December 9, 2005
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カテゴリ: クラシック音楽
シューベルトがこんな詩をのこしていたなんて知らなかった。

 民衆に訴える  

  時代の青春は終わった
  民衆の力も
  流れ行く群衆のなかに埋もれて
  使いはたされた

  苦しみにさいなまれ
  あの力の名残りさえ

  実りなく消える

  民衆は歌を忘れて
  病んだ時代をさまよう
  あの日の夢を捨てて
  顧みることもなく

  ただ歌だけが運命に
  立ち向かう力をくれる
  かがやく思い出をえがき
  苦しみを和らげて

1820年代のヨーロッパは、フランス革命のあとの反動の時代だった。「冬の旅」のミュラーもシューベルトも、この時代に30歳そこそこで死んだが、この詩を読むと、夜警国家で生きることを強いられた芸術家の感性が、どんな思想に裏打ちされていたかがわかる。

「黒テント」で知られる斉藤晴彦が日本語で歌う「冬の旅」は、最初は耳が拒否反応を起こした。聴き慣れたクラシックの歌手による演奏とはあまりに違うからだ。



しかし、何曲か進み、ピアノ伴奏つきの詩の朗読を聴いているのだという風に耳がリセットされると、ドイツ語で歌われてるとひたすら「暗い」だけのこの歌曲集の裏側に隠されたユーモアや風刺、批評精神が浮き彫りになってくる。

高橋悠治のピアノは相変わらずすばらしい。

マウリツィオ・ポリーニの完璧な演奏を聴いても「あんな風にピアノが弾けたらいい」とは思わない。ひたすら圧倒されるだけだ。

しかし、高橋悠治のピアノを聴いていると、「あんな風にピアノが弾けたら気持ちがいいだろうな」という気がしてくるから不思議だ。耳に心地よいというより、身体的な快感があるのだ。

なぜそう感じるのか、ずっと考えていた。



次に、フレーズ感がいい。呼吸すべきところで呼吸するので、重たい曲でも決して息苦しくならず、いつも爽やか。

こういう風に感じさせるピアニストは、ジャズの世界にはときどきいるが、クラシックではほかにグレン・グールドくらいだ。

そのグールドも、高橋悠治に比べると作為的に聞こえる。

この世には、自分の音楽を押しつける、あつかましい音楽家の音楽があふれている。

聴く人の中にある音楽的感性を呼びさます音楽や演奏というと、高橋悠治をおいてほかにはいない。

そういう演奏だから、「あんな風にピアノが弾けたらいい」という生理的な快感を伴う感想が生まれるのだろう。

何度でも思う。今度生まれ変わることがあるなら、あんな風にピアノが弾けたらいい。

コンサートの最後は新曲「民衆に訴える」(高橋悠治)。

今年聴いた、最も感動的な音楽。





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最終更新日  December 10, 2005 07:42:44 AM
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