スズランさんとお話したこと

2004.09.01
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先日ガンで亡くなったネット知り合いは最後のほうで自分の掲示板にこんなふうな書き込みをした。


みんなに問いかけたのはたぶんこれが最後で、彼からのはっきりとした返事はなかったと思う。
もうどうしていいか誰にも本人にもわからなかったと思う。
その書き込みで何より胸に迫ったのは「目をそむけないで」というひとこと。

ネットというのは会った事もない親しくもない人を身近にしてしまう。
彼は医者で病状、家族への思い、経済的な貧窮、死への恐怖、普通なら知り得ないことが、あからさまにあけすけにこちらに伝わってくる。
そんなことは他人の私が知ることじゃない、知っては申し訳ないという気もちが、目を背けさせる。

でも、ここで黙ったら、絶対に後悔すると思って必死に考えた。


何かになろうと思うだけなら、とてもたやすいこと、いつでも誰だって思えるんだから、本当にそのこと自体はたいしたことじゃない。
そこで、はたとある疑問が浮かんだ。
「私が絵描きになれることと、私が元気になれること、どっちが可能性が高いんだろう?」

考えたこともなかったけど、なんとなく私はそのうちに元気になれるとずっと思っていたので、始め、絵描きになることが難しそうに一瞬思った。
「けど、待てよ。この曲がった関節が動くというのは不可能ではないのか?」

!!!これって、世間で不可能だと思われてることじゃないの?
絵描きになることに不可能はないけど、変形した関節に不可能はある!
えええ~~~(@_@;)
そんなに困難なのぉ???

ここで初めて、重い病気の人に「生きよ」と願うことがいかに不可能を可能にする挑戦なのか、私は理解したと思う。
普通の人は生きてるのが当たり前だから、なんでもないことなんだけど、それが不可能への挑戦であること、困難を極めること、何を意味しているのかやっと理解したように思う。


そのことがわかったところで、私の精神の糸は切れたと思う。
目をそらさないでいた最後の地点。
「元気になること」「生きることを楽しむこと」これが私の先生への決意。


私の日記はいつも自分さえわかればいいと思って書いているので、自分のわかってしまった忘れないことはもう書かない。
今日は誰かのために、自分のわかったことが役に立つかな?と思って書きました。

迷わず成仏してください。
けど、見守ってもいてください。
どうもありがとう。

つけたし
で、私はやっぱりほどほどには元気になれそうに思えて仕方がないので、それが極めて可能性の低いことであるなら、絵描きになるのも楽勝のようにしか思えない。
つまりどっちもいけるだろうとしか思えない私(^^)
未来は明るいとしか思えないということ。

トウモロコシの絵です
トウモロコシ(ハガキ)

昨日より絵も出来がいい(^^)
今度こそと消しゴム印を押しまくったら、力入れすぎ、つぶれてる(^_^;)





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最終更新日  2004.09.29 16:08:18
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