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私は日頃、コシヒカリを食べてます。ですが、うちの社長のイチオシはササニシキ。さらに高級すし店では、ササニシキを愛用しているところが、けっこう多い。だいたい歴史をたどると、コシヒカリの登場により、ササニシキはシェアを削られ、うちの山形県でも、生産高は、全体の10%にも満たない絶滅寸前のトキのような存在です。昨日、巨大戦艦ジャスコに行き、米売り場を見るとやはりササニシキはなかった。。。さっそくササニシキを食べてみました。一口目、”ふつう”二口目”ふつう”メリハリは、やはりコシヒカリが上だと思いました。ですが食べ進むと。。。なんか箸がすすむ。おかずと一緒に食べると、その時! わかりました。どうやら、ササニシキは相手を立てて、全体の調和を上手く出すことの出来る米のようです。だから、すし屋では、シャリがしゃしゃり出る事のないササニシキが珍重されるのだと分かりました。とにかく、くせのない米で、食べやすいのです。ササニシキを食べた後で、コシヒカリを食べると、赤飯を食べているような食感の錯覚を覚えます。美味しんぼの海原雄山が好きそうな味でした。
2008.01.31
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生涯、演歌とクラシックのCDを買うことはないと固く誓っておりました。ところが、今、私の後ろで流れている曲は、ベートーヴェン交響曲第5番。ベートーヴェンの弟子のシントラーが、師匠に、第一楽章を開始する4つの音について質問したとき、ベートーヴェンは”運命が扉を叩いているところだ”と答えたことによって”運命”という副題がついた曲です。どうやら私のブログのアクセス数が、会社のホームページのアクセス数を超えたらしい。といっても会社のアクセス数が異常に少ないのであり、ほったらかしにしているのだから無理もないことである。うちの会社は米屋ですが、私はカフェ屋をやっているので米のことは、よく分かりません。実際の店舗の店長をやってますが、ネット店長の仕事は、さらに分かりません。だから、きっと米屋のメールマガジンで、スペースシャトルの話を”熱く語ってしまうと思われ、メールを受け取った相手は、まず米を買うことはないでしょうベートーヴェンは、耳が聞こえないなか、あの”第九”をつくった!それにくらべれば、たいしたことはない。。。。と、思うことにしよう。。。とりあえず、あしたは、ササニシキを食べてみることにする。
2008.01.30
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一人の青年にあった。地元スーパーの息子さん。地元には数年前、巨大ショッピングモール、ジャスコが来た。ジャスコと品揃えのかぶる店は、ダーウインの進化論の通り消えてゆきました。そのすさまじさは隣町の商店街の壊滅にまで及びました。にもかかわらず青年のスーパーは今日も元気に営業している。車の保有台数、全国1~2位の山形県において青年のスーパーは駐車場は5台も止まればいっぱい。(ジャスコは1500台以上)にもかかわらず。。。柔道の言葉に”柔よく剛を制する”というフレーズがあります。まさに青年のスーパーはそうやって戦っているように感じた。自分のパンチはとどき、相手のパンチはとどかない微妙な距離。。。今日のジャスコは火曜市。なのに青年のスーパーに餃子とぶり大根(お惣菜)を買いにいったら駐車場は満車。店内もお客さんでいっぱい。青年の店は商品力があり、大手から卸の依頼もあるのですが断るんです。なぜ、それは注文を受ければ業務拡張につながり、仕事が大きくなり、大きくなってしまうと、それを維持し続けなければならず、売り上げを作り続けなければならず、その瞬間、立場は逆転し、相手は一転して足元を見て無理な依頼をし、その依頼を受けなければならず、じょじょに疲弊し最期はTVに出てくる、大手食品会社や老舗和菓子屋、高級料亭のようなストーリーが待っているからだそうです。深い話だなあ~思いました。だいたい本屋さんに行くと”成功するため””会社を大きくするため”のハウツー本はたくさんありますが、仕事を断り、大きくしないことを勧めする本はあまり見かけません。タイタニック号や戦艦大和など、沈むことがないといわれた船が以外にあっさり沈む。。。ジャンボジェット機はエンジンが止まると墜落するそうです。でもセスナ機はエンジンが止まっても滑空し飛び続け、うまく運転すれば墜落をまぬがれることができるそうです。近すぎても、遠すぎてもだめ。いろいろな意味、間合いは大事ですね~
2008.01.29
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つねに向かい風の人、島田俊平。彼は経営破した街、夕張出身。そして、”あの!”北海道拓殖銀行の元行員。そして今回用意されたステージは、”白い恋人”の会社、代表取締役社長”つねに向かい風の男である。 昨年、白い恋人が営業再開し、目にうっすらと涙をためていた老人である。きっと様々な出来事が老人の脳裏を去来。。。TVでは営業再開後、以前の3倍ぐらいの売れ行きで、売店では欠品が相次いでいると現象面だけをかるくニュースで流していましたが、おそらく観光客(内地の人間)だけではない、大勢の北海道民の応援が後押しをしたような気がします。島田俊平の応援を。。。私はむかし北海道の旭川市に数年間住んでいました。氷点下41度という名前のお菓子が売っているぐらい寒い街です。今では超有名な旭山動物園のある町でもあります。私の住んでいた頃から動物園はありましたが、一度も行くことはありませんでした。なぜなら、なにもない動物園だったからです。入園者も少なく、夏の終わり頃には閉めてしまっていたと記憶しております。まさか近い将来、上野動物園よりお客さんが来るなどとは想像できませんでした。ひとでずいぶんとかわるものです。ほんとうにひとにはおどろかされます。島田さんがんばってくださいね~
2008.01.29
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スペースシャトルは、いままで5機作られました。そのうち2機が空中爆発。3月にエンデバー号で土井さんが宇宙に行く。リスクを楽しむことの出来る人はいつの時代もかっこがいい。宇宙はけっこうと近い。行くのに15分、帰るのに25分ぐらいだそうです。だいたい東京から熱海ぐらいの距離で、地球を100センチの玉に縮小すると、スペースシャトルは、玉の外側3センチ辺りを飛んでいるのだそうです。ちなみに縮尺で富士山を表現すると、0.3ミリぐらいになるそうです。そのわずかな距離ではあるが、宇宙へ行くと意識がずいぶんと変わるらしい。以前、フロリダのケネディー宇宙センターに行ったとき、宇宙を描いた油絵をたくさん見ました。正直、お世辞にも上手いとはいえない作品ばかり。聞いたところ、どうも宇宙から帰ってきたらバリバリの科学者が、絵描きや牧師になってしまうケースが結構とあり、その油絵は絵描きになった宇宙飛行士たちの作品だったのです。地球にへばりついているものには不思議な話です。エンデバー号は、チャレンジャー号の爆発後つくられた機体です。チャレンジャー(挑戦という意味)がついえた後、エンデバー(努力という意味)で再び宇宙へ行く。最先端のNASAも、けっこう基本は努力という。。。甲子園を目指す野球少年と同じである。
2008.01.27
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冷蔵庫のなかより寒いまち。。。 つらら1メートル79センチ 気温マイナス9.8度 あさひとつららがきれいなあさ、それと青空も
2008.01.27
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日本人がピアノコンクールで勝てないのは、ピアノを弾いてしまうからだそうです。ノーミスで完璧に弾くのですが。。。ピアノは弾くのではなく”歌わせるもの”なのだそうです。たとえていえば、写真と絵の関係に近いのでは。実際に正確にその場を写し取る写真よりも、印象派の絵のほうが不正確な表現ではあるが、より正確に雰囲気を伝えることが出来る。つい4日前までは、アマゾンでR35のCDを買って聴いていた(JAYWALKの何もいえなくて・・・夏はいい)ものですがベートーヴェンの面白さを知り、今度は、ブラームスとショパンを買うことにしました。とくにショパンの”別れの曲”というのが早く聴きたい。なんでもショパンいわく”一生のうち二度とこんなに美しい旋律を見つけることは出来ないでしょう”と絶賛した曲だそうです。とても気になります。今、くだものや野菜、お酒をつくる時に、モーツァルトやベートーヴェンを聴かせて育てる人が増えている。なんでも音響熟成法というらしい。より甘みが増す、なぞの現象。なんとなくではあるが、くだものの気持ちもすこし分かるような気もする。なんとなく追伸モーツァルトベリーといういちごがあるらしい
2008.01.26
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今、一ヶ月、1000個売る土鍋がある。累計でも35万個売ったらしく、しかも2005年にはグットデザイン賞まで受賞した。わたしは、こういう言葉に弱い。さっそく買っちゃいました。感想コシヒカリを炊いたのですが、すごく力強いねばりと、米粒がとてもしっとりしており、やさしい食感でした。たとえていえばガスで焼いたうなぎと、炭火で焼いたうなぎの違いに、表現が近いかもしれません。この土鍋は伊賀焼きなのですが、伊賀焼きがまた良いらしい。伊賀はむかし琵琶湖の湖底にあったそうです。だから粘土の中に炭化した多くの植物を含んでおり、その為、焼成すると多孔性な素地となるそうです。その為、食材に直に熱を伝えずに、芯からあたためる事が出来るのだそうです。時代の流れの中でワープロやポケベル、たまごっちは無くなってしまいましたが、ちょんまげ時代からある土鍋や、私が昨日買って、はまって今日も聞いているベートーヴェンは、これからも変わることはないのでしょう
2008.01.25
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生まれて初めて、クラシック買った。 たまたまアマゾンで買い物していたら、すごいレビューがたくさん書かれたCDがあり衝動買いしてしまいました。昨日の日記にも書きましたが、日々すごいスピードで変化している世の中にあって、このCDは1976年の4月にロンドンで録音されたもの。今からなんと30年前。。。にもかかわらず、このCDを超える作品は、いまだに無い。らしい。(好みの問題もありますので)しかも驚くことに、このCDでピアノを弾いている方は、88歳のおじいちゃん○☆△!(ジャケットの写真の左側のサンタクロースのような人です)このおじいちゃんは、ルーヴィンシュタインという人で、11歳から天才と呼ばれ、80年間天才であり続けた人だそうです。CDに入っていた説明文より~”ルーヴィンシュタインは、その演奏術にかけては、若い頃よりありあまるほどの才能を持った天才であったが、およそ80年にもおよぼうという長い演奏生活の最後の時期に一気にそれを突き抜けてしまった。この演奏全体を支配する唯一のものは人間が音楽において手に入れることのできる精神の高貴さの極限である。”まったくすごい形容詞のオンパレードです。聴いた感想は今日は吹雪、あたたかい部屋で、荒れ狂う大自然をながめながら苦いコーヒー。。。BGMにはぴったりでございました。
2008.01.24
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一流企業が、ずぅっと一流のままでいる事が出来ないのは、ゴールが変わってしまうからだそうです。たとえば、戦後日本の小売業、売り上げ日本一は三越百貨店でした。ところがスーパーという業態が出てきて、売り上げ日本一の座は、ダイエーに移ります。そして、しばらくすると今度は、コンビニという業態が現れて、売り上げ日本一の座は、セブンイレブンに移ります。面白いのは、三越の人がスーパーを作ろうと思えば作れるだけの、お金と人材はあったと思われるのですが、結局つくれません。また、ダイエーもセブンイレブンは作れませんでした。最近読んだアメリカ経営者の言葉”生き残るのは、最も強い種でも、最も賢い種でもない。最も変化に適応した種が生き残る”のだそうです。クモは足を1~2本切られても生きてゆけますが、頭を切られると死んでしまいます。ところがヒトデは、どこを切られても死にません。二つに切られると二匹になってしまうだけなのだそうです。だから環境が悪い時は、1本1本の足が独自に考えることが出来るヒトデ型の組織が有効なのだそうです。感想としては、クモやヒトデは気味悪いので、うさぎやコアラで例え話を作ってもらえたら、もっと、ほんわかした話になったと思われます。
2008.01.23
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ペリーが黒船で日本に来てから、まだ150年ちょっとしか経っていないんですね~当時の江戸の人は驚いたことでしょう。金色の髪の人間を始めてみたのですから。ペリーの方もちょんまげには驚いた事でしょう。しかも失敗すると切腹という儀式があった国ですから。。わずか150年の時間で、日本人も随分と金色の髪の方が増え、高校の修学旅行や社員旅行で普通にアメリカやカナダに行ってしまっているからすごいことです。実際、私もフランスやニューヨークには行ったことがありますが、山口県や富山県には行ったことがありません。ますます地球は小さくなりつつあるようです。以前テレビで宇宙飛行士が、地球を一周するのには1時間30分くらいかかり、大西洋を横断するのには、24分ぐらいかかるから、やっぱり海は広いなあと感じたと話しておりました。(山形から東京までは新幹線で2時間以上かかります。) 私の宝物は、アポロ13号のジム・ラヴェル船長の直筆サインです。なぜか、わたしは月着陸した11号より、地球から30万キロ離れたところで爆発事故をおこし、しかもJAFも呼べないところで様々な危機を英知で切り抜け、無事地球に戻ってきた連中の方に魅力を感じます。NASAの人も”給料に見合う仕事をしたのは、11号を月面着陸させたことより、13号を地球へ帰還させた事だ”と語り継がれているそうです。まったく同感です。あと100年もしたら、高校の修学旅行で、月や火星にいっちゃうんでしょうか。その時、黒船とペリーにまた遭遇するのかも知れない。楽しみはつきません。
2008.01.22
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日本語で、バーチャルとは”仮想”という意味になりますが、本来は”実質上”という意味が正しいようです。だからバーチャルマネージャーといったら、仮想店長ではなく、実質上の店長という意味になるのだそうです。 私は、”バーチャルリアリティ”とは、いままで距離を置いてきました。モバイルという単語が、携帯電話を意味するものだと最近知ったぐらい無知です。昨年の夏から、ウオーミングアップでブログをはじめました。昨年末には、インターネットビジネスの講義を受けに東京に行ってきました。となりの席で一緒に講義を受けていた方は、某大手女性用下着メーカーの方でした。私”下着が、インターネットで売れるのですか?”下着メーカーさん”返品も確かに多いのですが、売り上げは伸びてきてますね~”そのほかの受講者の方も、老舗の和菓子屋さん、紳士服屋さん、靴屋さん、家具屋さんまでいらっしゃりました。”モバイルで机が売れる時代””銀座の一等地にカウンターだけの牛丼屋さんが繁盛する時代”過去の経験の延長線上ではない、新しい雰囲気の未来が出来つつあるようです。遅ればせながら参戦。きっと下着や家具や靴が売れるのだから”お米も売れるはず”。。。
2008.01.21
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今日の山形はいい感じの吹雪。店の中は、社長と私の二人だけ。今日の売れ残りを想像すると私の心の中も猛吹雪でした。すると一本の電話が。。。”今日、混んでる~”私”さっきから社長と私の二人だけです。今日はコールド負けです。”お客さん”じゃあこれから行きます~”電話の一時間後、店の中は、年末のアメ横状態となりました。そして一つ残らず完売。小さいお子様とお母さんのグループでした。店の中は、吹雪を見て、おおはしゃぎのちびっこが駆け回っておりました。本当に子供は雪がすきなんですね。私はカウンターで、まだ1歳にならないお子さんのお母さんと話しておりました。びっくりしました。エコの話をしていたのですが、一番のエコ暖房は、赤ちゃんを抱っこしていることだそうです。赤ちゃんは実に暖かく、平熱で37度あり、泣き出すと38度にもなってしまうのだそうです。今日の山形の最高気温はマイナス1度。なのにアイスクリームを食べたくて、わんわん泣いてお母さんにアイスをねだるお子様を見ると、そこまで熱くなれる子供に、私も負けずに熱くならなければと、ライバル意識をひそかにかき立てられました。
2008.01.17
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ラジオの子供電話相談室で、ちびっ子が”なぜ山は遠くから見ると青いのに、近くで見ると緑色に見えるのか?”との質問があった。だれでも見たことのある普通の風景を見て、疑問を創ることの出来る子供はすごいと思った。りんごが木から落ちたのを見て、重力(引力?)の存在を見つけたニュートン。これからの時代、このような視点でものを見ることの出来る人がビジネスで成功してゆくのでしょう。ちなみに、ちびっ子の質問の答えを書いときます。山を近くで見ると緑に見えるのは、山をおおっている木々の色が緑色のためで、山を遠くから見ると青く見えるのは、見ている所から山までの間には、たくさんの空気があり、その空気の反射で山が青く見えるのだそうです。そして、その現象をレオナルド・ダビンチが絵の技法に取り入れ、空気遠近法として、絵に立体感と奥行きを出したのだそうです。だからダビンチの絵も近くの山は緑色で書かれ遠くの山は青色で書かれているのだそうです。ちびっ子凄い!
2008.01.13
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むかし、日本がアメリカと戦争に突入する少し前、軍の暴走が激しくなるなか、”私の在任中、戦争はない”と断言した外務大臣がいました。それが廣田弘毅(ヒロタコウキ)です。にもかかわらず、この人は、日本が戦争に負けた時、東京裁判で軍人たちのなか、唯一文官として”デス バイ ハンキング”を宣告された方です。判決の翌日から減刑のための署名運動が行われ、東京で3万名、福岡では実に7万2千名もの署名が集まった。(終戦直後の混乱の時期にです)彼は、貧しい石屋の長男として生まれます。小学生のころは、学校が終わると、付けようの松葉を売り歩き、夜になると友達から教科書を借りて勉強する日々を送ります。つねに”自分で学費を稼いでなにが恥ずかしいか”と自分を奮い立たせていたそうです。外交官にあこがれて試験を受けるも英語の点数が悪く不合格。でも彼はすぐさま、アメリカ公使館の通訳の仕事を見つけ働きだし、翌年、トップで試験に合格します。しかし、その後の廣田はつねに軍の圧力の前になすすべがありません。たとえて言えば、当時の日本で軍の批判を言うということは、今の北朝鮮で軍の批判を言うのと同じくらいリスクのあるものです。戦争末期、廣田が終戦工作をしているという情報が漏れ、”日本軍の飛行機”が低空飛行で廣田の家に銃弾を撃ち込むこともあったそうです。 そして警察からは近所迷惑になるから引っ越せとの指示があったそうです。。。練馬の知人宅に移れることになり、消防車で移動中、なんども軍の車とすれ違い、家族が”顔を伏せてください”といっても聞かず、彼は、平気な顔で沿道の焼け跡をいつまでも眺めていたそうです。 そして、その後日本は戦争に負け、東京裁判が始まります。そして、廣田は公判中、一言たりとも己を弁護することはなかったそうです。みかねて軍人の一人、佐藤賢了が”戦争に負けて殺されるのは、われわれ軍人だけでたくさんだ。あなたのような外交官などは早く帰ってください”といったそうです。その時、廣田は佐藤に”尋問に正直に答えれば、他の人に迷惑がかかるでしょう”と言ったそうです。 最期、処刑に立ち会った監視兵の話です。”ほかの人はいろいろ身振りをしたり、つぶやいたりししていたが、廣田さんだけは終始黙々として一言も口をきかない。そして顔色一つ変えずに、黙々と絞首台に上がっていきました。そのときの光景は、私の脳裏にまざまざとこびりついています”と話したそうです。 付け加えておくと、廣田の最愛の妻、静は廣田の裁判が始まり、廣田が”申し開きはしない”と覚悟を決めたのを見て、廣田の心残りがないようにと、彼女は自ら命を絶ってしまいます。そして死の直前に彼女は子供たちに”パパを楽にしてあげる方法がひとつある”と言い残していたそうです。そして、廣田は静の死を知った後も、家族宛の手紙を書く際には、文末に”シズコドノ”と書き添え、静宛として送っていたそうです。
2008.01.03
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”わたしたち自身が、じつは私たちの敵そのものなんです。”最近読んだ”アルファドックカンパニー”という本に登場してくる台詞です。 うちの店は、明治から続く米屋プロデュースのカフェです。昨年末、うちの社長が、中華料理店で昼ごはんを食べていたら、うちのカフェの常連さんとばったり行き会ったそうです。そして、ひとこと”パン屋の社長さん、いつもおいしいパンをありがとうございます”。。。この言葉が、うちの店の昨年一年間の仕事を総括している言葉だとも言えます。顧客ニーズに合わせて、仕事をしていたらパン屋になってしまった。。。うちのカフェは田んぼのどまんなかにあり、お客様の中にも農家の方はたくさんいらっしゃいます。おにぎりが売れるかどうかは容易に想像がつきます。昨年は、お客様を見て、商品作りをしてきました。今年は、お米を必要としているお客様を見て、商品作りをしてゆくことになりそうです。つまり、田んぼのないところにすんでいる人々に対してアプローチしてゆくということです。米屋カフェとして、稲作農家の将来を守るということは、すべての事情に優先されるものなのです。昨年一年間、カフェを愛していただいたお客様には迷惑をかけることになりそうです。反省と期待の2008年スタートです。今年もよろしくです。
2008.01.01
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