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遅刻うさぎ☆

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Feb 14, 2005
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カテゴリ: カテゴリ未分類
提出日



 一応の形式だけ整えて、むりやり提出。


 梗概は、朝学校に向かいながら電車の中でノーパソでつくりました。(いいかげん><)

 梗概の締め切りが正午で、ゼミことにまとめるので、11時集合の約束だった。
 遅刻魔の私は、11時過ぎに着くぐらいの時間に、家出た。
 ら、電車、止まりすぎ。。。

 埼京線が止まってて、結局大回りすることになりました。

 駅からタクって11時半に学校到着。






 でも、論文は終わってなくて。

 先生によって締め切り時間が違うんですよ。

 それぞれの先生が帰る時間が締め切りのようなもので。

 主査の先生と副査の先生に出さなければならなかったのですが、主査の先生には手渡しできませんでした。
 先生が帰るまでに終わらなくて。
 先生の机の上に置いておくように言われました。

 副査の先生には一応渡しました。
 「薄いね」と言われました。
 「修士論文でこの薄さは・・・・」と。
 その後で、先生が「厚ければいいってものじゃないけど、要は内容だから。」とフォローもしてくださったのですが、
 「すみません。内容も薄いです」とちゃんと言っておきました。でないと、あまりの内容の無さに、読んでから腰ぬかされそうで。




 調べも中途半端で、考察や分析が「感想」レベルで・・・。
 全然「論じて」ないから。

 書き直します。発表日までに。。。パワポもつくりつつ。。てか、論文ちゃんと「仕上げ」ないとパワポつくれないけど。。。


 私はいつもビハインド(提出日に間に合わなくて、後日提出する)ばかりで・・・・卒業までに、その癖を直したかったのだけど・・・・て、まだ卒業できるか分かりませんがorz


7年前のデッサン画

 論文を持っていったら、副査の先生に、大学1年のときの課題を返されました。2枚の建物のデッサン。ビックリ。7年前の課題がまだ保管されてたことにも。


 一枚はほぼ完成しているが、雑。もう一枚は、ものすごく丁寧だけど、未完成。昔から、自分はかわってないな~、と思った。「きちんと完成させること」がてきないのだ。

 これは、「日本の建築と西欧の建築のデッサンをそれぞれ1枚ずつ描く」という課題でした。
 私が選んだ二つの建物は、いづれも寺院で、そのことにもすこし笑いました。
 雑なほうは日本のとある五重の塔で、提出日に授業中、写真集のような本を見ながら、必死に書いたのを思い出しました。
 丁寧な方は、パリの宗教施設で、すごくすごく丁寧に、時間をかけて描いていたため、直前になって残りを雑に描いてしまうのが嫌で、未完成のまま提出したのでした。


バレンタイン

 ゼミ室にチョコレートが沢山置かれていて、「そういえばバレンタインたっだ」と気づいた。
 提出日がバレンタインなのは、毎年のことで。でも実際その日になってみると、テンパってて、完全に頭から抜けていた。

 ゼミの先生にチョコあげてる子も結構沢山いた。
 私もコンビニに走ろうかとも思ったけど、論文がズブズブだから「ワイロ」持ってきたのか、と思われそうな気がしたので、やめた。

 今日はゼミ室にいろんなお菓子があった。

 チョコ数種に、なぜか大量の「うまい棒」。
 ゼミ室ってそういうものなのかも知れないけど。
 冷蔵庫もあるし。
 レンジもポットもオーブントースターもあるし。
 昔は炊飯器もあったらしい。
 卒論や設計の提出まえになると、毎年何人か住み着くので必需品なんですが。

 あと、何故か酒がある。というか、酒をゼミ室に放置しておく人が多くて、なにかの拍子にどこからともなく出てきて、よくゼミ室で酒盛りが始まる。

 ・・・・・とこれは余談。


論文のこと

 右脳と左脳の原理。
 どっちがどっちだか忘れたけど、感情と論理的思考は別物、ってことなんだと思う。

 どうして、うまく論文が書けなかったのか。

 それは、私が常にこの二つを混同しがちであるから。
 というよりも、私自身が「感情型」に寄り過ぎた人間だからなんだと思う。

 面白いテーマをみつける。ここまでは感情でいいのかもしれない。
 でも、わたしは全てを感情と結びつけて考えたがる。だから「結論」が「感想」になる。

 パターンに分類して、数値的に分類することが無意味だとは思わないし、この方法が説得力があることも事実。でもどこか機械的な気がして、その裏にかくされた有機的な要素が見落とされそうで、私は好きではない。

 (・・・・何言ってるのか自分でもわからなくなってきた・・・)

 例えば、「快適な空間」について研究するとする。
 「快適な」は感情。しかし、それが研究対象をなると、「快適さ」を与える要素が抽出されて、その要素についての分析が成される。この時点でこれらの「要素」は感情を伴わないものとなる。分析は論理的に行う。
 これが正しい研究のありかた。

 私は、たぶん「快適さ」の感情の部分の定義づけにこだわりすぎるのだと思う。そして、要素をつねに感情と結びつけて考えてしまう。だから、「感情」的なものを「論理的」に分析しなければならなくなる。感情と論理的思考は全く別の原理属するものだから、この分析方法はそれ自体に矛盾を生じる。
 だから、うまくいくわけが無かったんだ。

 と、いうことに、帰りの電車の中で気がついた。



 とても興味があるテーマだったのだけど。

 全然うまく進まなかったのは、自分の努力不足に加えて、こういう理由があったからなのかもしれない。


 そういえば、卒論のときも、私は感情的な部分に着目しすぎた。後日、冷静になって自分の卒論を読み返したとき、その結論をみて、なんてひどいこじつけだろう、と感じた。
 論文じゃなかったのだ。

 でも、私は困ったことに、このような論文にならないようなテーマにしか興味を持てない。

 科学の最先端の研究とか、そういうものにはロマンがある、ような気がする。未知の領域というのは、それだけで人を魅了する力があるから。 実際の現場はそんなに甘いものではないのかも知れないが。

 でも、私のような二流の人間が、二流の研究をしようとしたとき、無味乾燥して見える対象物に手っ取り早く色を与える方法が、感情を持ち込むことだったのだと思う。




 極論だけど・・・
 たとえば、「有機的なもの」だとか、「自然」だとかのそのものやその原理をを人工物をつくる際にとりいれたがるのは、いつの時代もよく見られること。人工を自然の反意語とみなし、相反するものととらえるのならば、そのどちらか一方の限界を突破するにはもう一方の要素を取り込もうとするのが手っ取り早い。「自然のものには人工物には真似できないよさがある」とかいう、その人工物が抱えた限界を。また、その逆も。農産物に肥料加えたりするのが、その例といえるんじゃないか、と。

 で、似た様なことが、感情と論理の世界の間にも言えるのではないか、と思う。
 相反するものは、お互いに、自分にはないものを相手に見出し、己の限界を感じる。そしてその限界を突破するために、相手の一部を取り入れたがるのだ。








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Last updated  Feb 15, 2005 01:44:30 PM


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