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夏休みに入って、ま~ったりと暮らしています。塾がないってこんなに気楽なんですね。ぼ~っ このままだと、親子で休みボケです。tomoは、毎日毎日友達と遊んでいます。塾がないから何曜日でも遊べる天気がいまいちなのが、ちょっとかわいそうなんですけど。考えてみると、中学受験って、がまんの日々なんですよね~。見たいTVをがまん。友達と遊ぶのもがまん。ゲームもがまん。ぼ~っとすることさえ、がまん。なんてことさせてるんでしょうね。うちは、本人が受験も通塾もすると言いだしたことですが、そのお膳立ては間違いなく私達親です。ここにきて、「自分でやるっていったでしょ。」はないですよね。やっぱり、みんなでそうしようと決めたことなんです。でも、いろんなことをがまんするのはやっぱり本人なわけで。わかっていてもいろいろ溜まってるものはあると思います。中学受験が向いているか否かって、がまんできるかどうかなのかも。時間はみんな平等だから、優先順位をつけなきゃいけない。したい事を全部やることは土台無理なんです。受験勉強の順位がどこにくるのか、それによって生活も随分変わるはず。そして、その順位はやっぱり子ども自身が決めるものだと思うんです。そうしないと、うまくいかない。tomoにとっての受験勉強の順位はかなり上にあるとは思います。でも、この1週間は最下位まで転落してますねまぁ、近いうち夏期講習が始まりますから、また気合い入れてもらいましょう。
Jul 24, 2009
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新聞で観ましたが、ブログ人口って2700万人くらいいるそうですね。宣伝ブログも多いから純粋な日記がどれくらいかはわかりませんが。でも、もしブログがなかったら、外野の状況もわからず暮らしていたに違いないです。ネットがなかったら、これほど情報の中にいないんでしょうね。しかし、入塾してよくわかりましたが、手軽に入手できる情報には限りがあるってことです。しかも、ネットに流れてる情報には多分にそれを書いている人の主観が入っているということ。もちろん、私のブログもそうです。思ったことをきままに書いているだけ・・。気ままに綴ったことでも、その記事が持つ影響は、これだけネットが普及しているとどこまでなのかはかり知れず、とても怖いです。例えば、問題集の売れ行きなんて、かなりネットに依存しているように思えます。塾の評判というのも然り。どこかに何か情報が載れば、あっという間に広がります。上の学年のことを思うほど、塾の情報はあまり書く気になれません。お金と時間と体力を使って、がんばって通塾されている方々のことを思うと、安易に書いては申し訳ないと思ってしまうのです。ブログを始めた当初は、今ほどブログというのが当たり前になっていなくて、書きたい事をもっと気楽に書くことができました。今はかなり慎重にならざるを得ない状況だと思っています。長くブログを書いている人ほど、きっと同じように思われているのではないでしょうか。ブログの良さがだんだん薄れてしまっています。宣伝ブログとか、わけわかんないし。なんかそんなこんなで、何をブログに書けばいいのかわからなくなってきました
Jul 15, 2009
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先日、学校の授業参観がありました。普段地域に貢献していない私は、こんなときくらいしか会わないお母さん達がいっぱい。数人の方に声をかけられましたが、その内容がみんな同じ・・。「tomo君、塾行ってるの?」あー、キター別にもう隠すつもりは全然ないので、いいんですけどね。でもなんかめんどくさいです。特に、興味本位で聞いてくる人には話したくないですね。どーせ、どこかで話のネタにされるんでしょうから。受験する人がとても少ない学校なので、目立っちゃうんですよね。先生方も、塾行ってるから出来るみたいに誤解するし、嫌になっちゃいます。それは、逆なんだけど。適当に話をごまかせるお母さんたちは、塾に通ってないし、通わせるつもりもない方々なのでどうとでもなるんですけど、問題は本気のお母さん。入塾のときも、ぜひ自分の子と同じ所に通ってほしいと頼まれたんです。自分の子が刺激を受けるから是非にって候補の一つではありましたが、tomoがそこは嫌だと言っていたし、嫌な理由の一つがその子と一緒は嫌ということだったので、候補から外れました。家からは一番近かったのですが。その後もう一人、今の同級生がそこに入塾したようで、やっぱりやめて正解でした。後から入った子は、tomoと学力的に近いと思うので、なおさら。そんな風に、安心して今の塾に通わせていたんですけど、つい最近ごくごく近所の子が2人も通っていて一人は同じクラスと判明しました。ショック~近所だけど、学校が違うからわからなかったんですよ。出来るだけ知られずに静かに暮らしたかった・・・←過去形。せめて、直接話す機会など来ませんように。アーメン
Jul 13, 2009
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前回の記事の続きです。結局のところ、tomoの学校の先生達からは、先生というオーラを感じないんです。なんていうのかな、プライド・・・とか。感じてくるのは、諦め・・・。教師自身が、あきらめちゃってる。学校にも生徒にも、愛着がない。うちの学校の先生は気楽ですよ。何しろ、毎年クラス替えがありますから、無事に一年過ごせればいいんです。結局、それなんです。出来なかったことは、次の学年へ丸投げ。投げ続けて、最後は中学へ丸投げ。従って、中学も低レベル。英語の授業なのに、全然英語が聞こえてこない授業をしてるような学校。勉強するのは学校じゃなくて塾。優秀な生徒は塾で作られる。じゃあ、底辺に厚いのかと言うとそうじゃない。底辺は補習塾が救ってる。それが現実。あゆみなんて、必要なのかな。自分の子がどこまで出来ているのかわからない通知表。それは、テストで判断してくれということでした。あのカラフルな業者テストで一体何を判断しろと?笑っちゃいます。
Jul 8, 2009
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”あゆみ”と呼ばれる通知表の付け方が変わるようです。今までは、学校独自のものを使っていたそうなのですが、標準的な仕様に合わせるのだそうです。保護者会で話がありましたが、なんとも歯切れの悪い説明でした。だって、教師自身が付け方をまだ把握しきれていないのですから今まで単元別だった評価が、総合的なものになっているようです。だから、とてもわかりにくい。やたらと、「進んで~している。」と言う文字が並んでいます。”意欲”が重視されるみたいです。例えば、足がいくら速くても、ちんたら走っていたら評価が下がり、いくら遅くても、努力していれば評価が上がるそうです。跳び箱でいくらクラスで一番多く飛べるからと言っても、次へ挑戦しなければ、それは努力していないと低い評価を受けるんですって。飛べなくても頑張っている子がその子より高い評価を受けることもあるそうです。これは、学習も同じこと。いくら出来ていると言っても”努力”していないと評価は悪くなります。いくら出来が悪くても一生懸命努力さえしていれば、良い評価がつくそうです。だからスラスラと問題を解いていては、評価されません。がんばって努力している姿が、評価されるのです!新しいあゆみの求めているところって、努力なのか結果なのか。抽象的な表現が多くて、よくわからないのです。保護者から飛び交う質問の中、担任が言い切りました。”努力” だそうです。結果が悪くても、”努力”した子がすばらしい。結果が良くても、”努力”しない子はだめだ。そう、担任が言いましたから!ボケた態度でいても全く問題なく解ける問題を、永遠に続くと思われるお経のような授業の中、進んで努力して勉強する子どもって・・・・・・・悟りを開いているお子さんしかありえませんが!高い意欲を持って学習に取り組める授業を求めてはいけませんか?公立だからあきらめないとダメですか?だったらあゆみなんて、要りません!だって・・・・・・・・・担任自身が「あまり参考にはならないんですよね。」なんて言ってるんですよ。家庭訪問だって「まぁ、災害の時にどこに家があるのかの確認くらいで。 だから 玄関先で失礼します。」なんて感じだったんですよ。こんな大人に評価されてしまう子どもたちって、不幸としかいいようがありません。tomoに、どっちがいいか聞いてみました。「どっちでもいい。別に。」既に興味がないみたいです。いちいち怒っていたら、通えないですもんね。うちの学校の体質にすっかり慣れ、子どもは割り切りを覚えました。たまに行く親の私は、さっぱり慣れません聞けば聞くほど、うわさ通りのレベルの低さがわかってしまって道の向こうへ越境したくなります。(道の向こう側は別の街なのです。)努力が評価されるのは長く見ても、公立中学まで。高校受験からは結果。中受する子は、既に塾のテストの度に結果が出て、大勢の中の自分の位置を知ってしまう。今の子どもは現実に近い場所にいるのです。勤勉なだけでは生きていけないのに。だいたい、努力していると思えない授業の中、どうして子どもにだけ努力が求められるのでしょう。自分が小学生の時は毎日プリントを先生が作ってくれたり、毎日漢字の小テストをしたり、先生がマメに勉強につきあってくれていました。tomoには全くありません。去年の先生は、漢字の書き順すらやりませんでした。書き込みドリルに子どもが勝手にやるだけ。だから、漢字が出来ない子が続出しました。こうして、ますます学力差がついていってしまう・・。あゆみを直す前に、学校の体質を治してほしいです!(注:直すじゃありません!)
Jul 6, 2009
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