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私
:いや、この論稿を読んで驚いたね。
戦時中の日本の戦争映画
のことだよ。
俺は小学生のとき、近くにある映画館で映画をかなり見た覚えがあるが、今は鮮明な記憶がないね。
記憶にあるのは 嵐寛寿郎
の「 鞍馬天狗
」と「 西住戦車長伝
」くらいのものかね。
たしか、小学生は学校が許可した映画以外は見られなかったと思う。
ところが、 1943年の春
、 ハリウッドで活躍する映画監督グループ
が 1937年から1941年までに製作された 20本ほどの日本映画
を見直して、それらが 欧米で作られた秀作に肩をならべる 見事な作品
だという点で意見が一致
したという。
有名な フランク・キャプラ
は 日本映画
「 チョコレートと兵隊
」を見た後
「こんな映画にわれわれは勝てない。
あんな映画をわれわれが作れるのは10年に1度だろう。
われわれにはこんな俳優たちもいない」
と声をあげていったという。
「 菊と刀 」の著者 ルース・ベネディクト は、 日本の戦争映画が芸術作品として卓越していると賞賛 していたという。
A氏
:驚いたね。
そんなに戦争中の日本映画は優秀だったのかね。
私
:それ以外に、 驚くべき特徴
がある。
アメリカの戦争映画などに出てくるような、 筋骨隆々とした英雄
も、 サムライ型の英雄
も登場しない。
映画では普通の兵隊が主に描かれている。
西住戦車長
は戦死して「 軍神
」と言われたが、平凡な生い立ちと静かな死しか扱っていない。
彼は中国兵に撃たれるが、死までしばらく息があった。
しかし、 美辞麗句をならべた別れの挨拶
をするのでもなく、 天皇の名
を口にのぼせるでもなく死んでいく。
死んでいく瞬間のシーン
はなく、 西住の指揮官
が死者の枕元に蝋燭を持って座り
「 彼はよく眠っている---彼はいい奴だった---まるで生きているようだ
」
とつぶやいて映画は終わる。
そして、 奇妙なことに、「敵」が出てこない。
「敵」は言葉の上か、影である。
だから「敵兵」をバタバタ倒すシーンはない。
日本刀
を振り回し、相手を斬りまくる チャンバラシーンはない。
「 百人斬り
」なんて新聞だけの話だね。
ハリウッドの戦争映画
には、 残虐で人間以下の醜い「ジャップ」
が「 敵
」として出てくるが、その「 敵
」に相当するものは 日本映画には登場しない
という。
ルース・ベネディクト
は
「 日本映画には、敵の人格化というものがなく、それゆえ、敵に対する憎しみがない
」
と言っているという。
A氏 :新聞や他の宣伝では「 鬼畜米英 」をやっつけろということは盛んに言われたが、そういうことは、映画にはなかったというのは不思議だね。
私
:1930年代、40年代の映画の多くは、 戦争自体が究極の敵
であると表現しているような感じすらするという。
ダワー
は、だから、 敗戦後の日本映画
に 平和主義的、共産主義的な映画が 早期に
現れた事情の説明
になるとしているね。
A氏 :ここにも 戦時中と戦後の連続性 があるね。
私 :そして、 日本の映画史 にこれらの 戦争時の日本映画 は 無視できない存在 ではあるね。