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★
欧州危機支援のイメージ
(論旨がバラバラです)
欧州債務危機で国際的支援を受けた5ヶ国
| 国名 |
GDP (10億ドル) |
政府総債務残高/GDP |
失業率 |
被支援額 (億ユーロ) |
支援を 受けた年 |
|---|---|---|---|---|---|
| スペイン |
1406.9 |
97.7% |
24.5% |
413 |
2012年 |
| アイルランド |
246.4 |
109.5% |
11.3% |
675 (850の数字あり) |
2010年 |
| ギリシャ |
238.0 |
177.2% |
26.5% |
3,260 |
2010, 2012, 2015年 |
| ポルトガル |
230.0 |
130.2% |
13.9% |
780 |
2011年 |
| キプロス |
23.3 |
107.1% |
16.2% |
100 |
2013年 |
<資料:読売新聞、世界経済のネタ帳など>
★
NATO,EU,ユーロ圏加盟国一覧表
外務省資料から
>
★
< ヨーロッパの歴史抜粋 >
古代ギリシャの繁栄、
古代ローマの繁栄とイスラム勃興による地中海世界の没落、
ゲルマン民族(フランク族:(支配 主 は独))によるローマ帝國復活
(西方地域ではレコンキスタで独立してイスラム勢力追放)
神聖ローマ帝國(主に独)・・・「永遠のローマ」
キリスト教の東ローマ帝国(ビザンツ帝国:首都=コンスタンチノーブル)
★
<古代ギリシャ>
BC2600年頃に小アジアに青銅器文明のトロイア文明、
BC2000年頃にクレタ島に線文字Aのミノア文明、
BC1500年頃にペロポネソス半島ミケーネ・ティリンス」に線文字Bのミケーネ文明が栄えた。
イオニア人はBC2000年頃エーゲ海北部、小アジアに住み着く。
アカイア人はBC1400年頃ペロポネソス半島からエーゲ海に進出し、
ミノア、ミケーネ両文明を滅ぼしたが、半島北部から南下したドーリア人がアカイア人の
領域に進入。
ギリシャ都市国家群(ポリス)はBC800年末には、ギリシャ西南部、エーゲ海の諸島、
アナトリア半島西海岸に拡がり、地中海世界全体の植民を行った。
第二の本拠地と言われるほどの地域(マグナ・グラエキア)はイタリア南部とシチリア島にある。
ペルシャ戦争(BC499-BC449年)のなかでアテナイとスパルタが連合して戦う。
ギリシャの重装歩兵の密集戦術が優位に立つ。BC5世紀中頃ーBC4世紀中頃までに
ポリス覇権はアテナイ→スパルタ→テーバィと移った。
BC4世紀中頃には、北方のマケドニア王国が優勢となり、BC338年の
カイロネイアの戦いでアテナイ・テーバイ連合軍が敗れるとポリスの独自性は
失われていった。
(これ以降は、マケドニア王国のアレクサンドロス大王がアケメネス朝ペルシャを
征服し、大帝国を打ち立て、古代ギリシャ文明、古代オリエント文明を融合した
ヘレニズム文明が2世紀わたり各地に拡散し、後の古代ローマにも影響を与えた。)
★
古代ギリシャではポリス単位が互いに対立したが、自らはギリシャ神話を共有し、
共有の祖先をもち、共有の言葉を話すものと考えた。
日常の仕事は、女性や奴隷に任せて、市民交流、ギリシャ哲学、科学などに
励んだ。土地が瘠せて、地中海気候のため耕作を1年ごとに行う農業しか出来ず、
植民地での小麦生産を必要とした。オリーブ、葡萄、野菜の栽培は盛んに行われた。
★
<古代ローマ建設>
BC6世紀・・・王政廃止、共和制樹立
BC367年・・・貴族・平民の平等
(BC336~BC323年・・・アレクサンドロス大王の大遠征)
BC312年・・・アッピア街道などの軍事拠点整備
BC272年・・・ イタリア半島南部に居住するギリシャ人都市を降伏させる
BC264~BC241年・・・第一次ポエニ戦役、対カルタゴ(アレクサンドロス帝國の後継)
BC218~BC201年・・・第二次ポエニ戦役、対カルタゴ
BC215~BC205年・・・第一次マケドニア戦争
BC200~BC197年・・・第一次マケドニア戦争;マケドニア敗北、
BC146年にマケドニアは属州、ギリシャもコリントスの破壊と共に属州アカエアとなる
BC149~BC146年 第二次ポエニ戦役;カルタゴ滅亡
★
< 古代ローマ人の特徴 >
・ゲルマン人(ガリア人)よりは小柄
・カルタゴ人(フェニキア)の商業交易力を学ぶ
・エトルリア人のアーチ型建築技術を学ぶ
・ ギリシャ人から学問、文芸を学ぶ
・ローマ人は土木建築技術に優れ、
「宗教的敬虔=ピエタス」さに優れ、
規律・法典作成能力、規律遵守が高く、
「パクスロマーナ」に見られるように、
強圧な征服後は、征服地の宗教、言語、法慣習などに
万民法を認めた。
ローマ市民だけには「ローマ市民法」を適用した。
★
<古代ローマの没落>
・穀物、オリーブ、葡萄などを入れる交易の壺が遠隔地から流入
・皇帝にローマ人でない、ラテン語を話せない非・伊人も輩出
・ローマの地位が低下し、属州の地位が相対的に上がる
・異民族が平等の市民権を持つようになると、逆に「差別意識」が顕在化
★
395年にローマ帝國が東西に分裂、ギリシャ地域は東ローマ帝国領となる。
東ローマ帝國の公用語はギリシャ語であったが、皇帝ほか支配層は
自身をローマ人と捉えた。ギリシャ化した(東)ローマ帝國との見方がある。
ただ、地理的には東ローマ帝國は、アナトリア、トラキア、マケドニアが中心地で、
ギリシャ地方は辺境地でスラブ、アラブなどの民族の侵入に脅かされた。
1204年、第4回十字軍がコンスタティノポリスを占領するや、東ローマ帝國は
崩壊した。 コリントス以外のギリシャはアテネ公国など十字軍国 家が乱立した。
アナトリアに遁れたギリシャ系ニカイア帝国によって1261年東ローマ帝国は復活。
14世紀以降はオスマン帝国が伸長し、東ローマ帝国が1453年に滅び、
369年間にわたりオスマン帝国の統治が続いた。1821年ギリシャ独立運動開始、
オスマン帝国・エジプトに対し、英・仏・露が介入、1829年ギリシャ独立。翌年
列国が利害排除のために、
バイエルン王国から国王を迎えてギリシャ王国が成立。
1946~1949年:内戦
1967~1974年:軍事政権
1974年:君主制廃止、共和制
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<現代の ギリシャ 危機と EU >
・ ギリシャ の財政破綻(古代の栄光の甘い夢で借金生活慣れ)
・ローマ帝國→神聖ローマ帝國→ ドイツ =「 EUの中心であるべき 」感覚
(中心の独首相、その仲間ポーランド人EU大統領、伊人ECB総裁)
・ 英国 (自国から離れた元・海外植民地をもつ)=「EU辺境」意識
・
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WebのWIKIPEDIAなどから
バラバラと並べてみましたので、
イメージを描いてください。
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