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最高裁での「もんじゅ」訴訟で住民側敗訴が確定した。95年12月にナトリウム漏れ事故を起こした高速増殖炉「もんじゅ」での裁判だ。五人の裁判官による全員一致での判決だった。さぞや自治体は喜んだだろう。何しろ「原発特需」がこの判決で保障されたのだから。文部科学大臣のコメント。(文部科学省のホームページから)>本日、最高裁判所において、高速増殖原型炉「もんじゅ」の原子炉設置許可処分無効確認請求訴訟について、原判決を破棄し、被上告人の控訴を棄却する国側の勝訴の判決が言い渡されました。 本日の判決は、国のこれまでの主張を認めていただいた妥当な判決であるものと認識しております。 高速増殖炉サイクル技術は、我が国の長期的なエネルギーの安定供給を確保するとの観点から極めて重要な技術であります。「もんじゅ」は、その研究開発の中核となる施設であることから、安全確保を最優先として、地元住民の方々を始めとした国民の理解を得られるよう努めつつ、「もんじゅ」を着実に進めてまいります。裁判所は国に有利な判決を出すようになった。最高裁はその頂点に立つ「国寄りの機関」だ。この判決に限らず、最高裁には「公平」な判決が期待できないのではないかとも思える。「住民対国」の訴訟では、国が有利になっていないか?民間人には国と違って訴訟に慣れていない。訴訟費用ですら重荷になる。その上で最高裁で住民側が負けたら「国には逆らっても無駄」という認識が広まるだけだ。ハンセン病の裁判を見ても、このことは明らか。小泉首相の政治判断により控訴断念となったが、国が相手では裁判に勝つのはいかにも困難だ。31日の東京新聞では、早稲田大の首藤重幸教授がもんじゅ訴訟についてこうコメントしている。「行政の言い分をそのまま信用したインパクトのない判決。裁判所の立場から安全審査について議論してほしかったが、全部行政に丸投げした」また学習院大教授の高木光氏は、31日の読売新聞で以下のコメントを残している。「審査側に幅広い裁量を認めるなど、行政に有利な理論を用いているのではないかという疑問も残る」原子力発電所は「トイレのないマンション」と言われてきた。現在も放射性廃棄物の処理方法は問題山積している。青森で再処理した後地中保管するということは、原発操業開始後に決められたことだ。まだその保管場所さえ決まっていない。再び動き始めた原子燃料サイクル研究開発我々が知らないだけで、原子力に関する重要事項は次々と決まっていく。「原子力発電は安い」というのはこうした処理費用が含まれていないにもかかわらず「常識」とされた過去がある。それでも原子力発電は続けられている。高速増殖炉はそうした放射性廃棄物の問題を軽減する、「夢の技術」であるように言われてきた。高速増殖炉と核燃料サイクル-1ところが原子力発電関連の事故、そして事故隠しは多く起こっている。今回の訴訟でも争点になったが安全性にも不確定要素が多い。この点で今回の判決には疑問が多くある。「もんじゅ」で起こったナトリウム事故でも、住民の不安は大きい。知っている方も多いと思うが、ナトリウムは水と激しく反応して火を放つ。そのナトリウムを「もんじゅ」では冷却材として使っている。こうしたナトリウムの危険性から、ヘリウムなどを冷却材に使った研究さえ行われている。もんじゅは決して確立された技術で成り立っているわけではない。そして一度事故が起こってしまったら、人間には手に負えなくなる。1999年9月に起こったJCO臨界事故 を見ても、そのことは容易にわかる。もっと広く原子力発電を考えてみよう。原子力問題は、エネルギーと地下資源に深く関係する。まず、我々は電気を使いすぎだ。「電力が足りないから」という理由で原子力発電が必要とされるのなら、逆に電力需要を減らす工夫も必要になってくる。不必要に多くある自動販売機はどう考えても大部分が無駄だ。コンビニも24時間開いている必要があるのか?夜型人間を作り出してはいないか?少年犯罪を誘発していないか?夏の暑い日、クーラーが不健康に使われている場所が多くないか?電力だけの問題ではなく地下街やビルなどのクーラーは体に悪いぞ。今ある化石燃料の代表、石油は有限だ。なのに我々はペットボトルなどに石油製品を使っている。これはごみ問題と密接に関係しているが、こうした石油需要は確実に減らすことができるし、減らすべきだ。今からでも遅くはない。「循環型社会」への転換が求められる。参考になったページ原子力百科事典 ATOMICA中長期事業計画(核燃料サイクル開発機構)若狭ネット第55号バナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.31
すでに多くの人に紹介されているのでかなり有名なことだが、JRの近郊区間内では130円(場所によっては130円でないこともある)で、1日列車に乗ることができる。この方法は、コミック「鉄子の旅」で紹介された。 「鉄子の旅」に出ている横見氏のページこの「大回り」は隣の駅までの切符を買い、近郊区間内を大回りして目的地で行くというもの。大事なのは列車に乗るのが「近郊区間相互」であることだ。JRの近郊区間では乗車経路にかかわらず、下車駅までの最短ルートで運賃を計算する特例があるためこうした試みが可能になる。近郊区間大回り旅行について例えば東京から新宿に行く場合、山手線に乗っても中央線に乗っても運賃は変わらない。「大回り」はこうした規則を拡大解釈したものと言えよう。東京から新宿なら東海道線で茅ヶ崎まで行き、相模線で橋本、八王子まで横浜線、新宿まで中央線で行くことができる。いくら都市圏とは言っても1日に7、8時間も列車に乗ればこれは立派な「旅」だ。都心ばかりではなくなるべく田舎を巡ればさらに旅をした気分になる。近郊区間の範囲についてはこのページを参考にしてもらいたい。トピックス1-近郊区間大回り旅行実際の大回りはここで実験している。すごく充実したページだ。東京近郊区間大回りこんなページもある。東京近郊区間ぐるりの旅。こうしたことを書くと、「違法行為ではないか?」と主張する人がいる。そうではない。ルールさえ守ればこれは明らかに合法的なことだ。大回りのルール1、切符は一日限り。2、同じ駅を二度通らない。経路に注意する。3、近郊区間を出ない。4、途中下車できないので駅からは出られない。こうしたルールさえ守れば、1日で一都六県を巡ることも可能だ。東京または首都圏に住んでいる人なら、私は八高線を推薦する。この路線は一部がディーゼル車で運行されていて景色も変化があって面白い。白い車体が美しく、トイレも付いている。座席も満足できる。八高線についてはSP-NAVIにある八高線のページを見てもらいたい。写真が充実している。時間がある人はぜひお試しを!但し、ラッシュ時にこれを行うのはあまりに迷惑なので時間帯を考えるように。その他の注意1、切符は改札を出る時に自動改札だと出口が開いてくれないことがある。その場合は駅員のいる出口で「大回り」を申し出よう。2、改札出口でも同じことが言えるが、車掌に「大回り」の経路を聞かれることがある。前もって経路を書いたコピーを用意すると便利。近郊区間についてはすでに紹介した。 バナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.31
石田衣良の「4teen」は、第129回直木賞受賞作。この作品は昨年読んだ。私はこの作品から映画「スタンドバイミー」を思い出す。(多くの読者がそうだったのではないか?)今でもリバーフェニックスがこの世にいないことを残念に思う。石田の頭の中にも、この映画があったのかもしれない。この題名は、「十四歳の物語」であると同時に、「十代四人の物語」を意味しているのだろう。東京の下町である月島に住む仲のいい四人が遭遇する話を、オムニバスで描いている。最初の「びっくりプレゼント」では、「性」と「病」がテーマだ。若くして重い病気の友人のために、援助交際をしてくれる女の子を捜す。女性に声をかけるのに苦労する場面が笑える。だが後半は病室での会話に涙が出た。この少年たち、やっていることは無茶苦茶だがいい友情を見せてもらった。友情を示すのにベクトルが狂っているところが現代の十代らしい。次の「月の草」では不登校と摂食障害が描かれている。戦争が終わって長い年月が過ぎた。今では食べ物も豊富にある。そんな社会でもその時に応じた問題があるものだ。性も描かれている。「北川くん、私を壊して、変えちゃっていいよ」この文章には鋭さがあった。「飛ぶ少年」では、高い教室から本当に飛んでしまうクラスメートが出てくる。これってエーリッヒケストナーの「飛ぶ教室」を意識しているのか?「十四歳の情事」では、家庭内暴力がテーマだ。「大華火の夜に」は重いテーマだ。「失踪、病、死」を描く。「ぼくたちがセックスについて話すこと」では同性愛。「空色の自転車」では家庭内暴力と少年。そして最後の「十五歳への旅」では、最初に書いたように、映画「スタンドバイミー」のような冒険がある。冒険といっても映画にあったように死体を捜しに行くわけではない。何しろ舞台は現代。東京の下町だから。四人組は自転車で都心に向かう。目指すは新宿歌舞伎町だ。ストリップ劇場入り口でチケットを買うのに「大人一枚」と言うところは大笑い。女性には理解できないかもしれないが、だいたい十四歳というのはこんなものだったりする。作者の石田は鋭い。登場人物のセリフからそのことがよく伝わってくる。不幸にも年をとるのが早くなった奇病の少年は仲間に向かって言う。「みんなには地球の自転を遅くするくらいものすごい力があるいつも一緒に遊んでくれてうれしいよ」話の中心にいるテツローはこう言う。「ぼくが怖いのは変わることだ」「変わっていいことがあれば、変わらないほうがいいことだってある」この本を読んだ多くの人は、この言葉の意味を知っている。だからこの小説は支持される。そしてこの文章で小説は終わる。「次の日にまた会うに決まっている友達にさよならをいうのは、いつだってなかなか楽しいものだ」私はこの部分を読んで、ある文章を思い出した。「さよならを言うのは、少しだけ死ぬことだ」これは、レイモンドチャンドラー「ロング・グッドバイ」(邦題「長いお別れ」)での有名な一文だ。明日は永遠にやってくるような考え方を、私は十代でしてきた。しかしいつかは今の状態が終わる。中学生は高校に行けば今の友人とは縁遠くなるし、環境も考え方も変わる。だからこそ石田のように十四歳を新鮮に表現することが評価される。最近石田衣良はNHKのしゃべり場などに出演しているが、「若者を最初から否定しない」という点がこうした小説を生むのだろう。何だか知らないが、この小説はやたらと爽やかだ。性をテーマとして扱っているのに新鮮さと爽やかさが頭に残る。評価に値する作品。参考になったページdiarynoteバナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.30
中国副首相の会談キャンセルに端を発した靖国参拝について、メジャーな新聞である産経と朝日が社説で取り上げている。この二つの社説比較はとても興味深い。考えを自由に述べられるのは表現の自由という点においてはいいことだが、同時に日本でも東京裁判については一枚岩ではないということが、今から紹介する二つの社説からわかる。これはいかに日本という国が、戦後靖国や戦争責任について論争してこなかったかを意味している。日本でもいろいろな意見があるものを、隣りの国である中国が理解できるわけがない。この件に関して私はすでに5月26日の日記で書いた。ここでは基本的に過去の主張を繰り返さない。今日5月29日の産経「主張」は「靖国神社 首相参拝は日本の慣例 戦没者に敬意を払いたい」として、A級戦犯、サンフランシスコ条約、靖国について次のように述べている。(以下引用)中国は「A級戦犯」が靖国神社に合祀されていることを問題視している。いわゆる「A級戦犯」は、東京裁判で裁かれた被告を指す連合国側の呼称である。日本はサンフランシスコ講和条約で東京裁判の結果を受け入れたにもかかわらず、その「A級戦犯」を合祀している靖国神社に首相が参拝することを中国は許せないらしい。 だが、現在の共産党独裁国家の中国は、東京裁判や講和条約の当事国ではない。しかも、連合国は「A級戦犯」合祀を問題視していない。 講和条約で日本は東京裁判の判決を受け入れたが、それは刑の執行や赦免・減刑などの手続きを引き受けたに過ぎない。「南京大虐殺」など事実認定に誤りの多い東京裁判そのものを受け入れたわけではない。講和条約を論拠に、「A級戦犯」合祀を批判する中国の主張は通用しない。産経新聞は日頃から他の新聞が主張しないことを発言していて興味深い一面もあるが、今回の「主張」はいただけない。というのも、サンフランシスコ講和条約について、「一部は認めるが、認めない部分もある」というのは、産経の身勝手な解釈でしかないからだ。もちろん東京裁判が戦争に勝った連合国による、リンチにも近い存在であったことは私も認める。ところが日本が一度認めてしまったものを後になってから認めないとするのなら、その点をまず国際社会に訴え、国際社会もそれを追認しなければ説得力がない。「南京大虐殺」については私も30万人という犠牲者を疑問視しているし、中国はチベット問題などで日本が過去行った過ちを繰り返している。だが今回の会談キャンセルに関する騒動は南京大虐殺についてのことではなく、そもそも中国に日本はどんなことをしたかという点だ。靖国神社参拝は、こうした背景がある。すでに日中共同声明で日本は中国に謝罪した。日本の侵略行為は日本政府自身にとってすでに確認されたことだ。その点を踏まえても今回の産経社説に賛成できない。私はこんなにも意味不明な社説というものを今まで読んだことがない。産経らしくない主張だ。日本が東京裁判についてどんな解釈をしようが、それを中国は受け入れる必要はない。逆に日本が東京裁判の判決について国際社会に訴えたいのなら、どうして国連や国際司法裁判所に訴えて結果を出さないのだろうか?どうして産経新聞は政府にこうした行動を取るように訴えないのか?また、サンフランシスコ講和条約に中国が招請されなかったことについて、「図解 太平洋戦争」(河出書房新社)では次のように解説している。共産党政権に変わった中国は、朝鮮戦争の最中の交戦国ということなどから、米英の思惑がからんで招聘されず、インド、ビルマ、ユーゴスラビアの三ヶ国は招請されたが出席しなかった。日本国内では共産党や社会党、その影響力下にある労働組合などは、ソ連と中国抜きの単独講和絶対反対を唱えている。時の首相吉田茂が、全面講和を主張する東大総長南原繁を「曲学阿世の徒」とののしったのもこうした時だった。つまり中国は呼ばれなかったのだ。産経はこうした点についても説明不足だ。社説を読む限り、まるで中国に非があったように読めてしまう。また、中国が来ような来るまいが、日本がサンフランシスコ講和条約で宣言したことには何ら変わりがない。この点でも産経は議論の主題から巧みに逃げようとしているように感じてしまう。それとも産経はサンフランシスコ講和条約を破棄し、日本が国際社会復帰を果たした場面からやり直そうとでも言うのだろうか。もしくは戦争犯罪者の処罰を規定している「ポツダム」共同宣言の受理、さらに日中共同声明での謝罪まで産経は反故にしようというのか?産経の社説からは日本がかつて行った中国への侵略行為に対し、まったく反省していないようにさえ読めてしまう。一方28日の朝日社説では、「東京裁判否定 世界に向けて言えるのか」として以下の森岡発言を批判している。「極東国際軍事裁判(東京裁判)は平和や人道に関する罪を勝手に作った一方的な裁判だ。A級戦犯でありながら首相になったり、外相になった方もいる。遺族には年金をもらっていただいており、日本国内ではA級戦犯は罪人ではない」敗戦国として不満はあったかもしれない。日本無罪論を主張したインドのパル判事もいた。だが、日本は東京裁判の結果を受諾することで国際的に戦争責任の問題を決着させる道を選んだ。これはまぎれもない事実だ。サンフランシスコ講和条約はそのことを第11条にうたい、日本を再び国際社会に迎え入れた。調印した国々の多くは、日本復興への配慮から賠償などの請求権を放棄した。 ここから戦後日本は再出発した。東京裁判での戦争責任の決着はその起点である。森岡発言はその土台を否定するに等しい。森岡氏と似たような主張は、一部の政治家や学者、マスコミにも見られる。そうした主張が日本の歴史認識を疑わせることにもつながっている。 一宗教法人とはいえ、靖国神社も同様だ。そのパンフレットで「日本の独立を守り、アジアの国々と共に栄えていくためには戦わなくてはならなかった」と先の戦争を正当化し、戦犯を「連合軍の形ばかりの裁判によって一方的に戦争犯罪人というぬれぎぬを着せられた方々」と位置づける。 今回ばかりは産経は朝日に確実に議論で負けた。どう考えても朝日のほうが理にかなっている朝日も批判しているが、森岡発言を「個人の見解」とするのも政府としてはいただけない。というのも、すでに公人である人の発言は「個人の見解」として受け取られないからだ。小泉が「個人として靖国に参拝する」と言うのと同じことだ。公人は、自分の都合で立場を使い分けてはならない。重要なのは「自分がどう思っているか」ではなく、「人がどう評価するか」だ。追記小泉が「不戦の誓い」をするのにどうして靖国に行くのか、これもまた私には意味がわからない。戦争で犠牲になったのは何も軍人だけではない。「不戦の誓い」をしたいのなら、原爆で犠牲となった広島や長崎、空襲で犠牲になった東京や大阪、そして地上戦の行われた沖縄ですればいい。しかも靖国神社では西郷隆盛や白虎隊、そして被差別部落出身者も合祀されなかった。(ひめゆり部隊や鉄血謹皇隊、対馬丸の死没者は合祀されている)「死してなお差別をしているのは靖国自身」と言える。靖国参拝と「不戦の誓い」がどう結びつくのか私には理解できない。小泉はどうして靖国だけにこだわるのか?こうなると「遺族会の票が欲しいから」ということにしかならない。どうせ小泉はやめろと言っても靖国へ行くんだろうから、方法はひとつしかない。小泉が靖国に行ったらもう自民党に投票しない。もちろん次の首相も同じ。小泉が参拝の自由を言うなら、こちらは投票の自由だ。追記その2よく、「戦争なのだから人が死ぬのは当然」と言って日本の侵略を正当化する人がいるが、もしその人が目の前で家族を殺されてもそう思うのだろうか?「人殺しはいけないが、戦争なら構わない」ということにはならない。「日本がしたことは侵略ではない」ということも大いに疑問だ。それならばなぜ日本は政府として韓国や中国に謝罪するのか?「過去の過ち」を反省してのことではないか?もし、「侵略ではない。謝罪はおかしい」と言う人がいたら、それは日本政府に向かって言えばいいことだ。もし聞く人がいたらの話だが。参考になったページ「靖国神社問題」についてA級戦犯合祀は自らやめるべきである漂流する幼児国バナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.29
国立でのUAE戦はまたも完封負け。ペルー戦に続いてホームで負け。中盤でボールを奪われての実に美しい負け方だった。小笠原は決定的に能力が不足している。FWじゃないんだから消えてどうする?存在感を示せ。鈴木は問題外。シュートを打たないのなら試合に出るな。出すな。日本にはこんな選手しかいないのか?バーレーンの監督にとって、キリンカップはいい情報を得る場になった。私がバーレーンの監督なら、選手にはこう言う。「日本はUAEでのキャンプと中東の気候でスタミナがない。小野をマークすれば日本は怖くない。後半バーレーンにチャンスが来る。引いて守るチームにも日本は弱いので、勝機は十分にある!カウンターを狙え!日本もそれを恐れている。」日本にとってキリンカップは強化のための大会ではなかったのか?自信をつけてマナーマ(バーレーン)に行くための大会ではなかったのか?バーレーンを喜ばせてどうする?私は5月23日の日記でジーコ監督の交代について書いた。日本協会も、裏で動いていることだろう。協会が動いていなければ組織としてはおしまいだ。すでにウワサの人はスタンバイしているかもしれない。キリンカップでの代表の戦いぶりを見るかぎり、今さら監督を交代させても仕方ないとも言える。だがジーコも代表監督を引き受ける以上は、スケープゴート(生贄)になることも覚悟しているだろう。選手に結果を求めるため監督更迭が必要だ。これはワールドカップに行くための戦いだ。代表には結果が求められる。日本人はとかく人情が監督人事に絡むが、代表が結果を出せない以上、責任を取る人物は決まっている。サッカーとはそういった世界だ。ファン、協会はどうしてもっとシビアになれないのだろう。バーレーン戦の結果次第ではイランとの最終戦に勝ちが求められるし、フランス大会での悪夢も蘇ってくる。またもやプレーオフか?それともドイツ行きがさらに危うくになるのか?まだ協会はジーコと日本代表を信じるのか?今のままでドイツに行ける?ジーコの首を切るならタイミングを見ろ!それともまだジーコの運に頼るのか?バナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.28
今朝、家を出ようとするとそこにランドセルがあった。白い帽子もあった。私は誰か小学生がいじめにあっていると勝手に想像した。登校途中で意地悪な輩がランドセルを隠してしまったのだろうと。正直のところこれが財布ならネコババしたかもしれない。しかし私にはランドセルが必要ではなかった。仕方なくランドセルを開けて名前と電話番号を確認した。電話をかけてみる。電話に出たのは若い女性だった。多分ランドセルの持ち主の母親なのだろう。私が事情を話すと、すぐに彼女は状況を理解した。その話によれば、これはいじめではないということ。ランドセルの持ち主は障害を持っていて、あちこちに持ち物を置いていたらしい。本人は近くの線路にいるところを発見された。私は母親に近くのバス停で待つことを伝え、ランドセルを持って家を出た。私より先に母親は待ち合わせ場所であるバス停に来ていた。彼女は何度も私に礼を言った。そして手に持っていた紙袋には酒が入っていた。新潟の地酒だという。私への礼のつもりらしいが、残念なことに私は今酒を受け付けない。その申し出を断った。彼女は靴のことを気にしていた。ランドセルの持ち主は靴まで脱ぎっぱなしだったようだ。靴は近くに落ちていた。道で別れるまで彼女は何度も私に向かって礼を言った。顔を見ると涙ぐんでさえいた。多分彼女の今日は、朝から大変だったのだろう。その様子は痛々しささえ感じるくらいだった。私は「事情はわかりませんが大変ですね」と言うしかなかった。その時、私は何を思ったのか彼女に「錦繍」(宮本輝)を薦めた。彼女は宮本輝の名前は知っていたが「錦繍」は知らなかった。長い前置きになったが、私がこうして今「錦繍」を日記で紹介するのにはこうした訳がある。「錦繍」は珍しい書簡体の小説だ。過去に事件があって別れることになった元夫婦が偶然蔵王で会う。そして手紙をやり取りするという内容になっている。ネット社会では手紙を書くことすら珍しいことかもしれない。長い手紙が二人の間を行きかう。当然二人が一緒に暮らしたこと、その前の出会いが手紙の中心になるが、過去を暗く語るだけではない。未来へ向かっての前向きなことも手紙には書かれる。この小説の後半、元夫は今一緒に暮らしている女性に今までの手紙を読ませる。彼女は過去の事件など知らないし、手紙の相手も知らない。そして手紙を読み終わった時彼女はこう言うのだ。「うち、あんたの奥さんやった人を好きや」私が彼女にこの小説のことを話したのは、小説に出てくる女性が再婚してやはり障害のある息子を持つという内容を思い出したから。考えようによっては浅倉卓弥の「四日間の奇蹟」とか、東野圭吾の「トキオ」を薦めたほうがよかったかも知れないが、今朝は何故か「錦繍」が頭に思い浮かんだ。この小説では何も問題は解決しない。奇跡がおきて障害がなくなるわけではないし、元夫婦が再婚に向かうわけでもない。しかしこの小説は多くの人に支持されている。(少なくとも私はそう思っている)それは、奇跡がなくても何かをこの小説から読者は学ぶから。障害を持つ息子を育てながら、登場人物の女性は強く生きる。「お嬢さん」から「強い母」への変身こそがある意味この作品のヤマ場でもある。何通もの元夫へ書いた手紙の中で、彼女は自分自身をも考える。すぐに結果を求める現代では考えられないくらいの手紙のやり取りで、彼女は成長する。そして読者もまた彼女の成長を考えつつ、自らの状況を再確認するのではないか?そして、「こうした話は実はこの世にはあるのかもしれない」ということもあるだろう。この小説を一言で表現すると、「ハッピーエンドではない再生の物語」だ。今日会った女性は母親として今後どのような苦労が待っているだろうか?私が薦めた「錦繍」を読むかもしれない。読んでモーツァルトを聴くようになるのかもしれない。逆に今日のことがあって私の言葉などすぐに忘れてしまうかもしれない。この親子の今後が気になる今朝の出来事だった。追記この小説では、こんなセリフもある。「生きていることと、死んでいることとはもしかしたら、同じことかもしれない」私が思い出すのはベストセラーになった「ノルウェイの森」(村上春樹)での、同じような一文だ。「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」今でもこの二つの言葉について考えることがある。バナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.27
避妊について考えてみてください。ここに中絶の映像があります。(かなりショッキングな映像です。覚悟してください)子どもは見ないで!写真は1から6まであります。プロライフジャパン私はキリスト教信者ではありません。ですが人工妊娠中絶には基本的に反対です。この映像が人工妊娠中絶を減らすことになれば幸いです。人工中絶は殺人です!罰せられないだけで確実に胎児は死にます。この世には病気や乱暴されての妊娠など「仕方のない中絶」もあるでしょうが、もう一度避妊を考えてみてください。日本では、年間30万件もの人工妊娠中絶があると言われています。そのうち避妊で妊娠を防げるものが多くあるのではないでしょうか?「年間34万人の死者」気分が悪くなった方がいましたらごめんなさい。先に謝っておきます。追記優生保護法から名前が変わった母体保護法がある。これによると「産む産まないは女性の基本的人権」という考えになっている。これは「殺人の権利」になりかねない。バナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.26
小泉首相と中国副首相である呉儀氏との会談が、中国側の都合でキャンセルしたことに日本国内では批判があるようだが、私にはその怒りの理由がわからない。確かに政治局員で「格下」の副首相が中国側からの会談申し込みにもかかわらず、それをキャンセルするとは礼儀に反している。今回のキャンセルで中国を批判するのはたやすい。しかし中国批判に意味があるか?中国は批判されて簡単に謝罪するか?反日デモ出すら謝罪しなかった中国が。ここで感情的になって反論しても中国は反省すらしないだろう。外務省はただ「中国側の態度は非礼である」と表明すればいい。余計な批判や怒りは不要だ。以下の文章を読んでから、もう一度この騒動の背景を考えてもいいのではないか。まずはこの報道から。中国会談キャンセル:「内政干渉」引き金に(毎日新聞)怒りの理由がわからないその根拠は簡単。1、中国は話のしにくい国だ。今怒っても無駄。2、小泉や国のメンツはどうでもいい。「実」が大切。3、小泉はいつから靖国参拝しているのか?その目的は?4、日本が今怒ると中国側が感情的になる。会談がキャンセルされたのは小泉首相の靖国神社参拝が背景にあるという。ここで問題整理のために靖国神社について語らねばなるまい。歴史認識については5月21日の日記に書いたが、中国もかなり怪しい。日本は過去に誤った政策から多くの人を犠牲としてきたが、中国はチベットなど現在もその政策の誤りを続けているからだ。もちろん日本に問題がないわけではない。日本が中国に侵略したことは日本政府が日中共同声明で認めているし、靖国神社で合祀されている人たちは「戦争加害者」が含まれている。現状では靖国参拝には大いに問題がある。彼が純粋に「戦争を二度と起こしてはいけないという気持ちで戦没者に敬意と感謝の誠をささげたい」と言うなら、国会議員になる前から小泉は靖国参拝すべきではないか?それとも小泉は首相になって初めてそうした気持ちになったとでも言うのか?小泉には個人としての「信教の自由」がある。ただ小泉はすでに首相だ。「公人」として多くの人から見られる。「私人であった学生時代から靖国参拝はしていた」という話ではないはずだ。加えて小泉の靖国参拝は何が目的なのか?このことを考えてみる必要がある。よく言われるのが「日本遺族会」などの票を目当てにした票集めが目的であるという話。小泉が票集めで靖国参拝しているなら、それは靖国に眠る方々に対し失礼ではないか?このことについては以下のページが詳しく書いている。小泉首相、年頭に靖国神社参拝できず(虎視牛歩)問題になった小泉はそれでも靖国参拝で追及されると、「罪を憎んで人を憎まず」「靖国参拝、他国が干渉すべきでない」とのたまった。ならば小泉はドイツ訪問の際にはヒットラーの墓を参拝するのか?(ヒットラーの墓が実際あるかどうかも私は知らないが)イタリア訪問時にはムッソリーニか?そんなこと言って誰が納得するかね?(この話になると、「ヒットラーと日本のA級戦犯は違う!」という反論が出てくる。しかし後で述べるが日本は東京裁判での判決をサンフランシスコ平和条約で認めている。日本ではホロコーストはなかったが、基本的に両者の扱いがそう大きく変わるわけではない)「他国が干渉」発言については、日本が中国に侵略したから問題になっているのに、小泉にはそのことがまったく理解できていないらしい。これもよく言われることだが、靖国神社には「死者を差別する」ことが当たり前のように行われている。これがもし「国のために犠牲になった人を広く受け入れる」のであればまだ理解もできる。総理大臣が参拝しても理解まだしやすい。ところが実際には「死者を差別する」のが靖国の実際だ。以下の資料を読んでもらいたい。靖国神社西郷隆盛を合祀せず、被差別部落の人々を死してなお差別しているのに、小泉は「死んだら神様」のつもりなのか?結局靖国は「天皇のために死んでいった者」しか入れない狭い考えを持っている。日本人でさえこうした問題がある靖国神社のことを、中国人が理解できるわけがない。理解できなくて当然だ。さらにこの靖国参拝問題を理解するために、サンフランシスコ平和条約(1951年)と極東国際軍事裁判(東京裁判)についても語らなければなるまい。サンフランシスコ平和条約の第四章(政治及び経済条項)第十一条にはこうある。>日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基くの外、行使することができない。つまり日本は正式に国際社会への復帰を宣言する際に、東京裁判の判決を受け入れるということを国際的に確認したということだ。この裁判には現在でも多くの異論が見られるが判決を覆したいのなら、それを国際的に認めさせることが必要となる。もちろん挙証責任は証明する側にある。中国や韓国など戦争被害を受けた国、そして国際社会がこのサンフランシスコ平和条約の破棄を認めない限り、日本は靖国参拝で問題となっているA級戦犯合祀について反論できない。(これについても1953年(昭和28年)衆議院本会議における、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」を根拠として反論する者がいるようだが、こうした決議は日本国内でしか意味がない。 日本により戦争被害を受けた中国や韓国はもとより、国際社会を相手に日本の国会での決議を根拠にするのはまったく説得力がない)A級戦犯が合祀されている靖国神社に公人が参拝することを、以上の点から中国や韓国が理解するわけがない。だが、靖国神社参拝に文句があるなら呉儀氏は小泉に直接言えばいい。何故せっかくのチャンスを無駄にするのか?呉儀氏の会談キャンセルはいかにも幼稚なやり方だ。もし呉儀氏(または中国政府)が感情的になっているとしたら、政治家としては失格だ。それとも呉儀氏は言論で小泉と勝負できないのか?自信がないのか?会談をキャンセルすることに何か深い意味でもあるのか?以上のことから私は今怒りを中国に向けるのは、日本にとってメリットがないと判断する。ここは広い心を持って中国と接しよう。決して中国と同じ土俵に立ってはいけない。聞けば呉儀副首相は「中国版鉄の女」と言うではないか?今回のことでわかったように彼女は懐が狭い。「元祖鉄の女」サッチャーが怒るぞ。ただ結果的には呉儀副首相と小泉の会談がなかったことはよかった。たとえ両者が会談することになっても、急にキャンセルするような呉儀副首相とはまともに話はできまい。現状では口ゲンカになるだけだからだ。参考になるページ靖国神社HP遊就館(靖国神社付属施設)の写真靖国神社・遊就館 昭和館靖国と戦争/日記のようなもの(302)(名無之直人の日記)呉儀副首相ドタキャン(ブログで情報収集!Blog-Headline)バナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.26
「わざとらしい」「感動の押しつけ」などの批判はあったが、私は結構この番組が好きだったので以下の報道は残念だ。私は問題となった淀川工業高校の回も観ていたが、番組はなかなか感動的にできていた。この番組では伏見工業高校でのラグビーとか、ソフトボール日本代表、そしてカンボジアの「日本橋」など感動的な話が印象に今でも残っている。多くの人は感動したい。そう思っている。それだけ現実が厳しいということだ。そしてこの番組を観て感動する。感動と言うよりもそれは「安心」に近いのかもしれない。淀川工業高校の回でも「歌うこと」の素晴らしさ、すごさ、そして情熱は多くの人が感じたはずだ。こうして報道されるということはやりすぎが本当のことだったのだろう。「必要以上の演出」を番組製作者は求めたしまったと考えるのが普通だ。それはもう演出とは呼べず、「事実の捏造」と呼ばれる。「プロジェクトX」のいいところは、普通には見えにくい物語を、普通の人が苦労して達成するところにある。そして事実であるということが大きな感動を呼ぶ。大切なことは脚色ではない。事実だ。いつのまにかこの番組は、事実よりも「ドラマ」になってしまっていた。私はNHKということで事実関係についてはまったく疑っていなかった。「毎年80人の退学者」とか、パトカーの出動など信じていた。私の中に「NHKは信用できる」という考えがあったことは確かだ。淀川高校と言えば、吹奏楽部が有名で毎年優秀な成績を残している。その活動は日本テレビの「笑ってコラえて」でも特集されたくらいだ。私はこの番組を観るまで同じ高校で吹奏楽と声楽(グリークラブ)が有名とは知らなかった。番組では「工業高校なので音楽室がない」と逆境をアピールしていたが、吹奏楽部のほうが先に活躍していたのではないのだろうか?だとしたらこの高校に「音楽の土壌はあった」のではないか?部の顧問も「合唱部は学校側から作ってほしいと言われた」と言っている。今回の報道を聞いた後でなら、何でも疑える。元プロデューサーによる不正流用事件があった時、「NHKはいい番組があるのだから」ということが言われた。その「いい番組」には当然のように「プロジェクトX」が含まれていた。この件で番組は打ち切りになるのかもしれない。その前に海老沢会長辞任と今回の件を2週にわたって特集し、番組を終えたらどうか?今後番組は「すべて疑ってかかる」ことが必要なのかもしれない。追記NHKではこの件に対してコメントを出した。5月10日放送のプロジェクトXについて(プロジェクトXホームページから)以下青字部分引用5月10日放送のプロジェクトXについて 5月10日に放送いたしましたプロジェクトX「ファイト 町工場に捧げる日本一の歌」について、視聴者から多くのお問い合わせをいただいています。 この番組は、昭和50年代の大阪府立淀川工業高校の合唱部の生徒と教師の奮闘や心の交流を、教育現場への応援歌の思いを込めて描いたものです。 制作にあたっては、淀川工業高校の校長先生、合唱部顧問の先生はじめ学校関係者のみなさん、そして当時の学校関係者の方々や生徒のみなさんに大変お世話になりました。 放送終了後の5月19日に、学校から、放送内容にいくつかの点で「事実と異なっている」という指摘と、回答を求める質問書をいただきました。学校関係者やOBの皆さまにご迷惑をおかけしたことを申し訳なく思っています。 質問書をいただいて以降、番組の内容や取材過程を調べて、5月25日、淀川工業高校に対して文書で回答いたしました。 まず、「昭和50年ごろの工業高校は荒れていたが、その程度が軽微であった淀工までが、一般のイメージどおり、画一的に描かれたことが遺憾である。」という学校からのご指摘をいただきました。私どもは、様々な関係者への取材をもとに番組を作りましたが、番組の中の表現が行き過ぎて、誤解をまねいた点がありました。 バイクでの暴走シーンについては、当時の複数の関係者から、バイクを乗りまわす生徒がいたという話を聞きました。しかし、「けんかに暴走」というコメントに合わせて、イメージ映像として暴走族の資料映像を使ったことは行き過ぎでした。 「退学者は毎年80人にのぼった」というナレーションについては、100人、80人と、取材過程でいろいろな数字を聞いていました。71人という数字も伺いましたが、正確な記録ではないということでしたので、結局、取材者の思い込みで「毎年80人」というナレーションになってしまいました。裏づけのない数字を使ってしまいました。 「就職先は町工場。求人はなかった」のナレーションについては、当時の生徒のかたが、不況で求人がないのではないかという不安をかかえていたという文脈の中でのコメントでした。個人の気持ちを表現しようとしたのですが、学校全体のことのように思える結果になってしまいました。 コンクール会場に警官が来るシーンは、顧問の先生の証言をもとに作りました。打ち合わせやスタジオ収録時にも先生から異論は出ませんでした。「あの話は冗談のつもりで言ったが、お互いに思い違いでしたね」と先生に言われたのは放送後のことでした。合唱連盟への取材など、事実確認をしっかりしなかったことが反省点です。 合唱部が創設される経緯について、合唱部の顧問の先生が当時の校長先生に招かれて学校に赴任した事情は、取材の過程で関係者のかたから伺い承知していました。番組では、当時の関係者に取材した事実をもとに、顧問の先生と生徒の活動を中心に描き、同好会から部に昇格するまで3年間の苦労があったことなどを紹介しています。 「プロジェクトX 挑戦者たち」は事実に基づいてきちんと取材し、制作すべき番組です。今回の放送は取材の事実確認が不十分な点、制作者側の思い込みが強すぎた点があり、反省しています。 5月28日土曜日午後2時からの「土曜スタジオパーク・あなたの声に答えます」で、視聴者のみなさんにご説明したいと考えています。 淀川工業高校の関係者のみなさま、視聴者のみなさまにはご迷惑をおかけしたことを深くお詫びいたします。 結局は「事実の捏造」ではないと言いたいのか?私にはそうは思えないが。その証拠に顧問の先生が招かれて高校に来たというあたりは、番組では描かれていなかった。顧問の先生が高校に来て初めて合唱部を作ろうという番組での描き方ではなかったのか?参考になった日記「感動」という病」NHK「プロX」で、またも取材相手が抗議する事態が発生するバナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.25
裁判は時に理解しがたい判決を出すことがある。こんな判断があった。(今日の日記に関して、私は専門的な医学の知識がありません。その上で記述の誤りについてはメッセージで指摘していただけるとありがたいです)大阪高裁「代理出産契約は無効」・親子関係認めずこの裁判による判断についてはいろんな人が意見を述べている。(この裁判での意見は後で紹介するかもしれません)私が気になったのは、「ではこの生まれた子どもはどうするのか?」という点。私がこの子だったら後にこの裁判を知って、「自分は望まれて生まれてきたのではない」「私は日本の法律で認められなかった」とがっかりするのではないか。この裁判で、子どものことが真剣に考えられたのか?今さら生まれなかったことにはできない。この子の将来はどうなるのか。私にはそれが気がかりだ。詳しい判決文をまだ読んでいないが、代理出産については法律が実態に追いついていないという現実がある。法律の整備に国会は努力すべきだし、裁判所は意見書を出して法律の整備を催促することが求められる。加えて、今回の裁判は子どもがほしい夫婦には冷たく厳しい判断ではないか?子どもができない夫婦に裁判所は「あきらめろ」とでも言うのか?裁判官は子どもができない夫婦の苦しみを本当に理解しているのか?確かに裁判は「答えを出すところ」ではない。「判断をする場所」だ。だが、今回の裁判は今後子どもができない夫婦に大きな影響をもたらすに違いない。何より、今回裁判所の判断に人間的な温かみが感じられなかったことが一番残念だ。裁判官は赤提灯で酒を飲むことさえできないという。そんな裁判官が一般人の心情を理解できるわけがない。冷たい判断を出すことで何が解決するというのだろうか?但し、実子でないことから子どもへの虐待があったりすることも十分に考えられる。養子や代理母を考えるならば、それなりの覚悟が必要になる。前にアメリカCBSで特集していたが、養子を「里親候補生」が選ぶ場面では吐き気がした。「里親候補生」たちが「髪の毛は黒がいい」とか「黒人の女の子がいい」とか選んでいる様子は、ペットショップで犬や猫を選んでいるのと私には何ら変わりがなく見えたからだ。また、同じ局の別の特集では養子を何人も受け入れているにもかかわらず、養子は実際にネグレクトされていたという実態があった。子どもたちは教育どころか満足に食べ物すら与えられていなかったという。つまりは養子で得る金が目的だった。養子の追跡調査がいかにいい加減だったか、そして養子が子どもの幸福につながるわけでは決してないといういい証明だ。アメリカで起こっていることは、決して対岸の火事ではなく日本でも起こりうる。ひとつの見方がすべてを解決するわけではない。裁判官には裁判官の考えがあったのだろう。私は今回の判断を支持しないが。今後この裁判は最高裁に特別抗告することが予定されているので注目したい。私自身もこのテーマについて勉強せねば。追記それにしても皮肉なものだ。こんなニュースがある。2004年の出生率1.28、最低更新・4年連続で低下(日経新聞)しかしながら日本では年間30万件という堕胎があると言われている。(実際の件数はこれより多いという意見もある)「年間34万人の死者」私は「堕胎を殺人」だと考える。しかしながらキリスト教原理主義的なプロライフとは違い、病気や乱暴による妊娠など、「認めなければならない人工中絶」があるとも考える。人工妊娠中絶日本における多くの人工妊娠中絶は、避妊によって防ぐことができる。なぜ避妊しないか?多くの場合、答えはこうだ。面倒だから。そして医師までが殺人に手を貸している。いや「殺人の実行犯」と言ってもいい。これは静かなる虐殺だ。毎日どこかで殺人が行われている。医師の多くは「人助けのための技術」を学んだはずだ。それなのに堕胎という殺人をしているのはどうしたわけだ?どうして30万件もの堕胎が社会問題として大きく取り上げられないのか?報道はどうして人工妊娠中絶を減らす企画を組まない?医師会は何故避妊キャンペーンをしない?国会はどうして法的措置を検討しないのか?確かに「罰則を設ければ堕胎を地下で行うようになる」という意見はあるだろう。しかしこのまま人工妊娠中絶を野放しにはできまい。少子化が問題となっているのに堕胎はしまくり。それでいて子どもがほしい夫婦には子どもができない。だが代理出産は認めない。こんな皮肉なことがあるだろうか?そしてやっと子どもが生まれても、虐待が待っている。異常性欲者、誘拐殺人者もいる。尼崎の列車脱線事故では107人もの犠牲が出た。犠牲者107人は確かに大変な事故だ。だが堕胎で奪われた命30万人もまた大切ではないのか?現代の日本は子どもが生きにくい。日本は本当に国策として少子化を防ぐ気があるのだろうか?参考になるページわがままちゃんねる!~わがまま日記代理出産について思うこと代理出産について――実母とは誰かという問いをめぐって/堂囿俊彦代理出産/代理母/代理懐胎に関する基礎資料 「精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療制度の整備に関する報告書」について精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療により出生した子の親子関係に関する民法の特例に関する要綱中間試案代理母問題を考える 代理出産向井亜紀さんは何と戦っているのか? 向井亜紀と不妊治療向井さんの公表の仕方に疑問(発言小町)日本国は代理出産を認めるべし 不妊治療は日本人を幸せにするか代理母/代理母出産/代理出産バナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.25
こんな記事がある。事故で直接被害を受けた人はもちろん、事故での心理的外傷が心配。加害者を憎むと同時に、自分が加害者にならないように注意しなくては。RV車の飲酒暴走事故で、仙台育英学園高に献花台 確かに言葉にすると事故なんだけど加害者の行為は、飲酒運転をした段階で殺人に等しい行為ではないか?聞けば加害者は3件はしごして飲酒していたそうなので弁護しようがない。その挙句に居眠り運転で信号無視。この事件は「飲酒に甘い日本」が今でも社会の根底にあるのではないか?かつて飲酒運転の車に追突され、お子さんを奪われた井上さんはこう語る。飲酒運転は「過失」なのか?(井上保孝・郁美さんご夫妻の手記)東名の2女児死亡事故(西日本新聞)この事件はかなり報道で取り上げられた。ところが井上さんたちの叫びは届かず、またしても飲酒運転による事故は起こった。こうした悲劇をなくすために法律も厳罰化に踏み切った。被害者感情からすると、この措置は当然。これ以上被害者を出さないためにもっと重い刑罰であってもいいかと私は考える。飲酒運転者の免許は永久失格でいい。飲酒運転などで死亡事故を起こすと最高で15年の懲役が待っている。飲酒運転・飲酒事故の厳罰化へ 2つの法改正!危険運転致死傷罪 対岸の火事とは思えない(沖縄タイムス)飲酒運転防止のぺ-ジ飲酒運転は飲むほうが圧倒的に悪いが、酒を飲ませるほうにも問題がある。よく言われることだが、酒を提供する店に駐車場があるというのはどこか変だ。みんながみんな酒を飲むわけではないだろうし、運転代行を頼む人もいるだろう。しかしそうでない人も確実にいる。今いるのは飲酒運転を容認する社会か?それを我々は見過ごしているのか?また、今回の加害者の隣には同乗者がいたらしい。もし、運転手が飲酒していたら、助手席にいたあなたはどうしたろうか?運転させなかっただろうか?みんな飲酒運転を注意できますか?私はふとそんなことを考えた。これでもまだ飲酒運転する?まだ運転する人に酒を飲ませる?バナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.24
日本代表、ペルーにホームで0-1の負け。キリンカップは絵に描いたような負け方だった。いくら南米予選を戦っているとはいえ相手はベストメンバーではなく、飛行機で一日かけて地球の裏側から来たのに。機内食を少なくとも5食は食べているのに・・・まだワールドカップ予選まで27日のUAEが残っているが、不安が残る内容。ジーコは今まで運が良かった。中国でのアジアカップ、そして一次予選、最終予選の北朝鮮戦、バーレーン戦。すべての試合で運が日本を勝たせてきた。確かに運も実力のうちだ。だが、いつまで幸運は続くのか?今までの幸運がこの先も続くことを誰も保障できない。ジーコが監督になってから私はひとつ学んだ。それは、「サッカーは主に足でするものではなく、運でするもの」ということだ。さすが神様はやることが違う。私のような凡人には理解できないことだ。このまま運で代表は勝つつもりなのか?ドイツに行くつもりなのか?試合をテレビで観ていて睡魔が襲ってくる内容、そして今後の不安。日本の各選手の顔には「この相手はやりにくい」と書いてあった。ペルーは確かに「崩し」がしにくいチームではあったが、日本は簡単なパス回しですら不安があった。ムエタイ(タイボクシング)の選手はいくら殴られても、「お前のパンチ効いてないよ!」という顔をするものだ。あからさまに嫌な顔をすればそれはすでにプロではない。三浦淳宏の起用は選択肢としてはいいのかもしれない。しかしマナーマ(バーレーン)で行われるであろう次の試合で、三浦をペルー戦と同様に起用できるのか?これは考え方の問題で、「攻撃している間は攻められない」と考えるのか、それとも「専守防衛」が優先と考えるのか選択が必要になる。簡単な話が「監督の好み」次第。バーレーンは日本がホームでやっと勝った相手。ならば勝つことより先に「先制点をやらない展開」が日本には求められる。その場面で三浦を使う勇気がジーコにはあるか?玉田は残念なことに代表のメンバーとしては不適格だ。ただ彼には可能性を感じる。少しベンチから試合を見せたほうがいい。明らかに絶好調の頃とは違う玉田がそこにはいる。今後ジーコがバーレーン戦に向けてすることは、「海外でのこの2試合がいかに重要か」ということを改めて選手に言い聞かせること。そしてヨーロッパ組をコンディション調整して国内組と合わせて試合に臨むこと。この二点だけだろう。今さら新しい選手を27日のUAE戦に起用することは時間の余裕からできまい。それでドイツに行ける?本当に信じていい?「決定力不足」「海外組が必要」などという言葉は聞き飽きた。まともにシュート、と言うよりキックができないFW。飛び出しに不安のあるGK。日本のプロにはこんな選手しかいないのか?日本代表は「サッカーが苦手な選手」しか選ばれないのか?これでは小学生がニンジンやピーマンを食べられないのと一緒だ。苦手なら無理をすることはない。すぐにサッカー以外のことをしよう。私には「誰が監督やっても同じ」とか、「今さら監督変えても」というもう一人の声が聞こえてくる。確かにそうだ。試合は監督がするものではない。ではこのままジーコに任せてもいいものなのか?私だってジーコを信じたい。信じたいが不安はどうしても残る。ペルー戦はため息と不安ばかりが残った強化試合だった(泣)。私はどうしてもフランス大会の予選を思い出す。負けた時代を長く見てきたせいか、どうしても最悪の状況を思い出すのだ。コメントも悲観的になりがちだ。あの時も協会は土壇場で加茂を更迭した。今回も同じにならなければいいが・・・頼むから安心させてくれ!もう予選でのスリルは十分だ。追記正直に言うと、もう協会は次の監督を探していると私は確信している。サッカーは義理と人情だけでは勝てない。日本人は優しい。代表がくだらない試合をしても監督辞任要求が出にくい。しかしサッカーはシビアな世界だ。リスクを回避するために「最悪の場合」を想定することが協会には求められている。もし逆に幹部が監督候補を決めていないとしたら、日本協会には未来がない。当然ジーコはふと監督交代を恐れ、考えるだろう。疑心暗鬼にもなるに違いない。サッカーの世界とはそんなものだ。特にワールドカップは。だからこそ代表監督には最善以上に結果が求められる。私には代表監督で思い出すことがある。92年のバルセロナオリンピック最終予選(マレーシア)でのことだ。当時横山兼三が日本代表監督だったが、サッカーファンには人気がなかった。そればかりか横山は憎まれてもいた。横山辞任を求める署名活動が起こったくらいだ。その横山がオリンピック代表の「総監督」になった。山口という監督がいるにもかかわらず。結局日本はバルセロナには行くことができなかったのだが、当時の日本協会会長だった藤田静夫氏(故人)と、私は選手が泊まるクアラルンプールのホテルで話をした。藤田氏は言った。「みんな横山の悪口を言うが、一度彼(横山)と話をしてみるといい。いい人だぞ」私はその瞬間に違和感を感じた。何故なら、代表監督とは「いい人」である必要がないからだ。どんなに人間性が評価できなくても「勝つこと。結果を出すこと」が最優先される。どんなに酒を飲んでも報道陣への対応が問題になっても、選手を罵倒しようとも当たり前のことだが、代表監督は勝てばいい。求められるのは人間性ではない。ワールドカップ予選は小学校の運動会ではない。「努力しました」「がんばりました」は代表監督には必要ない。だからこそジーコにも結果が求められるし、私は結果を第一に求めている。バナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.23
尼崎での列車脱線事故で事故列車に乗っていた運転士二人について、現場から「逃亡」した行動は批判が集まったし私も日記に何度か書いた。私も日記でこの運転士を批判した一人だ。今でもその考えは変わっていない。少なくとも運転士は列車に詳しい。専門家だ。だから列車内の装置について詳しく、事故に対する訓練も受けているはず。また、事故現場近くにいた工場の人たちや市場の人は救出に努力した。このことから考えても運転士はその場に残って負傷者の救助をすべきだった。一部には運転士を弁護しようとする動きも見られたが、その中で「報道関係者は逃げた運転士を批判できるのか?報道陣こそ取材しないで救助すればいいではないか?」という意見があった。(この意見については「誰の」ということはここでは意味がない。私自身にもこの疑問はある。)今日の日記はこのことについて述べたい。まず「救助するか取材するか?」という点についてはかなり古典的な議論であると、報道側にいる人がテレビ番組で言っていた。なるほど、そうなのか。しかしながらその議論とやらは、あまり一般的には知られていないようだ。(私は今検索しているが、詳しい議論の資料にはまだヒットしない。こうした基本的な取材姿勢は公開しないのだろうか?)私はこう考える。1、誰かが報道しなければならない。2、「もし他に救助する人がいなかったら」という場合。3、大切なのは人間か報道か?4、有名なジャーナリストはどうだったか?1について。事件事故は誰かが伝えなければ多くの人が事実を知らずにいる。これでは報道としての役目を果たしてはいない。だから列車脱線事故で「報道は人のことを言えるのか?」という批判はある意味当然のこととしても、完全な人などいるわけがないから不完全な人が「偉そうなこと」を伝えることとなる。もちろん報道側が「身内には甘い」という批判を受けるのは私も当然のことと考えるし、報道が救助の邪魔をするなど本末転倒だ。2について。もし、報道側の人しか事故や事件の現場にいなかったら、その場合は助けるべきではないか?その場に起こっていることを伝えることも重要だが、やはり救助が優先されるだろう。3について。これは2にも関連していることだが、もし報道関係者が救助することによって報道としての役目を果たすことが出来なかったら、その人は所属する会社で批判されることだろう。しかし、いくら批判されても後になって「あの時救助していれば・・・」という後悔と会社に戻っての批判では、どちらが優先されるだろうか?私は人間であることのほうを優先したい。つまり報道としての役目を放棄しても救助に向かう。そのほうが後に残る後悔は少ないのではないか。今後も今の社会が存在する限り、「救助か報道か?」というジレンマは残る。報道関係者にはこの点をよく考えてもらいたい。4について。今回の列車事故で報道関係者が救助しなかったと批判されるならば、ロバートキャパは批判されるべきなのか?沢田教一はどうなのか?撮影後に助けるのは遅いのか?「戦場カメラマン沢田教一の生涯」 戦場カメラマンでさえ写真を撮らずに救助すべきなのだろうか?このテーマは簡単には語りつくせない。そのため、今後も時間をかけて考えたい。皆さんも少し考えてみるといい。以下に紹介する「ハゲタカと少女」(ケビン・カーター)が鋭く今回の問題を訴えている。この写真でケビン・カーターはピューリツァー賞を得たが、「どうして少女を助けなかったのか?」と批判を受けた。彼はその後自殺した。私は今でも「報道と救助」について答えが出ない。日本では豊田商事事件が有名。豊田商事事件では、報道関係者が会長殺害現場にいながら事件を傍観していたことが問題となった。参考になったページカメラが伝えるもの(プリヴィエート!(やあ!))ケビンカーターと写真、そして彼の自殺について述べている。実に参考になる。私もこの記事を目標としたい。忘れられぬ一枚の写真「ハゲタカと少女」 ―フォトジャーナリズムの倫理―(望月 祐貴子) 「ハゲワシと少女」のカメラマン自殺 ~“人命か報道か”の論議の中で~Think difficult! ピュリツァー賞 写真展(Is seeing believing?)NPO日豪国際・社会時評(95)知識人とは何か強さがいじめられる時代私の短説「切り取る覚悟」(水南の森-短説BLOG)道徳 5年 ピュリッツァー賞『ハゲワシと少女』ジャーナリズム教育かジャーナリスト教育か(メディアの責任)ハゲワシと少女の授業に対するコメント水俣ー患者さんとその世界(鏡の誘惑)道徳☆授業「ケビン・カーター物語」いやし系 こでぶぎゃもん日記戦場報道---写真家ジョアン・シルバとの対話「目をそむけてはならない残虐」と向き合うフォト・ジャーナリストの苦悩(カフェ バグダッド)報道の自由は生きる権利を上回るのか(浅井久仁臣 グラフィティ)JR脱線事故に関する本質はずれの報道 運転士救助活動せず(ブログで情報収集!Blog-Headline)豊田商事会長刺殺事件豊田商事事件とマスコミジャーナリズムの理念と「知る権利」日本新聞協会バナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。ただし挨拶ができない人と荒らしはお断りします。トラックバックも受け付けています。
2005.05.22
中国では歴史認識で日本を非難している。まず最初に明らかにしたいが、日本は確かに中国に侵略した。これは紛れもない事実だ。日本は今後アジア各国に対して過去の過ちを繰り返すことはない。それは日本が過去の誤った歴史を学んでいるからだ。では、中国はどうか?日本が教科書で教えないという過去の歴史を問題にするならば、中国の文化大革命や大躍進運動は教科書で教えているのか?その政策失敗による死者について中国では教科書で教えているのか?何度も言うが、日本は過去中国に誤ったことをした。そのために多くの被害を出した。だからこそ同じ過ちを中国にしてほしくない。中国には日本の過ちから学んでほしい。「文化大革命や大躍進運動は過去のこと」と中国政府は言うのかもしれない。ならば南京での日本による殺人も過去のことだ。もちろん中国が主張するように30万人殺害などということは私は今でも信じていない。もちろん南京で殺されたのがたとえ1万人であってもそれは大きな事件であり、今後同じことがないように日本人は絶えず気をつける必要がある。大躍進運動では何千万人が亡くなったのだろうか?そのことを中国では教訓にしているのか?さらに言えば、中国が「国内問題」としているチベットに、中国は侵攻している。このことも中国では教科書で教えないのか?チベットの人たちは本当に中国の支配を望んでいるのか?チベット問題は日本の歴史認識とは違って現在のことだ。それとも日本の過去のことは問題で、中国の過去や現在の問題は無視するのか?チベットではこんなことが起きている チベット関係年表チベット問題の整理 ダライ・ラマ14回目の来日チベットにおける民族浄化 チベットは見捨てられるのか歴史を語るならすべてを語り、語らないのなら沈黙を守ろう。中国はどちらを選択するのか?私は気になって仕方ない。もう一度言う。中国は日本による過去の誤った政策に学ぶべきだ。参考にするページ中国の歴史教科書が書かないこと(Kameno's Digital Photo Log)NYT、「中国教科書 歴史を歪曲」 日本叩きが国民的娯楽と報道 (East Asia News Watch )バナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.21
私の日記では何回も書いているが、ネットは一部で「便所の落書き」と言われている。この意見はある意味正しい。反社会的な発言がネットでは飛び交っているからだ。こんな感じで。どうして楽天から暴言がなくならないか?「殺人者にブラボー」は暴言だ!ネットは長崎の事件に役に立たない?だが、その半面でネットの一部しか見ていない人の意見でもある。ブログはどうだろうか?もともとブログは個人的なことを書くためのものだ。多くの人はそのように使っている。だが、ネットは一度に多くの人が情報をやり取りできるという利点がある。ブログも人とのつながりが簡単にできる。住んでいる場所が離れていても関係ない。使い方によってはこれは大きな武器になる。私も意地になって少女行方不明での情報を求めたり、血液不足なので献血を呼びかけたりした。昨日は新潟での中学生行方不明事件を訴えた。(この中学生はその後無事保護された。)子どもが行方不明になるということは、大きな事件だ。とても他人事とは思えない。血液が足りなくなれば、困るのは患者だ。これも「明日はわが身」と考える。不思議なのは報道がこうしたことに時間をかけ、繰り返し報じることが少ないということだ。報道はもう脱線事故でのJR西日本叩きもいいだろう。そろそろ他の事に目を向けたらどうか?ブログも時には人の役に立つべきではないか?報道が役に立たない今こそ立ち上がる人が必要ではないか?あなたのブログを役に立てませんか?そんなことを今日も考えた。バナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.21
気になるニュースがあった。女子中学生が昨日(19日)から行方不明だという。以下のリンクを参考にしていただきたい。<中3女子不明>修学旅行解散式後の19日夕から 新潟(毎日新聞)行方不明になった中学生の親は気が気ではあるまい。警察も必死だろう。何か事件に巻き込まれたのかもしれない。新潟方面で何か知っている方がいたら、すぐに警察まで連絡していただきたい。追記この中学生はその後23日に保護された。新潟の女子中学生、無事保護(新潟日報)バナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.20
元日本代表の前園が引退を決めた。かつては鋭いドリブルが持ち味のいい選手だった。31歳の決断…前園が現役引退(日刊スポーツ)私にとって思い出深いのは、アトランタオリンピック予選だ。その時彼は英雄だった。光っていた。私はソウルオリンピック最終予選、雨の国立で中国戦の負け(注1)。そしてバルセロナオリンピック最終予選での負け(注2)を現地マレーシアで観戦した。それだけにこの大会での思い入れは深かった。一次予選灼熱のタイ、スパンブリーで日本は戦った。今考えても、あの暑さなのに日中試合を行うのは自殺行為だった。若き日本代表は「タイの五輪代表は強い」という戦前の予想を覆す戦いぶり。タイオリンピック代表に5-0と快勝した。この試合小倉が緒戦で負傷したものの、日本は強かった。(小倉はケガが原因で緊急帰国したが、ドンムアン空港で私は小倉と会った。多分同じ便だったのだと思う)この時オリンピック代表のエースはまだ中田ではなく前園だった。シャーアラム(マレーシア)での最終予選でも、彼は活躍した。スパンブリーとは違って試合は夜だったがそれでもマレーシアは暑かった。スタジアムはクアラルンプールの中心から遠かった。巨大で美しいシャーアラムスタジアムで流れた「FIFAのテーマ」はよく響いた。(川口もこの曲がお気に入りだったとその後インタビューで語っていた)日本はここで悲願のオリンピック出場を勝ち得た。実に28年ぶりの本大会行き切符だった。準決勝(サウジアラビア戦)では息を止めている場面が多かった。この最終予選でMVPになったアルドサリがサウジにはいた。(日本の田中誠はこの大会で最優秀ディフェンダーに選ばれた)そうでなくとも緊張する試合になることは明白だった。スポーツの三昧境 Atlanta Olympic前園はこの試合でも2得点!中心選手としてキレまくっていた。思い出深いのはこの試合の後半、前園はフラッグに向かった。コーナーキックのためだ。そして助走で彼はどうしたわけか転んだ。後で記者に語ったところによると、「わざと転んだ」らしい。真偽は定かではないが、日本サッカーにとってその数秒は確実に必要だった。今と違い、当時はオリンピックに出ることすら困難だった。もちろんアトランタと言えば「マイアミの奇跡」が有名だが、批判を恐れずに言えば前園にとってアトランタオリンピック本大会は、「すでに輝きを失うことが見えた」大会だった。この大会後、彼はサッカー選手としての評価を落とす。私が最後に「日本代表としての前園」を見たのはバンコクだったと思う。あれは97年のキングズカップだったろうか。彼は練習でもケガがあったのか他の選手とは違うメニューだった。代表での選手起用法にも前園は不満だったと報じられた。記者の一人はそんな彼を「身勝手」と評した。当時の代表監督だった加茂がフリューゲルス時代から前園を知っていることもあって、「甘えている」ということが言いたかったのだろう。この時のタイ代表監督と国立競技場に隣接するMBK(マーブンクロンセンター)で偶然会った。私は彼に「どうして日本はカズと前園を使わないんだ?」と訊かれてしまった。そのくらい、前園は名前が知れていた。私としてはもう一度彼の代表ユニフォーム姿が見たかった。それだけに今回のニュースは残念だ。前園はこれからもサッカーに関わるだろう。とにかくお疲れだった。注釈(注1)ソウルオリンピック予選この大会にはホスト国である韓国は予選出場がなかった。そのため、予選は中国と日本の一騎打ちになった。(ソウル予選はまだアジアで年代別の区分けがなかった。そのためにA代表が戦った)アウェーで日本は石井監督による「守りのサッカー」を展開、辛くも勝った。そして最終戦は国立で、日本が引き分けでもソウル行きが決まる試合になった。選手は当時としては「アジアの核弾頭」原やキーパーの森下と松井、キャプテンの加藤久や帰国した奥寺など、粒がそろっていた。しかし雨の国立で日本は0-2で負けた(泣)。すぐ隣の韓国へ、日本は行くことができなかった。(注2)バルセロナオリンピック予選香港や台湾、インドネシアなどと同じ組になった一次予選を何とか勝った日本は、クアラルンプール(マレーシア)での最終予選に臨んだ。最終戦だけは同時刻三会場で行われたが、それ以外はチャイナタウンから近い、ムルデカスタジアム(ムルデカとはマレーシア語で「独立」の意味)での戦いだった。監督は山口芳忠。後にあの悪名高いかつての名キーパー横山謙三が加わった。(横山はサッカーファンに不人気で、代表監督辞任のために署名まで行われた)選手は23歳以下の大学生とJリーグ発足を控えた日本リーグの若手で構成された。キャップテンの澤登、キーパー下川、後の代表名良橋、ヘッドが強烈な小村、そして名波、相馬がいた。山口敏弘(当時近畿大)はゴールゲッターとして期待されていたが、大学サッカーの不祥事でオリンピック代表から外れた。また、室蘭大谷から古河(今のジェフ千葉)に進んだ京谷和幸は、交通事故で選手生活を断念。その後車椅子バスケットでパラリンピック日本代表になる。(この選手はすごかった。全日本ユースのプレ大会で観たが強烈な印象がある)そして最終予選では六か国総当りで三か国にバルセロナ行きの切符が用意された。日本は緒戦を逆転で中国に負け、二戦目をクウェートと引き分け、三戦目はバーレーンに大勝した。そして運命の四戦目、韓国に終了間際にゴールを決められて負けた。ゴールを決めたのはキムビョンス。彼は後にケガがあり選手生命が危ぶまれるが、来日してコスモ石油でプレーすることになる。そして日本は最終戦のカタールに負けてバルセロナへの出場権を逃す。(記事はほとんどが私の記憶で書いています。そのため勘違いがあるかもしれません。ご了承ください)詳しくはここが参考になるでしょう。日本五輪代表の軌跡 バナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。リボンをクリック!***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.20
親にとって見たら、ある日突然自分の子どもがいなくなってしまうというのは大きな事件だ。だが遠くに住んでいる人にとって見たら、それは「他人事」になってしまう。この事件もそうだ。友梨ちゃん不明から2年 「早く娘帰して」と父(共同通信)Blog版「吉川友梨ちゃん捜索の輪!!」この事件に関しての詳しい状況は、下のバナーをクリックすれば読める。もう一度写真を見てほしい。どこかでこの子を見たことはありませんか? 情報求む!この事件を忘れてはならない。 この日記に賛同していただける方は、日記に書くなど呼びかけをお願いします!追記実は行方不明事件は他にもある。佐野由香利さん 北山結子さん 加茂前ゆきさん 辻出紀子さん 山浦希望さんバナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.19
イギリスで保護されたピアノマンのことを前の日記に書いた。そして、16日の日記では 「午後の磔刑」(花村萬月)を紹介した。私を含めてどうやらこの世は「奇蹟」を期待しているらしい。それだけ現実が殺伐としているということなのか?それとも「我々は誰かに生かされている」ということを証明したもらいたいのか?そして安心したいのか?昨年読んだ浅倉卓弥「四日間の奇蹟」は、まさに奇蹟の作品だ。 「このミステリーがすごい!」の第一回大賞作品として有名になったが、私が考えるに奇蹟とは「作品中に起こった非現実的なこと」ではなく、登場人物にある。ここに出てくる岩村真理子のキャラクターこそが奇蹟ではないか?彼女は一言で言えば「あきらめが悪い女」だ。そのあきらめの悪さが、こうした作品を作り出す要素なのだろう。どこまでも希望を捨てないこの女性こそが何よりの奇蹟であり、希望だ。私は断言する。この世に神がいなくても、奇蹟は存在する。それは多くの人が気付いていないだけで、身近にある。「オズの魔法使い」や大林の「転校生」、「八十日間世界一周 」、そして「バックトゥザフューチャー」などと同じく、この作品はSF的手法で作られている。「最初と最後は状況が似ている。しかし何かが違っている」という点において、これらの作品は共通している。過去事件に巻き込まれ、将来を失った元ピアニスト。そしてあきらめの悪い女。サヴァン症候群の少女。さらなる事件があり、元ピアニストは何かを失い、何かを得る。彼の中で何かが変わる瞬間がある。それもまた奇蹟だ。この作品がある小説に似ているという話があるが、私はそういったことがこの作品の価値を決して下げるわけではないと確信している。そのくらいこの小説は評価してもいい。それだけの価値はある。作者が持つ言葉の力だけでも読んで損はない。泣けるので涙もろい人は注意が必要。なお、この作品は映画化が決まっている。出演は吉岡秀隆、石田ゆり子、西田敏行、松坂慶子。今年6月4日の公開で、平原綾香が主題歌を担当するらしい。四日間の奇蹟公式サイト参考になるページと日記『四日間の奇蹟』 浅倉卓弥(びじょびじょん) レビューのとらお 涼色商會 文化事業部 活字中毒 Book Review’S 四日間の奇蹟 My Diary風の通い路 Make a Wish・・・♪ バナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。リボンをクリック!***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.19
ピアノマンと聞けばビリージョエルを思い出すが、今日話すのはイギリスで保護されたほうのピアノマンだ。記憶喪失の男:英ケント州海岸で保護 問い合わせ500件この人は記憶喪失で、寄せられた情報によるとフランス人であるという可能性があるとのこと。言葉は話さないが、ピアノは弾けるという。もう噂はいいから彼のピアノが聴きたい。専門医が診れば、詐病か否かはすぐに判明するだろう。(詐病だとしたらすごい演技力!)考えられるのは大きなショックによる心的外傷での記憶喪失だ。実在のピアニスト、デイヴィッド・ヘルフゴッドをモデルにした映画、「シャイン」を髣髴とさせる話(私はこの映画を観ていないので伝聞だが)で、気になるニュースだ。昨年公開されたイギリス映画「ラヴェンダーの咲く庭で」(LADIES IN LAVENDER)と酷似しているとの話もある。ただ、こちらの映画は楽器が違う。ところが同じ話が、それも日本人かもしれない人がオスロ(ノルウェー)で2003年保護された。(世の中って面白いですね♪)自分が誰だかわからない人たちオスロで保護された記憶喪失の東洋人?! (パンダと柚子茶)こちらのほうはまだ情報が少なくて困っているらしい。同じ時期に似たような話があるのはとても不思議だ。同じような人は、実は他にもいたりして。こうした人に家族はいないのだろうか?どこかで心配していないのだろうか?バナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。リボンをクリック!***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.19
最初に断っておくが、私はラグビーが好きだ。最近はスタンドで観戦していないので、正確には「好きだった」と言うべきかも知れない。それでも以前はよく秩父宮まで行ったし、早稲田の東伏見グラウンド(今は上井草に移転した)も行った。秩父宮ではよく大西鉄之祐先生を見かけた。早稲田の、そして日本代表の監督だった情熱的な方だ。国際大会も日本が初めてスコットランドに勝った試合や、オールブラックス(ニュージーランド代表)対世界選抜も観戦した。87年「雪の早明戦」も思い出深い。いつだったか七人制の大会(秩父宮)では決勝がニュージーランド対フィジーとなった。試合前に行う両チームのウォークライ(ハカと呼ばれる)には大いに感動して鳥肌が立った。そのラグビーが揺れている。問題はここ最近の日本代表選手に見られる連続した不祥事だ。19日朝日新聞社説会見前に最悪ニュース、止まらない不祥事(日刊スポーツ)協会、「信頼損ねた」との謝罪文発表-ラグビー日本代表また逮捕(北海道新聞)好きだったスポーツがこうして批判されるのは私としても実につらい。こうした不祥事の原因を「外国人選手の日本代表起用」とするのは安易な考えだと思う。なぜなら、以前から外国出身の日本代表選出は行われてきた。サッカーと違って、ラグビーでは外国人でも日本代表になることが比較的容易に可能だ。(サッカーでは一度代表になると他の国では代表にはなれない)それでも現在のように不祥事が連続するのは、「起用する選手の選択方法に問題がある」からだと私は考える。日本代表はいくら弱くともラガーマンの頂点だ。そして代表選手を目指す子どもたちの憧れでなければならない。日本代表にはラグビーが上手いか下手かではなく、すべてのラガーマンの目標とする人こそが求められる。一連の不祥事はワールドカップ招致活動にも影響があるだろう大西鉄之祐先生が今回の事件を知ったらどう発言しただろうか?バナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。リボンをクリック!***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.18
今日(17日)の読売新聞社説は献血不足について書かれていた。(いい記事書くじゃないか読売! 見直したぞ!)一人でも多くの人にこの記事を読んでもらいたい。5月17日付読売新聞社説記事によると今年2005年は日本赤十字社の予測では、必要血液の63%しか得られないという。これは医療の大ピンチだ!多くの人に知られていることだろうが、まだ、人工血液は実用化されていない。(現在研究中とのこと)病気や怪我で困っている人がいても血液は献血でしか供給できない。成分によっては血液の長期保存も可能だが、長期の保存に向かない成分もあり、血液には新鮮さが求められている。献血の推進について(厚生労働大臣緊急アピール)献血にご協力ください(日本赤十字社)ポイントとしては、次の通り。1、若年層(10代~20代)の献血が減少している。2、少子高齢化が献血にも影響している。3、BSE(牛の海綿状脳症)も今後献血に影響する。1については、啓蒙活動が必要だろう。すぐできることは若者が集まるコンサート会場などで、献血を人気アーティストが呼びかけることだ。これは宣伝費が不要だ。効果もあるだろう。もちろんみんなで日記に書くのもいい方法だ。教育の場でも、「すべての高校で16歳になったら献血を教える」くらいのことができないものか。「自分が困っている人の役に立つ」というのは、献血で確実に実感できる。これは尊いことであり、なかなか学習できる場所がない。教育現場にとっても、これは大きなチャンスだ。2については、厳しい現実がある。輸血が必要な人の8割は50歳以上。献血の8割は50歳未満。ということは、少子化が進む日本では今後さらに厳しい血液不足があり得る。今後「若年層の献血リピーター」が必要だ。3については、今月にも80年から96年まで一日でも英国にいた人は、献血ができなくなるとのこと。献血人口の減少に更なる規制が加えられる。ピンチになるわけだ。献血の不足については以前から気にはなっていたが、ここ最近の呼びかけで献血量は持ち直したと私は思っていた。ところが現実は甘くはなかった。血液不足はまだ続いていたのだ!私が聞くところ今回の危機は相当深刻だ。私は厚生労働省、赤十字に対して言いたいことはたくさんある。これが官僚の給料が減るくらいの話なら笑って放置してもいい。しかし血液不足で本当に困るのは患者自身だ。ならばみんなで助けることが必要ではないか?ただし、こんな意見もある。医学的な専門知識のない私としては何を信じていいのかわからなくなる。藤田徳人ブログ(輸血用血液不足:4県の在庫率、なお7割以下 献血推進を要望)健康な人はすぐに献血に行こう!できない人は近くの人に呼びかけよう!現在は事情があって献血できない(残念!)が、私はすでに30回献血した!******おことわりとお知らせ******この日記を多くの人に読んでいただきたいため、多くの人にトラックバックを送ります。この考えに賛同される方は、各自で日記に書いて頂きたいと思います。もし、トラックバックが重複したらごめんなさい!たまにはブログがこうした呼びかけで役に立ってもいいんじゃないだろうか?4月8日ごろから、献血を呼びかける日記が増えた。やはりネットは「便所の落書き」ばかりではなかった!こうした実情をぜひ筑紫哲也にも知ってもらいたい。私は少し安心した。この殺伐とした世の中にもまだ救いはある。私の日記にも賛同者がいた。日記に書いてくださった方、トラックバックを送ってくださった方、賛同してくださった方、この場でお礼を言います。どうもありがとう!参考になるページ赤い自転車 Do you think for the future?(235回目の献血)悪いやつは誰だAkimota's room(インプレッサ&Lupoと車磨き)うっかりはちべーの独り言。半日庵のつぶやきバナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。リボンをクリック!***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.17
日記を読んでいただいている方から質問が来たために、ここで個人的なお知らせをします。このほど写真館をオープンしました。「楽天はやめてしまうのか?」との疑問が私のところに来ましたが、従来どおりここ楽天ではテキスト中心の日記を書きます。今日開設した別館では写真中心に活動します。ここをクリック!バナーをクリック!小学生行方不明事件に情報をお願いします。 拉致問題の解決を願うブルーリボン運動です。リボンをクリック!***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.17
こんな報道があった。遺族に悲しみの追い打ち 中傷など相次ぐ(神戸新聞)いくら面白くないことがあるからとは言っても、現実にこんな人はいるものなのだなあ。被害者家族に嫌がらせの電話や電報をする人の気が知れん。しかも電報は安くないぞ。こうした人は怒っても無駄だ。説得も意味がない。何故なら、こんな人は怒るとさらに面白がって嫌がらせをするからだ。軽蔑して無視しよう。過剰に反応するのはやめよう。追記これもまだ続いている。またJR線路内に自転車 広島市安佐南区 (共同通信) この行為が犯罪だと事故で死人が出るまでわからないか?見かけた人はすぐに警察へ連絡しよう。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.16
昨夜は寒かった。今日も風が強い。みなさんカゼに注意。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.16
花村萬月によるこの作品は、「王国記」シリーズの第5巻、芥川賞受賞作品「ゲルマニウムの夜」から数えると6冊目になる。今日はこの作品から見る宗教、特にカトリックについて考えたい。このシリーズで語られるのは宗教、暴力、そして性だ。そして今回「午後の磔刑」では主人公の息子による奇蹟と神の出現を予感させる。今後、この息子がさらに超人的な活躍するのかもしれない。著者はこうしたテーマを独特の視点で切る。それは、次のような表現から見ることができる。「聖女の本質は汗と体液なのだ」「宗教とは、いや神とは、見えざる心の障害のことだ」「人々に神を説く者の多くが唯物論者」あまりの切り口に、宗教団体やカトリック信者からクレームが来るんじゃないかと思うくらいの作品だ。こうした批判に対し、カトリック信者はどう思っているんだろうか?私は考える。カトリックを含め、キリスト教によって救われる人は確かにいるだろう。そのために私はキリスト教を全否定できない。だが一方で、教会内での性的虐待事件(注1)や、人工中絶反対の「プロライフ」(注2)と呼ばれる考え方、そして進化論の拒絶(注3)と多くの問題を抱えている。多くの人にカトリックが信頼されるようになるには、こうした問題に対して真剣に取り組まねばならないだろう。かつて私はこう書いた。天国はどこに?キリスト教を疑う今でもこの考え方は変わっていない。私はキリスト教を今でも信じていないし、その考え方には危険な香りがする。この「王国記」シリーズはまだ終わりを見せない。続編では別の場所で話が展開するだろう。注釈(注1)教会内での性的虐待事件「王国記」シリーズでもこの問題が表現されているが、この聖職者による性的虐待は大変根が深い。と言うのもキリスト教をはじめ、多くの宗教は「人の幸せ」をテーマにしているはずだ。カトリックの聖職者が性的虐待問題を起こすのは、そもそも宗教としての本質を外れた行為でしかない。聖職者に性的虐待を奨励するためにバチカンは、聖職者の結婚を禁止しているわけではないからだ。また、キリスト教自身にも「自浄能力」がないためにこうした事件が続いてしまう。そのことを教会関係者や信者はどう考えているのか?私はここに断言する。教会内での聖職者による性的虐待事件があるのなら、キリスト教は必要ない。人を不幸にする宗教はもはや宗教ではない。また、キリスト教自身に自浄能力がないのなら教会は解散すべきだ。キリスト教聖職者の性虐待(注2)人工中絶反対の「プロライフ」人工妊娠中絶に関しては、中絶反対派の「プロライフ」の他に、中絶を権利とする「プロチョイス」がある。 プロチョイスとプロライフ 私はまず、プロライフがキリスト教を背景にしているところに違和感を感じる。と言うのも、科学的事実と宗教が一緒になることは危険極まりないからだ。それはかつての天体論でキリスト教(プロテスタント含む)が自由な議論をを否定し、地球が宇宙の中心でないと主張したブルーノ(イタリア)を火炙りにしたことからも証明は容易にできる。人間中心でなければ納得しないキリスト教のは人殺しの歴史を持つ。地動説科学的事実は事実、宗教は宗教と分けて考えないとまた悲劇は起こる。「天体論での悲劇が過去のこと」と言う人のためにこんなページを用意した。火炙りは悲劇などではなく、単なるキリスト教による殺人だが。文字通り 命がけの妊娠中絶もうひとつ。先日亡くなったローマ不王はたとえエイズ予防のためでもコンドームの使用に反対した。ローマ法王死去 冷戦終結に貢献、宗教和解 在位26年、84歳(産経新聞社)この姿勢は新法王も同じらしい。ではカトリックはエイズ予防におけるコンドームの使用以外に、どんな回答を用意しているのか?新ローマ法王誕生で南アのツツ元大主教、HIV問題で失望表明(藤田徳人ブログ)エイズ予防にコンドームが使えなければ、世界中にいるエイズ感染者にバチカンはどうしろと言うのか?バチカンが人工中絶を否定したいという考えも理解できなくはない。確かに人口中絶は日本でも年間30万件と言われている。人工中絶は多くが合法的な殺人であり、これは大きな問題だ。だが、世の中には事実として中絶が必要な人もいる。遺伝性の病気や強姦が原因で中絶を余儀なくされる人のことを、バチカンは真剣に考えるべきだ。(注3)進化論の拒絶アメリカでは学校で進化論を教えないという。これはキリスト教を背景としたバトラー法などの影響が今でも残っているからだ。その証拠にアメリカ人の多くは科学的に進化論を理解していない。天国はどこに?キリスト教を疑う何度でも言う。科学的事実を探求するための研究と宗教は分けるべきだ。追記私の日記に対してトラックバックしている人がいる。こちらも意見を述べる。。宗教考 その2 宗教は悪をもたらすか(わいるどわ~るど)(その後、この記事は削除されたようだ。早い話が逃げたということだ)その中でこう言っている。>じゃあ、宗教がなくなったら人間は争いをやめるの?多分やめないんじゃないでしょうか。認めたくはないけど、恐らくそれが人間の本能だという気がしてしまう。放っておけば殺し合う、そうならないために宗教があるはずなのに、逆に宗教が殺し合うための大義名分になってしまっているのではないのかな?宗教が存在するからこの世の中に悪が蔓延るというより、宗教があっても悪はなくならない。私は宗教が必要ないとは言っていないし、宗教をこの世からなくそうとも思わない。宗教は確実に普及しており、「宗教がなくなったら」という仮定自体が意味のないことだ。このことは今回意見を寄せていただいた人も気がついているだろうけど。ただし宗教の腐敗を正すこと、そして宗教と科学を分けて考えなければ悲劇が待っているだけ。問題は「簡単か否か」ではない。「やるかやらないか」だ。そして「宗教があるか否か」が悪の存在に直接結びつくわけではない。ところで「宗教が存在するからこの世の中に悪が蔓延る」というのはどこからの引用だろう?少なくとも私はそう言った覚えはない。何でもひとつの解答で物事が解決するかと言えば、そんなに社会は簡単ではない。ただ宗教の腐敗がなくなれば、犠牲者は減る。つまり宗教の腐敗撲滅と科学との区別は「多くある答えのひとつ」であるということ。宗教関係者の不正が大きなニュースになるのは、「宗教が人に救いをもたらすもの」だからだ。教会内の性的虐待は教会本来の「人を救う」ということとコントラストがあるから多くの人はそのニュースを聞いて、見て悩む。>だったら宗教が悪用されないようにするにはどうしたらいいんだろう?>それは・・・わかりません。監視するしかない。宗教を疑いの目で監視する。キリスト教自身に「自浄能力」がなければ。そして「科学と宗教」をどこかで区別しなければ両者に将来はない。これが私の回答だ。追記の追記私に反論してきた人が、こう言って私に謝罪した。>コメントありがとうございます。りゅうさんの元記事、興味深く拝読しました。確かにそうだなあと共感しつつも、難しい問題だと感じます。>りゅうさんの記事は引用ではなく、興味深い参考記事として取り上げさせて頂きましたが、誤解を招く文面だったようでお詫び致します。失礼致しました。この人の元の文章では、「興味深く拝読」「興味深い参考記事」などとは書いていなかった。ただ単に私を批判しただけではなかったか?しかも私は「りゅうちゃんミストラル」だ。決して「りゅうさん」ではない。名前を間違えるとは失礼だ。追記の追記の追記私に反論してきた人がこう謝罪した。>追記:本記事は興味深い参考記事として「りゅうちゃんミストラルさん」の記事、『「午後の磔刑」 に見るカトリック』へリンクしてありました。しかし、引用が不適切であり、批判と受け取られても仕方のない文面になっていたため、先方にご迷惑をおかけしてしまいました。深くお詫びいたします。記事はりゅうさんを批判するために書いたものではありません。誤解を招く箇所を一部修正致しました。今回のことは私にとって不愉快だし、迷惑している。この人のその後の処置にも大いに問題がある。今後こうしたことがないようにこの方には大いに反省していただきたい。 関連の日記人を殺す仕事とイラク自衛隊派遣「キリンの首はなぜ長いのか」ドラマ「ER10」の第二話は最高の出来だった!感動した!***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.16
ネットの世界では「面白いこと」か、「人と違ったこと」を発言することを好きな人がいる。私は考える。「どうして人と違うことを言うのか?」それがどうでもいいことなら問題はない。しかし反社会的なことなら看過できない。当たり前のことを、当たり前に言えばいいのではないか?かつてこんな発言があった。どうして楽天から暴言がなくならないか?「殺人者にブラボー」は暴言だ!ネットは長崎の事件に役に立たない?こうした人たちは多くの場合、直接人に向かって反社会的なことを発言しない。ネットだからこそこうした発言をする。反社会的という実感がないから言いたい放題。困ったものだ。だからこそ、まれに正論を見つけると嬉しくなったりする。「ああよかった」と安心する。そうでなければネットでは神経の細かい人は残れない。普通のことを言う。その意味をもう一度考えよう。追記尼崎の列車脱線事故で、同乗の運転士二人が現場から逃亡した。当然運転士は逃げたことを批判された。このことについて、こんな意見があった。JRの運転士が救助活動をせずに・・・◆追記アリ◆(Ryooooの日記)>★事故の車両に乗っていたJRの運転士が救助活動をせずに>★直後の業務についてしまっていた。>Ryooooooは、コレの何が問題なのかよく理解できません。なのにこんなこと言っている。 命が一番!...?(Ryooooの日記)>「命」がかけがえの無い大切なものであることは、疑う余地の無い事実だと思います。この人は日記コメントでこう言っているのに。>列車の運行が命の問題より軽いのかどうか?、どちらを優先するべきか?必ずしも唯一絶対の『正解』があるとは限らない...と思うのです。もちろん多数決とかで決められるような問題でもないでしょう。命が「かげがいの無い大切なもの」なのに、列車の運行と命の重さがこの人は判断できない?私にはこの人の発言が支離滅裂であるようにしか感じられない。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.15
列車の正面衝突という信じられない事故で42人が死亡した、信楽高原鉄道事故から14年。事故そのものについてはここに詳しい。赤信号で走った列車(信楽高原鉄道事故の真相)信楽高原鉄道列車事故について(TASK)そして今日。信楽鉄道事故から14年 JR西日本会長らが献花(asahi.com)結局、この事故での教訓は今回起きた尼崎での脱線事故に生きなかった。JR西日本幹部は、信楽高原鉄道事故の犠牲者に何と言うのか?「また殺してしまいました」とでも言うのだろうか?しかも、JR西日本は信楽高原鉄道事故の後も、民事裁判で敗訴するまで「責任はJR西日本にはない!」と言ってきたのではないか?JR西日本の責任認めた判決(地裁 京都新聞)その後、控訴審でJR西日本は敗訴するまで、まったく「誠意ある対応」をしてこなかった。そして今度は尼崎の打線事故だ。学習しない組織 JR西日本14年間 届かぬ遺族の願い(神戸新聞)信楽鉄道事故の犠牲者は、あの世で怒っているだろう。今日は怒号とため息が聞こえそうだ。JR西日本に訊きたい。次の事故は2年後?それとも3年後?その時また謝罪するの?追記いい話をひとつ。どこの世界にも救いはあるものだ。信楽高原鉄道事故の遺族会が義援金を申し出(スポニチ大阪)***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.14
気になる事件が起こった。<拳銃強奪>巡査殴られ男2人逃走、実弾3発入り 岐阜(毎日新聞)奪われた拳銃に実弾が入っていることから、次なる犯罪前の検挙が警察には求められる。まさに「検挙に勝る防犯なし」だ。これだけの重要な事件でありながら、公表が遅れたことについても報道されている。拳銃強奪事件の特徴公表5時間遅れる(日刊スポーツ)住民の不安を考えれば、この対応の遅さは批判されて当然だ。追記この事件では、奪われた拳銃が見つかった。ブラジル人二人が容疑者として指名手配されている。日系ブラジル人を指名手配(テレビ東京)どうしてブラジル人なのか?何故拳銃を奪ったのかなど、この事件には謎が多い。この記事を読んだ私には忘れられない事件がある。清瀬での平成4年のバレンタインデーに起こった事件のことだ。この事件が警官殺しであったこと、拳銃を奪われたこと、そしてその現場が派出所であったにもかかわらず事件はまだ解決していない。この事件の情報には懸賞金300万円がかけられているが、犯人逮捕につながる情報は今のところない。清瀬の事件は時効(あと2年!)が迫っている!事件未解決では殺された警官も浮かばれまい!情報を持っている方はすぐに連絡求む!追記一般的に新聞やテレビでは取り上げることが少ないため、実は未解決事件というのは多く存在することが知られてない。これを読んでいただきたい。未解決事件(警視庁ホームページ)未解決事件***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.14
日本にもこんな人たちがいた。4月23日のJリーグ名古屋戦で、「暴動」は起こった。サポーター乱闘の柏に制裁金1000万円(日刊スポーツ)サッカーでは北朝鮮がイラン戦(3月30日、平壌)での騒動で、日本戦が無観客、第三国(バンコクに決定)で行われることが決まったばかり。北朝鮮には罰金も課せられた。また、中国では日本が優勝した昨年のアジアカップでやはり騒動になった。柏のサポーター(こうした騒動を起こすのはサポーターではない!)は、こうした人たちを同じレベルにあったというわけだ。当たり前のことだが、チーム成績に関係なく、破壊活動と暴力は単なる犯罪だ。この事件を受けて柏のダメージははどうだろうか?ただでさえ弱く最下位争いをしている柏は、この事件で「悪のイメージ」を多くの人に植え付けた。制裁金はクラブにとって痛いが、「柏は危険」というイメージはすぐには回復できない。この信用失墜のほうが柏には痛い。柏はサッカーもだめなら観客もダメだ!***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.13
4月29日の日記にJR西日本による脱線事故について会見のことを書いたが、罵声を浴びせた記者がいたことを読売新聞が認めた。<尼崎脱線事故>読売新聞が「罵声記者会見」でおわび掲載記者会見での罵声も気になったが、今回の脱線事故から報道する側は何か取材方法について教訓を得たのだろうか?救助の邪魔にならないようにヘリコプターを飛ばさないとか、血を流している乗客をカメラで追わないとか、今後は改善されるのか?今回問題となった記者だけが「スケープゴート」になるのでは、記者会見でJR西日本を責める記者と同じ誤りを繰り返すことになる。今後も事件、事故で同じことを繰り返すのではあるまいな?ミスをした運転士に事故を防ぐ教育が必要であるように、誰かが事故や事件を報じる必要はある。だから私は運転士への再教育や報道そのものを否定するつもりはない。問題はそのやり方、内容だ。JR西日本の場合は日勤教育が誤った方向に向かってしまった。「ミスに対する恐怖」を運転士に植えつける教育は、もはや教育ではない。運転士に脅迫的観念を植えつけるだけだ。確かにJR西日本には今回の脱線事故で責められても仕方ない部分が多くあった。脱線した列車に乗っていた運転士二人が「逃亡」して乗客を救助しなかったなど、多くの人が怒りを爆発させた。今後も警察や事故調査委員会がその暗部を一部でも明らかにするだろう。報道もJR西日本とともに誤った方向へ進んだ。今回の報道を今後の反省とすべきだ。今後「報道はどうあるべきか」という点を、報道各社はよく考えてもらいたい。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.13
今日は13日の金曜日。↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓だから何?関係ないね!(すいません下らなくって。たまにはこうしたことも書きたいんです。)***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.13
中国にある日本政府関連施設などに対する責任が中国政府にあることを、中国側が認めた。中国、反日デモ被害に責任 国際法違反、事実上認める(共同)多くの日本人がこのニュースに対し、「何をいまさら!」と思うことだろう。私もそう思っている。まさか中国はウィーン条約を知らないわけではあるまい。日本政府が中国側に要求しているのは「謝罪と賠償」である。中国政府はまず日本に謝罪すべきだ。それとも「大国である中国が小国日本に謝罪などできない」とでも思っているのか?それこそ心が狭い中国の姿を示してはいないか。日本政府は今後も中国側の暴力行為に対して妥協することなく強気で交渉してほしい。もし日本の要求が受け入れられない場合には、中国の2008年北京オリンピック開催はまず不可能だろう。何しろ国内の暴力を管理する能力が政府にないのだから。そうなれば国際社会に対して恥をかくのは中国政府だ。今こそ中国が国際社会にふさわしい国かどうかが証明される。日本政府もアメリカなど国際社会で中国の暴挙について今こそ訴えるべきだ。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.12
アジアのクラブチームナンバーワンを決めるACL。アウェーの山東戦で、マリノスは1-2で負けた。これでマリノスのグループリーグでの敗退が決まり、ジュビロに続いて日本勢は姿を消した。中国での試合ということで暴動が心配されたが、試合は無事(?)に終わった。せっかくJリーグから日本開催の世界クラブ選手権に出るチャンスだったのに、この結果には多くのファンが納得できないだろう。日本協会も世界クラブ選手権のチケット売り上げ以上に大恥をかくことになった。今までトヨタカップにはアジアは参加できなかったが、世界クラブ選手権には出る道が残されていた。それだけに今回の敗戦は日本サッカー界にとってあまりに痛い。この敗因を代表戦、Jリーグとの過密日程とするのは安易だと私は考える。過密日程の中で勝ち抜くことが日本を代表するチームには求められているからだ。今回ACLで戦ったマリノスとジュビロには、そうした逞しさがなかったと言わざるを得ない。今回、確かに日程は厳しかった。だがそれを理由にしてしまうと、今度は審判(中国での審判もひどかった)だの、芝だのと次々と敗戦の理由を探すに決まっている。特にジュビロはJリーグ、ACLともにちぐはぐさが目立った。川口などいい補強をしたとシーズン前に評判は高かっただけに今までの結果は悪すぎる。「何が足りなかったのか」を両チームの関係者と協会は、真剣に考えなければなるまい。もちろん、ファンの提言も必要になる。今回の敗戦は、日本サッカー界全体の問題。今のジュビロでは同じグループに入った水原(韓国)には勝てまい。実際今回のACLで水原に負けたジュビロ。大量失点もありえた水原三星戦こんな時に言うのは何だが、私は何度か水原には行ったことがある。あれは96年のことだったろうか。19歳以下のアジア選手権(兼ワールドユース予選)を観に韓国へ向かった。このチームはまだ高校生だった中村俊輔や柳沢などのメンバーがいて、宮本恒靖、広山望、山口智も参加していた。監督は何の因果か現ジュビロ監督の山本昌邦氏だった。アジア選手権はソウルの東大門(トンデムン)競技場と水原競技場が使われた。(日本はこの大会、不本意ながら4位でワールドユースに進んだ)私は日本の試合がない日にKリーグを観戦したのだった。ソウルから地下鉄一号線とつながった郊外線に乗り、終点(今は延長したらしい)で降りるとそこは水原。水原カルビと美しい水原華城(世界文化遺産)で有名だ。このチームは当時Kリーグでも新興チームで、ファン、関係者ともに「いいチームを作ろう」という意識が高かった。選手もパクコンハ(朴建夏)など、知っている名前があって親しみがあった。(パクコンハは95年福岡ユニバーシアード大会代表。日本は決勝で韓国と対戦して涙の優勝!)なんでもエクスパンジョンドラフトがあり、いい選手が集まったとのこと。今ではキーパーのイ・ウンジェ(李雲在)が韓国代表で活躍している。彼の冷静さ、キーパーとしての足技は抜きん出ている。2002年の日韓ワールドカップも、彼の活躍は韓国代表の中で光っていた。水原ブルーウィングスのホームページ(英語)水原のチーム関係者は私が日本人とわかると、事務所に案内してチームグッズを見てほしいと言い出した。単なる一般人(しかも日本人)である私に事務所でコーヒーまで出してくれた。ユニフォームも鮮やかな青でかっこよかった。思わず買った。私は韓国人になりたいなどとは思わないが、直感で「いいチームだな」と感じた。ファンも実に丁寧に歓迎してくれた。Kリーグの試合後ファンの食事会に誘ってくれて、熱くて辛いプデチゲ(軍隊鍋)を囲んだ。さらに食事会の後地下鉄がなくなるとファンの一人が水原から車でソウルまで送ってくれた。今では懐かしい思い出だ。日本では韓国人に対するこうした待遇はありえないだろう。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.12
ネットはある意味「言いたい放題」の世界だ。そのために一部から「便所の落書き」などと呼ばれることすらある。マスコミはなぜネット叩きに走るのか昨日、こんな日記を見つけた。私の言いたいことを優れた文章で主張しているので、この場で紹介する。人と違うことを言うしか自己主張できない人、あえて人と違うことを言う勇気(wings2003さんの日記)>掲示板やブログで人と同じ事を書くよりも、おもしろがって人と違うことを書くことで自己主張する人が多い。「周りが眉をひそめる人と違うことを言うことでしか自己主張が出来ない人」と言っていいだろう。匿名だから(犯罪行為でなければ)足はつかないし、朝日新聞に投書し掲載されたり、新宿駅南口のビラをまくのとは違い、ネットだから簡単だ。ウケならいという軽い気持ちなんだろう。私も以前から同じことを考えていた。ネットは確かに便利な道具だ。新聞やテレビなどは、ネットの影響で将来大きな影響を受ける可能性がある。しかしその反面犯罪の方法を教えたり、出会い系の掲示板が犯罪の温床になったり、個人情報を流したり、殺人を賛美したりする人までが好き勝手に発言するようになった。たとえば以下のような発言だ。どうして楽天から暴言がなくならないか?「殺人者にブラボー」は暴言だ!ネットは長崎の事件に役に立たない?こうした人は反社会的なことを言う意味が理解できていないのだろう。差別、犯罪被害者とその家族に対しての暴言は怒りを感じる。さらにこの方の日記は続く。>「反社会的な人と違うこと」と「検証作業としての人と違うこと」は全く違うんだな。困ったことに(起こるべくして?)「反社会的な人と違うこと」を言う愚者は、時にそれを「検証作業」と勘違いしてしまう。人はどこかで「反社会的なこと」を発言するのが楽しいと感じているのか、ネット上では気軽に発言してしまう面がある。この方はまた、日記コメントでこう言っている。>ボタンが押しやすくなった分、目に余るコメントが多いです。彼らのせいで、僕たちの発言が制限されたら、たまりませんね。これもまさしく私が気にかけていたことだ。将来のネットを危うくしないように、反社会的なことを面白がって書くのはもう終わりにしよう。追記私は日記で「ごく普通の意見」を発言するようにしている。最初はそれが「当然のこと過ぎてつまらなく」なるかと考えていたが、ブログには多くの反社会的意見があったので、帰って私のような意見は目立つ結果となった。私にはこのことがちっとも嬉しくない。こうしたことを私が書くと暴言を擁護したいのか、「表現の自由がある」と言って私に反論する人がいる。確かに表現の自由はあるが、それは「暴言の自由」ではない。殺人を肯定、擁護したり、犯罪にネットを利用したり、個人情報を勝手に流したりするために表現の自由はあるわけではない。それは決して「考え方の違い」という問題ではない。もちろん犯罪にならなくても誹謗中傷したり、犯罪被害者やその家族の心の傷に塩を塗る行為は「表現の自由」ではない。そもそも、「表現の自由」を錦の御旗に「書きたい放題」で犯罪にネットを利用したり、誹謗中傷したり、個人情報を流す意味があるのか?楽しいのか?私は断言する。そんなものに意味はない。ただ「やりたい放題」を「表現の自由」でごまかしたい人の言い訳に過ぎない。「表現の自由」は長い年月をかけて多くの人が守ったものだ。ネットに制限がかけられる前に、ネット利用者は「自浄努力」する必要がある。ネットが本当に「便所の落書き」かどうかは、ネット利用者によって決まる。参考にするページマスメディアのスルーによって増幅する「ネットVSマスメディア」掲示板は「便所の落書き」か 真実をくださいインターネット事件簿筑紫哲也はなぜ降板しなかった? プロフェッショナルの方々へTBS筑紫キャスター「屠殺場」発言事件東芝サポート事件ネットと報道。ライブドアとオーマイネット***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.11
皆さんはヤーバーという言葉をご存知だろうか?タイなど東南アジアで出回っている麻薬のことだ。(ヤーバーというのはタイ語で「バカの薬」という意味)よくわからない人は、以下の文章を読んでいただきたい。タイにおける薬物問題の現状(在タイ日本国大使館)タイの麻薬また、ビルマで傭兵としてカレン族に関わっている高部正樹さんのレポートは、事実として重い。決して他人事ではない。麻薬とかかわることの恐怖(正論)私もタイ、ビルマ国境を車で走ったし、タイの国境警備担当者と話をした。両国の国境は南北に長く、密林地帯だ。ビルマ国境に近いメーソートからメーサリアンまで行くには、私の時にはソンテウというピックアップトラックしかなかった。土ぼこりをあげながら山道を行くソンテウに乗れば、いかに両国の国境が守りにくいかが実感できるだろう。観光客が感動する大自然も、麻薬の運び屋にとって見たらいい隠れ蓑だ。タイ政府はそんな地域での麻薬撲滅に手を焼いている。事実上、タイ側だけで麻薬の撲滅は不可能だ。タイ政府は麻薬撲滅運動に力を入れているが、そのために刑務所の過剰収容が問題になっている。それほどこの問題は深刻ということだ。タイ刑務所の過剰収容問題(在タイ日本国大使館)また対麻薬戦で勝利宣言したタクシン首相に、国王までもが懸念を表明している。国王陛下、対麻薬戦死者にご懸念2500人もの死者を出しては取締りの「やりすぎ」が、批判としてあるのは当然のことだ。ビルマからは多くのヤーバー(麻薬)がタイに入ってくる。そしてその一部は日本人観光客に供給される。何しろタイは日本人観光客にとって、旅行しやすい環境だからだ。バンコクで有名な安宿街であるカオサンでは普通に警察の摘発があり、手錠をかけられた若者が連れて行かれる。私も一度その現場を見た。開放感からか気軽に麻薬を手にする日本人がいる。今日もまた日本人が麻薬に手を染める・・・日本人と麻薬は、こうして関係を深めていく。タイやビルマなど東南アジアで起こっていることは、決して「対岸の火事」ではない。参考にするページ軍事・麻薬問題(ビルマ情報ネットワーク) 店主敬白(麻薬犯罪状況)ヤーバーはやばい! ゴールデントライアングル(まさやんの放浪記)ラオスの子どもを蝕む覚醒剤ヤーバー Drug War追記薬物には直接関係ないが、日本政府はビルマに対して経済援助をしている。この援助がビルマの民主化に役に立つとは私は思えない。日本のODA(政府開発援助)とビルマの人々ビルマ人民主活動家から 日本人へ メッセージビルマ民主化の行方──1995年8月取材 ビルマ問題とは何かビルマ民主化闘争略年表 ビルマの民主化 ミャンマー(ビルマ)の政治情勢***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは全て読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.11
北朝鮮対日本の試合が、バンコクで行われることが決まった。FIFA通達「日朝戦はバンコクで」5月7日の日記でも書いたが、タイサッカー協会に試合の打診があったことから、バンコク開催は有力視されていた。ただ、会場はサイアムスクエアの国立競技場ではなく、98年アジア大会のメイン会場になったラジャマンガラ競技場(フアマーク競技場)とのこと。フアマーク競技場の写真北朝鮮対日本はバンコク開催か? しかしこの試合は無観客で行われる。もし入場が認められたら、日本人が多くバンコクへ向かうだろうに(泣)。バンコクの暑さは両国選手を苦しめるだろう。ピョンヤンよりはまだましだが、決してタイの気候を甘く見てはいけない。ワールドカップ予選に楽な戦いなどない。10日に宮本恒靖(ガンバ大阪)がインタビューで、「無観客試合はコーチングの声がよく通る」と言っていた。前向きな彼の話に少しだけ勇気が出た。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは必ず読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.10
今朝、こんなニュースが飛び込んできた。仏外国人部隊で20年 斎藤さん精鋭空挺団出身まだ詳しいことはわかっていないがこの人は自衛隊出身で、セキュリティー関係の仕事でイラクに入国したらしい。これらのことが本当のなら、彼はアメリカ軍や自衛隊とは違って「民間の軍隊」「傭兵」という扱いになる。家族もイラクに行っていたことを知らなかったようだ。「まさかイラクに…」 ネット写真、家族確認 「邦人拘束」(速報なのでリンク切れはご容赦ください)日本政府としてもこの人のイラク入国は把握していなかったようだ。一緒にいた人が射殺されたという情報があるので、この人の安否と今後の日本政府の対応が注目される。追記中東での傭兵と聞けばまるで「エリア88」(新谷かおる)の世界だ。この話では架空の国アスランで戦う日本人パイロットが主人公だった。彼がイラクに行った経緯はどうあれ、今は早期開放を願う。負傷しているとも伝えられるが、ともかく生きて帰ってきてほしい。平和ボケの私としては、こんな日本人がまだイラクにいるとは思っていなかった。私はビルマでカレン族の戦闘に加わった高部正樹さんくらいしか日本人傭兵を知らなかった。「傭兵の誇り」で思ったコト カレンと日本の関わり有名な自衛官達(現役傭兵編) ***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは必ず読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.10
今朝(10日)テレビ朝日を見ていたら、福知山線の列車脱線事故について3つのポイントを問題視していた。1、利益重視。2、モノが言えない。3、セクショナリズムこれを今問題になっているJR西日本で考えることは、各メディアに任せよう。今日の日記では主にJR西日本以外のことについてこれらの3点について考えたい。1の「利益重視」について。「民間会社は利益重視で何が悪い?」という意見もあるだろう。実際にそういう意見も見かける。だがそれは安全を考えた上でのことだ。安全対策なしに利益を上げるのは単なるチキンレースでしかない。物事には大事なものがいくつもある。鉄道会社には「安全」と「利益」がどちらも必要だ。しかし優先順位からいえば、「利益」が「安全」に優先されることはない。しかも両者の重要性は大きい。JR西日本は脱線事故で何を失ったか?多くの人の信用、そして帰らない多くの命。経営としてもおそらく巨額の賠償が今後は必要になる。考えてみたら雪印や三菱自動車など、安全面で対策を取らずに大打撃を受けた会社は多い。2の「モノが言えない」について。会社を改善したいと思っても、言いたいことがいえないことはJR西日本に限らず実際よくあることだ。実は多くの有益な提案が闇から闇に葬られているのかもしれない。JR西日本では、事故列車に乗っていた運転士二人が現場から離れてしまったことに、JR西日本の実情が見える。その後のボーリングでも、「やめよう」と中止を申し出る人がいなかったと聞くが、かなり硬直化した内部だったことがわかる。「言いたいことが言えない」ということを広く考えるとこれは今、日本では大きな問題だ。雪印の不正を訴えた西宮冷蔵や警察内部での裏金を暴露した人が、その後どうなったかを考えれば今の日本全体が「JR西日本化」しているといっても過言ではあるまい。警察の裏金雪印告発の西宮冷蔵、神戸税関から弾圧告発者は損だ!愛媛県警で報復人事? 告発者が損をするとは、現代社会は恐ろしい世の中である。3の「セクショナリズム」について。私は縦割り行政などを考えるとき、どうしても黒澤映画「生きる」を思い出す。(映画を観た人はその意味が容易に理解できるだろう)さらにもっと広く考える。列車脱線事故でも多くの人は「もし自分だったら」ということを考えたのではないか?確かに事故は遠くで起こったことかもしれない。亡くなったりケガをしたのは自分とは関係のない人だったかもしれない。しかし「もし自分の家族が犠牲になったら」ということを考える時、私はこの事故に「部外者」という人はいないのではないかと考える。自分に関係ない人が犠牲者になったオウムの事件を、私は「部外者だから批判しない」とは考えない。北朝鮮による拉致事件を、「拉致されたのは自分の関係ない人だから関係ない」とも考えない。私の考えは単純明快だ。だからこそ事故列車に乗っていて逃亡した運転士二人は批判されて当然だし、ボーリングをしていた職員は批判される。この人たちも脱線事故から自分を見て「関係ない」と考えていたのだろう。追記今回の列車脱線事故原因として、スピード超過が叫ばれている。これはもう動かせない事実なのだろう。しかし、強い横風を受けたわけでもなく、障害物があったわけでもないとしたら、列車そのものか線路の敷設方法に問題があった可能性がある。列車を内側に傾けるカントは適切だったのか?一部報道されているように列車の異常振動は脱線と因果関係があったのか?今後同じ事故が起こらないように、すべての原因を疑ってみる必要があるだろう。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは必ず読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.10
私はかつて、報道についてフリーページに書いた。日記でも同じようなことを書いた。今日は報道とネットについてさらに書きたい。ネットでニュースについて書くと、いろんな面で既存の報道とは違う面がある。1、報道に関わるにはある程度の試験が必要で、新聞記者は多くの場合、高学歴だったりする。(当然ながら高学歴がいい記事を書く条件ではない)ネットには入社試験はない。資格も必要ない。誰でも好きなことが書ける。好きな時に始められる。2、たとえば新聞は、社説を書くにしてもひとつの意見しか書かない。「こうした以外にも意見はある」とも書けるが、所詮は「一対多」の関係になりがち。ネットは基本的に「多対多」の関係だ。3、ネットは基本的に無記名の世界。新聞記者には会社を背負うという宿命があり、新聞やテレビは記事に誤りがあったら社を代表して謝らなければならない。4、ネットの世界は24時間体制。テレビなども24時間制だが、速報や臨時ニュースなどはあるが基本的に放送の枠が決まっている。新聞は後に残るが伝達スピードはネットにかなり劣る。 5、テレビや新聞は一方的な情報の伝達には優れて面を持っているが、ネットの双方向には負ける面がある。6、玉石混淆もネットの世界の特徴。殺人の賛美や人命軽視など、かなり問題がある主張もネットでは見られる。どうして楽天から暴言がなくならないか?「殺人者にブラボー」は暴言だ!ネットは長崎の事件に役に立たない?筑紫哲也がネットを「便所の落書き」と呼ぶのは「石」を指してのこと。(彼は他の人の意見としてそう言ったが、それは「逃げ」であると私は考える)ただし報道も「石」が多く、ブログにも優れたものがある。少し考えただけでこれだけの違いがある。今後、ネットは韓国のオーマイニュースのように、普通の市民がニュース原稿を書くようになるのかもしれない。つまり「受身の報道」から「参加する報道」への変化だ。オーマイニュースはノムヒョン大統領が当選した選挙でも威力を発揮している。これは、アジアを吹き荒れた97年のアジア通貨危機が原因で、韓国内でネット環境が整ったことが影響していると私は考える。オーマイニュース オーマイニュース(韓国語)日本でも、そのうちに同じようなサイトができるかもしれない。そうなれば、既存の報道機関はスピードにおいて、多くの市民記者に負けることになる可能性はある。この日記を読んでもらいたい。ライブドアが目指す?韓国オーマイニュース(ネットは新聞を殺すのかblog)「新聞・テレビを殺します」 ~ライブドアのメディア戦略(江川詔子ジャーナル)フジテレビとの株での争いが有名になったライブドアの堀江社長も、実はオーマイニュースと同じ構想を持っているようだ。これは夢物語ではない。以下の報道もある。ライブドアで市民記者研修この研修には8000円かかるが、それでも研修会に通う人がいることを、既存の報道機関はどう考えているのか?今はまだ新聞の「紙の感覚」を必要としている人がいるため、急速に新聞が廃れることはないのかも知れない。しかし近未来には「新聞なんて記事が古くて情報が遅い」ということで誰もがネットでニュースを読むようになるのか?堀江社長、単なるTシャツのおじさんではなかったようだ。既存のメディアに対する過激とも取れる批判もこうした考えがあってのことだった。それでは、もう筑紫哲也のような(と言うより筑紫が真似をするクロンカイトのような)、一人で多くの人を啓蒙する形のニュースショーは淘汰されてしまうのか?私はそうならないと考える。それは、懐古主義からくるものばかりではない。「考えるニュース」「スピードを必要としないニュース」もまた必要だからだ。市民記者がこれからネット社会で必要とされるのと同じように、筑紫のようなある意味「正直者」はこれからも必要とされるのではないか?ただ彼は、ネット社会を異常なまでに忌み嫌っているように私には感じられる。まるでネットが「悪の権化」であるかのようなことを彼は言う。堀江社長と筑紫の対話(3月8日)でそのことが私には気になった。筑紫哲也という人 堀江社長テレビ生出演、どうでるかライブドア筑紫さん、少しは勉強しろよ。 既存メディアVSほりえもんネットメディアとTVメディアについて ~筑紫-堀江対談を見て筑紫哲也vsホリエモン 筑紫哲也とジャーナリズム筑紫哲也VS堀江社長参加型に対する疑問:悪意の情報の流布選民ではない【ジャーナリスト】・・。 筑紫哲也氏は、もう終わり News23を見て、堀江社長とジャーナリズムについて少々堀江式ジャーナリズム論再び当然のことだが、物事には「いい面と悪い面」がある。この話は100かゼロではない。既存のメディアにもいい面は当然あり、ネットにもいい面ばかりがあるわけない。筑紫も柔軟な考えの持ち主のようでいて、実は単なる「頑固な爺さん」なのかもしれない。彼のネットに対する無理解から筑紫の限界が見えた。何しろこの対談では、ネットの悪い面ばかりを指摘していたのだから。筑紫がどう思おうが、ネットは確実に報道にも及んでいる。ネットに嫌悪感を持つ前に、ネットを有効利用するための話し合いを堀江社長とすべきではなかったか?だとしたら、私は筑紫に代わる若い年代での「啓蒙のできる人」の登場を願う。私が求めるのは「筑紫哲也」その人ではない。筑紫はもう引退したほうがいいのではないか?年齢だけでなく、考え方の柔軟な人を待つ。参考にするページライブドアと共同通信 堀江氏のメディア論どうみるマスコミはなぜネット叩きに走るのか[東京高裁]新株予約権の発行差し止め 正規兵もゲリラになれる、ただ個人があるだけ WEBのメリットや優位性(の幻想)ばかりが強調されて垂れ流される世の中。インターネットが取材のあり方を変えるのか?ライブドアと見る、新しい世の中のカタチ そんなジャーナリズムなんてダイッキライだ~ニッポン放送騒動の「総括みたいなもの」(メディア論編) 「ネットは新聞を殺すのか」のメディア総論ライブドアを通して考える新しいジャーナリズムの形報道について考える インターネットの自由と規制を考えるネット社会はサラダボウル***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは必ず読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.09
少し古い話だが、「ニューズウィーク日本語版」に、副編集長であるジェームズワグナー氏のコラムがある。 「This week James Wagner」と題されたこのページを、私は何回か読んでいる。日本の学校における国旗と国歌の強制、沖縄で起きた米軍ヘリ墜落事故など、この人の意見には感心させられるものが多い。ところが、3月30日号には、竹島に関するコラムが掲載されており、私はこの内容に大いに疑問を感じた。この話の背景には3月16日、島根県議会による「竹島の日」(2月22日)制定がある。タイトルは「竹島の日を定めた県議会の非国際度」で、彼はこう述べている。>仮に竹島問題が国際司法裁判所に持ち込まれたら、判決がどちらに転ぶかわからない。だからこそ両国とも、第三者による仲裁を求めないのかもしれない。本当だろうか?日本はかねてから国際司法裁判所への問題解決を求めてきたのではないのか?日本の政治家もそのように説明をしてきたのではなかったか?私は今までそう信じてきた。そこで私はこの記述が本当かどうか気になったので検索して調べてみた。ところが外務省のページにはこうある。>3.国際司法裁判所への提訴 >(1) 1954年(昭和29年)9月、我が国は口上書をもって本件問題について、国際司法裁判所(ICJ)に提訴することを韓国側に提案したが、韓国はこれに応じなかった(ICJの強制管轄権を受諾することにあらかじめ同意しているか、または、別途同意の意向を表明すること等がない限り、ICJの管轄権は設定されない)。 >(2) 1962年3月の日韓外相会談の際にも、小坂善太郎外務大臣より崔徳新韓国外務部長官に対して、本件問題を国際司法裁判所に付託することを提議したが、これに対しても韓国側から前向きな反応は得られなかった。 こんなページもある。日本の国際司法裁判所付託提案と韓国の激しい拒否竹島問題: 今こそ国際司法裁判所の場で決着を朝鮮半島に関わる問題これらのページで言っていることが事実なら、ジェームズワグナー氏の主張は間違っていることになる。せっかく竹島について調べてみようとしているのに、一歩目から転んでしまった(泣)。この問題が解決するまで、しばらく待ってみよう。それまでは、意見を主張せずに基礎的な学習をすることにする。今現在、私自身がメールで「ニューズウィーク」誌にこの点を確認中だ。編集部から回答があり、「ニューズウィーク」が公開を同意したなら、メールをここで公開する用意がある。この件(ワグナー氏の記述が正しいか否か)での最も理想的な解決は、私の勘違いだ。そうなるように願っている。その後、「ニューズウィーク」からの回答はない。竹島問題について参考にするページ竹島問題の基礎知識 竹島の領有権問題外務省の竹島問題に関するWeb上の見解発表と、その活用方法 かえれ!竹島 竹島 (島根県)ウィキペディア ***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは必ず読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.09
福知山線での脱線事故以来、JR西日本の職員に対する嫌がらせや暴力があるとの記事を読んだ。置き石も困ったことだが、どうやら日本にもこんな困った人たちがいるようだ。運転士や車掌などへの嫌がらせ、事故後70件…JR西こうした嫌がらせは大きな問題だ。暴力については単なる犯罪でしかない。こうした卑劣なことをする人には「やめろ!」と言っても無駄かもしれない。刑務所に入って反省するしかないのだろう。人の身体に危害を加える罪中国の反日デモからきた破壊活動と同様に、暴力で何かが変わるわけではない。確かにJR西日本には問題があった。事故を起こした列車に乗っていた運転士二人は救助にあたるべきだったし、レスキュー隊が必死で救助しているのにボーリングもけしからん。しかし暴力を車掌や運転士にぶつけて乗客の信頼や安全が獲得できるわけがない。逆に、暴力は安全運転を損なう危険がある。言いたいことがあるなら暴力に訴えるよりJR西日本に直接言おう。正当な主張ならJR西日本も聞くだろう。暴力でないやり方はある。メールでの意見受付尼崎~塚口駅間の事故に関するお客様対応窓口(専用電話)0120-956-357(通話料無料) ***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは必ず読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.09
脱線事故を起こした列車に乗っていた運転士二人が、新聞やテレビで批判されている。確かに報道には問題はあるが、私はこの批判は当然のことと思っている。ところがネットではこうした動きとは逆に、逃亡運転士を擁護しようとする人たちがいる。私のところにもそうした人たちが反論を述べている。ところで今日(5月8日)、NHKの「日曜討論」に国土交通省の北側大臣が出演して、今回の列車脱線事故のことを語っていた。番組の冒頭、大臣は「現場にいた鉄道マンなら救助して当然」と述べた。私のように単なる一個人ではなく、一国の大臣がこう語っているのは言葉に重みがある。私もこの意見に賛成だ。一般人が救助をしているのに、運転士が逃げていいわけがない。もちろん電話で救助を指示しなかった上司にも大きな問題はある。こんな日記もある。Cassiopeia Sweet Days 列車のことを一般人よりも知っていたはずの運転士が、救助に役立たなかったということは私には考えにくい。また5月4日の朝日新聞によると、JR西日本の徳岡研三専務がこう述べたと伝えている。「当然救助すべきで、申し訳ない。真に遺憾で残念」私に反論してくる人たちは、大臣やJR西日本の専務に反論すればいい。もし、大臣や専務が上記の発言を撤回して謝罪するならば、私ももう一度今までの逃亡運転士に対する考えを改める用意がある。それとも逃亡運転士擁護派はネット上では反論が言えても、相手が大臣や専務では言いたいことも言えないのだろうか?もうひとつ。確かに今回の列車事故での報道には問題がある。しかし運転士を擁護したい人は遺族の前でも運転士を擁護できるのか?かつての日記について訂正と謝罪。私は以前の日記でこんな発言をした。5月5日の日記(同乗の運転士は乗客を助けるべき)>その上で言うなら、人はとっさの時に二次災害のことを考えるのか?日本スピンドルの人たちはそんなことは考えずに、本能で救助しただろう。 この発言を撤回する。この日記を書いた後、この記述を見つけたからだ。形にできる組織(ぱぱもこなの日記)この日記にはこうある。(尼崎の事故現場にいち早く駆けつけ救助活動を実施した会社の社長のコメント)>3.現場責任者に安全確認の指揮を取らせ、2次災害の防止を図る。 つまり私の書いた日記に誤りがあったということだ。私は誰かさんのように、自分のミスを「オーバーラン」などと言って誤魔化すのは良くないと考える。私はミスはミスとして認める。この件に対しては、救助にあたった人には申し訳なく思い謝罪する。すいませんでした。ごめんなさい。 m(_ _;)m なお、元の文章は一定期間の後に訂正する予定。追記またしても私に反論している人がいる(トラックバック参照)が、この人の主張にはあまりに「ごまかし」が多いので、大げさな反論の必要は今のところない。それでもこれは言いたい。>大臣や会社の専務が発言を翻せば考え直す、という発言は、真意を疑うのだが・・・これは、大臣や専務が発言を翻さないということを私が理解しているからだ。なぜなら、今から「逃亡した運転士は乗客を助けなくてもいい」などと言ったら大臣、専務は「人命軽視」と批判されるからだ。つまりは上記の発言が翻り、私が考えを変えることは事実上ありえない。やはり逃亡した二人の運転士は乗客を助けるべきだった。>別に大臣だろうが専務だろうが、反論するよ。どこで反論するんだろうかこの人は?「正義や怒りは何も生まない」というこの人の主張は、明らかに誤っているし、それを「オーバーラン」とか、「私はごまかしているのではない」「レトリックの問題」と今でも言っていることは、笑ってしまう。>何にも生み出さないと書いた私がオーバーランだった。「正義は逆効果になることが多い」としておくべきだった。それでも君は実例を出せというんだろうね。中国で反日デモをやっている連中も「正義」を掲げているんじゃないか?という指摘で理解していただけるだろうか。この人、私の主張と中国の破壊活動を一緒にしたいらしい。まったく言っていることが無茶苦茶だ。すでに素人が救助できることは私によって実証できた。今までもミスタッチをあげつらったり、この人が正論だと言ったのに、>「正論」ってなに?そんなもの存在すると思っているの?などと言ってきた。この人は矛盾だらけだ。(ところでこの人は正論があると思っているのかないのか?)所詮はその程度のことだったということだ。この人の主張は(笑い)。追記その2この人、こんなことを書いている。 あまりに面白いので、ここで紹介しよう。>がっくり。一歩も動かないのかよ。不毛だなぁ。この人も認めるように、私の主張は「まっとうで正論」だ。だから意見を変えようがないし変える必要もない。簡単なことだ。>過去はやり直せない。だから、ある過去の行動について非難することは、生産的ではない。だいたい未来のことは非難できない。非難は多くが過去のことにおいてなされるものだ。しかもこの人は過去にこんなことを言っている。>人命は最優先だ、救助するのが当然で逃亡した運転士は非難すべきだ、という主張を繰り返すことには、当然私も基本的には同意見です。はあ?この人による上記の二つの意見は矛盾しないか?この人、何を言っているのかわかっているのだろうか?どうしてこんなことが言えるのか、この人の考えは理解できない。それとも裁判官がオウムの殺人行為を非難することは生産的でないとこの人は考えるのか?「ある過去の行動について非難すること」なのに?この人が批判している私の意見も、過去のことだ。それでもこの人は批判している。>先方を否定するような発言をしてしまったのは、私の間違いだったと思っている。これも謝罪なし。しかも批判していることを自ら認めていてもだ。まあ私には批判できても、大臣には反論できないらしいからこの人は。>軟弱ですみませんねと言っているくらいだから(笑い)。過去はやり直せない。しかし未来は変えられる。未来のためにも批判は必要。>反省には意味がある。が、それは当事者が行うから意味があるのであって、部外者の非難批判はたいした意味がない。この意見には根拠がない。新聞の社説は、部外者が批判している。新聞は役に立たないことを毎日しているのか?それは知らなかった(笑い)。批判は必要だ。これを読むといい。批判はなぜ必要か>やり直しのきくこと、これからどうすべきかということ、これに絞って話をするほうが前向きである。今回と同じ、または似た場面があったら今回の教訓は生きる。そのために批判は必要だ。まったくこの人は学習能力がないね(笑い)。>正論がたびたび役にたたないのは、あるいは正しいどころか逆効果になるのは、その正論を浴びせる、まさにその相手の立場に自らが立ったとき、その正論を受け入れることが出来るか、受容することで今後につなげられる内容かどうか、これを考えていないことにある。結局、正論はあるんだ?この発言は何だったんだろう?>「正論」ってなに?そんなもの存在すると思っているの?正論はあるのかないのか?この人は逃げてばっかりだ。逃亡運転士が私が言うような批判を理解できるものと私は考える。だからこそ私は逃亡運転士を批判する。もし、私が逃亡運転士なら批判は甘んじて受ける。そして批判から反省し、反省は今後に生かされる。ここからがすごい。低レベルのオンパレードだ(笑い)。>相手のことを考えない正論は、自分が正しいことを言っているとアピールしたいだけの公開マスターベーションにすぎない。相手が必要ないのだから。>そのマスターベーションを「見てみて!」と宣伝されて、その彼のオカズは他人の失敗をこれでもかと蹂躙する行為というサディストで、おいおい、それはアンタは気持ちいいだろうけどさ、それに何の意味があるのさ、相手にぶっかけてあんたは気持ちいいだろうけどさ、と突っ込んだら、俺が気持ちよくマスターベーションしているのに邪魔するのは何事だ!おまえの手なんかいらないんだよ触るなよほっておけよおまえのテクニックじゃ俺はいかないんだよ!俺のイク方法は俺にしかわからないんだ!とわめきちらされ、おまえのセックスのやりかたはおかしい!耳のなめ方はそうじゃなくてこう!これが絶対だ!などととこまごまねちねちあげつらわれたみたいな感じ。>一緒にセックスしてともに喜ぶ気も、子供を作る気もない。でも、自分が気持ちよい様は見て欲しい。で、すごいの出たね!と言って欲しい。>特殊なプレイですな。いやあ、このレベルの低さには笑うね。まあこの人のこれが本質なんだろう。この人は下ネタで言えば、私が何か理解すると思っているのか?よく理解できました(笑い)。この人のレベルが。面白いからトラックバックを送っておこう(笑い)。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは必ず読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.08
北朝鮮がワールドカップ予選の試合で問題を起こしたことで、FIFA(国際サッカー連盟)は日本対北朝鮮を第三国での無観客試合とすることを決めた。<サッカー>6月の日朝戦、第三国で観客なし FIFA決定こうした状況での試合は日本代表にとっては経験がないだけに、試合内容への影響が心配される。ピョンヤンでの試合がなくなったとしても、今回の判断が日本に有利になるばかりとは思えない。その試合の開催場所がバンコク(タイ)に打診されているとの報道があった。北朝鮮―日本戦、バンコク開催を打診・FIFA (日経新聞)何でも疑ってみたくなる私は、「他の国にも打診しているのでは?」と考えてしまう。(お知らせと訂正)この日記で会場が国サイアムスクエア裏の国立競技場とお知らせしましたが、その後正式決定があり、ラジャマンガラ競技場(フアマークスタジアム)だということです。ここで訂正します。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。今のところメッセージは必ず読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.07
何回もこのテーマについて書いているが、脱線事故で現場から逃亡した運転士二人は救助ができた。救助できたのにしなかった。参考になる日記がある。これを読んでいただきたい。(本当はもっと早くこの日記を紹介したかった。日記の字数制限があり、今までそれができなかった。)Cassiopeia Sweet Days >電車の運転士・車掌に限らず、バスやタクシーの運転手、飛行機の乗務員、船の乗組員など、業務上多数の乗客の命を預かる資格に共通するのは、応急救護の講習が義務付けられているということです。>何が言いたいのかというと、「仮にもそういう専門教育を受けている以上は素人ではない」ということです。当事者ではないので深い追求はしませんけれど、発生直後から救命救急隊やレスキュー隊が来るまでの間、何か出来ることがあったのではないか…と思うのです。実際、鉄道業界で車掌や運転士の方が作成しているブログで「そういうときこそ率先して何かするべきではないのか?」という意見が目立っていましたから…。>そんなわけで、「たかが運転士」とは思って欲しくない、というのが正直な心情です。間違いなく専門教育を受けて、乗客の命を預かる仕事なのですから…。 この日記が事実なら逃亡した運転士のしたことは、「不作為として責められるべき」ことではないか?もちろん訓練がなくても何かできるか探すことは可能だった。しかし「できることをしない」のは大きな問題だ。事実、いくつかの日記には「運転士が役に立つか?」という疑問もあった。実は運転士が救助の役に立った。脱線事故の現場では一般人が多く救助に参加しているのに、訓練を受けた運転士ならばなおさらのこと救助に参加しないでは非難されて当然のこと。JR西日本と日本スピンドル製造(「学べかおる」の裏日記)重なる『震災』差し伸べた手(中日新聞)もちろん運転士が電話連絡していた上司も救助に参加させなかったのは大きなミスであり、JR西日本の人命軽視の体質がよくわかる場面だ。このことで、運転士とその上司だけを責めるのは簡単だ。だからこそ今日はもう少し先まで考えてほしい。もしあなたがこの逃亡した運転士だったら?もし上司が出勤を命じたら?我々のうちどのくらいの人が、出勤を拒否して救助をできるか?列車は今日も明日も走る。事故はいつかは起こる。今試されているのはJR西日本だけではない。我々もまた試されている。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。メッセージは必ず読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.07
何回か脱線事故に関連して、事故を起こした列車に同乗していた二人の運転手について5月5日の日記で書いた。この二人は事故後にケガ人の救助もせず現場を離れたことで批判されている。この日記で私はある人とトラックバックを送り合った。その後、「だらだらと気の向くままに」さんが、私について日記(ブログ)に書いているので今回はそのことについて私が書く。>まずは「JR福知山線事故 その5」にTBしていただいたりゅうちゃんさんに御礼を申し上げる。>そこでTBしていただいたりゅうちゃんさんのブログ(楽天では日記という言い方をするのでしょうか?)およびそのTB先におけるやりとりを読みながら、いろいろと考えさせられることがあったこちらこそ考えていただき感謝する。以下反論。私の名前は出しながら、この人は相手の名前は出さないつもりか?最初からフェアーでない感じを受ける。それとも名前を出すことが何か問題なのだろうか?しかもこの人の日記には私のことが中心になっている。これでは私は何か狙いがあるように勘繰ってしまう。>※りゅうちゃんさんのブログではコメントを停止している状態のですので本ブログをりゅうちゃんさんのブログにTBさせていただく形式をとらせていただくことを御了承願います。ルールに従った引用とリンクは別に了承しなくても構わないことになっている。だが了承が必要ならメッセージで送ってくれればいいのにと思う。そのこと(メッセージについて)は各日記の最後に書いている。>一方、今回の2運転士の件についてであるが、それを果たして自分に置き換えた場合、果たしてどうするのだろう、と考えた方は多いと思う。俺もその1人である(本ブログ「JR福知山線事故 その4」)。これはもちろん私も考えた。このことは後で述べる。>人間として各々抱えているものがある中で、「実際に」行動に移すことができるのかどうか本当に考えさせられた。りゅうちゃんさんのように信念が強い方であればよいのだが、人間面倒くさいことからは理由をつけてつい逃げ出したくなるものである。これは単なるこの人の誤解だ。私は決して信念が強いわけではない。事故に遭遇したら私だって逃げたい。逃げたいが助ける。逃げた後で後悔したくはない。この人は何か勘違いをしているようだが、いったい私の何を知っているというのだろうか?実際に会ったこともなく、メールのやり取りも今まで記憶にない。多分エスパーなのだろう(皮肉)。勝手に人のことを決め付けることがこの人の目的なのか?「もし自分が逃亡した運転士だったら」ということだが、私はまず脱線事故の犠牲者とその家族のことを最初に考える。もし私が事故現場にいた運転士だったら、もしかしたら私も逃げたかもしれない。しかし、私はそれでも考える。私が逃げたら非難されても仕方ないし、非難してほしい。それは私が強い人間だからではなく、弱い人間だからだ。弱い人間だからこそ私は救助を願う。犠牲者そして遺族のことを考えれば、運転士の逃亡は非難されてしかるべきと考える。これが私の考えだ。>りゅうちゃんさんにTBされた方のブログ内容を見ているとその辺りを悩んでいる方が多いように思うのである。ここでもこの人は私の名前しか出さない。この人は私を一方的に批判したいだけなのか?文章の意味、意図がよくわからない。しかも「その辺り」とは何なのか?悩んでいるから何だと言いたいのか?この人の話は抽象的で具体例に欠ける。もし逃げれば救助で助かる人も助かる可能性が減る。本来助かる人も死ぬこともある。救助は危険があるかもしれない。それでも人は助ける。>「天に道なく 地に道なし 我ただ人の道を歩む」(写真)>そこで提案なのだがこの言葉の意味を考えるところから皆はじめないだろうか。意味はそちらで勝手に考えてください。私は今のところパスしたいです。せっかく日記で私のことを書いてくれて申し訳ないが、これではコメントが困難だ。もっと具体的に書いてもらいたい。追記上記の日記に対し、「だらだらと気の向くままに」さんから、「反論TBに対して」という再反論(?)をいただいた。>※「名前を出す云々~」の件心証を害したのであるようだったらここに謝罪する。もし謝罪するのであれば「ごめんなさい」とか、「すいません」くらい言えないものか?私にとって「謝罪する」は謝罪ではない。>御指摘の「相手」に当たる方とは今回の場合ウラムダさんやRyooooさんのことだろうか?他に考えられない。>俺はこの方個人を陥れるよりもむしろTBを打って戴いたブログ(日記)内ではリンク先も充実しており、是非紹介したいと思ったまでである。(本日のエントリでは更にまとめていただいており、感心するばかりである。)ではどうして私にのみ名前を書くのか?今でもこの人の文章は意味がよくわからない。日記リンクについては、いろんな人にこの問題を考えてもらいたいので日記にした。>※「俺(samidare2005)の誤解、勘違いだ云々」の件俺が勘違い野郎のエスパー人間だと思うなら、そう思っていてくれて構わない。謙遜されているようであるが、実際「信念の強い方」だと感心したからである。謙遜ではない。何度も言うが、この人とはメールのやり取りをした記憶もない。この人は私の何を知っているというのだろうか?やはりエスパーとしか思えない。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。メッセージは必ず読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.06
とんでもないことをする人がどこの国にも一定の割合いるものだが、残念ながら日本にも存在した。全国で置き石続発 大阪で男逮捕 脱線事故置き石?(ブログで情報収集!Blog-Headline)言うまでもないことだが、置き石は犯罪だ!最悪の場合は多くの人が死ぬこともある。乗客には尼崎の脱線事故と同様に、家族がいるだろう。多くの死は犠牲者だけでなく多くの家族も悲しませる。たった一人の子どもを理不尽にも置き石で殺された人のことを、置き石をする人は考えもしないだろう。逆に両親を奪われた子どもは大きな傷が残る。その傷を置き石をする人は理解できまい。置き石は罪も重い。とてもイタズラでは済まない。往来を妨害する罪警察に「イタズラで・・・」といっても聞いてくれるわけない。置き石をするということはそういうことだ。そこで置き石を考えている君、この意味が君には理解できるかな?置き石を見かけたらすぐに警察、鉄道会社へ連絡しよう!***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。メッセージは必ず読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.06
脱線した列車に同乗した運転士2人が乗客を救助せず逃げたことについて、私は5月4日の日記に書いた。「乗客」の運転士2人、救助作業せず出社 JR脱線事故 (asahi.com)このテーマでは私のように「その場に残って乗客を助けるべき」という意見と、「運転するためにその場を離れたことは正しい選択」 という意見があった。そこで今日の日記はいろんな意見をここでリンクして各自で参考にしてもらいたい。そして、「自分がその場にいたら」ということを考えてほしい。今日も明日も列車は走り、事故は起こる可能性があるのだから。(都合により敬称略です。リンクの順番に意味はありません。リンク切れはご容赦ください。)Ryooooの日記 ぱぱもこなの日記(5月4日) ぱぱもこなの日記(5月4日その2) ZUSH_IYのほのぼの日記(5月3日) falcon's eye 情緒背景放射大胆不敵に...なれるかな? つれづれなるままに ゼニゴケブログ 英国から日本を見る所詮…現(うつし)世 つれづれみっ記 妄想きゃんねの備忘 かねつき堂やの日記 quiet life* ちえ☆ライブラリービビッドニュース Internet Zone::Movable TypeでBlog生活社長の本音日記 日本再建委員会 「翻訳会社、やってます!」奮闘記 斜眼看世界 Cassiopeia Sweet Days だめだめ新newシャイン!! アスピリンカフェでちょっと一息 おおきな氷砂糖をかじりながらBLOG MO 暇人のぐーたら日記偶成遊戯の徒然日記 うまとグラとジャイ! くまぽん.のお調子者で行こうΨ(`∀´)Ψケケケ・・ うつぼんの日記Y's WebSite : Blog ~日々是好日~ かきなぐりプレスI WANNA KNOW!! 反日活動から日本を守る 蜂須賀電設運転士救助活動せず(このテーマに関するいろんな日記が読めます。)この世には実に多くの意見があるものですね。以前の主張の繰り返しになるが、私の考え方は次のとおり。1、命より大切なものが定時運行とは思えない。2、今回逃げた運転士は現場にいれば救助の役に立った。それは今回の事故で救助の素人が、レスキュー隊到着前に活躍していたことからもよくわかる。3、運転士の逃亡とボウリング大会については、「本質ではない」との批判があるが命の問題として看過できない。4、上記の二つは正論がなかったことから問題になった。事故原因はまだ確定されていないが、JR西日本に必要なのは正論だ。以上のことから運転士はその場に残って乗客を助けるべきだった。「救助が第一」ということが相互理解されない社会こそ、今回のような凄惨な事故を起こす社会ではないか?「命は大切」という共通認識くらいは確立できないものか?今後同じ間違いをしないために。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。メッセージは必ず読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.06
ある方がまたしても反論してきた。話はここに詳しく書いてある。 反論と言ってもレベルが低いので再反論の意味はなさそうだ。話のわからない人。説明ができない人はどこにでもいるものだ。>「正義」とは大抵利用されるものだ。「正義」を大義にして人々を巻き込んだ紛争、戦争の数々を考えよ。おっと、こういう話では「想像にすぎない」と批判するのかな、君は。>何にも生み出さないと書いた私がオーバーランだった。「正義は逆効果になることが多い」としておくべきだった。それでも君は実例を出せというんだろうね。中国で反日デモをやっている連中も「正義」を掲げているんじゃないか?という指摘で理解していただけるだろうか。この人はミスを「オーバーラン」でごまかしたいらしい。ミスならミスと認めて謝ればいいのに、これでは救いようがない。よほどミスを認めるのが嫌なのだろう。中国のデモを正当化する正義は間違った解釈だった。たださそれだけのことだ。そして当然のことながら中国の正義と私の発言とは関連がない。この人特有の意味のない反論だ。>君は神か。ああ、そう考えれば納得いく。上から見下ろして意見を言うばかりの、君は神だ。これはこの人の勝手な推測でしかない。想像もここまで来るとすごいもんだ。>「正論」ってなに?そんなもの存在すると思っているの?>いまいる場所が「正しい」と思った時点で、その人は既に間違った場所にいる可能性は高い。この人自分から正論を言っておいて明らかに自己矛盾している。しかも、私が間違っている証明なし。ただ単に「可能性が高い」と言っているだけでは説得力がない。そして最後はこれだ。>あ、ごめん、「ないも生まない」のか。ってミスタッチをあげつらってすまんがね。ミスをミスと認めず、この人は勝手な解釈をしているばかりだ。そして最後はミスタッチを見つけて喜んでいる。これでは話し合うだけ無駄だ。追記その2この方が再び反論してきた。またしてもレベルの低い反論だ。>それでも自分の言いたいように書くのは、言いっぱなしのマスコミさんと同じではないですか?私が「最後の指摘」としただけのことだ。文章構成を問題にするのは意味がない。反論はリンクもしている以上問題はない。この人の日記を読めばいいだけ。この人がくだらないミスタッチを指摘する人であることは明白。話の脱線がこの人の狙いなのか?しかもこの人自身のミスは謝罪しないつもりなのか?>世の中おかしくするのは、「正義心による怒り」でしょう。まさか「オーバーラン」で済ますつもりかこの人は?>自分と違う考え方を、なぜそこまで頑なに拒むのか?それは違う。考え方が違うから拒むのではない。この人の考えが間違っているから否定しているだけ。>なお、そこまで命が大切と主張し自殺はいけない、死ぬのはよくない、とまで言う君には、「殺人者には死刑判決を出すべきか否か」という問いに答えてほしい。今回の話には自殺は関係ない。ところで私は「自殺はいけない」とどこで言ったのかな?引用がないのでよくわからない。出典を示していないので回答の意味なし。この人、他の話を持ち出して逃げるのか?この人が逃げないで回答すべきは「正論」についてだ。>正論は正論でいいけど>「正論」ってなに?そんなもの存在すると思っているの?どちらがこの人の本当の意見なのか?この二つは明らかに自己矛盾だ。この人また逃げるのか?>君は自分の主張はするが、他人の主張に対して答えることができない。はぐらかすばかりだ。はあ?意味不明。さすがに「オーバーラン」で逃げる人は違う(笑い)。>おとなになろうよ。大人って誰かさんのようにミスを謝らない人のこと?「オーバーラン」で逃げる人のこと?下らん。誰が何と言おうとも、運転士は乗客を助けるべきだった。今逃げた運転士二人が非難されるのは当然のことだ。この考えは妥協ができない。すべきでない。最初のこの人の疑問に答える。>救助しなかったのを非難するのが今回の報道。でも、それって非難すべきことなのか?非難すべきことだ。追記その3またしてもこの人からトラックバックが送られてきた。>世の中おかしくするのは、「正義心による怒り」でしょう。このことは「オーバーラン」で逃げるつもりらしい。この人は。謝罪はなしか。この人どこまでも逃げたいんだな(笑い)。自殺について>今回の話と関係ないが、答えてはいただけないものか。今回の話とは関係ない。この人が逃げに使いたいだけかもしれない。ところで「自殺はいけない」という部分の引用はどこから出たものか?出典を明らかにせよ。まさかお得意の「想像」ではあるまいな?回答する意味が不明では話しようがない。しかも、明らかなミスを「オーバーラン」で逃げる人には。答えてないのはこの人のほうだ。>この「逃げた」運転士は、世間に責められ会社にも責められ、いたたまれない状態であるはずだ。後悔しているかもしれない。たぶんそうだろう。で、彼らがそれに耐えかねて自殺する可能性は考えない?もし、不幸にもそうなった場合、非難していた君は、責任を感じない?例えが飛躍しすぎ。話にならん。プレッシャーからくる運転士の自殺が重要だと言いたいのなら、この人は最初からこの話題を出すはずだ。>私が言いたいのは、それを君が非難する必要がどこにあるのか、ということだ。このことについてはすでに説明した。今回の事故を「部外者が」と言うのは、事故を自分のこととして考えられない人だ。同様の事故は今後も起こる。逃亡した運転しやボーリングをした社員も、自分のことを「部外者」と考えていたんだろう。>「正論」だが。君が「正論」と言いたいならそれはそれでいい、でもその「正論」が誰にとっても「正論」であるわけではない。他人におしつけるのはやめろ、という話だ。この人は忘れていないだろうか?この人自身が私の主張を「正論」と言ったことを。この人が正論と言ったのは何だったのか?しかも、私の主張が正しくないということはこの人によって証明されていない。そしてこの人は私の主張についてこんなことを言っている。>いや、もっともな意見だと思うよ、私も。まっとうなのに「他人におしつけるのはやめろ」と言うのか?意味がよくわからない。追記その4またしてもこの人からトラックバックが送られてきた。>私のアンサーはあるでしょう。>そうしたら、その文脈で話を進めるのが筋なんじゃないの?この人身勝手だね。この人自身がミスをミスと認めて謝罪しないと話は進まない。問題は文脈ではなくこの人のミスだと言うことだ。この人学習能力ないね(笑い)。>自殺云々はそこからの派生だ。何だ、出典はないのか?勝手に私が書いたことにしないでもらいたい。>そうだよ。まっとうなら、正しければおしつけていい、という考えが正しくないんだよ。この人自身が私の主張を「まっとうで正論」と認めた。ならば押し付けでもなんでもない。この人は「まっとうで正論」以上のことを主張できているとでも思っているのか?ならばおめでたいことだ。「オーバーラン」などと言って逃げる人と、これ以上話す意味はないかもしれない。今後はトラックバックの削除も検討しよう。この人も、そのつもりでいてくれ。しかも、議論がずれている。これ以上はトラックバックに意味がないだろう。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。メッセージは必ず読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.05
脱線した列車に同乗した運転士2人が乗客を救助せず逃げたことについて、私は5月4日の日記に書いた。ウラムダさんから、私の日記に意見をいただいた。彼の意見はこうだ。>これだけ大事になってしまえば、何をどうするということも出来ないだろう。救助活動?何ができるよ。実際に現場で救助した人もいた。救助についてはまったくの素人がだ。この人はこの事実を知らないのか?JR西日本と日本スピンドル製造(「学べかおる」の裏日記)重なる『震災』差し伸べた手(中日新聞)こんな日記もある。Cassiopeia Sweet Days >電車の運転士・車掌に限らず、バスやタクシーの運転手、飛行機の乗務員、船の乗組員など、業務上多数の乗客の命を預かる資格に共通するのは、応急救護の講習が義務付けられているということです。大多数の人が自動車の運転免許は持っていると思うので、一番近いところで二種免許を例にします。>何が言いたいのかというと、「仮にもそういう専門教育を受けている以上は素人ではない」ということです。当事者ではないので深い追求はしませんけれど、発生直後から救命救急隊やレスキュー隊が来るまでの間、何か出来ることがあったのではないか…と思うのです。実際、鉄道業界で車掌や運転士の方が作成しているブログで「そういうときこそ率先して何かするべきではないのか?」という意見が目立っていましたから…。>そんなわけで、「たかが運転士」とは思って欲しくない、というのが正直な心情です。間違いなく専門教育を受けて、乗客の命を預かる仕事なのですから…。 私の意見に対して>いや、もっともな意見だと思うよ、私も。これって、私の意見に対して「もっともな意見」だということか?主語がないので分かりにくい。もっともな意見なら、黙っていればいいじゃないか?日本スピンドルの救援活動について。>一般論としては、二次災害の可能性もあるわけだよね?余計なことをして被害を大きくする可能性もなかったわけではない。危険な状態であれば、救助にいったのに被害にあうことも。会社ぐるみで助けに行ったらその会社の責任も問われるわけで。もしかしたらノウハウがあって、レスキュー隊なみの対応をしていたのかもしれないので日本スピンドルに対する批判では全くないのだが、誰でもが同じ事をできるということではない。それは認識しておかないと。これはこの方の想像が多く含まれた文章であるのでコメントしにくい。私がコメントしてもあまり意味がないだろう。私が言いたいのは人間としての本能、そして鉄道マンとしてのプライドだ。逃げた運転士にはその本能、プライドが欠けていた。私は今回、運転士が非難されて当然と考える。問題は、「何をしたか」以前に、「何をしたいと努力したか」にある。もし問題の運転士2人が結果的に何もできなくても、その場にいて何ができるか探すことはできた。実際には運転士2人はその場で何もしなかった。歩いて出勤し、途中で上司に電話しただけだ。>まぁとにかく、外野がとやかく言う話ではないのだろう。だから私は、マスコミによる二次的な災害について論じている。「人間としてその場でこう行動すべきだ」というのは全く正しいが、それは「だったらアンタはそう行動すればいい」という問題にすぎない。事件に無関係であれば、当事者を罵倒する権利などないと思うんだけど。正義とか怒りとかって、何も生まないと思うがなぁ。とやかく言うか言わないかは私の勝手で、この人に言われる筋合いはない。ルーサーキングは怒り、正義から何か生み出さなかったかな?ネルソンマンデラはどうか?それと、私は誰かを罵倒したのか?どこで罵倒したのか引用がないのでコメント不可能。怒りや正義がなにも生まないかどうかは私が判断する。この人の文章で実際に何も生まないという証明はなし。単なるこの人の想像と判断する。>「>もし、二人の運転士氏が、事故現場で救出作業をしていたら、当時の混乱は、さらに増加したであろうことは容易に想像できます。」に対して「どうして救出作業で混乱が増加するのか?」とあるのは・・・想像力に欠けているでしょう。JR西日本が大惨事おこして、その現場に制服着た従業員がいるんだよ?怒りの矛先、向かわない?暴動起きるという発想がないのは、なかなか幸せな環境で育っていると思うが、それでいて「逃亡した」運転士を思いっきり非難する口調というのがわからん。それだけ怒るアナタのようなひとは当然、彼らを事故を起こした運転士と同一視して罵倒すると思うんだが・・・それを甘んじて受けろと?それじゃあ、「日本は中国・朝鮮に酷いことをした!」といわれて、私らは皆アタマを下げなきゃならんということか。逆に「アメリカは原爆を落とした!」と、出逢うアメリカ人みなに謝罪を求めるということか。同じ次元の話だと思うんだよね、「逃げた」運転士を非難する話は。この事件で暴動は実際に起こらなかった。列車脱線事故の暴動について何かこの人は情報を持っているのか?それとも日本人を信用していない?これも説明なしではこの人の想像でしかない。この人想像でしか話せないのか?しかも罵倒というのはいつ、どの部分なのか?全く説明なし。この人、私が罵倒する人と思いたいらしい。>当事者以外はアタマを冷やさないと。余計なお世話。私は冷静だ。ボウリング大会について。>新潟で大地震あったからって、その事件知って日本中喪に服せとかそういうレベルと変わらんでしょう。勿論、同じ会社なのに惨事のさなか親睦してんじゃないよ!という意見はもっとも。もっともだけれども、報道される前日まではそう非難するひとの殆ど皆このことを知らなかったわけでしょ?報道してはじめて知った人が非難するのはどうかと思う。それって操られているというか・・・事故から何日たってるよ。今更こんなネタを報道するマスコミの精神のほうが卑しいとおもうがなぁ。それと、それに乗じて怒る人々も。この人、「ごもっとも」と言いながら私に反論している。私の批判したいのか私に賛成なのか?ボーリング大会のことを報道されて初めて批判することは何も恥ずかしいことではない。私は今回の事故でマスコミも批判している。この人がどう思うかは私とは関係ない。それとも、この人は自分と同じ意見でないと気がすまないのか?以上、よく分からないウラムダさんの意見だった。追記またしてもウラムダさんがトラックバックを送っていた。>りゅうちゃんミストラルさんについて疑問なのは、「あなたの意見はまっとうだけど、それを言ったところで、何がどうなるの?」ということだ。正しい意見が次に起こるであろう事故を防ぐかもしれない。「まっとうな意見」を言えないよりいい。>「逃亡した」運転士を非難することで、何か社会が変わりますか?同じ場面で運転士は逃げなくなる可能性がある。「命は大事」とか、「救助はすべき」と感じる人が増えるかもしれない。>世の中おかしくするのは、「正義心による怒り」でしょう。世の中がおかしくなる証明なし。またしてもこの人特有の想像。コメントする意味なし。>それに対して、危険じゃないの?と言っているのであって。違う意見だから気にくわない、と発想する時点で、どちらが違う意見を認めたがっていないのかは明白では。だいたい私のエントリでは、言いたいことはわかる、といってるじゃない、冒頭で。私の書き方が下手なんで伝っていないようですが。確かに君は書き方が下手だ。とても下手だ。私の言いたいことがわかるなら、黙っていればいい。そして何が危険なのか説明不足。私は私の意見を言う。私の勝手。>正論は正論でいいけど、なにも生み出さない正論じゃあないですか。正論を吐いて、すっとする。それだけなんじゃあないの?あのエントリーは。押しつけたがっているのは私ではなくて・・・またしても生み出さない証明なし。コメント困難。この人は正論以上に何か生み出している?>そもそも、ある場面で「こうするべきだった」と発言するのは後出しじゃんけんで、現場にいない当事者でもない人間がとやかく言っても詮無い。大切なのは、今後どうすべきなのか、ということで、過去について「ああしろ」「こうしろ」ったってもう無理なんだから。タイムマシン持ってるっていうなら別だけど。本当に当事者のことを考えたら、これからどうすべきかを提案するのが誠意あるエントリーでしょう。今回行動を批判すれば、将来に向けて反省ができる。これは意味のあること。列車が走る限り事故は起こる。>ちなみに。「余計なお世話」とか私の記事について書いているが。そもそもは、あなたが私の記事にトラックバックうったからこそ反応しているので、そのこと忘れないでね。反論されたいから打ったんじゃないの?余計なお世話だからそう言ったまで。「反論されたいから打ったんじゃないの」はこの人の想像。>追記:トラックバック打っておいて「私は私の意見を言う。私の勝手。」「余計なお世話だからそう言ったまで。」は、あまりに敬意に欠けるのと違いますか?そういう態度で望むなら、トラックバックうたないのがよろしいのと違いますか。コメント閉じてらっしゃるのと同様に。TBも打たない・受け入れない。そうすればアナタの耳に優しくないエントリもなくなりますよ。これも余計なお世話。私のページの管理は私の好きにする。この人の発言は正論ですらない。今必要なのは正論だ。この人はそのことを理解できない。この人は敬意に欠けてないのか?遺族の怒りが理解できていないのか?>って、こんな一対一の発展性のない言い合いのために書いたつもりじゃなかったんだけど。前向いた話にしようよ、というエントリだと思うんだがなぁ、上記の内容は。何ら自説に証明もなく、正論ですらないこの人には学ぶべき点が少ない。この人とこれ以上話しても無意味かも。肝心の証明ができていないし話に説得力がない。いつまでも正論を否定すればいい。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。メッセージは必ず読んでいます。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.05.05
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