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先ほどの番組で、安部幹事長が「低公害車が小泉改革の元で進んでいる」と実績に加えていた。晴天の霹靂で幹事長になった人は、何でも今の政権のおかげでできているように言ってるのじゃないだろうか。 低公害車関係は、小渕内閣の最後の年に堺屋氏が担当して、力を入れ始めた。そのときの成果が日産のシルフィへの優遇だったはず。 それ以後、技術の進歩に合わせたりして進むのは当然のことだ。 停滞していたとしたら、森政権かもしれないが、森派をまとめていたのは小泉氏だろうが。 ・・・じつは堺屋氏が担当する前に手紙を送ったことがあって、景気回復のために環境税を作って、人に未来の方向を示せと。 別にそれで初めて気づいたわけでもなかろうが、一応返事は来て、環境担当なんかやってたわけだ。 (目標に比べておとなしい行動だと思ったけどね) それは厳密には言い切れる証拠にならないけどね、しゃくに障る! (ここは試しにさかのぼった日付欄に書いてます)
2003年10月31日
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たぶん、経済のためではなく、政策でも、財政再建でもない。 この人の人事と指導のし方を見ると、内(味方)・外の区別をし、味方に仕事をさせ(練習を含めるので、失敗もかばう)、自分は外と交渉してじゃま者を排除する、ボス体質だと思われる。 たぶん、もともとの始めから、それが自分の体質を生かす生き方だと思ったのではなかろうか。 なにかやりたいことがあるとき、小派閥から見て邪魔なものは大派閥や官僚で、それが利権に支えられていると見たと。 その中心にある金脈が郵便貯金だと。 そのため、政策というより勢力・政局が関心課題になる。 時代ロマン小説のファンらしいので、もともと合っているのだろう。 時代小説に出てくる犠牲の痛みとは、命がけの犠牲だ。それはただの比喩ではなく、「経済よりも高い価値としての時代」のことではないだろうか。 「改革なくして経済成長なし」とは、手法の決断ではなく「政治家なくして経済なし」の宣言では? つまり、小泉改革には経済という価値観はなく、経済は要素の一つに過ぎず、政治はすべての上に立つ。 (上に立つとは、世話をするという意味でなく、中心のものとして他を捨てても先にしっかりするべきものということ。) 思えば、始めの総裁選挙のとき、政治改革が先のような言い方をしていたと思う。 この2年半の間、ずっと勘違いをしていたのかもしれない。この人は経済に弱くて不勉強だから経済を人任せにしているのではなくて、始めから経済は部下のやること、自分は政権を執ることをするだけだという、現代離れした人物だったのではないか。 この人の改革とは、―――特徴として耳に残っている政治改革・郵政民営化・自民党をぶっ潰す、抵抗勢力・・・などが意味する所、―――「政権改革」だったのではないだろうか。 (今ごろ気づいたかという人もいるだろうな。) その育てた集団は、一面けっこう若さのカン違いを見栄で口をぬぐってきて、国を挙げて勉強させた気もするが。
2003年10月28日
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出てきてしまった日本人妻問題。 一人だけだと言われたら、信用するのか、収容所にいないだけで困っている同様の人たちを無視していいのか。 どこまで要求し、どこまで一気に、どこまで段階的に、何をベースにできるか、・・・となってくる。つまりは、どこまでを日本人とし、どこまでを信用とし、どこまでを人道とするのか・・・ 民主党はどういう態度が取れるかによってイメージが変わり選挙結果が割れるだろう。・・・まあ、どこの政治家も避け続けようとするだろう・・・うまい具合に中曽根・藤井問題が起きてるから。 ひょっとして、マスコミも逃げるかな、ややこし過ぎると。 ・・・ここ、サイト名の割りに全然クリアーでないことが多いな。
2003年10月24日
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特許のとりあえずの申請だけなら21,000円で済むが、本当に認めてもらうための審査料金が数年前の4万程度から徐々に上がって、現在は一つの発明当り84,300円。四月からは168,600円になる。しかも始めの申請後3年以内でないと無効。 さらに20~25万にしようという話が進んでいる。 これでは、大学や個人など尻込みして出せなくなる。 特許にかかる費用は、成功報酬を取り入れればいいじゃないか。 個人ができる発明と、大企業がもうける発明とがどうして同じ料金になるのか。 ・・・・と思ったのだが、・・・ ・・ということを特許庁の電話窓口で聞いたのだった。 あとでHPを見てわかった。半額、無料、のサービスがあった。 貧し過ぎる人は、審査料金が0。失業者は半額。できて年が経たない小さな会社の業務上の発明は半額。 しかし、窓口で聞いただけでは倍額払ってしまうじゃないか。 いや、それ以前に諦めてしまう。 それにしてもこんなに高くなると、たまたま条件に外れた者にはきつい。(外れてなくてもそうだが)1。 使い道が見つかる以前に開発し、秘密にしても漏れてしまうから特許にしないといけないという防衛目的の特許が、小さな企業にどんな負担か。 田舎の給与は、都会の半分のはずだというのに。 都会の官僚・委員が考える金の価値で言うと、50万ぐらいかかることになるのだと気づいた者が委員にいるだろうか。2。 高けりゃ申請がしっかりしたものになって特許が認められやすくなると思っているらしい。 特許の出願の慎重さは、試作・実験で変わる。その費用を奪うようなまねをすれば、さらに抽象的な出し方になるだろう。 下調べの未熟なのは、調査が便利なようにすれば済むことだ。今だって安くないのに、調査不足があるのは、不便さがあるからに決まっている。 さらに、審査の文章がわかりにくいから、個人が書き直そうとするとき文章が煮詰まり切らないことになる。 結局、サービスの業務の熟成が足りないまま、改革ということで委員会を作って制度からいじくる。 国民が効率良く制度を使えれば、ハードルを上げなくてもすむはずだと思うのに。
2003年10月23日
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―――馬鹿も賢明さも人にうつる。実体経済はそれ自体脳である。21世紀はイデオロギーの時代―――という、新刊の広告文句だった。 実体~脳であるという比喩は、この人に言われるのはしゃくな気がする。 もともと、 経済はつながりの集合体で、人体にもたとえられるし、人間世界の生態系とも呼べるだろう。人は細胞に喩えられたりする。 現代医学がいう脳のモデルも、細胞の集合体がシステムを作り、作り続けているところを、実況中継してみた姿にすぎない。 どちらにしろ、そういうネットやシステムの集合体の中で活動のつながりが形(パターン)を形成して、それが育っていくのは共通している。 それは定義風に言うと、経済も脳も、世界を自らの中に作り出そうとしてしまう、重層的フィードバックシステムの集合。 なんで読む前に推測で書いたりするかというと、こういった視点は自分がそのうち書こうと思っていたので、読む前の文章形で書いておきたい。 じつはずっと前に、偶然と必然という「ノーベル賞科学者の書いた」という本を斜め読みしたことがあって、例証だけでろくな論理がないカスだった。 その後、養老氏の「唯脳論」をざっと目を通した所、例証はあってもそれが全体であるという論理が見えず、脳と似ているものは脳と似た合理性があるのでなく、脳が原因だと決めつけているようで、なんか「唯養老脳から見た世界論」にしか見えなかった。頭の体操でもなさそうだったし。 それで、「学者が書いた」という売り方に見苦しいものを感じている。 ただ、この広告のせいで 「バカの壁」というのを見ると、おもしろかったので今度は買ったのです。
2003年10月21日
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総裁の藤井氏の発言がどうこうと・・・ そんなことが大事か? 議論は無しで民営化して、そこに丸投げ込みするために首を切りたかった、 反抗されたので、言葉を悪く大げさに取って、橋本派のせいにしてクビにしたい、 ムードで選挙に勝てば、なんでも理由抜きで通る ――――という本音が似合う。 少なくとも、国民はそういう姿勢で見ないとだまされる。 ↓詳細。資産帳簿、地方問題、民営化 藤井発言問題 自民党道路族との絡みで自殺者が出るかもしれないと、藤井氏は石原氏にほのめかした、と。、-------ちょっと待て!。 肝心の道路の話から逃げる口実じゃないのか? クビの大義名分は資産の帳簿を公団が隠してたって言う話がもとだった。 でもvoiceに載ってたけど、 その帳簿では 昔買った土地を昔の値段で評価しているんで、まともな代物じゃない。 それを使ったら「資産不足なのに道路を作り続ける公団は腐っていた」と言えるが、嘘である。 まともに現在の評価をすると、資産が足りないとは言えなくて、公団は健全そうになる。 すると、じゃあ、「何のために公団を急いで民営化するのか」ということになり、小泉政権としてはつごうが悪い。 道路を作ること、その先の地域の将来、日本の中央と地方との関係、日本の意識も含めた未来図、に関わりかねない問題を、語ろうとしない。 考えると道路族に流される。土建の橋本派は敵だ。調整は面倒で、民間に丸投げしたい。民間でうまく考えてくれるさ・・とか。 だから、隠した隠したと言って、公団のイメージを悪くしたがる。・・みたいな。 マスコミは、いわゆる革新(死語)系は、都会派だから道路新設反対。保守派は金がかかることが嫌いなのがはやりなのと、自民内部の泥げんかを下手につっつけないだろう。 選挙は一人/区だから、浮動票をイメージで収穫すれば、誰も文句が言えなくなる。 かくして、小泉派のけんか政治がまかり通る・・・・・という疑いも濃い。 <資産> 資産とは、土地の価格と道路寿命のことだ。道路寿命が来たとき、どうするのか話が無い。だいたい道路は切り売りできないんだから、土地価格なんて意味が無い。 将来の人口問題もある。 政治の都合で作られるものだから公団は作ろうとしない、というのも怠慢だが、これは「最小~最大」、「×%予想」、で出すものだろう。細かい帳簿の形にできるというのがおかしい それにしても、公団に建設計画を実質発注するのは、政府じゃないか。政府にはそれをする (土地の未来を数値評価する) 機能はないのか。 政府にあれば、公団にある必要があるのか。 <委員会という中央政治> ただ、民間の委員会の人たちが、その帳簿の件に左右されているわけではないらしい。 私も思うのに、地方の高速でどれだけトラックが走っているのか疑わしい。高い金払わずにふつうの道を走る車が多いし。その辺はわからない。たぶんあまりにわからないままに作ってきたのだろう。 委員の猪瀬直樹氏らと委員長の対立があった。 それは、委員会が「結論を一つに絞るかどうか」だったはず。 結論を一つに絞らなければ橋本派などに押し切られると。しかし一つに絞られれば、それで首相が押し切ってしまいそうだ。 <石原氏と小泉政治> 石原氏が始めに「自分でしっかり聞いて」と言ってたのは正しい態度だろう。 それを強引に急いで更迭しようとした首相は、たぶん論理的に不利なのを知ってるから考えさせたくなかったんだろう。 石原氏は、若さがあるけど、・・・脳と心臓が疑問になってきた。 果たして、ほんとのことを言ってるのだろうか。 2ちゃんねる(≠NHK。ネット掲示板の方)を見て気づくことがある。微妙な表現は、受け取り方を感情的にして、それを思い込んだ言い方をすれば、いくらでも自分のつ合に合わせて利用できると。 微妙な言い方というものを考えることができずに受け取ったり、その受け取りをそのまま本気にしてしまっている人たちが多いということがわかる。 保守系のいや自民よりの新聞は、たぶんわかっててそれに同調しているんだろうなと思う。 少なくとも、更迭のまともな理由を語れない大臣の言葉は、2ちゃんねる表現ていどに受け取るべきだ。それが国民の正しい眼(姿勢)の持ち方だと言える。 藤井氏のやり方は信用できない態度なので、替わるべきなのだろうが。 <小泉氏の方針> たぶん、『面倒なことは民間に丸投げしよう。官僚が考えるよりも。それが構造改革だ。世論はイメージでやればいい。それが政治だ』『調整するよりも、壊せばあとで育つさ、それが大きな視野というものだ』という頭に違いない。 しかしもしも、汚いやり方を衆愚政治で押し通しているのだとしたら、よくなるものだろうか。 <想像> 現在、手法の大爆発という現象が起きているのじゃないかと思う。それに期待してとにかく民営化というのもわからないではない。しかし、崩れるもの、消沈するものの連鎖がどこまで続くやら。
2003年10月17日
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日本軍の毒ガスについては、1、2年前の評論誌で主張があった。 日本軍は降伏して装備を引き渡したのだし、管理が悪いのは引き継いだソ連や国民党のせいであると。 もともと満州での日本の毒ガス研究は、国民党が大量に毒ガス兵器を買い込んだことによる対抗手段で、共産党もソ連から入手しているし(彼らの三芸作戦という焦土作戦のため)、日本のものが大部分だなどと言えないと。 しかし、共産党政府はそれを認めず、能力がないままに交渉を長引かせて放置すれば、被害が増えて対日感情が更に悪くなるので、形として日本の責任だということにして、毒ガス処理を進めることにしたのだ、と。 ネットで各新聞の記事を見ると、今回の訴訟のガスがたまたま日本軍のものだったかのように書かれて入るが、日本軍が放置した、とは明確に書いてないようだ。本当の所はたぶんわからないのだろう。 現在の胡主席の日中和解の方針のせいでか、中国高官がつけ込むような発言もなく(と思う)、以前よりもなんとなく微妙におとなしくも思える。 それでも、日本軍が悪いものを残していったという知識にしてしまう人がまた増える。
2003年10月11日
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ユング心理学に、集合無意識というのがあるそうで、「人は深いところでは一つながり」ということらしい。 これの混乱している時には人が混乱しているのと同じように、目立った行動や政策結果はまともに出ない、ことになる。 景気が悪いという。なにがいやなのか。自分がつごう悪いのか、世界が不安なのか、人が気の毒なのか、・・・ほんとに明確な言葉をあまり見たことがない気がする。 景気の「気」、雰囲気。 錯覚と実体の入りまじり。 錯覚に実体が動かされ、でも醒めてばかりいても実体は成長しない。 「気」というのは、もともと個人より土地を見るものだったらしい。 人々の集団性向。雰囲気。効果的活力。 昔、祭りで国(藩)起こしをしたり、以前は明るい色がはやると景気が良くなるとか、いろいろ言われた。 80年代以前は、「大衆」と言われた。 その頃は経済対策の効果が大きかったらしい。 それが分衆になり、個人やグループになった。 そして、政府が金を使って景気対策をする効果は徐々に減っていった。 別のとらえ方はないだろうか。 客観的に判定のしようがないので、かなり独断的にサンプリングしてみる。A 歴代首相のイメージ。1。橋本首相 ’96/1~98/7 いかにも、高級官僚、重役という感じで、能力も態度もお高そうで。 そして、不況を問題にする国民に対して、政府の倹約と省庁の再編をやっていた。 結局、国民はただじっと金遣いを減らして待つという耐乏方向を向いた。( というか、もともと消費税を引き上げることがわかっていて、景気対策をするのが1年だけという冷淡さ。 ) 2。小渕首相 ’98/7~00/4 人付き合いで出世したまめな世話人タイプのイメージで、思い切って金を使って、民間閣僚を登用し、改革も進めるという、円満に妥協しながら日本の総力をあげようという雰囲気があった。 芽が出てきて、そろそろ微妙なさじ加減に変更しようとするとき、急死。 3。森首相 ’00/4~01/春 密室で首相になったイメージがあり、ビジョン不明瞭、議論はだんまりぎみ、行動力はのろそう、まるで惰性で日本を動かしていくようなイメージが強かった。 そこを外国人投資家につかれ、日本に不安イメージが広がって、やめた。4。小泉首相 ’01/4~ 「改革なくして成長なし」「抵抗勢力」と、きっぱりというか細かいことは知らんというか、わかりやすいキャッチフレーズで、イメージは強かった。 どたばたしたやり方のせいで、国民は自分で考えることに目覚めてきた気がする。 当初のお祭り気分の錯覚が醒めた今でも、高い支持率をもっているのは、今更下手に政府が動いてくれるのは迷惑だから、という話を新聞のコラムで読んだ。 幸運の政権と言われるが、その幸運は日本人の活性を強引に引き出したことにあるように思う。 経済の中国のシフトの時期を、9/11騒ぎと改革という言葉でごまかしてすごし、何もしないうちに日本人が対応力を身につけてきている。 いままでのところ、小泉氏の功績は言葉にある。 マーフィーの(成功)法則 という本にあったけど、集合的無意識は明確な大声の言葉で変えられるとか。小泉氏のきつい意味を含んだ言葉は、それ自体がものごとを動かしているようだ。 コツは萎縮しないこと。あとは、日本人全部がやってくれる、と。 というふうに、イメージが実体を動かしてきた面が見て取れる。 この辺たいていの人の記憶にあるはず。(違うイメージをもってる方は書き込んでください)。B ちょっと視点を変えて。より主観随筆的に。 昭和の終わり頃、それまでの社会が崩れてきた気がしていた。 ばたばたと戦後を代表する人物が死んだ気がする。(といっても、手塚治虫、土光敏夫、松下幸之助の3人だけしか知らないのに(笑)) 天皇が日本を守る祭祀をしていたとかいう話はあまり現実感がしてないのだが、一種の安心感・信頼感の象徴・記号になっていたことがあるかもしれない。 天皇世代というべきか。 何しろ年よりだから、後ろ向きのノスタルジーの共有によるまとまり、だったのかもしれない。 そのときまで続いてきた集合意識は、戦後の変化の中、そこで寿命が尽きたという気もする。 その頃日本は外国を真似て輸出で稼ぐというそれまでのやり方が飽和し、道を見失って、数字ゲームとしてのバブルが発生した。 始まりは昭和の終わりの2年前。 これをNHKが’90の大特集番組でつぶれかけの所にさらに強引につぶして、大不況の始まりとなる。政治家は知りながら出るくいになるのを怖がって調整のしなおしをしようとはしなかった。(以上は当時の記憶だが、http://www.mmjp.or.jp/tokuchan/bouble.html にも同じことがのっている)( ’90/九月というと、湾岸戦争の開戦直前、海部内閣のときになる。) 集合無意識は寿命があって、ときどき作り直そうとすることが必要だったのかもしれない。 松下幸之助が経営の神様のように言われたけども、つまりは20年ごとにシステムの限界が来たので、高齢ながら直接大改革することになっただけのこと。 新しくなる道を探しているうちに、アメリカモデルが絡みあってもつれているけど。C もう一つ。 ときどきやってくる株の変動で日本の頭が混乱していた印象がある。 それを日本の信用がないからだと叩いていた勢力が、小泉政権では味方についたことで、かえって空売り規制ができるようになった。(2002年春)(小泉首相が反対しなければ、もっと早くできたらしい) それ以降、日本人は落ち着いて自分で考えれてきている気がする。以前なら、これぐらい期間が長ければ、たいてい何かのわけのわからない市場の混乱で、ものを考えられなくなっていた気がする。 大事なのは、日本人が自分でものを考えられるということなのだと思う。 ABC共通するのは、2年やって芽が出始めの気がしてくるということ。続けているとやってきた成果のように思え、やめてしまえば嘘だったように見える、とただそれだけかもしれないが。( 2002年春は、アメリカのバブルのぼろが完全に出た時期で、日本の中国シフトも急激さが落ちた時期だから、ワンセットではあるけども。 )
2003年10月10日
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夏前からの株価の上昇のおかげで、企業の景気予測の感触として‘良くなる’気配に(微妙に)なっているらしい。 これがほんとに良くなる始まりだとしたら、どれぐらいかかることになるだろう。 もともと、不良債権が景気を悪くする大きな理由が、信用不安の雰囲気のせいで企業同士の間で新しい開発計画などがやりにくくなってしまい、経済が止まってしまうことがあった。 企業の借金の解消が進めば、こういう停滞は消えるだろうが・・・・以前のような開発の協力のし方はすでに崩れている。 系列は減り、手法はきびしくなったはずだ。昔の枠組みのレベルでは追いつかないだろう。 たぶん、昔のパターンによる回復はないだろう。 森・小泉時代でここまで壊れれば、新しくなるしかないんじゃないか。/// 日銀の総裁の7月の講演の要約を読んでみた。 内容は、基本的な問題はバブルの後遺症よりも、世界的な大競争とデフレ現象があり、その中で日本は、欲しいものがなく・人口が減少し・不良債権を抱えていること、だと。 企業にがんばってもらうために、いろんな金の回し方の工夫をしていきたい。 銀行もいろんなやり方をするのに、日銀も協力していきたい。 ・・・・まあ、たぶん今や誰でも言う、そこまでしか言えない、ことかな。 先は見えないが工夫することが大事だと。 日銀ってつまりふつうの仕事をするところか。
2003年10月09日
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最近の「金融維新」という本が宣伝している、「日本振興銀行」という民間の新銀行ができるらしい。 中小企業向けを中心として、担保にこだわらない。利息は高め。それでベンチャー・技術開発とくに期待されるらしい。 『銀行は誰がやってもいい』という主張で、大銀行は人々のために金を活かそうとしないから自分たちでやるそうだ。地銀・信金にもないやり方でもある。 もっともな話で、東京圏の大きさしか当面カバーできないらしいが、そのうち次々と同類が誕生することだろう。 金の貸し方が変わるとは、信用のされ方が変わること。たぶん人間観・幸福感にもいい影響が出るはずだと思う。/// この宣伝本の作者でこの銀行の世話人でもある、経営コンサルティング会社経営の木村剛氏が、評論家を敵視している。 ちょうどこの秋頃、景気が持ちなおす気配がでてきたから、現政権よりのこの人はうっぷんを晴らしたいらしい。 それはいいけど、サンケイ新聞でも竹中氏擁護のために経済学者にけんかを売っている。『改革の(汚い)現場ではりくつは通じない。実際にやってみろ』と。 なにか権力的な気がするので、自分なりに両方の意見を補ってみよう。 その相手の意見とは、「小泉政権の政策は間違いだったが、民間のがんばりで成長が出た」と言ってるらしい。 たぶん、「小泉政権の政策は、政府の財布を締めることにこだわって、経済心理を萎縮させ、結局、財政支出を減らした以上のマイナス効果をもたらした。それでも国民は危機感を持って努力しそれを越えかけている」ということなんだろうと想像する。 そういう最近の書評紹介を読んだことがあるから。(作者は京大教授) 木村氏の文はその人自身よりも、そういうケインズ学派の人たち全般をけなしているようだった。 木村氏の主張は、その本を読むかぎりでは「現場は汚い。理論はただのきれいごと」とか「経済が限界なのではなく、現場の腐った制度疲労が原因なのだ」とかいうことらしい。(現場≒大銀行) たぶん、それはそうなのだろう。 ただ、派閥的にものを見るなら、こうも言えるはずだ。 以前、2年続いた小渕政権のときも、芽が出かけたが、中と半端な森政権になってつぶれて、今や始めからごまかしだったと言われている。 でも、森政権のとき、竹中・木村氏なども含む外野が、外国投資家の‘空売り’を「市場の神の声」のように騒いで、日本の信用をつぶしていたはずだ。 中小企業が銀行から追い出されて困っている。それを大銀行のせいにしているが、地方の銀行・信用金庫が貸したくても金融庁の金融検査マニュアルのせいで貸せなくて困ってなかったか? これは、木村・竹中氏が支える小泉政権下で続いていたはずだが。 さらに、政府はそういう企業向けの政府系融資を減らそうとしている。 これらの件を黙って、新銀行の宣伝ばかりしているが。 そういうことに照らしてみると、木村氏の言うのは「権力を使えなかった者は、使えるようになってからものを言え」と聞こえる。 この点が将来にとって気になるので、反論しておこう。 「小泉政権の政策は間違いだったが、民間のがんばりで成長が出た」というのは、つごう合わせの主張ではない。(言ってる人のことは知らない) なぜなら、小泉政権の始めから、「この人にはそれ以外に成果の出始めようはなく、その可能性はわりとある」と僕は思っていたし、たぶんかなりの絶対数の者が思っていただろう。(まるで誤解している付和雷同者がほとんどだったので、ダメかなとも思ったが) 先行き不安の心理不況だから、方向性を自分で見つけようとみんながすると、いろいろ出てくるものがある、――というのは始めから行き着く所だった。 それまでの過程を、金をまいて励まそうとしたのが小渕政権。鞭を振るったのが小泉政権。 小渕政策には粉飾が残っていたのはしかたがない。どちらの政権も賭けをしていたのだ。 始めからいささか予想していた者からすれば、「じゃあ、木村氏は‘民間のがんばりで成長が出ることがある’とは信じない理論屋なのか」とも言える。 冗談。 ただ、この人の十把一からげ的な敵味方の主張が不安。(小泉首相のまねだろうけど) まあ、この間のアメリカのバブルの時期にバブルと見ぬいて警告していたり万一したなら、とんだ誤解かもしれないが。
2003年10月07日
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2003年10月06日
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