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愛媛県警の不正経理について告発した警察官が、報復人事を受けたとして問題になっている。不正請求事件は各地の警察で起こっているがこの話は簡単で、「本当に捜査で必要なら正々堂々と請求しろ!」 ということだ。架空請求で「プール金」などを作るから請求した金の使い道がさらに問題になったりする。実は警察幹部の個人的な飲み食いのために不正請求があると考えるのはごく普通の考え方だ。実際に個人的な飲み食いに使ったと言う人も警察内部にいる。かつては警察官の不正があると、「悪いのはごく一部で、ほとんどの警察官は悪くない」と今までは考えてきた。だが、これだけ各地の警察が不正請求をしていることがわかると、近くにいる警察官を見ても「あの人も不正請求しているのか?」と疑ってしまう。それだけに不正請求した警察の責任は重い。警察を信用できなくて、我々は何を信用すればいいのか?愛媛県警、告発警察官の異動を発令(JNNニュースから) 告発した巡査部長が突然、「鉄道警察隊」から「県警本部地域課通信指令室」に異動になれば、多くの人が「報復人事」と考える。しかも異動の時期が告発後であり、定期的な異動ではないこと、上司が「自殺の恐れがある」として拳銃を取り上げたことなど、「報復人事」であるとしか考えられない条件が揃っている。この異動についてはこんなことが日記で書かれている。愛媛県警・実名告発した仙波氏の新ポスト(札幌から ニュースの現場で考えること)この件では、このページが詳しい。 テレビ愛媛 愛媛新聞日本では、告発についての考え方が遅れていて、特に巨大組織では「裏切り者」というレッテルを貼られることも多い。横山秀夫の小説にあるように、警察は組織を守るために何でもする。そして時に「正義より組織」という考えになってしまう。どこかで告発者を守る必要がある。私が思い出すのは雪印の告発を行った西宮冷蔵のことだ。雪印告発の西宮冷蔵、神戸税関から弾圧尊厳をかけた内部告発 ~食の安全の観点から~愛媛県警にしても西宮冷蔵にしても、結局は「告発したものは損」ということになっている。内部告発者保護法の制定を 内部告発者保護法の制定こうした「告発者は損」という風潮が広がるとどうなるか?社会悪はそのままになり、「正直者は損」ということを皆で認めたことになる。将来の告発者のために、こうした風潮はここで止めなければならない。告発者が誉められる社会はすぐには来ないかもしれない。しかし、告発者が責められる社会は今すぐに変えよう。愛媛県では親が子どもを叱る時、「そんなことしていると愛媛県警に入れるぞ!」 という文句が流行したりして(泣)。追記1月31日のニュース23(TBS)で、この件に関する愛媛県警の記者会見が報じられていた。県警は「報復人事ではない」としたが、本当に報復人事だとしても「報復人事だ」と認めるわけはない。最初から結論の決まった記者会見ほどつまらないものはない。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.31
報道によると大阪市はすごい役人天国らしい。スーツ支給や各種手当てなど、福利厚生に多額の公金が投入されているという。職員の保険に巨額の税金が投入という話もある。「被害合計」が200億円、300億円に達するという話にもなっている。(ケタが100億とか200億になると話がどこまで本当なのか、そして実感がわかない)ヤミ年金、ヤミ昇給、カラ残業まで問題になっている。自治体だから倒産はないのだろうが、こんなで大阪市の財政は大丈夫なのか?大阪に住んでいなくても心配になるぞ。(実はこうしたことが大阪市だけの問題ではなかったりする!)大阪市の杜撰さについては、ついには国税局までが動き出すほどのすさまじさだ。大阪市に国税局調査 ヤミ年金やスーツ支給(きつねのすみかさんの日記)2004年末年末、大阪市は大平光代助役を委員長とする改革委員会を立ち上げて、やっと改革されることとなった。大平光代はベストセラーになった著書、「だからあなたも生きぬいて」で知られる弁護士だ。少女時代はいじめから割腹自殺を試みた。その後極道の妻になり、入墨が今でも背中に入っている。しかしある時から勉強に目覚めて司法試験に合格する。そして今は大阪市の助役だ。彼女もすごい時に助役になったものだ。 あるテレビ番組で、「市役所は大阪市から出ていけ」と言われていた大阪市役所。大平光代委員長の手腕で、この先改革はどこまで進むのだろうか?まさか「客寄せパンダ」ではあるまいな?大平光代委員長心の声「だからあなたももらい過ぎ」郵政の前に大阪市の民営化が先か?それとも関市長のリコールが先か?追記結局、関市長は辞職して再出馬。大平助役は辞職することとなった。これで大平助役が「客寄せパンダ」であることを証明した。以下このテーマについての関連サイト関淳一 大阪市長が辞任、出直し選で民意問う(ブログ・ヘッドライン)このテーマについて書かれたブログのリンク集。大阪市長選挙大阪市問題まとめサイトカラ残業処分の当日に関市長と最高幹部は宴会!***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.30
昨日の金八を見ていて思ったこと。車掌のメガホンは、「ライナスの毛布」だ。(番組を見ていない人は何の事かわからないと思います。「ライナスの毛布」についてわからない人は検索してみてください)それにしても金八でドラッグが出てくるとは、私が思っている以上に薬物問題は深刻ということだ。前に日記でも書いたが、最近は「大麻くらい何でもない」という人も増えている。こんな報道もあるくらいだ。警視庁単身寮に大麻など隠し持つ、白バイ隊員を逮捕先に言っておくが、「大麻くらい何でもない」という解釈は、逮捕されたら通用はしない。(以下秘密日記)***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.29
NHKの海老沢前会長が引責辞任してすぐ顧問になった。1億2千万円ともいわれる慰労金では足りなかったのだろうか?この方おかげで受信料不払いが響き、収入が72億円もマイナスになるというのに。それとも権力への執着か?受信料72億円減で退職金1・2億どちらにしてもNHKには批判の電話がすごいらしい。当たり前だ。海老沢を顧問にして、苦情が来ることを巨大組織の誰も予測できなかったのか?そして、苦情が来なければ海老沢は顧問のままだったのか?これで橋本元一新会長とNHK幹部の能力がわかった。彼に今後の不正が防げると確信している人はどれだけいるのか。海老沢院政に抗議電話が数万件苦情が殺到して困っているのは苦情の電話に出ている人と、受信料の集金をする人だ。会長を辞任してすぐに顧問就任では、辞任した意味がない!顧問になるのでは院政の始まりではないか!受信料の支払い拒否が増すことは確実だ。この人ちっとも懲りていないらしい。厚顔無恥とはこのことだ。追記今回のNHK会長辞任劇は、何も放送界だけに限ったことではない。日本がサッカーワールドカップ初出場(98年フランス大会)を決めた時にも今回と同じ状況になった。この日記を読んでもらいたい。サッカー日本代表監督人事考(放蕩ライター・イオの読書案内)このように、長沼会長は日本代表による最終予選でのふがいない戦いぶりから加茂監督を更迭した。そして責任を取って、サッカー協会会長を辞任した。しかし、海老沢前会長と同様に何と名誉会長になった。この時も「辞任の意味がない!」と怒ったファンが多かった。責任を取って辞任したのに名誉会長とは恐れ入った。どこの世界も組織のトップというのは同じ行動を取るものらしい。小泉首相、心の声。人生いろいろ。会長もいろいろ。追記その後、海老沢前会長は顧問を辞退した。NHKという組織は、何回選択ミスをするのか。これでは信用を勝ち取れない。話は変わって気になる記事について。「死者生き返る」15% 小・中学生長崎県意識調査これには驚いた。 記事(西日本新聞から)こうなったのはゲームの影響だろうか?前に地動説が理解できない子どものことが報じられていたが、今回とは問題の次元、深さが違う。今回のこの報道も、「ゲーム禁止」をヒステリックに叫ぶ以上に話が進まないのなら、何ら進歩はない。人は生き返らない。復活するのは前会長くらいなものだ。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.28
昨日衛星放送で青池保子のコミック、「エロイカより愛をこめて」を特集していた。(BSこだわり館 THE・少女マンガ!~作者が語る名作の秘密)この作品は古典的な、多くのファンがいる少女マンガには珍しいスパイ漫画だ。「こんな世界もあるんだ」ということを多くの日本人に教えてくれもした。主人公は「鉄のクラウス」ことNATOのドイツ人少佐(クラウス・エーベルバッハ)と、同性愛者で美術品専門の泥棒貴族。本当は登場人物にもう一人エスパーがいたのだが、作者の身勝手(笑い)によりいなくなった。この主演者変更エピソードは実に面白かった。作者が女性と恋愛が苦手(本当に少女漫画家なのか?)なので編集者と「軽く」登場人物を変える。編集者との喫茶店での打ち合わせ(雑談?)は実に楽しそうだ。この軽さが漫画の面白さを支えているのかもしれない。青池 保子 (あおいけ やすこ)について エーベルバッハ少佐親衛隊この作品がすごいのは、東西冷戦を実に上手く描いていることだ。しかも作者が美術品や橋、列車、紋章など細かいところに実にこだわっている。今ならインターネットがあるから映像資料も集めやすいだろうが、当時はまだそんな時代ではなかった。しかも、読者が違いに気がつかないところにまでこだわるところがすごい。私が好きなエピソードは少佐の少年時代の話(第4巻「番外編 特別休暇命令」)だ。少佐は上司から休暇を命じられるが、「特別任務」だと疑う。以前世話になったシスターに少佐が会いヘビースモーカーであるにもかかわらず、「あの角まで禁煙だ」というセリフは大いに笑った。(もうずっと前に読んだ内容を記憶を頼りに書いています。間違いがあればそっとメッセージで教えてください)青池保子『エロイカより愛をこめて』4巻この少佐は「強い男」の象徴的存在だ。ジョギングしながら売店で「新聞を全部」買い、走りながら読む。部下には非情で、ミスはすぐにシベリア送りとなる。ジョギングで尾行されたこともあった。しかし尾行したほうが追いつけず、街角で少佐に「無理するな」と言われる。この作品が現在でも続いているとは知らなかった。作者(青池保子)も冷戦構造の解体で、この作品が書きにくくなったことをインタビューで話していた。かつての敵だったKGBのエージェント「仔熊のミーシャ」と少佐が協力するのだから、時代というものはどう変わるかわからない。少佐もソ連解体とベルリンの壁がなくなったことには驚いているに違いない。私にとっての少女マンガと言えば、魔夜峰央の「パタリロ!」と水木杏子、いがらしゆみこの「キャンディキャンディ」、そしてこの作品だ。これらの作品に共通しているのは「海外が舞台」ということ。外国というものを知らない私にとって、「日本人が外国を描く」というのは驚きだった。(吉田秋生の「BANANA FISH」も海外が舞台だが、今は語らない )同じく昨日(26日)、衛星放送でヒッチコックの「バルカン超特急」を観た。1938年の古い映画だ。特急列車で中年女性がいなくなる。この人に介抱された若い女性以外、何故か中年女性を見た者がいない。他の乗客には「幻覚」とさえ言われてしまう。そして話は意外な展開に・・・この映画は今観るとヒッチコックらしくない実に稚拙な部分がある。例えば手のひらを撃たれた男が平然としている場面とか、思わず笑ってしまう。撃たれたら痛いだろうに。このように初期の映画らしい一面が見られるが、セリフが「私は知りすぎたのよ」(I know too much.)だったりして、「暗殺者の家」のリメイク版である「知りすぎていた男」(The Man Who Knew Too Much)がここからタイトルを考えたのではないかと思えるくらいだ。また、貨物車で手品の道具が使われていたりするのは、「知りすぎていた男」でも剥製が騒動に使われていたりしてヒッチコックの成長が見える。お茶の包装紙や窓ガラスに書いた名前、尼僧のハイヒールなど今でも使えそうな場面が満載で、映画として楽しむ以上に「映画クロニクル」といった楽しみ方もある。***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.27
最高裁でひとつの判決が出る。在日韓国人の保健師が東京都の管理職になれるか否かの判断となる。国籍条項、26日大法廷判決=都管理職試験の受験拒否(共同通信 01月24日 16時13分)日本国籍でないことを理由に管理職選考の受験を拒まれた東京都職員の保健師で在日韓国人女性の鄭香均さん(54)が、都に慰謝料などを求めた訴訟の上告審判決が26日午後3時から最高裁大法廷(裁判長・町田顕長官)で言い渡される。 外国籍の地方公務員に管理職への昇任で差別的な扱いをすることに、憲法が許容する合理的理由があるかどうかが争点。このようなケースで最高裁の判断はなく、法の下の平等や職業選択の自由をめぐり、大法廷が憲法判断を示す見込みだ。 外国人を職員に採用する自治体は増えているが、将来の昇任を考慮すると「公権力行使などに携わる公務員となるには日本国籍が必要」とする「公務員に関する当然の法理」は今も大きな壁。大法廷の判断に全国の自治体が注目している。 この裁判については、25日のニュース23(TBS)でも特集が組まれていた。東京都の管理職選考で、国籍を理由に「門残払い」されたことへの最高裁大法廷の判決が注目される。15人いる最高裁裁判官はどのような判断をするのか。また、どういった判決でもその内容が知りたい。最高裁が大法廷を用意したのは、この裁判が保健師一人の問題ではなく、日本としての外国人に対する判断を必要としているからだ。もしこの女性が最高裁で勝てば、全国の自治体で外国人管理職が多く出ることだろう。それだけに今日の判決は、今後の多方面にわたる影響が大きい。一審では「制限は適法」として原告敗訴。二審では、「区別の必要性」を認めながらも、原告一部勝訴となった。(判決内容の事実関係について誤りがあればメッセージでご指摘願いたい)最近は、在留外国人に対して選挙権を認めるかどうかが話題になることもい多いが、これは日本にいる外国人が多くなってきたこと、そして国境という壁が低くなってきたことなどが原因と考えられる。さらに少子化の影響で日本という国がが外国人を必要としていることも大きな要因だ。公務員の国籍条項とは 国籍条項撤廃の現状年表・国籍条項撤廃をめぐる動き国籍条項撤廃にはこんな反対意見もある。こうした問題には、「日本国籍になればいいではないか?」という意見も多く聞く。確かにこの女性も含めて帰化という選択もあろう。しかしニュース23でも出ていたが、「国ではなくその人個人として見る」ということができないのか、私には疑問が残る。国籍や宗教、肌の色などではなく、「その人そのもの」で人を見ていい時代にならないものか。 この女性の例で言えば、帰化しようがしまいが人として何ら変わることがない。帰化するかしないかで何が変わるというのか。私は日記で「差別と区別」について書いたことがある。今でもその考え方は変わらないが、国籍というものがこの世に存在する限り、日本人と外国人がまったく同じ扱いになることはないと考える。しかしながら、その差をなくしていく努力は必要だし、ほとんど差がない状態というものは将来に向けて実現可能だ。 国とは何か?国籍とは何か?この判決を読んでもう一度考えてみたい。追記判決出る!最高裁は昇進の禁止について合憲の判断。原告側逆転敗訴の判決。その後の報道は、たとえば読売と朝日の大新聞は社説で意見が分かれた。各自で社説を読み比べてほしい。この裁判は無意味だったか?先に結論を言ってしまうと、決して無駄ではなかった。将来、同じような外国人による裁判は必ずある。今回の判決は判例となって将来の原告側には大きな壁となるだろうが、いつかは必ず原告が勝つ。その時になって、今回の二人の裁判官(滝井繁男、泉徳治)による少数意見がいかに正しかったかを多くの人は知るだろう。日本は少子化が進んでいる。そして国際化も進めなければ日本という国に将来はない。日本は外国人を受け入れることで活力を取り戻せる。外国人受け入れ問題に関する提言(日本経団連)多くの外国人を受け入れるようになれば、管理職にふさわしい人も出てくるだろう。これは必然だ。今回の裁判で多数派になった裁判官や、判決を喜んでいる右寄りの人たちには、そのことが理解できていないだけだ。そうした人たちは現在しか考えられないのではないか。そして自分の国によほど自信がないのか、外国人が日本を乗っ取るとでも本気で思っているのだろうと私は推測する。この判決が10年後、20年後にあるかどうか、それが今考えるべき問題だ。今回の裁判について、将来の外国人受け入れについて語らない人が多いのがとても気になった。内閣法制局による「当然の法理」(外国人拒否)という見解が出たのは1953年のこと。今回の最高裁判決ではこの見解の根拠を示さなかった。原告の願いは「外国人拒否の根拠を示すこと」でもあったはずだ。そして外国人の管理職への登用を各自治体に「丸投げ」した。各自治体に判断を任せると、今回のような混乱が続くのではないか。丸投げはゼネコンや小泉首相だけ出なく、最高裁もするものだということがよくわかった。「最高裁、おまえもか?」と言いたくもなる。 余計なお世話だが、原告の看護師は日本のことを「哀れな国」と表現したと新聞報道にあった。今後彼女が受けるくだらない風当たりが心配だ。さらに追記この裁判について、多くの人が日記に書いている。それを読むと、いかに多くの意見があるかがわかる。このことだけを見ても、今回の裁判には大きな意味があった。その中でも気になった意見について。その1、「外国人管理職を認めるとスパイが心配」もし、私がある国の諜報機関で幹部をしていたなら、日本には日本人のスパイを送る。なぜなら、「外国人が管理職になるとスパイが心配」という単純な人の疑いを受けなくてすむからだ。日本人でも「日本を売る」人はいる。決して「日本人だから安心」というわけではない。結論 スパイは外国人だけとは限らない。ある人によれば、日本はすでにスパイ天国だそうだ。その2、「どこの国でも外国人管理職は認めていない」これは説得力がありそうでいて実はそうでもない。すでに上で書いたが、少子高齢化が現実問題となっている日本が活力を取り戻すためには、外国人の力が必要だ。そして、どこの国もやっていないからこそ日本が先に外国人管理職を公務員で認めることが「先進的」になる。「他の国がやっていないから」というのは官僚的な前例踏襲主義でしかない。将来のことを考えて、日本が先にやるという勇気が必要だ。この日、もうひとつの裁判があった。桶川ストーカー殺人事件控訴審判決だ。この事件では、警察の対応が問題となった。事件は防げたのではないかという考えがこの裁判の根底にある。判決で捜査の怠慢による請求を東京高裁は棄却した。殺害のの予測は困難だったという裁判所の判断だ。一般人にしてみたら、「これで請求が認められなかったら、どうすれば認められるのか?」ということが大きな疑問として残る。国家賠償請求で勝つのがいかに難しいかを、この判決は示している。裁判は上告して争われる予定。**現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.26
先日、今話題のNHKが憲法についての特集番組を連夜放送した。「憲法については人によっていろんな意見がある」と言うのは一般論であり簡単だ。しかし現実は驚くほど多くの人が憲法について考えていなかったりする。ためしにそこらへんの人に聞いてみるといい。少し突っ込んだ話になれば憲法について人と話したことがなく、憲法についてのの考えもかなり曖昧だったりする。現実はこんなもんだ。私はこう考える。憲法を改正(改悪?)したい人たちは、「現状に憲法が合っていない」ということを主張する人が少なくない。果たして憲法というのはそんな軽いものなのか?私は違うと言いたい。憲法は現状に合うために存在するのではなく、将来にわたる国の基本的方針だ。だからこそ現状に合わないからといって改正するのは間違いだ。憲法の改正について国会議員でさえそのことを理解していないのではないかと私は危惧する。憲法改正を目指す国会議員で、日本の将来のビジョンをはっきりと示している者はいるか?そのビジョンを国民に向けて発信して説明できている国会議員はいるのか?こうしたことを考えると、いかに現在の憲法改正論議が危うい、机上の空論であるのかがよくわかる。早い話が憲法改正は議論以前の状態にあると言わざるを得ない。憲法と言えば、やはり九条だろう。 日本国憲法第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。まず、憲法を考える前に日本が太平洋戦争に突入したことの意味を考えなければならない。日本はハルノートを突きつけられ、真珠湾に攻撃をかけた。日本はどうして戦争を選択したのか?アメリカ中心の連合軍に勝てると思っていた?日本には神風が吹くと信じていた?少なくとも、過去の戦争について明確に語れない者が、未来の日本について語れるわけがない。どうして日本が戦争を選んだかは、各自で考えてほしい。敗戦(私は終戦とは言いたくない)後、日本は現在の憲法を定めた。憲法が「アメリカのつくった憲法」と言われることもあるが、日本はとにかく憲法を受け入れた。あたらしい憲法のはなし あたらしい憲法のはなし(イラストあり)この中に戦争放棄についてこんな表現がある。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。「放棄」とは「すててしまう」ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。現代の日本人は、この文章をどう読むのだろうか?ただ単に「古くて下らない理想論」と笑うだろうか?笑うのは簡単なことだ。しかし少しでいいからこの文章の意味を考えてみてほしい。憲法を改正したがっている人たちは、言葉は勇ましく耳に心地いいが、「どう戦争への道ニストップをかけるか?」という点において説得力がない。逆に、かつての社会党のように「非武装中立」を今でも信じている人たちは、「どう国を守るか」という点においてやはり説得力がない。追記もちろん憲法の問題は九条だけではない。宗教と教育の関係も問題とされる。以下の文章を読んでいただきたい。私立大学への補助や助成は憲法違反?国が私学に助成金を出すことは、何ら問題がないと考える人もいる。逆にこの問題を「九条改正への足がかり」と考える人もいる。この問題は、一部の国会議員も同じことを言っている。日本では一般的に、宗教について発言する人は少ない。だからこそ首相の靖国神社参拝もいつまでたっても解決しない。参考資料ALK方式憲法第1回一時間目最高の法としての憲法**現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.25
現在、女性天皇について議論がある。皇室典範に関する有識者会議の開催について皇室典範に関する有識者会議メンバー(首相官邸のページから) 岩男 壽美子 武蔵工業大学教授、慶應義塾大学名誉教授 緒方 貞子 国際協力機構理事長 奥田 碩 日本経済団体連合会会長 久保 正彰 東京大学名誉教授 佐々木 毅 東京大学総長 笹山 晴生 東京大学名誉教授 佐藤 幸治 近畿大学法科大学院長、京都大学名誉教授 園部 逸夫 元最高裁判所判事 古川 貞二郎 前内閣官房副長官 吉川 弘之 産業技術総合研究所理事長、元東京大学総長 (五十音順) それは秋篠宮以降、皇室に男が誕生していないため後継者がいないからだ。天皇になるためには「男系の男子」であることが必要とされる。(皇室典範 第一条)このままでいけば、現在の皇太子以降は天皇候補者が絶えて天皇制が危うくなる。それで女性天皇の登場が必要になった。選択肢は以下に示すとおり。1、女性天皇を認める。2、養子を天皇とする。3、天皇制を廃止する。(側室の復活ということもあるにはあるが、現実的ではない)今がチャンスとばかりに「男女平等」を主張する人がいるが、これは明らかにおかしいことだ。なぜなら、男女平等の前に長く続いてきた天皇制こそが、「日本人を天皇とそれ以外の人に分ける」人間不平等であるからに他ならない。それとも男女差別に拘る人たちは、男女差別さえなくなれば、天皇という人間差別はどうでもいいのか?天皇の候補者がいない現在は、天皇制を廃止するいいチャンスだ。どうせなら天皇制そのものをやめてしまおう。検索していたら、こんな意見が見つかった。女性天皇はいらない! 天皇制はもっといらない!あまりに私の主張に似ているのでびっくりした。今現実問題として天皇制廃止は不可能だろうが今にこの意見がどれだけ正しいかを、多くの人は知ることになるだろう。それには長い時間が必要になる。それまでの間、女性天皇が即位するだろうが、これには問題山積だ。第一に、今後の皇位継承順位は男女に関係なく第一子なのか?それとも男子優先とするのか。第一子なら次に述べる結婚問題が出てくる。男子優先ならまた皇室に男子が生まれなかったことを考えなければならない。第二に、女性天皇が結婚する時にその相手が問題となる。恋愛の相手が韓国人だったら、女性天皇は恋をあきらめるのか?相手が黒人だったら国民は納得するのか?そしてその黒人との間にできた子どもが将来天皇になるのか?これは右寄りの天皇大好きな人たちにとっては大きな問題だ。天皇制とは、一人の女性の恋を奪った上に成り立つ制度ということになる。こんないいかげんな制度だったら女性のために退位した、エドワード八世(ウィンザー公)日本版を作り出すことにしかならない。 エドワード八世(ウィンザー公)(もちろん女性に限らずともこうしたことは起こる可能性がある。イギリスで起こったことが日本でも起こらないとは限らない)第三に、現在女性皇族は結婚することで皇室を出ることになっている。この制度を今後どうするかが問題となる。**現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。ただし挨拶のできない人と荒らしはお断りです。トラックバックも受け付けています。その場合記事に関連しているものであればリンクなしで構いません。
2005.01.24
私が書いた日記から、新たな日記を書く人がいれば、それは私にとっても嬉しい。私は、フリーページで新聞の社説ができるまでの過程を公開してほしいと書いた。もともとこの文章はジャーナリズムではなく「国旗と国歌」についてのものだが、各新聞が独自色を出して国旗と国歌について意見を出し論争になったので、社説ができあがるまでに過程について素朴な疑問として書いたものだ。新聞は各社独自色がある。多くの人から右寄りと思われているような新聞社でも、社説が出来上がるまでは左寄りの意見があって議論があるのではないか?まさか同じ意見の人だけを新聞社は集めるわけでもあるまい。記者がみんな同じ意見だったらそれこそ新聞としてつまらないし、違う意見があるからこそ発見があり、進歩がある。もし、逆に記者みんなが同じ意見だったらそれこそ独裁政権下の文化的に貧困な国と同じだ。報道(表現)の世界ではそんな「ロボット記者新聞」に明日はない。国旗と国歌について この文章を読んだ人が、私の意見に同意して以下の文章にした。社説執筆までの議論を公開することは?(札幌から ニュースの現場で考えること)私の文章がきっかけになって、ひとつ世界が広がった。私の文章はこの人によって生かされたことになる。筑紫哲也によってネットは「便所の落書き」と言われたが、こうした広がりがあることによってネットの存在価値があるというものだ。ブログのトラックバックもこうした広がりに一役買っている。さらに、この文章を読んだ人がいて、社説についてこう書いた。新聞社説執筆までの議論公開完成された新聞は誰にでも簡単に読める。しかしその社説執筆までの過程は完成した紙面同様大切ではないのか?私にはその過程が気になって仕方ない。もちろん社説執筆までの過程というのは料理人の大切にしているレシピと同様に、新聞社にとっては大切なものだろう。けれども裁判でも最高裁大法廷では15人の裁判官がいて、少数意見も公開される。最高裁ができて、新聞に公開ができないわけがない。「いつでも公開」と私は言っているのではない。なるべく人によって意見が分かれる分野の社説を、試験的に公開してみる勇気のある新聞社はないものだろうか?たとえば以下のような話題について。1、天皇制の今後と女性天皇の可能性。2、日本の憲法改正と核拡散について。3、堕胎罪の空文化と少子化について。4、日本版「ミーガン法」の是非について。5、少年法のあり方について。6、有害図書の認定と扱いについて。7、難民の受け入れと外国人参政権について。8、15歳未満の脳死での臓器提供について。9、台湾独立について。10、日本人拉致事件で北朝鮮に経済制裁すべきか否か?11、原子力発電をどこまで進めるか。12、議員年金と定数是正。13、アメリカを京都議定書に引き込む作戦。14、医療過誤はどうしたら防げるか?こうした人によって意見が違うであろう問題をたったひとつの結論だけでまとめてしまう新聞の社説はいかにももったいないし、それでは報道の責任は果たしていないと言える。もちろん社説によっては「~の考えもある」という書き方をしているところもあるが、それだけではあまりにも報道としては不足だ。こうした試みは新聞社としての意味を再確認するだけでなく、面白い企画として売上が伸びるかもしれない。話題になったNHKへの圧力騒動にしても、結局は「報道とは何か?表現とは何か?」ということだ。表現する側だけでなく、普段何気なく新聞を読みテレビを見ている人にこそ、こうしたことを考えてほしい。(この日記はうまくまとまらないので、頻繁に更新することになるだろう)***現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.23
土曜日(22日)に「詩のボクシング」の全国大会が教育テレビで放送された。この大会には毎回いろんな意味ですごい人が登場するが、今回も優勝した林木林さんの近くには暗くて近寄りがたい空気があった。独特の雰囲気を持つ女性だ。「高齢者のアイドル」を目指すという林さんは、優勝候補であって観戦者から期待をかけながら優勝した。準決勝だったか、林さんが詠んだ「雨ニモ負ケズ」(宮沢賢治)のパロディーが私には一番出来が良かったように感じた。決勝での即興詩以外は慌てるところがなく、圧倒的な力を見せつけた。詩のボクシングでは、2003年の高校生全国大会で準優勝した高校生が、私には印象的だった。その高校生、竹岡佐緒理は詩に俳句を混ぜるという「俳体詩」で健闘した。高校生「詩のボクシング」全国大会in福井頼りない先生と、礼儀を知らない生徒の会話を先生の心の声で俳句にするその表現は、私が今まで知らなかったものだ。そして俳句と俳句は結び付けられてひとつの詩になる。「先生と 生徒は呼ぶよ ため口で」「ダメじゃんは 三河弁だよ 夏樹さん」「先生の 威厳たもてず 草むしり」「心配の 出来るいい子ね 夏樹さん」何てことない俳句の後、「間」がすごく言葉の力を見せていた。彼女の斬新な表現方法に私は驚いた。だが決勝戦では即興の詩をその場で与えられたテーマで作らねばならなかった。結局この高校生は即興で俳句に結びつけることができず、優勝はできなかったが将来に向けて大きな可能性を見せた。もしこの大会がオープンだったら、私は決勝にNHKの加賀美幸子と女優の戸田恵子が残るのではないかと推測する。この二人は圧倒的に強い。そして上手い!加賀美幸子は「NHKアーカイブス」で存在感のある案内役だ。2003年5月の「未来少年コナン」では、彼女の朗読がいかに上手いか衝撃を受けた。作家よしもとばななの文章を読む加賀美幸子は、人間国宝、世界遺産に登録したいほどの言葉の力を示した。(この文章は後に読書の雑誌である「ダ・ヴィンチ」でも紹介された。もちろん文章もよかった。)NHKアーカイブス『未来少年コナン』コナンのこと (よしもとばなな) 加賀美幸子には、是非「残しておきたい美しい日本語」ということで朗読をデジタル録音してほしい。彼女こそは、日本が誇る言葉という名の文化である。戸田恵子は、「いつでも会える」(菊田まりこ)の朗読で、その実力がよくわかった。現代に、朗読で力を発揮できて後の世に残しておきたい人はいるのだろうか?そして、そうした人を私たちは正しく評価できているのか?「詩のボクシング」・公式ページ*現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.22
この世には、人を殺す仕事が現実にある。例えば一部の警察官は拳銃を持っている。つまり「人を殺すかもしれない」ことが容易に想像できる。そして確実に人を殺している。過去、広島県で起こった客船乗っ取りの「ぷりんす丸」事件では、警官がライフルを使って犯人を射殺したが、後に殺人として告発された。(「告発」と書くべきところを「告訴」と書いたため07年5月18日訂正)結局この件は不起訴処分となったが、射殺した警察官は、さぞ気分が悪かろう。「人を助けるため」とはいえ、長い間この射殺を悩んだかもしれない。この件での告訴には私も大いに疑問があるが、人を殺したことには何ら変わりがない。客船「ぷりんす」を追跡せよ 瀬戸内シージャック事件死刑を執行する刑務官も人を殺す。この件については「13階段」(高野和明)を読んでもらいたい。死刑執行に関するプロセス 元刑務官の方のお話死刑執行の刑務官は「人を殺したこと」について、悩まないわけがない。子どもに向かって「お父さんは人を殺す仕事もしている」とは言えないだろう。死刑を執行した刑務官の悩みは大きくて深い。死刑について賛否両論あるが、実際に死刑を執行する刑務官のことも少しは考えてもらいたい。死刑がある限り、刑務官の苦悩は続く。医師は多くの場合人を助ける。そのために医師はいる。しかし産婦人科医は時に堕胎する。その数は年間30万件以上、合計で3000万件と言われている。(この数字には疑問を投げかける人が多い。闇で堕胎することがあるからだ)人間の始まりにはいくつかの説がある。刑法の一部露出説、民法の全部露出説などだ。堕胎が人殺しにならないということは言い訳としては成り立つと主張する人がいる。法医学講義 児童虐待・嬰児殺 堕胎は殺人ではない?「年間34万人の死者」私は疑問に思う。堕胎は人になるべき胎児を殺すことにならないか?しかも、胎児を取り出すのが人を助けるために技術を学んだ医師だというのがまた理解できない。医師は堕胎をして空しくならないか?どこか矛盾を感じないか?どうして堕胎は社会問題とならないのか?私は一部カトリック信者のようにすべての堕胎が悪いとは言いたくない。中には遺伝病、母体の危険性など堕胎が必要なものもあるだろう。だがその反面、気軽に堕胎している人はいないだろうか?避妊すれば母体も危険がある堕胎をして胎児を闇に葬らなくてもすむ。しかも年間30万件と言えば、大虐殺ではないか?かの南京大虐殺も中国側は犠牲者30万人と主張している。私は南京大虐殺の30万人という犠牲者については否定的だが、現代の大虐殺はむしろ堕胎にあるのかもしれない。 「日本の戸籍制度が堕胎を誘う」という言い分もあるようだが、私はこの考えには賛成できない。日本の戸籍制度は確かに古くて私生児には厳しい。なくそう婚外子の差別しかし、「望まない妊娠」の前に避妊すればいいだけの話だ。現在、クローン人間に対する技術が進んで人間のクローンも可能になる時代が来るだろう。クローンは問題が多いとする人も、堕胎が人殺しの行為だということを気にしているわけではないようだ。かつて、交通事故で年間1万人が死んだ。交通事故の1万は問題で、年間30万人以上の堕胎は問題ではないのか?自殺者が年間3万人以上になって、社会問題になっている。それでは堕胎で産まれなかった30万以上の命は問題にならないのか?少子化による人口の減少は、今や政治問題だ。しかし堕胎は野放し状態。これで日本は本当に人口を増やそうとしているのか?狂っている。何かが間違っている。では自衛隊員はどうか?自衛隊員の一部は銃を持っている。銃は人を傷つけるための道具だ。引き金を引くことによって人は簡単に死ぬ。そして簡単に、確実に人を殺すことができる。正直に書くが、現在イラクに行っている自衛隊員が誰も死なず、誰も殺していないのは運がいいだけの話だ。いつ人を殺したり、自衛隊員が殺されたりするかは誰にもわからない。日本にいる人たちも、「どうすれば自衛隊は撤退するのか?」ということはほとんどの人がわかっていないし、自衛隊のイラク派遣に賛成している人ばかりではない。自衛隊イラク派遣延長に「反対」63%>NHKの世論調査によると、自衛隊のイラクへの派遣を延長することについて、「賛成」が26%だったのにたいし、「反対」が63%と3分の2近くを占めました。つまり、日本政府は多くの日本人を「よくわからない状況」で、「決して賛成が多い状態」でなく、「運によって」イラクに自衛隊を派遣している。これでいいのか?日本人を人殺しにしたい?日本人がイラクで殺されることをどう思う?それは明日かもしれない。今日かもしれない。それともアメリカのために、日本は自衛隊を犠牲にしているのか?イラクへの自衛隊派遣は、「国際貢献」ではなく「アメリカ貢献」ではないか。私はイラクへの自衛隊派遣に反対する。自衛隊員よイラクへ行くな。誰も死なないために。誰も殺さないために。関連記事戦争で人が死ぬということ友人がイラクへ派遣*現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.21
日本政府は以前から外国人、ことに難民に対して「伝統的に」冷たい対応を取る。今回のことも家族を分けてトルコに戻すことが一番の方法なのか?政府はこんな官僚的、杓子定規なことしかできないのか?とにかく下の報道を読んでいただきたい。クルド人親子を強制送還 国連の難民認定者で初(河北新報社 2005年01月18日火曜日)日本政府に難民認定を求めたが不認定とされ、東京入国管理局に収容されたトルコの少数民族クルド人のアハメト・カザンキランさん(49)と長男が退去強制処分となり18日午後、トルコに送還された。支援者が記者会見し明らかにした。 カザンキランさんは国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の難民認定を受けており「認定された人が送還されたのは日本では初めて」(UNHCR駐日地域事務所)という。 大橋毅弁護士は「退去強制処分の取り消しを求め最高裁で係争中なのに送還するのは不当だ」としている。もうこの親子は強制送還は実行されたが、同じことを繰り返さないためにできることはある。法務省なり(あの法務大臣が頼りない!)、首相官邸なりに抗議するという手もある。アムネスティ・インターナショナルのコメントUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)、前例のない難民の強制送還に懸念国連マンデート難民:クルド難民(トルコ出身)の本国への強制送還に対する難民支援協会声明国際的信頼を無くす強制送還糾弾!難民問題と日本 I(外務省ホームページから)難民の地位に関する条約 難民の地位に関する議定書クルド人は、一言で言うなら「国を持たない民族」で、イランやイラク、そしてトルコなどに分散して住んでいる。この点で、パレスチナ問題とクルド問題には共通点がある。第一次世界大戦後の1920年に結ばれたセーブル条約ではクルドの自治、独立が約束されたかに見えたが、1923年、ローザンヌ条約により約束は反故にされた。現在少なくともクルド人は3000万人いると言われている。日本人にとって、「国がない状態」というのがあまりなじみがないと思う。ここはどうか想像力を働かせて考えてほしい。3000万人もの人がいて、民族自決が認められないとそれは大きな問題だ。民族自決 クルド人問題とは クルド人について他の民族との軋轢から大規模な人権問題にもなっていると聞く。軋轢というよりも迫害と言ったほうがいいのかもしれない。超超ダイジェスト版クルド問題 クルド問題サイトこの件の事情はここに出ています。クルド難民 強制送還を許すな!記憶に新しいところでは、去年こんなことがあった。タイ人少女を助けます?追い出します?タイの少女に署名6000人!確かに難民認定を判断するのは困難がつきまとう。日本の官僚的政策からしたら送還が適当ということになるのだろうが、困っている人間に対して何とかならなかったのだろうか?今回の判断をした人は、強制送還になるのが自分の兄弟でも同じ判断をするのか?「外国人だから」とか、「自分には関係ないから」と、どこかで考えていないか?現在裁判中ということなら、せめて判決が確定するまで強制送還を待つことができなかったのか疑問に思う。それができないなら、せめて身柄を第三国に一時的移送することも選択できたはずだ。日本は自衛隊のイラク派遣でも「人道的」と言い、北朝鮮に米や医療品を送るのも「人道的」と言う。しかし、クルド難民には「人道的」とは言わないで強制送還する。この件では6万名を超える署名も集まり、希望もあるかと思われたが、結果は裏切られた。日本政府は今後も困っている人に冷たい対応をするのだろうか?家族を別れさせることが日本のやり方?これが津波なら人を助ける国のすることとは思えない。(強制送還された親子についてその後)ある方から、その後この事件についてのレポートが来たので紹介する。トルコ「CNNトゥルク」の1月19日付けのオンライン紙面から。>49歳の父アフメット・カザンクランは、アタテュルク空港(※イスタンブール空港のこと)の保護局本部にて保護観察下に置かれた。アフメット・カザンクランは、トルコにおいていかなる罪状からも捜査対象とならないことが判明し、解放された。息子のラマザン・カザンクランは、兵役逃れという理由により、兵役局に送られた。この記事からは、身の危険はなかったようにも読める。そしてこの記事を送ってくださった方からは、以下のようなコメントをいただいた。>テレビなどでは、色々な分野での識者が、クルド人の過去受けてきた迫害などの歴史について語ることでしょうが、時代は確実に変化していること、10年前とは現在のトルコは違うということ。これは他の方々へもぜひお伝え願いたいと思います。こうした情報は日本では得にくいのでとてもありがたい。また、違う視点からのコメントも今回の騒動を考える参考にしたい。追記その後、民主党と社民党がこの件で抗議したと報じられた。送還された親子はトルコでどうなったのだろうか?難民認定を受けた人を強制送還する国。それが日本なのか?これでいいのですか?追記その2官僚は家族を離れさせることが仕事なのか?多分そうなんだろう。そう言えば最近、法律家を目指すとかいう学生が私に文句言ってきた。その学生は都合の悪いことになると「興味がない」と言って逃げるのが常套手段だった。事の善悪に対して「興味がない」と言い切ってしまうところがすごい。なるほど、今回の強制送還も官僚は「興味がない」と言ってクルド人を飛行機に乗せたんだろうなあ。日本の将来は明るい!*現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.20
広島高裁で外国人被爆者に関する注目すべき判決が出た。広島で被爆、韓国人原告が逆転勝訴…国に賠償命令(読売新聞 1月20日1時36分更新)太平洋戦争中に強制連行され、広島市で被爆した韓国人の元徴用工40人(うち19人は死亡)が、国と三菱重工業(東京)などに総額約4億4350万円の損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決が19日、広島高裁であった。 被爆者が出国した場合に手当の受給権を失うとした1974年の厚生省(現厚生労働省)局長通達について、西島幸夫裁判長は、「被爆者援護法の解釈としては認められない」などと述べ、請求を棄却した1審判決を変更、国に対し、原告1人あたり慰謝料など120万円、総額4800万円の賠償を命じた。 在外被爆者対策をめぐり、国に賠償命令が出るのは初めて。国や三菱側に対する強制連行・労働の不法行為、未払い賃金の請求については、時効などを理由にすべて退けた。原告は三菱側について上告する方針。 判決によると、原告は1944年から広島市にあった旧三菱重工業の広島機械製作所などで働き、翌45年に被爆した。西島裁判長は、局長通達について、「通達は、国籍にかかわらず被爆者を広く援護しようとする人道的な法の適用を否定するに等しい」とも述べた。 原告らの精神的損害については、「(国が被爆者として認定した)被爆者健康手帳の所持の有無にかかわらず、(原告らの被害に)差異はない」との判断を示した。 一方、強制連行・労働に関し、国については「不法行為が成立する余地がある」とし、三菱については、原爆投下後に十分な食事を与えず放置したなどとして、安全配慮義務違反を一部認定。国側が主張した旧憲法下の国の行為は、責任を問えないとする「国家無答責論」を退けた。 しかし、国や三菱の不法行為に関しては、行為の時点から20年が経過すれば、損害賠償請求権が消滅する民法上の「除斥期間」の規定を適用。未払い賃金についても、請求権の消滅などを理由に退けた。 弁護団長の在間秀和弁護士の話「通達の違法性が認められた点は画期的な判決。今後、戦後補償に与える意義は大きい」この判決が画期的なのは、地裁でなく高裁で原告が勝訴したという点だ。外国人被爆者に国の責任を認めたというのも注目すべき。このまま2週間が経てば、判決は確定する。しかし、国側が上告すれば長い戦いがまだ続く。国はメンツがあるから上告も考えられる。「この判決が許されたら」という恐怖感がいつも国にはある。もうひとつ注目したいのは、「強制連行」という言葉だ。各新聞やテレビでは、どう報道するのか、「強制連行」という言葉を使うのか気にして見たい。中には「強制連行はなかった」という人も新聞もあるだろう。特に新聞の社説はよく読んでおいて損はない。「強制連行」に対する各社の考えがこれではっきりする。(強制連行については、追記があります)私はここで強制連行についてあったとかなかったとか言わない。また水掛け論になるのは目に見えているし、そもそも強制連行の定義が曖昧だ。定義がはっきりしないものを話しても感情論になるだけだ。(これは慰安婦問題についても同じことが言える)感情論にならずに定義を決めることは不可能なのだろうか?また、広島や長崎で被爆したのは何も日本人だけではない。被爆者は高齢化が進んでいる。援助するなら今しかない。外国人被爆者 朝鮮人被爆者日本で被爆した以上はどこの国籍であろうと、どこの国に住んでいようとも被爆者に違いない。国籍や住んでいる国による、日本政府の差別が問題になっている。これは、日本政府が放置すると未来にまで問題が残る。(中国新聞社社説 在外被爆者 控訴 説得力ない国の論理)被爆者援護施策充実についての要請韓国の原爆被害者・在外被爆者に関する情報のページ世界へ移り住んだ被爆者(中国新聞)****この事件に関する注釈*****この事件では、旧厚生省1974年によって出だされた、「402号通達」が問題になった。これは旧厚生省公衆局長によるもので、被爆者健康手帳の取得と健康管理手当ての給付について外国に住む被爆者を差別する内容になっている。この通達は2002年末の大阪高裁判決の後、廃止になった。現在では一度、被爆者健康手帳を取得して健康管理手当ての需給権を得れば、日本にいなくても手当てを給付できるようになった。そして、今年に実現できると思うが海外にいる被爆者には、海外での医療機関でかかった医療費を日本の被爆者同様に公費で支払う制度が始まる予定になっている。しかしながらこれで問題が解決したわけではない。来日しない限り被爆者健康手帳を交付しないことに変わりはないし、支給認定しないことには根本的な解決にはならない。追記20日の朝日新聞社説には、私とほとんど同じ意見が掲載された。あまりに意見が私と似ているので、読んでいて「そうなんだ!」と言ってしまいそうになってくらいだ。ぜひ一度読んでみていただきたい。朝日新聞社説の主張でもあるが、日本政府はこの裁判で上告しないでもらいたい。被爆者は被爆という被害をすでに受けた人だ。その人を差別してきたのは日本政府ではないか?しかも原告は高齢化が進んでいる。ハンセン病裁判での決断を思い出し、政府は上告しない判断を望む。読売新聞(20日)は社説での掲載が見当たらなかったが、「強制連行」という言葉は使っていた。ところが、やはりと言うべきか産経新聞(20日の30面)は「国民徴用令に基づく徴用」と表記した。面白いもので、東京新聞は強制連行について判決が、「国民超用例を逸脱した行為と考えられる」と判断していると報道したことだ。多くの人は産経と東京を重ねて購読していないだろう。こうした報道の違いは、複数の新聞を読んで比較して初めてわかることだ。*現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.19
ある犯罪者を「鬼畜」と呼ぶ人がいる。そして犯罪者でないのに人を「鬼畜」と呼ぶ人がいる。鳩ポッポ9098さんのある掲示板での発言。>鬼畜ルメイも無差別爆撃の意思を明確に示していますし、故意犯である事は、自明。(2005年01月18日 12時23分)故人とは言えども人に向かって「鬼畜」はないだろう。それともルメイは戦争犯罪人として有罪になった証拠でもあるのか?「レッテル貼り」はこの人がかなり嫌っていることだ。私はこう指摘した。>「鬼畜ルメイ」か?仮にも人を「鬼畜」と呼ぶのは故人であっても君の好きな違法行為になりかねないぞ。>日本政府は彼に勲一等旭日大綬章を与えたこともお忘れなく。日本人にとってはすごい皮肉だが。(2005年01月18日 12時55分)鳩ポッポ9098さんの返信はこう。>ああ、確かに。訂正します。普通に「ルメイ」に訂正。管理人様、失礼しました。(2005年01月18日 13時17分)この人、違法行為を指摘したがるくせに自分では差別発言を私に指摘されるまでわからないらしい。慌てて訂正するのは哀れでもあった。困った人だ。この人の感覚を疑う。この人、こんなことを言っている。 ここだ。>「人殺し」=違法行為>「戦争」=合法行為(2005年01月17日 20時48分)>法律家志望だから、合法かどうかにこだわるのは、当然ですかね(笑)(2005年01月17日 21時12分)ルメイは裁判にかけられたか?有罪になったか?鳩ポッポ9098さんは犯罪者でない故人を侮辱するのか?その根拠は何だ?鳩ポッポ9098さんの「合法かどうかにこだわる」というのは、都合のいいときにしかこだわらないことらしい。素晴らしいバランス感覚だ!この人が「法律家志望」というのがまた笑わせる。こうした人が法律家になることが恐怖だ。この人は法律家になっても、犯罪者でない人を「鬼畜」と呼ぶのか?この人法律家志望なのに、リーガルマインドは学ばないらしい。鳩ポッポ9098さんは「レッテル貼り」が嫌いなようだが、ルメイにレッテルを貼ったのは鳩ポッポ9098さん自身ではないのだろうか?法律家にもいろんなのがいる。横山秀夫の小説に居眠りする判事の話があるが、これは現実にもある。「居眠り裁判官」許せん居眠りならまだいい。差別発言する判事なら問題だ。鳩ポッポ9098さんはどんな法律家になるのだろうか?追記鳩ポッポ9098さんは自分の掲示板でこんなことを言っている。>貴下とは違って、誤りは訂正する主義なんだよ。ああ、指摘してくれた事については礼をいうよ。ただ、その事を根拠に貴下に非難される覚えはないね。私は、貴下のいかなる権利を侵害したわけでもないのだからね。(2005.01.19 10:24)これは大きな矛盾だ。この人、私に対しては隼瀬氏や通行人B氏のことについて非難している。こんな感じに。kimdongsungさんの日記コメント>通行人B氏?だから知った事ではないのですが。貴下が、私のHPで彼に不穏当な言葉を投げかけたのは事実。(2005年01月17日 19時04分)>彼女からメールを受け取った。でなければ、あんなおぞましい事、知る由もありません。あれは下手すれば、本当に「名誉毀損」になるかもしれませんよ。貴下は、「メール」という私信をいたずらに摘示しているわけですからね。まあ、名誉毀損は親告罪ですから、彼女が法的手段に出なければ、事は始まりませんが。無論、鳩は、彼女にそういった手段をお勧めする等という下衆な真似もしませんがね。 (2005年01月17日 21時31分)私が隼瀬氏や通行人B氏のことで鳩ポッポ9098さんの権利を侵害したのか?彼の言うことが正しいなら、私は鳩ポッポ9098さんから非難される理由はない。ポッポ9098さんは自分の都合で発言しているようだ。ルメイの件では私の権利を侵害していないと言い、私には隼瀬氏や通行人B氏のことで非難する。これは大きな矛盾だ。人は他人のことで人を非難していいものなのか?いけないのか?ポッポ9098さんのように矛盾した人の意見にこれ以上振り回されるのは意味がない。さらにポッポ9098さんはこう反論(?)している。>その事を「根拠に」非難、即ち『「感覚を疑う」等と書かれる覚えは無い』、と言っているのだよ。行為自体に対する非難は受けて、訂正しているはず。>通行人B氏の事は、「私の」ブログに書かれた以上、私は「関わりの無い人間」では済まない。彼女の事にしてもね。もっとも、私は「行為の非難」をしているのであって、貴下と違って貴下の内面に対する非難はしていないはずだがね。>あ、それと彼女はもうこの件を蒸し返して欲しくないとおっしゃっている。私ももう取り上げないから、貴下も自重して下さい。(2005.01.19 14:54)この反論(?)がおかしいのは、「権利を侵害したわけでもない」ということが抜けている点だ。そのことをポッポ9098さんは議論から逃げている。「権利の侵害」はどこに消えたのだろうか?勝手な詭弁で逃げるのは彼らしいやり方だ。そして、「蒸し返して欲しくないとおっしゃっている」と言いながら、ポッポ9098さんがこの議論を始めたことは確かだ。この人、自分で蒸し返しておきながら「私ももう取り上げないから」などと勝手なことを言っている。最初からポッポ9098さんがこの問題に触れなければよかったのだ。向うから、「権利を侵害したわけでもない」問題に対して文句を言ってきているのに、「私ももう取り上げないから」というのは勝手極まりない。この人の感覚を疑う。自転車の馬券師さんの日記でのショータ72さんの発言 >カーチス・ルメイは鬼畜です。 私は私の責任において、スターリンやポルポトやヒトラーや宮崎勤や宅間守や小林薫と同じように、カーチス・ルメイを「人の道に著しく外れた行いをした者」を評する時に使う言葉である、「鬼畜」と呼びます。(2005年01月18日 14時19分)そうではない。人は鬼畜ではない。人間だ。人間だから殺した者は裁判にかけられる。人間として処罰も受ける。もし本当に鬼畜だったら駆逐すればいい。しかし、人を殺すのが人間だから問題なのだ。人は鬼畜ではない。一時話題になったが、「犬のうんこも肥料として使えるのに、そんな暴走族はリサイクルできない産業廃棄物以下」と発言した判事がいた。「産廃以下」発言:「裁判官は市民の気持ち代弁」この発言には判事に「よく言った!」という反応が多いようだが、暴走族とは言えども人間にはかわりがない。人間は、決して産廃とか鬼畜ではない。人を「鬼畜」と呼べば、何かが解決する?解決するなら私もそうしよう。*現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.18
鳩ポッポ9098さんが以下のように反論してきた。こちらも再反論する。>りゅうちゃんミストラル様への最后通牒 >りゅうちゃんミストラル様、貴下はご自分の立場もわきまえず、勝手な要求を突き付けて、尚且つ通行人B様にも不適切な言葉を投げかけられた。立場って何?どんな立場?不適切な言葉というのも意味不明。しかも通行人Bは私に質問してきて反対に私の質問に答えられず、自分からページを削除して逃げた。加えて脅迫事件を捏造するというおまけまでついている。通行人Bまったくやり方が汚い。鳩ポッポ9098さんはこの点をどうやら理解していないようだ。この人には脅迫事件の捏造など何でもないのだろうか?詳しくはここに書いてある。特に後半部分に注目してほしい。通行人B氏逃げた! そして脅迫事件!通行人B氏はこう言っている。>観測所の「りゅうちゃんへの質問」内での私の捏造発言についてお詫び申し上げまず。確たる根拠もないまま、「捏造」という表現を用いてしまったことにより、りゅうちゃんミストラルさんのネット上の信用を失墜させてしまい大変申し訳ありませんでした。以後このようなことがないよう注意し、自重のため当面Blogを作成しないことを約束いたします。本来ならHP上でおこなうべきだと思いますが、場合が場合だけにこのような形になってしまったこと、どうかご容赦下さい。不適切な言葉を私に浴びせたのは通行人B氏のほうだ。謝罪して当然。掲示板公開についても通行人B氏はこう言ってきた。>すみません私が全て間違っていました。つまりは通行人B氏の全面謝罪だ。鳩ポッポ9098さんは行した事実を見ていないのだろうか?鳩ポッポ9098さんの反論を続けて見る。>鳩が、どれ程怒りをこらえているか、貴下には分からないのか!わからない。この人、世界の中心にいるとでも思っているのだろうか?どうして鳩ポッポ9098さんの怒りがわかるというのか?私は読心術師でもなんでもない。>通行人B様に対し、貴下は「通信の秘密」を根拠に非難されているようだが、貴下自身のHPを御覧なさい!貴下と関わるのが嫌で、やむなく書いた女性の謝罪文を掲載して、ガキのように勝ち誇っている自身の恥を知りなさい。この事には、さすがに鳩も怒りを禁じえません。君に何がわかるというのか?女性の謝罪文というのは「ブラボー発言」を指摘した私に向かって「揚げ足取り」「お門違い」と誹謗中傷した隼瀬氏の書いたものと想像するが、君にはまったく関係ない。悪いものは悪い。だから彼女も謝罪した。しかも隼瀬氏が謝罪文を「貴下と関わるのが嫌で、やむなく書いた」と言うのなら、最初から彼女も「揚げ足取り」「お門違い」と私を根拠なく誹謗中傷しないことだ。隼瀬氏は想像で私のことを誹謗中傷した。このことは彼女の謝罪文からもわかる。隼瀬氏の謝罪文掲載>勿論、こういう事をする貴下に私が謝罪などする訳がない。貴下が当ページに書き込むのは自由にしておきましょう。ですが、最后通牒として、申し述べ候。爾後、当方、りゅうちゃんミストラル氏を相手とせず!以上。 (2005.01.15 16:25)なんだかわけのわからない反論だ。この発言はどうなったのだろうか?>貴下の新たに付け加えられた部分、一個一個反論して欲しければします(2005.01.14 16:56)私はこう言ったのに。>>すべて反論してみるといい。(2005.01.14 18:09)結局向こうは反論しないようだ。だったら「反論して欲しければします」なんて言わなければいい。追記鳩ポッポ9098さんのある掲示板での発言。>鬼畜ルメイも無差別爆撃の意思を明確に示していますし、故意犯である事は、自明。(2005年01月18日 12時23分)故人とは言えども人に向かって「鬼畜」はないだろう。「レッテル貼り」はこの人がかなり嫌っていることだ。私はこう指摘した。>「鬼畜ルメイ」か?仮にも人を「鬼畜」と呼ぶのは故人であっても君の好きな違法行為になりかねないぞ。>日本政府は彼に勲一等旭日大綬章を与えたこともお忘れなく。日本人にとってはすごい皮肉だが。(2005年01月18日 12時55分)鳩ポッポ9098さんの返信はこう。>ああ、確かに。訂正します。普通に「ルメイ」に訂正。管理人様、失礼しました。(2005年01月18日 13時17分)この人、違法行為を指摘したがるくせに自分では差別発言を私に指摘されるまでわからないらしい。慌てて訂正するのは哀れでもあった。困った人だ。この人、こんなことを言っている。 ここだ。>「人殺し」=違法行為>「戦争」=合法行為(2005年01月17日 20時48分)>法律家志望だから、合法かどうかにこだわるのは、当然ですかね(笑)(2005年01月17日 21時12分)ルメイは裁判にかけられたか?有罪になったか?鳩ポッポ9098さんは犯罪者でない故人を侮辱するのか?鳩ポッポ9098さんの「合法かどうかにこだわる」というのは、都合のいいときにしかこだわらないことらしい。ルメイを「鬼畜」と呼んだことでよくわかった。この人が「法律家志望」というのがまた笑わせる。こうした人が法律家になることが恐怖だ。この人法律化志望なのに、リーガルマインドは学ばないらしい。鳩ポッポ9098さんは「レッテル貼り」が嫌いなようだが、ルメイにレッテルを貼ったのは鳩ポッポ9098さん自身ではないのだろうか?この人の感覚を疑う。追記鳩ポッポ9098さんは自分の掲示板でこんなことを言っている。>貴下とは違って、誤りは訂正する主義なんだよ。ああ、指摘してくれた事については礼をいうよ。ただ、その事を根拠に貴下に非難される覚えはないね。私は、貴下のいかなる権利を侵害したわけでもないのだからね。(2005.01.19 10:24)これは大きな矛盾だ。この人、私に対しては隼瀬氏や通行人B氏のことについて非難している。こんな感じに。kimdongsungさんの日記コメント>通行人B氏?だから知った事ではないのですが。貴下が、私のHPで彼に不穏当な言葉を投げかけたのは事実。(2005年01月17日 19時04分)>彼女からメールを受け取った。でなければ、あんなおぞましい事、知る由もありません。あれは下手すれば、本当に「名誉毀損」になるかもしれませんよ。貴下は、「メール」という私信をいたずらに摘示しているわけですからね。まあ、名誉毀損は親告罪ですから、彼女が法的手段に出なければ、事は始まりませんが。無論、鳩は、彼女にそういった手段をお勧めする等という下衆な真似もしませんがね。(2005年01月17日 21時31分)私が隼瀬氏や通行人B氏のことで鳩ポッポ9098さんの権利を侵害したのか?彼の言うことが正しいなら、私は鳩ポッポ9098さんから非難される理由はない。*現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.17
奈良で起こった女児誘拐殺人事件の影響で、過去に性犯罪で有罪になった者の情報をどうするかに焦点が集まっている。その裏には「犯罪を抑えられない社会」に対する多くの人のいらだちがある。アメリカにはミーガン法という法律がある。アメリカでは州によって法律が違うが、この法律は連邦法だ。日本同様にアメリカでも凄惨な事件からこうした法律が成立した。法律の名前になっているミーガンは、犯罪被害者の女児だ。ミーガン法(はてなダイアリー)日本でも同様の法律を成立させようという動きがある。だが、日本でこの法律が成立するためにはある種の条件が必要になるというのが私の考えだ。その条件を今から説明する。思い出してほしいのだが、オウム真理教の教祖だった男の娘がある大学から入学拒否された。そして市町村が信者の住民票を受け付けず、子どもが就学拒否をされるというあからさまな違法行為が起きた。しかしオウム真理教に対する破壊活動防止法の適用には多くの人が反対する。「オウム真理教に対する破防法棄却決定の検討報告書」(要旨 日弁連のページから)これが日本の現状だ。駄目なら駄目で法律を作って適用すればいい。法治国家とはそういうものではないか?詳しくはここを読んでもらいたい。江川紹子ジャーナル モザイクの中の人権を護れ!こうしたことを書くと、「お前はオウムを弁護するのか?」という批判が来る。だがそうではない。私もオウムがしたことはとても許せない犯罪だと考える。何人もの人を殺害した歴史に残る重大犯罪だ。しかし、犯罪に関与した者に対して警戒するのではなく、犯罪に関係しているとは言えない人(犯罪者の家族など)の権利まで奪うことが果たして法治国家日本のすることなのか?犯罪者の家族は法律無視で犯罪者として認定されるのか?私はこの点を問いたい。自治体は神様ではない。ましてや裁判所でも検察庁でもない。単なる機関でしかない自治体が、法律を守らずに住民票の受理をしないとか、就学を拒否するとかしてもいいものだろうか?いいわけない。このことは何もオウムのことだけではない。もし日本版ミーガン法が成立したら、とてつもない差別が起こるのではないか?私はその点を大いに危惧する。日本という国が特別なのか、どうもひとつのことで問題を解決したがる風潮があるようだ。こんな意見がある。 発言の主はろむ猫さん。>児童ポルノ雑誌を購入しその雑誌相手に自慰行為をしているだろうと思えるようなやからがすぐ近所に住んでいたとしたら?私に子供がいたとしたら、まずは近づかないように注意を促し学校・ご近所に一報、更には警察にも一報入れるでしょうね。子供の送迎もするかもしれません。いえするでしょうね。子供がいなくても学校・ご近所・警察には一報いれるでしょう。その人間に犯罪歴がなかろうが、そんなことは知ったこっちゃないです。この行為は、十分に偏見からくる差別行為だと自認いたしております。この場合、逆切れを想定すると批判だけすることの方が怖いですしこういう行為をもってでも危惧は回避できないと考えております。こうした気持ちがわからなくはない。犯罪に子どもが被害者とならないように自衛するのも悪い考えではない。私も児童ポルノには何らかの規制が必要だと考える。しかし犯罪者でもない、性犯罪の前科があるわけでもない人を差別するとしたら看過できない問題だ。犯罪者でない人を犯罪者扱いする権利は誰にもない。素朴な疑問として、「児童ポルノ雑誌を購入しその雑誌相手に自慰行為をしているだろうと思えるようなやから」をどうやって判断、認定するのだろうか?自慰行為を確認のために見に行くのだろうか?本屋の前で張り込みでもするのか。それともこの人の想像で判断するのか。だとしたら現代の魔女狩りだ。児童ポルノ雑誌を購入した段階で、その人は犯罪者扱いになるのか?しかも、その基準は何だ?人が恣意的に他人を犯罪者扱いしていいわけがない。法律で解決できないから自分で何とかするというのは法治国家の否定でしかない。どうせなら多くの人が満足できるような法律改正に向けて陳情でもすればいい。まず差別ありきではなく、できることはある。刑務所内での教育とか、実現可能なことにもっと目を向けよう。しかも、日本版ミーガン法が成立したとしても、その効果は未知の部分が多い。ミーガン法が求められている根拠として再犯率があるが、数字としての信憑性に欠けるとの話もある。こうしたヒステリックな考えがあるから、私はミーガン法をすぐに賛成できない。これはテレビである弁護士も同じことを言っていた。最終的には日本でも新たな法律で性犯罪を防ぐことが必要になる日がくるかもしれない。私自身も現状で満足しているわけではない。しかしその前に多くの人の意識改革が必要だ。性犯罪で仮釈放になった人、刑を終えた人を警察が監視するということも最近は議論の対象になっているが、警察がもっと信用できる存在だったら賛成してもいいが、現状はそうではないところが残念だ。児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の一部を改正する法律案(第159回国会衆法第43号)新旧条文対照単純所持罪/単純製造罪の問題点児童ポルノ法関連情報追記ろむ猫さんから反論(?)が来た。>そうですね、私はヒステリックですね。そうですね、違反行為があってから対処いたしましょう。違反行為というものが、何を示しているのかは理解に苦しみますが。この人は私の日記をよく読んでいないようだ。もし、児童ポルノの単純所持を違法行為としたいのなら、そのように法改正できるよう陳情したらいい。それが法治国家に生きる者のやり方ではないか?児童ポルノの単純所持に関しては、議論の余地はある。ことに奈良の女児誘拐殺人事件があった今ならなおさらのこと、児童ポルノの単純所持に対して理解者が増える可能性はある。法律強化を訴えるなら今だ。さらに追記最近やっと話題になった裁判員制度がある。私はこの制度についてもヒステリックな人がいるために制度として成り立つのか大いに危惧している。性犯罪でも裁判員でも、「悪を憎む」ことと、「ヒステリックになる」ことの区別をつけていただきたい。*現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.16
こんな日記がある。 戦後60年(自転車の馬券師)>私は戦争を知らない世代の日本人です。第二次世界大戦の終戦から60年がたつ今年、戦争についての疑問を書いてみたいと思います。何方様でも結構ですので質問に答えていただけると幸いです。疑問戦争責任はなぜ敗戦国にのみ問われるのですか、勝てば官軍、負ければ賊軍と言う事なのですか?戦争は人を殺します、南京での虐殺は責められて、なぜ二発の原爆投下という大量殺戮は責められないのですか?在日朝鮮人は、なぜ祖国に帰ろうとしなかったのですか?昭和天皇に戦争責任があると言う人にその理由をお聞きしたいんですが?今年の8月の終戦日までに特集を作りたいと考えていますので、ご協力お願いします。 私に反論しろと言わんばかりなので、ここで反論する。1、「戦争責任はなぜ敗戦国にのみ問われるのですか、勝てば官軍、負ければ賊軍と言う事なのですか?」日本は真珠湾を奇襲攻撃した。日本から始めた戦争に責任を問われるのは当たり前のことだ。そして、戦争は勝ったほうが負けたほうを裁くということが歴史的に起こっている。私はこうしたことには賛成できないが、事実として起こっている。私は天皇に戦争責任があると考える。多くの人が「天皇のため」という大義名分で戦場に行き、死んだことがその根拠だ。2、「南京での虐殺は責められて、なぜ二発の原爆投下という大量殺戮は責められないのですか?」前にも言った通り、日本が始めた戦争なので反撃されても文句は言えない。もちろん私も日本人として原爆を投下することへの反発はある。日本がヨーロッパだったらアメリカは原爆使用を躊躇しただろう。しかし、日本にももっと早く敗戦を受け入れることができた。逆に日本が戦争に勝ったなら、日本は原爆投下を決断したかもしれない。この質問の主は南京虐殺を認めるのだろうか?私は犠牲者30万人という虐殺があったとは考えない。それはこんなページでも主張されている。南京大虐殺はウソだ! 目撃者のいない"大虐殺"こんなページもある。南京大虐殺(Wikipedia)ただし、この南京虐殺を「人数の問題」でのみ語るのはは危険だ。殺された側にしてみたら、たとえ30万人でなくとも、10人でも殺人行為には変わりがない。3、「在日朝鮮人は、なぜ祖国に帰ろうとしなかったのですか?」これは私が解答する問題ではない。生活基盤がない祖国に帰ることが困難な者もいるだろうとしか答えられない。いろんな答えが考えられる。この質問者は過去に在日朝鮮の人をゴミ扱いした経歴がある。私の指摘によってこの暴言は削除になったが、その後もこの人は「差別主義者」を自認している。この人に朝鮮の人のことを語らせるのは危険だ。「終戦日までに」(敗戦の日?)などとは言わないで、この人自身が差別をやめることがまず必要だ。追記どうやら戦争については「合法的なら殺人も構わない」という人と、「殺された側に立てば、合法的かどうかについてなど問題ではない」という二つのグループに分かれるようだ。私は後者のグループ。今まで、この二つのグループがまともな議論をしたことはあっただろうか?それともこの二つのグループは互いに話し合うことなく乖離状態を続けるのだろうか?*現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.15
新聞やテレビなどでこの問題を取り上げているので、多くの人にはすでに説明が必要ないのかもしれない。問題になったのは自民党の安倍晋三と中川昭一がNHKの番組に圧力をかけたという疑惑だ。この問題は放送法にも関わる。>第3条 放送番組は、法律に定める権限に基く場合でなければ、何人からも干渉され、又は規律されることがない。(上のリンク先から引用)「朝まで生テレビ」の田原総一朗が騒いでいたのはこれだったのかということが私にもやっとわかった。朝日新聞の記事からこの件は火がついたようだ。どこからの情報で記事を書いたのかがわからないので、私には記事のコメントはできない。正直のところ、「どうして今になってこの話?」というのが私の正直な感想だ。これが昨年(2004年)のことならわかりもする。しかしこの番組が放送されたのは2001年の1月ではないか?私自身もう番組の内容をかなり忘れていた。この番組は従軍慰安婦問題を擬似裁判で判断するという内容だった。天皇を有罪にした斬新な判断には、普段天皇を嫌っている私も驚いた。(天皇の有罪など結論部分については、実際の番組ではカットされたことが問題をより複雑にしている)フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』からこの話が今出たということを最も簡単に想像できるのは民主党による「安倍潰し」だ。しかし民主党はこの件では動きが鈍い。民主党が本当に自民党を攻撃したいのなら反応がもっと早く出るだろう。このことから今回の件に民主党が絡んでいるという推測は今のところ成り立たない。だからこそ今この問題が世に出るという意味がよくわからない。安倍晋三は北朝鮮への強硬派として知られている。政治の右左に関係なく、今彼を叩くことが何の得になるのか私には理解できない。安倍晋三が叩かれて喜ぶのは民主党と北朝鮮くらいなものだ。この話については以下のページで詳しく書かれている。安倍晋三&中川昭一:NHK慰安婦特番に圧力NHK「女性戦犯国際法廷」番組改竄問題・私家版NHKの説明責任/政治家にでなく国民にこそクライン孝子の日記なお、1月13日の「報道ステーション」(テレビ朝日系列)に安倍晋三が出て、この話になった。NHKの長井暁チーフプロデューサーは会見で、「政治的圧力」を認めているように見えたが、何しろ発言の歯切れが悪かった。あれでは「報道ステーション」に出た安倍晋三に「伝聞」と言われても仕方あるまい。まだ誰が言っていることが正しいのかがよくわからない段階だが、もし政治家が特定の番組についてテレビ局のスタッフに意見を出したのなら、そのことがすでに問題なのではないかと私は考える。政治家から局員に意見が出た段階で、「圧力があった」ということになろう。政治家には権力があり、テレビ局員は単なるサラリーマンだからだ。権力者は強い。そして一般人は権力者に弱い。少なくとも政治家は編集局員ではなく、編集はテレビ局の仕事だ。番組の内容まで政治化が口出しするようになったらテレビもおしまいだ。テレビのことはテレビ局の人間に任せよう。もうひとつ気にになったのは、有罪になった昭和天皇のことだ。この裁判がけしからんと言うのなら「名誉毀損」で訴えればいいのに。日本が法治国家だと言うのなら。日本は天皇を守らんがためにA級戦犯に罪を着せて「生贄」とした歴史がある。そうでもしないと「誰が悪かったのか?」というアジア諸国の問いに答えられなかったからだ。私が裁判官なら、天皇を無罪にはしない。なぜなら、「天皇のために」と言って多くの若者は死んでいったからだ。天皇に戦争責任はある。私はそう考える。「天皇が法廷にいないのでこんな裁判は意味がない」という意見もあろう。しかし、現実問題として天皇が法廷の被告席に来るとは思えない。擬似裁判だからこそできることがある。追記この日記を国会議員(又は議員に関係する人)が読んでいるかもしれない。多分読んでいることだろう。編集権は私にありますので、口出しはしないでください。追記その2今回のことをいいかげんにすると、今後も同様の事件は起きる。どうせうやむやになるんだろうけど。この話が気になるのは、TBSがオウム真理教の関係者に放送前のビデオを見せたとされる事件を思い出させるためだ。坂本事件とTBS問題 TBSの坂本弁護士ビデオ事件追記その3なかなか真実がどこにあるのかがわからないが、東京新聞(1月20日27面)には、NHKの会見でこんな発言があったと掲載。「事業計画の説明に付随して、今後の放送番組の説明をすることは、業務遂行の範囲内」もしこれが本当なら、公共放送のNHKは政治家を編成局員として考えているということなのだろうか? そして政治家に不都合な番組があったら、NHKはこんなやり方で追求できるのか?これでも公平?公正?私には大きな疑問だ。その後この問題(騒動?)は朝日新聞とNHKによる争いになってきた。そんな争いはどうでもいいから、「本当はどうなのか?」ということを早く示してほしい。*現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。もちろん削除もあります。
2005.01.14
私が考える差別というものは、生まれた場所や肌の色、宗教などで不条理な扱いを受けるということだ。ただし、区別と差別は違う。例えば外国人には日本人と同じ扱いはできない。「差別」という言葉についてまた、その人の過去の発言によって判断される人間性は差別とは違う。言葉にすると簡単なことだが、たったこれだけのことを理解している人は少ない。差別をなくすことは現代の日本においても必要だ。多くの人が意識していないだけで差別はある。楽天でも差別は見られる。だが差別を恐れるあまり「言葉狩り」になってしまうことがある。差別も問題だが、行き過ぎた言葉狩りも問題だ。有名なところではテレビでの「片手落ち」がある。以下のページを読んでもらいたい。“差別用語”と呼ばないで 言語と意識 差別表現とは何か片手落ち&片落ち(Bruckner04さんの日記) 片手落ち&片落ち・続(Bruckner04さんの日記) このように「片手落ち」ではテレビ局が明らかに弱腰になっている。「問題が起きなければいい」という姿勢だ。そこには「日本語を守る放送局の使命」というものがない。今までにない言葉まで作り出して、差別の指摘を受けないようにしている。最近、言葉狩りがひどくて…また、高校の教科書に掲載された「無人警察」(筒井康隆)もてんかんを差別するとして問題になった。この問題が原因で筒井康隆は断筆宣言するに至った。私は以前この短編小説を実際読んだ。未来における日常生活を描いた、正直言って教科書に採用される意味がよくわからない話だ。だが作品を読むとはっきりとわかるのだが、作者の筒井は差別を意識してこの小説を書いたわけではないということだ。私はこの小説を差別であるということは感じなかったが、差別される側に立てば差別なのかもしれない。ただ、私がもし作家なら発表した作品が差別でないという批判を受けるのは困難であるというのが私の率直な意見だ。「断筆問題」とは何か「無人警察」について(日本てんかん協会機関誌「波」第17巻9号) 筒井康隆断筆事件から『蘭学事始』まで 「被差別者への配慮」を考えるかつて名作と呼ばれた「ちびくろサンボ」も「言葉狩り」の標的になった。「なぜ『ちびくろサンボ』か 読まれることこそ重要」 「ちびくろさんぼ」は差別的な絵本か? ちびくろサンボは差別か?「ちびくろさんぼ」の復刻を考える 差別にはこんな事件もあった。TBS筑紫キャスター「屠殺場」発言事件日本でのマンガ表現規制略史 「マンガと差別」黒川温泉(熊本県)では、2003年11月に元ハンセン病患者の受け入れ拒否問題があった。この問題でわかったことは、結構多くの人が元ハンセン病患者の宿泊拒否に対して「理解」を示したことだ。日本がいかに差別撲滅運動をしてこなかったか。また、差別教育が行き届いていないかがよくわかったとても残念な事件だった。無知と偏見は怖い。ハンセン病元患者に対する宿泊拒否に関する会長声明(日弁連)ハンセン病回復者宿泊拒否について「アイレディース宮殿黒川温泉ホテル」による菊池恵楓園入所者 宿泊拒否に対する会長声明(熊本県弁護士会)特集 ハンセン病(熊本日日新聞)黒川温泉宿泊拒否問題で分かったこと宿泊拒否から見えてきたものハンセン病元患者に対する宿泊拒否問題ハンセン病への偏見や差別をなくしましょうところがこの世は捨てたものではない。こんなこともあった。宿泊拒否問題 沖縄の女子学生が抗議 元患者と入浴へ差別は改めて言うまでもなくいけないことだ。だがなかなか差別はなくならない。「差別はあるもの」と開き直らずに、差別をなくしていかねばならない。しかし、差別を恐れるあまり日本語が狭く使われるようになれば、それは日本文化の衰退につながる。差別を恐れるあまり「ことなかれ主義」に陥るのはあまりに短絡的な判断だ。ただし、「文学で扱われているから構わない」という根拠から差別や暴言が放置されるのは明らかな間違いだ。楽天でも、「文学で扱われているから構わない」という主張をしている人がいるのは残念でしかない。問題なのは「差別を助長することがテーマ」なのであって、差別を描いていること自体が問題なのではない。なかなかこの区別がつかない人が多い。差別でよく言われることだが、シェイクスピアの「ベニスの商人」では、悪徳商人のシャイロックが出てくる。シャイロックはユダヤ人がモデルだがこの作品は何故かクレームがつかない。島崎藤村の「破戒」もそうだ。「橋のない川」(住井すゑ)もそうだ。橋のない川人間は内面では差別していることがある。しかし、誰にでも読める場所に差別発言をするのは大きな問題だ。どうして差別を内面だけにおさめることができないのだろうか?差別をすぐになくすことは現実問題として不可能だ。そのくらいのことは私にも理解できる。だからこそ差別撲滅のための段階が必要だ。ならば、「内なる差別」を表に出さないことは必要だ。表に出さない限りは差別にはならない。「内なる差別」はその後の問題として残るが、差別野放しの現状よりははるかにましだ。そしてその後に「差別がなくなった世界」はやって来る。差別される人のことを考えれば、差別を表に出さないことは誰にでもできる。まず、差別される側のことを考えよう。また、私は「殺人の賛美」や「差別発言」については何回か指摘してきた。>韓国に対して、竹島の不法占拠をやめれば、韓国人に対して私は差別をやめます。(2004年12月19日 19時52分)差別と竹島の占拠はまったく別問題だ。>差別する事は人間なら当然の事である。(2005年01月12日 18時01分)この発言した人この発言は筒井の「無人警察」とは違って、「意識した差別」であることがはっきりとわかる。差別を開き直ってはいかんだろう。このように差別にははっきりとした暴言と意識しない差別(結果的な差別とでも言えばいいか?)がある。この両者をともに「差別」という分類にしてしまうことは、私には不思議なことに感じる。また、楽天では「殺人の賛美」や「差別発言」については放置するのに、それを指摘した私には批判する人が多いようだ。これは暴言の主よりも私のほうが御しやすいということなのだろう。そして暴言を指摘できる人が楽天には少ないということだ。楽天での暴言集 北朝鮮が憎いからといって、暴言は許されない! *現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.13
鳩ポッポ9098さんという人がいる。この人が私の発言として「差別する人間なんて人間のクズだ」という言葉をケロヨンmk2さんの日記コメントで紹介した。私がそう発言したというのだ。ここだ。ケロヨンmk2さんの日記問題の文章はこれ。>「差別する人間なんて人間のクズだ」と言っている貴下が、既に差別主義者になっている事に気づいて下さい。昔の共産党の轍を踏む気ですか。(2004.12.23 18:26)鳩ポッポ9098さんの日記ところが、私にはこの言葉の記憶がない。「差別する人間なんて人間のクズだ」なんていつ言ったのだろうか?そこで私は鳩ポッポ9098さんに質問した。>これはどの部分ですか?出典を示してください。(2004.12.23 18:53)鳩ポッポ9098さんはこう言った。>むにゅう氏への不穏当な言葉をそういう趣旨であると受け取りましたが。探してアップしなければなりませんか。(2004.12.23 23:10)私はこう言った。>ええお願いします。本当にそう言ったのかどうか自分でも知りたいですから。(2004.12.24 17:36)ところが出典はない。代わりにこんなこと言っている。(青字は私の過去の発言)>・貴下の日記で拾ってきたもの。>この日記のタイトルは「馬鹿丸出し」だ。 実際には誰が「馬鹿丸出し」なのか、多くの人にはすぐに判断できることだ。(12月16日)(中略)>それで君は差別を何とも思わないのか?すばらしい意見だ。さすがにある弁護士から、「中略」と評価された人は違う。>殺人に美を感じる人は、基本的な考えが間違っています。殺人が美なら、差別など問題外でしょう。殺人に美を感じる価値観が嫌いなら、嫌いでいいではないですか。世の中には、そういう嗜好を持った人もいるし、そういう嗜好性に基づいた文学もあるわけですよ。それを貴下が軽蔑するのは構わないし、感覚としては私もそう違わないですよ。ただ、貴下はそういう人間の品位に対する発言をしているわけです。これは、差別主義者とやっている事が同じです。行為に対する批判ではなく、品位に対する非難は、自己回復が極めて困難です。で、「クズとは言ってないだろ」という反論をされるのなら、「馬鹿丸出し」と「クズ」の指す所の違いってなんですか、と問い返します。貴下は話の全く分からない人ではないと考えていますので、人の品性に対する攻撃はおやめになるほうがよろしかろうと、御忠告させて頂きたく思い候。(2004.12.25 06:52) 私は鳩ポッポ9098さんに「差別する人間なんて人間のクズだ」という発言の出典を求めた。しかし出典はなかった。鳩ポッポ9098さんの言うことには進歩がない。問題はこの部分だ。>殺人に美を感じる価値観が嫌いなら、嫌いでいいではないですか。世の中には、そういう嗜好を持った人もいるし、そういう嗜好性に基づいた文学もあるわけですよ。それを貴下が軽蔑するのは構わないし、感覚としては私もそう違わないですよ。ただ、貴下はそういう人間の品位に対する発言をしているわけです。これは、差別主義者とやっている事が同じです。文学で表現されていれば「殺人の賛美はいいのか?「鳩ポッポ9098さん」が考える善悪とは、「文学で表現されているか否か」なのだろうか?そんなのは「殺人の賛美」の理由にはならない。そして私は「殺人に美を感じる価値観が嫌い」であると同時に、「殺人の賛美を誰にでも読める場所に書くこと」を問題にしている。「殺人の賛美」をしたいなら、個人で楽しめばいいではないか?どうして誰にでも読める場所に書く必要がある?被害者家族が「殺人の賛美」を読んだらどう思うか?むにゅうにはこのことがまったく欠けている。また、「感覚としては私もそう違わないですよ」というのであれば、「殺人の賛美」をしている人に直接言えばいい。それとももうむにゅうに言っているのだろうか?「殺人の賛美」を指摘している私を批判しても説得力がない。また、「貴下はそういう人間の品位に対する発言をしているわけです」というのは誤りであると私は解釈する。「殺人の賛美」をしている発言で人を判断するのはまったく問題ない。私は上記の私の発言に対して問題があるとは思わない。鳩ポッポ9098さんの主張は「感覚としては私もそう違わないですよ」と言いながら、「殺人の賛美」を注意できない人の哀れな発言であるとしか読めない。そして「馬鹿丸出し」という発言についてだが、私が言い出したものではない。反論する際に使っただけのことだ。ところでどこを見て鳩ポッポ9098さんは「差別する人間なんて人間のクズだ」と言ったのだろうか?不思議だ。私が想像するに、鳩ポッポ9098さんは想像でものを言っているのではないか。最初の発言はこうだった。>「差別する人間なんて人間のクズだ」と言っているところがその後ではこうなっている。>むにゅう氏への不穏当な言葉をそういう趣旨であると受け取り「発言した」と「趣旨である」というのはまったく別の問題だ。最初の鳩ポッポ9098さんの主張ではカギカッコもあり、「差別する人間なんて人間のクズだ」という発言は「引用」であると取れる。何も知らない人が読んだら私が「差別する人間なんて人間のクズだ」という発言をどこかでしたと思うだろう。「差別する人間なんて人間のクズだ」という発言が鳩ポッポ9098さんの勝手な解釈であるなら、最初からそう書けばいい。だからこそ私は出典を求めた。もし向こうが想像で物事を言っているとしたら、迷惑極まりない発言だ。追記鳩ポッポ9098さんが反論してきた。http://plaza.rakuten.co.jp/yoman/diary/200501130000/あまりにその反論が矛盾に満ちているので、ここで再反論する。結局以下の文章の出典は示せなかった。>「差別する人間なんて人間のクズだ」と言っている貴下が誤りなら誤りと素直に認めればいいのに。>鳩は、貴下のように善悪二元論で割り切るのには、多少なりとも躊躇を感じます。躊躇いを感じたいなら感じればいい。私は感じない。少なくとも、「殺人の賛美」は暴言だし悪だ。私が被害者家族なら許さない。被害者家族でなくとも、こうした発言は不快だ。指摘して注意するのは当然のことだ。>書いた人の人間性を攻撃するのはやめるべきだと言っています。>貴下と書いた人が特定されれば、名誉権侵害になる可能性があるような言葉であるから、そう言っているのです。余計なお世話。訴えたければ訴えればいい。「殺人の賛美」をする人には人間性に問題がある。だから暴言を連発する。>それは、相手に期待するしかありません。そして、鳩に向けられるべき言葉ではありませんね。逃げ口上。それでは暴言はなくならない。「殺人の賛美」をした相手に指摘することは必要。「感覚としては私もそう違わないですよ」と言いながら、実は私と鳩ポッポ9098さんは大きく違っている。どこが違わないのか?どうして「殺人の賛美」を注意、指摘する私に批判がくるのかわからない。>貴下が言って、聞いてもらえないならそれまでです。どうしても分かってもらいたいなら、もっと腰を低くして接するのが社会常識だと思います。結局鳩ポッポ9098さんは「殺人の賛美」を放置するだけの人でしかなかった。それで「殺人の賛美」を批判した私に批判する。それは意味のない批判だ。どうして「殺人の賛美」をする人に「もっと腰を低くして接するのが社会常識」などと言えるのか?「殺人の賛美」を批判できない人にそんなこと言われる筋合いはない。もともと「殺人の賛美」そのものが社会常識ではないことだ。>鳩は、貴下程、辛辣に人を攻撃するのには、幾許かの躊躇いがありますのでね。これは逃げ口上。では「辛辣に人を攻撃する」以外の方法で注意すればいい。鳩ポッポ9098さんはそれができているのか?>>そして「馬鹿丸出し」という発言についてだが、私が言い出したものではない。反論する際に使っただけのことだ。(これは私の発言)>「相手が言っているから」は、理由になりません。それに、これは「日記のタイトル」と貴下が銘打っていらっしゃいますが…正直、その人がどういう日記を書いているかという事は、鳩には全く興味ありません。「全く興味ありません」とは便利な言葉だ。つまり同じ言葉でも私が使うといけない。他の人なら問題ないということか?すごい根拠だ。また、以下の文章を批判しておく。>「馬鹿丸出し」と「クズ」の指す所の違いってなんですかどうして君の「作文」を私が比較しなければならないのか?「クズ」は君が言っているだけの言葉だ。そもそも「馬鹿丸出し」というのはむにゅうに対しての言葉ではない。鳩ポッポ9098さんは私のむにゅうに対する発言を問題にしていたはずだ。「むにゅう氏への不穏当な言葉」について問題にしているのに、他の文章を持って来るということに意味はない。どうして「むにゅう氏への不穏当な言葉」を問題にしている鳩ポッポ9098さんは、「クズ」という「作文」と、別の人について書いた「馬鹿丸出し」を比較したがるのか?まったくわからない。ある人が「馬鹿丸出し」というタイトルで日記を書いた。その中にはこんな暴言があった。>それに在日朝鮮人は日本のゴミだしね。だから私は私の日記にこう書いた。>この日記のタイトルは「馬鹿丸出し」だ。 実際には誰が「馬鹿丸出し」なのか、多くの人にはすぐに判断できることだ。これがどう問題なのか、私には理解できない。>>また、その人の過去の発言によって判断される人間性は差別とは違う。言葉にすると簡単なことだが、たったこれだけのことを理解している人は少ない。(これは私の発言)>これは間違っています。こんな事が認められれば、侮辱罪や名誉毀損罪というものの範囲が非常に絞られてしまいます。要するに「嘘でなければその人の名誉をどんなに侵害してもいい」という事になりますからね。またもや鳩ポッポ9098さんの作文か?私は「どんなに侵害してもいい」とは言っていない。>「差別がなくなった世界」。鳩は、有り得ないと思いますよ。最初から「差別がなくなった世界」の実現を諦めている人には永久に「差別がなくなった世界」はやってこない。しかも「差別がなくなった世界」が有り得ない根拠がない。抽象的な説明では人は納得しない。根拠なく最初から諦めている人には何を言っても無駄かもしれない。*現在掲示板と日記コメントは荒らし対策で閉鎖しています。悪しからず。意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.12
むにゅうから反論にならない反論が来た。(この日記は昨日から続いています)結局むにゅうは「殺人の賛美」を楽しみたいらしい。「殺人の賛美」はそんなに楽しいものなのだろうか?私にはわからないことだ。基本的に間違った考えの人は言うことが違う。「どうして殺人の賛美が必要なのか?」「被害者家族は殺人の賛美をどう感じるのか?」という点にはまったく答えようとはしない。と言うより答えられないのだろう。むにゅうは長崎の事件に悩む多くの人や、被害者家族のことなどまったく考えられないのだろう。さもなくば「殺人が美」などということは言えない。むにゅうには困ったものだ。「殺人の賛美」についてはここを読んでください。むにゅうからまたもやわけのわからない反論が来た。むにゅうの日記による反論(?)>どこが詭弁なのですか?苦しい言い訳が愉快ですね。「こういう考え方も、あるのです」と言っておきながら、その考えとやらがむにゅうしか通じないから詭弁だと言った。苦しくも何ともない。>いいかげんに「正しい思想を啓蒙することはよいことだ!」という妄想から離れなさい。いい迷惑です。いいかげんに「殺人の賛美」はやめなさい。いい迷惑です。私が正しいかよりも、むにゅうの「殺人の賛美」が間違っていることは確かだ。君は基本的に考え方が間違っている。>自分が気に入らないというだけで、他人の言論を封殺しようとするあなたのほうが反社会的です。日本は北朝鮮ではありませんよ。殺人の賛美が間違っているということは、私だけが主張していることではない。むにゅうのページでもそのことは証明されている。むにゅうがそれに気がつくかどうかだ。>あのさ、りゅうちゃんミストラルは勘違いしているようだけど、私は反論していませんよ。私は以下の点を指摘しているだけです。>・あなたの猥狭な考え方や捕らえ方は、あなたの脳内でしか通用しない。「殺人の賛美」を否定するのは私だけではない。これもむにゅうの誤り。>・誰にも他人の言論を封殺する権利はない。「殺人の賛美」を批判することは何ら問題がない。特に君の発するような暴言については。>・他人の言論を封殺しようとするのは馬鹿(りゅうちゃんミストラルのことですよ)「殺人の賛美」をしているむにゅうには批判が必要。>・同じような内容のトラックバックを送るのはスパムメールと同じ。>・どこまでいっても、平行線だって。平行線なのは君が自分で考えないからだ。「殺人の賛美」の害について。>一人相撲を繰り返すのは、もう止めたら?君には批判が必要。「殺人の賛美」はもうやめたら?みっともない。追記こんな反論(?)がむにゅうから来ている。>りゅうちゃんミストラルはわけのわからない・中身が空っぽな批判を偉そうに垂れ流すのを止めたら?同じ質問を繰り返すだけでは、誰も納得しないし、説得もできないよ。君は自分で「殺人の賛美」について考えられないだけだ。こうした人はいつまでも「殺人の賛美」をしているのだろう。そんなに「殺人の賛美」は楽しいのか。意味があるのか。基本的に間違った考えの人は言うことがやはり違う。>凄惨な事件を引き起こすのは、りゅうちゃんミストラルのように自分の正義を疑わない人です。幼女殺人も連続殺人も自らの正義を疑わずにそれに従う人が引き起こすんです。根拠なし。「殺人が悪」ということを理解していれば、事件は防げる。>自分の正しさというのは常に懐疑的に見ないとだめ。君自身が君の正しさを懐疑的に見ているとは思えない。むにゅうは「殺人の賛美」を懐疑的に見たことがあるか?今までのむにゅうの発言からはそんなものは感じられなかった。むにゅうの言葉にはまったく説得力がない。むにゅうは弁護士に以下のような指摘されたことをもう忘れたらしい。>相手の方は議論のための議論を楽しんでいるとしか思えません。しかも、その議論も基礎的知識に決定的に欠けているものであり、反論の必要すら感じないレベルです。私の個人的感想としては、放っておくべきだなという感じです。むしろ議論を交わすことで、それを読んだ他の人がそんな理屈もありうるのかなどと変に納得してしまうのがこわいですよね。理屈にすらなっていないのに。私はこの弁護士とは違って暴言を放置しない。「寝ている子を起こすな」という考えは間違っている。むにゅうはこんなことを言っている。>りゅうちゃんミストラルは弁護士の権威にすがるしかない。弁護士という権威にめがくらんで、懐疑的になれないりゅうちゃんミストラルさんは哀れとしかいいようがありません。むにゅうは単に弁護士の指摘に反論できないだけのことだ。本当のことを書かれてそんなに悔しがるなよ。追記むにゅうがまた反論にならない反論をしてきた。むにゅうの日記による反論(?)>発言から人間性を判断するなんて、スターリンやヒトラーや毛沢東もびっくりの傲慢さですね。何ら問題はない。特に暴言を連発する人には必要なことだ。>「私はあなたの意見には反対だが、あなたが意見を述べる自由は尊重する」というエピソードを知らないのでしょうか?意見が殺人の賛美では尊重もできない。明らかに間違っているものを、間違っていると指摘しているだけだ。人には言っていいことと悪いことがある。むにゅうにはそのことが理解できないだけの話だ。表現の自由は殺人の賛美を保護するためのものではない。>愉快なことにりゅうちゃんミストラル自身は「自分が気に入らない発言をした人々を差別している」ことにまったく気がついていないのです。 この人まだわかっていない。むにゅうは「自分が気に入らない発言をした人」ではない。「基本的な考えが間違っている人」だ。追記むにゅうは相当焦っているらしい。トラックバック連続攻撃に出た(笑い)。>トラックバック新着書き込み ● 傲慢な心が差別の源 (むにゅうの平和大好き!) New! >また、その人の過去の発言によって判断され・・・ ● 傲慢な心が差別の源 (むにゅうの平和大好き!) New! >また、その人の過去の発言によって判断され・・・ ● 傲慢な心が差別の源 (むにゅうの平和大好き!) New! >また、その人の過去の発言によって判断され・・・ こうした暴言がなくならないのは注意する人が少ないからだ。楽天には勇気ある人が少ないのだろうか?それとも勇気ある人は絶滅してしまったのか?いつまでも暴言が必要ですか?それともここで暴言を止めますか?「表現の自由」は暴言を守るためのもの?もう一度、暴言について考えてみてください。追記反論するなら発言の出所くらい書きなよ。どこの文章に反論しているのかわからないと困る。追記むにゅうはこんなことを言っている。http://plaza.rakuten.co.jp/munyu/diary/200501190000/>連続殺人といった猟奇犯罪はりゅうちゃんミストラルさんのような自分の正義を疑わない、疑えない人々が起こしているのは数々の犯人の記録が示すとおり。根拠が示されていない。殺人が悪だと理解しているなら、殺人は防げる。>「暴言をはきまくっているのはりゅうちゃんミストラル」のことですよ。それを指摘したり、注意したりする勇気のある人は山ほどいるじゃありませんか!ほら、あなたが論破されまくったあそこの日記とかここの掲示板ですよ!殺人の賛美をしている君に注意が必要。*現在掲示板と日記コメントは荒らし対策で閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.11
むにゅうから反論にならない反論が来た。むにゅうの日記による反論(?)いかに彼の主張が間違っているかをこの日記で論じる。「殺人の賛美」についてはここを読んでください。まずはこの暴言から。>人を殺すのは、人として死なせるのだから、相手の尊厳と名誉を守ることになる。>人の精神を殺すのは、人を人ではないものにするのだから、殺人よりも罪が思い。(本文ママ)>こういう考え方も、あるのです。 >相手を弑するほどに憎んだその精神は、命あっての物種といったせこい損得勘定を越えて純粋です。この暴言の出典を示すよう言ったところ、むにゅうはこう答えた。>もちろん、むにゅうの中の人が考えているんですよ。出典が無いから根拠が無い。すなわち、「自分勝手な意見」というのは何なのですか?「マルクス語録」やら「毛沢東語録」や「金正日語録」やらから引用しなくちゃいけないんですかね。詭弁だ。「考えがある」というのはむにゅうだけの反社会的な考えでしかない。「こういう考え方も、あるのです」と言われたら、たいていの人は「むにゅう以外も考えている」と思うだろう。私もそう考えた。何だ。むにゅうが勝手に考えているだけか?そんな反社会的な考えが正しいという証明はどこにもない。それともむにゅうの考えに従う根拠でも示せるのか?自分勝手な反社会的意見を「こういう考え方も、あるのです」と言うむにゅうに説得力はまったくない。結局はむにゅうによる「殺人の賛美」は、家族を失った被害者家族の気持ちなど考えない反社会的な暴言であることがよりはっきりした。>別に凄惨な事件をなくすために発言したわけじゃありませんよ。それではむにゅうの欲求を満たすためだけに「殺人の賛美」をするのか?そんなものに何の意味がある?むにゅう以外には害になるだけだ。むにゅうの暴言には痛みがない。家族をなくした犯罪被害者家族がむにゅうの暴言を読んだら嘆き悲しむだろう。私が犯罪被害者家族だったらむにゅうの暴言を許さない。>ある種の殺人が公と美学に支えられて認められていた江戸時代は平和でしたけどね。これも詭弁。今は江戸時代ではない。江戸時代について限定した話でもない。むにゅうは江戸時代に生きているのか?むにゅうは現代では「殺人の賛美」を正当化できないらしい。だからこそわざわざ江戸時代を持ち出す。>あいかわらず、どこがどう間違っているかの説明は無いのですね。もう説明した。>「思想の自由」「言論の自由」が、われわれの自由で豊かな社会を支える原動力です。むにゅうの「豊かな社会」というのは「殺人の賛美」によって成り立つらしい。それとも「殺人の賛美」がないと「豊かな社会」が達成できないのか?またしても反社会的な思想だ。>「なぜ、殺人を賛美してはいけないのか」ということを説明できた者も今のところいませんね。またもや詭弁。むにゅうは「殺人の賛美」したことを自認するんだな?まず、「なぜ、殺人を賛美してはいけないのか」ということを説明してもらわないと理解できないことを恥じたらどうか?長崎の事件では多くの人が「もし自分の家族が殺されたら」ということを考えた。小学校で、同級生による殺人が起こることに自分を重ね合わせた。私もその一人だ。そんな人たちが「殺人の賛美」を読んでどう感じただろうか?むにゅうは想像力が欠如しているのかその点をまったく考えていないらしい。そして最大の問題は被害者家族が読める場所に「殺人の賛美」をしたことだ。少しくらいは犯罪被害者家族の気持ちも考えてみるといい。家族を失った上に「殺人の賛美」だ。このことからむにゅうによる「殺人の賛美」は有害でしかない。>そもそも、意見や感覚の相違というものは必要・不必要で断じることのできないもです。お互いに敬意をもって相違を確認し、それぞれが勝手にやっていけばいいのですから。この世には言っていいことと悪いことがある。かわいそうなむにゅうにはその区別がつかないだけの問題だ。犯罪被害者に敬意を持っていたら、「殺人の賛美」などできまい。>他人の意見が気に入らないなら、読まなければいいのです。誰にでも読める場所に「殺人の賛美」を書かなければいい。むにゅうの反社会的思想など害になるだけだ。>結局、りゅうちゃんミストラルのやっていることは自己満足のために他人に迷惑をかけているだけです。根拠なし。暴言がなくならないのは注意する人が少ないからだ。楽天には勇気ある人が少ないのだろうか?それとも勇気ある人は絶滅してしまったのか?いつまでも暴言が必要ですか?それともここで暴言を止めますか?「表現の自由」は暴言を守るためのもの?もう一度、暴言について考えてみてください。*現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.10
長崎での殺人事件で「殺人の賛美」発言があった。「殺人の賛美」はどうして必要なのだろうか?「殺人の賛美」についてはここを読んでください。暴言の一例。>自分の誇りを守るために戦ったことには、ある種の美学を感じました。>他人の尊厳や誇りを理解できない人間が殺されるのはいたしかた無いと思います。こんな暴言もあった。>人を殺すのは、人として死なせるのだから、相手の尊厳と名誉を守ることになる。>人の精神を殺すのは、人を人ではないものにするのだから、殺人よりも罪が思い。(本文ママ)>こういう考え方も、あるのです。 >相手を弑するほどに憎んだその精神は、命あっての物種といったせこい損得勘定を越えて純粋です。この発言については出典を求めたが、ついに示されることはなかった。根拠がない以上、「自分勝手な意見」としか解釈できない。「こういう考え方も、あるのです」というのは、どこで誰が考えているのだろう?私にはまったく予想ができない。「表現の自由」があるとしても長崎の小学生による同級生殺人事件で家族を失った人のことを考えれば、「殺人が美」などとは言えまい。この発言者は「殺人が美」であると言えば、同じような凄惨な事件がなくなるとでも思っているのだろうか?私にはそうは思えない。なぜなら「殺人が美」と言っている人は、「どうすれば事件を防げるか?」ということを語っていないからだ。少なくとも私はそんな文章を読んだことがない。だとすれば「殺人が美」だということを誰にでも読める場所に書く理由は一つしかない。「殺人が美」という言葉に酔いたいだけ。被害者家族のことなどまるで考えていない。「殺人は美」という暴言に意味はない。表現の自由は自己陶酔したい人のためにあるわけではない。暴言を保護するためにあるのではない。長崎の事件では、多くの人が驚いた。社会不安は確実に増した。私も含めて、ネットで悪口を書かれたことが原因で同級生を殺すとは思えなかった。しかもその場所が小学校ということにも驚いた。「殺人が美」という人は、その言葉が社会不安を増すだけであるということを知らないのだろう。こうした暴言が楽天でなくならないのは前にも言った通り、暴言を注意する人があまりに少ないからだ。事件も驚きだが、暴言を放置するのもまた驚きだ。私ができることは少ない。そのひとつが「殺人は悪だ!」と訴えることだ。社会が「殺人は悪」という認識を持てば、犯罪は減る。私はそう信じている。追記「どんな反社会的なことでも思うことは自由だし、問題はない」という人がいる。ところが、ネットは「誰にでも読める場所」だ。もちろん犯罪被害者も例外ではない。「誰にでも読める場所に書く」ということは「思う」こととは別だ。どうもこの二つのことを間違って解釈している人が楽天にも多いようだ。「どうして殺人の賛美が必要か?」ということを、説明できた者は今のところいない。そんな説明などできるわけがないと私は考える。*現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。もちろん削除もあります。
2005.01.09
1月4日に小泉首相や何人かの閣僚(島村宜伸農相、小池百合子環境相など5閣僚)、岡田民主党代表が伊勢神宮参拝をしている。韓国や中国から、靖国神社参拝について日本は批判されている。もちろん靖国参拝では戦争犯罪人のうち「A級戦犯」が問題となっている。日本側からすると、「A級戦犯を判断した東京裁判には疑問がある」とか、「日本には死んだら許されるという考えがある」ということになる。しかし韓国や中国にはこの考えが通じない。「どうして戦争犯罪者を合祀している靖国神社に首相が参拝するのか?」「しかもA級戦犯は戦死ではなく処刑された人だ」「太平洋戦争の反省ができていないのではないか?」これが中国や韓国の言い分だ。だからいつまでたっても批判される。これが「被害者と加害者の違い」なのだろう。伊勢神宮にはこの「A級戦犯問題」はない。ところが靖国で問題とされるものにはA級戦犯以外にも、「政教分離」がある。もし、政教分離が問題となるなら伊勢神宮参拝も問題ではないのか?これは私だけの考えではなく、「朝まで生テレビ」で田原総一朗も同じことを言っていた。確かに言われてみればそうだ。どうして「政教分離」で伊勢神宮参拝は問題にならないのか?私にはこの点がどうもよく理解できない。もし、伊勢神宮も問題なら首相は神社に参拝できないということになってしまう。つまり、「公人は神社に行けない」ということになる。小泉首相も、就任前から靖国参拝をずっとしているのならまだ反論もできよう。しかし、一部で言われているような選挙での支持目当てでの参拝なら、小泉首相の靖国神社参拝は説得力がない。日本遺族会 伊勢神宮って?なぜ靖国神社にこだわるのか?小泉純一郎の靖国参拝違憲判決小泉首相が靖国神社を参拝して、得をする人や団体ってあるんですか?追記靖国神社参拝問題は奥が深い。私ももう少し考えたい。日本人は天皇や宗教については話したがらない。こうした問題についてもう少し議論があってもいいように思う。*現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.08
私を訴える人が出るかもしれない。このページ自体も削除になるかもしれない。詳しくはここを読んでください。 自転車の馬券師(日記コメント)差別発言や殺人の賛美を指摘して訴えられたり、ページを削除されるのなら仕方ない。告訴状の到着を待って対応しよう。自分としては間違っているとは思わない。私を訴える(告訴?告発?)と言っている人(人の振り見て我が振り直せさん)はこう言っている。>違法に彼のページ上に名誉を毀損した 表現をされた方が、精神的苦痛から病院に通い 治療したと言う事実、診断書が揃えば、 慰謝料請求も充分可能です。そんな事実があるのか?知らなかった。>法廷で貴様の詭弁を暴いてやるので首を洗って 待っていなさい。「殺人の賛美」や「差別発言」を指摘して裁判にかけれれるのは不本意だし、狂った世界だと言わざるを得ない。しかし裁判ではいかに私が正しいかを証明する自信はある。>態度を改め 違法な掲載を即刻取り下げ 迷惑を掛けた人に謝罪をすれば刑事告訴は 取り下げるかも知れませんが。(2005年01月07日 03時49分)私は謝罪しないし、その必要もない。「違法な掲載」があるとも思わない。その前に、今回のことを事件として検察庁が受け付けるか大いに疑問だ。検察はそんなに暇なのだろうか?もし、私のページがいつの間にかなくなっていたら、削除されたと解釈してください。削除されたら今までお世話になった人には挨拶も出来ないでしょう。その点はご了承ください。それでは。追記その後、私が告訴されたという話は聞かない。*現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.07
「殺人の賛美」をしたい人がいる。暴言のむにゅうはここです「殺人の賛美」についてはここを読んでください。長崎の小学生女児殺害事件についてむにゅうはこんなことを言っている。>自分の誇りを守るために戦ったことには、ある種の美学を感じました。>他人の尊厳や誇りを理解できない人間が殺されるのはいたしかた無いと思います。こんな発言もあった。>人を殺すのは、人として死なせるのだから、相手の尊厳と名誉を守ることになる。>人の精神を殺すのは、人を人ではないものにするのだから、殺人よりも罪が思い。(本文ママ)>こういう考え方も、あるのです。 >相手を弑するほどに憎んだその精神は、命あっての物種といったせこい損得勘定を越えて純粋です。この発言については出典を求めたが、ついに示されることはなかった。「自分勝手な意見」としか解釈できない。こんなのもあった。>>まさか批判の主は被害者家族の前でも殺人の肯定をするわけではあるまい。 私のの質問に対し、むにゅうの答えはこう。>思考実験で、被害者家族の前で殺人を肯定してみましょう。「あなたの娘の命を奪った犯人を殺して復讐をしましょう。あんな悪いやつを殺すのは正しいことです!」できちゃった(w ・・・・・・・人生には余裕が必要ですね(w以上のように暴言の連続だ。これでは凄惨な事件がなくなるわけがない。むにゅうによる「殺人の賛美」に対して弁護士菅谷公彦さんの見解はこうだ。>相手の方は議論のための議論を楽しんでいるとしか思えません。しかも、その議論も基礎的知識に決定的に欠けているものであり、反論の必要すら感じないレベルです。私の個人的感想としては、放っておくべきだなという感じです。むしろ議論を交わすことで、それを読んだ他の人がそんな理屈もありうるのかなどと変に納得してしまうのがこわいですよね。理屈にすらなっていないのに。むにゅうはまったく暴言を反省している様子がない。その証拠にこんなことを言っている。>りゅうちゃんミストラルは弁護士の権威にすがるしかない。>弁護士という権威にめがくらんで、懐疑的になれないりゅうちゃんミストラルさんは哀れとしかいいようがありません。結局は弁護士の指摘にむにゅうが反論できないだけのことだ。むにゅうはそんなに「殺人の賛美」がしたいのか?「殺人の賛美」はそんなに意味があるのか? *現在掲示板と日記コメントは荒らし対策で閉鎖しています。悪しからず。意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.06
あなたの近くにもいますよね?日本がかつてした侵略行為を正当化、美化したい人たちが。私は以前からそうした人たちのことを疑問に感じてきたが、今日はそのことについて書く。日朝平壌宣言(平成14年9月17日)この中にはこうある。>2.日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。もし、この宣言に文句がある人がいたなら、その文句は日本政府に向けられるべきだ。日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明(1972年9月29日)この中にはこんな文章がある。>日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。これについてもまた同じ。韓国について。日本人は謝罪をしていない?ここでもいろんな人が謝罪している。しかもこれらの人はみな「公人」だ。小泉首相は2001年11月18日にこう言っている。>日本の植民地支配により韓国の国民に対して多大な損害と苦痛を与えたことに対し、心から反省とおわびをする。一人の政治家、人間として韓国人の苦痛と犠牲を忘れてはならないと思った。これまで外国からの侵略や祖国の分断など大変な辛酸をなめ、想像を絶する苦痛に耐え、韓国が今、発展していることに心から敬意を表す。こんなページもある。日本の朝鮮半島植民地保有謝罪および中国の侵略によって引き起こされた日華事変についての日本政府高官による謝罪日本の侵略行為を正当化したい人たちは、日本という国が民主的に選んだ公人(天皇は除く)の言葉を無視して、過去の侵略を正当化するつもりなのか?こうした謝罪に文句があるのなら、どうして日本政府に直接言わないのだろう。私にはまったく不思議だ。 (以下昨年10月6日の日記を再編集して掲載)東大学長を務めた西洋史学者の林健太郎が昨年亡くなった。学園紛争で学生と直接170時間にもわたって交渉し、「機動隊を突入させるか?」とのメモに「ただ今学生を教育中」と申し出を拒否した名物教授だ。彼は「大東亜戦争肯定論」に対して、「自己の誤りを自虐と言って拒否するのは、自己を卑しめることだ」と批判した。簡単に言えば「間違いは間違い」ということだ。現在の、過去の歴史を忘れたかのような右傾化には私は大いに危惧する。あなたの近くもいませんか?右翼な意見に無意味に傾倒している人が。もちろん右傾化した意見にも良いものはある。韓国や中国に対して「何でも謝れ」というのも間違っている。しかし「自虐史観」を錦の御旗にした安易な右傾化はあまりに危険だ。結局、日本の侵略を正当化、美化したい人は世に訴えるという勇気もないということなのだろう。もし勇気があるなら堂々と首相官邸にでも訴えればいい。首相官邸ホームページ国政に関する意見を募集しているぞ。*現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.05
暴言については今まで何度も日記で書いてきた。私の言う暴言は以下のような「殺人の賛美」や、「差別発言」だ。暴言その1 長崎の小学生女児殺害事件について。>自分の誇りを守るために戦ったことには、ある種の美学を感じました。>他人の尊厳や誇りを理解できない人間が殺されるのはいたしかた無いと思います。こんな発言もあった。>人を殺すのは、人として死なせるのだから、相手の尊厳と名誉を守ることになる。>人の精神を殺すのは、人を人ではないものにするのだから、殺人よりも罪が思い。(本文ママ)>こういう考え方も、あるのです。 >相手を弑するほどに憎んだその精神は、命あっての物種といったせこい損得勘定を越えて純粋です。この発言については出典を求めたが、ついに示されることはなかった。根拠がない以上、「自分勝手な意見」としか解釈できない。こんなのもあった。>>まさか批判の主は被害者家族の前でも殺人の肯定をするわけではあるまい。 私のの質問に対し、むにゅうの答えはこう。>思考実験で、被害者家族の前で殺人を肯定してみましょう。「あなたの娘の命を奪った犯人を殺して復讐をしましょう。あんな悪いやつを殺すのは正しいことです!」できちゃった(w ・・・・・・・人生には余裕が必要ですね(w私はこう主張した。>>殺人は許されないものだからだ。法律もそうなっている。むにゅうの回答はこうだ。>なっていません。一定の刑罰を受ければ許されます。法律はそうなっています。殺人犯も初犯で模範囚なら5年程度で許されます。。「一定の刑罰を受ければ」というのは殺人が許されないことの証明だ。では二人殺したらどうだ?複数殺して死刑になれば、社会復帰も不可能だ。このようにむにゅうの主張は支離滅裂だ。「殺人の賛美」発言をしたむにゅうはここですこの人、恥の上塗りをしている。私はむにゅうの掲示板でこう質問した。>自分の娘や妹が殺されても君は「殺人はひとつの美学」と言うのか?むにゅうの答えはこう。>自分の娘や妹が殺されることと、「殺人はひとつの美学」という捉え方とは、無関係。>お前が言っているのは、ただの思考停止。殺人が起きた!→殺人は悪い→思考終了 これがお前の思考パターン。>一直線の理解しかできないなら、黙っていなさい。もちろんむにゅうに命令されて黙っているわけがない。「殺人は悪い」と言って何が悪いか?むにゅうこそ、「殺人は美」とか言っている反社会的存在だ。「殺人は美」と言って自分の言葉に酔っているだけだ。むにゅうは日記でこう書いている。>どうして楽天ではこうした暴言がなくならないか? >その答えは簡単。楽天のユーザーのほとんどが「言論の自由」について深く理解しているからです。他人の論理や思考を一方的に断罪することがいかに醜く酷いことなのかを理解しているからです。>「自分の気にくわないから」という幼稚な理由で、他人の論理や思考を一方的に断罪しているりゅうちゃんミストラルは、もっと他のユーザーの日記を読んでみましょう。自分に都合がよい、あるいは自分が読んでいて気持ちよくなれるものばかりを読んでいては、馬鹿になり、やがては特定の刺激・情報に反応するだけのロボット人間になってしまうでしょう。>このBlogからの引用です。自分の思考の地平を広げるって難しいですね>自分の信念に合うニュースだけ読んでいればいいというのならばそれでもいいが、それはやはり不健全なことなのではないかとも思う。ただでさえ細分化が進む現代の社会において、そのような多様なグループの橋渡しをする対話の可能性がますます減少していることに私は危機感を持つ。究極的に、われわれは一つの世界に住んでいる運命共同体だから、対話せずに生きていくことはできないからだ。>まあ、りゅうちゃんミストラルには、「貴公はヒトラーの尻尾だな。」の台詞を送ります。むにゅうは自分の発言を「暴言」だと認めた。「殺人の賛美」を悪だと指摘することは今でも必要だと私は考える。意味不明な言葉だが、「ヒトラーの尻尾」でも何でもいい。私はむにゅうの暴言を追及する。何度でも言う。「表現の自由」は、「殺人の賛美」を保護するためのものではない。「殺人の賛美」が何か役に立ったか?むにゅうの掲示板で、私はこう言った。>>「殺人が悪」と言って何が悪い?>>私は黙らない。むにゅうの回答はこうだ。>そうやって、自己陶酔を自慢するのって恥ずかしくありませんか?あなたのやっていることは悪く言えば、幼児性愛が募って幼女を襲う犯罪者と同じです。あなたの欲望は、あなたの内部で昇華させなさい。他人にぶつけて満足しようとするのは迷惑なだけです。(2005年01月08日 00時50分) 「殺人の賛美」で自己陶酔いているのはむにゅうのほうだ。彼がそのことに気がついていないだけの問題。彼の言葉で言うなら、「あなたの殺人の賛美についての欲望は、あなたの内部で昇華させなさい。他人にぶつけて満足しようとするのは迷惑なだけです」となる。誰にでも読める場所に「殺人の賛美」をするのは迷惑。犯罪被害者とその家族のことを考えられないむにゅうには、迷惑など何でもないのだろうが。暴言その2>私は差別主義者である事は間違いないから。この日記の主はタイトルを「ごめんなさい。」にしているにもかかわらず、「在日朝鮮人は日本のゴミ」発言をちっとも反省していない。>在日朝鮮人は日本のゴミではありませんね。しつこいくらいにこだわっているようだけど、その事は言いすぎたので、訂正し、お詫びします。朝鮮人に。そう言いながらこんな発言までしている。>正常な日本人なら暴言も吐きたくなる。この人のように12月14日の日記で以下のようなことを書いても拉致事件は解決しない。>チョンはやる事が汚い、顔も汚い、キムチ臭い、胡散臭い、強姦国家である。ぺ・ヨンジュンは腹を切って死ぬべきだ。日本のおばさんを轢き殺そうとした。韓国に日本円をガッポリ持って帰りやがって。芸人がテレビで物真似すると、在日を使って、テレビ局に嫌がらせしたりしやがって。在日チョンもいつまで、外国人でいる気なのだろうか、さっさと帰れ。日本で住むなら、さっさと帰化しやがれ。あームカツク民族だ。こんなことまで言っている。>貴殿は差別をした事が無いような言い方でおられてますが、人間は誰しも、聖人の様でない限り、心の中では差別心を抱いているものです、貴殿も誰かを差別しているのではないですか?例えば私の事とか。差別とは、憎しみからくるものでわ無いですか?憎い人に対して、人は少しでも優越感を得るために、差別するのである。そうじゃないですか?答えて下さい。私は尊王攘夷の信念のもと、敵国の方に対して差別心を持っています。私は今上を国の尊重として、安全で、住みよい国になる事を祈っています。(2004年12月17日 20時14分)こんなことも差別主義者は言っている。>私は差別主義者だと公言しているのですから。そして、私は差別する事は人間の本能であって、仕方の無い事だと言っているのです。>人類皆兄弟です。兄弟でも喧嘩する事はある、憎む事もある、差別する事もある。要は、人間は誰でも差別対象になりうると言う事。そしてその対象がたまたま、朝鮮民族と言うだけの事。差別しない人はいない。>私はかわいそうな人間です。貴殿の事を、只の偽善者としか思えません。貴殿は私に差別するなと言います。しかし、私は貧しい人間です。偽善者のような真似は出来ません。差別はいけない事だとは、誰もが思っていますが、実践できている人が世の中に多くいるとは思えません。人間は差別しなきゃ生きてはいけないと思います。>優越感と言うのは、人と比べて得るものである。ある意味自己満足である。よって、そこに虚しさは無い。憎しみに対して貴殿はどの様に、対処しておられるのですか?憎しみの解消をするために、侮蔑するのではありませんか?差別は、無くならないと思いますよ。宗教でも、他を差別しているものも在りますし。(2004年12月18日 22時54分)>人間なら誰でも差別するものだ。性悪説という言葉を知っていますか?人間はもともと悪だ。>私も貴殿の意見には賛成できない、正しき道理はこちらにある、貴殿が言っているのは理想だ。理想と現実は違う、憎しみから差別心が生まれる。この世に憎しみがある限り、差別は無くならない。韓国に対して、竹島の不法占拠をやめれば、韓国人に対して私は差別をやめます。だから、貴殿も韓国に対して、抗議文を送って下さい。よろしく。(2004年12月19日 19時52分)>私は差別主義者だと公言しているのですから。そして、私は差別する事は人間の本能であって、仕方の無い事だと言っているのです。他にも楽天には暴言が多数ある。これでは筑紫哲也に、「ネットは便所の落書き」と言われても仕方ない。どうして楽天ではこうした暴言がなくならないか?その答えは簡単。「暴言を注意しないから」どうして暴言を注意しないか?これにはいろんな回答がある。ひとつには、「他人のことなどどうでもいい」そしてもひとつには、「面倒なことには巻き込まれたくない」他にも答えはあるだろうが、こうしたことでは暴言はなくならない。楽天には勇気ある人が少ないのだろうか?それとも勇気ある人は絶滅してしまったのか?いつまでも暴言が必要ですか?それともここで暴言を止めますか?「表現の自由」は暴言を守るためのもの?もう一度、暴言について考えてみてください。*現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.04
昨日も書いたが、箱根駅伝は日本が世界に誇る競技だ。逆転での駒沢4連覇は見事だった。競技全体としても「一本の襷をつなぐ」ということについては見事だった。これは各大学の実力差が少なくなっているということを示している。このレースで気になったのは、予選会トップの早稲田がシード権を取れなかったこと。母校に監督として戻ってきた渡辺康幸もさぞや無念だったろう。来年の出場権は今年の10位までの大学に与えられるが、かつての名門早稲田はあと22秒でシード権を逃した。アンカーの高岡(3年)は、区間新記録の力走を見せたものの、10位の神奈川大に届かなかった。高岡は敗者のように手をあわせて誤りながらゴールした。その姿は区間新記録保持者にはないものだった。早稲田としては往路での出遅れが痛かった。特に3区。高岡には罪はないが、泣いている暇もない。次期主将の彼は、必ずや箱根に戻ってくる。早稲田には有望な新人も入ってくる。もちろん来年の箱根に出るためには、箱根を目指す各大学との厳しい予選会が待っているが、早稲田は悔しさを知っている分だけ苦しさを乗り越えるだろう。待っているぞ早稲田!!*現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.03
往路では東海大が優勝して驚いた今年の箱根駅伝。その競技については他の人が書くだろうから、私は別の視点からこの箱根駅伝について書きたい。私はかつてある国でフランス人と話をした。私は言った。「フランス人というのはたまにすごいことを思いつく」フランス人は聞く。「例えばどんなこと?」サッカーでは1926年、FIFA(国際サッカー連盟)第3代会長ジュールリメによって提唱された、サッカーの世界大会ワールドカップ。そしてアンリドロネーが提案して始まった欧州選手権。そしてパリダカールラリー。故ティエリー・サビーネの提唱によって1979年よりスタートした冒険ラリー。アフリカの大地を約2週間走り抜ける、世界一過酷なレース。 忘れてはならないのがオリンピック。ピエール・ド・クーベルタンが提唱して今日に至っている。オリンピックなどはその商業主義や、大会の存続自体が危ぶまれているが、その精神を元に、大会をを創造したことはすごい。だが日本も負けてはいない。今年の箱根駅伝を観戦していて思ったのは、「日本には箱根駅伝があるじゃないか!」ということだ。往復200キロ以上に及ぶ距離と、駅伝という日本独特の競技、そしてコースが箱根の山道という特殊性は他の国にはない大変に珍しいものだ。すぐ近くにすごいものはある。今まで気がつかなかっただけだ。恐れ入りました。*現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.02
元日夜に日本テレビで放送された、「はじめてのおつかい」を観た。いつ観てもこの番組は感動の嵐だが、今回もすごいドラマの連続だった。妹を守ろうとする兄、買い物に奮闘する姉妹など、司会の森口博子でなくとも涙なくしては見られない。誰かが番組そのものについては書くだろうから、私は少し違った視点からこの企画について語る。まず、こうした企画ができることが、日本の治安がいかに優れているかの証明になる。以前、この番組に出たゴルファーの丸山が、「アメリカだったら子供だけで外に出したら児童虐待になる」ということを言っていた。佐賀17歳バスジャック事件でも人質になった少女について同じことが言われたが、子供が一人で高速バスに乗って旅をすること自体が治安の悪い国からすると驚きなのだという。奈良での女児誘拐殺人事件が記憶に新しいが、いつまでもこの番組が存在できる国でいられるのだろうか?第二に、「帰ってきてこそ冒険」ということだ。この番組でも、スタッフの苦労はすごいだろうとテレビ画面の向こうから想像する。あまりに子供に近づいてしまい、「何してんの?」と尋ねられるスタッフもいて微笑ましいが、もし事故が起こったらせっかくの試みも台無しになってしまう。かつて冒険家の植村直己は「生きて帰ってきてこそ冒険」と言った。残念なことに、彼はマッキンリーから戻ってこなかった。つまり、植村直己は真の意味での「冒険者」ではなかったということになる。行方不明後に彼の奥さんが記者会見でこのことを語ったのは今でも私の記憶に残っている。当たり前のことだが、「はじめてのおつかい」に出てくる子どもはみな苦労しながら親のところに帰ってくる。そして、帰ってきた子どもはみなおつかいに行く前とは確実に何か違っている。無事に帰ってきた子どもたちは、植村直己以上の冒険者だった。前にも同じことを書いたと思うが、冒険とは命を賭けることではない。冒険とはいつも行く道が右なら左を行くことだ。「冒険」と「無謀」の違いも大切。昨年は、イラクに行った人が「自己責任」などと責められた年だった。今イラクに行くのは冒険でもなんでもない。もしイラク行きを考えている人がいたら、今日のこの日記をもう一度読んでもらいたい。そして、お使いを成し遂げた子どもたちから学んで欲しい。*現在掲示板と日記コメントは閉鎖しています。悪しからず。 意見があればメッセージでどうぞ。トラックバックも受け付けています。ただし殺人を正当化しない人に限ります。削除もあります。
2005.01.01
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