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私
先月号(12月号)
の「 文藝春秋
」で 特別企画
として、 司馬遼太郎
氏の「 日本人の20世紀
」という論文が再録されていたね。
この論文は、司馬氏が「 坂の上の雲」を書いた動機
にもふれているね。
A氏
:NHKのドラマでも「 坂の上の雲
」が始まっているが、特別企画はそのせいかね。
それとも政権交代に刺激されたのかね。
私
:この論文で、 旅順の要塞の攻撃失敗の原因
が書いてあるね。
乃木将軍指揮下の第3軍
の 伊地知参謀総長
が 陸軍のメンツ
によって海軍から申し出のあった 軍艦砲の支援は不要
であるといったことだという。
要塞攻撃は大砲
でやらなくてはしようがないのに、 野砲程度で後は肉弾攻撃
あるのみというとても考えられない 愚策
をしたというわけだね。
A氏 :「 坂の上の雲 」によると、結局、もたもたしているので、 東京湾防衛のための海岸砲 ( 28サンチ砲 ) を 児玉源太郎 がむりやり 203高地 まで引きずっていって、 要塞を砲撃 し、これで旅順はおちる。
私
:ここで司馬氏は、 陸軍のメンツ
と書いているが、 加藤陽子
氏の「 それでも、日本人は『戦争』を選んだ
」によると、逆のことが書いてあったね。
加藤
氏によると、日露戦争をロシア側で戦った若き将校の スヴェーチン
が後に日本軍ことを書いているという。
それによると 日露戦争は、日本側の陸海軍の共同作戦の成功
としているという。
要するに、 陸軍と海軍は仲がよかった
という。
A氏 :逆だね。
私 : 海軍の作戦参謀 の 秋山真之 が 乃木大将 に 毎日のように、203高地の重要性を手紙に出していた。
A氏 :しかし、203高地の戦いは、いろいろな側面があるね。
私
:日露戦争の頃の 幹部の明治人
というのは、 戦いの経験
があるね。
だから、 日露戦争に反対していた 伊藤博文
は、開戦と決まったとき、 悲痛な表情で「むかし(幕末)にもどって自分も銃をとって戦う」とロシア兵の上陸を予想
していたという。
ところが、 昭和の知識人は太平洋戦争勃発のとき、雪崩をうって戦争を賛美する。
これは 大正期の教育で軍事知識なしで育ったせいだ
という。
軍事音痴
だね。
A氏 :戦争という リアリズムの理解力 がないんだね。
私 : 明治・大正のインテリが軍事を別世界 のことだと思い込んできたのが、 昭和になって軍部の独走という非リアリズムを許した と司馬氏はいう。
司馬氏は、 戦後は逆に、軍事に触れるだけでも具合が悪いという細菌恐怖症のような気分がずっと続いていて、現実をきちっと認識しない平和論 はかえって恐ろしいと言っている。
この論文は 1994年 のものだが、15年ほどたって、いまだにアメリカの軍地基地でもめている今の日本を司馬氏はどう思うかね。