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私
: 戦国時代の 蓮如
の頃、 日本の農村社会
が大きく変わる。
16世紀初めに
、村落で 小農の独立
が進み、それまでに比べ、 より横並びの協働が必要な生産・社会関係
に変わっていく。
この時期に形成された 村落共同体
は、「 ムラ社会
」として、その後、 日本社会の基本形
になる。
戦国の終わりから江戸時代
になって、 葬礼の習慣
が根付いていくのもそのためだね。
A氏 : 村落共同体 があるから、その 構成員を弔うという発想 が出てくるわけだ。
私
: 村落共同体
にとって、 構成メンバーの死
は重大な出来事だし、 共同体の人間関係の再構築
も必要だ。
葬列
を作り、みんなで 墓地
まで行き、 墓を掘って埋葬
するという一連の手続きはその確認作業だね。
だから 村落共同体
にとって 葬儀や法事は非常に重要
なものとなる。
したがって、 村落共同体の確立と浄土真宗の広がりは軌を一にしている
。
A氏
:そうした 村落共同体
と 仏教
との関係を確立させ、 統治システム
に組み込んだのが 江戸幕府の 寺請制度
だね。
菩提寺
を決めて 檀家
となることを義務づける。
私 : 村落共同体 の構成単位は「 家 」だから、この頃から、庶民の間でも「 家 」のシンボルとして「 先祖代々の墓 」が建てられるようになる。
このような日本人の「 死生観
」は 江戸期
に作られたが、戦後、作られた「 伝統
」もある。
それは、 お寺の住職は世襲になったこと
だという。
それまでは 師弟関係で継承
されていた。
しかし、 寺の世襲は檀家の要望
でもある。
自分たちの葬儀と墓はどうなるのか
、とにかく 続いてくれることが望まれる
。
A氏 :寺の仕事では 葬式 の比重は大きいね。
私
:それは 明治の 廃仏毀釈
と 戦後の 農地改革
で 寺領の収入源
がなくなってしまったことが大きい。
そこで 葬式を立派にしてお金をいかに引き出すかという工夫
が重なってきたのが、今の「 葬式仏教
」だね。
A氏
:しかし、 都市化
が進むと 、村落共同体が崩壊
し、 寺と檀家の間
が離れていくね。
墓地は商品
となる。
私 : 葬儀も規模の縮小と簡素化 が 最近の特徴 だという。
村落共同体 の1員でなく、現代のように「 個人として死ぬ時代 」になると「 死生観 」というもの自体、必要でなくなるかもしれない。
A氏
: 少子高齢化、核家族化
が進むと「 死後に忘れられしまう
」という 恐れ
が 新しい「死生観」の軸
になるかもしれないね。
現代は、 1周忌、2周忌
くらいで後はないかもしれない。
膨大なブログの記録
は死んだらどうなるのかね。
私
:このブログで、 島田
氏の著書「 人はひとりで死ぬ・『無縁社会』を生きるために
」をとりあげたが、島田氏には別に「 葬式は、いらない
」という本があるように、「 無縁死
」は、 人間本来の姿
だという。
死によって、人は自由になり、解放され、現世との縁が切れ、「無縁」になることで救われ、あらゆる死が本質的に「無縁死」である
。
現代は、そういう「 死生観 」が存在価値を増していくのかもしれない。 村落共同体 に慣れてきた人にはさびしいことだが。
A氏 :それで思い出したが、君の 7年前のブログ に 「プライベイト・ライアン 」という スピルバーグ監督の1998年作 の映画の話があるね。
第2次世界大戦
で、 トムハンクス
扮する 大尉
が、数人の部下を連れ、行方不明のライアンという兵士を探し出し、 米国に連れ帰る特命
を受ける。
理由は、 ライアンは4人兄弟の末子
だが、すでに 3人は戦死
しているので ライアンが戦死すると家族が絶える
からだ。
米国には当時、こういう 粋なはからい
があったんかね。
もっともそれは ユダヤ人のスピルバーグ監督の「死生観」による創作
だろうか。
私
:ようやく、 戦場
で ライアン
を探し出すが 大尉は戦死する
。
大尉
は息を引き取るときに、 ライアン
に「 有意義な人生をおくれ
」と言い残す。
ここで映画のシーンが一挙に 現在
になる。
白い十字架が林立する アメリカの戦士の墓 で 白髪の老いたライアン が 10人くらいの自分の子や孫たち とともに 亡き大尉の墓 にひざまずく。
大尉の墓
に向かって 年老いたライアン
は「 貴方が言われたように長い間、有意義な人生をおくるよう努力したが、果たして十分か自信がない
」というようなことを墓に語りかける。
そばにいた ライアンの夫人
が「 あなたが有意義な人生をおくったのは、皆知っている
」と慰める。
ここで映画は終わるね。
人は「 個
」であっても、最後はこういう 満足した「死
」でありたいね。