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我が家の3匹のコドモ達。ブルーグレーの毛色のはなちゃんは8歳(♀)。トラネコのみいみは6歳(♀)、一番下は4歳で白とオレンジのたろくん(♂)。3匹に血の繋がりは無い。子猫の引き取り手募集の新聞記事を見つけ、譲り受けたはなちゃん。会社の近くでお祭りがあった時、地元の動物保護施設がブースを設けて子猫や子犬の引き取り手を募集しており、そこで同僚が子猫を引き取っているのに触発されて衝動的に引き取ったみいみ。そして同じ動物保護施設から、別の同僚が妊娠しているシャム猫の里親を引き受けていた間に生まれたのがたろくん。類別するなら、3匹とも"American Domestic"=アメリカ生まれの雑種ネコである。3匹には前足の爪が無い。アメリカでは、Declawingと呼ばれるネコの爪取り手術が一般的に行われている。これにはアメリカ国内でも賛否両論があり、痛そうだし可哀相だし、私自身も最初はとても手術を受けさせる気にはならなかった。けれど、習性とは言え、確かにネコの爪とぎにはチョットばかり悩まされる。はなちゃんもみいみも大概決まったところでやっていたけれど、そのターゲットになった場所はボロボロ。市販の爪とぎ用の板を買ってあげたりしたものの、躾の仕方が甘いのか、なかなか使ってくれなかった。たろくんを引き取ったときにかかった獣医は、Declawingに関して推進派であったように思われる。もとい、Declawingのみならず、そこは全てにおいて積極的に手術を薦める感じのところで、まだ生後1ヶ月を少し過ぎたばかりのたろくんの避妊手術も、直ち行うと言う。ちょっとビックリ。他の獣医からは、避妊手術をするなら生後6ヶ月前ぐらいになってからが安全と聞いていたのでそう尋ねると、いや、全然問題は無い、寧ろ若いうちの方が良いくらいだ、とのこと。更には、Declawするなら、3歳を過ぎてしまうとネコが受けるショックが大きいので、それこそまだ小さいうちに施術すべきと言われた。そして、術後暫くは痛々しいけれど、それを過ぎれば何でも無いこと、そして、いくら家ネコと言えど後ろ足の爪は敵から逃げる手段として必要なものだが、前爪は無くても問題無いこと等説明され、それまではアンチ寄りだった私も次第に納得。結局、はなちゃんとみいみも一緒に手術をお願いすることにした。手術をした当日はお泊りとなるのだが、その翌日、引き取りに行って対面するネコ達の姿を見ると、いつも涙が出そうになる。はなちゃんとみいみが避妊手術をした時、看護婦さんに連れられてきた姿にその都度ショック。避妊手術をしてあげることはネコにとって幸せなことなのだと、どの獣医も口を揃える。それをすることによって性格的にも穏やかになり、長生きをするのだと言う。たろくんの場合は男の子なので外見的には特に変化が無かったが、女の子はお腹を切って卵巣を摘出するので、毛がすっかり丸く剃られた小さなお腹の真ん中にある一筋のステッチが、とても痛々しかった。Declawingの後も同様、いや、それ以上に哀れを誘う姿なのだ…。心なしか元気の無いネコ達。その前足はテープでぐるぐる巻き。微妙に血も滲んでたりして痛々しいことこの上無い。思わず、一匹ずつ頬ずり。「痛かったんだろうなぁ・・・(T△T)」専用のパルプ製の砂か、紙を細かく切ったものをトイレに敷き、暫くは通常のトイレ砂は使わないように指導を受ける。快適とは程遠い状態の慣れない環境でも、みいみとたろくんは程なく順応。でも、予告通り?その状況に一番適応し辛かったのは4歳になろうとしていたはなちゃん。結局、3回位は失敗しただろうか。ソファの上、ベッドの上、ダイニングチェアの座布団の上。しかもどうやら、とことんまで我慢した挙句にやってしまうらしく、人間がお漏らししたのかと思うくらいの量だ。もともとはなちゃんはとても神経質。そうでなくても人一倍(ネコ一倍?)ショックに敏感な体質だから、かなり辛かったに違いない。包帯も2週間程で取れ、その後は確かに問題は無い。飼い主である私にとっては、彼らの爪が無いことの方が間違い無く有り難い。でも、彼らにとって本当にこれが良かったんだろうかと、時々思い起こしては考えてしまう。不思議なもので、爪が無くなった今でも時々爪を磨ぐ仕草をする。それを見ると、何だか胸が痛んでしまうのだ。
Jan 30, 2006
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「ネェちゃんって、大体のことはそこそこ出来るけど、全部中途半端だよね。」(゚口゚;)ウッ・・・・・もう随分前のことになるが、9歳も年下の弟にこう言われてぐうの音も出なかったワタシ…。でも、言われて然り。実際、私って全てが中途半端。何一つ極めたものを持ち合わせていない。自分が非凡だとは思ったことが無い。でも逆に、平凡な人間なんだとすっかり割り切って生きてきたのかと言われればそうも言い切れず、いつ何時も、「私にはまだ、日の目を見ていない才能もあるんじゃないか?」「もっと自分は何かが出来るんじゃないか」と心のどこかで自分に期待し続けてきた部分も大きいように思う。実際アメリカに渡ったことも、突き詰めてみれば恐らく、自分の中に秘められた可能性を模索したいという意図があったからだ。「一芸に秀でたものが無い」齢を重ねれば重ねるほど、実はこれって致命的な弱点じゃないか?と思えてしまう。問題は山積している状態だが、現在、雇用を通じた永住権の面接待ち。確実な目処は一向に立たないが、アメリカに帰る前提では日本滞在中にフルタイムの仕事は探せない。予想以上に長引く時間にひたすら憔悴。でも、悩んでいても始まらない。新しい年を機に、この時間を利用して何らかの仕事が出来ないかと探し始めた。一番最初に求人サイトから見つけて応募した在宅の仕事は玉砕。…というより、応募からメール面接での経緯で納得が行かず、自ら応募を棄却した。(詳細はコチラ)そうか、ネットで探せて特殊技能を要求しない「在宅」の仕事に、健全で便利な条件を備えているものなどある訳が無いんだと現実が見えた気分。でも、その後数日間は必要以上にメゲてしまい、活動はのっけから休止。漸く気を取り直して今度は地元の求人を探してみた。そのうちに、ある英会話学校が通訳・翻訳の派遣業務を行っており、登録者を随時募集していることを知った。そこで、早速応募してみたところ、数日後に回答が来て登録をしてくれるとのこと。ひとまず、チョット気分を取り直す。(´▽`) ホッでも…私は「通訳・翻訳」が苦手。(´Д`) =3 ハゥーそう、これも私の「中途半端」さを如実に物語る事実だ。私の中の「通訳・翻訳」者の定義がキビし過ぎるのかもしれない。でも、そもそもの適性に欠けているのも認識せざるを得ないし、世間一般のクライテリアを満足させる実力なんて、多分、きっと無い。人の言ったり書いたりしたことを他の人に正確に伝達することがメインの仕事は、私の実力では実際無理がある。よって、これまでその手の求人は避けるようにしてきた。「自分の仕事を遂行する手段として英語を使う」ことは恐らく問題が無いレベル。その中には、「通訳・翻訳」をしなくてはいけない場面も含まれる。でもそれは自分の業務の延長であって、自分の守備範囲内の仕事。まだ知識があるだけマシだが、それでも極力避けて通りたいというのが本心だ。日本にいる人々から見れば、母国から離れて一年なり二年なりをどっぷりと英語の世界で暮らしていたら、すっかりペラペラになれると思われている節があるように思う。現実はそんな簡単には行かないのだけれど、傍から見ているとそんなものなのだろう。ましてや私の滞米生活は十余年にも及んでいる。となれば、現実はどうあれ、その事実だけでと思い込まれてしまう傾向がある。かく言う私だって、きっとそうなるに違いないという夢想を抱きつつ渡米したというのが事実だ。実際、渡米前よりは確実に表現力、コミュニケーション力は高まっていると思う。しかしながら、まだまだ時として自分自身が言いたいことさえ覚束ず、周囲の助けを必要とすることすらある。そんな状態にある中で、渡米して三年目から暫く、派遣という形態で、某日系企業にて「通訳・翻訳」としての業務をこなさなければならなかった。自分自身の知識が皆無の分野における、専門用語が頻発する中での翻訳・通訳業務は、私には「辛かった」という以上の形容が出来ない。ある時、日本から来た出張者から、メンバーに新プロジェクトの説明をするからと通訳を頼まれた。微妙にイヤな予感はあったものの、彼が期待していたのは所謂、「同時通訳」。それまで主にやっていたのは、日本人上司と米人上司の打ち合わせでのヘルパー的な通訳であり、私にはそれが限界。その会社の業務方針や個々のプロジェクト内容には少しずつ理解が深まり、専門用語にも徐々に慣れてきた頃ではあったが、新しい計画について彼が説明する内容を横で逐一通訳を入れることが出来る実力など私にある筈も無かった。よって、それはそれは居た堪れない空気の流れる中、冷や汗タラタラの、苦しく、切なく、恥ずかしい時間を過ごすことを余儀なくされた。穴があったら入りたい状況とは将にあのこと。同年代の出向者は「★★ちゃん(←私)の同時通訳事件」とかって笑い話にしてチャカしてくれたので逆に気が楽だったけれど、今思い出しても背筋が凍りそうになる。(_ _,)o尸~~マイリマシタ中には、天賦の才能とセンスを持ち合わせ、その上更に性格も社交的で、臆すること無くアメリカ人と接し、みるみる内に実力をつけてしまうスゴイ人だっている。もともとの才能に足りないところはあっても、努力と根性で短期間で高いレベルに到達出来る人々もいる。でも、私はと言えば、きっとそこら辺からして甘いのだ。持っている才能もセンスも中途半端。そのくせ自分の能力の見極めは甘く、いつもどこかで非現実的な期待をしている。そして、能力不足を認識したところで、カバーする為の努力はしない。結局、一時が万事この調子なのが私って人間なんだな、と思う。これじゃ、「一芸に秀でたものが無い」というよりは、「一芸に秀でる筈も無い」という方が正解か・・・。登録して貰った翻訳・通訳業は今のところ落ち着いている状況らしく、現段階でもまだ一つの仕事も入っていない。報酬を頂く以上は与えられた仕事に懸命に取り組み、過不足無くこなすのは当然。でも、果たして自分が相手が期待するレベルの実力を持ち合わせているのか・・・そこが不安。願わくは、相手に満足して貰える、認めて貰える仕事をしたいものだ。
Jan 29, 2006
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友人からの年賀状で、彼女が昨年12月に出産したことを知った。丁度、Gymbucks$ Couponの償還期間を利用してGymboreeへのオーダーを予定していた時だったので、出産祝いにとブランケットとボディスーツをセットで(↓)購入した。到着後、程なく郵送。荷物が到着したその日にメールをくれた友人。とても喜んでくれていた。彼女にとっては初めての子で、Gymboreeのことは知らなかったらしく、「アメリカのブランドなの?可愛い~!何だかとってもお洒落で嬉しいわ♪」と、至極気に入ってくれた様子。わ、私も嬉しい…(;∇;)私は人に贈り物をすることが好きだ♪自己満足と言ってしまえばそれまでなのだが、相手が喜んだり驚いたりしてくれるその反応が嬉しく快感なのだ。遡ればこれは、小学生時代、お誕生日会に呼ばれあった仲間の一人に言われた一言が、今も私の中に忘れ得ぬ記憶として残っているからかもしれない。「★★(←私)を呼ぶと、ゼッタイ、良いものくれるんだモン!」これが人生経験を積み重ねてきた筈の大人の発言であれば甚だ失礼なもので、なんだ、プレゼントの為だけに私を招待しているのかと、あわや友情崩壊を危惧させるような発言であるが、当時の私はこれが単純に嬉しかった。何故ならその贈り物は、その当時の私なりに、その友達にゼッタイ喜んで欲しいと思って一生懸命探した末に贈った品物であり、その賛辞は、私がした贈り物に対して、その贈った相手本人が私に示してくれた最上級の評価のように思えたからだ。年齢不相応な高価なものをプレゼントしていた訳ではない。でも、予算は1000円程度と思っていても、二者を比較してより良く思えるものが1200円位だったら、その辺は無理をしてしまう傾向はあった様に思う(今でもその傾向はアリアリ)。その200円の差で、相手が私に対して示してくれる賞賛の度合いを左右するかもしれないという思いが無意識的に働いていたような部分もあるし、その贈り物自体が自分が出来る範囲の最高のものであり、これだったらきっと喜んでくれるに違いないと絶対的に確信できるものを相手に受け取って欲しかったのだ。…兎に角、人にものを贈るときは、相手は何が好きだとか、どんなものだったら喜びそうだとか、物凄く拘る傾向が当時からあった。アメリカでは、初めての子供の妊娠が判ると、その妊婦の同僚、友人、親族ら(全て女性)が集まって「Baby Shower」をとり行う。要は、親しい者が集まって出産の前祝をするのだが、イベントのメインは妊婦への贈り物である。(「同様に、「Wedding(Bridal) Shower」は、結婚を目前に控えた新婦を祝って贈り物をしたりする行事)この時の贈り物だが、当然ながら、贈る者が好みの品を選んで贈ることも出来るのだが、同時に、指定のデパートやスーパーで、そこにある商品の中から欲しいもの、必要なものを妊婦自身が登録し、贈る側がそれをチェックして予算に見合うものを選んで贈ることも出来るシステムもある。又、指定場所に拘らずに贈る側が好きなものを選ぶ場合も、その好みが必ずしも贈られる側と一致しなかったり、欲しいサイズでなかったりする場合もあり得るので、贈られた側が意にそぐわない商品を交換できるように、ほぼどんなところでも、頼めば「Gift Receipt」を発行してくれる。これがあれば、購入した本人でなくても金額の範囲内でその品物が自由に交換できるのだ。アメリカは、こういうところがとりわけ合理的だとつくづく思う。こうした機会をフルに活用して、必需品購入の為に自分でわざわざ予算を組まなくても、お祝いの名目で目当ての品物を首尾良く手に入れることが出来る訳だ。ある意味、無駄も少ないし、贈られる品物が将に欲しかったもの・必要なものであるという意味では、贈られる側にとっても贈る側にとっても、「ハズレ」が無いことになる。初めてそのシステムを知った当時は、その便利さや合理性に甚(いた)く感心したものだ。でも…受け取る側からの予想以上の賞賛や感動を常に期待している私としては、実はどことなくサビシく感じた部分もある。合理性・利便性には同調しながらも、やっぱり私は、悩みぬいた挙句に「これだ~!!」と納得出来るモノを選び抜いて相手にあげたい気持ちの方が強いみたいだ。
Jan 28, 2006
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昨日の日記を書いていて、Pottery Barn Kidsの方も覗いてみたくなった。Pottery Barn Kidsはその名の通り、Pottery Barnの子供向け商品を扱っている。子供がいる訳でも無い私にとって、こちらこそ実質的にニーズがあるところでは無いのだが、やっぱり見ているだけでも楽しい。…と言いつつ、実は見るだけでは飽き足らず、ここのバスケット(=籐かご)は部屋の収納用として購入しており、お気に入り。写真↑の様に専用の棚も売っているけれど良いお値段なので、Pottery Barnではバスケットだけを購入。棚はスーパーで組み立て式の安いものを調達し、好きな色柄の布地を使って自分でライナーを作って使っていた。細かいものも極力見栄え良く収め、収納を工夫することって楽しい。これと言って「趣味」と言えるようなものを一つも持ち合わせていない私だけれど、それは数少ない「好きなこと」の一つかもしれない。子供用インテリアのブランドとは言え、収納術やデコレーションのアイディアなど、見ているだけでも結構収穫がある。日本で代理店なんか出来たら楽しそうだなぁ…なんて、又しても妄想に浸っては刹那の至福の時間を過ごしたりしている。
Jan 27, 2006
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数日前、Pottery Barnのメルマガが入っていた。久々にページを開き、その素敵な家具・インテリア雑貨の数々を目にして、しばし陶酔。そもそも土台となっている広々としたスペースを確保すること自体が日本では難しいだろうし、実際の家具の大きさとか、ものによっては材質も日本の風土にはしっくり来ないのかもしれないけれど、こんな環境での生活にやっぱり憧れてしまう。昔からインテリアには拘りがあった。でも、決してセンスがあった訳では無く、その時代には自分なりに良いと思ってやっていたことが、今思えば何とも陳腐で苦笑を禁じえないという思い出が多々ある。思うに、センスとは、もともと持っている感性に加え、その感性や見る目を養う機会・切欠がどれだけあるかによって随分影響があるものだ。アメリカの人々は全般的に、さしてお金をかけずして自分の家をセンス良く装飾することが非常に上手いと思う。日本語アシスタント教師だった時にホームステイをさせて貰った先のホストマザーはまさにそうだった。家具も調度品も、そして装飾品もとても素敵なものばかり。でも、聞いてみれば、アンティークショップやアウトレットショップを上手く利用して、それぞれとても安価で購入しているらしい。でも、言われなければ、とても高価なコレクションの数々に思える。少し年の離れた妹さんのお宅や、仲良くしているお義姉さんのお宅も近くにあり、それぞれ何度かお邪魔させて頂いたが、やはりどのお宅もとても素敵。でも、それぞれとても個性があって、この家にあるものがあの家にもあるという様なところは一切無い。それぞれのテイストでそれぞれの土台(=家)に相応しく嫌味の無い装飾が施されていて、その部分には非常に感心し、我ながらとてもインスパイアされた気がする。そうした環境で育ってきた子供達は、視覚的に入ってくるそうした情報によって、幼い頃から自然にその感性が養われていくのだろうと思う。勿論それは日本でも同じで、やはり子供の頃から見てきたものがスタンダードになるのが普通。日本はアメリカに比べると、実用性をより優先するところがあるとように思う。故に、それが別に目に見えていても良いから直ぐに手に取りやすいところにものを置いたりする。アメリカはといえば、実用品は出来るだけ隠して「見せる」部分(=装飾)を強調する。キッチンのゴミ箱などが表に出ているのは日本人の家くらい。大概のアメリカ人宅ではシンクの下に収まっている。最初の頃は「それじゃ、やり難いんじゃない?」なんて思っていた私。でも、いつの間にやらすっかりアメリカ式の方に馴染んでしまい、その方がしっくりくるような感覚である。Pottery Barnはアメリカではちょっとした高級品のイメージ。勿論、外国製品という点では日本人から見ても高級品だけれど、私のように、この雰囲気が好きな人々は少なからずいるのではないかと思う。全てをこれで統一出来たらそれはそれは素敵なお家になるんだろうな…などと、自分の現状はさておき夢の世界に浸った、微妙に虚しくも幸せなひと時。・:*:・(*´エ`*)ウットリ・:*:・…現実的には、自分の実情に即しつつ出来る範囲で上手に暮らすこと、やりくり出来ることが目標かな。
Jan 26, 2006
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-スギ花粉症-・・・これが為に毎年憂鬱になってしまった春という季節。今年も、微妙に始まってしまった気がする。( ´△`)アァ-この目から頭部にかけてのぼゃ~んとした感覚。鼻の奥がムズムズするし、突然の鼻血かと思いまがうような水っぽい鼻水が垂れてくる…きっとそうだ。今年は花粉量が昨年比の2割程度だとニュースで聞いたが、たとえ少量であろうがこのスギ花粉に対するアレルギー体質は確実に、そして、敏感に反応するものらしい。私のスギ花粉症歴はかれこれ20年以上になる。当時はこんなに一般的では無かったので、最初は、長引く鼻風邪にも似たこの症状が何に起因するのか分からなかった。慣れたせいもあるのかもしれないが、罹り始めの10年位が今よりも酷い症状だったような気がする。耳や喉の奥まで痒くなり、落ち着いて座っていることさえも苦しかった程だ。しかしながら、私のアレルギーはスギ花粉限定らしいので、アメリカに滞在する限りはこれに悩まされずに済んだ。アメリカには、というか、少なくとも私の住んでいた中西部には、杉の木が少ないのかも(或いは無いのかも)しれない。勿論、向こうでも他種の花粉アレルギーを持っている人、その他、house dustに対するアレルギーだとか、体質的に敏感な人は少なくなかった。でも、日本でスギ花粉に悩まされていた人々が異口同音に賛同したのは「春はこっち(アメリカ)にいる方が楽だなぁ。」ということだった。でも、アメリカって…病院に行ってイマイチ原因が分からない症状だと、全て「アレルギー」で片付けられる。渡米して最初の年、何故か顔だけがひどい痒みに襲われ、ケロイドに近いような酷い状態になったことがあり、意を決して病院に行った。仰々しく問診表を書き込み、拙い英語で懸命に状況説明をしながら痒さを訴える。で、最終的に頂いたのは、「多分、アレルギー。Doveのソープを使いなさい。」と一言の簡単なアドバイス。お会計、しめて$40也。チ~ン♪(゚∇゚ ;)エッ!? ・・・顎に正体不明の黒い物体が付着し、それを取り除くと毛が抜けてしまうという症状になってしまったウチの長男(ネコ)。仕事の合間を縫って慌てて獣医に。「きっと、『プラスチックアレルギー』ね。プラスチックの食器とか使っているでしょ。それを止めなさい。」とのこと。この時は薬も処方してくれてお代はおよそ$100也。チ~ンっっ!!(ノ´▽`;)ノオオオオッ♪確かに、お水のボウルはプラスチックだった。急いで止めて取り敢えずガラスのボウルに変更。でも…数日経っても治りゃしない。結局、数週間後に元のボウルに戻して、長男にはオロナインを塗り続けて完治。原因は今でも不明で、どうかすると再発するけれど、少なくとも『プラスチックアレルギー』では明らかになさそう。「アレルギー」は広義の解釈に使える、実に便利な言葉だ。┐('~`;)┌
Jan 25, 2006
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先週の木曜日に注文したGymboreeの品物が昨日到着。Gymboree - 今や、知る人ぞ知る、アメリカの人気子供服ブランド。日本でもここ数年で急激にファンが増えているように思う。もともと小さい子供は大好きだけれど、ケッコンしている訳でもなければ、ましてや子供がいる訳でもないこのワタシ。何故か、子供服やおもちゃに心奪われる傾向がある。渡米して、先ずは生活用品確保の目的で頻繁に通ったのは、Wal Mart、K Mart、Target等のスーパー。足しげく通い、くまなく商品をチェックするうちに、他の商品と同様、破格なお値段で大量においてあるベビー用品・衣類などにも自然と目がいくようになった。安いけれど、ナイロン100%とか、日本だったら赤ちゃんのお肌のデリケートなお肌を考慮したらとんでもない!と言われそうな、それなりの素材のものもかなりある。でも、中には素材も縫製もとてもしっかりしているのに、日本じゃとても考えられないお値段で売っているものもある。有名なCarter'sなどは個々のスーパーと提携してコラボ商品をプロデュースしているようで、クオリティやデザインはしっかり母体のもつものを受け継ぎながら、お得な価格で購入することが出来る。キャラクター好きの私としては、セサミストリートやスヌーピーなどのモチーフが施された可愛いお洋服が、やはりお値打ち価格で揃っているのも魅力だった。丁度、ぽつぽつとケッコンし始めた友人達に段々子供が生まれたりする頃だったので、リーズナブルで幅広いセレクションから好きなものを選び、プレゼントするのが楽しみになっていった。生活が軌道にのってくると、スーパーも利用しつつ、その他小売専門店やモールなども同時に利用する機会が増えた。そうしているうちに出会ったのがGymboree。切欠が何だったかは覚えていないけれど、足を踏み入れた瞬間に覚えたのはえもいわれぬ感動が・・・「なんて可愛いの~!」o(^o^o)o(^o^)o(o^o^)o♪スーパーの子供服たちも捨てがたいけれど、やっぱりジンボリーは特別。なんと言っても、トータルコーディネートできるラインデザインと、アメリカの品物とは思えない縫製と仕立ての良さは魅力。プレゼントとして贈ると、相手が大喜びしてくれるその反応がとても嬉しかった。最近では材質が低下して薄っぺらくなったなんてことも言われているが、それでも、日本人の求める要素を十分に満たしてくれる海外子供ブランドだと思う。Gymboreeのみならず、Osh KoshやGap、Old Navyなどの子供服を見て歩くことは、たとえ自分が使える訳ではなくてもとても癒される時間。いつしか、こんな可愛い子供服を集めてネットショップが出来たら…なんて思い始めたものの状況が許さず、日本に帰国してから、実益も兼ねてネットオークションで出してみることにした。開始当初はまだまだ希少価値が高かったけれど、ここの所、個人輸入人口が急激に増えてきた為に出品はダブついているような状況。そんな経緯もあって、今となってはネットショップなど始めていても採算に合うほど売り上げは期待できなかったかもしれないと思うが、その試みを通じて、「自分の良いと思って選んだもの」を欲しいと思ってくれる方々と出会い、その良さを共有できたことは何よりも喜ばしいことだった。今回は場所を変えてこちらのフリマに出品してみることにした。願わくは、こちらでも楽しみを分かち合えるような出会いがあれば嬉しい限りだ。
Jan 22, 2006
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本日のニュース…米国産牛肉、再び輸入禁止…危険部位が混入政府は20日、輸入された米国産牛肉に、BSE(牛海綿状脳症)の病原体が蓄積しやすい特定危険部位の脊柱(せきちゅう)が混入していたため、12月に再開したばかりの輸入を、再び全面禁止する方針を決めた。(読売新聞)どうしてアメリカ人は一番重要な約束事を守れないんだという日本人と、どうして日本人はそのことに必要以上に拘るんだと主張するアメリカ人が言い争う様子が漫画チックに描かれた風刺絵が、このニュースを聞いた瞬間に私の脳裏描かれた。某日系企業で日本人とアメリカ人の上司の話し合いの通訳をしていると、似たような場面に遭遇することが少なからずあった。輸入という国家同士の取り決めに関して違反があったことと一緒にすべきではないかもしれないが、ある物事に対してどれほど神経質に見るかというのは、基本的な気質の違いという部分で、相手に同じレベルの感覚を期待するのは難しいものなのだと感じてきた。私も気質的には日本人。日本人の言い分や、そこにある思考はとても良く理解できる。一方で、物事をとても合理的に進めるアメリカ人のやり方、考え方も決して嫌いではない。話を聞いていると、いつしかアメリカ人がする妙にリーズナブルな説明に逆に納得してしまう時もある。でも、人を死に至らしめるBSE発病の可能性が指摘される牛肉について約束の危険部位を除かなかったことは、なかなかリーズナブルな理屈もつけられまい。果たしてアメリカは何と回答してくるのか。興味のあるところだ。
Jan 20, 2006
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日本人補習校の教師だったある時、休み明けお約束の感想を生徒に聞いた。「お休みはどうだった~?」「旅行に行って楽しかった。」「短すぎ!」「現地校は宿題無くていいけど、補習校の宿題多すぎ~!」…などなど、元気な反応が返ってくる。低学年はそのコメントもまだ無邪気で天真爛漫だけれど、高学年になると微妙に反応も分かれてくる。お約束の質問に対してはお約束の回答とばかりに、良かったです、楽しかったですと一言残して詳細に言及しない子もいれば、印象的な出来事を面白おかしく語ってくれる子もいる。そして、夏休みには長期であることを利用して帰国する子達も少なくない。中には、「直ぐにコンビニに行けたのが嬉しかった。」なんて子もいた。「あっ、その気持ち分かるよ~!!」と妙に反応の良い私。何を隠そう、私もコンビニ大好き。一緒になってしばし侃々諤々のコンビニ談義(笑)。そうそう、日本のコンビニは本当に優秀。「日本人の目から見て」ということに他ならないかもしれないけれど、品揃えもサービス面の充実も、そしてその種類の多さも。セブン・イレブンの元祖はアメリカだというのに、子会社である日本のセブン・イレブンは、何とその親会社を既に傘下においているらしい。日本人というのは、オリジナリティには乏しくても、他の真似をして、そのオリジナルを更に良くしてしまうという技術と知恵にはつくづく長けているんだなあと思う。アメリカみたいな先進国での暮らしは、いくら外国での生活といえど、多少高くついても日本食材は結構直ぐに手に入るし、軌道に乗ってしまえばとても楽。とはいえ、勿論、日本にいるほど手軽ではない。日本にいて普通に生活している中では、前を通り過ぎるだけの機会さえ頻繁にあるコンビニが、海外では夢のお店。私にとっては何よりも、美味しく種類豊富なおにぎりを、食べたいなと思ったときに直ぐに買いに行けて手に入るのが嬉しいかな…。おにぎりなんて、ウチでご飯を炊いていくらでも作れるっていうのにね。そんな私がいま密かにハマっているのは、セブンイレブン発からしマヨネーズ入りのカニカマ↓。兄弟や友人からオヤジ呼ばわりされるのは必然だろうなぁ。。。
Jan 19, 2006
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IT革命の名の通り、その分野は今や個人利用範囲でさえ僅か数年前とは比較にならない程便利になっている。今となってはダイヤルアップ接続なんて考えられないし、ウィルスチェックを常時監視体制にしただけで動かなくなってしまうPCスペックの小ささなど、思い出しても「もうあの頃には戻れない」…そんな感じ。各社が激化する競争の中で繰り広げるサービスもどんどん拡大してリーズナブルに。そうした進化に鈍感で無知でいると凄く損をする感じがしてしまう。女王と呼ばれる人まで出てきて、人気ゆえにその人口は増加の一途を辿るばかりのブログも然り。高度なタグの知識なんか無くても、様々なサイトで無料で簡単にブログが立ち上げられる。ブロク(BLOG)…その語源を調べてみた。「Web(ウェブ)」と「log(ログ)」の造語「weblog(ウェブログ)」で、「Web上に残される記録」を意味する。この「weblog」が略され、「blog(ブログ)」となった。ブログは、1999年に管理・作成が簡単にできるブログツールが開発されたことで、アメリカを中心に広まりはじめ、2001年9月の同時多発テロを機に、新しいメディアとして社会的に認知された。ブログには正式な定義がないため、細かな部分での定義は個々によって異なることが多い。…語源由来辞典よりなるほど、社会的に認知され始めたのは四年程前になるのか。でも、私自身が認知したのは多分、帰国して直後の一年チョット前くらいかな?ひと月程前から別のサイトでブログを立ち上げ、マイペースながらも少しずつ書き込みを始めてみた。HPも立ち上げてみたものの、いまひとつ仰々しいだけで更新も面倒。その点、ブログは手軽だし、何となく気楽。でも、書いているうちにどんどん雑多な内容になってしまい、そのテーマたるや今ひとつ統一性が無い。別に統一していなくても何ら問題は無いけれど、一つの場所に拘る理由も無いことに気づいた。それぞれ使い勝手の良さや利点も違う筈。上手に使い分ければ、整理がし易くなるだろう。よって、この場をお借りして住み分けをすることにしてみた。既存の方のシステムと比べると、やはりこちらの方が使い易く、サーブスも充実している感じ。オリジナルのテンプレートをカスタマイズ出来たりするのも魅力。色々と試してみて比較したり、各々のサービスを積極的に利用して、IT分野でUp-To-Dateでありたいと思う。あくまでも「私のレベルで」だけれど…(*^ー^)ゞ。
Jan 18, 2006
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