私は、従業員として、
この会社 ロコレディに
入社しました。
従業員の立場で、この会社を見てきました。(結婚する前まで)
昭和60年の秋に、
故羽富 正三(はとみ しょうぞう)に声を
かけられました。
この人が、私の義父になるとは、
夢にも、思いませんでした。
大学時代の友人が言います。
「オマエが、婦人服の仕事をしている???
どう間違ったのか??????」と比喩されたものでした。
ファッションセンスは、最悪だったと思います。
汚い服を安いスーパーを探しては、
時には、先輩から、洋服をもらって
生活していました。
毎日 アルバイト
毎日、損益計算をしていました。
一日の生活費を計算すると、
いくら稼ぐか?
日別にすると、毎日いくら、経費がかかっているか?
計算していました。
確か~、一日、2,000円ぐらい生活費がかかっていました。
(アパート代、メシ代、風呂代込みで)
風呂付のバイトを探しました。
本当に、本当に、貧乏学生でした。
マクドナルドのお店が、捨てるハンバガーを
食べていました。
当時は、作り置きして、30分したら、捨てる。
・・・・・・というマニュアルだった思います。
昭和54年から56年当時です。
酷い食事生活でした。
大学1年生時は、
新聞配達しながら、大学に通っていました。
新聞拡張 学生チャンピオンにも、なったことがあります。
今では、良い思い出です。
営業感覚は、
この時代に磨きました。
大学2年生からは、
大学の奨学金制度、
しかも、無返済奨学金制度。
これを受けながら、デパートでは、掃除屋さんや
飲食店でアルバイト。
残ったモノでも、構わない。
ただひたすら、タダで、ご飯を食べれる場所を探し続けた。
都議会議員さんの事務所でも、働かせて頂いた。
理由は、「時給が安かったが、昼飯は、好きな分だけ、注文し、
ただで、大盛りご飯を食べさせてくれたからです。」
もう必死でした。
どの学生さんよりも、働いて、働いて
学費を稼がなければ、学校に行けない状態でした。
都議会議員の先生も、こんな私を可愛がってくれました。
テニスコートも、経営していたので、そちらでも、掃除のアルバイト、
シャワーは、無料だったので、卒業まで、お世話になりました。
そんな学生生活を終えて、
アパレル業界に。
そして、小売業に転職。
私の名古屋の祖父は、
松下幸之助氏のファンでした。
故羽富 正三も、同じ松下幸之助氏のファンでした。
実の父親は、山本五十六氏のファンでした。
そして、茨城県の縁が、あって転職。
もちろん、いろいろな困難なことも、ありました。
養子縁組があり、
義父 羽富 正三(はとみ しょうぞう)の息子となった。
悩んで、悩んで、
家出を2時間だけしたこともありました。
心の経営を 箱根ゼミナール
「商業界のゼミナール」で
学んだ。
そこで、商業界スパークル
という後継者育成ゼミで、1年間学んだ。
心の経営は、損得ではない。
心だ。
取引先様を大事にしなさい。
取引先様には、支払いは、現金で。
これを何度も、何度も、教わりました。
うわべだけの売上げアップのテクニックは、長続きしない。
商売とは、継続だと。
私の商売の基本は、
ランチェスター理論とユダヤ商法です。
接近戦と局地戦が、得意とする手法で、
新たな ファッションロードにいよいよ、走り出します。
この船に、一緒に乗る仲間、スタッフと
商売を通じて、親交を深めていきます。
心が伴合わない経営手法は、終焉するだろう~。
参考になりますか????
