エーゲ海クレタ島クノッソス
「エデン」の語源、古代アッシリア地方のステップ~
1881年生れのバルトークはリヒャルト・シュトラウスより17歳若い作曲家である。ハンガリーの作曲家バルトークは、ハンガリー民謡をもとに個性的な曲を書き残している。東欧の民謡研究に熱心であった彼は旋律の開放感を得るための表現としてピタゴラス音階を駆使したと言われているが、ハンガリーの民俗的源泉の中にはその音階と同種類の旋法が含まれていた。
ギリシアの学者ピタゴラスは意外な所にまで影響を与え続けていたのである。それは我国の音楽にも波及し西洋の先進音楽を早くから学んでいた伊庭孝もその洗礼を受ける。雅楽の十二音階の基である中国の古代音律をセント数で音を詳細に分析している。セント単位は平均律音階において半音の百分の一の音程と決め、一オクターブを1200セントとする。
完全五度音程は七律で完全四度は五律として、古来より日本で使用されていた三分損得の基準価に照らし合わせた。
「大呂、夾鐘、仲呂、夷則、無射、等の半音は七律の間に正しく中央に存在している訳ではない。中央よりも稍や上の位置にあるので、一律或いは半音といっても下の音から見れば114セントだけ高く上の音から見れば90セントだけ低い。この区別は五度律系統の音階からは当然生じてくるのだがピタゴラス音階においても、この半音があって、大きい方の半音はアポトーメ、小さい方はリンマと名付けられる。
前者を嬰律、後者を變律という。かく半音の位置が真の中央でないというだけの事を見ても、この十二律がピアノの黒白の十二鍵とは似て非なるものである事は容易に了解し得られるのである」。伊庭孝なくして、その解析は不可能である。
バルトークの旋律表現としてピタゴラス音階、ハンガリーの民俗的源泉の中にあるピタゴラス音階と同種類の旋法、そして伊庭孝によって十二律をピタゴラス音階と対照した分析と、ピタゴラス音律は音楽を語るとき、一定の基準として比較対象に用いられる。
いまでもギリシア文明の知的遺産は何かにつけ引用される。神話といえばギリシア、哲学幾何学といえばギリシア、そして星占いといえばギリシアの名が登場しているが、西欧の歴史を訪ね歩くとまず「ギリシアありき」で始まる。そこにメソポタミア、ペルシア、クレタ島などの文明が端緒的に語られることはない。
哲学の祖タレスはギリシア圏内に含まれ七賢人の一人とされるが、当時ギリシアの植民地であったイオニアのミレトスに生まれている。その後の哲学自然学派の多くはタレスを基盤として学問を究め、それに続くが後世に名を残した人物の多くはギリシアより輩出する。
時代的な背景を考慮してみると、それは紀元前のルネサンスというべき栄華を誇った時代である。周辺諸国に培われていた叡智が集中的にその時代にギリシアへ吸い寄せられた観がある。
エーゲ海クレタ島クノッソス
エーゲ海の南部に浮く大きな島、クレタに古代ミュケナイ文明があったことはあまり知られていない。
太古より神の請託を受けたクレタ島は、かつて青々とした緑の樹々が生い茂りアーモンド・オリーブ・クリ・クルミ・カリン・ザクロなど果実がたわわに実り、古代の島の人々は芳醇な香りに包まれていた。
クノッソス宮殿跡は文明の幻影を今に伝える。ミュケナイ文明の別称ミノア、そこには青々とした緑の樹々がエーゲ海の潮の匂いとともに生い繁り、人々は豊かな秋の収穫を神に感謝し祈りを捧げた。それはこの世の楽園を映し出していた。
現在、クレタ島で野生化したそれらの樹木から今でも果実を採取している。そのことが数千年前の歴史を知る手掛かりであることは、人々のあいだに伝えられた言伝え伝承とともに、より雄弁に歴史を教える場合もある。ミュケナイ文明はクレタの伝説ミノス王を称えたミノア文明であった。そしてクノッソス宮殿遺跡はミノア文明の栄華を今に伝える。
クレタ島の伝説によれば、王は祭司にして領主、保護者にして救済者である。九年間ミノスは王として君臨した。
クレタ島の王ミノスはゼウスの息子とされる。ゼウスはギリシア神話の最高神で天空を支配する神だ。
ミノスが「おおいなるゼウスの仲間」とする説、紀元前九世紀頃、ギリシアの盲目吟遊詩人ホメロス著・伝とされる長編叙事詩『オデュッセイア』にその記述がある。またメルヘンの一つ英雄伝説の火の神が大杭を焼いて巨人の目に刺して盲目するという話は『オデュッセイア』が沢山の説話を集積したものと解されている。
クレタに隣接する島、キプロス島の神殿には前屈みの女の像が見つかっているが、それは生殖に関する呪術儀式ともみられ古代の呪儀的要素を現す。その奇異な女の像の容姿からある説が生まれた。娘は好奇心のおもむくままに窓から覗き、その時神に襲われたとする神話がアナクサレーテ神話の主要な筋書きである。
娘は恋人に対してつれない意思表示をしたために相手が死に、そのことに何の感情も示さず、恋人の葬列が通過するのを窓から覗いているだけだった。石の心をもったアナクサレーテは石像になり代り、不滅身体の化身として娘はアプロディーテの神殿の神となったと伝えられる。
ギリシア神話には果実と神の関係が頻繁に登場する。ホメロスの『オデュッセイア』に登場する王アルキノオスの果樹園を語った中にナシやザクロ、リンゴやイチジクなどの樹々、樹液をいっぱい蓄えたオリーブなどが育っていた、と記録している。ギリシアのその時代すでにイチジクが栽培されていたことを物語っている。