スズランさんとお話したこと

2004.09.20
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蒸し暑いなあ。

前に日記に「自分が悪い」という考え方を受け入れてみてはということを書いた。
そしたら、「自分達は悪くないと思って生きてきた」というお返事をいただいた。確かに、そうだと思う。
私がその人の立場なら、「悪い」なんて思ったら、ただ打ちのめされるだけだと思う。


心の本質、魂?、自分が意識できない自分で、けれど本質的に私をつさかどるものがあると私は思ってる。
ごくまれにその声が聞こえることがあるから、たぶんあると思う。

自分では意識できないので、これは想像なのだけど、この本質はかなり善のような気がする。
自分で驚くほどのとんでもない善。
それが人の正体だと、ひそかに思ってる。

その善なるものが、私に「違う」と言ってくる。「間違い」とか、「NO」とか、そんなことしたくないとか。
そういうことを私は「私が悪い」と表現していると自分では思う。
「罪」でも「罰」でもなく、人や自分に責任があるという「悪」でもなく。
(ずっと考えたけど、全然考えたりないのかもしれないけどね)

で、それは、生死を超越して善なので、この世の苦労や痛み、生き死にをなんら問題にしていない。
たとえどんな苦労の伴う一生であろうと、悲惨であろうと、病気や障害で苦しもうと、嫌なこともつらいことも「選択」してくる。

ハンデを背負うことは自分の本質が選んだ選択だと思います。
そして、自分の意識では、悲しかったりつらかったり、もっとひどければ、怒りや恨みを持つけれど、本質はそれを持たない。


話が極端になるけど。
何か犯罪や事故に巻き込まれたりして、とても理不尽に悲しい目にあったとしても、どこかで、自分の意識を切り離さねばならないと思ってる。
自分は曇るけど、本質は曇らない。


孔雀草に似てる花<br />
?の絵です
上を向いて咲こう(ハガキ)

昨日と同じ花。
今日の気温、何度なんだろう?運動会、暑いだろうな。






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最終更新日  2004.09.29 16:30:12
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