全10件 (10件中 1-10件目)
1
ペレの従者たちからホテルに戻った後、朝食を取り1時間ほどお昼寝。その後、ホテルの近くのビーチにシュノーケリングに行きました。この時はiPhoneは持っていかなかったのでこれは、同じ場所で次の日に撮った写真。とても綺麗な海です。魚は泳いでいましたが海に入ると海底の砂なのか、微生物なのか水が少し濁っていて、見えづらく。また、シュノーケリングシューズを持って来なかったので海底に立つのが怖かったので(ほとんどはサンゴの死骸)30分ぐらい泳いだ後ホテルに戻りました。この日の夕食はルーフトップにあるレストランで。マルガリータといくつかのPupus(ハワイ語のおつまみ)をオーダー。ビーツのHumus やライスボール芽キャベツのグリル、魚のディップなど。次の日の朝はビーチフロントのカフェでまたアサイボールとアボガドトースト。4日連続、アサイボールを食べたのは初めてですがなんだか肌が綺麗になった感じで嬉しい。(アサイボールのおかげかどうかはわからないけど)飛行機の時間までホテルのプールサイドで、のんびり。やっぱり、この時期のハワイは暖かくていいなあ。予想していた以上にオアフ島は、美しい場所だったしペレとも繋がれてたった3日間だったけど本当に来てよかったです。和美ちゃんと話していてこれまで一度も思ったことなかったのに「本気で、ハワイ住もうかな~」って何も考えず、言ってる自分がいて自分の言葉に驚きながらハワイに住みたい理由を考えてみました。○日本から6時間(ニューヨークは13時間)さらに福岡からホノルルまでの直行便ありもし、ここに住めば、年に2回滞在が短いなら、3回ぐらい日本と行き来することができる。○年中泳げるし、山もあっていつも自然の中にいられる○ペレとのつながりが強くなる○ハワイ島やカウアイ島はちょっと不便だけどオアフ島なら、ホールフーズもあるし日本食材も豊富に手に入る。(ホールフーズがあるのは大きい)○もし、ワイキキ近郊に住むならバスも結構走っているしウバーがどこでも走ってるから車を運転しなくても住める。きゃ~いいことづくしじゃん。逆になぜ、ニューヨークに住んでるのかわからなくなってきた。で、その後あれ?これってもしかすると?と思って聞いてみるとやっぱり、ペレのお誘いでした。あ~そうか~エジプトの神はエジプトに住むことをハワイの神はハワイに住むことを勧めてくれるのだなあと。もしハワイに住んだらペレとのつながりはもっと強くなるだろうけどエジプトとのつながりはどうなるのかしら?自分が生まれ育った国や場所だけでなく魂の故郷みたいな場所が多くの人にとってあると思うのですが私にとっては、それはエジプトアイルランドギリシャ日本ハワイの5つ。エジプトは、行くたびにホーム感が強くなってエジプトに到着した途端圧倒的に守られている感覚で安心するし(行く前は抵抗感あるんだけど)エジプトにいる間中神々にパワーを受け取っている感じがします。アイルランドは最初に訪れて、最初に入ったバーでいきなりボロボロ泣いたぐらい故郷に戻ってきた感覚が強く蘇ってくるところです。ギリシャも、私にとってすごく安心する場所だしそして、もちろん、ハワイと日本も。で、それなのに私はなんで30年以上、ニューヨークに住んでるのかしら?と思っていたら、後でガイドに言われてわかったのは私は、ニューヨークにいることでハイヤーセルフのバランスを取っているのだそう。つまり、もしエジプトに住めばエジプトの神々との影響を強く受けるしハワイに住めば、ペレの影響をアイルランドに住めばケルトとのつながりが強くなりギリシャに住めば、ギリシャの神々とのつながりそして、日本に住めば、アマテラスを始め日本の神々とのつながりが強くなるとのこと。(この中で、ギリシャの神々とのつながりはそこまでは感じてないけど)あ~それでなのか~もう何年も前から感じていたことですが日本にいる間は、エジプトのマスターたちのメッセージがあまり降りてこない感じなのです。もちろん、アクセスしようとすればどこでもできるのですが日本にいる時は、やっぱり神社の家系的にも日本の神々とのつながりの方が強くなるのだなあと。だから、ハイヤーセルフがバランスを取るためになんのマスターや神様の影響もないニューヨークに住み続けてきたのか~。これまで、どこを訪れても、やっぱり住むのはニューヨークがいいとなる理由は住み慣れてて楽だし、便利だからかな~とよくわからなかったのですがやっと謎が解けました。ああ、だから、3週間はいいけど3ヶ月エジプト行くのは抵抗感があるんだな~と納得。オアフ島移住は、すごく魅力的だけど私のハイヤーセルフは、まだ今の時期はいろんなマスターや土地や古代文明とのバランスを取りたいことが今回の旅でわかって、ほっとしました。ということで、my sister 和美ちゃんともお別れ。きっと、また今年中にはどこかで会えそうな気がするけどね。先日、ニューヨークに戻ってきました。日本にいる間に、レベル1クラスのプログラム作成に取り掛かろうと思いつつ全く何もできず。でも、ニューヨークに戻った途端取り掛かることができるのは私は、ニューヨークにいるとハイヤーセルフのエネルギーバランスが取れるからなのかしら?(単に日程が迫っているからか?)もう1月も終わりですね。今、この瞬間を最大限に感じながら大切に時間を過ごしてゆきたいな~と思います。(すみません、この場を借りてメールのお返事遅れてます🙏近日中にお返事します!)
2024年01月30日
コメント(2)
前回の続きです。前日、ペレの従者たちまで辿り着けなかった私たちはこの日は、朝5時に起きて6時にホテルを出てそこに向かうことに決めて11時には、ベッドに入りました。でも、私が目が覚めたのはまだ夜中2時半でした。「まだ早すぎる寝なきゃ体力が持たなくなるな」と思いつつもっとしっかりとペレのメッセージを聞きたいと言う気持ちが強くなりベッドから起き出してペレとアクセスしました。最初は、今回の私の失敗について決断力や明晰さの欠如の問題を指摘されるのだろうなと思っていました。でも、ペレから伝えられたメッセージは私が全く予想していなかったものでした。ここでは、詳しくは書けないのですが東京での上級クラスのメンバーとの集まりの後、みんなとの話の中で2019年のエジプトでのことが今も私の中で重く残っていることに気づきました。そこでのトラウマや傷というよりそこで得た経験から私の中で、ある一つの疑問や考えにつながっていたのです。メンバーとの集まりの後からそのことが頭に離れなくなりいつも飛行機の中では必ず寝ている私が今回、東京からハワイに向かう飛行機では全く寝ることができずモヤモヤとしたままでした。実は、私は、去年、ガイドから伝えられたメッセージの中に「2024年に3ヶ月間、エジプトに行きなさい」というものがありました。それに対して、私は「3週間ぐらいならエジプトに行きたいけど3ヶ月も行くなんて嫌だ」と、大きな抵抗感を感じていたのです。3ヶ月エジプトとなれば学びになることはわかっていてもかなり大変になるだろうし、さらに今年のほぼ全てがエジプトでの学びや調整に向けられることになるから私が他にやりたいことはできなくなるだろうなというのもありました。でも、高次元から伝えられたメッセージにはこれまでも、ほとんど応えてきたので今度も、きっと私はエジプトに3ヶ月行くことになるのだろうその前に、私のこの抵抗感を外す必要があるのだなとどこかで思っていたのでした。そして、この日、最初にペレから伝えられたメッセージは「あなたのガイドは、あなたの話をちゃんと聞いてくれますよ」というものでした。ああ、私は、ガイドからのメッセージを聞くことはあっても私の話をガイドにして、理解してもらうという意識は全くなかったことにこの時、気づいたのです。ペレ曰く高次元からのメッセージは一つの方向性であって絶対ではないし、あなたがもしそうしたくないのならその意向を話せばガイドはわかってくれますとのことでした。ああ、私は、高次元からのメッセージに完全に従うことができなければ自分自身に満足できなくなっていたのです。だから、今回の日本で事前に「熊本に行きなさい」と言われていたのに熊本に行けなかったことに自分への不十分感と罪悪感を感じていたのでした。東京を経つ日にひいおばあちゃんにつながってそんな罪悪感は必要ないことを圧倒的な愛のエネルギーで伝えられた後そのことに対する罪悪感や不十分感はなくなっていたのですがでも、今年、これからエジプトに3ヶ月行くことへの抵抗感を外すことに対しては気が重くなっていたのでした。そして、さらにわかったのは去年「エジプトに3ヶ月行きなさい」と伝えてきたのはガイドではなくトートだったのです。しっかりと確認しないでメッセージを受け取っていると時々、誰からのメッセージなのか曖昧なまま受け取ってしまうことがあることに改めて気づきました。ああ、トートだったら全て古代の叡智を学ぶために必要なことを伝えてくるわけでそりゃ何ヶ月でもエジプトに行けと言うよなあと。トートは、私に取ってヒーリングやスピリチュアリティの大切な学びの先生であることは間違いないですがトートの意向が私の人生の全てではないことは以前にもガイドから伝えられたことがありました。そして、ヒーリングの先生であるそのトートに対しても私がちゃんと伝えればトートは理解してくれるということにも、ペレからのメッセージで気づいたのです。その他にも、ペレから大切なメッセージが伝えられてそれによって2019年からの想いや疑問も一気に全てが溶けて満たされてゆくのを感じました。何一つ、調整をすることなく高次元の存在からのメッセージだけで満たされたことがこれまであったかしら。結果的にその日、ペレから伝えられたメッセージは私のスピリチュアリティを変化させより幸せに自由に生きることへの道を示してくれるものでした。このメッセージを聞くために今回、ハワイに来たのだな、と。そして、これがペレの言うところの「奉納のための準備」だったのです。和美ちゃんが、私の顔を見て「のりこさん、すごくスッキリしてる」と言ってくれたのですがこの日から、一気にグラウンディングしたことに、後から気づきました。前日から、ペレに捧げるお花を用意して私自身の心と精神の準備も整って私たちは、この日の朝6時に「ペレの従者たち」へ向けて出発しました。ちょうど、この日は満月でした。朝焼けの空、私たちが車を走らせている前に美しい満月が輝いていました。この満月を見ながら「今日は、必ず辿り着ける」そんな感覚がありました。1時間ぐらい走って前日にウロウロした場所の近くまで行き「今日は、このあたりで車を停めてみよう」とあたりをつけて車から降りました。住宅地の中を歩いて海岸へ降りる道を探して「この道はどうだろう?」と、一つの小道を歩いていくとまさにビンゴ!海岸への階段を降りると真正面に、ベレの従者たちの大きな岩が見える場所でした。これは、スタスタ歩いてゆく私を和美ちゃんが撮っていたもの。中央の遠くに、大きな岩が見えるのがわかるかしら?前日は、長い間、ウロウロしてもこの道にたどり着けなかったのにこの日は、一発で最短距離の場所にたどり着くことができたので「ああ、これが呼ばれているってことだよね」と、前日のことを思い出しおかしくなりました。そして、前日私たちが想像していた以上にペレの従者の石までの岩盤は、歩きにくい場所だったのです。水が溜まっている場所の方が多いので水面から出ている岩盤の上を跳び跳びで歩いてゆくのですが岩盤はゴツゴツと尖っているので天気の日でさえ滑って落ちないように歩くのは気を使いました。前日は、途中で諦めましたがどちらにしてもあの雨の中では、到底たどり着くことはできなかったでしょう。「ペレの従者たち」は3メートル近くの巨大な岩が8つあり全てに名前が付けられているのだそう。ペレからそのうちの一つの岩の前で祈るように言われてその岩まで、岩盤を渡って行きました。ちょうど、この岩の向こう側に立つと周りに岩が取り囲まれるような場所がありました。お花を岩の上に置きクリスタルボールを鳴らしペレへの祈りを捧げます。祈ると言うよりただただ与えられた祝福への感謝が溢れてきました。私が祈り終わった後和美ちゃんに「この岩の前で祈ったらいいよ」そう伝えて和美ちゃんもその場所で祈りを捧げました。終わった後、和美ちゃんが「本当に繋がったらもう感謝でしかないんだね」と涙ぐんでいました。うんうん、本当に😭二人で、この祝福を受け取ることができて本当によかった。もし、とか、たらればは意味がないこともわかっていますがもし、和美ちゃんが、オアフに来てくれなかったらこの場所に2回訪れることもこのペレの祝福は受け取ることもなかっただろうなと。(というか、もしそうだったら、今回オアフに来ることもなかったのかもだけど)私たちは、清々しい気持ちで激しく岩に打ち付ける波を見ながら話したり、写真を撮ったりしていました。といきなり、波がどんどん満ちてきて一気に私たちが立っていた岩まで海の水で満たされ私たちは、足もとがすっかり水に浸かってしまいました。「早く帰らないとヤバイ!!」と急いで、動きましたがもうどんどん潮が満ちてきて結局、膝まで海に浸かりながら戻ることになりました。岩盤はゴツゴツしているので水に浸かりながら歩くと岩盤が見えないので、とても怖くて、危ないところでした。なんとか私たちが、ペレの従者たちの岩を離れた後はいきなり、波が穏やかになったので「まるで、祈りが終わったらさっさと帰りなさい、ってペレから言われたみたいだね」と二人で笑いました。すっかり日も登って明るくなっていました。でも、もしあと30分、ここに到着するのが遅れたら、あのペレの従者の岩の周りは完全に海水で埋まってしまってあの岩の前までたどり着くことはできなかっただろうなと。前日に、ペレがこの場所を訪れるタイミングや時間があると伝えてきた意味がこの日、ようやくわかったのでした。ということでこの日の体験は忘れられないものになりました。 他にも、ペレから受け取ったメッセージの中でいろんな気づきがあったのですがまたいつかお話ししたいと思います。
2024年01月25日
コメント(2)
(前回の続きです)トレイルの入り口から遠くに『ペレの椅子」の岩が見えます。(中央に小さく見えている突起)あの岩に向かって、砂利道のトレイルを歩いて行きました。途中のサボテンの花。30分ぐらい歩いてペレの椅子の岩に到着しました。ペレが火山の力を使ってオアフ島を作った後この岩に座ったと言う伝説がある場所です。ここは、想像していた以上に素晴らしい場所でした。ペレの椅子の岩に座りペレに祈りを捧げます。この岩なのか、場所なのかとても清々しく、心地よいエネルギーに満ちていてずっとここにいたくなる感じなのです。全く同じことを和美ちゃんも言っていて不要なものがストンと浄化されエネルギーをチャージしてくれるようでした。この岩の眼下に広がっている風景がまた素晴らしく秘境ビーチのような小さくて美しいビーチがありました。和美ちゃんは、この小さなビーチで泳いでいました。これは、ビーチからペレの椅子を見上げたところ。「この場所に来れただけでもオアフ島に来た甲斐があったね」と、すっかり満足して私たちは、もう一つの場所「ペレの従者たち」へ向かいました。海沿いの道を走ってゆくのですがエメラルドグリーンの美しい海が広がっています。「カウアイ島の海の色と違う。カウアイ島には、こんな色の海はないよ」と和美ちゃん。雨が降り出しましたが海に大きな虹がかかっていました。これは、ライエポイントのククイホオルアという場所。ギリシャのクレタ島を思わせるような風景。どの場所も海が本当に美しく。オアフ島って、こんなに美しい島だったなんて知らなかった〜と感動でした。さて、ここから「ペレの従者たち」までは車で20分の距離でした。ところが、ここを出発した後急に雨が強くなり風が吹いてきました。大体このあたりだろうと言う場所に車を止めて、入り口を探すのですがペレの従者たちの岩への道が見つかりません。「ペレの椅子」は、誰でもわかりやすいのですが「ペレの従者たち」に関しては情報が少なくいくつかのブログを参考にしたのですがそれを読んでも見つけられないのです。そのうち、お腹が空いてきたのでその近くにあったスーパーに雨の中、駆け込んでスナックやプロテインバーを補給。それから、再び、車を何度か移動しながらペレの従者たちの岩への道を探します。こういう時、和美ちゃんは意志が強いというか私は、だんだんと「もう雨で、寒いし、今日は帰ろう」という気持ちになっていたのですが彼女が「私が見てくる」と言って先にどんどん歩いて行くので何となくついて行っていました。そうすると、かなり遠くにその石らしきものが見える海岸に出ました。「きっとあれだよ」と和美ちゃんは海岸に広がっているゴツゴツした岩の上をどんどん歩いて行きます。雨も降っていて、ゴツゴツした岩の上はとても歩きにくくさらに、モヤモヤした気分になっていた私は「これは何かが違う」という感覚が次第に大きくなっていました。場所が違うのか?今日じゃないのか?それとも何が?しばらくは和美ちゃんの後をついて、歩いていたのですがペレの従者、8つの岩への道はまだ果てしなく先に感じてこの雨の中ではとても行き着けそうにありませんでした。とうとう私は「和美ちゃん、今日はダメだ。何かが違うの。(ペレの従者たちの場所に)呼ばれてないのよ」そう伝えるとようやく、和美ちゃんが引き返してきました。「え〜なんで〜あの岩に間違いないのに」と和美ちゃん。ずっと道も見つからない雨もひどくなる岩は見えたけど、ここからだと果てしなく遠い「こんな風にスムーズに行かないってことは、何かがあると思うから。とにかく、車に入ってペレに聞いてみる」そう言って私は、車の中でペレにアクセスしようとしました。すると、ペレにアクセスするための許可が降りていないことに気づきました。私のエネルギーだ。確かに、このモヤモヤ感は霊的なエネルギーを受けた感じです。ペレの椅子のところではとても気持ちよかったのにいつからこうなった?(後で、スーパーで買い物した時に霊的なエネルギーを受けたことがわかりましたが)こんな状態ではペレへの奉納なんてできないからペレが止めているのかしら?そう思って、とりあえず持ってきたクリスタルボールで浄化したら、一旦、落ち着きペレから、メッセージを受け取る許可が出ました。車の中で、ペレ から伝えられたことをまとめると今日はもう、ペレの従者たちの岩には行くことができないことこの場所は、その日の一番はじめに訪れるべき場所であったこと。(私は、訪れる順番などペレに聞いていませんでした)ここを訪れる前に奉納するための準備をしっかりと行うことああ、そうかペレの言う通りだ。これが、ハワイ島だったら奉納するのなら私は準備するのにこのオアフでは、なぜかすっかり、頭からそう言う意識が抜け落ちてしまってこの日は、最初から、余計な場所に立ち寄ったり、計画性もなく行き当たりばったりでした。特に、ハナウマベイで時間を取られてしまったのでもし、あそこに寄らなければ雨が降り出す前に辿り着けたのかも知れません。どちらにしても、ペレから、この日、訪れるように言われていたところを訪れることができず久々に、ペレから厳しく言われて叱られた感じで申し訳ない気持ちになりました。ペレは、私に取って慈愛が深く、暖かいけれど同時に、時には、厳しいメッセージもくれる、ありがたい存在です。ペレ、本当にごめんなさい。私、ボーッとしていて何も考えてませんでした。今日は、もう帰ります。またいつか、ここに呼んでください。それから、車の中で、和美ちゃんと話をして、明日の朝夜明けとともに、ここに来てもう一度トライしてみることになりました。続きは、また〜
2024年01月24日
コメント(0)
今回の日本からの帰国は最初はハワイに寄るつもりはなくレベル1クラスの後半の準備もあるので日本から、直行でニューヨークに戻ろうと思っていました。でも、この数日の東京ーニューヨークのダイレクト便のチケットが取れずハワイ経由ならあったのでハワイに一旦、寄ることにしたのです。せっかくハワイに寄るならハワイ島に寄ろうかな?と思ったのですがガイドに聞いてみると、それはノーの答え。ハワイ島に行くとなると、3泊だと慌ただしくなるしクラスの準備があるのでオアフに3日滞在ならオッケーと言うことでワイキキに3泊することにしたのでした。これまでのハワイでは毎回、ハワイ島に滞在してカウアイ島は2回、マウイ島もオアフ島も1回だけ。ワイキキに滞在するのは初めてのことです、以前は、観光客が多くいるような場所には興味がなかったのでここに来ようとは思わなかったでしょうが今回は、ニューヨークに戻る前にシュノーケリングして一人で海でぼーっとする時間もいいかな、と。それで、クヒオビーチの前にあるホテルアロハラニリゾートホテルを取りました。ところが、後で和美ちゃんにオアフに3日行く話をすると「じゃあ私もオアフに行きたい」と、カウアイ島から来てくれることになりそれならレンタカーを1日借りて回ろうと言う話になりました。日本を夜9時過ぎの便で発ってオアフに着いたのは、朝9時、6時間のフライトで一睡もできず。私がホテルに着いた30分後和美ちゃんも到着し去年のカウアイ島以来1年ぶりの再会です。オーシャンビューの部屋を取ったのでバルコニーから海が見えます。ホテルの前の海沿いのカフェでランチ。(この日頂いた、ACAI BOiWLは結局、3日連続で朝食に食べました)気候は、それほど暑くはなくちょうど気持ちいい感じ。その後、和美ちゃんはプールへ私はホテルの部屋で、お昼寝。夕方に起きて、和美ちゃんとホテルの1階の日本食レストランで夕食を取り、マルガリータを飲んでその日は、早めにベッドに入りました。さて、次の日の朝和美ちゃんが「どこか行くとこあるかペレに聞いてみて」と言うのですが私はオアフ島のことは全く何もわかっておらずどこに行くかの選択肢もありません。「オアフ島もペレの管轄なんだっけ?』などと、半分冗談、半分本気で和美ちゃんに聞いたぐらいペレはハワイ島、と言う印象だったのです。これまで、ハワイ島に到着すると空港でも、ペレを感じることもあったのですがオアフでは空港でももちろん、ワイキキでもペレの息吹は感じませんでした。なので、いくつかのサイトでオアフの情報を探してみると30箇所の自然やパワースポットを集めたサイトがありその中で、筋反射で選んでみることに。30箇所のうち番号で選ぶと、二つの番号が選ばれて見てみると、何と一つは「ペレの椅子」と言う場所もう一つは「ペレの従者たち」と言う場所でした。え~まじ?他にはオアフには『ペレの〇〇」と名付けられた場所はないのに二つ選ばれて、二つとも、ペレの名前がついてる場所だなんて。こう言うのは適当に誰かが名前つけているだけで実際はパワースポットでも何でもないと言うような所も、よくありますがここは、本当にエネルギーの高い場所なのかしら?どちらにしても、ペレの名がついた場所が選ばれたってことはやっぱオアフもペレなのね~などと言いながらクリスタルボールを持っていくと出たので、荷物に入れてホテルを出ました。でも、この時点では私は、全く何もわかっていなかったと言うか軽い観光気分でした。まずは、レンタカーを借りてそこで、オアフ島の南にある「ペレの椅子」に向かいました。レンタカー屋から30分ぐらい走って「もうすぐ、ペレの椅子に着くね」と言う時右側に「ハナウマベイ」の入り口が見えてきました。「ここハナウマベイだよ」と和美ちゃん。「じゃあ、(ペレの椅子に寄った)後で寄ろうか?」と私。でも、なぜか、その時一瞬の判断で、私たちはハナウマペイの方に先に行くことにしたのです。これは、後から二人でも話したのですが大抵、旅の間、和美ちゃんは「私がやりたいこと私が行きたいところ」に行こうとしてくれて私のエネルギーや気持ちを無意識に読んでしまうところがあるのですが一方で、私も和美ちゃんの私を喜ばせたい、と言う気持ちに応えたい、と言う妙な感覚やエネルギーで動いてしまうことがありました。だから、この時本当は、私が最初に行きたい場所は「ペレの椅子」だったにも関わらずなぜか、二人ともお互いのエネルギーに流されてしまいハナウマベイの駐車場に入ってしまったわけです。それが、この日の始まりでした。私は、全く知らなかったのですがハナウマベイは、国の自然保護区に指定されており海の生態系を守るための保護活動が行われているところでした。まず、入り口で25ドルを支払います。(ハワイ在住の方は、無料です)入り口で、しばらく待たれてやっと中に入ったと思ったら今度は、オリエンテーションがあり係の人の説明を聞きその後、ハナウマベイについての説明ビデオを見てそこでやっと、解散となり海岸まで降りることができるのです。たった数枚、ハナウマベイの写真を撮って、すぐに、ペレの椅子に向かうはずだったのに海岸に降りるまでに、すでに1時間ぐらい経過していました。ほとんどの人は、パラソルや椅子やシュノーケリング道具を持っていたので多分、一日中、そこで過ごすために来て泳ぐのでしょうからそこまで時間をかけても入る意味がありますが私たちは、ここで泳ぐ予定もないのでこれはしまったなあと。さらに、私は、そこでサングラスを失くしてしまったのです。ティファニーのサングラスで気に入っていたこともあり海岸や、ビデオ鑑賞の場などあちこち探し、失くし物の係の人に聞いてみたりしたけれど結局、見つからず。和美ちゃんが「これは、寄り道せずにすぐにペレの椅子に向かいなさいってことだったね」と言ったのですがまさに、私もすでにビデオを見ている時点でそう思っていました。ということで、私たちはようやく、ハナウマベイを出発し、再び、車を走らせペレの椅子へのトレイルの入り口に到着しました。長くなったので、続きは次に~
2024年01月23日
コメント(0)
今回の日本で、一つだけ心残りなことがありました。去年、このブログで、家系のカルマ1家系のカルマ2と二つに分けて書いた母の実家、熊本の神社のことです。ニューヨークを発つ前にガイドに聞いてみたら「熊本に行く」と出たので母に電話して熊本の叔父の電話番号を尋ねました。元ボディビルダーの叔父は神社の跡地の一角に住んでいます。叔父に最後に会ったのは、もう10年以上前になりますが叔父は、当時、霊気をやっていたり波動の研究をしていた人なのできっと、話をすれば理解してくれるだろうなと。でも、母が「日本に戻ってから電話すれば?」と言うので、そうすることにして日本に戻ったのでした。1泊2日で熊本に行くとして3週間の日本での滞在中に、どこかで行けるだろうと思っていました。でも、年明けにインフルエンザにかかったことや後半は、母と片付けをすることになったし、福岡の最後はできるだけ母と過ごしたかったこともあり、結局その2日間が取れませんでした。何よりも、今回、日本に来てからなぜか、これまでにないぐらいグラウンディング力が下がっていてちょっと店に入ったり人混みに入るとクラクラするほどでこんな状態では、とても土地の浄化は無理である事は明らかだったので今回の滞在では熊本への訪問は諦めることにしたのでした。オフ会でも、私のブログの内容を覚えてくれている人がいて「神社の事はどうなりました?』と質問されたのでもう前のことなのに覚えてくれていたのだなあと。さて、日本を発つ日その日は、夜のフライトだったので昼に、古くからの友人であるともちゃんと会ってレストランで食事をしていました。いろんな話をしたのですが食事が終わった頃ともちゃんが「そういえば、のりこちゃん、熊本のことはどうなったの?」と聞いてきたので今回は、行くことができなかったと説明しました。そして「でも、私はひいおばあちゃんとつながっているから」と、何も考えず「ひいおばあちゃん」と言う言葉を発したその瞬間私は、慈愛のエネルギーに包まれて、突然ボロボロと涙が溢れてきました。一瞬、わけがわからず「え?私どうして泣いているの?」と言いながら自然と溢れてくる涙を止められないでいました。あの時と同じエネルギーひいおばあちゃんでした。なんて、暖かく優しいエネルギーなんだろう。ひいおばあちゃん約束したのにお役目を果たせなくてごめんなさい、この時、初めて自分が今回、熊本に行けなかったことに罪悪感を持っていたことに気づき同時に、ひいおばあちゃんがそんな罪悪感は必要ないことを伝えようとしていることにも気づきました。ただ泣いている私にともちゃんが「本当につながっているんだね。血の繋がった人が気にかけてくれていると言うだけでひいおばあちゃんは嬉しいのよ」と言ってくれてああ、ともちゃん本当その通りなんだよと、泣きながら感じていました。私はこの愛でいつも、ひいおばあちゃんに見守られ、愛されていているということを全身で受け取りながらなぜ、普段は、そこに意識が向かないのだろう?と。もし、この愛のエネルギーといつも繋がっているなら私は、いつも愛の人でいることができるのに。これは後から思ったことですがひいおばあちゃんが私を愛し、守ってくれているのなら私の母に対しても守ってくれているのだろうなと。子供の頃父からは、情の深さや慈愛を感じていたけれど母はあっけらかんとして明るいけど、ドライなエネルギーを感じていたのですがここ近年、歳を重ねるにつれ母の中に、慈愛を感じるようになっていました。母の中にも、ひいおばあちゃんの愛は受け継がれているのだなあと言うことに、この日改めて気づきました。今も、思い出すと暖かなエネルギーに包まれて涙が溢れてきます。この日の事は私にとってまた忘れられないことになりました。一方、その前日、東京での滞在中多次元キネシオロジーの上級クラスのメンバーで集まったのですが、それもまた、忘れられないことになりました。長くなったので、また次回書きます。ということで、今日からハワイのオアフ島に来ています。東京からたった6時間で、ここは、また別世界です。
2024年01月23日
コメント(2)
さて、今回、私が実家にいる間にやることができてよかったことの一つに、実家にある不要な物の処分や片付けや家具の買い替えを行うことができたことでした。終活とか、そういう意味も少しはあるけれど、それよりも私は、母が老後の人生をできるだけ心地よく、便利に、過ごして欲しいという気持ちがあって以前から、不要な物の処分や整理古くなった家具や家電の買い替えなど勧めてきたのだけど母は、この年代にありがちな物を捨てれない人片付けが苦手な人なのでなかなか腰が重く。実家のダイニングには昔の大きな重い食器棚が二つありそのうち一つのガラス戸はひび割れているしレンジ棚も、もう何十年も使って汚くなっていたし使い勝手も悪くさらにどれもみんなバラバラな色と材質。母は料理好きで、1日中キッチンに立っているのでせめて、家の中でキッチンダイニングは心地よく使いやすくしたらいいのにと勧めていたのですがでも、母は大きな食器棚を動かしたり食器を捨てるのが、面倒なので「もう私は何年も生きないのだから」などと言って、なかなかやる気にならず。ところが、今回、食器棚とレンジを組み合わせることができるシステム家具をネットで母に見せていたら急に、母が「全て買い換えたい」と言い出しその日のうちに食器を処分する気になったのでまずは、大きな食器棚にしまってある大量の食器類を処分することからスタート。母に一つ一つ、「これは今、使ってる?』と聞きながら使わない食器やお盆などをゴミ袋に投げ入れて行きます。この選別の作業母は決して自分一人ではやらないのだけど私が側にいて、問いかけてゆけば捨てることができるのだなと改めて実感。で、最初に母が気に入っていた食器棚の在庫がなくそのまま、母と石垣島への旅行に出かけたのですが母は、旅行中も、何度も新しい食器棚のことを言っていたので本当は新しい食器棚欲しかったのだろうなあと。これまでも、母は私が何を聞いても何が欲しいとか言わないし私が買うからと言うと、必ず「大丈夫、今あるので十分」と言って、なかなか買い換えようとしないのですが私が、強く勧めたりもう勝手にオーダーしてしまうと「これ買ってよかった~」となることが何度かありました。例えば以前、母がコード付きの掃除機を使っていた時に「絶対にコードレスが使いやすいから」と言っても、母は「まだ今のが使えるから」と言って、買おうとしなかったのでもう私が、コードレス掃除機をネットでオーダーして、実家に送ったら母は「こんなに使いやすいなんて。掃除がすごく楽になった~」と何度も言うのです。母の年代にありがちな「もったいないから」という意識があるので何かを欲しいと言う気持ちも抑えてしまうのだなあと。もちろん、今あるものを大切に使うと言うことも、大切なことですがもう何年も使っていて古くなったものを買い換えたりより便利なもの、使いやすいものに変えてゆく事は生活を、より楽にシンプルに心地よく過ごすために大切なこと。そう言ったことをいつも母に伝えてきて母も少しずつ実感してくれたので母も、今回私のアドバイスに従ってくれて、本格的に変えることに。食器棚は、弟やYちゃんも、ネットであれこれ探してくれて結局、自由に組み合わせることができる小さな食器棚+レンジ台合わせて6つを購入し古く大きな食器棚2つ、小さな食器棚1つレンジ台1つを処分しました。重くて大きな食器棚がなくなっただけで部屋がスッキリ広くなったし今、新しい食器棚が4つが届いたのですが使い勝手もいい感じ。さらに、流しの下の使ってない鍋やフライパンなども捨てて徹底的に掃除。食器類と合わせると20袋近く捨てました。圧力鍋が4つあったのですがそのうち2つを捨てて私が今ニューヨークで使っているインスタントポットを勧めて、購入しました。インスタントポットで炊くと普通の圧力鍋より、白米がより速く美味しくできると、母も満足。でも、大きな食器棚を動かしたことでこれまで長い間、隠れていたキッチンの壁が出てきてその部分のクロスが汚れていたので結局、ダイニングルームの壁のクロスを全て張り替えることになりついでに、割れていた天井のクロスの張り替えも行うことになりました。今回、弟夫婦が手伝ってくれて古い食器棚を処分するために道路に下ろすのをやってくれて、また、クロスの張り替えも私が実家を離れた後に二人が業者を見つけて頼んでくれることになり私一人では、とても無理だったので本当に助かりました。さらに、母は、捨てのスイッチが入ったのか私は使わない食器は捨てた方がいいと言っていたものの、着物を捨てろとは一言も言ってないのに母が、2階の着物箪笥にしまってある着物を処分する、と言い出し着物を処分することに。着物は、一着ずつ紙に包んであるのですが母は、中身を見ると捨てられなくなるからと言って、中身を見ずにボンボンとゴミ袋の中へ。高かった着物や祖母の形見分けでもらった着物などそんな着物を思い切って捨てることで、母は、何か心の整理をしているかのように見えました。終わった後、母は「着物を捨てた~」と母の友達に報告してたし着物の処分は母の心のどこかでずっと引っかかっていたのだろうなと。その後、さらに1階の押し入れやチェストの中にある不要な物を処分。でも、家の中にある不要な布や木の製品って本当にネガティブなエネルギーを吸っているのですよね。私も母も、処分が終わった後ぐったり疲れました。まだ、2階の押し入れには使ってない服や物が置いてあるのですが今、母はほとんど2階は使ってないのでとりあえず、2階の押入れの中や不要な家具は、今回の滞在では処分せずまた次回、私が日本に戻った時に処分することにしました。いくら思い出の品であっても押し入れに入れたまま放置していればただのゴミにしか過ぎないしネガティブなエネルギーを発してしまうだけなのです。今回、インフルエンザになった時に実家にある物のエネルギーの影響も受けていることがわかって部屋の浄化もしました。いつも、実家に帰る度にクリスタルボールで浄化しているものの身体が弱っていたりグラウンディングが下がっている時は特に影響を受けてしまうなあと。2階は、まだ要らない物からのエネルギーがありますが今回、キッチン、ダイニングを大きく変えることができたので次回、実家に戻った時に別の部屋も片付けることができそうです。母が、新しくなった食器棚を見ながら「これから、水泳から家に戻ってくるのが楽しみになりそう」と言っていたのが本当に嬉しくて。私の母の年代では多くの人が物を捨てることができないので、友人やクライアントさんでも「実家は物が溢れています」と言われる人は多いです。そう言う親の年代に捨てることを強要してもダメだし今は、もう使ってないものを手放すことで物が取り出しやすくなったり使いやすくなったり見た目もスッキリして、心地いいと言うのを、その人自身が実感するのが一番だなあと。それが、結果的には、終活になると私は思うのです。終活が目的ではなくて便利で心地よく美しい暮らしが目的になればモチベーションも上がるのではないかなあと。ということで、今回の帰省では母と二人で、石垣島を旅をしたし弟の家族とも、神社廻りや素敵な温泉ホテルに泊まったり一緒に過ごせたしまた、多次元のオフ会でみんなと会えてさらに、家の片付けや家具の買い替えもできて全てが充実していたので本当に感謝でした。昨日、私は、福岡を発って東京に来ています。明日には、もう東京を発ちますが日本を最後まで楽しみたいと思います。
2024年01月21日
コメント(0)
一昨日、福岡、博多で多次元キネシオロジーのオフ会がありました。私が福岡に帰ったタイミングでこのオフ会を開催してくださったので福岡近郊だけでなく、はるばる北海道や沖縄からまた、東京や大阪、奈良、京都などからもお越しくださって、本当にありがたく嬉しかったです。画面上では、お会いしていても対面では初めてお会いする方も何人かいらっしゃっいました。15時から、1次会の前にカフェでお茶会をした後17時から、1次会は博多駅の近くの「どげん海』という糸島の食の店へ。魚のお造り、アワビ刺し、焼き魚、もつ鍋や水炊きなど、美味しかったです。量が多くて、食べきれず。その後、二次会で、近くの居酒屋へ行き三次会は、イギリスのバーへ。こうして対面でお会いすると本当にいろんな方たちが多次元のクラスに参加してくださっているのだなあと改めて実感します。今回は、初めて私の義理の妹Yちゃんも、参加できたのが嬉しかった。Yちゃんは、酒飲みで乗りがいいのでこういう場では盛り上げ役として最適。私の母が、甥っ子の面倒を見に弟家族の住んでいる久留米まで泊まりがけで行ってくれたので彼女が参加することができたので母にも感謝でした。夜中1時頃だったか、お開きになりYちゃんと二人で、博多駅近くの都ホテルに泊まりました。去年の福岡オフ会の時に泊まったホテルは、霊がいて二日酔いが酷かったので今回は、念のために音叉なども持ってきたのだけど都ホテルには、霊はおらず。この日、飲んだのはサワーなどだったので、それほど酔っ払っていなかったのもあって最後のバーには、結構霊がいたのですがホテルに戻ってさっと浄化するぐらいで大丈夫でした。遠方から、新幹線や飛行機で福岡まで来てくださった方本当にありがとうございます。またみなさんとお会いできる日を楽しみにしつつ💕
2024年01月18日
コメント(0)
石垣島から戻ってきた後今度は、母と弟家族と5人で1泊2日で佐賀に行ってきました。温泉やサウナに詳しい弟夫婦によれば近年は、大分の別府や湯布院熊本の阿蘇などよりも佐賀や長崎の方が新しくておしゃれなホテルや温泉や店が多いとのことで今回は、佐賀の嬉野へ。まずは、佐賀の神社巡り。最初に向かったのが岳神社。このあたりは、焼物の窯元が多く立ち並んでいて急な勾配の狭い通りを走ってゆくと森の中に、鳥居が現れました。入り口を見ただけでお~これは良さそうと期待が高まります。入り口に、湧き水が飲めるようになっていて飲んでみると、とても美味しい。地元の人が水を汲みに来ていました。この神社は、のどの神様と言われているそうでのど地蔵。370段の階段を登るのはかなりキツいのですが登り切ると立派な杉の御神木が見えてきます。龍の手水舎。巨石をくり抜いた感じで建てられている本殿。訪れる人は、少なく私たちの他は、2、3組だけでしたがきちんとケアされていて何より、森の中、山の上に建てられた神社は隠れたパワースポットという感じでとてもよかったです。その後、向かったのは黒髪神社。ここも龍にご縁のある神社とのこと。手水舎の盆栽が可愛い。ここも綺麗で、心地よい神社でよかったです。次に向かったのが陶山神社。この神社が面白いのは鳥居も、狛犬も、すべて陶器でできているということ。それから陶器の販売をしている店を回ってお買い物した後はこの日の目的地、嬉野八十八へ。去年の10月にできたばかりのお茶をテーマにした温泉ホテルです。温泉が流れる中庭。このホテルが、本当に最高でした。今回、5人なのでコンフォートデラックスを2部屋取りましたがそれぞれに、リビング、ベッドルームの他デイベッドがある部屋と源泉掛け流しの半露天風呂付き。日本の旅館やホテルは霊的なエネルギーが多いですがここはできたばかりということもあって全くそういうエネルギーを感じずにどこも気持ちよかったです。露天風呂に入る前にこのホテルのティールームで行われているティーセレモニーに参加してみました。嬉野の茶の生産者であり無農薬有機茶の栽培を行っている北野さんが、茶師としてお茶の入れ方をレクチャーしながら入れてくれます。ここでは、急須などは使わず抽出器を使ってお茶を入れます。この抽出器は、このホテルをプロデュースした岡部さんという方がデザインし、嬉野の窯元224Porcelin とコラボして作ったオリジナルだそう。最初は80度のお湯を70度まで覚まし抽出器の中にお茶とお湯を入れ、さらに抽出器が冷えないように抽出器を皿の中に置き周りにもお湯を張ります。抽出の仕方、温度、時間あらゆることとにこだわったお茶は、とても香り高く美味しかったです。3種類のお茶をテイストした中で45分かけた氷出ししたお茶も頂きました。水出し、氷出しするとカフェインが出ないというのは初めて知りました。煎茶にも、こんなに奥深い世界があるのだなあと。こんなにじっくりと煎茶を味わったの初めてかも。30分のティーセレモニーが終わった後は1階の露天風呂とサウナへ。ここが最高すぎました。二つのサウナがあって茶のロウリュウがあります。露天風呂に入った後サウナに入って、水風呂に入って外で涼むというサウナ王道を初体験。さすが日本3大美肌の湯上がった後は肌がツルツルになりました。この旅館の廊下は、全て畳が敷いてあって真新しい畳に、裸足で歩くのが気持ちいい。夕食は、レストランの個室で頂きました。これは、前菜。私は、肉抜きでお願いしていたのでその後のメニューはお造り、ゴボウ饅頭竹の子とイカ団子、と続きメインの中トロの炙り、ブリのバター醤油その後、いくらご飯と赤出しデザートでした。ここは、野菜や山菜が本当に美味しくてこんな美味しい竹の子を頂いたのは初めてかも。夕食の後は甥っ子とゲームをした後は部屋についている半露天風呂に入りました。このお部屋の温泉も広くて、お湯が豊富で最高でした。朝食は、和食を選びましたがこれは、目覚めのドリンクと前菜と嬉野の名産の湯豆腐。この他、サラダやメインの魚などが出てきてやはり野菜が新鮮で種類も多くて、美味しかったです。何もかもが素晴らしいホテルや旅館って、滅多にないですがここは、全てが完璧で働いている方も感じのいい人ばかり。また来年も、必ず訪れたいホテルとなりました。ホテルをチェックアウトした後は近くにある美肌の神様豊玉姫神社を参拝しました。ここは、なまずの神様だそう。なまずの置物に水をかけた後美肌をお願いするというもの。美肌を神社で祈るのは、初めて〜🤣近くの嬉野の街をプラプラ歩いて弟が224Porcelinの店を見つけて入ったり、お土産屋で買い物したり。その後で寄った、轟の滝。これは、大魚神社の海の鳥居。空の青とのコントラストが綺麗。帰りは、山の中の蕎麦屋へ。盛り蕎麦や温かい蕎麦の他蕎麦の芽のサラダ、蕎麦豆腐蕎麦の雑炊など美味しかった〜(名前聞くの忘れてしまったけど)ということで1泊2日の佐賀の旅はお天気にも恵まれて訪れた神社もよかったしホテル嬉野八十八は、最高で素晴らしい小旅行となりました。長崎も行きたいところが色々あるし、九州はまだ知らないところばかりでまたいつか訪れたいところがたくさんあります。
2024年01月14日
コメント(2)
お正月三が日が過ぎる頃インフルエンザにかかってしまいました。急に頭痛、吐き気、関節痛が出てきたので最初は、また何かしらの霊的エネルギーにやられたのかなと思って筋反射で見てみると、スキャンリストから「インフルエンザウィルス」と出てきたのでその日から、実家を出ないで安静にして過ごしました。9日から、母と石垣島に行くことになっていたので、それまで回復しないと、と思っていたのですが7日の夜中に母も「私も頭痛がする~」と言い出したので、あ~これはもう石垣島はキャンセルかな~と諦めていたのですが一晩開けて、8日の朝には、母は完全復帰。さすが、免疫力の強い母、回復早い~🤣私も早く回復しようと自己調整。結局、免疫をあげるための調整は、あらゆる次元での調整となりガイドから、次々と課題を伝えられて、まるで、これらの問題と向かい合うためにインフルエンザにかかったかのようだなあと。ということで、無事に回復して9日に、福岡から石垣島へ。飛行機で、2時間20分。考えてみれば、福岡から東京に行くより遠いんですよね。今回、宿泊したのはANAインターコンチネンタル石垣リゾートのクラブインターコンチネンタルです。このクラブインターコンチネンタルに宿泊すると、アフタヌーンティーとイブニングカクテルがサービスされるのでチェックインの手続きの間にアフタヌーンティーを頂きました。部屋は、オーシャンビュー。ここのベッドが最高に寝心地よかった。アペタイザー付きのイブニングカクテル。次の日は、朝食の後観光タクシーで、3時間コースで石垣島観光。マングロープの林。今日は、あいにくの曇り空でしたが川平湾は、それでも、エメラルドグリーンの海が綺麗でした。ホテルに戻って、午後から母が室内の温水プールに入りたいというので別の棟にあるプールへ。ゴーグルつけて、水を得た魚のように泳ぐ86歳の母。全くかなわんわ~設備のしっかりした室内プールに母は大満足。私は、ジャグジーに浸かってました。3日目、午前中はホテルから港までタクシーで行ってフェリーで15分の竹富島へ。そこで、水牛ツアーに参加。こんな感じで、水牛が10人ぐらいを引いて村を回ります。これが、すごくよかった~ガイドさんの話も面白かったし三味線を引いて民謡を歌ってくれて情緒深くほっこりしました。ガイドさんの話では○竹富島の住民は330人 そのうち子供は50人○ここでは、何よりも 水牛が優先される。○この道は、神の道と言われて この島の暮らしは、早朝、ホウキで道を 掃いて掃除することから始まる。○サンゴの砂の白い道は 月明かりに照らされると浮かび上がる○村には、警察も美容院もない○村にある唯一の商店は いつ開くかわからない○石垣はサンゴでできている○新築であっても赤い瓦屋根の家しか 立てることができない○シーサー(魔除の獅子)には、 置く場所など、全て意味がある○水牛は、生後3ヶ月ぐらいから トレーニングされて、水牛によっては 1年ぐらいで牛車デビューする。 完全シフト制。週休3日。 水牛によって、向き不向きがあり 中には5年経っても デビューできない水牛もいる。水牛ツアーが終わってから少し村を歩いて周りましたがとっても静かでした。たった2時間ぐらいの滞在でしたがそれでも、ゆっくりと時が流れている竹富島を訪れて古き良き沖縄を少し感じることができた感じがします。それから、ホテルに戻りました。今回、サイトに登録するとレイトチェックアウトができたので便利でした。これは2日目のアフタヌーンティー今日、15時の飛行機で福岡に戻ってきました。予想外だったのは、1月の石垣島は風が強くて、寒かったこと。ほとんどハワイに行くようなつもりで夏服しか持って行かなかったので最初に着て行った服を3日間着ることになってしまいました。なので、海に入るのはとても無理でした。できれば、この海でシュノーケリングしたかったですがでも、母と一緒に楽しめるところならどこでもよかったのでホテルもよかったし大満足です。今年は、石垣島去年は、屋久島一昨年は、白馬1年に一度の母と二人旅これからも、母が元気なうちにいろんなところを訪れることができたらいいなあと。今のところは、母は、食欲は私よりずっとあって体力もあるし一緒にワインやカクテルも飲めるし元気でいてくれるので本当にありがたいです。
2024年01月11日
コメント(0)
あけましておめでとうございます!今年も、このブログ共々どうぞよろしくお願いいたします!元旦から、日本は地震で火事や事故など、悲しいニュースが続いていますが亡くなった方々やご遺族の悲しみはもちろんのことこの寒い時期の災害本当に大変なことだなあと。1日も早い、救出と復旧をお祈りします。さて、私は、27日に日本に帰ってから母と弟家族とともに楽しく過ごしていました。甥っ子とキャッチボールしたりゲームをしたり母の作ったお節料理を一緒に御重につめたり初詣は、年越しを、去年と同じく家から歩いて行ける志式神社で迎えました。小さな神社だけど、人は一杯。元旦の朝は、龍神との繋がりが深いと言われる志賀海神社へ。書道で描かれた龍の絵が素晴らしい。去年は、この神社に明けてすぐ夜中2時に訪れたのですが今回、朝だったので、清々しく。参道の階段も気の流れが良くて本殿の横からは、海も綺麗に見えてとても好きな神社です。私の実家からは、車で5分ぐらいですごく近くて便利ですが福岡中心地からはちょっと距離があるものの車がある人は、ぜひ訪れて見てくださいね。それから、元旦の午後は、岩盤浴へ。私は、生まれて初めての岩盤浴体験。アメジストの岩盤浴などもあって入ってみましたが普通、こういうパワーストーンは定期的に浄化しなければ逆にエネルギー吸って悪くなるので毎日、こんなにたくさんの人のエネルギーを吸ったら、どうなのかしら。熱で浄化されるとかあるのかしら?でも、具合が悪くなるとかはなかったです。さて、私は辰年生まれで今年が還暦の年なので家族で、還暦祝いをしてくれるということで1月2日は、5人で、海の中道のホテルルイガンスのレストラン玄海でおまかせ寿司のコースを頂きました。何もかも、すごく美味しかった~8歳の甥っ子がとても舌が肥えてて、料理の違いがわかるので、すごいなあと。料理の写真は、撮らなかったのだけど食事が終わってから、花火のキャンドルと共に出てきたチーズケーキ。Universal Love の文字!義理の妹Yちゃんが事前に頼んでくれていたそう。それにしても今年、還暦だなんて、信じられないわ~☺️さて、志式神社、志賀海神社と回ったので三社参りとして、正月の三が日にもう一つ神社に行こうということになり1月3日は、雨模様だったこともあって車で実家から15分ぐらいのところにある、筥崎宮へ。ここは、福岡では、宮地嶽神社、太宰府天満宮と並んで三社参りとして有名な神社なのですが私は地元なのに、これまで一度も行ったことがありませんでした。駐車場に車を止めて神社まで歩く道脇には食べ物やお土産物を売る露店が立ち並んでいます。と、神社に入ると、なぜか、あまりいいエネルギーを感じず。天気のせいなのか、人が多いからかなと思って、最初は、あまり気にも止めなかったのですが本殿に入る門のホコリだらけの天井を眺めながらあ~ここなんかやばいかも?とボーッと思っていました。人が一杯で、慌ただしく、お参りを済ませ露店で、甥っ子が焼き鳥などを食べてさあ、帰ろうと車に乗り込んだ後咳が少し出たので、露店でなんかもらったかなと思ったもののそれほど気にせず。酷い咳が出だして、止まらなくなったのは夜中3時すぎです。もうこれは明らかに何か憑いてるので調べてみると、神社で3体の霊が憑いていました。露店じゃなくて、神社なのか~確かにあの神社、あまりいいエネルギーじゃなかったなあとどんな霊が憑いているのかスキャンリストから、筋反射で調べてみると「醜かった。差別された。虐められた。閉じ込められた。傷つけられた」という情報が上がってきました。あ~これ、昔、筥崎宮で行われていたという見世物小屋にいた人の霊なんじゃないかと。で、ネットで調べてみるとやはり、筥崎宮は、昔、お祭りで神社の中で、見世物小屋が行われていたとのこと。そこで亡くなった人の霊がまだ成仏できずにいるんだろうなと。それが2体憑いていてもう1体は、宮司さんの霊で「その地域で起こった悲劇」という言葉が出てきて、どうやら人種差別をなくすために動いだけれど報われず、無念のまま亡くなった方の霊でした。その3体を解除したら咳はぴったりと治まったのですがなぜ、そんな霊の影響を受けてしまったのか見てみると顎関節のずれと過労と出てきました。ニューヨークでクラスが終わってから準備して、すぐに日本に来たのでやはり疲れていたのだなあと。もちろん、この神社に行っても、みんなが具合が悪くなるわけじゃないしたまたまだったとは思うのだけどYちゃんも、あまりいい感じじゃなかったと言っているし神社は、場所によって本当エネルギーが違うなあと思います。ということで、今日1月4日は多次元の仲間数人で、別の神社に行く予定で昼頃、車で迎えに来てもらうことになっていたのですがガイドから、キャンセルすること今日は出かけずに家でゆっくりすることと言われたので泣く泣くキャンセルしました。1月16日に福岡で多次元のオフ会を行うことになっているのですがそれには参加できない方たちが4日に来られることになっていたので会えなくなってすごく残念。せっかく色々準備してくれたのに申し訳ない気持ちですが無理は禁物なのは、十分わかっているので今日は、家でのんびり過ごしつつ過ごしています。
2024年01月04日
コメント(0)
全10件 (10件中 1-10件目)
1