き止め策は、風疹です。発疹がひいていないので保育園に行けないのは分かっていたのだが、それを置いていけると思った私が甘かったらしい。朝から何も食べずに咳き込んで下痢して号泣して叫んで発熱してがしっっっとしがみつかれ、結局、早起きして弁当やおにぎりやおやつをすべてセットしていた母ちゃんはあきらめました。woodenさんに電話したら、あったかい声でなぐさめてくれて、しかもオープンハーツさんまで出てきてくれて、よしよし、たまこのことが一番大事よ、と言ってくれて、それだけでふにゃふにゃしてしまった。えーん。母にこんなありがたい友だちがいてほんとよかったぞ、たまこ。でも遠足に行けなかった子どものように、いつまでも「ああいまごろはアイソレーション」とか「きっといまごろ4期生のデモ」とか、ぐじぐじしている。なんかいつも行く行くと言っておいて行けない、オオカミ少年のような自分のことも。そのあとしばらくたまこの相手をして、早めの昼寝を始めたその間に家を出てきたのだけれど、世を拗ねて仕事もする気になれずにぷらぷら。そうしたら本屋で横森里香さんの『愛しの筋腫ちゃんパート2』を見つけた。そこに、「マインドを変えると人はもっと健康、もっと幸せになれる」と書いてあり、そうだったよ、外側のあれこれに振り回されずに、マインドを大事にすれば大丈夫なのだということを、まさに私は休業中に学んだのではなかったか、と思い出したのだった。そこですぐ元気になる速効排毒体質。で、ファンケルの地下デリで、体によさそうな発芽玄米カレー(笑)を食べて会社に向かった。イラクのニュースを見ながら、本当に日本人って、すごいストレスの中にいることが改めてよくわかるね、とシャチョーと話していた。だって、命が危ないっていう局面でも大国のほうを堂々と優先しちゃう国に暮らしていて、しかもその大きな国のやり方に賛同できるわけではない、という引き裂かれた状況。何かをマヒさせないと、やってけないわなあ。病気の大人や子どもも、増えるわなあ。「気の毒だけどだからってすぐ撤退するわけにはいかないわよねええええ」。ぴかぴかランバンの前でおしゃれしたおばさんたちが話していた。うーむ。本当は自分が何を感じていて、何が言いたいのかだんだんわからなくなってくるような、中学校の長い長い朝礼での貧血寸前状態に通じるあの感じ(ってどんな感じだよ)。このストレスと、軍隊を持つストレス、どっちが大きいんだろう。こんな引き裂かれた状況で子どもが大きくならなくてはならない国。でも、そんな中で大きくなってきた自分。「世界は日本人の思うようなところではないんだよね」とシャチョーがいい、なるほどそうだなと思う。。。。なあんて、やっぱり今日は行き場のないエネルギーを運動で昇華するはずの中学生が運動できなかったばっかりに、みたいな日記になってしまいました(苦笑)。
2004年04月13日
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ごめんなさい。メモリーが足りないせいか、掲示板にうまくつなげられない(&書き込めない)ので、またお返事改めて書かせて下さいね。メッセージを下さった皆様、いただきっぱなしで、ごめんなさい。やっっ、と、職場に復帰してからこの3カ月、やってた仕事が形になりました。今日ぐらいから本屋に並ぶので立ち読みしてもらえたら(っていうかほんとは買ってもらえたら)、うれしいです。英語に興味がある人のための雑誌です。冨永愛ちゃんが表紙に出ている青い雑誌です。ああ、宣伝してしまった。失礼しました。と、母が働いているこの間にもひきつづき、たまこは成長を続けている。ついに歩き出して、嬉しそうに小走りしてはしりもちをつき、また立っては足を引っかけ、でも毎日よっぱらいのように部屋から部屋へと千鳥足。「歩いてほしくないと思ってたけど、やっぱり歩いてもかわいいなあ」と、シャチョーはパカ父になりきっている。で、突然なのだが、4ヵ月通った保育園を変えることにした。いまの園は1年待ってやっと入れた人気園だし、環境もいいし、先生たちもよくしてくれたのでほんとに名残惜しいのだが、もっとぴったりくるところが見つかってしまったのだ。しかも先週木曜日に突然、その保育園がうちの近所にオープンすることをウェブで知り、電話してみたらその日のうちに見学させてくれて、最後の1人枠に入れてもらえたところも何だか縁を感じた。朝は1時間早くなるし、通勤ルートからは外れるし、終わりの時間も早いしと、親には不便になるんだけれど、たまこには楽しそうな感じがするのだ。そう、しばらく通ってみて分かったのは、基本的なサービスが整っている公立保育園以外の、認証とか無認可の保育園には、お母さんのための保育園と、子どものための保育園があるということだ。お母さんのためというのは、行事が少なく、帰りも遅くまでやっていて、うるさいことは何もいわず、サービス業(とその園が思っていること)に徹底している。子どものための保育園は、もうちょっと、子どもの居心地とか、教育とか、思い出作りとか、そういうところに気持ちがいっているので、お母さんにとっては面倒なことが多い。そんな印象。いままで通っていたところは、企業経営だったので、まさにお母さんのために至れり尽せりって感じだった。でも私にはちょっと物足りなかった。保育士さんともあまりゆっくり話せず、話しても結局何となく当たり障りがないことになってしまうというか、パーソナルな感じにならなかった。それは期待し過ぎなんだろうか。共同保育的な関わりまでは、する時間がないにしても、んんー、なんとなく、このままだと、無事で無難でさえあればいいというような雰囲気の中で、いやもちろんそれは大事なんだけど、たまこはここで1日退屈してしまうのではないか、という不安があったのだ。今度通うところの、園の教育方針にも興味をもった。私は早期教育とか英才教育には関心がないのだが、コドモの邪魔をせず、同時に、適切なときに適切なサポートをしてくれる、子どもがひとりでできるように手伝う、というこの保育園の方針は気になった。おもちゃも、たまこが興味をもった時に、興味をもったもので遊べるみたいだし。私が夢みる保育園は、やっぱり野山を思う存分駆け回らせてくれる保育園だけれど、都心じゃそれもできない。次に望むのは何だろう、と考えてみると、たまこ個人の成長をしっかりと見守ってくれる、サポートしてくれる保育園、だと思った。それは、ただコドモが好き、とかいうことではなくてね。そんな夢のような保育園はないのかもしれない。でも、毎朝1時間、自由に興味をもったもので遊べる時間があったりするのが面白そうだし、と、ミーハー的にとっとと転園を決めてしまった。シャチョーは、基本的には賛成なんだけど、「カケだよな。でも反対する材料もないし」という、とっても男子っぽい反応。ともかく、ありとあらゆる好奇心が春の芽のようにぶわーーっと出てきているたまこにとって、面白い環境でありますように、と願うのだった。でもまた慣らし保育からだから、しんどいです。いま、マドレの仲間たちの日記を時々読ませてもらうと、次々に保育園が決まっていて、すんごくよろこばしい!と思う。マコ先生もオープンハーツさんも書いているけれど、働いている、いない、会社勤めをしているしていないじゃなくて、子どもが子どもの時間を安心してもつことができるように、という思いから保育園を望むお母さんが増え、それに応えられる保育園が数も増えて質も高くなっていったらいいのだな。子どもを産む前は、ええい、会社員優先じゃあぁ!とか思ってたというか、それ以外の状況にある人のこととか想像もしていなかったと思う。そうじゃなくて、誰でも預けようと思ったら預けられるのが、みんなが幸せになる道なのだ。保育園児歴わずか4ヵ月のたまこでも、最近は保育園に着くなり、好奇心丸出しの顔になる。今日は送っていったら誕生会だとかで、一番大きな部屋にみんなが集合していた。いつもと違う部屋へと先生に手を引かれて歩くたまこのうれしそうな顔!ちゃっちゃっ、とこっちに手を振って、先生に抱かれて足をバタバタさせて前の方へと座りにいった。そして先生の歌が始まって。。。。ああ、私までランニュウしそうになりました。でもそこは私のための場所じゃないのだった。当たり前だってば。
2004年03月25日
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ふううーーー。お久しぶりでございます。ここ2週間の怒濤の日々を抜け、やっと日々のことを書くココロのすきまが。以前、母が私に何かを送ってくれたときに添えてあったメモ書きに「心を亡くすと書いて忙しいと書きます。気をつけるように」と書いてあって、ひょぇええええ、と驚いたことがありましたが、まさに最近の私はなくしていたかも。そうでなくてもいろいろなくしがちな今日このごろ、とはいえ途切れ途切れにしてもあれこれ感じたり、考えたりしているのに、日記を続けて書かないの書けないのって、もったいないと思う。でも、書けないんだな。日々に追われる自分をネタに昇華できるぐらいの力が残ってないと、何を書いてみても我ながらどうにも面白くない。そんなとき、マドレの仲間とか、食いしん坊仲間とか、たまこ誕生を通して知り合った友達に会うと(って忙しいんじゃないのか?いやそれはベツバラ!)、みんなそれぞれに輝いていて、ちゃんとニュースレターや日記も続けていて、それらをしていない人もみんな自分のこれからをあれこれ考え、動いていて、とっても素敵なのだ。ひるがえって私ときたら単にいち歯車に戻ってるだけなんだわ、どこへも向かっていないんだわ。とか一瞬ちぢむのだけれど、でも目の前のことをやるのがまずは肝要、とか思い直してみる。目の前には、雑誌になる前のたくさんの紙々が乱舞して、細かいミスを誘ってくるのでした。こわいようー、ミス。ま、こわがってもするときはするので仕方ないですけど(仕方なくないって)。歯車になると、それはそれで快感っていうか、どんどん何にも考えなくなって、ただただてきぱきとことがらが進んでいき、その速度がどんどん増していき、そうやって人はバターになるのである。どこからが自分でどこからがそうでないかとか、もうどうでもよくなってしまって、ただただ、回っている。バターなじぶんとそうでないじぶん、実は大して違いもなかったりする。でろーん。今朝、たまこの中耳炎検査で1カ月ぶりに日赤にいってきた。泣き叫ぶたまこを何とかおさえて鼓膜検査をしてもらったら、ちゃんと鼓膜が反応して、治っているという診断が下された。よかったー。初診から今日までのこの2カ月の間に、たまこはおそるべき成長を遂げ、っていうか今日は元気なこともあり、すれ違う赤ちゃんみんなにおっ!と声をかけ、あらゆる人形をあっ!と指さし、ミッキーやキティちゃんの絵にも1つ1つ喜びの声を上げ、それはそれは忙しいことだった。アーユルヴェーダでいうところの、ヴァータちゃん、丸出し。元気になるほど忙しいし、忙しくなればなるほど、元気。母子揃って、そういうふうにできているらしい。ああ、のんびりと海に潜って潮の流れに身をまかせ、そのままゆったり、ふんわり、にんぎょひめのように漂っていたいと心から思っているのだがな。気がつくともう外は日が暮れていて、眉毛のメイクが片っぽだけ、麿になっていたりするのだ。
2004年03月11日
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そしてシャチョーの出張初日は大過なく終わった。たまこと一緒に食べようと作った肉団子スープは結局彼女の口には合わず母の胃袋にほとんどすべて収まり、部屋は少しだけきれいになり、これにより運気も向上している、はずである。シャチョーがいなくて気がついたこと。普段、彼の食べたいものは何だろう、と考え過ぎている自分ですね。別にそのためにせっせと作っているからというわけではまったくなく、単に、私の食べたいものと、シャチョーの食べたいものって、根本的にあんまり一致しないという事実を再発見するのである。私は野菜とか豆とか米とか、いまはとくにお酒も飲まないものだからすごくシンプルで、冷蔵庫にあるものでも幸せになれるのだが、シャチョーは夜ごはんが1日のうちの大きな楽しみ。するとやっぱりおつまみにいい刺身とか、華やかな鍋とか、ついつい、何か楽しいもの、おいしいものが必要になってくる。しかも、どこかに通勤していないし車での移動が多いから帰りに一杯、っていうのもなく、基本的に家でほぼ毎日、一緒に食べている。そうすると、食べることが大好きなシャチョーが、たまこで手一杯の私に楽させてあげよう、という気持ちも手伝って、彼の好みで夕食の献立を考え、つくってくれることが多い。。。いや、彼の好みというと、たぶん異論が出るな。一応、話し合うんだけど、私は1日の終わりで頭が白く、なん~にも思いつかないことが多いのだ。で、スーパーに行っておいしそうなものやお得なものを見つけて買ってきて、食べる。生協もやってるんだが、ゆっくりカタログを見て選ぶ時間が作れず、好みや実態に合う注文パターンも見つけられず、まだあんまり活用できていない。行き当たりばったりで献立を考える、このパターンを脱したいのですが、なかなかできないんだなあ。みんなやっぱり、週末に作り置きとかしているんだろうか。週はじめに計画立てたり、してるんだろうか。シャチョーがいないと極めてシンプルに、野菜炒めとごはんとか、具沢山のスープとごはんとか、なんちゃってカフェ!みたいなごはん(って書くとしかしおしゃれすぎてかなりゴヘイが)になる。こういうのも幸せでいいのに、なぜ、普段はこう簡単にいかないのか。このへんも、生活改善および向上に欠かせないチェックポイントでありましょう。なんか、忙しかったり、ひとの食べたいものを意識し過ぎたりしていると、自分が何を食べたいのかだんだんわからなくなってくるというのか。シャチョーはシャチョーで、私がいないと思いきり自分の食べたいものを作って嬉しそうに食べている。モツ煮とか。で、私がぜんぜん欲しがらないと寂しそうなの(笑)。お料理上手の皆さんは、夫婦の食べ物の折り合いをどうやってつけているのか、どうやってそのへんのバランスを取っているのか、ぜひぜひ教えて下さい。もちろん、一緒に食べたいものを食べるのは大事だけれど、やっぱり自分の食べたいものも、自分で作って食べたい。昨日、それを再確認しました。って、部屋をきれいにしたり、突然、お料理熱中人になってみたりと、シャチョー不在中の私の変身願望はつきることがないのだった。☆☆今日の分かち合い☆☆「働く母のエクササイズ」。仕事のために、久しぶりにアメリカやイギリスの輸入雑誌を買いました(また言い訳してるし)。フィットネスものとかファッションものとか、ライフスタイルの雑誌とか。どれもきれいで、見ているだけで気持ちよくなりますね。中で「Living Fit」というフィットネス雑誌を見ていたら、「働く母のエクササイズ」という連載があって、今月は、42歳のトレーダーの女性がランニングしていました。彼女がエクササイズを続ける3つのコツは、1.エクササイズする時間をとにかくまず、つかまえる。 あとで必ずやってよかった!と思えるから。2.エクササイズの時間を瞑想の時間ととらえる。 運動する時は、動いている自分のからだ全体に気持ちを向けること。3.エクササイズできるという偉大なギフトに心から感謝する。だそうです。つまり、時間をみつけることそのものがギフトだと。なんていうか、時間を作り出してそれに感謝する、というところが、お母さんって感じでいいですよね。そしてそれは世界各国共通なのか、と感心しました。
2004年02月24日
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久しぶりにシャチョーが出張に出た。実はたまこが保育園に通い始めてから初めてなので、ちょっと緊張。何しろ、送り迎えから食事からお風呂から、全部私がやるなんてこと、やったことがないので。。。。いつも全部やっている方は、本当に偉いと思う。どうなることやら、スリリングな週明けであります。さっそく今朝は、いつもより早く家を出ようとがんばったのだが、昨日ドライブに行ったまま、財布が車の中に入れっぱなしで、その車のカギを探すのに時間がかかり。。。。なーんてやってたら、結局いつもと同じ時間になってしまった。ってことは、今日はシャチョーの車ではなくバスで行くので遅刻だ。というわけで、初日から、タクシーを使ってしまいました。ごめんなさい。ともかく、今日はこれからぜんぶ一人でやるのかーと思うだけでくらくらする。いかんなあ。シャチョーへの依存度、深まってますな。なんていうのか、子どもに手がかかるからとか、なかなか目と手が離せないからとか、そういうのを理由に生活能力が落ちるのって、すごーくだめだめな感じがしてしまうのだが、でも、それが実際の私なのだ。みんな、子どもがいたって、いやいるからこそちゃんとごはん作って、ちゃんと家の中のこともして丁寧に暮らしているんだろうな、と思うとほんとに情けなくなる。リンカランとか読むとなおさらっす。ああいう自然とか天然系の雑誌、これまでは近寄らないようにしていた。なぜかわからないけれど、どうもむっとしてしまうのだ。それは700円とか800円とかいう強気の価格設定もあると思う。ま、広告が入っていないという事情もあるんだろうけれど、ついつい、こんな気持ちよさそうな雑誌作れて、こんな値段で作れて、とか、うらやましく思うところがすでに職業の病って感じ。そして読者に戻っても、ついつい、ちぇ!ちぇ!いいご身分だよな!とか、わけもなく毒づきたくなったりして。でもそれはよくよく調べてみると、単にうらやましいだけなのだった。なんか、毎日を丁寧に暮らすとか堂々と言って、しかもそれを実行できちゃう人とか、そういう生活を公開できちゃう人って、信用できないじゃん、子供服のこと、とかしゃべるだけで商売になるわけー。けー。だいたい雑誌全体を通してオチがないぞオチが!とか思いながらも(あるかいそんなもん)そういうあったかそうな暮らしへの憧れを捨てきれないのだ。いや、捨てちゃ困るんだけど。ともかく、そんな気持ちのまま、片づけきれない家に住み、ここではないどこか誰かの暮らしに憧れ続けている。もっとも中途半端な読者。えーん。書いててイヤになってきた。でも、今週はそういうわけで全部、自分の責任。丁寧な暮らしっていうのを自力でどこまでできるか、まずはできるところから家を磨き上げようとひそかに誓った。ところで、丁寧な暮らしとは何か。うーん。よくわからないけど、「王国2」にあったように、ものを雑に扱わない、自分の暮らしを雑にやり過ごさない、というのは大事だと思う。よし。手始めに今日はおいしいごはんを作り、きちんと洗いものもし、草木に水をやり(ってもう夜だよ)、きれいなリビングルームで遊んであげようじゃあぁないか、たまこ!☆☆今日の分かち合い☆☆おいしいもの、からだにいいものを選ぼう!「キヨズ・キッチンのサイト」私の尊敬する整体師で、代々木上原でオーガニックレストラン「キヨズ・キッチン」をやっている南清貴さんが、ついにヤフーショッピングでお店を始めました。オーガニックな食品や雑貨、書籍など、心とからだにいいものばかりを集めたお店です。っていうだけじゃなくて、kiyoさんという人自身がむちゃくちゃ面白くて、魅力的な人なのです。代々木上原が遠くても、あるいはデリが入っている渋谷や六本木が遠くても、これからはネットでおいしいものが買えるのかと思うと個人的にはわくわくしているのです。とくに、あっためるだけでいいオーガニックな夕食セットとか、個人的にはすごーくひかれてるんだけど、今日は丁寧な暮らし宣言をしたばかりなので、頼むのはやめておこう。ヤフーのサイトだと宣伝になってしまうので、まずはキヨさんのサイトをご紹介しますね。きっと、心と体にぴったり来るものに出会えると思います。http://www.kiyos.jp/
2004年02月23日
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念願のマドレの産後クラスのアシスタント研修にやっと入れた。いや、これまでは予定が合わなかったり、合っても間違えて別のクラスに入ったり、していたので、赤ちゃん連れの人がいるクラスは初めてだったのだ。すでに何回かアシスタントとして入っている同期のHさんとYさんが、ぐずる赤ちゃんをケアするタイミングが上手で、感心した。感心しているうちに、終わってしまいました。まだまだ役立たずです。その上、たぶんおそらく相~当~ヤバかったのだと思う、クラスの生徒さんが互いに他己紹介のためのインタビューをしている間、「はい、3人はボールやりましょう。」と、アシスタント3人はマコ先生のボールエクササイズの特訓を受けてしまいました。ひゃああああ、カラダ、ほんとに、動かなかったよ-。最後の養成クラスから約2カ月。ときおりイエレンはしていたけれど、やっぱり自分に甘い私のやり方ではちっともイエレンになっていなかったらしい。腕一つ、思うように左右対称になりません。かっこわるすぎ。あれじゃあ、確かにアシスタントなんて名目で入ってもらうの、ためらわれることでありましょう。ごめんなさい。そんな状態。身の引き締まる思いとはこういうことです。はい。そのあと、これまた念願のアムリタランチ。いやー、オトナの女子高生のように、(ってだれなんだ)まったりと、すごく面白い話をいっぱいした。男女の話、あれこれ。このごろずっとマドレ界隈で話題のパートナーシップですが、ほんとに、この話は奥が深いと思う。マコ先生が言っていて、本当にそうだと深くうなずいたのは、男女の間における「話し合い」は意味がないということだ!おお!なつかしいよなあ、「話し合い」。これは私も数々の歴史的大失敗および精神的大災害を経て、んもう~心身全体で賛成します。話し合いと家事の役割分担、これってほんとに男女を不幸せにすると思う。まあ、家事はできる方が、気になる方がやるとかいう超アバウトな結果が、うちの盛大に散らかった家の中だったりするんですが。でもそれよりも、いま目の前の楽しいことを考える方が大事だし、お互い幸せになれるのだ。という話にまた深くうなずく。いや、話し合いが必要かつ有意義な状況や場面もあると思うけれど。でも、話し合えばわかりあえるという期待がそもそも人を不幸にするんですなあ、きっと。いろんなことに対する「期待」の初期設定について見直すのは大事だよなあと、行けなかったまついさんの講義のお話などを聞きながら改めて思った。ひるがえってシャチョーとのパートナーシップは、いまのところ、たくさんの小噴火とともに毎日宅地造成中って感じ。毎朝、起きるのが私より遅いシャチョーの起床時間とか、自分の出勤準備のスピードとか、小噴火のネタはつきませんが。あまりに私がいいたいことがありそうなので、シャチョ-が再来週、出張から帰ってきたら、朝おきてから保育園にいくまでのすべてを1人でやってみようじゃないか!そしてpunaちゃんはずっと寝ていていいから!と宣言した。ああ~、楽しみだ。☆☆久々!今日の分かち合い☆☆渋谷パルコパート3地下・青山ブックセンター横のロゴスギャラリー「ムットーニ・カフェ」一言でその魅力を説明するのが難しいのですが、からくりオルゴールを作るムットーニさん(でも日本人)が毎年、ここで開いている個展。今年は29日まで開かれています。スイッチが入ると、ブランコにのって風船をつかもうとする少女とか、読書をする少年とか、宇宙飛行士とか、光と音と人形が作り出す、映画を見ているような3分間が始まるのです。渋谷に行くチャンスがある方、ぜひぜひ行ってみて下さい。できれば、上映会がある日に行くと、すばらしい世界が実際に体験できます。http://www.parco-art.com/
2004年02月19日
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金曜朝にインフルエンザA型と診断されたたまこの40度をこえる熱は、大葛藤の末に昼と夜の2回飲ませたタミフルのおかげか、ホメオパシーのGels.のおかげか、土曜朝にはすっきりと平熱に戻った。たまこ、すごいなきみは!金曜日には、それはそれはうつろな目でぐったりと抱っこされたままだったのに、土曜日には食欲も戻って元気そうにしている。いっぽう、母親はその反作用か、鼻水とくしゃみと頭痛で大変な週末でした。。。。そうそう、金曜日はついにたまこを仕事先に連れていった。保育園も預かってくれないし、シャチョ-も仕事で、実家もお出かけ。ホテルでのインタビュー立ち会いだったので、ホテルのベビーシッターサービスにも聞いてみたのだが、37度5分以上あるとダメだという。そりゃそうだよね。ましてやインフルエンザの子なんて。で、しかたなく、フトコロにたまこをしのばせ、待ち合わせの部屋へ。相手の女優さんとマネージャーさんは一瞬びっくりしていたと思う。が、顔には出さずに笑って「いいですよー。大変ですねー」。たまこは幸いというか不幸にも、高熱だったのでぐったりしていてまったく仕事の邪魔にはならなかった。最初はじっと話を聞いていたようだったが、すぐに飽きて乳を飲んで寝る。この日は、ライターさんにインタビューをお願いしていたので助かった。さすがに子どもを抱いたままでインタビューはできないと思った。。。。インタビューが終わって別れる時に、ふたたび子連れで来てしまったことを先方に謝る。「熱があると、保育園に預かってもらえないんです」と言って初めて向こうはびっくりして、「えええ、そうなんですか?」と、なぜたまこがここにいるかを理解してくれたようだった。ははははは。そりゃそうだよね。いきなり子連れって、わけわからないですよね。そして今朝、週明けの明るい気分で保育園にたまこを連れていく。「あらー、たまちゃんお熱下がったの?」と先生たちみんなに聞かれて得意げにニコニコ笑うたまこ。ずいぶん慣れたんだなあ。私も一緒にニコニコと「インフルエンザでした-!」と元気よく言ったら、先生たちがいっせいにびびって、「えっ?」。。。。。そうでした。インフルエンザなんてぇ~うつる病気の時は、お医者さんのOKが出ないと、保育園に連れてきちゃいけないのだった。申し訳なさそうにそれを伝えてくれる先生の手から平身低頭でたまこを受け取り、その足で医者に行く。「すみません!先生のOKがないと、保育園に行けないみたいなので」。「あーそうだそうだ。言うの忘れてたね。ごめんごめん」。治癒証明書を書いてくれた。でも、本当は、熱が下がっても5日間ぐらいは静かにウイルスと闘い中なので、様子を見た方がいいんだそうです。「だから、タミフルは全部飲ませてね」と、釘をさされて病院を後にする。熱が下がった土曜の朝からとっとと飲ませていないことは内緒にして、笑顔ではーいと答えて帰ってきた。そう、あとは自分の力で何とかして下さい、たまこさん。先生が帰り際に、「この人の元気そうな顔を見るのは久しぶりだねえ」、と言ってくれて、ちょっと感激した。そう、1歳検診のあとは、「もうやばいっていう時の顔しか見てなかったからね(文字通り苦笑)」と言われてへへへへ、とごまかし笑いをしながらも、たまこの元気な時の顔を覚えていてくれる先生なんだなあ、と何だかとても嬉しかった。先生、ありがとう!そのまま保育園に証明書を持って凱旋登園。そして先生たちが改めて喜んでくれたせいか、ついに、たまこは今日初めて、泣かないで私を見送った。おおお!2カ月半にしてついに!だがいざそうなるとさみしいぞ!ともかくやはりこうしてひと熱ごとに、たまこの成長は加速していくようなのです。
2004年02月16日
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美しいものにうっとりの続きとか、すばらしい亜莉さんのだっこひものこととか、いろんなことを書きたいのに、またもや病院通いネタが再開してしまいましたー。中耳炎が治ったと思ったら、今度はたまこったらインフルエンザに。いやー、きますねー、やっぱり。しかも、これから仕事先に、ついに誰も預かる人がいない高熱たまこを連れていかなくてはならないことに。また報告しますがおお、これぞネタですな!なんていってていいのか。メッセージを下さった方ごめんなさい、また後ほど書きますね。いつもどうもありがとうございます!
2004年02月13日
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会社につくなり、ばななさんの日記サイトを久しぶりに読みふけってしまった。。。。週のまん中に休みがあると、もうだめですね。心身が会社に入りません。いや、会社が心身に入りません。それにしても、ばななさんの日記にしても、親しい友達からのメールにしても、本当にいま、その人の体からしか出てきようがない言葉を読ませてもらえる幸せ。もう、これさえあればどんなドリンク剤もいらないです。って、飲んだことないけど。だって変に甘いんだもん、あれって。なので、会社は体にあるのだけれど、心はまたどこかへ飛んでいってます。うっとり。おととい、またもや夜中に咳き込むようになったたまこの背中を2時間おきにさすりながら、でも、この状態さえもありがたいなあ、という気持ちでいっぱいになった。生きているということイコール感謝することなんだと、書いてみるとなんだかとっても恥ずかしいですが、すんなり思ったのだ。なかなかよくならないたまこの鼻水と咳も、強くなるためのもの。元気に、大きくなるためにこうして咳をしている。あーん、たまこー。今ごろ保育園できみは何を。ある人がメールをくれて、その人が、やっぱり親しい人を亡くした時に、もらった言葉を送ってくれた。本当に素晴らしい言葉だった。ありがとうございます。転載はできないのですが、生きているということは、太陽の光とか星の遠さとか、「それだけで美しいものに感覚が開かれていく」ということなのだ、と教わった。それだけで美しいものに感覚が開かれていく。それ自体がなんて美しい言葉なんでしょう。そしてそういう言葉を人に贈ってくれることの美しさも。と、ここで外に出かける時間になりました。また続きはのちほど。
2004年02月12日
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仕事に戻って1カ月。友達へのメールに書きながらほんとうにそうだと思ったのだけれど、近視と老眼が一気に襲ってくるような、ピントのあいにくい毎日が続く。週末と平日は別人のよう。ってことで、この週末もシャチョーとたまこと富士山まで温泉ドライブに行ったり、楽しく過ごしておりました。やっと持って帰った懸案のワニのおもちゃは、たまこに見せたら赤ちゃんの顔のついた頑丈な箱に大喜び、箱にいろんなものを詰めこんではまたひっくり返すのに夢中で、本体はほったらかし。。。。ま、そんなもんですわな。精進湖に、すごくきれいに富士山が見える場所があって、そこによく行くのだが、1年ほど前にいった時は何がなんだかわからずにぼよよーんと外を見ていたたまこが、今回はえらく積極的に山や湖や鳥を指さして大喜び。シャチョーに肩車をしてもらったり、私にぶんぶん振り回されたのが楽しかったらしく、帰ろうとして車に乗るのをものすごく嫌がって泣いた。車が動き出してからも、ずっと悲しそうに外を見てしくしくと泣いている。帰りたくないらしい。こんな風に、思い通りにならないことに対してあとあとまで泣くというのを見るのは初めてだったので新鮮だった。「そんなに楽しかったのかなあ。かわいいなあ」と、泣きながら母乳を飲んで寝たたまこをバックミラーで見ながらしみじみ言うシャチョ-。こんなに強靱な意志がすでにこの人の中に育っているのかとビビるわたし。そして月曜日の朝。保育園でたまこは先生を見て作り笑いみたいな引きつった笑顔を見せたあと、やっぱり泣く。その涙をギアチェンジに、母ちゃんはまた仕事の世界へ戻るのだった。ま、戻っても、メールの日付けがなぜか1904年になってたりしたまま、仕事メールを出したりしてるんですが。月曜日はまず会議があって、それからそれぞれの仕事が始まる。今週は特に長い会議で、朝からいろいろ考えなくてはならないことがあった。自分の仕事の、職場の、雑誌の、構造的な、あるいは個別の問題がたくさんある。やっぱり大きな問題は、上司と部下のコミュニケーション不全。これについてはみんな言いたいことが山のようにあるみたいだ。だが久しぶりに職場に戻った私は、自分の文句としてはあんまりまだ言いたいことがなく、しかもこの1年でさらに人に文句を言いたいという意欲が減っているので、どうも同僚たちの議論の中にいても、我ながらお気楽脳天気で浮いてる感じ。いいのかな。いかんのかな。まだそこもピントが合っていない。でも同僚たちがえらいなと思うのは、文句を言ってるだけじゃなくてじゃあどうしようか、ということを考え、発言し、動いていることだ。その解決策はたとえばコミュニケーション不全の上司をごはんに誘う、とか、そういうところからだったりするんだけど(笑)、それでも動かないよりは動いた方がいいわけだし。当事者意識と、愚痴や文句でない建設的な意見を持ちつつ動くのって、難しいです。笑顔のまま何も言わないっていうのも、やっぱり非建設的で、それはこれまでの私がもっとも得意とするところだった。もう少しして焦点が合ってきたら、少しずつ動きましょうかね。パワフルな同僚たちを見て、ゆるい自分がたいへん自覚された、でもどこかでやっぱりまだまだお気楽な週明けなのだった。
2004年02月09日
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あっという間に1週間が経とうとしている。早い。早すぎる。皆様、お久しぶりでございます。あれこれ書きたいのに、PCクラッシュのため家で日記が書けない。というか無理すれば家でシャチョーのノートパソコンで書くこともできるんだけど、どうもそれもやりにくいし、気をゆるめるとたまこと一緒に寝てしまうし。会社で書こうと思うと、やっぱり目先のあれこれに終われるうち、気がつくとお迎えに行く時間が来ているのだった。あーん、書きたいよ-。昨日は朝1番でたまこを日赤病院に連れていった後、長く濃い付き合いのライターさんと立て続けに打ち合わせをして、1年数カ月ぶりの再開を喜びつつあれこれ話をして、夕方からインタビューに立ち会う、というまた皿回しみたいな1日。合い間に恵比寿駅のそばでかわいい木製のおもちゃ屋さんを見つけ、ついついふらりと寄ってしまったらかわいくて、仕事中だというのに買ってしまいました、足の部分に車がついていて、引っぱると車が回って同体の部分がカタカタと音を立てる小さな木のワニ。ワニかい。だって、かわいかったんだもーん。「お誕生日とかお祝いですか?」とか言われながら、いや、別に何でもないんですけど、このごろ車がついてるものに興味があって……。訳のわからない言い訳をしながら、昼間からおもちゃを衝動買いしている自分が笑えた。仕事を始めて1カ月経ってみると、さすがに昼間にふと思い出すようになるんだなあ。たまこのこと。いまごろ何してるかな、とか、駅デパートのトイレに一人で入った時に急に、おお、ここで乳やったよなあとか。だからって、ワニ買わなくてもいいんですが。でも、インタビューが終わってから会社に戻って仕事を片づけ、胸もはりまくって焦って退社、なんてやっていたら、ワニはすっかり会社に置き忘れて帰ってしまった。しくしく。やはり忘却ホルモンが出まくっている体はしょせん変わっていないのでした。って授乳のせいにしちゃだめか?そういえば、たまこの中耳炎はまだ治っていなかった。まだ鼓膜の反応が鈍い=耳の中に粘液がたまっているのだそうだ。それが、これから3カ月の間に9割の子が治るらしい。というぐらい治りにくいのですね。さすがに薬は出なくなったので、ポースティーラを飲ませようと思います。っていうかホメオパスのところに行かなくては、と真剣に思いました。☆☆今日の分かち合い:今日のエネルギーは今日使い切ろう!☆☆今日、私の尊敬するライターKさんが言っていた話で、面白かった話。「今日のエネルギーは今日使い切る、つまり、明日に余力を残さないでいると、どんどん元気が出てくる」んだって。それは、Kさんが出会った有名作家とか、ヘアメイクの大家の人とか、とにかくのびのびと自分のやりたいことを仕事にしてうまくいっている人たちが共通して言っていたことなんだそうです。Kさんも真似をして、明日早いからとか、明日これがあるからとかいって今日自分がやることやりたいことをセーブしないことにして、1日の終わりはもうばたんきゅー、っていう感じで寝るぐらいに使い果たして寝るようにしていたら、どんどん、逆にエネルギーがわいてきて、できることが増えてきたとのこと。で、実際にKさんは本当にとても元気そうでした。私もまねをして、その日のエネルギーはその日に使い切る、というのを続けてみようと思います。でも、たまことばたんきゅーが多いので、実はすでに使いきりの毎日なのかも。そ、そんな。。。話が終わっちゃうじゃないか。
2004年02月06日
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迷ったけれど、保育園に電話して、急だけれどもたまこを預かってもらうことになった。土曜日は人が少ないので、前日までに言わないといけないことになっている。ちょっと申し訳なかったけれど、やっぱり子供が行くべきでない場所に行って静かにさせられるのはかわいそうだ。本当に、このスタンスは大事だと思う。特に今日はお葬式だし。で、あわてて預ける準備をして保育園へ。そのままマドレのイベントを手伝いに行き、懇親会の準備でおにぎりにぎりをして、途中で抜けた。スタッフのみんなはちゃんとケーキを焼いてきている。Jさん企画立案のとっても簡単にできておいしいケーキ。私は事前練習する余力もないまま、昨日もお通夜で結局ケーキは作れなかった。ごめんなさい。おにぎりをにぎっていったものの、会場にはマコ先生の立派な2升炊きの酵素玄米がお釜ごとどーんとあって、とってもおいしそうだったので、自分が持っていったのは持って帰ってきて夜自分で食べた(笑)。講演は聴けなかったが、久しぶりに4期の人たちに会えて嬉しかった。しいたけが苦手なYさんがにおいによろっっ、、、としながらも、きれいにお総菜を盛りつけしている姿、メイクがさらにうまくなって目の中に星が輝いているYさんがおにぎりを丁寧に並べる姿、弁当屋でバイトしたことがあるといいながらすべてのおにぎりをきれいに同じように作るSさんの姿に、それぞれ惚れ直す。みんな、素敵だなあ。どんなに仕事で心が荒んでも(泣)、今日みたいな、正しく丁寧に心を遣っている友達たちのこういう姿を思い出すと、すぐにふっくらと蘇ることができるような気がする。それから出席したお葬式の話を、なんとなくつらくて書けない。自分の友達にこんなことが起きるなんて。息子の焼香に立つご両親の後ろ姿、弟の焼香に立つ友達の後ろ姿。お兄さんの挨拶。奥さんの挨拶。「いまはただ、彼がいない景色がまぶしいです」。やっとの思いで出てきただろうまぶしい、という言葉がまぶしくて息が詰まる。出棺の時に空を見上げたら、飛行機がきれいな雲を作りながら雲一つない青空の中を静かに飛んでいた。飛ぶそばから白い雲のあとが生まれ、生まれるそばから消えていく。これからは飛行機雲を見るたびに、姉の結婚式で嬉しそうにカメラを構えていた彼のことを思い出すと思う。思い出そうと思う。安らかに眠ってください。そして私は彼女のこと、周りの人のこと、シャチョーのこと、たまこのこと、みんなのことを大事にしたいと思った。それが生きてるってことなんだと改めて思った。☆今日の分かち合い:カレンデュラはすてきだ!☆たまこが薬を飲み続けているせいか、おむつかぶれを起こしてしまっていて、なかなか治りません。でも、子育てワハハのサイトで買ったカレンデュラのチンキをつけると、ぐっと治りが早くなります。shimangさんが教えてくれたヴェレダのカレンデュラクリームも、わりとすぐに赤みが抜けます。といいつつまだ赤いんだけれど。おむつかぶれって、でもやっぱり胃腸の疲れもあると、魔女の話を聞いていると思うので、ただ外側を塗っているだけでは本質的解決にはならないのですよね。でも一家に一本、カレンデュラ、というのは本当だと思います。おすすめです。匂いもいいしね。
2004年01月31日
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高校時代からの大事な大事な友人が2人いる。あのころの友達はみんな大事で、いまだに連絡を取り合っているのが一番多いのもこのときの友人だけれど、その中でも特に濃密なつき合いを続けている2人。季節の節目の重大行事・石ばし会のメンバーであり(会員は私たち3人と、うち2人の夫のみ:笑)、高校の卒業旅行に一緒に行き、以来、毎年何かしらどこかしらに出かけ続け、ハワイの私の結婚式にも来てくれたし、ご両親にも何度も会っている。そのうちの1人の弟さんが、昨日、亡くなってしまった。そういうメールが、夕方職場にいたわたしのパソコンに届いた。あたまが、真っ白になってしまって、仕事を続けることができなくなった。あわててもう1人の友人と連絡を取り合い、ちょうど退社したばかりの彼女と一緒に待ち合わせて帰る。そうしたら、ただ1人独身だった彼女が話が一段落した頃、いきなり駅のホームで「結婚することになりました。」と、私に言った。思わず声を上げてしまったら、エスカレーターの人がみんなこっちを振り向いた。おめでとう!ほんとに、なんて日なんでしょう。今日は。とてつもない悲しみと、喜びと、両方に出会ってしまった。そうでなくてもマドレの研修のためにわざわざ違うクラスに間違って出席したり、いろいろありすぎた日だったのに。。。この話はまた書きます。問題多いので闇に葬るわけには(苦笑)。家族、それも仲がよくてかわいがっていた弟を突然亡くした友人にどうしたら力になれるのか。しょせんなれないよなあ。レスキューレメディー、買っていったらいいかな。明るい彼女がとてつもない悲しみに出会ってしまったことを思うだけで、ただただ心が痛いです。☆☆今日の分かち合い☆☆よしもとばななさんの「王国2」出ましたねー!まだ読み終わっていないのに、うれしくて書いてしまいました。いかん、感想が書けないではないか。また書きます。
2004年01月29日
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うう。いろいろ励ましのメッセージをありがとうございます!いま職場で、これからまた外に出なくてはならないので、また明日ゆっくりお返事含めて書きますねー。家で書けないって本当に不便です。夜や朝、ヒマで仕方ないです。って片づけようよ、部屋。そういえば、カキにあたった私でしたが、ホメオパシーのars.(食中毒NO.1レメディー)を使ったら、地獄を見たのはわずか1時間で済みました。やはりおそるべし、ホメオパシー。でも、私のカゼはちっともよくなってくれないです。。。今日はたまこの日赤再診。今日で終わりかと思ったら、また1週間後に予約を入れられてしまいました。抗生剤も10日間は飲ませないといけないそうです。長いなあ、中耳炎。ぜんぜん、元気になったような気がするのに。ちゃんと完治しないとクセになるらしいですが、それにしても。みんなの書き込みを見ると、カキって1度あたると繰り返すの? そんな、私の楽しみが、こんな形で突然奪われるとは。でも、人生、いつクラッシュが起きるかわからない、やはり先延ばしのライフスタイルはいけない、と痛感しているわたくしです。みなさん、千里の道も1枚のバックアップからです。明日お返事書きますねー!ほんとにごめんなさい!☆今日の分かち合い☆クラッシュしたハードディスクのデータを修復してくれる会社っていうのが、いっぱいあるんですね。。。でも、8万円ぐらいかかるんです。でも、頼んでしまいそうな感じです。。。どこっていうのはこれから決めるのでご紹介できないんですが、そういうのがあるということを知ってるだけでも、気分は違うのではないかと。。。。うう。
2004年01月27日
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ごぶさた失礼しております。うちのパソコンが昨夜、壊れて電源が入らなくなってしまいました。。。。たまこのデジカメ写真も、バックアップをとっていないのがいっぱい入ったまま。。。。あまりにショックで、うつろな月曜日。えーん。思えば金曜日にカキにあたり、土曜日は友人宅で楽しく過ごしたものの、昨日は再びお腹を壊して発熱、と、なんだかとってもやばい雰囲気だったのです。データはもう復活しないかなあ。もう、いくらかかってもいいのでだれか修復してくださ~い、という気分です。たまこはすっかり中耳炎からも復活し、うわさに聞いていた通り急に大人っぽくなった。薬もがまんして一生懸命飲もうとしたり、母乳中にセンベイを見せたらそっちにまっしぐらで食べ始めたり。おお。顔も変わったし。そういうのを見ていると、うん、データが壊れたってたまこが元気だからいいや、と思ったり、ああ、あの写真も、あの写真ももうないのかしら、といろいろ思い出してがっくりしたり。すみません、そういうわけで、皆さんのメールアドレスも、いきなりなくしたかもしれません。少しずつ復旧していきますので、忘れないでねー。
2004年01月26日
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朝起きたたまこが、久しぶりに目を開けて笑った。よかったー!元気になってきた。保育園に電話をしてみたら、薬も回数分に分けて持っていけば飲ませてくれるという。よし。というわけで、今日からいきなりたまこも復活しました。職場に着いて、「たまちゃん、どうお~?」と同僚に聞かれたので、薬を持たせて保育園に預けてきたといったら即、「オニハハ!」とからかわれましたが。でも確かにオニハハかもしれない。たまこを預けて、本屋で資料探しをしたあと、ついつい行ってしまったのです、1人ランチ。いやーー、ほんとに、産休に入る前以来だから、1年4カ月以上ぶりの1人ランチ。ちょっと力入って、イタリアンに行っちゃいましたね。しかも、たまこの快気祝いとこの2週間半の自分の働きに乾杯だあ!ということで、勢いでグラスワインまで頼んだりして。で、グラスワインの小さいサイズを頼んだつもりが、出てきたのはシャンパンで、変だなあと思いつつ、まあおいしいからいいか、と飲み干して、でもお会計で金額が倍なのに驚いて、ハーフサイズを頼んだんですけど、とつい言ってしまったら店員さんが申し訳ながって、ハーフサイズの値段しか受け取ってくれなかったので、結局、半分の値段でフルグラスのシャンパンをいただいてしまったことになったりして、これもごほうびか?? 仕方ないのか? そうだ仕方ないのだ!久しぶりの1人ランチは、また子供を産んだことをつい忘れてしまいそうなほど、うっとり楽しいくつろぎのひとときだった。なんか、そういえばこういう時間もあったなあ、とか。そして改めてこういう1人で味わう時間を持ってみると、うわさには聞いていたけれど、そのありがたみがなおさらよくわかって、外に見えるうすぐもりの寒そうな景色まで、ついキラキラと輝いて見えてしまうのだった。ほろ酔い気分で(おいおい)、またいくつか用事を済ませて会社へ。早く仕事が終わったシャチョーが、たまこを早目に迎えにいってくれて、私もなんとなく落ち着かずに早目に帰宅。たまこは高熱のあとだからなんでしょう、えらくすっきりした顔をして、楽しそうにしている。よかったー。まだミミダレは出ていますが、出ているのも詰まっているよりは数倍安心。というわけで、初のお迎えコールから1週間、親子ともども大変な成長の機会を与えられた長い長い1週間がやっと一段落した、という感じです。ま、夜は授乳があるからあまり乾杯できないしな。昼間しておいてよかったよかった(と、また言い訳が)。☆☆今日の分かち合い☆☆ご存じ、オープンハーツさんのメルマガ、皆さんはもう読んでいらっしゃいますか?マドレボニータ研修で同じ4期生のオープンハーツさんのメールマガジン、第2号が今日配信されました。幸せで楽しい分かち合いをめざすオープンハーツさんがみつけてくる、自分自身や、自分の暮らし、そして人生に「何か」を求めている人にぴったりのお話が満載なので、登録していない方はぜひぜひ!読んでみて下さい。ふつうのメルマガとは一線を画す、変にこびたり作ったりはしゃいだりしたところがない、でも面白い、まっすぐでキラキラ輝いた素敵なメルマガです。「OPENHEART HS MAGAZINE」 隔週水曜日発行お申し込みは、オープンハーツさんのページまで。
2004年01月21日
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ミミダレを流しているたまこを今日も保育園は休ませてシャチョーに託し、久しぶりに会社に出勤。私の職場は子持ちの人が多いので、「復帰直後は子どもが病気になるので仕事にならない」とみんなで上司に言ってくれている。最初の週はいきなりすごい負荷でしたが、おかげで、その後は少し泳がせてもらっている(って犯罪者か)こともあり、あまり負い目も感じずに、でもチームを組んでいる上司には申し訳ないなあ、と思いつつ、席につく。今日は来日中の女性歌手へのインタビューの仕事があった。昨日は日赤から帰ったあと、プロモーションを兼ねたこの人のミニライブを見に行った。すごい幅広な1日。彼女はもーほんとにかわいくて、会うのが楽しみだった。でも、このところの騒ぎで思うように準備ができていなかったので、おにぎりをかじりつつあれこれ資料をもーれつに駆け込みで読みまくる。昨年のグラミー賞をとりまくった人なのに、ぜんぜん飾り気がなくて、ふつうノミネートされただけでも、みんな「選挙前の政治家みたいに」インタビューを受けたりテレビに出たり、しまくるのだそうだが、彼女はそういうのも嫌がってツアーに出てしまったのだそうだ。そのへんのこだわりを聞いてみたかった。で、インタビューはメイクやヘアが気に入らなかったりして、すごーく遅れて始まった。大丈夫かなあ。でも、インタビューが始まって、一言しゃべったあと、彼女は部屋にいる他の人たちみんなに出ていってほしい、と遠慮がちに、でもきっぱりと言った。「集中できないから」。そしてそれから本当に集中して私の質問を聞き、答えてくれた。リアリティから離れないようにすること、ノーマルでいること。楽しむこと。そういうことにこだわっているみたいだった。それって、どんな立場の誰にとっても大事なことだと思う。でもそれを、急激に有名になった彼女が続けるのってすごいことだ。どうしてそんなに変わらないでいられるのだろう? 「だって、同じボーイフレンドと4年も一緒にいるし、家族も同じだし、友だちも変わらないでしょ? 変わりようがないのよ(笑)」。すごいなあ。詳しくは2月初めに出る雑誌に書きますが、本当に魅力的な人でした。でもって、通訳として立ち会ってくれたのが、なんと高校時代の友だちで、これも嬉しい巡り合わせだった。改めて復職して仕事をしてみると、いまのところ(笑)、どんなこともギフトのように感じられて、とっても楽しい。特にインタビューは、幸せを感じる時間の1つだ。ああ、これって、いま、この人を通してしか、出会えないな、という言葉や表情に出会えると、終わったあともすごく気持ちのいい興奮が残る。この空気や興奮をできるだけそのまま伝えたいなあ、と思う。リアリティから離れず、ノーマルを忘れず、そして何より楽しむ。仕事の上でも、変わる自分と変わらない自分の両方を育てる上でも、この3つってけっこう大事かも、と思った。それにしても、いまの自分には何がリアリティで、何がノーマルかなあ。ちょっとこれもゆっくり考えてみたい。実際のところ、この1年ほとんどCDショップにも行けなかった私のリアリティとしては、彼女のこともあまりよく知らなかった、のだった(笑)。たまこはおかげさまで、ミミダレと時折の咳き込み以外は熱も下がり、だいぶ元気になりました。本当にたくさんのご心配と心強い言葉の数々に、たまこというより私が、癒されています。どうもありがとうございます。
2004年01月20日
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いやあああー、空は一面のきれいな星空なのに、なのに海面は大シケで波が高いったらありゃしません。ぐるぐるぐるぐる、小さな船は木の葉のようにさらわれ(ってかわいすぎるか)、私はすっかり目が回っています。今日はついに、広尾の日赤医療センターまでお参りしてきてしまいました。朝一番で近所の小児科に行ったら、「うーん、肺の音はきれいになってるんだけど、念のため、行ってみてもらえますか?」と、いきなり先生が紹介状を書き始めたのである。紹介状? そう、大病院へのパスポートだ!がーーーん。入院ですか? 「うーん、そういうことにはならないと思うんだけど、僕もセカンドオピニオンがほしくなるときがあるんだよねー」。この先生は、とにかく何でもちゃんと説明してくれるのが気に入って通っている。今日も、何となく気になる、という正直な見解を沢山聞かせてくれたあと、「まあ、面倒でしょうが、お母さんもこういうときぐらいは、ね。」と、よくわからない励ましのような言葉をかけられながら、シャチョーと一緒に日赤まで行ったのだった。そこから先の話はもうほんとに思い出すだけで目が回ってしまう。また明日書きますが、とにかく、初診受付→小児科診察→血液検査→耳鼻科初診受付→耳鼻科→検査→なんと突然中耳炎の診断が下って麻酔→鼓膜切開→レントゲン→小児科→結果通告→会計→薬局でしめて4時間弱!すごいなあ。これだけのプロセス、時間がかかっても、それぞれのセクションではものすごくみんなてきぱきてきぱき働いていて、愛想もいいし、気も使ってくれて、さすがだなあと感心した。結論は、入院一歩手前、気管支肺炎ぎみだけど、中耳炎のせいかもしれないから様子を見ましょう、ということになって、無事に帰宅できました。よかった。。。でも、とにかくたまこに申し訳なくて申し訳なくて、ちょっとレントゲンを撮られている時の姿は一生忘れられないと思う。。。。子ぶたの丸焼きみたいに、仰向けに台に頭から体まで固定したと思ったら、いきなり縦にくるっ、と回すんです、くるっ、と。。。。びっくりしたなあ。しかもレスキューレメディーもホメオパシーも何も持っていかなかったので、これからいったいどうやってあのショックを癒してあげたらいいのか、途方にくれています。で、6種類のいろんないろの薬をもらって帰ってきた。これまた無料。ありがとう自治体。ありがとう区民税。でも、気道拡張薬が耳鼻科からも小児科からも出ていたり、飲ませ過ぎをカバーするためか腸の薬が入っていたり、貼るだけで気管がひろがるとかいう恐ろしげなシールもあったりして、結局シャチョーと相談しながら抗生剤とシロップの2つを徹底的に飲ませる作戦にした。勝手な患者。でもおかげさまで熱は下がってきた。あまりに学ぶことが多くて、無力感や涙を通り越して、脱力も通り越して、ただただぼうぜんとしながら岩手名物かっけばっとう(鍋です)を食べつつ、シャチョーと反省会。どこでどうすればよかったか、細かく検討したが、要は「たまこはまだ赤ちゃんだったんだね」という結論でした。おいおい。でも本当に、いつも元気で、いつも楽しそうにしているので、ついついこっちのペースで暮らしていることに改めて気がつく。でも本当はまだ、弱いところは弱いのだった。そうだった。本当にごめんね、たまこ。あ、せきこんでるようなので、また続きは明日かきます。皆さまご心配を本当にありがとうございました。
2004年01月19日
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朝になり、熱は下がってきたものの、やっぱり基本が大事、と医者に連れていく。医者は、これまでの過程を報告したらびっくりして、「おかーさん、勇気ありますねえ」とあきれられてしまいました。つまり40度を2回も超えてる、という事態。鼻水でウイルス検査をしてもらったのだが、発熱から3日以上経つと、インフルエンザかそうでないか、もわからなくなるんだそうです。なるほど、みんなすぐに医者につれていくわけだ。はははは。はんせい。で、結局、インフルエンザ検査は陰性と出て、病名としては喘息性気管支炎だけれど、マイコプラズマウイルスかRSウイルスによるものかもしれず、そうなると肺炎になるかもしれないので、と、抗生物質をもらった。びっくりした。ちゃんとした病気になってしまった。オープンハーツさんが掲示板で書いてくれていた通り、ホメオパシー依存症だったかもしれない。医者につれていくタイミングについてはシャチョーとも意見の一致をみていたので、要は2人とも医者や病院が嫌い、というのがたたりましたね。反省。というわけで、でも、帰ってきてからもさんざんネットを見て迷ったあげく、もらってきた苦いという抗生物質クラリスドライシロップを飲ませようと決心、でも、薬局で勧められたようにアイスクリームに混ぜてみたが食べない。冷たいからなあ。次は、メイプルシロップに混ぜてみようと思います。薬を飲ませるのはいやだなあと思いながら、いざ飲ませようと思うと飲まない。いちいち、一つ一つのアクションが新しい世界へのトビラっていうか、挑戦!って感じですな。うーん、真剣味が足りないか。でもほんとにこうやって、1つ1つの行為をなぜそうなのか、どうすればいいのか、と考えることって、たまこが来るまではあまりなかったので、本当にいちいち立ち止まってみることが勉強になる。立ち止まりすぎって話も。それにしても、ほかにもセキドメシロップと、解熱座薬をもらって、ざくざくした袋を手渡されたのに、タダ。えらいなあ自治体。ありがたいなあ区民税。薬局で、お金を払おうとしてにっこり微笑まれた。ここでも、初心者丸出しです。すでにたまこのかぜがうつって熱っぽいシャチョーと、寝不足の私と、3人で川の字で昼寝。今日が土曜日でよかった。。。今日は、マドレボニータ研修で、3期生のTさんが4期生のためにメイク教室を開いてくれている。行けなくて残念だったけれど、きっとみんなが私の顔をメイクしてくれるに違いない(こわ)。☆☆今日の分かち合い☆☆子供の病気の本「子ども診療室から」 山田真 (ちくま文庫:600円)1つ上の子どもがいる先輩母友だちからいただいた文庫本なのですが、これが病気のことを本当にすごくわかりやすく、あたたかく、書いてくれていてすごく勉強になります。熱が出たときは、ひきつけをおこしたときは、発疹が出たときは、などと、症状から入れるところもいいし、1つ1つの話が短くて分かりやすいし。おすすめです。マイコプラズマ肺炎のことも、びびりながら読んでみたら、この病気はウイルス性と細菌性の中間だから抗生物質が効く、でも本来抗生物質の乱用はおかしい、ということも書いてあってすごく納得しました。
2004年01月17日
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いやーー、断念しました。数カ月ぶりの、キラキラのイタリアン。って当たり前か? いや、この私がおいしいもののお誘いをキャンセルするなんて初めてのこと!痛恨!痛恨!でも、おかげでたまこの熱は少しずつ下がってきたような、気もします。実はほんとは、一度様子を見に帰って出かけようとした。顔を見て、大丈夫かな、行ってもいいかな、と思った瞬間に、咳き込んで吐いた。正式に、あきらめた。何より本当に、夜になって自分の日記にアクセスしたらたくさんのお見舞いと共感とアドバイスのメッセージをいただいていて、まじめに涙出ました。皆さま、本当にどうもありがとうございます。本当に、言葉と気持ちがどれだけひとに力を与えるものなのか、与えられて初めてわかります。どうもありがとうございます。夜中、たまこがぐずって何度も起きる。そのたびに、水か?乳か?汗かおむつか?と、タオルやボトルや着替えが飛び交い、声をかけながらソケイ部マッサージなど、いろんな処置が試される。「ほら!気持ちよくなった~!」「熱下がってきたねー。気持ちよくなってきたねー」みたいに話しかけているうちに言葉はだんだん、「いいよいいよ、この調子!」「たまこさん、いけるいける!」みたいになり、気分はすっかり、チャンピオンベルトをかけて闘う試合中のボクサーの付き人。いけー!いくのだ、たまこ!勝ってこいよおおおー!って何に。熱に。ウイルスに。そしてきっとこの1カ月半でたまっていたいろんな不安に?敬愛する魔女T先生に、熱のことを相談したら、ホメオパシーは買ってたっけ、と聞かれて、ベラドンナをあげまくったことを話したら笑われた。「何回ぐらいあげたの?」「10回ぐらい」。覚えていないが、びんの中のレメディが残り少なくなっているので、たぶんそれぐらいはあげてると思う。「あらー、あれは2、3回やって効かなかったら違うのよー」。言われてみれば、そうだった。昨日は効いたものだから、今日もあげてみたのだったが、確かに、効かないものは効かないのがホメオパシーのレメディだった。「それよりも、来月は一緒に行こうね、って言ってあげて。きっとそういうのをわかってるのよ」。はい。昨日、たまこには内緒で先生のところに行ったのだ。私にとっては何より大事な時間。でもたまこには母親がそうやっていろんなところに行っちゃう不安や不満が、きっとたまってるんだな。本当に、仕事を再開してばたばたした直後の発熱だもんなあ。で、さっきもぐずるたまこにどのレメディを、と思っていたら、珍しく起きたシャチョーがたまこに水を持ってきた。たまこは嬉しそうにぐびぐびと飲んで、すぐに、ふーと言って寝てしまった。うん。そんなもんだわな。たまこの治る力を信じながら、まずは言葉にならないいろんな気持ちを受け止めるのが大事だと改めて思った。いやはや、ほんとに、いろいろ日々成長する母なのでありました。☆☆今日の分かち合い:鼻呼吸をしよう!☆☆人はもともと、鼻で呼吸するようにできていたというか、言葉を獲得する前は鼻で呼吸していたのに、言葉をしゃべるようになると口呼吸が増えて、ついにはだらしなく口が開いたままの若者ができあがってしまうのだそうです。なので、1日1回は意識して、鼻からすって口から吐く、という呼吸を意識するといいみたいです。どちらもできるだけ長く細く柔らかく続けること、がコツだそうです。詳しいことはまた書きます。
2004年01月16日
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朝から雲一つない青空。でもたまこの熱はそれほど下がらず38度、やっぱり何となく苦しそうなので保育園を休ませる。初の保育園、お休み。シャチョーの仕事がたまたまなくなったので、まかせて家を出る。よかったー。実家が近くても、夫の勤務時間の融通が比較的きいても、やっぱり一度子どもが体調を崩すと綱渡りな感じだなあ。ふつうは両方あてにならない上に、自分の勤務時間もかっちり決まっていたりしたら、やっぱり仕事モードだと子どもってなかなか産めないって思うかも、と初めて思った。結局家に戻ったのは、あれこれシャチョーの好きそうなものを買って帰った夜7時。たまこは何となくもうろうとしている。熱がまた上がっていて、一眠りして起きたときに測ったら、ふとんから出たばかりだったせいか39度。もう1度測ったら、40.2度。おおーー!初めて、40度超えたぞー。ってところでちょっと母乳をはいたりするのでさすがに心配になってきて、ベラドンナを立て続けに10分ごとに2回飲ませた。ふっ、と楽そうになって、39度に下がった。すごいなあ、ほんとに効くんだなあ。しかも、たまこは口に異物感があるのが嫌らしく、レメディを口に落とすと泣いていやがって出そうとする。でも、全部なめられなくても、ちゃんと効くのに感心した。素朴な疑問としては、咳だけがよく出ていたころにちゃんと適切なレメディをあげていたら、ここまで熱が出たり咳き込んだりするような悪化はしなかったのだろうか。それとも、ウイルスには勝てなくてやっぱりここまできただろうか。うーむ。なんだか、ずっととんちんかんなレメディをあげ続けて、悪化させてしまったのかなあと少し自分を責めるような気持ちになってしまうのだった。いや、露天風呂三昧がいけなかったかっっ? ぐずるたまこにいつもの子守唄を歌ったら、ほっとしたように寝てしまった。体調が悪いときにも一緒にいられないのって、なかなか切ないものですなあ。こうやって、うわさには聞いていたことを1つ1つ体験して、実感していく。やっぱり、聞くのと体験するのとでは、ずいぶん違うものです。でも、こういう時も、ここ数カ月、まわりのみんなに教えてもらったように「病気はギフトだ!」と思うことでずいぶんと気持ちも落ち着く。明日もたぶん保育園は難しそうだ。シャチョーと実家頼みな感じです。しかも、夜には同僚たちが私の復帰祝いをしてくれるという、麻布のおしゃれなイタリアン宴会の予定まで入っている! うーむ。どないしましょう。久しぶりのキラキラしたレストランも捨てがたいし。なぁああんて言ってていいのでしょうか、40度の母なのに。☆☆今日の分かち合い:和歌、詠んでますか?☆☆最も美しいやまとことばの子音のバイブレーションを身につけるためにも、和歌を詠むのはとってもいいことなんだそうです。24節に合わせて、せめて1年に24個ぐらい。57577。うーむ。できるかなあ。でも、そうやって季節を意識して、言葉を意識していくのって、楽しそうですよね。ひそかに詠んでみるか???ひそかにだと続かないので、和歌仲間、ぼしゅうしまーす。
2004年01月15日
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いつものようにたまこを送り届け、泣き声に見送られながら保育園を出て、ちょっとほっとして、午前中はあいていたのでそのままシャチョーと近くのマンションの物件を見に行き、すぐに駅に戻って本屋でうろうろしていたら、その瞬間はやってきました。保育園からの、初めての電話。携帯画面にその名前を見たとき、おお、ついに、と感慨深かったですね。呼び出しです。「あのー、お熱があるみたいで。きたときにもう38度あって、いま測ったら38度4分に上がっちゃってるので、お迎えにきて下さい」。いつかは来るとは思っていたけれど、復帰1週間めにして、もうやってきてしまいました。早かったなあ。少し焦って実家に電話したら今日は預かってくれるという。ありがたい。そのまま預けにいくことにして、しかしあまりすぐに保育園に戻るのも、駅の本屋にいたのがばればれなので(笑)、実家に預けるためにスープとかおやつを買ってから、保育園に戻った。たまこは食欲がないのか、まわりの子がお昼を食べる中で浮かない顔をして、夜食用に作ったおにぎりを人さし指でつついていた。私の顔を見つけて、「んもー、つらいんだからさあ」みたいな顔をして抱っこをせがみ、少し嬉しそうに私にくっついてきた。あーん、このまま家に帰って一緒にいたいよーーん。でも母ちゃんにはいかねばならぬ場所があるのだった。実家までバスで戻って、母にたまこを預けたあと、会社へ。ずーーっと抜けなかった咳をなんとかしたいと、昨日ホメオパシーのブライオニアというレメディを飲ませたら、いきなり目やにがどっと出て、それから夜中に熱が出た。すごいなあホメオパシー!とか感心してばかりいて、ま、熱はたいしたことないよな、と思っていたら、返されちゃったんですねー、やっぱり。会社を早目に引き上げてたまこをひきとってから、ベラドンナをあげたり、レスキューレメディーをあげたり、いろいろやってるのですが、相変わらず苦しそうです。ほんと、ちゃんと聞いていた通り、子どもは母が本気で勤めはじめると熱を出すのですねえ。1カ月間の慣らしのときは、嘔吐下痢症はあったけれど、熱は出さなかったのに。面白いのは、こういうときのシャチョーと私の違い。シャチョーはとっても心配するんだけれど、私はホメオパシーのおかげもあって、シャチョーのことも含めて何となくのんびり見守ってしまう。その間にも彼は落ち着かない様子で一生懸命、ガーゼを濡らして頭を冷やそうとしたり、植物用の霧吹きを持ってきて、寝室でシュッシュッとかしている。かわいいなあ。いいお父さんだなあ。いろいろやりつくして、「あとはたまこに任せるしかないの?」というので、うん、ホメオパシーはあるけど、基本的にはそうなのよ、そうなのよ。と答える。そりゃあ、シャチョーが言う通り、肺炎になったらどうしようとか、いろいろ気になることもあるけれど。医者に連れていくのも、熱が40度になってからでいいかなあとか。それじゃだめでしょうか、やっぱり。でも医者よりもなによりも、私が頼りにするのは、前にオープンハーツさんのはやとくんが熱を出したときに、toto le cafeさんが解熱法のアドバイスをしてくれたときのメールだったりするのだ。でも、そこで書かれているイチオシの方法、こんにゃく湿布でお腹や首をあたためてあげるのは、こんにゃくを切らしていて(って常備してないが)できなかった。痛恨。明日は帰りにこんにゃくを買って帰ろうっと。で、2番めのアドバイス、ベビマでソケイ部をマッサージしてあげたら、たまこはすぐに気持ちよく寝てしまった。知恵のある友だちに助けられている毎日です。どうもありがとう。これから汗をかくたまこの着替えを枕元に積んで寝ます。☆☆今日の分かち合い☆☆そういうわけで、頼りになるtotoさんの解熱レシピを紹介させてもらいます。ありがとう!基本的に、熱が出たらあたためてあげるといいみたいですね。気持ちよがるようだったら少しは冷やすのもいいそうです。1.こんにゃく湿布:レンジではなく、湯せんをしてタオルに巻いて、お腹や仙骨、首の後ろをあたためてあげる。2.ベビーマッサージで、ソケイ部をあたためてあげる。3.レスキューレメディ、およびベラドンナをあげる。4.熱が上がりきるまでは服や肌着をたくさん着せてあげて、ふとんもかけてあげる。 下がりかけてきたら暑がるので、そのときは汗を拭きながら服を減らしていく。あとはレイキですよね。というわけで、これからかけながら寝まーす。
2004年01月14日
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一部の方々にはすでにお見通しの通り、行ったつもりの温泉に、結局、ほんとに行ってしまいました~。わははははーー。笑ってごまかす。だって、あれから朝起きて電話してみたら、とれちゃったんですよ、キャンセルが出ていて。小諸の中棚温泉。とってもいい温泉宿なので、ここもとってもおすすめです。2年半前の夏に行ってからとっても気に入って、その後何度か電話してみたけれどいつもいっぱいで、そんなところにふらりと電話したらとれちゃったので、つい。(言い訳が長い)。小諸って遠いイメージがあるんだけれど、実は車で3時間であっという間についてしまう。関越道から遠くにキラキラ光る富士山を眺めながら、その山がなんか違う形になって、あれっと思ったらなんだこれは浅間山じゃないですか、というぐらいの間に、ついてしまう。そんなことないか。でもそれぐらいに近く感じた。で、3時のチェックインよりちょっと前についてしまうのだが寛大な宿の人はお部屋に案内してくれて、それから露天風呂三昧。その後、たまこと格闘しながらごはんをいただき、しんせんぐみを見てからまた風呂三昧。。。みたいな2日間を過ごしてきました。ああ、気持ちよかったです。でも、行ったつもりの日も合わせると2泊3日のぜいたくな長旅だったので、しばらく縮小財政。の予定。でも今日は帰ったら、今年最初の収入がふりこまれたというシャチョーがうれしそうにおいしそうなキンキを買ってきていて、キンキの煮付けをいただいてしまいました。いやはや。そして今日はふたたび会社と保育園の日。週明けとともにたくさんの仕事がまたまた空からふってきて身動きとれず、結局行きたかったマコ先生の講演会に行けなくて、とても残念だった。でもいまのところ、どんなにいろいろふってきても、仕事をしている感覚が産休に入る前と違うのがわれながら面白い。被害者意識を持たないでいられるようになっている感じ。いや、こんなに楽しいことばっかりしていてどこが被害者なんや!という声、その通りです。させられている、という気持ちを持たないで仕事をすることができているのはありがたいことです。これがだんだんと思うようにならない時間が増えていくと、させられている感が強くなるのだろう。そういえば、2年半前に小諸に行ったときに入ったそばやがとてもおいしく、雰囲気もよかったのでまた行ってみた。そうしたら、ものすごく寒々としていて、雰囲気も悪くて、店員さんの態度もとっても冷たくて、そばはまあ確かにおいしかったのだけれど、こちらの気持ちまで寒くなってしまった。おまかせ山菜料理というのがメニューにあったので、「これは今日は何ですか?」と聞いたら「おまかせです」。。。。「いや、だから今日のおまかせは何ですか?」。さらにそう聞いたら、お姉さんはちっ!という顔をして厨房にききにいった。こわかった。同時に、店の場所を訊ねる電話が入り、奥さんが出て「だから違います!そこをいくとわかりにくくなるんです!○○まできたらまた電話して下さい」。いやーー、同じ建物なのに、同じそばなのに、お店の人の雰囲気一つで印象が、体験が、こんなに変わるものなんだなあ。すごく勉強になった。忙しくなっても、被害者にはなるまいと思います。☆☆今日の分かち合い☆☆あ、たまこが泣いたのでまた後ほど。
2004年01月13日
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いやー、やっぱり書けませんでした。週後半の日記。そしてやっときた待望の週末、3連休。ああ、長い1週間だったなあ。。。。毎日会社に通うということそのものが、何かをすり減らすのだということを思い出しました。いやすり減らされていてはいかん。まだ減ってないけど、毎日、同じことをすることを繰り返しだと思うことから、すりへりの道は始まるのだと思う。とっても疲れた1週間だったけれど、まだ、朝の空の色とか、夜に近くの駅まで歩く間の街の光の美しさなどが目に入ってくるので、いまのところ大丈夫だ。後半3日は、さっそくたまこを迎えにも行けなかった。木曜日なんて、たまこは帰ってきた私の顔を見てどっと安心し、母乳を飲み始めて10分で寝てしまい、逆に私が取り残された気分。そして朝は自分の用意をしているとたまこが抱っこをせがむのでろくに化粧もできず、ピノキオのような眉になった日も(あ、たまこのせいにしてる)。たまこが起きる前にすべてを済ませておかねばならないという段取りについても学ぶところが大きかった。。。ああ、何を着ていくか悩んでいたあの朝が、懐かしいです。そして土曜日の今日は、朝から都内の同僚の家を2軒はしごした。1人は結婚するのでいらなくなった大きな洗濯機をいただきに。1人は借りていた大きなA型ベビーカーをお返しに。人のつながりって本当にありがたいです。シャチョーはさっそく大きくなった洗濯機を設置し、うれしそうにあれこれ洗っていた。何しろ私の1人暮らし時代からの小さな洗濯機から一気に倍になったので、大きなものも洗えるし、何よりお風呂の湯を入れられる機能がついていて、ほんとうに感心する。日本の家電って、ほんとにすごいです。本当は今日も天気がいいし、例によってオープンハーツさんが教えてくれた2004年の開運ポイント通り、どこか温泉に出かけたくなって困ったのだが、同僚の家からの帰り道にゆっくりランチを食べ過ぎて断念。代わりに、「温泉にいったつもり」で夕方からワインを開け、「温泉にいったつもり」で近所に夜ご飯を食べにいき、「温泉にいったつもり」でゆっくり何度もお風呂につかった。これがまた思いのほか気持ちよく、これからしばらくは「行ったつもり」が流行しそうです。そう。たまこがやってくる前には、10日に1度は通わざるを得なかった近所のおいしい魚の店に、たまこが生まれてから初めて、3人で行った。そこはうちの実家の酒飲み家族にも紹介したら大ファンになってしまい、実家の家族とは2回ぐらい来ていたのだけれど、シャチョーとたまこと3人は初めて。しかも、たまこは前半ほとんど寝てくれていたので、ゆっくり堪能できました。おいしかったー。寒ブリと生タコの刺身!鯛ちり!土鍋で炊いた鯛めし!早掘りタケノコ焼き!いやーー、ほんとにおいしくて、堪能し過ぎて無言で食べ続けた。おいおい。というわけで「行ったつもり」の1日、課題は温泉のもとをどうするかである。最後は本当にどこの温泉に行きたいか、本を見ながらあれこれ話して終わった。明日の朝電話してしまいそうで怖いです。。。。
2004年01月10日
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うわー、もうどうにも眠くてたまこと一緒にしばらく寝てしまうクセがとまりません。体としてはとってもいいことなのですが、シャチョーとしゃべる時間がない。。。。早寝早起きの皆さん、パートナーの方とのコミュニケーションはいつどうしているのか教えてくださーい。うちはとくにシャチョーがおそねおそおきなのだった。復帰2日め、相変わらず電話につまり、転送機能があったことを忘れて職場の中を走り、名刺と手帳を忘れ、といろいろやってますが元気です。今日は、敬愛する助産婦・魔女T先生に教わっていた通り、ホメオパシーのポースティーラというレメディを時折飲んでいたので、胸も昨日ほどはらずに済みました。ポースティーラを飲むと、母乳で出るはずの水分が尿になってくれるんだそうです。臨時でお子さんと離れなくてはならない母乳マザーズにお勧めです。「離れるときは子どもじゃなくて自分に飲ませるのよ!」という魔女の一言が心身にしみます。いろいろ説があって、母子分離に効くというポースティーラを子どもに飲ませ続けるとかえって執着が深まる場合がある、と魔女は言っていたので、たまこには飲ませるのをやめています。まだ毎朝泣いてるけど。そういえば、保育園の迎えをいまのところ7時に設定しているのだが、こうやって仕事の終わり時間が決まっているのはいいですねー。集中できて。そのうち7時じゃきかなくなってくると思うんだけど。でも7時だと夕食がでないので、夕方用の軽食を朝準備しなくてはならず、これが朝の戦闘状態に拍車をかけている。今日はおにぎりとバナナとパンとスープを持たせたら、おにぎりとバナナを食べて元気よく帰ってきた。おかげで夕食食べないし。。。難しいなあ。何を持っていかせたらいいかなあ。軽食問題はしばらく悩みそうです。<今日の分かち合い:やっぱりブランデーだ!>バッチフラワーのボトルを作るとき、エッセンスを入れるベースの液体を何にするかでいつも迷ってしまうのですが、いまは先月末の勉強会で作ってもらったブランデーベースのものを飲んでいます。これが寝る前に飲むときとか、4滴でもおいしい!つい飲み過ぎちゃう!(おいおい)他の人は、ビネガーとか、あとピンクの薄い液体。。。あああ、いま思い出せない、で作ってもらっていました。ピンクのはほんのり甘いみたいでした。って、ああ、分かち合いになってないな。。。
2004年01月06日
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