友人の志賀さんに電話して談笑していた。
思いついて円山公園に行った。
部屋にいることが多く、Amazonプライムビデオばかりみているうちに軽く鬱になってきたから、五歳の弟と手伝いのASKAをつれて、いった。
古い賃貸マンションを出て数分歩いたら、春の円山公園。
ひと冬越した枯れ葉が敷き詰められており、風が割とつよく、乾燥した枯れ葉が芝生の青芽の上で踊っていた。
ひゅうひゅうと冷たい風が吹いていた。
東の空が薄黒く墨汁を散らしたように広がっていたから、
「あの空が風上だったら、夜は、雨かねえ」
とASKAに言った。
俺は黒い鳥打ち帽を風で飛ばないように押さえながら、右手の指を舐めて空にかざした。
風は渦巻いていて、四方八方から指先にまとまりついていた。
「風の方向が、わからない」
ASKAは、寒いねえ、とチャンチャンコの襟を立て、下駄を脱いで足を掌で握り暖めている。
俺も浴衣に羽織と去年、軽井沢の仕立て物屋で母の形見の着物を縫い直してもらった襟巻きだけだから、ほっ、と頬を赤らめた五歳の弟に頬を寄せて、ぬくみをもらった。
いつもは外国人の多い円山公園は、閑散としていた。
子連れの親子ばかりという印象。
「コロナ騒ぎがおさまったら、田島の城崎温泉にでもいこうか」
とASKAに言った。
髷を結ったカゴ屋が二人、こちらにやってきて、ゆっくりとカゴを下ろした。
カゴを開けて中から、志賀直哉が出てきた。
六尺あまりの威丈夫である。
さっき城崎温泉の志賀さんに電話をしておいたから、気まぐれでやってきたことを知る。
「山手線の電車にはねられて怪我をして、その後養生に城崎温泉だったのでは?」
「ちょっと、円山に野暮用がありましてね」
坊主頭を恥ずかしいそうに撫でていた。
志賀直哉を加えた四人で池のほとりをあるく。
「志賀さん、日本はどうなるのでしょうね。いや、世界が、ね、志賀さんの嫌いな読み手を罠に嵌めるようなスジガキで動いています」
「城崎あたりも大変でね。首から上でしかものをみないと本来はみえないものです」
「キモで観察しないと本来の姿はみえませんか」
「キモのないリーダーが増えたからねえ」
「志賀さん、どうなるのでしょうねえ、世界」
何気なく振り向くと曲げ姿の男二人が、川端康成と三島由紀夫であることに気づいた。
「川端さんも三島さんもどうして髷なんですか。しかも人足姿。どうしたんですか」
二人はヘラヘラと笑いながら志賀さんの後ろにつづく。志賀さんに比べて小人のように背が低い。
「この二人は武家の出ではないな」
と、理解した。
考えてみれば良い世の中だった。
戦後は損得勘定だけで機械的に動くだけの小才子でも出世して武家の娘をもらえる世の中になった。
合法である限りは、詐欺師と泥棒が一番、得をする時代になった。
平民が大名になれる善き時代。
川端さんや三島さんのように、ただの少しばかり利口な変態が文豪と呼ばれる時代になった。
あまつさえ、今は令和の世。21世紀である。
手伝いのASKAも弟もなぜか志賀さんにはなつくのだが、川端さんと三島さんには距離をとっていた。
「商才のある町人が、天下をとっています。彼らのできることは、計算だけですから、今は外圧に負けて、流行してもいないコロナで無理くり、パニックすら起こしています。志賀さんならどうしますか」
「なるように、なるでしょう。それより松尾さん、うまい寿司でもつまみましょう」
なるほど、わからない時は、うまい寿司でもつまんでいればよいのか、と俺は円山寿司善の暖簾をみんなでくぐりながら、達観。
「勘定は?」
と誰にともなく尋ねると、
「払わなければいいでしょう?」
と川端康成が鼻くそをほじくりながら、言った。
飄々と寿司屋の大将に挨拶して座る志賀さんが1文無しであると悟る。
「ツケで」
「へい」
さすが、志賀さんだと感心した。野暮用とは、円山寿司善であったのだ。
「ツケは、払わなければいいんです」
「そうそう」
三島さんと川端さんは、卑し気に海苔巻きを食べながら、小刻みに頷いていた。