翔(はばた)く女性を応援する会社を目指します

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2019.07.21
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大学の授業料を無料にする。・・・・という流れについて

私の個人的なご意見を申し上げます。

あくまでも、あくまでも、

私の個人の意見であることをご了解頂きたいと
思います。

私の大学生時代と今の大学生時代とは、
まったく違うというご意見もあるかと思いますが、
・・・・・・・・。


私は、高校3年生の時に


  東京でも、どこでも、行け。

  授業料は、出してやるけど、生活費は、自分で考えろ。」と言われました。



自分なりに、考えました。
昭和52年の夏ごろから、自分で考えました。

社会勉強になって、生活費が稼げるには、どうしたら良いか???

そうか、住込みだなぁ~。


新聞配達勤労奨学生になろうと決めました。

奨学金をもらいながら、生活費をもらいながら

食事も頂きながら、大学に通う。
しかも、社会勉強になる。

新聞のタダで読める。




レポート試験がありました。

昭和53年3月中旬に、

神奈川県、川崎市多摩区の新聞配達所に、配属となりました。

東京新聞、朝日新聞、産経新聞、日本経済新聞や、スポート新聞などを配達していました。

交換紙(こうかんし)で、読売新聞と、毎日新聞もタダで、読んでいました。





新聞を読んでいました。

全国紙も、神奈川新聞も、読んでいました。
日経新聞も読んでいました。







新聞社によって、記事の書き方が、まったく違っていました。


そこから、色々な学びを頂きました。





新聞拡張(しゅんぶんかくちょう)キャンペーンでは、

学生チャンピオンになったこともあります。

新規購読者を集めるには、どうしたら、良いか?

また、朝5時までに新聞を配達してくれ。

・・・・・・と言われれば、いつも、順路がちがっても


4時半前に新聞を入れていました。


きつかった。きつかった。
毎朝、3時半起床でした。


6時半には、配達を終えて、朝食を食べて、

朝7時30分には、アパートの寮を出て、


大学に通っていました。


1年間続けました。
その後は、大学の無返済奨学金に補欠合格して、
毎月、奨学金を頂いていました。



話しを戻します。

私は、大学の授業料を無料にすべきではないと思います。


自分で稼ぐ。自分で、生きた勉強する環境づくりや、

考えるクセを付けるべきだと思います。



出来るだけ、親のお金を充てにしない。



いろいろな考えがあるかと思います。

父親は、大学3年生の時に、亡くなりました。



アルバイトを3つ掛け持ち、



しかも、どうしたら、長く雇って頂けるか?

常に、考えていました。


清掃会社でも、他の学生さんより、時給が50円高かったです。


それは、ワックス掛けが得意で、


私が、ワックス掛けをすると、
いつまでも、いつまでも、光っているとウワサになったのです。


「ワックスを塗るのはなく、塗り込む」



塗り込むことで、綺麗な状態が長持ちするからです。





もちろん、大学の授業料は、無料の方が、
家計も助かる。



でも、でも、

お金では買えない経験が出来たのが、

この新聞配達勤労奨学生制度です。






お金をもらい、生活費や、アパートの面倒もみてくれる。
社会勉強にもなる。

大学時代に、色々なことを学ばせて頂きました。







感謝しています。






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最終更新日  2019.07.22 09:44:48
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