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今も私における家族の在り方の理想は、三世代が住処を共にできる大家族の姿です。その昔、私が子供の頃にはあちこちにこの光景は極普通に存在していたように思います。同じ屋根の下、おじいちゃんおばあちゃんの知恵や愛情に触れながら育つ良さは大いにあろうというものです。家族を大切にしていく心の受け継ぎ方。世は変わり、完全核家族の時代にあって私の理想型は、地方の、家族が生活基盤を一にした部分的なものが残すだけになっているようです。少子高齢、老老介護。収入等の生活面における不安。それぞれの事情が受ける負担も大きくなっています。その負担を一人で受けながら懸命に親の 面倒をみている姿もあちこちにあります。狭い部屋で四六時中親の介護で身も心もへとへとになり、時に実の親でもその存在を煩わしく思うこともあるでしょう。そのような思いが心の片隅に持ち上がる時、「私はなんと優しさのない人間なのだろう」と自分を責め、思い悩む人がいるかもしれません。しかし、それが人間。頑張っている自分をそんなに責めることもない。どんなに心ある人であっても、完璧に善人であることはできない。事情が許すなら、専門的な他人に世話を委ねて時折見舞う方が、本来の親思う優しき心で接し続けることもできるでしょう。又、世話をされる方も、例えば子に、「しも」の世話までさせなければならないことに心傷つき思い悩むのかもしれません。委ねれば、他人も一時の仕事として大いに心をもって他人の世話ができる。身内も自分を失うことなく精一杯の愛情を親に注ぐことができる。いずれにしても、この思い悩む感情こそが、人間が持ち合わせる優しき心というものなのです。世にはしかし、様々なことが存在します・・「今を生きて」過去日記より相続が争続となるケースは実に多い。相続人となる配偶者はともかく、子が、それまでの仲良さなど何処へ、というくらいに関係がぐちゃぐちゃになっていきます。一円の違いなく分配は当然で、少ないなどとんでもない話で、如何に他より自分が有利でなければならないか。子がそれぞれに家庭を持つことによって、兄弟姉妹が肉親でなくなっていきます。誰が親の面倒を見ているか、その面倒見も左右します。其の様な状況にある複数兄弟の財産処分を調整しながら、相談から処分まで、ついに互いが顔をあわせない、といったケースも多々見受けられる遺産分割協議。こういった事もありました。亡くなった被相続人の不動産処分。後妻として亡くなったご主人の世話をして来たその方は、籍に入れられていませんでした。いざ相続の段になって、既に県外に家庭を持った子らは、父親が勝手に家に連れ込んだ他人に会う必要もなく、当然財産分与の権利もない。不要物はさっさと換金するので、とっとと出て行って欲しい、との主張。この奥さんは、既に歳いっていたご主人に見初められ、家に入る事になったのですが、「結局、身体の悪くなった主人の介護的役割をさせられる為に呼ばれたようなものです」とも言っておられました。亡くなられたご主人とは以前に面識があり、その時この奥様とも顔合わせしていました。数年を経て、突然電話があり、「主人が亡くなり、子供さん達から家を処分するから出ていってくれと言われました」「以前に、お会いしたことありますし、主人が持っていた名刺を見て相談の電話を貴方に差し上げました」実の子供もろくろく面倒を見ないなか、その親を最も世話をしてきた、相続権利のないこの年老いた内縁の妻。亡くなった主人も罪なものです。遺言書もありませんでした。随分とわがままな方でしたから、何度かお邪魔した時にも、まるで使用人のように扱われる御婦人が不憫に思われたものです。結局、弁護士と私で、可能な主張分を打ち合わせしながら、自宅を売却し、御婦人は幾ばくかの金銭をもらい、其処を離れることになったのです。最後まで、私と御婦人が、その「出て行け」と言った子等と会うことはありませんでした。身寄りのなかった老夫人は、福岡の知人の家に身を寄せることになり、身辺整理をし、いよいよ苦労ばかりだったその家を後にして、私は車で駅まで見送ったのです。もうかれこれ七、八年経ちますが、時々ふとあれからどうされているんだろう、と思い浮かべることがあります。私も妻も、財産というものには縁がありませんが、例え受けるものがあったとして、それでもめるようなことは一切ありません。もめるような財産など一円もいらない。その考えが共通しております。物質的なものに執着しない。大切な価値を知り、生きています。これがすでに大いなる財産でもあるのですから。風景も音楽も、欲などちっぽけなものとして、それらを優に超えていきます。↓私が好きないい曲です。作詞:谷村新司作曲:谷村新司 ああ いつか開く 花の種をまこうたとえ命が 明日終わるとしてもああ 時の砂に 降りそそぐ雨がきっと新しい命をくれるだろう友が死んだ日の ほほうつ雨にさえきっと大切な意味があるはずだからだから青春を終わらせないで熱い心そのまま 失くさないで今を生きて 今を生きてああ 永遠には 生きられないから遠いあの日の 思い出を忘れないああ 夢のつづき 追いかけてゆこう夢を失くしたら 心が死んでしまう生きて行くことは 死なないことじゃなくて熱く生きようとしながら 暮らしてゆくことだから青春を終わらせないで熱い心そのまま 失くさないで今を生きて 今を生きて生きて行くことは 死なないことじゃなく熱く生きようとしながら 暮らしてゆくことだから青春を終わらせないで熱い心そのまま 失くさないで今を生きて 今を生きてランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年05月31日
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例えばケアハウスに入所するとして、其処に持ち込めるのは僅かなものです。それは、多くの人の現在所有物の1、2割程度かもしれません。最近、いずれ皆辿る終着駅に向けて、後に残る者の負担とならないように、諸々段取りをつけておくという趣旨でエンディングノートの作成が流行っているようです。考えれば、日々の生活設計があれば死に際の設計迄を含んで当然といえば当然の事。これまでなかったとすれば、何となく終わり部分を避けてきたに過ぎない。しかし、そういう計画も決してマイナス思考のものではなく、子に周りに責任を果たしながら、更に此の世における生を生き切るという観点からすれば大いに勧められることではないでしょうか。「老いるほどに身軽に」・・過去日記より老いるほどに、できるだけ自分の身辺は身軽にしておこう。生きている間、廃棄と所有を繰り返しながら、その自らに所有されていくものは、普段気にも留めないなかいつしか随分と増えてきてしまっているものです。それは精神的にも物質的にも。各自が辿ってきた人生における精神的部分はともかくとして、「物質的なるもの」は結構厄介でもあるのです。随分以前のある場面。住人不在のまま数年経っていた父親名義で相続登記未了の築齢も古い木造家屋を、法廷相続者である子供さんから売却処分依頼を受けたことがあります。相続者も確か七名程で、皆さん全員がすでに年配の娘さん達でした。打ち合わせの為に処分依頼を受けたその古家に初めて赴いた私は、代表でその場におられた三名の代表依頼人さんに、「汚いのでそのまま上がってください」と言われました。確かに汚かった。何年も人の入った形跡も感じず、草木は伸び、玄関先からすでに埃が白く積もっていて、部屋に入るまでもなく状況はその場ですでに想像に難くなかったのですが、しかし実情はその想像以上だったのです。部屋の和室には、まるで今まさに空き巣侵入後間もない様な光景があったのです。被相続人である父親の遺影は無造作に畳の上に置かれ、タンスからは衣類が溢れ出し、辺り一面散らかり放題。被相続人が亡くなった後、全く整理の手ひとつ入れられた風もなく、それはまるでその家全他が厄介者であるかの様に、そしてこの古家を誰もが避けていたとしか思えないものだったのです。ひょっとしたら、生存時よりあまり出入り、そして身の回りの世話等さへもあまり無かったようにも思える状態でした。その後、この家は古家付き土地として売買し、やがて購入者によって解体されたのですが、室内の荷物撤去を手配しながら、請け負った業者も大変だったのです。衣類だけで袋詰めしたものが20個近くにもなり、庭の残存物を含め2t車で何度も運ぶ有様でした。これがまた、子供さんが遠方におられるのならともかく、皆さん近くに居住されていてこの有様なのですから。まあ、このケースは特別としても、けれども、亡くなった親御さんの不動産処分を、遠方の身内の方から依頼されることも多々あります。もちろん、その時にも、つい最近までの生活そのものが残っていますので、同時に子にしてはほとんどが不要物処分の相談があるのです。今は昔のように、後を継ぐ商売人でもない限り家を継ぐケースは殆どありません。それぞれに生活スタイルも違いますし、住む場所も遠く離れたいたしもします。そして、年老いて、子供さんに勧められ住み慣れた町を離れ、慣れない都会へ不安を抱えながら引越しされていく場合もあります。いずれにしても、残された身内にとっては家財などにおいては殆どが不要物なのです。思い出のアルバム等もしかり。思い出を大切に収めた何冊もの分厚いアルバムを、これまで何度開いて見返したことがあるでしょう。押入れの隅で埃をかぶってはいないでしょうか。写真なんていつか遺影として使用する、とっておきの一枚を含め数枚あれば十分かもしれません。家族の思い出写真は、子が欲しいと思う最低限のものだけを渡しておけばよしでしょう。ある知人は、まだ若い結婚したての一人娘の為に、将来の親の墓守の煩わしさから開放させてあげることを考え、過日クリスチャンになることを選択しました。墓守放棄・・その決断は、決して放棄でもなく信仰心に薄いというわけでもなく、素晴らしいその知人の精神だと思われるのです。神や仏、信仰などというものは、何がどうと、決して形式に縛られるものでもなく、また排他性を持ったものに左右されるものでもありません。真の信仰心は、崇高なる魂によって尊き昇華を得るのです。さてその歳を詰める過程において、できるだけ身辺を身軽な状態にしておくこと。生きた証として残されるものを大きく「財産」としてひとくくりに考えながら、それは時に受け入れる方には負担と揉め事の元。思い出のアルバムも、現在ではデジカメで撮ったものを簡単にパソコンに取り込んでいつでも簡単に見返すことができますし、嵩張らないCDに大量の情報を収めることもできます。やがて訪れるその時に、残る家族に迷惑をかけないような身軽な自分にしておく心配りも必要ではないでしょうか。それよりなにより、物質的なものに比べ、重荷にならないところで永久に残り続ける心の部分がいかに大切で価値を持つものか。生きるに必要最小限を持って得心する精神の身軽さによって、魂は更に真に価値ある自由を得る事になるのでしょう。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年05月30日
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父親が亡くなった年齢と母親が亡くなった年齢を足して2で割った数が、自分の寿命予測だと、ある人が言っていました。なるほど、根拠の定かは別として、それもひとつの興味ある見方ではある。であれば、できるだけ長生きしてやるのが子の寿命を延ばすことになるのですが、それには、子にできるだけ負担や迷惑掛けずに老いなければならないという課題が残ります。元気が一番、ボケることもなく寝込むこともなく、ある日、ぽっくり大往生できるにこしたことはないでしょう。子供の頃、若い内は、祖父母や父母が防波堤となって、堤の先に広がる、此の世に生あるもの全てに訪れる死海というものが目に留まることはありません。しかし、子供から大人へ、自己の成長とももに祖父母の存在は消え、歳月の経過は、やがて父母の肩越しに穏やかに広がる死の海が見え隠れするようになります。まるで他人事のようであった我が身の「死」という存在が、やがて徐々に現実味を帯びてきます。加齢とともに周りに同世代がポツリポツリいなくなり、体力の衰えや病はその日一日生きる気力を削ぎ、趣味も目標も持たなければ、生きることの魅力は失せ、やがて死というものへの、自然な心の準備と受け容れ態勢をとれるようになるのではないでしょうか..ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年05月29日
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今宵はいい酒を飲んだ。志を持った人間と久し振りに大いに語ることができた。最近は大きく夢を語れる人間も少なくなった。我が身重視、それもよかろう。しかし、人生そんなもんでもない。当たり障りなく、客観的に、中立・・実に耳触りの良い言葉だが、それはある種、その本人の無責任さが成すものとも言えるだろう。歴史を振り返っても、意気に感じて事を成す人間は、その他大勢とは違うし、その善を発露とし、志を持った行動に、迷いは無用だろう。志を持って事を成す。心地よく酔った極上の夜だった。帰途のモノレール車中にて。
2012年05月28日
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自己理由によって会社を辞める時は、仕事に支障を来たすことのないように、引継ぎの責任をしっかり果たすことを考えなければなりません。その為に、先ずは自己都合は横に置き、会社側の都合期間を最大限尊重すべきでしょう。しかしまた、辞める人間が居続けることで社内に悪影響をもたらすとともに、組織改編を余儀なくされる会社側に多少の迷惑を掛ることになったりもします。その状況を判断し、仮に退社迄「何時まではいいよ」と期間の猶予をもらったとして、自ら期間短縮を申し出し、とっとと辞めることもまたあり。いろいろあったとして、給料をもらい仕事を教わり日々の生活をさせてもらってきたわけですから。様々な事情によって辞めるとして、最低限の礼節を思うべきなのです。勿論、自己の生活は大切。個々の家庭生活事情の優先を考えながら時を選ぶのを悪いとはいえません。私のように、後先考えずの転職が良いとは決して言えず、家族を思うのも責任者であるには違いありません。要は、人生を渡るに、多少の気概も心意気も必要ではなかろうかと。社員としては、会社に必要とされ辞めるのを惜しまれるようでなければなりません。人一人辞めても痛くも痒くもないないと思われる存在では、転職を繰り返しても凡そ先の展望は開けないでしょう。翻って雇用する側は、人一人辞めることによって大きな混乱をきたすようであってはなりません。使う側も使われる側も、切磋琢磨の成長を怠らない。これこそがそれぞれの生きるを担保することになるのです。他力本願より先ずは自己確立。本人が額に汗し、思い悩み思考し行動する姿があってはじめて、周りの援助も人生浮上の機会も運ばれてくるというもの。又、何年も勤めないのに有給休暇をしっかり使い切って辞める人間がいますが、これも、最後はお礼奉公くらいの気持ちがあっていいと思うのです。(但し企業制度によっては使わなければならないが)私は、意見の相違によって、ある日出会い頭的に退職に至った前会社には、その後も暫くの間、盆暮れには挨拶に出向く礼節を怠りませんでした。そして今でも出入りさせてもらっています。その時、本当にやむなく、考えてもみなかった一文無しの独立をする羽目になった事に、一切の後悔もありませんし、思わず社長とやり合ったあの突然の場面を、私にとって超ラッキーだったと思っています。ただの一度も不安なる独立など考えもしなかった私が、その出会い頭的な事に後押しされた結果になったのですから。私は今でも、十九年前迄の六年間お世話になった会社に、心よりの感謝の念を忘れたことはありませんし、社内でも事あるごとに社員に言っています。「私はね、頭が悪いし鈍臭い。で、毎日二十回くらい社長に叱られていたよ」「でもね、お陰でよく教わることができた」「自分自身が歯がゆくて、だからその分努力はしたな」「個性的で頭脳明晰で厳しかったけど、仕事に対してまっとうな姿勢で、誇りに思える会社でもあった」「あの会社に入ることができたから今でもこうしてなんとかやっていけている」「感謝しかないよ」で・・いかんいかん、私も似たとこあって、つい熱く社員に対峙すとこが無きにしも非ず。しかし、私が世話になった会社は、今でもこの業界では一目おかれる存在だ。大したものだ。数年前、私が音頭を取り、先輩諸氏にも声を掛け、OBが集まり社長を交え同窓会をしました。その席で社長が「貴方たちがいたらまだ大きくなっていただろうね」私は、「確かにその通り」「しかし、皆個性が強すぎて空中分解かも」爆 爆この会社に限らず、私が七度お世話になった全ての会社に、私は心より感謝の気持ちを持ち続けています。それぞれの一所懸命に一切の悔いなく、経験による計りきれない成長をもたらした人生。最後に・・七度の転職、八度目のやむなくの独立。私は決して辛抱が足らない人間ではありません。コツコツが信条。大きなホームランよりヒットの積み重ね。ベンチにいるような時にも腐ることはありません。いつにおいても素振りをして、再びの塁進を思っている。まあ、多少の反骨精神と短気が、結果オーライを生み出した?とも言えるかもしれません。人生、一寸先は闇。だから何時なにが起きても慌てないよう、日々の誠実さだけは忘れてはいけません。そしてもうひとつ。最低限の辛抱は必要であるわけですが、中には箸にも棒にもかからないような、良心の欠如、信義に劣る会社もあるわけで、そんな社風をもった会社は、とっとと退散すべきでしょう。・・月曜日、出社したら我が社の社員の姿がなかったりして・・爆 爆ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年05月27日
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音楽はいいですね。好きな音楽を聴いていると心癒されます。耳に心地よい曲でも流せば、忽ち風爽やか、綺麗な風景の中に佇むこともできます。此のところ、自宅の自分の部屋で音楽を聴くのが楽しみになっています。1万円程のラジカセに、とっておきの2万弱のスピーカーを繋いだだけですが、これがまた目からうろこ状態。わずか5cmのフルレンジスピーカーから出る音は、ラジカセがラジカセでなくなり、ちょっとした上級のシステムオーディオに。これまで全く表に出てこなかった音までが聴こえてきて、同じCDが別物のように新鮮に聴けるのです。会社に置いてある30万程のオーディオシステムに比べ音の厚みは劣るけど、その自然で素直な音色は、疲れず飽きることのない心地よさなのです。離したスピーカーの三角点で聴くのがベスト、などということもなく聴く位置も選びません。音楽というのは、何気なくラジオから流れるものにも、コンポで聴くにも、惹かれる音楽の良さに触れることはできます。しかし、せっかくなら、音楽に浸るための少し環境グレードアップをしたらどうでしょう?例えばライブに行けば、ライブならではの良さを味わうことができます。決して無理な贅沢をする必要はありません。コンパクトデジカメを持つ手を一眼に換えれば、それはまたファインダーにこれまでにない高揚感をもって被写体を見ることもできます。同じようなものです。基本はあくまで身の丈程のものを。四畳半の和室に高級システムを置いてもそれを活かすことはできません。あまり懲りすぎては、本来の、気軽な心地よさに浸ることから離れていくでしょう。贅沢をする必要もありません。もっとも手っ取り早いのはスピーカーを換えてみることでしょうか。私が会社に置いているオーディオは、マランツのプリメインアンプとCDプレーヤー。スピーカーはオルトフォンのコンコルド1614。たまたま立ち寄った家電店のオーディオコーナーで、このスピーカーから流れていた音色がとても美しく上品なのに惚れ込んでつい買ってしまったものです。やたらとシャリシャリ高音と重低音が氾濫しているような今日。作りものでないいい音に触れると、更に音楽の魅力が益すことでしょう。タイムドメインminiは、オルトフォン同様、私の音楽聴く楽しみを倍加してくれました。心の贅沢している音楽三昧の日々です。タイムドメインランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年05月26日
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昨日の続きだけれど・・最近は様々な業種の長から、一ヶ月の辛抱も出来ずにケツを割る若者も多いと聞きます。凡そ社会において働き、生きていこうとするなら、一年二年の辛抱が出来なくて何が分かろうというものだ。否、一、二年など極当たり前のことであって辛抱などとは言えない。避けていく一年は、あっという間に人生における大切な時を費やしてしまうでしょう。ぶつかり合い迷い苦しみながらでも、一歩を踏みしめ前に向かう真摯で誠実な生きる姿勢は、確実なる本人の人生におけるわだちを残し、良縁は運ばれてくるものです。如何なる時においても、他人見ない時においても、一所懸命さは必要なのです。若い頃から私は、「いつでも誰とでも喧嘩できる状態に自分をしておく」のが信条でした。喧嘩できる・・別に殴り合いをするというのではありません。人生においては、誰にも恥じることなく堂々とした生き方をする。生き方も仕事においても、誠実なる姿勢は、思い悩む逆境下においても、「している」という、誰知らずとも事実に基づく自負を生むものなのです。此の自負こそが大いなる精神支柱となって人生を支えていくのです。対峙する肩書き等に臆することもなくなびくことなく、ましてや内心の判断を誤らない。若い時から不労所得など考えないことです。安易な道は真の幸せを遠ざける。自分の道を求め転職を繰り返すのも結構。大切なのは、振り返って、辿った場所場所において一所懸命さがあったかどうか。辞めるが先で転職を繰り返した私が、幸いにも一度も失業保険を受給することがなかったのは、間違いなく此の、時折々においての自分なりの一所懸命さだったのです。段取りもしないまま会社を辞めたあと、不思議と声を掛けられ、その都度なんとか助けられたものです。振り返って一切の後悔などありません。全ての経験は、我が人生の大いなる糧となり、我を成長させてくれました。私は、如何なる時においても、逃げず、もがきながらも前に希望を持ち、自分を棄てることなく安易に交わることなく、私なりの王道を歩いて来たのです・・ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年05月25日
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忙しいというわけではないんだけど、気がつけばもうこんな時間。今日もロシアからの差し入れをいただきました。手作りのピロシキ。あれこれ豊富な手作りメニュー。本当に料理が好きなんでしょうね。いい奥さんになれます。決して賢妻良母でなく、真の良妻賢母に。さて、私の人生を振り返ってラッキーだった事。・未熟でも、誰でもない唯一の私自身に生まれたこと・紆余曲折の人生経験を積むことができたこと・結果、今の職に就くことができていること・そして最大の幸運は、妻に出逢ったこと 妻の存在なくして今日の私はありえません。社会人になって、いろいろ悩みも困難も多々ありました。世の不条理なども痛感しながら、七度の転職をしながら、結局、私は、職を求めていたのではなく、人を探し続けていたのかもしれません。会社あっての自分。そして生活。会社が資金繰りに困ったら、当然自分のものを質にでも入れて助けるくらいの気概は当たり前。もし会社が給料遅配ということになったら、部下に同僚に譲り、遅配を先に受け入れるのも当然なことでした。事実そうもした。そんな旧い考えの私は、段取りつけて辞めるなど到底できるわけでなく、いつも生き方や経営方針、人の使い方等で衝突し、後先考えずに、ある日突然辞表を提出する繰り返しでした。ですから、妻には随分と迷惑をかけてきました。悶々とするなかで、いつもあの、私の好きだった武将、上杉謙信に思いを馳せたものです。彼もまた、おそらく悶々とした人生を送っていたのではないでしょうか。彼がこの世にいたらなら、私は全てを投げ出してついていくのに。このような人物と生死を共にできるなら本望だとも。いつもそう思っていました。で、あるとき、また突然にそれはやって来ました。やっと肩書きももらい、いい給料もいただきながら、しかし曲げられぬ事・・安定してきたかに見えた生活が、またちゃらです。高校を出て銀行に勤めていた父がある時病気で入院することになり、入院生活が数ヶ月に及ぶと分かって、「働かずして給料を貰うわけにはいかない」と言って退職したのだと、私が小学生の頃に祖母から聞いたことがありました。私は子供心にも父を誇りに思ったものです。さて、さすがに、もう周りを見回しても、入ってみたいような会社もなく。結局、私は、考えてもみなかった起業をやむなくすることに。四十歳になっていました。八度目にしてしかたなく独立したものの、紆余曲折の人生に資金はほとんどゼロに近かったのです。あれから十九年。経営者となってもいろいろありましたね。元々商売などするタイプでもない。金儲けより、松陰先生とあれこれ語っているほうがどんなに楽しいことか。しかし、なんの才覚もない私が、まあよくここまで生き延びてきたものだ。歯がゆいことも多々ありました。唯一、経営者となってよかったこと。それは・・・リスクと引き換えの自由経営方針は私の自由なのですから。・最も大なのは人事権。 ・儲かる儲からないとは別のところで、私の生き様を貫けること。信じる人の縁に恵まれながら助けれ活かされながら、今日もなんとなく過ごさせていただいています。 私の最大目標は、幾多の苦労をさせてきた妻を幸せにすること。 これをしなくては死んでも死にきれません。頑張るぞ~! (^^♪どんまい どんまいの我が人生なり。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年05月24日
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人との交わりにおいてなんとなく魅力を持つ人というのは、本人の心姿勢というものに、醸し出される「凛」とした存在を窺うことができることでしょうか。さりげない中にも、芯(心)棒がしゃきっとしている。それは、決して切れ者が大上段に構えた太刀の様でもなく、そっとさりげなくして抜刀することのない、本人の人生(精神)支柱的存在としての懐刀とも見えます。それこそが、人としての間合い、そして奥行き感というべき魅力。人生年輪の奥ゆかしさを湛え、想念は善に添い、決して利己主義に走ることなく、律儀さと謙虚さに対峙する心は共鳴し、静かなる人としての信頼の安堵を生む。かけがえのない、僅か七、八十年の人生。せっかく乗り合わせる人生の片道列車を、できるなら互いに、心豊かに触れ合える人とその車両を共にしたいものです。やがて、降り立つそれぞれの人生到着駅。ホームで互いに手を振り見送り見送られながらも、再び走り出す列車の後方に、人生余韻はきっと清清しさを残すことでしょう。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年05月23日
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沖縄波照間(はてるま)の黒糖丹波篠山の黒ゴマ宮崎の和蜂の蜂蜜これを使った手作りのお菓子。ロシア人の美人奥様からの現地ニュースペーパーに包まれて届いた差し入れです。黒ゴマも香ばしく、美味しかったですよ。この若い奥様は、料理がお好き。「糠漬け、塩麹・・」これが全てこの方から出る言葉。自家製野菜、味噌汁の味噌作りまで。今時の日本人より日本的で、とっくに失くなったような和の心の持ち主なのです。尚且つ「質素・倹約、もったいない精神」の持ち主。いいですね。今日も心がしっかり伝わりました。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年05月21日
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午後四時。「ちょっと散歩に」と言い残して、近くの広場に。夕刻のベンチで、霞がかった風景をぼ~っと眺めてしばし気晴らし。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年05月16日
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写真撮影を趣味とする会に参加している。当初は、あの・・中高年の画一的な写真愛好グループ風景の中に、私自身が入るのは抵抗があった。歳を取ってくると、いつしか周りは年下が多くなってくる。しかし、この趣味の会においては、高齢者も多く、なんだか久しぶりに先輩達に交わることになり、これが案外嬉しい。しかし、あなどってはいけない。高齢者といえども、皆さんお元気なのだ。いわゆる世間一般におけるお年寄りの印象とは随分と違う。やはり、何か趣味や目標を持つということは、人を活性化させるものだろう。で、此の先輩後輩の関係は、そのまま歳月をずっとスライドさせて、遠く過ぎ去った青春時代における先輩後輩の様と思い紛う程の感じを抱かさせるのである。昨今は、若くして既に年老いたように覇気を全く感じない人も多い。感性も純粋さも、年齢には関係ない。歳老いる外見とは裏腹に、心の瑞々しさは尽きることなどないように思われる。その感情は、いつにおいても年齢とは別を住処としているのだ。そして私は、気がつけば、どっぷりと年齢相応なる中高年の輪なの中に居る。けれども、感性は年齢と逆光するかのように、経験の分だけ豊潤さを増しているかのようでもある。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年05月15日
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一昨日の土曜日は、花園でバラの写真を撮ってきました。花の撮影は難しいですね。無精者の私は、三脚使用も、その都度レンズ交換するということもほとんどしません。18-135ミリの標準ズームレンズ1本で愉しんでいます。さあ、今週もはりきって仕事です。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年05月14日
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午前中、弊社社員が担当する東京からの企業様来社。今、お昼弁当を食べ終わり、これからハワイアンでも聴きながらしばし爆睡します。夜は、お客様と懇親。明日の日中は、趣味の仲間との写真撮影会に参加し、夕方から少し仕事。日曜日も少し仕事。まるで大空を緩やかに飛行するグライダーの様な私の日常です。喧騒の中にも、決して自分の価値空間を見失うことはありません。いつでもどこでも、心の中は、無限大の大地が広がっています。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年05月11日
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先日、萩へ帰省時の写真を載せたら、結構反響?いただきました。(^.^)見事に格好悪い姿を披露してしまいました。トホホしかし皆さんも一度、じっくり姿見にご自分を写してご覧ください。月日は否応なしに通り過ぎるものです。爆 多く?の反響と日頃のご愛顧に応え、丘の上のポニョ(トド)の写真をL版、はがきサイズ、A4サイズの三種類セットで10名の方に差し上げます。応募者が多い場合は抽選です。(^^♪えっ!?結構ですって?それは残念だな・・ 爆 爆外見が精神の怠慢の反映であってはいけないし、中身はなお大切。人生を重ねて、せめて心は男前になりつつあるのかな・・いずれにしても、日々発見、感動は次から次と尽きることはありません。人生の経験分だけ感動は豊潤にて、心は益々純化していくようです。是非、真の美男、美女を目指しましょう!新婚旅行時25歳~そして現在のタマちゃんです。これからも宜しくお願いいたします。(^^♪ ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年05月10日
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カメラらしいカメラそれはPENTAXいいですね~愛機PENTAX K5ビジネス用のカバンは長くTUMIを愛用しています。丈夫です。そして軽い。私は、さりげなく実直的なブランドが好きです。ほかにはYAMAHAブランドのオーディオも好きです。シンプルで品があり飽きないデザインです。無印良品も好きです。スマホはAppleでなきゃ。派手なブランドが似合わない吉永小百合さんは、本人が無二のブランド。他人と比較する人生より、自負の自分を持つ人生としよう。ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年05月09日
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GW明けて二日目。ぼちぼち仕事しようかな・・マイペース主、仕事従。てな感じでしょうか?悠長なことを言っておられないのですが。まあ、自由優先。先日の阿蘇風景を飾ってみました。で、もう阿蘇に行ってみたくなりました。(^.^)ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年05月08日
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急遽一人で故郷に帰ってきました。帰省すれば必ず立ち寄るのが、市街を見下ろす小高い山の中腹にある松陰先生誕生地。隣接の墓所で手を合わせ、此処の木陰で、そよぐ風も心地よく、ほっかほっか弁当を食べるのです。心が落ち着く一時です。そして上ってきた道を下ると突き当りが、松下村塾創始の地である玉木文之進旧宅。幼少の松陰は、此処で叔父の講義を受けていました。ある時、顔に止まった蚊を追い払おうとして松陰を、「身が入っていない」と叱り付けた文之進に、松陰は縁側から庭先に向けて放り投げ出されます。気骨と責任感の人、玉木文之進は、明治9年、数多くの門弟が加わった「萩の乱」に対する、自己の教育責任を償うとして自刀したのです。自刀したのは、先程の松陰先生誕生地に隣接した先祖の墓の前でした。近代が幕開けした明治に入ってからの事ですからその覚悟に驚愕です。あの乃木希典も此処に寄宿し、教えを受けました。私はいつも此処でしばし寛ぐのです。此処は余り人知られず、立ち寄る観光客も少ない穴場的存在。女性ボランティアガイドの方がおられるのですが、今日は私一人だけでしたから、あれこれ雑談させていただきました。小さな町ですから、此の地を離れていても一つを取っ掛かりにして繋がっていきます。「そういえば、あの店はまだありますか・・」「そうそう、〇〇は?」「実は私、小学生時代、あそこの娘に淡い恋心を抱いていまして・・」「〇〇さんと〇〇さん・・」「しかし〇〇病院の娘は美人だったな」(^.^)「それはそうでしょう。お母さんが綺麗でしたから」「思い出した、もう一人いました」「〇〇店の娘」この三人が私の中で記憶に今も残っているのですよ」「〇〇さんの店は既に無くなって・・」「店に出られていたお嬢さんは近くに勤めにいかれているようですよ」「ところで皆さん結婚されているのでしょうね」「はいもちろん」「それはよかった」それはよかった・・ なんのこっちゃ。^^;そうか・・小学生の時は、三股だったんだ。最近お騒がせな二股の先を行っていたのか・・まあ、私の場合は、相手は何も知らない、ただの片想い。爆五十年近くも前の事だ。三人とも、小学生の可愛い娘のまま、これからもずっと私の胸の内にしまっておこう。ボランティアガイドの人と一時間ばかり話した私は、松陰先生や乃木希典が講義を受けていた畳間で、ごろりと仰向けに寛いだ。此処の昼寝は実に気持ちいい。松陰先生誕生地にて玉木文之進旧宅松陰先生も乃木希典も講義を受けた畳間で昼寝するタマちゃん。^^;しかし、格好悪い~~撮影:ボランティアガイドさん (^.^)ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年05月06日
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今回このローカル鉄道沿線各駅を回りのどかな風景の中に佇む小さな駅で、列車をのんびり待ちました。いいな~南阿蘇鉄道ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年05月05日
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残念ながらの曇天阿蘇風景です。一心行の大桜3分程度コース5,000円、7分程度コース10,000円の遊覧飛行南阿蘇鉄道 見晴台駅にてランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年05月04日
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南阿蘇の二日目は、南阿蘇鉄道長陽駅へ。此処には駅舎カフェがある。自家製ケーキをつくっている駅長兼務?の若きオーナーと会話しながら、ケーキセットを前に、のどかに広がる阿蘇風景を眺める。時はゆるやかにながれ、解き放たれた私の心は大いなる至福を享受する。自らも愛機とするPENTAXの魚眼レンズを「使ってみたらどうです?」と手に差し出してくれた店主。初めて手にするそのレンズを装着し、私は分からぬまま数枚を撮ってみた。カメラにも詳しい店主は、どうやら芸術的センスも十分あるようだ。大好きな此の地に移り住んで数年が経過したという店主は、地元にもすっかり馴染んでいるようだ。私はそれをとても羨ましく思った。私は、再び喧騒の只中に生きることになるのだ。駅舎カフェ久永屋ランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年05月02日
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29日~5/1と南阿蘇の旅を満喫してきました。二日目は雨模様。それでも、今回初めての場所に行ってみたりと、時間に余裕があったお陰で十分愉しめることのできた休日でした。葉 祥明 阿蘇高原絵本美術館にてランキング参加中です。清き一票をポチッと宜しくお願いいたします。2011.3.11(金)14:46
2012年05月01日
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