October 7, 2013
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カテゴリ: 映画
「今年の秀作10本の中に入れたい」という映画館リーフレットの言葉にひかれて見にいった。2012年のデンマーク映画。

少女の作り話から変質者扱いをされてしまう男性の話。

少女はウソをつかない無垢な存在である、という前提があって、それを疑うことのない大人の固定観念のおそろしさや自己の感情を正当化する没知性的知性への告発を含みもつ映画だ。

大好きだった先生が自分のウソのためにたいへんな目に遭ったことに後悔した少女は、ウソだったことを告白するが、信じ込んだ大人たち、特に少女の母親はその言葉を「善意」に解釈する。つまり、男性は変質者だが少女がかばっているという風にとらえ、そうとらえる自分の「優しさと思慮深さ」を絶対的な善として疑うことがない。

いちおう、男性の疑いは晴れ、男性の息子もこの村のコミュニティに迎えられる。しかし、ラストのラストで、男性を疑っている村人の存在も明らかにされる。いったん作られた偏見はそう簡単に消えることはないのだ。

アメリカ映画では子どもは善良なものと単純化して描かれ、正しい者は最後は救われる。しかし、ヨーロッパ映画では必ずしもそうではない。この作品もしかり。そこから浮かびあがるのは、正義をふりかざし事実に肉薄しようとしない人間の愚かさと救いのなさであり、特にこの映画では女性のそうした側面が執拗に描かれる。味方に見え一時は恋人関係になった女性でさえ、実際は疑っていたことに気づいた彼は女性と絶縁するが、この部分には制作者の女性一般に対する絶望さえ感じられる。

主人公のマッツ・ミケルセンの、知的で成熟したおとなの男性の魅力が全開。どこか哀愁を感じさせるキャラクターが役柄にはまりまくっている。

痴漢冤罪などが話題になっているが、いつ自分がこういう目に遭わないとも限らない。自分が同じ目にあったらと考えるとぞっとするが、仮に疑いが晴れたとしても一度でも侮蔑と憎悪を自分に向けた人間はゆるすことができない。

この映画の主人公のようには寛容になれないと感じるが、そうした寛容さを戒めているかのような解釈も可能なラストが記憶と印象に残る。





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最終更新日  October 27, 2013 09:30:20 PM
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