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A氏
:要するに、 アメリカ1国支配
から、 異質なものと妥協しつつ外交
する バランス・オブ・パワーの時代
にもどりつつあるということか。
アメリカのイデオロギー
とは 自由主義、資本主義、民主主義
だね。
これを押し付けようとする アメリカ外交の特徴 は、 バランス・オブ・パワーの原理 とは別のものだね。
私 :著者は、 イデオロギーの内容 の是非は別として、その点、 アメリカと戦前の日本の政策は性格が似ている という。
戦前の日本の4つの政策
--- 日韓併合
、 対中21箇条要求
、 満州の植民地化
、 1937年以降の日中戦争
----は、 日本にとって不必要
だったという歴史観を持つという。
これは 異質なものと妥協するというバランス・オブ・パワーと異なる
からだ。
だから、著者は、 アメリカが日本に勝って押し付けてきた
「 東京裁判史観
」と 日本の民族派や皇道派
の主張してきた「 大東亜戦争=アジア解放史観
」の 双方に賛成していない
という。
A氏
:どちらも イデオロギーの押し付けという点
は 共通
しているね。
君が ジョン・ダワー の言 として「 国連に反して単独で中東に攻め入った米国こそ、満州事変から15年戦争の泥沼に入った日本に似ている 」と言っているとを紹介していたが、そういうことだね。
アメリカ は イラク に 民主主義国家を押し付けようとしていた わけだからね。
私
: 日本
の場合は 、アメリカ
と大きく違うのは、最初から 一貫したイデオロギー
がなかったことだね。
関東軍の石原莞爾ら
が 中央を無視
して勝手に 満洲事変
を起こし、今度は、その 石原の部下
が 彼の意思
に反して 日中戦争
を起こすという 下克上による泥沼
で戦争が長続きして 一貫性
がないね。
「 大東亜戦争=アジア解放史観
」というのは、その ダラダラ下克上
で始まった戦争に 後追いで大義名分をつけたもの
だね。
1940年2月
の 日本の議会
で 民政党
の 斉藤隆夫
代議士は、「 支那事変の処理を中心とした質問演説
」という 憲政史上有名な演説
をする。
そこで、彼は、「 1931年
以来、 こんな長い事変があるのか、戦争ではないのか
」という。
そして、 1939年
に 後追いで作ったこの戦争の目的
を示した「 東亜新秩序答申案要旨
」というのは、 よく理解できない抽象用語
が並んでいると 批判する
。
例えば、「 八紘一宇
」も出てくるし、「 『
うしはく』に非ずして『しらす』ことを以って本義とすることは我が皇道の根本原則
」というのも出てくる。
A氏
:それは君のブログの「 未完のファシズム
」に出ているね。
「 大東亜戦争=アジア解放史観
」というイ デオロギー
の押し付けだね。
私 : 政治イデオロギー の是非にかかわりなく、 バランス・オブ・パワー政策 の 重要性を理解していた歴史上の人物 として、次の人が挙げられている。
英国首相であったピット、パーマストン、チャーチル、メッテルニヒ(墺)、ビスマルク(独)、伊藤博文、ドゴール、スターリン、ケナン、アイゼンハワー、周恩来 など。
バランス・オブ・パワー政策の重要性を理解していなかった人物
としては、
ナポレオン、グラッドストン、ヴェイルヘルム2世(独)、ウイルソン、ヒトラー、近衛文麿、東条英機、ケネディ、カーター、ブッシュ(息子)など
。
A氏
: 日本も最後には消耗していた日露戦争の講和
には、 伊藤博文
は 金子堅太郎
を アメリカ
に派遣し、 大統領
セオドア・ルーズベルト
に 講和の斡旋
を依頼している。
これが ポーツマス条約
に結びつく。
講和後は、 伊藤博文
は勝利を手にした日本と敗戦国ロシアとの間の 戦後処理に奔走
するね。
大統領
セオドア・ルーズベルト
はアメリカでは珍しく バランス・オブ・パワー的
であったという。
インディアンには厳しかったらしいが。
ところで、アメリカが力を落とし、 世界の多極化
で 外交も多極化
してきて、 バランス・オブ・パワー
が重要になるだろう。
すでに、最近の シリアの化学兵器問題
で、 ロシアのプーチン
の バランス・オブ・パワー提案で
アメリカの シリア攻撃が回避されたね。
私 :著者は、 日本はアメリカ依存から脱却 し、 国防軍 を持ち、 独立 して、 バランス・オブ・パワーの道 を進むべきと主張している。
安倍晋三
首相も集団的自衛権
を手がかりに、 対米依存から脱却
して、 独立した国防軍
を持ちたいのだろうが、まだまだ、時間がかかりそうだね。