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↑この意見の理由は、「不良債権には一段落ついて、企業の借金返済は進んだ。輸出が好調な今のうちに、消費者のふところを暖めて、内需に火をつけろ」と。 ・・・・・数字が並べてあるので根拠がありそうに見えるが、信用せずに考えてみよう。 利子が上がったから何か買おうなどと考えるのは、①買いたい気持ちが貯まっているか、②利子生活者だろう。 企業は需要が増えることで、従業員へのしわ寄せをしなくてすむ状態になっている---ってそれは、③輸出関連企業だろう。 それらについての疑問①現在、先で損をするとわかっていて保険料を未払いにしている人の多い、非サラリーマンには無意味。サラリーマンでも、利子を気にする人は将来不安があるので、それほど買い物に回らない。高給取向けの高額商品は市場が特殊。②利子生活者は、年齢が高く、ちょっと一時的に利子が増えたといってその分をあまり使ったりしない。③弱いところの企業にそんな余力は少ない。かなりの企業でボーナスが減る。 私の見解1 需要に回る比率が疑問。2 成熟社会の市場には時間差がある。金回りが緩んでも、それを受け止めるにはそれにふさわしい商品が育つ時間が要るのだ。3 企業の支出を締めるのは速い。4 人々が展望をもてば需要を回復するだろう。それだけの継続的覚悟と根拠をもたねば信用されることがない。政策カードの無駄使いは、カードの力を弱める。5 経済の基本としては、利子の高さは、個人の金を企業に回してやるための手段。好調な企業が欲しがってもいないのに、不調な企業に強引に貸し付けて、社会不安をまねくのでは。 ・・・・というわけだ。 この手の意見は専門家かな? 数字合わせの経済が通用すると思うのは、東京圏の中堅サラリーマンを標準にしているのだろう。今、彼らの延長で日本をどこまで考えられるだろうか。
2004年01月17日
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秋の頃、「温暖化が進むと、赤道付近で発生する台風の数が減る」というコンピューターシミュレーション結果が出た。 一方で、台風が大型化するという説も週刊誌に出ていたのだが、そのシミュレーション発表のせいか、ネットで探せなくなっていた。 しかし、赤道上の空気が今まで以上に暖められることに違いはない。 台風の発生場所が、赤道よりも高くなっているのが、昨夏の傾向だ。それだけ日本に近く発生して弱まりにくいということ。 金沢のサイトでは、そちらの地方の風は一年を通して年々強くなっているらしい。才とでは別の才とでは小型の台風に分散されなくなるということだ。 そして、この冬の強風。 ―――――――――――――――――――――――― 冬に建物が壊れることは、夏に壊れるよりも怖い気がする。なにしろ、雪と氷がいっしょに来る。高齢化が日本では進んでいく。壊れた建物から、大事なものを拾い出すにも震えてできない。 気圧などの大きな変化は、地震の引き金になる可能性もあるだろう。言いきれないが。 温暖化は、社会資本や家などの費用を増やしてしまうように思う。 そうだとはっきりわかってからでは遅すぎる。 今のうちにはっきりと認定して、環境悪化によるコストを環境税として加えるべきだ。 環境によい技術と生活パターンを軌道に乗せ、新しい文明を輸出する(比喩)。 ―――――――――――――――――――――――― これが日本の、精神的にも生きる道だと思ってきたが、 ・・・政府のやり方というのは・・・ 「ことが起きてから考える」のである。 アメリカのカリフォルニア州では、昔から、先に未来のための規制をつくって、そして世界の環境規制を導いたというのに、・・・ 日本では、 技術ができたら優遇はするが、その財源はわづかでしかない。 日本は、規制という形ですべて官がバランスをとってやってやろうとしすぎる。 それは技術屋の視点から見ると、歯がゆい考えなのだ。開発欲求をもっている者からすれば、思いやりどころか人生を無駄使いさせるしろものだ。 燃費のいい車でなければ走れないとなれば、パワーが足りなくてもいいことになる。 小さな工場の方が競走に有利になる面も出るので、中国などの大工場との競争も有利になる。 ・・・・細かいことを考える値打ちもないほどわかりきったこと。つまり、未来のための本質的な優れた技術や生活パターンの芽が、むだなハンディを課せられているということ。 それにいつまでも手がつかない、というより、打ち出さない。 ○○計画なんて、専門でなければわからないような、すぐ忘れるような地味な名前では、だめだと気づかないのは、権力を抱え込む発想に浸っているからだと思う。 なぜなら、日本を前進させるのは、政府でなく、消費者でなく、ものを売る生産者でもなく、文明を作りそこに住む人間でしかないと、わかっているだろうに、・・・・・わかりたくないのだと思う。彼らにとっての文明とは、自分の職業の持つ地位を保つための=既得権のネットを守るためのものだろうから。 (この辺は、堺屋氏風に呼べば既得権文化、養老氏流に言うとバカの壁、である)
2004年01月13日
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前回書いたように、保育園・幼稚園どちらも市を飛び越えて上の行政に直結していたりする面がある。 保育所――福祉――厚生省。 幼稚園――教育――文部省。 それはわかる。別々の考えでもいいと思う。ただ、別々の考えにしていない人がたいていでは。 全入でない公立幼稚園というのが、矛盾だが。 幼稚園の問題は預かり時間に隙間をつくってしまうこと。 保育所の問題は、教育いや素質の育成ができてないこと。 保育所の方は、物理的なせいなのか、技術的なせいなのか、経営姿勢のせいなのか。 ただ、預かっていれば育ってくれた時代とは違っているらしいのに、対応できないことはしかたないで済ませたままなのか。 これを考えるのに、地域だけで考えると思考が縮こまると思うので、民間組織の視点から、全国、世界、別分野の視野で考えてもらうことがあっていいと思う。つまり、そういう助言を求めるようなことに予算をつけて求めていけば、調査・提言・研究をするNPOでも会社でも育つのではないだろうか。 授業でじっとしていられない・・・ねえ、・・・ まともに座っている姿勢を取れない子供も見たりするけど。筋肉のつけ方、遊びのさせ方などが関係してないかな。 活発さと手の器用さとの関係で見るとどうなのか。 正座もあぐらもできない習慣があったりして(TVと食事以外で)。 そういう子のいろんな特徴を測定するとかしたがらないんだろうな、公的なところは。民間なら度胸ももてようが。追伸 今日「バカの壁」にあった。 最近の子供は、30年前の子に比べて我慢の能力の発育が悪くなっているという。 また、幼児的な暴力性が昔に比べてかなり年長まで残っているという別の話もある。 それらは、創造性人間性をつかさどるという脳の前頭葉の未発達ということで、共通する。これは将来的に幸せを感じる意識レベルが低いことに通じる。 ちょっと慣れないことをすると、子供への影響を恐れてなにもしない姿勢は、子供の適応能力の発達を阻害する。 現状維持したがりの保育園が子供の発達を考えてくれているだろうか。
2004年01月11日
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正月に、市役所づとめの知り合いと話したこと。1。保育は福祉であり、料金は親の稼ぎによって変わる(人によっては数万)。しかし多くが私立。2。幼稚園は教育施設で、5才児しかいかない。公務員なので給料はいい。3時ごろだか早くしまうのでたいていの親が保育に行かせる。3。保育所ではしつけができなくて、問題のある子がそのまま小学校に上がって、授業が一学期間成立しない。4。幼稚園では人手が余っているので4才児も預かろうとすると、保育所から文句がくる。5。基本的に、援助の金はへらさねばいけなくなる。 現在、一応4才児から預かる幼稚園を試験的に始めてはいるらしい。時間はどうだったか・・幼稚園と保育所の中間みたいなものだとか。 保育所でしつけにくい子供は幼稚園の4年に回して、じっくり直すという方法もあるはず。 『失敗したら、その子への責任はどうするんや』、とかの声があるらしい。 何をもって失敗とするのかわからない。逆に言うと、問題をほうっておいて問題がおきたような子供に、その人は何を言えるのだろう。たぶん、『わからんものを比較するな』と言うだろうな。 その世代の子のその後が授業崩壊の弊害が出ているわけだし、世代全体で成長期間を通じてよくなればいいのだと思う。 それ以外にも、保育所では、やたら触りたがる癖の出た子に手を焼いて、しばらくくるなと親に頼んだ例も聞く。 保育所も、保育時間と料金の安さだけでなく、職業レベルを高めるべきだと思う。今以上の向上はありえないと言う人は、95%がエゴによる嘘だ。 『何をもって成功とする』 だれがそれを問うのか、・・・この質問は質問者が最も無責任に言いやすいので一番始末が悪いかな。 幼稚園と保育所の全体での能力余裕がバランスが取れれば、それだけで一応の前進。授業がやりにくくなる子などが減れば成果。 ただ、成果は子供が長期的に成長するということに決まっている。 それがわからないに決まっていると思って、行政は金だけ出せと言う人がいるのだろう。 さて、親はどうだろう。親は成果の客観的に見えないことから逃げるだろうか? 新しいことをするのは、他の子供でやってくれと思うだろうか? 保育はなれが大事で、新しいことは慣れていないから貧乏くじだと思うだろうか?
2004年01月10日
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2、30人学級でなくて、60人学級で教師を2、3人つけようという意見がある。 提案理由は、いじめを防止した伸びやかな育て方。 面白いと思って、考えてみたのだが・・・ 賛成意見の考察、1、生きる力と場。2、教育技術。3、教室世界で育った教師が狭い世界の再生産。4、教師は社会人の唯一の見本。 反対・疑問意見の考察5、育ち方は一面ではわからない。6、2、3人の教師の有効度。7、教室で授業ができるか。 4と6、7が大きいかな。つまりはノウハウしだい。・・・教育特区はもっと広げるべきではないだろうか。参考詳細。◇◇◇提案理由◇◇◇0。60人もいればいくつかのグループが自然にできて、子供はどれかのグループに入りやすい。今でもそれはあるにせよ、選択がより自由だ。 小人数では狭い社会で、子供は行き場をなくしやすく、より集団に従属させられやすい、と。 目を行き届かせるためなら、小クラスよりそのほうが確実だということ。◇◇◇賛成意見◇◇◇1。確かに最近教師が困っているという‘生きる力の教育’というのは、そういうことかもしれない。つまり教師のエネルギー効率の点でも、小クラスよりもいいと。2。教師は初めての担任でも一人で担任する。その不自然さは明治時代は通用しても、これからは通用しないだろう。高度なテクニックを当たり前に求められていく時代だし。 去年の春頃だったかな、文部省は教師の指導力不足が大きいという調査結果を出したはず。指導力――――・・・どうも教育技術のことらかった。3。小クラスは、社会人経験のない教師が一人で、自分の能力のつごうに合わせて仕事(子供)を割り振るような、発想にも見えていた。 というのは、それを望むのは日教組や左翼系感覚の人たちのような気がするが、この人たちは子供を自分のもの扱いして、気に入らない教師の教え子には冷たく当たることがあるらしいので。 それは、狭い世界(教室)で育った者が、再び狭い世界で外の世界を教えようとしても難しすぎるから、より狭い世界(より小クラス)にしようとしていくということに見えるのだ。4。小クラスを望む者が、複数教師を嫌がるとしたら、それは自分の社会性に問題があるということで、そんな者に教育はできない。 教師の意見が分かれるところを見せてもいいはずだ。その上でまとまった行動・態度をとれるところをみせることが生き方の見本であると思うし。 権威というのは鉄壁さよりも、内部で矛盾があるのを見せつつもまとまったところを見せるのが包容力を思わせるだろう。◇◇◇反対・疑問意見◇◇◇5。田舎にいたので、小学30人、中学高校40人だった。 高校のときに、このクラスはグループだけでクラスとしてのまとまりがないという意見も出た。 グループの分かれ方がいいか悪いか、判断しにくい。6。どのみち、5、60人全体として在る以上、教師が複数いることを有効にできることは少なく、逆に埋没しやすい子供がより埋没しやすくなる。7。教室が狭い。壁をぶち抜いても、奥行きが深く声のやり取りが難しい。
2004年01月07日
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あけましておめでとうございます。そろそろ再開します。去年のネタは、年を過ぎると もういいやって気になってしまいました。さっぱり忘れて(……) やり直します。(今のところ PCを初期化してしまって動きません。 代理に書き込んでもらっています)
2004年01月04日
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