December 10, 2005
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カテゴリ: クラシック音楽
何年後かに、きょう聴いたブルックナーの交響曲第4番「ロマンティック」を思い出すことがあるだろうか。

きっと思い出さないだろうと思う。

30年近く前に聴いた小澤征爾の「幻想」、小林研一郎の「マンフレッド交響曲」、秋山和慶のエルガー「交響曲第1番」、尾高忠明のマーラー「交響曲第5番」・・・

ブルックナーでは、札響の常任指揮者だったペーター・シュバルツが指揮した4番、7番、8番の演奏はいまも耳に残っている。札響がまだまだ未熟だった時期の破たんだらけの演奏だったが、胸を打つ何かがあった。

オトマール・マーガという指揮者は、悪い指揮者ではない。欠点を探そうと思ってもすぐには見つからない。

この日のブルックナーの演奏も、かなり充実したものだった。外面的な効果を狙うことのない誠実な演奏で、テンポも中庸。速すぎず、遅すぎない。ドイツの指揮者にありがちなひきずるような重さもない。オーケストラもよく鳴っていて、しかもうるさくない。

しかしそれでは、なぜこのコンサートは印象に残らないのか。

音楽には2種類ある。日常性の音楽と非日常性の音楽である。

ヨーロッパで行われているのは日常性の音楽である。よくも悪くも、音楽が生活の一部になっていて、いつも圧倒的に感動的な体験を求めるわけではない。



しかし、音楽会の数が少なく、しかも料金が破格に高い日本では、聴衆はコンサートに圧倒的な体験、非日常的な感動を求める。

しかも曲がブルックナー、フィナーレのラスト3分に「神」が現れる、あの「ロマンティック」である。

いささか感受性が摩耗し世間ズレした中年男の胸のうちにさえ、「時間よ止まれ、きみは美しい」と叫ばせる時間が提供されてしかるべきだった。

立派な演奏なのに、そういう神がかりの瞬間はなかった。

だからこの演奏が記憶に残ることがないだろうと思ってしまうのである。

カリスマ性の不足と言ってしまうこともできるかもしれない。

レナード・バーンスタインがロンドン交響楽団を指揮した映像を見ると、マーラーの「復活」のフィナーレでは、奏者や歌手たちが、まるで何かに取り憑かれたように演奏していて、そこには日常と隔絶された崇高で神秘的な時間が流れているのがわかる。

そういう時間の創造に、この日のマーガと札響は失敗したのだ。

もしぼくが日刊紙の編集長なら、一面トップはこの記事にする。

このことに比べれば、みぞほ証券の300億円損失事件など、事件としてのスケールが小さい。





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最終更新日  December 11, 2005 01:19:03 PM
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