December 12, 2009
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カテゴリ: クラシック音楽
初めて札響定期を聴いたのは1970年3月の第93回定期だから、かれこれ40年、札響を聴いてきたことになる。

この40年で札響も、音楽を取り巻く世界も大きく変わった。

40年前の楽員はだれ一人として残っていないことからわかるように、また編成も大きくなったこともあって、まったく別のオーケストラといえるくらいに成長した。技術水準は上がって東京のビッグ3に次ぐくらいになり、欧米の一流と比較しても遜色ないレベルになった。

技術水準が上がるのと反比例するように、心を打つ演奏が少なくなった。音色も汚くなった。1990年前後と2000年前後だったと記憶するが、もう二度と札響を聴くのはやめよう、そう思う演奏が続いたこともあった。

しかし、最も変化、というより悪化したのは聴衆である。40年前はストラヴィンスキーの「火の鳥」の全曲を、たとえ録音でも聴いたことがある人はごく少数だっただろうし、音楽的な経験や知識の蓄積の乏しさは今とは比較にならない。

何しろ、この頃のほとんど唯一の音楽ソースだったFMの本放送が開始されたのは1969年だったのだから。

しかし、40年前の聴衆は、ある神聖な儀式に立ち会うかのように、真剣に札響のつたない、しかし真摯な演奏を聴いた。身じろぎさえする者はなく、すべての音を聞き逃すまいという気迫がホールに充満していた。オーケストラのチューニングの音さえ、まるで最も高尚な音楽であるかのように聴いた。

クラシック音楽というのは、精神的緊張を伴う読書、たとえばドストエフスキーや森鴎外の小説と似ている。自分から積極的に意味を読みとろう、聞き取ろうとする姿勢がなければ、そのよさもすばらしさも理解することはできない。渡辺淳一や高樹のぶ子の小説が「文学」だと思っているような人、ディズニーランドの年間パスポートを持っているような人にはそもそも無縁なのだ。

これが、日本だけでなく欧米でもクラシック音楽が少数の愛好家のものにとどまる理由であり、それでいいのだ。



だがクラシック音楽は死んではいなかった。

この日のアンコールに演奏されたグリーグ「過ぎにし春」で、カラヤン的に変質される以前の、つまり厚化粧ではなく地の素顔のみずみずしい美しさをたたえた「ホンモノの音楽」に出会えたのである。

こういう、静かでゆっくりとした音楽こそ、ごまかしがきかず、演奏は難しいものである。楽員の中にひとりでも集中を欠いた人間がいたり、聴衆に積極的に聴こうという姿勢がなかったりすると、ただの音の羅列になり、音楽は灰燼と帰すものだが、わずか数分とはいえ、オーケストラと聴衆の両方に完全な集中が持続したのである。

広上淳一はサイトウキネンオーケストラや水戸室内管弦楽団に招聘されたことからもわかるように、ポスト小澤征爾の一群の指揮者の、最有望のひとりだが、こういう音楽を引き出せる指揮者だとは思っていなかった。

40年前の真摯な札響を思い出させる感動的なアンコールに、ロシア音楽を集めた本プロは印象が薄くなってしまったが、一応、述べておこう。

ショスタコーヴィチの交響詩「十月革命」は、1967年のロシア革命50周年に際して作曲されたもの。評論家の青澤唯夫はプログラム・ノートに「典型的な社会主義リアリズムの美学に基づいた作品」と書いているが、どこをどう聴いたらそう聞こえるのか不思議なことだ。

たしかに、暗から明というスタイルで書かれているが、絶対に感情移入できないように巧妙に作られている。いちばんわかりやすいのはエンディングで、ほとんど悪ふざけとしか言いようのない打楽器の連打で終わる。十月革命のダイナミズムを賞賛したのは最初の部分で、それがボルシェビキの独裁によって変質し、悲劇が茶番として繰り返された歴史を描写している。

この曲は、ショスタコーヴィチのほかの交響曲と同じように、ソ連共産党という茶番を、ロシア十月革命の精神で打倒しようと呼びかけているように聞こえる。そのメッセージをより普遍的な言葉に変換すると「素朴は罪悪」ということである。

素朴な人間は、マルチ商法やカルトにはまったり、「党」に入ったりする。できちゃった婚をして不幸になったりする。傷口を消毒したり、うつ病の人間を励ましたりして人を死においやる。素朴でナイーブな人は、はっきり言ってはた迷惑な存在でGDPを低下させている。

正義とは何かをつきつめて考えたことのない人間の振りかざす正義に素朴な人間が多数派として同意したとき、ファシズムが生まれる。

こうした理性の消滅もしくは没理性的状況に対する抵抗をこの音楽は叫んでいる。



二曲目はニコライ・ルガンスキーをソリストに迎えてのラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」。

この曲は名曲だとは思うし、たまには聴きたいとも思うが、またか、というのが正直なところ。

ショパンの2つのピアノ協奏曲、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲などはもう二度とコンサートで聴きたくない、とさえ思う。

この曲はロシアのオーケストラの来日公演に任せるか、日曜午後の「ファミリー向け名曲コンサート」に限ってはどうかと思う。

ハリウッド映画の三枚目を思わせる風貌のルガンスキーのピアノは流麗で品のよさが長所。一方、優等生的ともいえ、一期一会のスリルはない。ロシア・ピアにズム楽派にありがちの金属的な音色の名人芸一本の猿回し芸人的ピアニストではなく、このあたりがやはり新世代の感性なのかもしれない。













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最終更新日  December 13, 2009 12:08:22 PM
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