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OBAYAN28号さんへ前回日記へのコメントありがとうございました!”ピンチはチャンスだとよく耳にしますけれど最悪の事態で発想の転換はなかなか思いつかないものですよね。そうか、白紙に戻せば開けるのか。”そう、そういうことだと思います。じつは、白紙に戻すことは、後退ではなく逆に近道なんです。以前、メリケンの経済学者が、そのことを、”ブルーオーシャン戦略”と呼んでましたね。たしか、シルク・ドゥ・ソレイユの例を出しながら。。。 さらに、もっと、もっと 昔には、中国の戦争の天才、孫子(そんし)が、”迂(う)をもって真となす。”と言ってます。約すと、”回り道がかえって近道となる。”つまり、効率だけでは、真に迫れぬものがある。という意味になります。具体的な話としては。。。新幹線がいい例だと思います。スピードで、鉄道が飛行機に勝とうとしたとき。。。まえからある駅や線路を利用していたのでは、どんなに技術と長い年月をかけ工夫をしても時速300キロは出せませんでした。そこで、シンプルに、”新”しい”幹”(みき)となる”線”を作ってしまいました。得体の知れない未知のナニかは、残念ながら過去の延長線の上にはないようです。過去の延長線の上(つまり未来)にあるものは、体力勝負の価格競争でしょうか。
2009.01.30
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松下幸之助はいった。”好況よし””不況さらによし”いささか、”きれいゴト”のような、やせ我慢のような。。。。。。言葉に聴こえる人も多いのではないか。じつは、この言葉が誕生するキッカケとなった出来事を知っている人は少ないと思う。以前、この日記で、京セラの稲盛さんが、若き日、松下電器の容赦無いコストダウン要求に、鍛えられたエピソードを紹介しましたが、じつは、松下電器も日々、他のメーカーから同じように厳しいコストダウンを要求されていた。昭和30年代、ある日の松下電器。松下電器は、トヨタ自動車へカーラジオを納入していた。あるとき、松下電器はトヨタ自動車からカーラジオの価格について20%の値引き要請を受けた。トヨタといえば。。。。そう、”乾いた雑巾(ぞうきん)をしぼって水を出す会社”といわているほどコスト意識の高い会社だった。 のちにその姿勢が、結果にむすびつき世界一の自動車会社となる。(つまり現在)話を戻すと。。。もともと松下電器がトヨタに収めていたカーラジオは、ただでさえ価格を抑えて納入されていた。具体的には、利益3パーセントしか出ていない状況だった。つまりトヨタの要請どおり、20パーセントも値引きをすると、差し引き17パーセントもの赤字になってしまう。。。松下電器の技術者たちは。。。”トヨタはとんでもない会社だ!”といって怒り出しました。すると、騒ぎを聞きつけ、松下幸之助が現れます。怒りにみちた技術者たちへ、幸之助は こう諭し(さとし)たといわれております。”コストを5パーセント下げるのは大変やろ。””だけど、20パーセント下げることならできるはずや。”技術者一同。。。。。。。。。。。。。。。。。若い技術者の一人は、”とうとう うちの社長も不況で、頭がおかしくなった。”と思った。つまり松下幸之助が言いたかったことは、”現状の延長線上の改良では、コストダウンはどんなにがんばっても、5%すら難しい。””しかし考え方をゼロから発想し新製品をつくれば、 20%のコストダウンは可能だと言っているのだ。”その後、松下の技術陣は、新しい発想でカーラジオを設計し直し、見事に20パーセント下げた価格でトヨタに納入できる新製品を作り上げたのだった。ちなみに、その新製品のカーラジオ、採算が合うどころか、松下電器に20パーセントも利益をもたらす製品となっていた。つまり、松下技術陣は、設計の発想をまったく変えることで、製造コストを40パーセント下げたのだった。企業も人も冬に鍛えられる。先進国といわれる国々で、雪の降らない国は”ひとつもない。”
2009.01.29
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きょうのうちの町は すごい霧。昨日麻生総理の施政方針演説もすごい霧だった。なんで大きな海を挟んだ、新大陸の大統領の演説は、イングリッシュで話されているのに感動するのだろうか。それは、たんに 字幕が書かれていたから だろうか。。。もしわたしが、口の悪い親のもとに生まれて。。。毎日、毎日。。。おまえは漢字が読めない。麻生じゃなくてあほうだ。とか言われ続けたら。。。たぶん、萎縮して いい仕事は出来ないと思う。むかし田中角栄さんが、あまりに批判ばかりする野党やメディアに。。。”田中の列島改造計画、ありゃだめだ。 だめだ。というのなら代替案を出しなさいよ。代替案を!”と話していた。本当にそう思う。代替案を持たずに、批判するのは、意見でも、提案でも、注意でもなく、悪口というものではないだろうか。先日も、優勝した朝青龍に、メディアの一人が、”引退は考えておりましたか?”と質問をしていた。こういう質問は、朝青龍のガッツポーズの問題より問題なのではないだろうか。こういう”陰湿さ”が日本にじんわり浸透し。。。結果、日本の国技だというが、横綱は二人とも日本人ではない。という現実を突きつけれてしまっているのではないだろうか。自前の つよい横綱を育てることの出来ない国に、横綱のなんたるかを語る資格はあるのだろうか。また、横綱へ深いこだわりがあるのなら外国から来た若者に、そのことを伝え教えることこそが役割であると思う。だれかの批判をテレビで流すときには、聞いていて分からないように字幕無しの難しい言語でやってもらいたいと思った。麻生さんにも、福田さんにも、朝青龍にも、亀田兄弟にも、ホリエモンにも、がんばってもらわないと日本はよくならないと思う。和を持って日本となす。という国なのだから。
2009.01.28
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松下電器(現パナソニック)。。。社長室。人事部長”彼にはいまのポジションは、荷が重いのではないでしょうか。”ここは少し前の。。。日本。トランジスタからICチップへ技術革新が起こったとき、家電業界に嵐が吹き荒れた。その嵐のひとつに、後世の人々から、電卓戦争と呼ばれた出来事があった。今では、想像もつかないと思うが。。。電卓がはじめて世の中に登場したとき、電卓の大きさは、現在のPCよりもはるかに大きかった。まさに”卓”上”電”算機だった。それが、ものすごい技術革新により、いまでは胸のポケットに入るサイズになっている。価格も、100円ショップでふつうに買うことが出来る。じつは、むかし松下電器も、電卓を製造するメーカーのひとつだった。そして、その電卓を作っている部署を電卓事業部といった。ある日、電卓事業部の部長のところに、他社でポケットに入るくらいの試作品の電卓がつくられた!という衝撃的なニュースが飛び込んできた。その知らせを聞き、事業部長は。。。思考が止まり、真っ白になってしまった。当時、松下電器の電卓は、古いワープロぐらいの大きさだった。それがポケットに入るのだから。。。このときの、松下電器は大型電卓の在庫を6億円近くためてしまっていた。。。。。。年も押しつまった12月24日。本社から連絡が入る。”大阪本社で経営会議をするから出てこい”というものだった。事業部長は、松下さんからやられるなぁ という重い気持ちで会議にのぞんだ。。。他の事業部は問題がなく、それぞれ経営状態の報告を済ませて、いよいよ電卓事業部の番となった。事業部長は、冷や汗をたらしながら事業内容を説明し、不良在庫の処分については、なんとか売りさばくつもりだという報告をした。。。すると、松下幸之助は、”これはもう売れんやろ。””技術が突然変わって自転車が急に自動車に変わったようなもんや。””それを無理して買っていただいても、買ったほうが後悔されるだけや。””これだけは誰も予想できんかった。他の会社も同じや。仕方がない。””全部捨てい。””よう捨てんかったら。。。わしが買うたるわ。””この話はこれでおしまい。”このひと言で経営会議は終わった。。。事業部長は、帰りの最終便の飛行機にのって東京へすると、忘れていた。そう、今日は クリスマスイブだった。大阪の宝石のような夜景を見ていると。。。飛行機の中で、メリークリスマスと。。。サービスのポケットウイスキーが出てきた。ふつう会社は、誰が見込み違いをしたのか?といって責任追及が始まるものだ。しかし、これは技術の変化が早すぎたために起きた事であって、だれも予想が出来なかったことなのだ。したがって責任追及をやればやるほど、社内はおかしくなるだけである。それを、”全部捨てい”のひと言で幸之助は片付けてしまった。すごい。冒頭の話に戻します。人事部長は、幸之助に話をします。。。”電卓事業部の部長、どう致しましょうか。””彼には、すこし荷が重いのではないでしょうか?”幸之助はこたえる。”なあ~に 予防注射がすんだようなものやから、もう大丈夫だろう。”とみじかく答えた。後でその話を聞いた、電卓部長は。。。電卓事業部、部長は、いまでも、飛行機の中でもらったポケットウイスキーを大切に保管しているそうだ。そして、そのポケットウイスキーを眺めるたびに、”経営とは何か”を教えていただいた記念日をなつかしく思い出すそうです。
2009.01.27
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ふつう県知事選挙というものは、現職が圧倒的に強い。ましてや、2期目となると ちょうど旬の時期にあたる。現に、前評判では、山形県の全市町村長の70%以上の方が、現職支持だというニュースが流れていた。新人の知事候補を、ちゃんと声に出して応援していたのは、新人候補者の出身地のちいさな町くらいだった。先日、自民党は、投票日直前に、イメージの良い 石原伸晃議員を山形に送り込んできた。そして結果は。。。現職は破れ。。。東北としては初の女性知事誕生。先日、放送が終わった、NHK大河ドラマではないが、どうも、本当のピンチが訪れると、すごい女性が登場してくるような気がする。最近、政治や行政の経験がまったく無い知事が次々と誕生している。宮崎県、大阪府、そして うちの山形県。アメリカではトップの人間を、総理大臣(首相)とは呼ばずに、大統領と呼ぶ。先日、わたしなりに理由が分かった。じつは、オバマ大統領の大統領就任演説があった日。。。その中継を、アメリカ全土の高校では授業を中断し観たそうだ。そして、中学校でも、小学校でも、やはり授業を中断して観たそうだ。さらに、幼稚園でも、活動を中断して観たそうだ。ちいさな園児には、当然オバマ大統領の話す言葉の意味は分からないと思う。しかし、その場の空気感を共有することが大事なことなのだ。こうしてアメリカは、一つになってゆく。。。オバマ大統領は政治家としてのキャリアは、まだ12年程度しかない。年齢でみても、日本の麻生首相より20歳以上も若い、アラフォー世代である。麻生さんは言う。”景気がこれだけ悪い中で、政治に空白をつくってはならない。”と。では、政治に空白が無いと、景気はよくなるのだろうか。よくなったのだろうか。宮崎県、大阪府、アメリカ。。。そして山形県。時代の潮目に来ているのだろうか。そういえば、ベルリンの壁も、あんがい あっけなく崩れた。
2009.01.26
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さっき、車を止め エンジンを切ってふつうなら、すぐに 車から出る私。しかし、しばらく座席から動けなかった。それは ラジオから、今井美樹のプライドという曲が流れていて、なぜか、全部聴きたくなったから。わたしは20代前半の頃。。。プライドという言葉を履き違えておりました。当時のわたしは、影で ”店長クラッシャー”と呼ばれていた。それは、わたしの担当するお店は、確かに売り上げは伸びるのだが、次々と店長が辞めていくからだった。問題点があれば、夜中の1時だろうと、ふつうにミーティングをした。朝は早い、夜は遅い、そして まったく休まなかった。今、思うと まったく未熟でした。こんなわたしにとって転機となった本がある。それは、松下幸之助さんと後藤清一さんの話が載った本だった。後藤清一さんとは、まだ松下電器(現パナソニック)が、社員30名程度の町工場の時の工場長で、幸之助の懐刀と呼ばれた男だ。後に松下電器から分かれた三洋電機の創業にも携わり、三洋電機の副社長になられた方だ。後藤さんは25歳で松下の工場長に抜擢され、がむしゃらに働きます。休みもとらずに働く仕事の鬼でした。”俺について来い! ついてこれないやつは、そいつのほうが悪い。”という考え方でした。そして、厳しい指導に反発した部下たちは。。。とうとう後藤さんの排斥運動をおこします。そのとき、松下幸之助が仲裁に入ります。後藤は言います。”俺がこんなに一生懸命働いているのに、なんてことをするんだ。 やつらこそ働きが悪いではないか!”松下幸之助”後藤くんは仕事熱心なんや。みなもその点はわかってやってほしい”後藤は、松下幸之助の この言葉をきいて、内心、”そうだ! そうだ!”と思ったという。と。こ。ろ。が幸之助は、こんどは後藤にむかって言います。”後藤くん、あんたも みんなにあやまんなさい”後藤は、”えっ”と思った。いったい社長はどっちの味方なんだ!なぜ、自分があやまらなければならないのかと、怒りがこみ上げてきた。すると、後藤の怒りを見透かしたように、幸之助は静かにいった。”いいか、人間というものは九分九厘よくても一厘のあやまちがあったら、 あやまるべきなんだよ。 人にあやまることができなければ大成はしない。”後藤は、このとき 幸之助のことばがすうっと胸の深いところに落ちたという。”これからは人に素直にあやまれる人間になろう”と決意したそうです。わたしにとって、このエピソードに出会えたことは、幸運でした。
2009.01.25
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ここのところ 日差しが力強くなってきました。空のブルーが、今年一番だった。立派な方のお家にお伺いさせていただくと、かなりの確立で、庭に松がある。なぜか?それは、冬、あたり一面、真っ白な世界になっても。。。一人、天上天下 唯我独尊(てんじょうてんげ ゆいがどくそん)の威厳を保っているからだと わたしは思う。そう、松だけは、あたり一面、大雪で真っ白になっても。。。一人、孤高に グリーンを保っている。 ここう阿羅漢のように。。。アラカン今日は、やけに ブルーな空に グリーンがまぶしい。
2009.01.25
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前回、ご紹介させて頂きました。かきぴー。。。ではなく。。。”勝つぴー”。でん六のライバル会社も黙っておりませんでした!!!柿の種ではなく。。。そういえば、ネスレのキットカットも、売り上げ低迷時に。。。テレビコマーシャルへお金をかけるのではなくて、受験シーズンに、全国のビジネスホテルに”無料”でキットカットを配ったそうです!その名も。。。きっと勝つ(キットカット?)。今では。。。キットカットは、高校生のお守りなっているそうです。受験を制するものが、お菓子業界を制する。
2009.01.24
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”365日働くし、ドブ掃除だってするよ。”と、笑顔で話すおじいちゃん。。。うちの会社の、わたしとは違う部署で働く、門脇さん72歳のことば。72歳だけれども。。。 ”仕事なんか山のようにあるよ。”と笑顔で豪語(ごうご)する!わたしが、”若者でも、職がなくて困っている時代にたいしたもんですね。”と話したことばに対して、出てきたことばが、冒頭のセリフ。昨日、大手ラーメンチェーンの人事担当の方が、”今回、メーカーさんの派遣切りを受けて、受け皿として、 従業員の大量採用に踏み切ったんです。””150名程度の応募がありました。””面接に至ったのは、50名ぐらいでした。””そして、採用させていただいたのは、10名にも満たなかったんです。。。”その話を聞いて、わたしは、このラーメン屋さんは、よっぽど厳しい入社試験があるのかと思った。そしたら、その人事担当の方は。。。苦笑いをしながら。。。”条件が厳しいんですよ。”という。その条件とは、会社からの条件ではなくて、求職者からの条件だそうだ。”土日は休みたい。””接客ではなくて、経理関係で。。。”などなど。以前、経済学者のドラッカーが戦後日本の成長について面白い話をしていた。”【一般論】として、日本は、政府や官僚が適切な対応をすることが出来たから、 高度経済成長を実現することが出来た。という話がある。 しかし、わたしはそうは思わない。” ”戦後の日本は、世界的に見ても、非常に安い賃金で働き、 まじめで質の高い労働力が豊富に存在していた。 そして、その安い賃金で働いている人々は、少ない給料の中から、 せっせと低い金利にもかかわらず、貯蓄をしていった。 そして、銀行は低い金利で集めたその資金を、今度は低い金利で企業に貸し出していった。 日本が成長するのは当たり前でしょ。” ”今、日本では、政治が悪い。政策が悪い。という話をしている人たちがいますが、 それも違うと思いますよ。” 長い休暇、高い給料、手厚い福祉、安い商品。 経済に”手品”や”魔法”はないのですよ。” 72歳のうちの会社のじいちゃんの話を聞いていると、 ドラッカーの話が。。。やけにリアルに聴こえてくる。 でも、 温室で育てられた、かわいくて、美しくて、あま~いイチゴに、 北風や雪は冷たすぎるのもまた事実。
2009.01.24
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コメリへ ガムテープを買いに行った。コメリは安くていいなあ~と買い物に行くと。。。なんと。。。いつも買っている布目のガムテープが、110円から、いっきに148円に値上がり!いきなり、38円の値上げ。。。。。。しかし、買うしかなかった。なぜなら、うちのまちで、ガムテープが一番安く買えるのは、コメリであり、わたしの買おうとしているガムテープは、布目のガムテープのなかでは、それでも一番安かったからだ。そのとき思った。どんなに不景気になっても、どんなに、理不尽な値上げに遭遇しても、どんなに不愉快で買いたくなくても、必要なものは、”買うしかない。”ということ。今朝、テレビで、ソニーの屋台骨の一つテレビ部門でもリストラが始まるとのニュースが流れていた。。。2007年12月、世界初、薄さ3ミリの有機ELテレビを10年の歳月をかけて開発し世に送り出したソニー。テレビでは、矢沢永吉が、”世界のソニーって。。。”と語りかけ。。。。。。記憶が確かなら。。。そのテレビ、11インチで価格は20万円だった。技術はすごいと思うが、人間が生きてゆくうえで必要かどうかといったら。。。むしろ、お客さんは世界最薄型テレビより、たとえば、電気代が100分の1しかかからないテレビや、テレビを捨てるときに、燃えるゴミで出すことが出来るテレビのほうが、喜ばれたのではないだろうか。技術も、どんなにすごい技術でも、必要不可欠なものでなければ売れない時代に入ったということか。そういえば、ユニクロのヒートテックシャツは、まさにガムテープだと思った。節約で、”暖房温度を下げた部屋でも快適に過ごしたい。”という顧客ニーズにみごとにシンクロしている。むかし上司によく言われた。”お前がいないと会社が困る仕事をしなさい。”と。
2009.01.23
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白い海。。。ではなくて、田んぼなんです。あと、5ヶ月もすると 緑の海になります。ただいま熟睡中です。田んぼのあぜ道が続いてゆきます。
2009.01.23
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じゃがいもをつくる農家で、すさまじい億万長者になった男が地球上に一人だけいる。おそらく、あとにも、さきにも、じゃがいもで億万長者になった男は、彼のほかには出てこないだろう。よくハンバーガーチェーンにゆくと、かわいい女の子が笑顔で、”ポテトいかがですか~”と聞いてくるシーンがある。ふつう、ハンバーガーを買ったのなら。。。”お飲み物はいかがですか~”と聞くほうが自然だと思う。しかし、それには理由がある。お店の看板にハンバーガーショップと書いてあっても、利益の多くは、じつはハンバーガーではなく、フライドポテトで稼いでいる為だったのです。そういえば帝国ホテルも、売り上げの90%はホテル業で稼いでいるが。。。利益の70%以上を稼ぎ出しているのは、じつは不動産事業なのだ。ということは、帝国ホテルは、不動産賃貸業ということになる。前置きは、このくらいにして。。。アメリカのアイダホ州に一人の男がいた。その男、14歳で学校を中退し仕事を始めた。なまえを、J.R.シンプロットといった。昨年の5月、彼は亡くなった。。。純資産38億ドルという巨万の富を残して。。。かれはジャガイモの生産、加工ビジネスで成功した男だった。なぜ、ありきたりなじゃがいもで。。。巨万の富を残すことが出来たのか?それは、レイ・クロックとの出会いが彼の転機となる。レイ・クロックは、お馴染み、世界のマクドナルドの実質的な創業者です。じつは、うまいフレンチフライポテトを作るのには、アイダホ州で収穫されたじゃがいもが一番適していた。しかし、アイダホ産のポテトには、致命的な欠点がありました。それは、暑い夏の時期に貯蔵が出来なかったのです。そのため、マクドナルドでは、一年で一番忙しくなる繁忙期に。。。あまり美味しくない別のジャガイモでフライドポテトを提供しなければなりませんでした。そこで、シンプロットは考えます。”どうしたら繁忙期においしいアイダホ州産のポテトを提供することが出来るか?”やがて、シンプロットは、冷凍しても、味の劣化がほとんど見られない、美味しいジャガイモを開発しました。当初、その冷凍じゃがいもは、夏場だけのつなぎ商品でしたが。。。味がよく、安定供給できることから、年間を通してマクドナルドで使用されることになりました。マクドナルドも、またこの冷凍可能なジャガイモの登場により、世界へ店舗展開する上で、物流の問題点が一つ解決しました。そのため、マクドナルドが世界中に店を作るたびに。。。比例してシンプロットのジャガイモも、ぐんぐん販売が伸びてゆきました。大成功する企業によく見られる典型的な現象ですね。これは。”自分の成功にともなって、同時に利益を得ることの出来る人が現れてくると、 さらに自分も、もっと成功できるようになる。”
2009.01.22
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パートの石山さんの話はとても新鮮。おとといわたしは、雑誌を読んでいて、ある記事のところで目がとまった。”インターネットで10000個以上の販売実績”と書かれている女性用のメッシュレザーバックだった。わたしは写真を見ていて。。。失礼な話だが、”このバックのどこがそんなにいいのか?”と理解できなかった。きっと男の琴線と、女性の琴線は異なるのかなあと思い、パートの石山さんに、また聞いてみた。石山さんにバックの写真を見せると。。。。”なにいってんですか佐藤さん。わたしがいつも持ってきているバックじゃないですかー”といって指を差しました。その指の先には。。。リアルなメッシュレザーのバックが置いてありました。そういえば、以前、聞いた話の中に。。。”人間は興味のないものは、見えていても、見えない。”と聞いたことがあるのだが。。。まさにこれだ!と思った。わたしは、石山さんに聞いてみた。”このバックの良さが、わたしにはちっとも分からないのだけれど、 どのへんが買う決め手になったの?”石山さんは、日ごろから、自分自身のことをケチだと話している。トヨちゃんの出身だから、財布の紐が硬いのも無理もないのだが。。。わたしは、石山さんの答えに驚いた。石山さん”そんなに、ほしいバックじゃなかったんですよ~”わたし”え~、””ケチな石山さんが、そんなにほしくないものをなぜ買ったの?””ふつう、人間は、ほしいものだから買うんじゃないの?石山さん佐藤さんは単純ですね~という風な目で。。。”たとえ本当に気に入ったバックがあったとしても、自分のもっている服に合わなければ 買わないですよ。 コーディネイトを考えて、このメッシュレザーのバックを買ったんです。”わたしは、いままで好きなものしか買わなかったので。。。石山さんの、”単品のバックとしては、それほど好きではないのだけれど、コーディネイトを考えて買うことにした。”という思考プロセスに驚いた。よくスポーツの世界では、”フォア ザ チーム””ワン フォア オール””オール フォア ワン”などという言葉があるが、お買い物の世界でも、同じことだったのだ。わたしの朝ごはんは、バナナ。 昼は、ボイルしたジャガイモ。その後、お菓子をポリポリしていたため、晩ごはんは食べなかった。わたしは思った。この単品の食事が、結果的に、物事を単品で考えるような。。。貧しい考え方になってしまったのだと反省。そういえば、シャンプーを買いに行った時も、コンディショナーという得体の知れないものが置いてあった。シャンプーとリンスしか知らないようだと化石になると思った。こんどためしに買ってみよう。
2009.01.20
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あさって20日は大寒。ちょうど定休日。久しぶりに山形市へ行く。地元の大学の先生と山形市の方とお会いする。四国、徳島に上勝町という過疎の町があった。後に、葉っぱを売ってビジネスで活力を取り戻した町だ。むかし、上勝町の病院へ行くと。。。多くの高齢者で待合室はあふれていた。一人の老人がつぶやく。。。”最近、ハルちゃん見ないねぇ。ひょっとして病気なのかねぇ。”その老人は、病院仲間の一人が最近病院に来ないので。。。もしかしたら、お友達は病気になってしまい、それで病院に来る事が出来なくなってしまったのではないかと心配しているところだった。こういう話は上勝町に限らず、全国の病院でよく耳にする話。面白いのは、この上勝町の老人達。。。葉っぱを売り、ビジネスを軌道に乗せ、お金も徐々に入ってくると、がぜん元気で明るくなってしまった。いまでは。。。80歳のおばあちゃんが、年金をもらいながら、所得税をきちんと国に納めている。そして、パソコンを使い、市況を読み、ビジネスを展開している。あるとき、上勝町に、農林水産省の役人が来た。ばあちゃんは、役人に。。。こう言ったそうです。”こんどシラクさん(当時、フランスの大統領)くるだろう。””晩餐会やるんだろう。””ぜひ、その晩餐会で、うちの葉っぱを使ってくれ!”役人。。。。。どうやら、おばあちゃんは仕事が忙しくなると、病院には行かなくなるらしい。今まで、にぎやかだった町の病院は、ガラガラになった。人は、80歳を過ぎても、希望を見つけることが出来れば、国に税金を納めることができる。 ”大寒はいつまでも続かない。”
2009.01.18
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あれは。。。まもなく正月も終わろうとしている頃だった。巨大戦艦ジャスコに行くと。。。ほとんど、伊達巻、きんとんなどの正月用の食材は完売していた。年末には、ずいぶん並んでいたのだが。。。正月用の食材を発注した人は、すごいなあと感心しておりました。すると、ずらっと一列、半額の値下げシールが張られた高級かまぼこが並んでいた。通常だと、1本2000円のかまぼこ。手づくりで、昔ながらの原料(ぐちをつかっております。)で、きちんとつくられた かまぼこだった。品質から考えて、けっして高い価格ではないと思う。しかし、現在の景気を考えると難しかったのだろうか。。。翌日、パートの石山さんに、昨日、ジャスコで見た事を話した。わたし”石山さん。今は職人受難の時代かも”石山さん”どういう意味ですか?”わたし”職人はふつう、”いいものをつくりたい。”と思って仕事をしているもんだ。””昨日ジャスコに行ったら、機械で作る安いかまぼこは売り切れていて、 手づくりの高いかまぼこは、ずいぶん売れ残っていたんだ。””品質ではなくて、価格で勝負が決まるというのは、あまり面白い話じゃないね。”石山さんがわたしのこの言葉に対して答えた内容が。。。さすが、”女性の脳”と”男の脳”は違うと思った。石山さん”日本人は真ん中が好きなんですよ。””だから、一番値段の高かまぼこがあるから、 真ん中のかまぼこの値段が安く見えるんですよ。” もし一番値段の高いかまぼこが並んでいなかったら、 真ん中の価格帯のかまぼこの値段がずいぶん高いと感じてしまい、 それほど売れないと思います。 真ん中好きの日本人が、一番買いやすいように演出する為にも、 一番値段の高いかまぼこの存在は必要なんですよ。””だから、値段の高いかまぼこが売れるかどうかはあまり関係ないんですよ。 かまぼこ全体で売れればいいんですよ!”わたしは、お。そ。れ。い。り。ま。し。た。じつにするどいご意見。わたしは、物事を単品で考えていた。。。石山さんは、物事をソーンで考えていた。石山さんは脳のどのへんの部分を使ってしごとをしているのだろう。。。
2009.01.16
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どうやら、今週の山形の天気はストレートフラッシュ。。。。。。ポーカーだったら。。。うれしい手札だが、天気のことなので。。。どういうことかと言うと、山形の週間天気予報の数字が連番で、すべて”雪だるまマーク”ということ。本日も、雪の確率100%ただいまの気温、マイナス5度。予想最高気温、マイナス1度。油断すると、帰りまでには、冷凍食品になります。でも、いちおう国産!2日前、床屋へ行った。わたしは、気温36度のときも、マイナス5度のときも髪形は変わらない。み。じ。か。い。朝、家を出ると、さすがに、真剣に、スージーズーの帽子を買おうと思った。しばらく車を運転していると。。。吹雪の中を、漆黒の学生服を着た中学生のあんちゃんが、前かがみで まるで吹雪に向かうように、登校している姿に出会った。むかしから一つ疑問がある。登校するときは、どうして、いつも向かい風なのか?その中学生のあんちゃんの頭は、ツルピカ丸坊主!そこには、小型ではあるが、まぎれもなく太陽があった!それを見たら。。。このままでは軟弱な大人になってしまう。と反省した。スージーズーの帽子はあきらめることにした。なぜか、わからないが、人間は、”やせ我慢”がカッコいい。と思う。昔の武士、困窮し、たとえ食べるごはんがなくても、刀を手放さなかった信念。あまり賢いとはいえない優先順位。だが、どこか高潔な風を感じる。”気概”が肝心だと思った。”凍って寒からず ”
2009.01.14
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以前、うちの仕事をしていただいてるパートの石山さんから”佐藤さんて中性ですよね。”と言われた。それは、どういう意味ですか、と、尋ねてみると。。。”男に見えないんですよね。でもオカマとかそういう意味ではないんですよ。”といわれた。先日、ブログを通じてお知り合いになった女性からも”このブログは、てっきり女性が書いているものだと思ってました。”と言われた。わたし的には、日本の中でも、けっこう男の中の男だと思っているのだが。。。柔道やってたし。じゃがいもみたいだし。私には、昔から自慢の特技がひとつある。1歳~3歳ぐらいまでのちびっ子と会話をさせたら抜群の人気がある。お母さん方からは、”男性なのに子供が好きなのはめずらしいですね~”とか”うちの子は、絶対に大人の男性にはなつかないのに不思議です~。”とか言われる。”お母さんが泣き止まなくて困っている子供を、泣き止ませることもできる。”(きっぱり)いまNHKの番組で、女と男の違いの特集を放送している。昨日の放送の中に、”女性はプロセスを大事にし、男性は結果を大事にする。””女性は横のつながりを好み、男性は縦のつながりを好む。”との話があった。だから、商談の際、取引先の担当者が、もし男性だったら、自社の立派な肩書きのついた方を同行させ、話の流れも、選択肢をいくつも提示するのではなく結論からずばり言うのが好ましい。と話していた。わたしは、男だが、この話にすごく違和感を覚えた。わたしは男だが、肩書きで人は観ないし、いきなり”これは御社にとってベストな提案です。”などという、うさんくさいセールスマンは苦手だ。先日も、ある女性の友人にわたしは、”物事はプロセスが重要なんだ”と話したばかりだ。女の場合はこう。B型の場合はこう。アメリカ人の場合はこう。という日本の受験の参考書のような考え方には違和感を覚える。わたしは、たんぽぽも、クヌギの木も、人も、すずめも同じだと思う。 ”上善は水の如し”
2009.01.13
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東京で、ちっとだけ雪が降ると。。。こっち山形は、雪で沈没しそうになります。昨日の晩から、大きな雪のかたまりが降り始めました。今日の雪は、やたらと重たい。。。気温がそれほど下がらないためか、水分をたくさん含んだ、ぽってり雪。ぽってり雪がふるということは、春が近い! ということです。 は る 大きなシャベルで、雪を盛った時の感触は、マグロが釣竿にヒットしたときの感触と、どこか似ている。朝も、夜も、朝も。。。あつい。あつい。汗が。。。昨日の夜、信号が赤になりました。11月下旬頃より、くるまの通行量がめっきり減った国道。さらに減った路地裏。そして、翌朝。。。土曜日。おやすみ小学校。まるで泣いているようです。。。
2009.01.10
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あんまり道を好きになることはないのですが、この一本道は別です。どこまでも はてしなく隣町まで信号もなくひたすら一本道です。まだ続きます。まだまだ続きます。なにせ 隣町までですから。。。途中でお腹が減ります。そんなときはバタピーを食べます。山形県のエクセレントカンパニー”でん六”さんの作品、ハイオレイックバタピー。体に良いオレイン酸たっぷりのオーストラリア産ピーナッツをオーストラリアの左下あたりにある、デボラ湖の天日干し塩で仕上げた逸品です。
2009.01.09
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あるとき、松下幸之助は、仕事の出来る若い社員をつかまえて言葉をかける。幸之助”きみ、アンマ(マッサージ)ようするか”若い社員”いいえ、しません。”幸之助”お父さんやお母さんの肩、もんであげへんのか”若い社員”ええ、もみません。”幸之助”それじゃあ、きみは、あんまり出世できんな。”若い社員”アンマと出世と、いったいどんな関係があるのでしょうか。”幸之助”豊臣秀吉はね、若い頃アンマがうまく、それが気に入られて出世の道が開けたらしい。””ほんとか、うそか、よう知らんけど小説にはそう書いてあった。””ぼくは、これは一面の真理やと思う。”若い社員”。。。。。”幸之助”それはね、アンマ事体のことより、結局は心の問題や。” たとえばきみが、緊急の仕事で課長といっしょに遅くまで残業したとする。 そんなとき、きみは若いからどうもないだろうが、きみのお父さんと同じくらいの年の 課長は、やはり疲れてくる。それを見て、きみが、 ”課長、いっぺん肩でももみましょうか”と言ったらどうなるか。””そうか、それはすまんな。”とって背中を向ける課長もあるだろうし、”いや結構だ、ありがとう。”と断わる人もいるだろう。しかし、たとえ断わったとしても、課長はきみのそのひと言で、どれだけ慰められ、元気づけられるかわからない。そして課長の口からも”きみ、ご苦労さんやったな”といたわりの言葉が出てくるにちがいない。そういう心の通いあいが、職場を明るくし仕事の成果を高めることになるわけで、だから、きみがそういうひと言を真心から言える人であれば、仕事もうまくいくし、みんなの信頼も得ることができる。出世も間違いなしだと思うのだが、きみはどう思うかね。”松下幸之助は、若い社員に、仕事は仕事だけではない。と、さりげなく伝えたのだった。
2009.01.09
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きのう、帰りに本屋さんで立ち読みしていたら、ぐうぜん、後藤新平の言葉に出会った。後藤新平を、私がはじめて知るきっかけとなったのは、日清戦争後、当時、日本の占領地だった台湾へ総督として赴任する児玉源太郎が、”なんとしてもいっしょに来てくれ”と頼み込んで、連れて行った男だった。当時の日本と台湾の関係は、現在のイラクとアメリカの関係によく似ている。台湾は日本に対し、爆発寸前だった。台湾へ向かう、後藤新平に日本国政府は言う。。。”逆らうものは、容赦せず、徹底し弾圧、早期に安定させるように”後藤は笑ってこたえる”ヒラメの目をタイの目にすることは出来ませんよ。””社会の習慣や制度は生物と同様、相応の理由と必要性から発生したものであり、”無理に、それを変更すれば当然大きな反発を招く。””現地をよく見て、状況にあわせて施政をおこなっていくべきであります。”といって、国の指導を無視してしまう。後藤が台湾へ渡り、しばらくすると、日本の占領統治への抵抗運動は、ほぼ完全に沈静化してしまう。こういう男でした。後藤新平とは。話を戻して、立ち読みした本の中に出てきた後藤新平の言葉とは、生き方についてのコトバでした。”金を残して死ぬものは下の生き方。””仕事を残して死ぬものは中の生き方。””人を残して死ぬものは、上の行き方。”さすが、首都、東京の骨格をデザインした男のことばは重厚。
2009.01.08
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夏のスイカ畑で、一人の少年がキョロキョロとなにやら周囲を伺っている。少年は、友達から”ハナ黒の宗ちゃん”と呼ばれていた。少年は、こっそりスイカ畑に忍び込み。。。スイカの下の部分に穴を開け、そこから中身だけを食べ切り、からっぽになったスイカを丁寧に元に戻して一目散に逃げていった。そう、口の周りを、べとべとに真っ赤にして走りながら笑っている少年こそが、のちに本田技研工業を作ることになる、世界のHONDA、本田宗一郎だった。いまでは当たり前になっているオートマチック車という車がある。この技術、もともとはアメリカのメーカーが開発した技術で、すさまじい特許の網で守られていた。そのため日本車メーカーは。。。トヨタ自動車。オートマ車のノウハウを持っているボルグワーナー社と組み、アイシン精機と合弁会社を設立。日産自動車。フォードとマツダの間で進められていた合弁会社に通産省の肝いりで参入し日本自動変速機という会社へ資本参加。このとき、日本の大手自動車メーカーと異なる対応をした会社があった。本田技研工業だった。本田だけは、アメリカの特許を安易に使用するのではなく独自技術でオートマ車を開発することに決めた。そして、今も伝説の名車といわれる、ホンダの軽自動車、”N360”が生まれる。N360は、発売後、たちまち3ヶ月で軽自動車の販売トップに立った。この自動変速機が搭載されたN360の発表会の席上本田は、記者のインタビューにたいして、こう話をしている。”オレッちのところの技術屋は大したもんだ。三万件もの特許をかいくぐって 完成させたんだぞ。すごいもんだろう!”と鼻高々と社員の努力を褒めたたえたのだった。本田は以前、チャレンジ精神について質問されたとき。。。”よくホンダは成功した、ああすばらしい”と簡単に人は言うけど、成功の陰には どれだけの失敗があったか。従来の常識というものは破られる為にあるものであり、 そのため能力を酷使しなければならないもんなんだ。 苦しい時もある。 夜も眠れないときだってある。 どうしても壁を突き破れなくて、 ”俺はダメ人間だ”と劣等感にさいなまれたことだってしょっちゅうあった。 その繰り返しだよ。 しかし、その悩みを乗り越え、すこしでも前に進んだときの喜びは大きい。 それが、次の壁に挑戦する意欲につながるもんなんだと思うよ。”本田は、常々、”模倣はダメだ。どこにもないものを。自分たちだけの力で作る。”ということをモットーにモノづくりに励んできた男だ。自転車にエンジンをつけた、”バタバタ”から始まり、オートバイ、そして国の政策に真っ向から反対し、とうとう自動車の開発へと夢を拡大させて言った男。あまりご存じないかもしれないが。。。アメリカに日本で一番早く、自動車の工場を作ったのは、トヨタでも、日産でもなく、ホンダなんです。だからこそ、今でも、フロンティア・スピリットの国の人々は、自動車のマーケットシェアとはまったく関係なく、本田宗一郎という男をリスペクトし続けているのだ。
2009.01.07
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京セラ創業者、稲盛和夫はいう。”生半可な努力では、神様は助けてくれない。”巨人と巨人のやり取りは、凡人にはシビレる。稲盛和夫が、京セラを創業してまもなく、松下電子工業(現・パナソニック電工)からブラウン管のキーパーツ・U字ケルシマの受注を受けて納めていた。当時、松下の値引き要求は、すさまじいものだった。”一割下げてください。”稲盛は、松下の要求どおり下げた。翌年、さらに松下は、もっと厳しい要求をしてきた。”二割下げてください。”納品量が増えたわけでもないのに。。。”前の値段から、1年も経ったのだから二割下げてください。”というのが理由だった。稲盛は、しかたなく、さらに二割下げた。さらに、松下からの値引き要求は続いてゆくのだった。やがて、日本は高度経済成長期。テレビの受注量も増えていった。すると、松下は、”量産効果が上がっただろうから値引きをしてください。””製造技術に習熟したはずだから安くなるはずです。”といって再び稲盛に値引き要求をしてきた。この頃、関西で、あるうわさが流れていた。”松下は、下請けつぶしだ。””松下は下請けを喰って大きくなった会社だ。”事実、倒産した会社は少なくなかった。しかし、倒産していった会社の多くが、不思議と、松下の厳しい値下げ要求に腹を立てた会社ばかりだった。稲盛はこの時、こう考えた。”ようし、おれは、逆に、恨みを”内”にむけてやれ!””松下にそれだけ言われるのなら、とことん合理化し、安くつくってみせよう”松下の要求はさらに激しさを増す。こんどは、稲盛に”決算書をもってこい”と要求してきた。稲盛が、松下に決算書を持ってゆくと。。。さらに。。。要求された。。。”お前のところは、利益の出しすぎだ!””もっとまけられるはずだ。””一般管理費が、こんなに要るわけがない。””まだ、あと3%は値引きできるはずや”稲盛は困り果てた。。。これでは、儲けがなくなってしまう。。。しばらくして、稲盛は、松下に、脚色した決算書を持って行き、訴えた。”このとおり、ついに赤字が出てしまいました。””5%の適正利益はいただきたい!”松下の購買係りは、稲盛に言った。”では、もう納めなくていいよ。”この瞬間、若き日の稲盛和夫は。。。”原価計算は、なんの意味もない。””あるのは、ただ一つ冷徹なマーケット・プライスだけ”松下が、”もう納めなくてよい。”と簡単にいう言葉の裏には、同業他社が、同じ製品を、うちより1円でも安く納められるという事実があるわけで、うちの努力が足りないということなんだ。そう、だから松下の強烈な値引き交渉に腹を立てて去っていった会社が、不思議とその後、倒産してしまうのは、つまり、競争力がなくなってしまっていたからだったのだ。それなのに、他人(松下)のせいにしていたのだった。稲盛は笑っていう。”松下さんには、徹底して鍛えられましたよ!”最後にいつものフレーズを。。。”松下電器は人をつくる会社です。あわせて家電も作っております。”
2009.01.06
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じつは、うちのまちには警察署がない。そのため免許証の書き換えは、隣町まで車で行かなければならない。とても、自転車でいける距離ではない。つまり、それくらい、ちっちゃな町。もっとも犯罪もないのですが。昨日、仕事を終え、閉店間際のジャスコへ。。。すると、閉店の館内放送が流れてきた。。。やばい、あわてて買い物していると。。。なんと館内放送の言葉が、日本語から、中国語に変わった。まるで気分は成田空港♪こんな、警察署もない、日本人でもめったに来ることのないギアナ高地のような町のスーパーの放送が、なんとびっくり中国語。そのあと英語で放送が流れるのかと楽しみにしていたら。。。それで放送は終わり。きっと閉店間際、日本語が分からずに居残っている中国の方が多かったために、中国語の放送を流すことになったのだろう。私は二つ感動!一つは、よくもこんな日本人でもなかなか来ることのない、日本の最深部へ日本語もよく分からないのに、はるばる中国から来たもんだ、度胸とバイタリティに感服。もう一つは、”日本人の優しさ。”たとえば、わたしが、外国のスーパーで閉店間際までお買い物をしていて、”私は日本人です。おたくの閉店案内放送の言葉の意味が分からないので、日本語で放送してください。”と言ったらどうだろうか。もっとも、こわくて言えませんが。。。よく外国に行くと。。。日本人は、”自分を持っていない。”といわれる。たしかに、クリスマスと初詣は両方する。。。最近、テレビでイスラエルとパレスチナの問題を聞いていると。。。幕末の頃の日本を思う。あれだけ憎しみあっていた、薩摩と長州があっけなく同盟を結び、薩長軍と、徳川幕府も、最後は話し合いで丸くおさまり、江戸の町も安泰。日本人の、”やわらかいプライド”は、す。ご。い。先日、小学校の先生が面白いことを話していた。漢字のテストで、点数の悪かった生徒に、”ちゃんと勉強しないと、総理大臣になっちゃうよ!”と子どもをおどしていた。おどされた子どもは、総理大臣になりたくないから、一生懸命に勉強する。。。。。。。
2009.01.04
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アメリカでは、大リーグの球場を、”ドーム”、 ”スタジアム”と呼ぶことはない。どういう風に呼ばれているかというと、”パーク””フィールド”と呼ばれている。アメリカには現在、”青空の見えない野球場は一つもない。”天然芝とお日様と青空の下で野球はするほうがよい。ということらしい。屋根を取り外したら、ずいぶんと野球観戦のお客様が増えたらしい。こんど、私が引っ越してきたところの近くに、コンビニが並んで二件営業している。東京なら当たり前の風景かもしれませんが、人口5万人にも満たないうちの町で、しかも、土地もあり余っている田舎で、これはめずらしいことです。一つは業界大手のコンビニチェーン店。(まだ店舗は新しい)一つは東京などでは見ることが出来ない弱小コンビニチェーン店(古い店舗)きっと大手チェーン店の店舗開発担当者が観て、弱小チェーン店なのに、、いつも車がたくさん止まっていて、レジの台数も多い、うちのコンビニを、隣の空き地に出そう!。となったのだと思う。私は引っ越してから、いつもこの二件のコンビニの前を通る。そして、不思議と古い方の弱小チェーン店のほうに、お客様が大勢入っている風景を目にする。そして、私も、たまたまだと思うのだが、他のお客様と同様、弱小チェーン店の古いコンビニのほうに行く。なぜだろう?今日の朝、たまたま、姫路の菓子博覧会で、金賞をとった”バナナカステーラ”がその大手コンビニチェーン店に置いてあると聞いたので、はじめて立ち寄った。今日、理由がわかりました。弱小チェーン店の古いお店のほうへお客様が流れていく理由が。。。大手チェーン店は店舗はとても清潔感があり、品揃えもとなりの古い店舗より断然よかった!雑誌もドリンクも。。。さすが大手チェーンの力を感じました。そして、店員さんの接客は、隣の古い店の無愛想なおじさんと違って、とても親切丁寧な若者だった。わたしは車に乗って、そのコンビニを後にした。すべてにおいて大手チェーン店のコンビニの方が、古いコンビより勝って(まさって)いた。でも、わたしは、これからも古い接客のよくないコンビニへ行くのだろうなあ。。。と思った。理由は。。。”なんとなく”その大手チェーン店のコンビニに入るとき、なんだか分からないが、いやなプレッシャーを感じたんですね。”よく、”この場所は、いい場所なのに、どんなにいい店が出来ても長続きしない。入れ替わりが激しい場所なんだよ。”という話を聞くことがありますが、まさに、それです。東京の銀座に、”当たりや”という焼き鳥屋さんがあります。たしか、この焼き鳥屋さんは、代々この場所で商売すると必ず当たるといわれている場所だったので、店名を”当たりや”と決めたと聞いたことがあります。”儲かっている弱小チェーン店がある。大手のウチが店を出せば。。。”こういる理由で、物事をスタートさせると、ゴールは、あんがい、こんなものなのかもしれません。弱いものいじめは美しくないと感じたお買い物でした。今日の山形、1月4日。雪がやみました!
2009.01.04
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松下電器(パナソニック)を創業することになる松下幸之助は。。。子どもの頃、大変だった。1899年、松下幸之助の父親は、米相場で失敗し自己破産。一家は、和歌山市へ転居し、細々と下駄屋を始める。しかし父親には商才もなく 店はまもなく閉店。松下幸之助は。。。尋常小学校を4年で ” 中退 ”わずか9歳で宮田火鉢店(みやたひばちてん)に丁稚奉公(でっちぼうこう)に出される。今日はその時の話。9歳の松下幸之助は、宮田火鉢店に丁稚奉公に入り、朝早くおきて、ふき掃除をし、子守をし、火鉢(ひばち)を磨いたりするという生活が始まった。幸之助は故郷で困窮した生活を経験していたので、仕事そのものはそれほどつらいとは思わなかったそうだ。しかし、9歳で故郷を離れた心の寂しさには耐えられず、夜、店が閉まって寝床に入ると、母親のことを思い出して涙をこぼす日が続いた。奉公を始めて半月あまりたったある日、ご主人が、”ちょっとおいで”と幸之助を呼ぶ。そして”ごくろうさん、給料をあげよう”と言って、五銭白銅を手渡してくれた。幸之助が故郷にいた頃は、母に一厘銭をもらい、近所の駄菓子屋であめ玉を二個買うのがなによりの楽しみだった。幸之助にとって五銭白銅は大金だった。幸之助は、”たいへんなお金をくれるのだなあ”と、はじめて五銭白銅を手にしたうれしさにがぜん元気が出て、それからは、”母恋し”の泣き虫もすっかり治ってしまったそうだ。五銭白銅とは、現在の貨幣価値で500円。二週間、朝から晩まで働いて500円。幸之助は、この金額を”たいへんな金額”と言っている。わたしは、松下幸之助が、のちに世界企業をつくりあげることが出来たのは、この時の、”純粋な感覚”を生涯もち続けることが出来たからだと思う。”松下幸之助は、社会的弱者であったが、それを不幸に思うことはなかったし、 ましてや他人のせいにするようなことは一度もなかった。”幸之助は、90歳を過ぎてからのインタビューで、こう話している。新聞記者。”今まででいちばんうれしかったことはなんですか?”松下幸之助”はじめての奉公先で五銭白銅をもらったときです。”ご存知だろうか。松下幸之助は、日本の長者番付に40年連続で登場し、生涯で、約5000億円の資産を築いたと推定されている。その男の一番うれしかった出来事は、500円の初任給だった。 むかし、浅草の浅草寺にある雷門の大提灯(だいちょうちん)は、100年近く仮設状態のままになっていた。それを聞いた、松下幸之助は不憫に思いポケットマネーを出し提灯を再建させた。その提灯の『雷門』の下の部分には、”松下電器産業株式会社 松下幸之助”と金色の文字で書かれたプレートが貼られている。。。このプレートが、”パナソニック”へ書き換えられる予定は無いそうだ。
2009.01.02
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今日、生まれてはじめて、交差点に感動しました。なんだか みずみずしい。。。なんで?おもわず、真冬なのに、車の窓を開けてしまいました。そしたら、フリスクのような、爽快感がシャワーのように。パチリ
2009.01.01
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年末、よってけぽぽらで買ってきた、一本300円のさくら。消費税込みです。雪割り桜。元旦、山形 音のない白の世界。。。
2009.01.01
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