May 14, 2013
XML
カテゴリ: 映画
サブタイトルは「日本の中のビルマ人」。

ビルマ民主化運動の活動家チョウチョウソーが政府の弾圧を逃れて日本に渡ってきたのは1991年のこと。レストランで働きながら日本で祖国のための民主化運動を続ける彼の14年を追ったのがこのドキュメンタリー。パレスチナ5部作や「私を生きる」のビデオジャーナリスト土井敏邦監督の作品。

作品、と書いてしまったところで違和感を感じた。これは、映画館のリーフレットにあるように作品というよりは「仕事」だからだ。こんな生き方をしている人がいる、しかも日本に、ということを伝える土井敏邦という人の仕事に接している気がしてくる。だから、見終わったあと気持ちが完結しない。この仕事は、チョウチョウソーの人生と闘いが続いているように、これからも(作品としては結実しなくても)続いていくし、もしかしたらそれを受け継ぐのはわれわれかもしれない、という気がしてくる。

デジタル映像機器の発達によって、誰でもがビデオジャーナリストになれる時代がやってきた。衛星電波へのアクセスさえできれば、全世界にリアルタイムで映像を発信することさえできるようになっている。わたしがいろいろな闘争現場に行ってIPADで動画を撮っているのも、不当逮捕が行われたばあい不当である「証拠」を収めるためだし、いまはまだやっていないがさほどタイムラグなく世界に「放映」するためである。

近年、優れたドキュメンタリー作品が作られるようになっているのは、機材の低価格化と高性能化、小型化によるところが大きい。しかし、もちろんそれは副次的であり、対象を発見する力や対象への透徹したまなざしこそが重要なことは言うまでもない。そして、土井敏邦という人のそれは、ひときわ抜きん出ていると思う。

いくつか印象的かつ感動的なシーンがある。ひとつはバンコクでの父親との14年ぶりの再会。仏陀をめぐる父子の対話は哲学的な雰囲気さえただようが、知恵と知識が分離しないアジア的知性のあり方を見ているような気がしてくる。

被災地への支援活動も記録されているが、難民でありながら被災民を助ける、その生き方にはアタマが下がる、というより冷や汗がでる。「自分のためだけに生きる人生はつまらない」と語るチャウチャウソーや在日ビルマ人たちは、彼らの懸命の訴えの前をわれ関せずとばかり素通りしていく能面のような表情の日本人市民とはあまりに対照的だ。

こんなセリフもあった。「私はお金持ちにもなれるし自由にもなれる。しかしビルマで暮らす同胞には自由も豊かさもない。私だけそのチャンスを独り占めすることはできない」

豊かさと自由のありがたみを知らない日本人は、この言葉の意味は表面的にさえ理解できないのではないだろうか。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  May 22, 2013 01:43:02 PM
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

プロフィール

ペスカトーレ7

ペスカトーレ7

バックナンバー

December , 2025
November , 2025
October , 2025

© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: