October 2, 2015
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カテゴリ: クラシック音楽
ピアノリサイタルには原則として行かないことにしている。

いちばんの理由はピアノの音そのものを好まないからだ。単音は(たとえばギターなどと比べて)音色の変化に乏しく、和音はいかにも平均率的な濁った響きがする。

次の理由はききたいと思う音楽がプログラムにない場合がほとんどだからだ。メシアン「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」、ジェフスキー「不屈の民変奏曲」、ジョン・ケージ「プリペアド・ピアノのためのソナタとインターリュード」、コーネリアス・カーデュー「テールマン変奏曲」といった20世紀ピアノ音楽の最高傑作でさえ、地元の演奏家でひく人はいない。武満徹や細川俊夫や林光や柴田南雄のピアノ曲を演奏する人もいない、というかいたら教えてくれたまえ。

話は現代音楽に限らない。パーセルやヘンデルも、ロドリーゴやコープランドやショスタコーヴィチもプーランクもきいたことがない。ドメニコ・スカルラッティのあのすばらしい555のソナタでさえ数曲しかきいたことがない。まるでこれらの作曲家は存在しないかのようだ。

だから鍵盤音楽の鑑賞は録音に限るのがほぼ正しい。

それでもこのリサイタルに出かけたのは、このピアニストに1992年にミュンヘンで一度だけ会ったことがあり、他のピアノ学習者とはちがうものを感じて一度きいてみたいと思っていたのと、ファリャ「ファンタシア・ベティカ」がプログラムにあり、しかもバッハのパルティータ第4番、ベートーヴェンのピアノソナタ第31番、フランクの「プレリュード、コラールとフーガ」というそれぞれの作曲家の最高傑作が並べられていたから。

おめあてのファリャ作品は「アンダルシア幻想曲」の名でも知られる曲。スペインでも最もいわゆるスペイン的なイメージなのがアンダルシア地方の風物であり文化  だが、フラメンコギターをかきならすような激しい音型が繰り広げられていく暗い情熱と抒情性に満ちた名曲である。

ギターを小さなオーケストラと呼んだのはベートーヴェンだったが、スペインの作曲家のピアノ音楽には、ギターの模倣というよりピアノを「拡大されたギターにしたい」という野心を感じることが多い。この曲などその筆頭で、ギター的だがギターには不可能なフレーズがこれでもかと繰り出されていく。

演奏は芸術的な完成度の高い見事なもの。民族性や民俗楽器的な要素を強調せず、純粋な芸術音楽としてとらえた演奏。しかしこういう曲は練習や思索のあとを感じさせず、即興で感興の趣くまま演奏しているようにきこえるのが理想であり、破たんや逸脱、狂気をききたい部分も整然と演奏されてしまうのには矛盾した不満も持ってしまう。



全体としてシリアスで誠実な音楽に居ずまいを正されるような気になったが、もう少しライブ・パフォーミングとしてのコンサートを志向してはどうかと思った。





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最終更新日  January 4, 2016 01:41:06 PM
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