January 27, 2007
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カテゴリ: クラシック音楽
オーケストラアンサンブル金沢の音楽監督に就任した井上道義が久しぶりに客演。この人は、デビュー直後から節目節目に何度か実演を聴いている。一度も裏切られたことはないし、その明快で個性的な指揮ぶりはいつ見ても楽しい。巨匠性とかカリスマ性はないが、欧米のメジャーオーケストラの常任指揮者級の実力の持ち主だと思う。

オール・モーツァルト・プログラムで、前半は25番と35番の交響曲を2曲。小編成に絞り込んだ対抗配置で、オリジナル楽器オーケストラの演奏解釈をかなり取り入れた、ダイナミックの幅の大きい、アクセントの強い、そして速めのテンポの演奏。

これはこれでいいのだが、あたかもこれ以外の演奏スタイルは間違っているとでも言いたげな昨今のこのスタイルの流行には食傷気味。往年の大指揮者たちのロマンティックな演奏が懐かしくなる。札響では二代目常任指揮者ペーター・シュバルツの素朴でぬくもりのあるモーツァルトも魅力的だった。

後半はパントマイムのための音楽「パンタロンとコロンビーネ」 K.446。オーケストラの定期演奏会としては珍しく、オーケストラは見えない位置においてバレエ仕立てにして上演。井上道義はたしかバレエの素養があり、ここでも指揮者兼ダンサーとして登場。

音楽だけ聴くと印象に残らない曲だが、バレエ(パントマイム)と一緒に聴くと、モーツァルトの心理描写の巧みさには感嘆させられる。ワーグナーを経てベルクの「ヴォツェック」に至るオペラの心理描写のルーツはやはりモーツァルトなのだろう。

その発見は心地よい驚き。だが動作の滑稽さで笑う観客が多いのには違和感を持った。箸が転げてもおかしい年頃の女の子ならともかく、大げさな身振りやわざとらしい演技に屈託なく笑えるほど幼稚ではないぞと思ってしまった。

芝居は嫌いではないが、芝居がかったものは好きではない。だからしらけてしまうのである。

井上道義や、井上の同級生で札響の常任指揮者の尾高忠明など、ちょうど団塊の世代の指揮者は、巨匠性を獲得するその一歩手前にいるような気がする。サヴァリッシュやデュトアのように巨匠性を獲得しないで終わるのか、それとも小澤征爾のように巨匠の道を歩むことができるのか。

彼らはじつはいま音楽家人生の正念場にいるのだと思う。







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最終更新日  January 30, 2007 02:58:44 PM
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