October 13, 2007
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カテゴリ: クラシック音楽


12日には、改装なったサントリーホールで、ダニエル・バレンボイム指揮ベルリン・シュターツカペレのコンサートを聴いた。

死ぬまでに実演で、それも一流の指揮者とオーケストラで聴いておきたいと思っている曲がいくつかあるが、マーラーの「交響曲第9番」もその一つ。オペラ公演のため来日している彼らのたった3回のオーケストラ・コンサートのうちの1回がこの曲で、タイミングよくこのコンビでこの曲を聴けたのは幸運だった。

ベルリン・フィルはもちろん、ウィーン・フィルからさえ聴けない、ビロードを思わせる感触の、しかし木質の素朴さをのこした弦の響きがこのオーケストラの最大の魅力。オーケストラ全体としては、同じ旧東ドイツのドレスデン・シュターツカペレに一歩を譲るが、機能性にも不足のないビルトゥオーゾ・オーケストラである。

レナード・バーンスタインと同じく、ロシア系ユダヤ人の血をひくバレンボイムのマーラーには過剰な期待をしていた。悪くはなかったのだが、過剰な期待の分、というかバーンスタインのような没入のマーラーを期待していた分、やや期待はずれの演奏だった。

バレンボイムは、伝統あるこのオーケストラの美点を生かそうとしているように思う。自然な響き、自然な流れを重んじ、流線型のマーラーを造型していたと思う。どこまでも美しく、バランスのとれたマーラーで、決して悪い演奏ではなかった。

しかし、と思う。これはマーラー、しかもあの9番なのだ。バレンボイムはユダヤ人でありながらイスラエルのパレスチナ占領政策に反対している先鋭な知識人のひとりだが、たとえば中間2楽章では、こんにちのパレスチナの悲劇をもたらした人間の愚かさの全体をあざけり、弾劾するような怒りを聴きたい。グロテスクな楽想はもっとグロテスクに、バランスを欠くほどに暴走し、妖怪の叫び声や笑い声のような「下品で醜い」表現を聴きたかったと思う。

音の美しさを犠牲にしても、たとえば強いアタックで多少音がひび割れてしまっても、「表現」を優先するべきではないだろうか。

終楽章もそう。テンポがやや速めであることもあって、予定調和的に円満な終結を迎えることになってしまったと思う。不条理な死を強制される人々への、静かな怒りを隠した切実な祈りのような感情は、とうとう聴くことができなかったと思う。



しかしバレンボイムとベルリン・シュターツカペレである。どんな条件下のコンサートであれっても他のどんなコンビも創造しえない音楽の時間を作ることができると思うし、またそうすべきだ。

改装したサントリーホールは音響効果が改善されたというが、それはあまり感じなかった。このホールは、音のいい席が非常に少ない。





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最終更新日  October 20, 2007 12:46:45 PM
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