翔(はばた)く女性を応援する会社を目指します

翔(はばた)く女性を応援する会社を目指します

2019.02.01
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私の大学生時代は、貧乏学生でした。

高校3年生の時に、
「大学は、東京へ行くことを決心しました。」
と父親に言うと、

「授業料は、出してやるが、生活費は自分でやれよ。」と言われました。

そこで、考えたのが、新聞配達のアルバイトです。

奨学金をもらいながら、新聞配達をしていました。
毎朝、3時半起きでした。

夕刊も、集金も、新規開拓もやっていました。




大学2年生には、無返済奨学金を大学からもらうことになり

今度は、ビラ配りや、デパートの清掃や、都議会議員の事務所にアルバイトをして、
生活費や、授業料を稼いでいました。
大学3年生のときに、父親は、ガンに侵されました。

51才という若さで、亡くなりました。


ビラ配りも、アルバイト学生の中で、NO1になりました。

相手の目線や、歩き方を分析して
受け取りやすいように、配りました。

また、清掃のアルバイトでは、ワックス掛けの学生部のトップになりました。



今でも、ワックス掛けは、得意です。




サイエンス(科学)することで、



それを考えて、アルバイトをしていました。

都議会議員の先生には、
「おい、学生。 オレの事務所で働かないか?」と言われて、3年間お世話になりました。



電話の受け取り方や、手の振り方や、声のかけ方を学びました。

故田中 角栄先生が、演説会に来るときは、



捨て看板の立て方も、気をくばりました。


常に、相手がどう思うか?

そればかりを考えていました。


分析する。
どうすれば、良いか?


常に、常に

考える。






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最終更新日  2019.02.07 09:28:07
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