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【2021年12月5日(日)】 日曜日ですが事務所出頭でした。 京都駅伊勢丹内の美術館「えき」京都で開催中の「写真家ドアノー/音楽/パリ」の招待券2枚をいただいていたので、夕刻、二人で訪れました。海外・日本の絵画展はよく訪れますが、写真展は初めてです。 パンフレットの説明からフランスの国民的写真家ロベール・ドアノーは、パリを舞台に多くの傑作を生み出し、世界で最も愛され続けている写真家の一人です。本展は、パリの街角にあふれるシャンソンやジャズなど様々な音楽シーンを題材に1930年代から90年代にかけて撮影された、ドアノー独自の音楽的感覚に富んだ作品約200点で構成されます。2018年末から2019年春にかけて、フランス・パリ19区にある”フィルハーモニー・ド・パリ”内の音楽博物館で開催され大好評を博した展覧会を基に、日本向けに再構成した巡回展です。 京都駅大階段では、イルミネーションのクリアスマスバージョンが映し出されていました。 日曜の夜で混んでいて、だいぶ待ちましたが、The Cubeのレストラン街の「牛たん 伊之助」さんで夕食とさせていただきました。「牛たん伊之助」よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/12/05
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【2021年9月20日(月)】 昨日は、会の会議がコロナでZoom開催となって、終日在宅でした。この日は、カメラが不調で声のみでの参加になりました。そもそもVistaPCに外付けカメラが問題です。新しいPCを、そろそろ買わねばと思い、物色し出しました。あとは終日会の所持。 今日は、ある用時の外出で、その待ち時間を利用して、「若冲と近世絵画展」を観に承天閣美術館へ行ってきました。入館料は一般は800円ですが、65歳以上は割引で600円で入ることができました。 このブログにも掲載中の「若冲と応挙」の研究を通して、美術書で知った多くの絵や書物に出会うことができました。 若冲の関係では、伊藤若冲肖像画、若冲寿蔵銘拓本、梅荘顕常頂相、参暇寮日記、鳳凰図(林良絵の模写)、釈迦三尊像、小雲棲稿など、応挙の関係では、七難七福図巻、牡丹孔雀図などです。 待ち時間を利用しての観賞だったので、時間をかけられなかったのは残念です。出品目録(後期でしたので、Ⅱの方を観ました。)●第1展示室 ◎亜要文化財◇初公開 I・Ⅱ表示は展示期間。(表記無しは通期展示) 第1章 伊藤若冲と相国寺1 伊藤若冲像 久保田米僊筆 1幅 絹本著色 明治時代 相国寺蔵2 若冲寿蔵銘拓本 悔荘顕常撰 3幅 紙本墨書 江戸時代 相国寺蔵3 松鴎庵指図 1枚 紙本墨書 江戸時代 相国寺蔵4 参暇寮日記 紙本墨書 江戸時代 相国寺蔵5 役者寮目記 紙本墨書 江戸時代 相国寺蔵6Ⅰ 売茶翁高遊外像 梅荘顕常賛 伊藤若冲筆 1幅 絹本墨画江戸時代 相国寺蔵7Ⅱ 梅荘顕常頂相自賛 世継希僊筆 1幅 絹本著色 江戸時代 慈雲院蔵8Ⅰ 牡丹百合図 伊藤若冲筆 2幅 絹本著色 江戸時代 慈照寺咸9Ⅱ ◎鳳凰石竹図 林良筆 1幅 絹本墨画 明時代 相国寺蔵10Ⅱ 鳳凰図 伊藤若冲筆 1幅 紙本墨画 江戸時代 相国寺蔵11 厖児戯帚図 無染浄善賛 伊藤若冲筆 1幅絹本著色 江戸時代 鹿苑寺蔵12 亀図 聞中浄復賛 伊藤若冲筆 1幅 紙水墨画 江戸時代 鹿苑寺蔵13 龍王図 梅荘顕常賛 維明周奎筆 1幅 紙本墨画 江戸時代 寛政元年(1789) 相国寺蔵14 朱衣達磨図 維明周奎筆 1幅 絹本著色 江戸時代 文化元年(1804) 相国寺蔵15 釈迦三尊像 伊藤若冲筆 3幅 絹本著色 江戸時代 明和2年(1765) 相田寺蔵≪夕佳亭≫16Ⅰ 伏見人形図 伊藤若冲筆 1幅 紙本著色 江戸時代 慈照寺蔵17Ⅱ 鱏図 芝山持豊賛 伊藤若冲筆 1幅紙本墨画江戸時代 相国寺蔵第2章 天明の大火とその復興18 ◇宝勝如来普庵禅師像 梅荘顕常賛 原在正筆 2幅 絹本墨画 江戸時代 相国寺蔵19Ⅱ 中鶏左右梅図 伊藤若冲筆 3幅 絹本著色 江戸時代 天明9年(1789) 鹿苑寺蔵20 相国寺方丈杉戸絵原在中筆 36面のうち 板地著色 江戸時代 相国寺蔵21 維明周奎頂相 自賛 1幅 絹本淡彩 江戸時代 文化元年(1804) 慈照寺蔵22Ⅰ 梅図・牡丹図座屏 維明周奎 原在中筆 1対 紙本著色 江戸時代 相国寺蔵23 ◇北禅文草 梅荘顕常作 2冊 版本 江戸時代 寛政4年刊(1792) 瑞春院蔵24 ◇北禅詩草 梅荘顕常作 6冊のうち2冊 版本 江戸時代 寛政5年刊(1793) 瑞春院蔵25 ◇小雲棲稿 梅荘顕常作 6冊のうち5冊 版本 江戸時代 寛政8年刊(1796) 瑞春院蔵26 ◇小雲棲手簡 梅往顕常作 2冊 版本 江戸時代 安永6年刊(1777) 瑞春院蔵●第二展示室第3章 金閣寺、銀閣寺の障壁画27 金閣寺遊楽図屏風 6曲1隻 紙本著色 江戸時代 鹿苑寺蔵28Ⅰ 玉熨斗図 伊藤若冲筆 1幅 紙本墨画 江戸時代 鹿苑寺蔵29Ⅰ 竹虎図 梅荘顕常賛 伊藤若冲筆 1幅 紙本墨画 江戸時代 鹿苑寺蔵30Ⅱ 群鶏蔬菜図押絵貼屏風 伊藤若冲筆 6曲1双 紙本墨画 江戸時代 相国寺蔵31 ◎鹿苑寺大書院障壁画 紙本墨両 江戸時代 宝暦9年(1759) 鹿苑寺識32Ⅰ 維明周奎墨跡 大文字の解 1福 紙本墨書 江戸時代 慈照寺咸33 慈照寺境内図 維明周奎賛 池大雅筆 1幅 紙本淡彩 江戸時代 慈照寺蔵34Ⅱ 慈照寺境内諸堂図 1幅 紙本淡彩 江戸時代 慈照寺蔵35 慈照寺方丈障壁画 上官之問 山水人物画 与謝蕪村筆 12面のうち7面 紙本墨画 江戸時代 明和年間(1764~72) 慈照寺蔵第4章 18世紀の京都画壇の名宝36 七難七福図巻 天災巻 円山応挙筆 3巻のうち1巻 紙本著色 江戸時代 明和五年(1768) 相国寺蔵37 七難七福図巻 天災巻 画稿 円山応挙筆 2巻のうち1巻 紙本墨画 江戸時代 相国寺蔵38 七難七福図巻 天災巻 下絵 円満院祐常筆 1巻 紙本墨画 江戸時代 相国寺蔵39 釈迦十六善神像 円山応挙筆 1幅絹本著色 江戸時代 天明6年(1786) 慈照寺蔵40 雪中山水図 浜松群鶴図屏風 円山応挙筆 2曲1双 紙水墨画淡彩 江戸時代 明和6(1769) 相国寺蔵 ※Ⅰ期雪中山水図屏風、Ⅱ期浜松群鶴図屏風41 豆狗子図 円山応挙筆 1幅 紙本墨画淡彩 江戸時代 鹿苑寺蔵42Ⅰ ◎大瀑布図 円山応半筆 1幅 紙本墨画 江戸時代 安永元年(1772) 相国図蔵43Ⅱ ◎牡丹孔雀図 円山応挙筆 1幅 絹本著色 江戸時代 明和8年(1771) 相国寺蔵44 古清水色絵橘文三宝 1口 江戸時代 相国寺蔵45 清閑寺焼金欄手月兎文茶碗 1口 江戸時代 鹿苑寺蔵46 古清水色絵唐子形香炉 1口 江戸時代 相国寺蔵47 狸形手焙 仁阿弥道八 1口 江戸時代 相国寺蔵常設展示 鹿苑寺大書院障壁画のうち ■一之間 床貼付 ◎葡萄小禽図 伊藤若冲筆 12面 紙本墨画 江戸時代(宝暦9年・1759) 鹿苑寺蔵 ■一之問小襖 樵夫吹笛図、竹雀図、双雀図、旅僧図 住吉如慶筆 4面 紙本墨画淡彩 江戸時代 17世紀 鹿苑寺蔵 ■三之同床貼付 ◎月夜芭蕉図 伊藤若冲筆 4面 紙本墨画 江戸時代(宝暦9年・1759) 鹿苑寺蔵常設展示 ◎⑤不動明王像 1躯 鎌倉時代 13世紀 鹿苑寺蔵よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2021/09/20
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【2020年10月25日(日)】 天気もよいので、Go to eat のポイントのもらえる店で食事でもしょうかということになり、せっかくなので、その前に京都国立博物館「皇室の名宝展」を観にいこうということになりました。ネットで調べると、コロナ禍でやはり事前予約制になっていましたが、空きは十分にあり、一人1,800円のチケットを2枚ゲット。バスで行って、烏丸七条から国立博物館の往復を歩いたので、ちょっとした散歩にもなりました。 予約でいっぱいになっていないので、予約なしでも入れたようです。家内は京都国立博物館の平成知新館に入るのは初めてのようでした。「宮内庁三の丸尚蔵館」所蔵の、もともと皇室が所有していた作品群が中心です。目玉の1つは伊藤若冲の「動植綵絵」が展示入れ替えも含めて、8作品観られることです。今日は前期で、「雪中鴛鴦図」「群鶏図」「薔薇小禽図」「老松白鳳図」を観覧できました。円山応挙の「牡丹孔雀図」「群獣図屏風」、岩佐又兵衛「小栗判官絵巻」、渡辺始興「四季図屏風」、狩野探幽「源氏物語図屏風」などの作品も観覧できました。 見応えのある展覧会でした。普通なら若冲の「動植綵絵」の前などは人だかりになるのでしょうが、予約制で混んでないので、かぶりつきでゆっくり観ることができたのがよかったです。 京都駅近くの「ワイン蔵しおり」というイタリアンのお店で夕食でした。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/10/25
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【2020年9月6日(日)】 京都府立堂本印象美術館の企画展「おしゃばりな絵画」のペア招待券が抽選で当選しました。会期が9月22日までということもあり、暑かったですが、家内と出掛けました。二人だけで、こうやってレジャー目的で外に出るのは、1月の「漢検ミュージアム」以来です。その名の通り「印象的な」絵や建物・内装(堂本印象デザイン)を堪能してきました。東側には画伯の邸宅美術館の位置 立命館大学衣笠キャンパスの北パンフレットから展示室内は写真撮影禁止なので、展示作品群はパンフレットからよろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/09/06
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【2020年1月16日(木)】 午後4時ごろ、伏見稲荷大社でのシニア講座フィールドワークが終わり(こちら)、午後6時からの会同期懇親会まで時間があるので、シニア講座でもう一つの班を案内してくださったMさんと「さて、懇親会までどうやって時間を過ごしますかね?」と思案しました。今日随行いただいたIさんが、「若冲展に寄って帰ります。」と言っていたのを思い出し、京都高島屋での若冲展にMさんといっしょに行くことにしました。 若冲は去年の5月にシニア講座で「若冲と応挙」と題して講義したこともあって、この高島屋の展覧会を観たいと思ってましたが、時間がとれそうにないので、半分あきらていました。こんな隙間時間を利用して観ることができたのはラッキーでした。若冲展入口パンフレットから展示目録 講義の準備中に本で知った絵のうひちの多くを今回観ることができました。「XX展」と銘打っても、その作者のものはごく一部ということも多いですが、今回は大部分若冲作で、それ以外も若冲の弟や弟子の作品なので、見ごたえがありました。これで1000円はお値打ちです。相国寺承天閣美術館蔵や宝蔵寺蔵の絵の数々は観たことがありますが、細見美術館蔵や平木浮世絵財団のものは初めてでした。隙間時間を利用して、有意義なひと時を過ごさせていただきました。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2020/01/16
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【2019年10月15日(火)】 知恩院での他地区組現地研修に参加後(こちら)、歴彩館に向かいました。 某講座のレジュメを作成の参考に「伏見稲荷大社御鎮座千三百年年史」の必要部分をコピーするためです。 歴彩館に着くと、展示室で「双京 京の夢、江戸の夢~館蔵資料に見る、二都の縁(えにし)~」展を開催していましたので、ますはそちらを見学しました。天皇即位を記念して、皇室ゆかりの京都と東京、両都市に関わる館蔵資料を展示されていました。大正大礼や昭和大礼のときの京都駅前の奉祝門の写真など興味ある資料を多く発見することができました。私はこれらの時代にはまだ生まれていません。今後の研究やガイドで、昔の世相を知っておくことはきっと役に立つと思います。ポスター京都府 生涯学習・スポール情報サイトから展示目録よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/10/15
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【2019年9月11日(水)】 「ICOM京都大会開催記念 特別企画京博寄託の名宝 ─美を守り、美を伝える─」が京都国立博物館で開催されています。会期は8月14日~9月16日までです。家内を誘って行きたかったのですが、会期が1ヵ月しかなく、都合の合う日がなく、ガイド会の地区組月例会(こちら)後、私だけで京都国立博物館を訪れました。 国宝や重要文化財が多く展示されていますが、寄託品のみの展示なので平常展示扱いであるため、観覧料は520円と極めてお得です。明治古都館平成知新館平成知新館内 平成知新館にて、次のような構成で約140点が展示されています。国宝、重要文化財のオンパレードです。陶磁 :京の社寺に伝わる陶磁器 【3F-1展示室】考古 :寄託の国宝─出土遺物から 【3F-2展示室】肖像画 :京の古寺と大画面の肖像画 【2F-1展示室】仏画 :王朝文化の輝き─華麗なる平安仏画の世界【2F-2展示室】中世絵画:初期狩野派の名作 【2F-3展示室】近世絵画:京都の寺院障壁画 【2F-4展示室】近世絵画:江戸絵画の華 【2F-5展示室】彫刻 :京都の仏像・神像 【1F-1展示室】中国絵画:名刹に伝わる宋元の名画 【1F-2展示室】書跡 :京の社寺と国宝の書 【1F-3展示室】染織 :神・人・仏を彩る染織 【1F-4展示室】金工 :信仰をつなぐ金属工芸 【1F-5展示室】漆工 :社寺が伝えた珠玉の漆器 【1F-6展示室】 展示リストから京都に関係する国宝だけピックアップしてみます。35 金銅小野毛人墓誌 左京区上高野出土 1面 飛鳥~奈良時代 7~8世紀 崇道神社39 金銀鍍宝相華文経箱 延暦寺横川出土 1合 平安時代 長元4年(1031) 延暦寺43 伝平重盛像・伝源頼朝像 2幅 鎌倉時代 13世紀 神護寺47 釈迦如来像(赤釈迦) 1幅 平安時代 12世紀 神護寺59 花鳥図襖 狩野永徳筆 161面のうち4面 室町時代 16世紀 聚光院62 風神雷神図屏風 俵屋宗達筆 2曲1双 江戸時代 17世紀 建仁寺64 夜色楼台図 与謝蕪村筆 1幅 江戸時代 18世紀66 四天王立像のうち多聞天立像 1躯 平安時代 11~12世紀 浄瑠璃寺71 五智如来坐像 5躯 平安時代 9世紀 安祥寺85 阿弥陀三尊像 普悦筆 3幅 中国 南宋時代 12~13世紀 清浄草院87 孔雀明王像 1幅 中国 北宋時代 11~12世紀 仁和寺88 十六羅漢像 16幅のうち2幅 中国 北宋時代 11~12世紀 清涼寺91 山水図 李唐筆 2幅 中国 雨宋時代 12世紀 高桐院92 秋景・冬景山水図 2幅 中国 南宋時代 13世紀 金地院95 灌頂歴名 空海筆 1巻 平安時代 9財紀 神護寺96 書巻<本能寺切> 藤原行成軍 1巻 平安時代 11世紀 本能寺97 古今和歌集巻第十七残巻<曼殊院本> 1巻 平安時代11巨紀 曼殊院98 法華経巻第七<運慶願経> 6巻のうち 平安時代 嘉永2年(1183) 真正極楽寺100 後嵯峨天皇宸翰消息 1幅 鎌倉時代 寛元4年(1246) 仁和寺101 宗峰妙超墨蹟「関山」道号 1幅 鎌倉時代 京暦4年(1329) 妙心寺102 菩薩処胎経巻第二 5帖のうち 中国西魏時代 大統16年(550) 知恩院103 禅院額字井牌字のうち「首座」 1幅 中国 南宋時代 13世紀 東福寺104 禅院額字井牌字のうち「浴司」 1幅 中国 南宋時代 13世紀 東福寺105 古林清茂墨蹟「月林」道号 1帆 中国 元時代 泰定4年(1327)長福寺124 宝相華迦陵頻伽蒔絵𡑮冊子箱 1合 平安時代 延喜19年(919) 仁和寺125 宝相華蒔絵経箱 1合 平安時代 11世紀 延暦寺126 宝相華蒔絵宝珠箱附四天王像板絵 1合 平安時代10~H世紀 仁和寺国宝以外の京都関連絵画をすべて挙げます。 - -44 寛空僧正像 1幅 平安時代 12世紀 上品蓮台寺 一 -45 重文 真済僧正像 1幅 鎌倉時代 13世紀 神護寺46 重文 道宣律師像・元照律師像 楼鑰賛 2幅 中国・南宋時代 嘉定3年 泉涌寺 俊芿律師像 自賛 1幅 鎌倉時代 嘉禄3年(1227)49 重文 仏眼曼荼羅図 1幅 平安時代 12け紀 神光院51 重文 孔雀明王像 1幅 鎌倉時代 12~13世紀 安楽寿院55 重文 竹石臼鶴図屏風 狩野正信筆 6曲1隻 室町時代 圈註紀 真珠庵56 重文 四季花鳥図 狩野元信筆 8幅 室町時代 永正10年(1513)大仙院57 重文 瀟湘八景図 狩野元信筆 4幅 室町時代 16世紀 東海庵58 重文 楼閣山水図 伝狩野元信筆 1幅 室町時代 16世紀 金地院59 重文 花鳥図襖 狩野永徳筆 16面のうち4面 室町時代 16世紀 聚光院60 重文 雲龍図 海北友松筆 8帽のうち4幅 桃山時代 慶長4年(1599) 建仁寺61 重文 山水図襖 長谷川等伯筆 16面のうち4而 桃山時代 慶長4年(1599) 隣華院63 重文 雪汀水禽図屏風 狩野山雪筆 6曲1双 江戸時代 17紀 -65 大和美人図屏風 回鍋暁斎筆 2曲1隻 明治時代 明治17~1818年(1884~85)86 重文 阿弥陀浄土図 1幅 中国・南宋時代 淳煕10年(1183) 知恩院89 重文 五百羅漢像 周李常・林庭珪他筆 82幅のうち3幅 中国・南宋時代 12世紀 大徳寺90 重文 蝦幕鉄拐図 顔輝筆 2幅 中国 元時代 14世紀 知恩寺93 重文 伝王維筆 1幅 中国 南宋時代 13叫紀 京都・智積院-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2019/09/11
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【2017年3月12日(日)】 今日は家内といっしょに、京都文化博物館での「戦国時代展」と先斗町歌舞練場での「邦楽舞踏名流会」に行ってきました。 車を京都文化博物館近くの立体駐車場に停めようとしたところ、係員の人から高さが入らないと言われて(プリウスαなので、そんなに車高が高いわけではないんですが)、駐車場をグルグル探し、結局河原町御池の市営地下駐車場へ。料金がよく分からないまま入りました。コインパークより高いかもしれませんが、地下街ゼストで買い物すれば割引きがあるので、買い物すればそれほどではないでしょう。 まず、京都文化博物館の「戦国時代展」へ。先日の講演会で「洛中洛外図屏風」のことを聴いて(こちら)、色々調べているうちに、上杉本の原本がこの展覧会で展示されていることを知りました。家内もその講演会を聴きに行きました。それで興味があるのか、喜んで同伴してくれるようでしたので、二人で行くことになっていました。しかし、途中で展示替えがあり、お目当ての上杉本洛中洛外図屏風の展示は今日までとのこと。二人とも都合がよいのが、今日くらいしかなく、ギリギリ間に合いました。お値段は一人1300円也。 上杉本洛中洛外図屏風(国宝)は米沢市上杉博物館蔵ですが、多くの上杉家文書もいっしょに展示されており、「織田信長書状」、「徳川家康書状」、「豊臣秀吉直書」など多くの国宝を観ることができました。国宝「上杉本洛中洛外図屏風」 織田信長から上杉謙信に贈られた狩野永徳の作品とされています。右隻https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9B%E4%B8%AD%E6%B4%9B%E5%A4%96%E5%9B%B3左隻https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9B%E4%B8%AD%E6%B4%9B%E5%A4%96%E5%9B%B3「織田信長書状」http://ameblo.jp/hiibon33/「徳川家康書状」 http://ameblo.jp/hiibon33/「豊臣秀吉直書」http://ameblo.jp/hiibon33/ 京都関係の重要文化財では、妙心寺蔵「達磨・豊干・布袋図」、北野天満宮蔵「北野天神縁起絵巻」、陽明文庫蔵「後法興院政家記」などが展示されていました。妙心寺蔵「達磨・豊干・布袋図」(南宋時代)達磨図:伝門無関画、豊干・布袋図:李確https://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/ctgylist/?PageId=2&ctgy=31北野天満宮蔵「北野天神縁起絵巻」土佐光信画、三条西実隆詞書http://sengoku-period.jp/highlight.html その他主な所蔵元博物館・美術館や寺社は、東京都江戸東京博物館、陽明文庫、真田宝物館、毛利博物館、国立歴史民族博物館、山口県立山口博物館、九州国立博物館、厳島神社、真正極楽寺などです。 内容、展示品数とも大満足の展覧会でした。日曜日でしたが、滅茶苦茶混雑しているわけではなかったのもよかったです。 江戸東京博物館→京都文化博物館→米沢市上杉博物館と巡回中です。 総合展示も「戦国時代展」のチケットで入場でき、ユネスコの記憶遺産に登録された「東寺百合文書」の展示も観覧できたのですが、次に観る踊りの会の開始時間が過ぎていたので、素通りに近いかたちで観て、三条通を先斗町歌舞練場に急ぎました。 観覧したのは「邦楽舞踏名流会」という踊りの会です。私の所属するシニアガイド会の同期の方が、私が三味線をやっているということで、わざわざ送ってくださいました。この方の従妹さんと姪っ子さんが踊りで、お兄さんが三味線で出演されているとのこと。先斗町歌舞練場 詳しくは分かりませんが、プログラムを見ると、藤間流、花柳流、若柳流などの流派の方々の踊りの会のようです。タダでいただいたのですが、送っていただいたチケットには5000円と書いてあってマジックで塗りつぶしてあります。5000円ですので、発表会というのではなく、プロの方の踊りの会のようですが、チャリティー事業とあります。踊り手の方にノルマが何枚かあって、実際には踊り手の方がそれを買い取ってチャリティーとし、友達、知人に売るなりタダであげているのだと思います。 入場すると、席はいっぱいのようです。立ち見を覚悟しましたが、2階もあるので行ってみました。横の桟敷席に入ったところ、空いている席があったので、そこに座りました。会場を眺めると、1階も、2階の普通席も空いているところがたくさんあるようでしたが、面倒でしたので、そこで観続けました。 すでに3つめの長唄「松の羽衣」までプログラムは進んでいましたが、送っていただいた方の親戚の方が出られるのは、次の長唄とその次の常磐津でしたので、タイミングよくそこは観ることができました。 なお常磐津の演題「猩々(しょうじょう)」とは、古典書物に記された架空の動物で、各種芸能で題材にもなっており、特に能の演目である五番目物の曲名『猩猩』が有名です。真っ赤な能装束で飾った猩々が、酒に浮かれながら舞い謡い、能の印象から転じて大酒家や赤色のものを指すこともあります。その「猩々」 駐車場に5時間強停めました。30分250円(平日なら最大1500円。土日祝日は上限なし)でしたが、ゼストで3000円以上買い物をして1500円の駐車場場割引きしてもらって、結果的に1000円強の駐車料金でした。あとから調べたら、コインパークは、20分300円とか30分300円とかするようなので、市営駐車場に停めて正解でした。義父にもらった商品券が残っていたので、阪急オアシスで買い物して帰りました。 戦国時代の文化財、そして古典芸能と、いにしえの文化を堪能した一日でした。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/03/12
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【2017年2月26日(日)】 今日の家内との外出、・相国寺の承天閣美術館・講演会「洛中洛外図屏風に見る上京」・夕食会のうちの承天閣美術館の#2です。(#1はこちら)●相国寺承天閣美術館「伊藤若冲展(後期)」(続き)牡丹百合図 竹虎図 梅荘顕常賛http://www.asahi.com/and_travel/articles/SDI2016091674981.html葡萄小禽図 岩上鷹図 布袋軍配図 http://kazuya77x.blog.so-net.ne.jp/2017-01-12布袋渡河図 無染浄善賛http://murakamit.blog71.fc2.com/blog-entry-34.html群鶏蔬菜図押絵貼屏風 六曲一双http://kazuya77x.blog.so-net.ne.jp/2017-01-12鸚鵡牡丹図http://kazuya77x.blog.so-net.ne.jp/2017-01-12中庭前庭 変わった形の燈籠・石塔が置かれています。 妙心寺塔頭養徳院のガイドで十三重石塔の説明をするので興味をもって見ました。 駆け足での鑑賞になったのが残念ですが、講演会の時間もあるので、承天閣美術館をあとにしました。-------------------------------------------------------------------よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/02/26
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【2017年2月26日(日)】 今日は、盛りだくさんの内容で家内と外出でした。・相国寺の承天閣美術館・講演会「洛中洛外図屏風に見る上京」・夕食会 五条通を通るバスと地下鉄で、烏丸今出川まで出て、まずは相国寺境内の承天閣美術館へ。以前、相国寺についての講演会を聴きに行ったとき()にもらった招待入場券があったので、午後の講演会に行く前に寄ることにしました。 承天閣美術館は家内も私も2回めです。伊藤若冲の絵が多く所蔵されており、現在若冲生誕300年記念の「伊藤若冲展(後期)」が開催中です。残念ながら、講演会に間に合うためには30分強の時間しかなく、駆け足での観覧になってしまいました。もう一本早いバスにするか、講演会が終わってからの観覧にすべきでした。●相国寺承天閣美術館「伊藤若冲展(後期)」パンフレットからパンフレットからパンフレットからパンフレットから今回の目録鹿苑寺大書院旧障壁画 葡萄小禽図床貼付(重文)http://inoues.net/club3/jyakuchu034.html鹿苑寺大書院旧障壁画 月夜芭蕉図床貼付(重文)http://5dama2.blog96.fc2.com/blog-entry-45.html鹿苑寺大書院旧障壁画 竹図襖絵(重文)https://www.pinterest.se/amp/pin/396035360966594819/鹿苑寺大書院 芭蕉叭々鳥図襖絵(重文)https://matome.naver.jp/odai/2145070292200439701/2146262360398621303鹿苑寺大書院旧障壁画 葡萄小禽図襖絵(重文)http://salonofvertigo.blogspot.jp/2016/12/blog-post_73.html鹿苑寺大書院旧障壁画 松鶴図襖絵(重文)https://intojapanwaraku.com/jp/art/20160603/4041鹿苑寺大書院旧障壁画 菊鶏図襖絵(重文)http://www.asahi.com/and_travel/gallery/201609028_jotenkaku/joutenkaku_5_r.html鹿苑寺大書院旧障壁画 秋海棠図襖絵(重文)http://blog.goo.ne.jp/maru-a-gogo/e/5f50c7c320eb242c390bb9d460b1a26c鹿苑寺大書院旧障壁画 双鶏図貼付(重文)https://intojapanwaraku.com/jp/art/20160630/4535(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2017/02/26
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【2016年3月19日(土)】 昨日二人で「モネ展」に行く予定でしたが、時間的に行けなくなってしまい、今日行ってきました。 モネ展は5月8日までやっているので、本当は混雑の少ない平日に行きたいところなのですが、印象派の由来になった「印象・日の出」は3月21日までしか展示していなので、混雑覚悟で、今日二人で行ってきました。 場所はいつもの京都市左京区・岡崎の京都市美術館。やはり3連休で道が混んでいて、着くのに1時間かかってしまいました。いつもはすっと停められる岡崎の地下駐車場も、ガードマンが出て案内するくらいの混雑。 美術館もさぞかし混んでいるだろうなと思いましたが、案の定、列ができていました。でも、チケットを買うのに15分くらい並ぶくらいで大した混雑ではありませんでした。ルノワール展も昨日からやっていて、これも後日観に来たいので、ルノワール展とセットで2,900円(別に買うより200円安い)のチケットを買って入りました。音声ガイドを1つ借りました。 中も混雑はしていましたが、思ったほどではなく、あまりストレスなく観れました。一通り観た後、音声ガイドを着けて、音声ガイド付きの作品だけもう一度観直しました。2時間くらい美術館にいたと思います。 よかったです。やはりモネの絵は優しい。ルーブル展、フェルメール・レンブラント展と、重い作品の多い美術展が続いたのですが、今日は軽やかな気持ちで観ることができました。 知らなかったこともいくつかありました。10代でカリカチュア(風刺画)を書いて人気を博したこと。それを見たブーダンという画家が才能を見出し、風景画家になることを勧めたこと。晩年は白内障を患ったためか、よく描いた「睡蓮」の絵が抽象画のような作風になっていったことなど。写真:ルノワール展と併行開催写真:入口のポスター 美術館を出て駐車場に戻りましたが、駐車場が満車になって、車が空きを待っていました。やはり3連休だからでしょうね。 その後、「京の冬の旅」の相国寺の塔頭を拝観しようと、相国寺の駐車場に停めたのですが、「京の冬の旅」の拝観案内の看板がどこにもありません。おかしいなあと思って、パンフレットを見たら、3月18日(金)(昨日)で終わってました。そりゃそうですよね。もともと観光シーズンではないタイミングの客寄せですから、お彼岸の3連休までしないですよね。折角スタンプラリーで5箇所以上回って、お抹茶や和菓子接待サービスが受けることができたのに、ふいにしてしまいました。 帰りに、新福菜館というラーメン屋さん(天神川店)に寄って遅い昼食。昔は京都駅近くの店しかなかったのですが、有名になって今では関東にも出店しているようです。ここはラーメンは濃い色のスープが、なかなか美味しい。焼き飯も美味しいです。写真を撮らなかったので、ネットからの借用です。新福菜館のラーメンと焼き飯よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/03/19
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【2016年2月5日(金)】 朝はそこそこ寒かったですが、お天気がよかったので昼間は暖かくなりました。 お昼前に二人でワンちゃんを月1回のトリートメントに連れていきました。私は、朝の車出しと、散歩以外は外出なしで、ルーチン・ワークの日でした。*********************************************フェルメールとレンブラント展 #15(最終回)昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、ネットの情報を使って紹介しています。最終回です。【4】オランダ黄金時代の終焉約100年ほどの間に多くの巨匠と傑作絵画を生み出したオランダ絵画の黄金時代は終焉を迎え、次の時代へと移ってゆきます。●作品60 アルノルト・ハウブラーケン《イピゲネイアの犠牲》 1690-1700頃 アムステルダム国立美術館国の存続のために、娘を犠牲に差し出さなければならない王の悲劇の物語が描かれています。古代ギリシアの悲劇詩人エウリピデスが書いた、ギリシア・トロイア間の戦争における劇的な場面を描いたものです。予言者カルカースが司祭長の衣装をまとってアルテミスの彫像の前の祭壇に立ち、目隠しされた少女(イピゲネイア)をナイフで生け贄にしようとしています。【 アルノルト・ハウブラーケン】《イピゲネイアの犠牲》を描いたハウブラーケンは、画家にとって必要なのは才能や訓練のみならず、徹底した古典的な美術理論と、古代に対する知識が重要であると考えていました。彼にとって最も重要な理念は、芸術家は最も美しく高貴な主題の表現に専心しなければならないという、古典主義の伝統のなかで強調されてきたことでした。小規模の歴史画を専門に扱い、「ライデン精緻派」の精神のもと、いくつかの天井画や風景画とともに、機知に富んだ風俗画も手がけました。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/02/05
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【2016年2月4日(木)】 寒い朝でした。朝、車を出すとき外気はゼロ度でした。 今日は、私は特に何もない一日でした。 最近、ちょっと生活習慣を変えたことがあります。 私は毎日晩酌をしています。そんなに飲むわけではないですが、家族に「休肝日作らんとあかんのと違う?」と言われて、2週間くらい前から月曜日を休肝日にしています。そして今週からは、木曜日も休肝日にしました。 完全に止めるのはかえってストレスになると思いますので、週に2日くらい休肝日を作るのが私にとってはいいのかなぁと思っています。血圧や体重がどうなるでしょうか。飲むと眠くなってしまいますので、メリハリある生活のためにもいいのではないかと思います。がんの再発にどのように作用するかは分かりませんが、少なくともマイナスに働くことはないと思います。 以前もチャレンジして挫折しか経験がありますが、仕事のストレスをお酒で解消する必要がなくなった今回は続けられそうな気がします。いや続けます。*********************************************フェルメールとレンブラント展 #14昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、ネットの情報を使って紹介しています。【3】レンブラントとレンブラント派(続き)オランダ黄金時代の巨匠のひとり、レンブラント・ファン・レインは数々の名作を生み出し、彼の作品は現在でも多くの人々に感銘を与えています。光と影を描く独特な技法、ドラマチックな構図や描写。レンブラントは工房を持ち、そこからは弟子たちが巣立っていきました。師匠に引けを取らない見事な作品を残し、名声を得た弟子もいます。レンブラントと弟子たちの素晴らしい技法と描写が紹介されています。●作品55 カレル・ファブリティウス《帽子と胴よろいをつけた男(自画像)》 1654年 ロンドン・ナショナル・ギャラリー灰色、茶色そして黒色の自然な影で大部分が描かれ、色数が少なくモノクローム的であることが人物の力強さを高めています。また、中間色で明るい彩色の背景と、少し下から見上げた視点によって、画像に印象的なモニュメンタリティー(記念性)を与える効果が強められています。本作はファブリティウスが予期せぬ死を遂げた1654年に描かれた、32歳の自画像です。【カレル・ファブリティウス】ファブリティウスの作品で現存するものは10点にも満たないのですが、卓越した深みと力強さ、そして技術的に確かな腕前をもつ画家として認められています。彼は、オランダ黄金時代のふたりの巨匠、レンブラントとヨハネス・フェルメールとを結ぶ架け橋のような存在とみなされることがあります。レンブラントからは、成熟していくにつれてより滑らかで優雅になっていく多様で豊かな筆致を、フェルメールからは、不要な叙述や逸話的な細部を排除することで構図を単純化していく傾向を身につけました。●作品56 サミュエル・ファン・ホーホストラーテン《貧血症の女》 アムステルダム国立美術館(アムステルダム市より貸与)ひどく青ざめた顔をした女性は明らかに具合が悪い様子で、左腕をテーブルにのせ、ストーブで足を温めています。テーブルには小さな薬の瓶が置いてありますが、彼女には効かなかったようです。背後に立つ男性はこの女性をとても心配しているようで、おそらく彼女の夫か恋人でしょう。作中の患者が女性である場合、それは恋の病か妊娠検査の場面であることをほのめかしており、本作もまさしくこれに当てはまります。【サミュエル・ファン・ホーホストラーテン】ファン・ホーホストラーテンの画家としての経歴の頂点は、1651年のウィーンのハプスブルク宮の装飾です。この年彼は、フェルディナント3世からトロンプ・ルイユの画家として金の鎖とメダルの勲章を授与されました。その後は、肖像画や歴史画を描き続けながらも、メツーやフェルメールの風俗画作品で扱われるような家庭を主題にした実験的な絵画も制作しました。●作品57 コルネリス・ビスホップ《りんごの皮を剥く娘》 アムステルダム国立美術館召使いがひとり、町の邸宅の一室に腰を下ろしてリンゴの皮剥きをしています。中庭のクジャクと白い鳩、奥の部屋へと通じるドアに差しっぱなしの鍵やテーブルの上に置かれたワイングラスなど、さまざまに想像をかきたてる一瞬が描かれています。【コルネリス・ビスホップ】コルネリス・ビスホップは、遠近法の画家として大きな名声を獲得していました。この作品の中でも、ふたつの遠近法(召使いが腰を下ろす戸口と、召使いの左側に開け放たれた玄関)を用いることで、みずからの遠近法の技量の高さを証明しています。●作品58 ニコラース・マース《糸を紡ぐ老女》 アムステルダム国立美術館暗い部屋に差し込む光によって女性のいる空間を限定することで、家庭的な雰囲気を際立たせています。光と影の詩的な配置と人物の巧みな描写が、家事に没頭する女性のいる室内空間を描いた作品に、懸命に作業する女性の集中力を漂わせています。【ニコラース・マース】ニコラース・マースは一時期、レンブラントの下で修行していました。本作においても、窓から暗い部屋の中に差し込む光によって強い明暗が表現される構図、使用する色彩を黒・茶・白・赤に限定している点など、レンブラントの作品の影響が色濃く出ています。●作品59 アーレント・デ・ヘルデル《ダビデ王》 アムステルダム国立美術館画中の人物の識別は不確かです。旧約聖書の詩編を書いたと言われているイスラエルの王ダビデではないかと考えられていますが、ダビデの最も重要な象徴である、かつてのイスラエルの王サウルのために弾いたとされるハープは描かれていません。【 アーレント・デ・ヘルデル】アーレント・デ・ヘルデルは、レンブラントの最後の弟子です。彼の技術はレンブラントの後期作品に深く影響を受けているものの、太い筆致や、パレットナイフや筆の柄を駆使した厚塗りの技法、そして主題の選択や作品構成などは、彼独自のものでした。作品の多くは聖書に基づいた場面や人物が描かれており、同じ主題を異なる構図で何度も描いています。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/02/04
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【2016年2月2日(火)】 朝、次女を送っていったとき外気は1度だったか2度だったか。また寒くなりました。それでも午後から太陽が顔を出して良い天気になりました。 今日は実家近くで土地を貸している中古車屋さんから電話がある日。前から、土地を売却してくれないかという話があり、ちょうど賃貸契約更新時期なので、相談したいとのことだと思います。賃貸がずっと続けられればそのほうが身入りがいいわけですが、その中古車屋さんがいつまでも商売続けられる保証もなく、こけた時にすぐに次の借り手が見つかるかどうかも分かりません。その頃、私がどういう健康状態になっているかも分かりません。それならいっそのこと元気なうちに売却してしまうのも手かなと思います。 電話があり、やはりできたら土地を売却してくれないかとの話でした。先方は、取引銀行経由で不動産屋に頼んんで相場を調べてもらって、およその値段を提示してこられました。その金額は15年間分くらいの賃料になります。悪くない話だなとは思います。「前向きに検討します。一度私のほうも、相場の値段を鑑定してもらおうと思います。」と返事しました。あと合意したのは、・売買するなら、お互いよく知った仲なので、不動産屋を入れずに 余計な経費をかけずに直接やりましょう。・賃貸契約が来月末で切れるので、とりあえず契約更新しましょう。 売買が成立したときは賃貸契約が解除されることを書いた契約書にしましょう。 文面は私が考えて、契約更新時期までに送ります。 当面の契約更新、売却価格の査定、土地登記の確認、売却の税金はどうなるのかなどなど、色々忙しくなりそうです。 夕刻、家内のクリニック通院に同伴。体調はよくなってきたので、だんだん薬は減らしてきたのですが、ここしばらく調子がよくありませんでした。先生は、とりあえず薬そのままで、もう少し様子を見ましょうかとのことでしたが、私が「やはり薬を減らしたので、調子がよくないのではないでしょうか。」って聞いたら、「それなら元に戻しましょう。」ということになりました。内心、「波があると思うので、様子をみたほうがいいと思いすよ。」と言ってくれるのを期待したのですが。また薬が増えてしまったのは、少し残念です。でも、それで家内の体調がよくなるのであれば、それに越したことはありません。 ちょっと前の話ばかりですが、 1月30日、サッカー男子U-23 五輪アジア予選決勝 韓国に前半0-1、後半0-2から最後3-2で逆転勝利。すごい。強い。 1月31日、スキージャンプ女子高梨 ワールドカップ 今季8勝目。9戦中8戦優勝。あと1回は2位。これもすごいとかいいようがない。 同じく1月31日 スキージャンプ男子葛西 ワールドカップで3位。43歳7ヵ月のワールドカップ表彰台最年長記録更新。これもすごいとしかいいようがない。 スキー複合、渡部暁斗選手。ワールドカップ3選連続2位。優勝は逃したが、安定している。ガンバレ。 スポーツ日本人大活躍のここ2、3日でした。*********************************************フェルメールとレンブラント展 #13昨年の12月19日に家内と京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、ネットの情報を使って紹介しています。【3】レンブラントとレンブラント派オランダ黄金時代の巨匠のひとり、レンブラント・ファン・レインは数々の名作を生み出し、彼の作品は現在でも多くの人々に感銘を与えています。光と影を描く独特な技法、ドラマチックな構図や描写。レンブラントは工房を持ち、そこからは弟子たちが巣立っていきました。師匠に引けを取らない見事な作品を残し、名声を得た弟子もいます。レンブラントと弟子たちの素晴らしい技法と描写が紹介されています。●作品50 レンブラント・ファン・レイン《ベローナ》 1633年 メトロポリタン美術館、ニューヨーク フェルメールの《水差しを持つ女》とともに、今回の展覧会の目玉の一つ。《水差しを持つ女》同様、日本初公開。 《ベローナ》は、肖像画、歴史画を得意とするレンブラント・ファン・レインの傑作。ダイナミックな技法で描かれた、戦争の女神ベローナの肖像画に施された表現力は彼ならでは。<別の解説>本作には、ローマ神話に登場する戦いの女神べローナが描かれています。彼女は雄々しい鎧と、メドゥーサの首が装飾された盾を持っていますが、その表情は装いとは対照的な温和な雰囲気に満ち溢れています。レンブラント・ファン・レイン(1606-1669)1606年にライデンで生まれました。1631年頃にアムステルダムに拠点を移し、肖像画、歴史画で高い評判を得、経済的な成功をおさめます。この頃から美術品や骨董品などの蒐集をはじめ、1639年には市内に豪邸を購入しました。しかし1641年に妻が亡くなり、1640年代後半から経済的に困窮すると、1656年に破産、邸宅と蒐集品を失いました。このような苦しい状況であっても画家としての制作は衰えず、数々の傑作を生みだしました。80点以上の自画像を含む印象的な肖像画、ダイナミックな歴史画によって同時代の人々を驚嘆させました。また、多くの弟子を育てたことでも知られています。<別の解説>《ベローナ》を描いたレンブラント・ファン・レインの画業の晩年は、惨めな貧困と画家としての名声の喪失という悲劇にみまわれた、と考えられています。しかしその時期も、アムステルダム市庁舎の巨大な絵画(《クラウディウス・キヴィウス》1661 年、ストックホルム国立美術館)やアムステルダム市の最も重要な職業組合の集団肖像画(《アムステルダムの布地ギルドの見本監察官たち》1662 年、アムステルダム国立美術館)が1662 年、アムステルダム国立美術館)といった素晴らしい注文を完成させていました。●作品51 レンブラントに帰属《マルハレータ・デ・ヘールの肖像》 1661年 ロンドン・ナショナルギャラリー本作は裕福な武器製造業者の妻で78歳の肖像画です。彼女が身につけている幅広の挽臼襞(ひきうすひだ)と袖なしの毛裏コートは1620年代から30年代の流行を反映しており、彼女の前頭部に垂れ下がる黒い帽子は、この絵が描かれる半世紀も前にフランスで流行していたスタイルです。オランダの老婦人が─たとえ富裕層であっても─時代遅れになった、自分の若い頃の服を着続けるのは珍しいことではありませんでした。【ロンドン・ナショナル・ギャラリー】《マルハレータ・デ・ヘールの肖像》を所蔵している、ロンドン・ナショナル・ギャラリーは、1824年にロイズ保険組合の発展に寄与した銀行家ジョン・ジュリアス・アンガースタインのコレクション38点をもとに設立されました。現在のコレクションは2300点を超え、13世紀から19世紀までのヨーロッパ美術が中心となっています。レオナルド《岩窟の聖母》やレンブラント《水浴する女》、セザンヌ《水浴図》などの美術史上の代表的作品を系統的に収集していることが特徴です。●作品52 ヤン・リーフェンス《読書する老女》 1626-33年頃 アムステルダム国立美術館画面左上から差し込んだ光が老女の肩に降り注ぎ、彼女が読んでいる左側のページを明るく照らしています。絵具の厚塗りによってモティーフの質感をさまざまに描き分けるという、リーフェンスとレンブラントが1620年代にともに発展させた技法は、この老女の皺の描写に見事に用いられています。【ヤン・リーフェンス】《読書する老女》を描いたリーフェンスは一時期、同郷のレンブラントと工房を共有するなど密接な関係をもって働いていました。リーフェンスに何点か発注したハーグの総督の秘書コンスタンティン・ハイヘンスは、当時の日記のなかで「その驚くべき創意と大胆な主題と構図によって、リーフェンスはレンブラントより優れており、一方でレンブラントは、感情表現の正確さと生命感においてはリーフェンスを超える」と評しています。●作品53 ヘラルト・ダウ《窓際でランプを持つ少女(好奇心の寓意》 1660年頃 アムステルダム国立美術館少女は窓枠を右手でつかみながら、外に身を乗り出して左のほうに目をやっています。彼女は、背後にかすかに見える蠟燭の光のもとで行われているパーティーへやってくる客を待っているのでしょうか。あるいは彼女自身の求愛者を待っているのでしょうか。【ヘラルト・ダウ】ダウは、非常に若い頃に画業を開始しており、レンブラントの最初の弟子であったといわれています。ダウは生涯を通じて、おおむね小さなサイズの板に絵を描きました。●作品54 カレル・ファブリティウス《アブラハム・デ・ボッテルの肖像》 1649年 アムステルダム国立美術館カレル・ファブリティウス(1622-1654)1635年頃にレンブラントの工房に入ったと考えられていますが、やがてデルフトに拠点を移しました。しかし、1654年10月12日、デルフトで起きた火薬庫爆発により32歳の若さで悲劇的な死を迎えています。彼の作品はわずかしか現存しませんが、いずれもこの画家の驚嘆すべき技量が示されています。また、ファブリティウスは、レンブラントとフェルメールというオランダ黄金時代の二人の巨匠を繋ぐ存在と見なされることもあります。レンブラントから、成熟していくにつれてより滑らかで優雅になっていく多様で豊かな筆致を、フェルメールから、不要な叙述や逸話的な細部を排除することで構図を単純化していく傾向を身につけました。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/02/02
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【2016年2月1日(月)】 朝、車をだしたとき、外気が6度だったのですが、昨日が暖かだったので、けっこう寒いと感じました。 今日は散歩以外は外出なしで家でのんびりでした。昨日お墓まいりで三味線の練習をしなかったので、今日は長めの練習。なかなか様になってきたのではないかと思います。京都検定の勉強で、録画したままになっていた京都関係の番組も少しずつ見始めています。*********************************************フェルメールとレンブラント展 #12昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、ネットの情報を使って紹介しています。【2】オランダ黄金時代(続き)【2-7】風俗画家たち(続き)●作品45 ハブリエル・メツー《食卓の男女》 1655-58年頃 アムステルダム国立美術館男女がテーブルで食事をともにしています。女性はおそらく召使いで、青いエプロンを身につけ、小さな財布と貯蔵室の鍵を紐で腰に吊しています。彼女の左こめかみには、おしゃれのための付けぼくろが貼ってあります。男性はテーブルの端にあるグラスが傾かないように右手を伸ばしていますが、不意をつかれたようなぎこちない反応に見えます。●作品46 ハブリエル・メツー《ニシン売り》 1656-58年頃 アムステルダム国立美術館若い女性が老女に商品の良さを示しています。老女は古いぼろぼろの服をまとい、彼女の家は今にも崩れ落ちそうになっています。老女とその背後にある家の灰色じみた黄土色の色調は、魚売りの女性の明るい装いと強烈なコントラストをなしています。【ハブリエル・メツー】《食卓の男女》《ニシン売り》を描いたハブリエル・メツーは、水差しで飲み物を注いだり、水差しを持った召使いを伴い室内で戯れる恋人たち、また行商の女性を数多く描きました。1654年、彼はアムステルダムに居を移し、ヨハネス・フェルメールから影響を受けました。フェルメールからは、明るく冷たい色調と、茶や青のオーバースカートを履いて家事をする女性や、毛皮で縁取ったサテンのローブを着て室内にいる女性を主題に選ぶことを学んだそうです。●作品47 ピーテル・デ・ホーホ《女性と召使いのいる中庭》 1660-61年頃 ロンドン・ナショナル・ギャラリー若い召使いが屋外ポンプのそばで身をかがめています。鉄の料理鍋から魚をすくい出し、陶製の浅い給仕用の皿に魚を載せたところのようです。その前に立つ女性は、おそらくこの家の女主人であり、召使いの仕事ぶりを監督しているのでしょう。雪のように白いヘッドスカーフ、毛皮の飾りがついた暖かそうな上着、スカートの縁飾りなど、高価な服装を身にまとっています。【ピーテル・デ・ホーホ】《女性と召使いのいる中庭》を描いた デ・ホーホは、ヨハネス・フェルメールに次いで重要なデルフト派の画家と考えられています。光の効果や室内空間の入り組んだ構造を描写する際のデ・ホーホ特有の試みは、ほぼ確実に1650年代後半のフェルメール作品に影響を及ぼしています。フェルメールの芸術的発展が、非常に考え抜かれた理論的なものと思われる一方で、デ・ホーホの絵画はほぼ直観的に技巧を凝らしたものと捉えられます。●作品48 ヨハネ・フェルメール《水差しを持つ女》 1662年頃 メトロポリタン美術館、ニューヨークこの作品は、今回の美術展でレンブラントの「ベローナ」とともに目玉の一つです。日本初公開です。フェルメールが得意とする左から光が差す室内に立つ女性という構図です。女性は右手を窓枠にかけ、左手でテーブルの上の水差し(純潔や節制の象徴とされる)の取っ手をつかんでいます。窓の外に水差しの水を捨てようとしているようにみえます。 テーブルの上の宝石箱は虚栄を表すモチーフです。女性は「節制」を捨て、「虚栄」に走るべきかどうかの岐路に立っているかのようです。<別の紹介文>フェルメールの構図には、光や色彩、かたちの織りなす完璧な調和があります。ここには、無関係で場違いなものは何ひとつありません。この作品のもつ精練された簡潔さとそれによってもたらされる永遠性は、穢れなき理想化された女性の美と徳というこの作品の主題とよく調和しています。ヨハネス・フェルメール(1632-1675)1632年にデルフトで生まれました。父は宿屋の主人であり美術商でしたが、裕福ではありませんでした。彼が師事した画家は定かではなく、独学であったと思われます。1653年に聖ルカ組合に加入し、その前年の結婚を期にプロテスタントからカトリックに改宗しました。この夫婦は11 人もの子をもうけています。彼は生涯で45~50点程度制作したと考えられています。高値で売れたのでしょうが、義母からの経済的な支援を常に必要としていました。彼は43歳で亡くなり、1675年12月16日にデルフトで埋葬されました。彼の作品は没後忘れられ、しばしば他の画家の作品と誤解されましたが、19世紀中頃にフランスの美術批評家トレ・ビュルガーがこの画家の存在を大々的に喧伝したことで再び名声を得、現在まで多くの鑑賞者を魅了しています。<別の紹介文>【ヨハネス・フェルメール】《水差しを持つ女》を描いたフェルメールは、ゆっくりと仕事をし、非常に丁寧に作品を制作していたようです。また弟子や助手をもたず、たったひとりで制作にあたっていたとされています。彼が生み出した45から50点程度の作品のうち、今日では30数点が知られています。フェルメールの人気は上昇の一途をたどっており、オランダの家庭生活を曇りのない目で捉え創り出した示唆に富む詩的な世界は、世界中の観衆を魅了し続けています。●作品49 ホットフリート・スハルケン《さまざまな嗜好》 1685-90年頃 アムステルダム国立美術館ビールを飲みつつ煙草をたしなむ若い男。背後では、恋人たちが2人だけの時間を楽しむために立ち去ろうとしています。それぞれが、長い夜を楽しんでいます。【ホットフリート・スハルケン】《さまざまな嗜好》を描いたスハルケンは、肖像画家としても日常生活の情景を描く画家として成功しました。彼は1680年~90年のあいだに国際的な名声を得ました。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/02/01
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【2016年1月31日(日)】 悪天候で二度にわたって延期していた三重へのお墓まいりに家族で行ってきました。延期して大正解でした。天気もよく、暖かかったです。 往きは10時半に出て、途中の甲南SAでお世話になっている方々への手土産を買い、亀山SAで昼食。渋滞なく順調に運転して、芸濃インターで降り、近くのスーパーでお花とお供えを買い物後、お墓参り。 お正月ですので、宗祖廟所、義祖母の納骨堂、阿弥陀堂、御影堂にもお参り。氏神様にも遅い初詣。実家の空気入れ替えとお仏壇でのお勤め。お正月で神棚のお詣り。 その後。土地を借りてくださっている中古車ディーラーへ新年の挨拶へ。しかし、お休み。電話したところ、特別に昨日、今日とお休みとのこと。契約更新が近いので、後日電話をいただくことになりました。以前土地を売却してもらえないかとの話があったので、そんな話がまたあるのではないかと思います。私としては賃貸を続けたいのですが・・・ 駐車場の除草剤で枯れた草を、刈り取って袋詰め。前回含め3分の2が終わりました。新しく緑の草が生え始めていました。やはり今年も除草剤を撒き続ける必要があるかもしれません。 午後4時に、約束していた商工会のNさんに来ていただきました。1月中旬にあった地元行事で、2日間だけ空き店舗を手づくり市にお貸ししていました。鍵を返却いただきました。ささやかですが、こういうかたちでお役に立ててうれしいです。 最後にお隣さんに今年初めてのいあいさつ。京都の手土産を渡しましたが、2、3日前に近所の婦人会で京都に旅行に行ったとかで、逆に京都土産をいただき、野菜もいただいちゃいました。 午後4時半頃出て、途中高速の渋滞を避けるため、部分的に下道を走りましたが、6時過ぎには自宅に戻ることができました。 実家の処分のこと、そろそろ行動を起こさないといけません。やりたいこと、やらねばならないこと、バランス感覚が大切です。 少々疲れました。明日はまたのんびりとします。*********************************************フェルメールとレンブラント展 #11昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、ネットの情報を使って紹介しています。【2】オランダ黄金時代(続き)【2-7】風俗画家たち風俗画、というとオランダ絵画を浮かべることが多いのではないでしょうか。数々の名作が残るオランダ絵画の人気分野の一つで、代表的な画家を多く輩出した分野でもあります。ヨハネス・フェルメール、ヤン・ステーン、ピーテル・デ・ホーホなど、世界的に有名な画家の目を通して、当時の日常生活を垣間見ることができます。また、風俗画には実際の生活場面を描いているように見えて、オランダの格言や教訓を伝えている作品も多く存在するといわれています。作品を読み解く面白さが味わえる分野です。●作品40 エサイアス・ファン・デ・フェルデ《庭園の宴会》 1615年 アムステルダム国立美術館広い緑地で、豪華で色鮮やかな服装をしたカップルたちが宴会を楽しんでいます。テーブルの端で給仕の少年がピューター製のピッチャーを使って注いでいる様子、画面右側の男性が背中を向けている女性の服をつかんで誘いをかけている姿など、華やかに賑わっている雰囲気が伝わってきます。【エサイアス・ファン・デ・フェルデ】《庭園の宴会》を描いたエサイアス・ファン・デ・フェルデは、1/18に紹介した《砂丘風景》の作者でもあります。彼は、風景画、戦闘画、そして屋外の饗宴画などの主題を描き、同時に素描、エッチングも制作しました。●作品41 ルドルフ・デ・ヨング《ヴァージナルを弾く女性》 1651年 ロッテルダム美術館一見すると肖像画のようですが、若い女性が美しい音楽を演奏し、バラの花を手に鑑賞者を誘惑するように見つめ、恋人が現れるのを待っている「若く美しい女性を主題」とする非常に魅惑的な作品です。【ルドルフ・デ・ヨング】《ヴァージナルを弾く女性》を描いたルドルフ・デ・ヨングは多才な画家で、肖像画や居酒屋の場面、狩猟の場面から都市景観まで描いています。若い女性が音楽を演奏し、鑑賞者を誘惑するという主題は彼独特のものです。●作品42 ヘラルト・テル・ボルフ(2世)《好奇心》 1660-62年頃 メトロポリタン美術館、ニューヨーク若い女性たちが机を囲み、椅子に腰掛けた中央の女性は熱心に書き物をしています。机の上には開封された封筒があり、彼女は手紙(おそらくラブレター)の返信を書いているのでしょう。背後から覗き込む若い女性の行動は、この作品のタイトル通りの「好奇心」の強さを示しています。【ヘラルト・テル・ボルフ(2世)】テル・ボルフはオランダ黄金時代において最も才能のある画家のひとりです。彼は、豪華な室内にいる男女の衣服を表現する際、驚くべき筆遣いを見せました。美しい人々の集いを見れば、絹の衣擦れの音が聞こえてくるようです。テル・ボルフは、当時ヨーロッパ中で名を馳せていました。 ●作品43 ヤン・ステーン《恋の病》 1660年頃 メトロポリタン美術館、ニューヨークこの作品は、鑑賞者に若い女性の病の性質を伝えるためのヒントが数多く組み込まれています。たとえばドアの上にはクピドのシルエットが見えますが、クピドは娘に向かって「愛の矢」を射ようとしています。また奥の方では、つがいの犬が入口で交尾しています。●作品44 ヤン・ステーン《女将と戯れる老人とバックギャモンに興じる ふたりの男のいる酒場の室内、通称「二種類の遊び」》 1660-79年頃 アムステルダム国立美術館酒場にいる人々が生き生きと描かれています。大きな暖炉の正面でバックギャモンに興じているふたりの男。そのうちひとりは動揺しており、上着とシャツを緩めて、つい先ほどまで座っていた腰掛けをひっくり返して立ち上がったようです。このゲームの行方を見守る男や女給仕を触ってたしなめられている老人など。この宿屋ではみな快楽に溺れて、道徳心はすっかり忘れ去られています。【ヤン・ステーン】ステーンはさまざまな主題を扱いましたが、焦点があてられるトピックは限られています。それは家庭生活と青少年の教育であり、恋愛の愚かしさ、そしてさまざまな誘惑─飲酒、金銭の浪費、怒りや欲望に自制心を失う人々の姿です(別の紹介文)◆ヤン・ステーン(1626-1679) 1626年にライデンで穀物業、ビール醸造業を営む家に生まれ、ユトレヒトとハールレムで学んだことが知られています。1640年代後半にライデン出身の風景画家ヤン・ファン・ホイエンに師事し、1648年にライデンの聖ルカ組合の創立者の一人となりました。1656年には各地を転々としています。家族の度重なる死のあと、ステーンはライデンに戻り画家としての活動をつづけ、1679年に53歳で亡くなりました。ユーモアに満ちた愉快な風俗画で知られますが、肖像画、風景画、歴史画も描いていました。彼の作品には、社会に対する鋭くウィットに富んだ批評性があり、彼が当時の喜劇、大衆文学、そしてネーデルラントの古今の芸術を深く理解していたことを示しています。 (続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/01/31
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【2016年1月30日(土)】 どんよりと曇った一日でした。放射冷却で冷え込まなかったためか気温はそれほど下がらなかったようです。 もともとは1月24日(日)にお墓参りを予定でしたいましたが、天気予報で大雪が心配されたため、今日に延期していました。しかし、今度は雨の予報だったので、昨日時点で明日に延期しました。 ということで、散歩以外は外出せず、また超のーんびりした一日でした。*********************************************フェルメールとレンブラント展 #10昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、ネットの情報を使って紹介しています。【2】オランダ黄金時代(続き)【2-6】肖像画家たち(続き)●作品36 イサーク・リュティックハイス 《男性の肖像(ピーテル・デ・ランゲ》 1655年 ロッテルダム美術館(エラスムス財団より貸与)●作品37 イサーク・リュティックハイス《女性の肖像(エリザベス・ファン・ドッベン)》 1655年 ロッテルダム美術館(エラスムス財団より貸与)●作品38 フェルディナント・ボル《ルーロフ・ミューレナールの肖像》 1650年 アムステルダム国立美術館モデルのルーロフ・ミューレナールはアムステルダムからアントワープへの郵送事業の責任者でした。当時最高級のファッションだったタッセルのついた白いシャツと黒いダマスク織りの衣装に身を包み、その肖像からはエリートとしての自信も感じます。彼は人気の画家・ボルに依頼できるほど経済的余裕がある富裕層でした。●作品39 フェルディナント・ボル《アリア・レイの肖像》 1650年 アムステルダム国立美術館≪ルーロフ・ミューレナールの肖像≫同様、本作に描かれているマリア・レイも最高級のファッションに身を包み、右手に美しく装飾された扇子を持っています。彼らの背後の樹木と柱や欄干は、アムステルダムの大富裕層が所持した郊外の邸宅と緑地を示しています。これらの肖像画はミューレナールと10歳年下のマリア・レイの結婚を機に描かれたものといわれています。【フェルディナント・ボル】作品38,39を描いたフェルディナント・ボルは、20歳になる頃アムステルダムでレンブラント工房に入りました。レンブラントの芸術は、ボルの作品に深い影響を及ぼしたと考えられています。1642年以前には独立しましたが、初期の肖像画はレンブラント様式に依拠しており、誤ってレンブラントに帰属されることもありました。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/01/30
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【2016年1月29日(金)】 久しぶりの雨。しかも本格的な降りかた。朝、車を出すとき6度でしたので、寒くはありませんでした。 雨なので散歩も行かなかったので、朝の車での送り以外は、ずっと在宅でした。 超のーんびりした一日でした。*********************************************フェルメールとレンブラント展 #9昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、ネットの情報を使って紹介しています。【2】オランダ黄金時代(続き)【2-6】肖像画家たち17世紀オランダで隆盛した肖像画。多くは注文のもとに描かれました。夫婦が描かれた対の肖像画も多くあり、都市の裕福な市民たちの組合員が描かれた大規模な集団肖像画も流行しました。中流階級からの注文に応じた型にはまった様式が多い中、労働者階級などを生き生きとのびやかに描いた画家もいました。●作品32 フランス・ハルス 《ひだ襟をつけた男の肖像画》 1625年 メトロポリタン美術館 ニューヨーク人物が楕円の枠組みの中に描かれていることで、彫られた石の窓越しにモデルを見ているかのような印象を受けます。また、人物の手の形はエネルギッシュに繰り返される筆遣いのうちに溶け入っており、あたかも手を動かしているかのように見えます。 ●作品33 フランス・ハルス 《男性の肖像画(聖職者)》 1657-60年頃 アムステルダム国立美術館肌のトーンやハイライトで強調されたふくよかな唇、頭髪や髭、そして何より重ねられた手が大まかなタッチで描かれていますが、それらは信じがたいほど説得力のある表現を生み出しています。人物像をつくり上げるこの革新的な方法は後世の絵画史に影響を与えることとなりました。【フランス・ハルス】《ひだ襟をつけた男の肖像》《男性の肖像(聖職者)》を描いたフランス・ハルスの肖像画は、間違いようがない特徴を備えています。モデルのまなざしと身振り、印象的な筆法と光と影の活き活きした戯れによって活気を与えられた彼の作品は、17世紀の肖像画において最も感嘆に値し、最も陽気なもののひとつです。 ●作品34 ヘラルト・ファン・ホントホルスト《画家の肖像》 1655年 アムステルダム国立美術館テーブルの端に掛けられたメダルには、スウェーデン女王クリスティーナの像と“Christina” の銘が表されており、この画家がスウェーデン女王に雇われていたことを暗示しています。 ●作品35 ヘラルト・ファン・ホントホルスト《女性の肖像》 1655年 アムステルダム国立美術館作品34の《画家の肖像》と対のこの絵は、画家の妻ソフィア・コープマンスの肖像と考えられてきましたが、実際のところははっきりとしません。この作品にも描かれているスパニエルは、オランダ黄金時代の肖像画と風俗画によく登場する愛玩犬です。【ヘラルト・ファン・ホントホルスト】《画家の肖像》《女性の肖像》 を描いたホントホルストは、30代のうちに25人もの弟子をかかえるほどの成功を収めました。オランダ総督フレデリック・ヘンドリックの宮廷やイングランドの収集家であるアランデル卿から注文を受け、また1628年にホワイトホール宮殿のバンケティング・ハウスのためにチャールズ1世から招きを受けたことにより、彼の国際的な名声は不動のものとなりました。この時代において、国際的に最も人気の高いオランダ人画家でした。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/01/29
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【2016年1月28日(木)】 どんよりとした曇りの一日でした。今日も散歩以外は外出なしで、のんびりしました。現役時代には考えられなかった生活です。いいものです。こういう生活が耐えられないという定年退職者も多いようですが、私は真逆の人間のようです。 ブログ件数を減らしたので、ブログ、三味線練習に加え、京都検定勉強、年末年始でしばらくできていなかった貯金、株式などの現状確認に昨日からとりかかることができました。 そして、今日は去年12月に受検した、京都検定の結果が郵送で届きました。推定通り、私は1級7回目の不合格でした。 詳しくは、http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201601280005/*********************************************フェルメールとレンブラント展 #8昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、ネットの情報を使って紹介しています。【2】オランダ黄金時代(続き)【2-5】静物画家たち鈍く光る銀の食器、ワインが半分つがれたガラスの杯、色とりどりの瑞々しい果物や野菜…オランダ絵画の神髄、静物画には様々なものが写実的に、細密に描かれています。これらの作品には漆器や陶磁器などの珍しい贅沢品も描かれ、当時、オランダには世界の遠方から珍しい物資が集まっていたことを反映しています。実物と見紛うほどの貝、器、皮をむかれた果物などを堪能できます。●作品27 フローリス・ファン・スホーテン《果物のある静物》 1628年 個人蔵 本作のように、さまざまな種類の果物が強烈で鮮やかな色彩で描かれるのは、初期静物画の特徴です。メロンや外国産のブドウのような異国の果物が描かれていることから、オランダの生活水準の豊かさ見てとれます。【フローリス・ファン・スホーテン】《果物のある静物》を描いたフローリス・ファン・スホーテンは、静物画のみならず、さまざまな野菜が並び、召使いのいる台所画でも成功を収めました。●作品28 ウィレム・カルフ《貝類と杯のある静物》 1675年 財団美術館、オーフェルエイセル (オランダ)ここにはエキゾティックな品々が満ち溢れています。中央には貝殻の杯、その周りには異国の貝殻、サンゴ、東洋の織物、そしてアジアからもたらされた黒い漆塗りの箱などが置かれています。これらは東インド会社によってアジアからオランダにもたらされたものであり、17世紀オランダに莫大な富をもたらしました。【ウィレム・カルフ】初期のパリでの活動期に描いた「つつましやかな静物画」と、後期の「豪華な静物画」でその名が知られています。●作品29 ピーテル・クラースゾーン《銀器やグラス、皮の剥かれたレモンのある静物》 1660年 個人蔵作者のピーテル・クラースゾーンがこの世を去った年に描かれました。この作品は生涯最後に制作された作品のひとつであり、もしかしたら絶筆かもしれません。銀やガラス、錫、パンにレモンというさまざまな材質が非常に効果的に表現され、ほとんど筆跡が見えないために、我々が目にしているのが絵画だということを忘れさせるほどです。また、銀製やガラス製の品々の表面には実に素晴らしい光の反射を表現しています。【ピーテル・クラースゾーン】《銀器やグラス、皮の剥かれたレモンのある静物》を描いたピーテル・クラースゾーンは、は、アントワープ近郊のベルヒェムで生まれました。17世紀、彼が生み出した静物画は「宴卓画」と呼ばれ、料理で埋めつくされたテーブルが描かれました。●作品30 アブラハム・ファン・ベイエレン《果物とエビ、ワイングラスのある静物》 1650-60年頃 個人蔵狭い空間に描かれた品々は、絵の隅々にまで充満するかのようで、濃縮された構図が静物の豊饒さを際立たせています。このように高価な食材や食器が描かれた「豪華な静物画」は、所有者が己の富を誇示できる静物画として喜ばれました。【アブラハム・ファン・ベイエレン】《果物とエビ、ワイングラスのある静物》を描いたアブラハム・ファン・ベイエレンが専門とした絵画は、海洋画、魚をモティーフとする静物画、そして豪華な静物画の3種類です。「豪華な静物画」により、彼はオランダ静物画の最も重要な代表的画家のひとりとなりました。●作品31 ウィレム・ファン・アールスト《狩りの静物》 1670-80年 個人蔵死んだ雄鶏が、鉄の鉤に脚を結びつけ吊り下げられています。雄鶏の隣に置かれているのはヤマウズラです。この作品は羽の一枚一枚が最新の注意を払って描き分けられており、翼の柔らかな感触を感じ取れそうなほどです。【ウィレム・ファン・アールスト】《狩りの静物》を描いたウィレム・ファン・アールストは若いうちにパリやフィレンツェに移り住み、画家として成功を収めていきました。1657年にはアムステルダムに戻りましたが、作品にはファーストネームをイタリア式に変えた“Guillermo”と署名していました。彼はイタリア時代にメディチ家に仕え成功を収めたことを誇りに思っていたのでしょう。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/01/28
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【2016年1月27日(水)】 今朝、車を出すとき、外気温はプラス3度でした。昨日はマイナス3度でしたから、だいぶ気温が上がりました。景気にも影響するので冬は寒くなってもらわないと困りますが、たまに寒くなるくらいでいいですね。勝手なこと言って、北国の方には申し訳ありませんが。散歩以外外出なしで、のんびりしています。 これから社会復帰をしていきます。といってもすぐに仕事をするわけではありませんが、京都歩きを再開したりとか、ゴルフに復帰したりとか。始めたいと思っていた津軽三味線も始めました。社会復帰するためには、時間確保が必要です。あれもこれもできません。ブログの投稿件数を減らすことにしました。 京都に関する新聞記事を多くアップしていますが、京都検定の試験に出そうな記事のみに限定することにしました。来年末には今のペースでいくと100万アクセス達成かと思っていましたが、投稿件数を減らすので再来年末くらいでしょうか。 昨晩のサッカー五輪予選、見事でした。ロスタイムで2対1で勝って、五輪切符を手に入れました。ドーハの悲劇では、ロスタイムに点を入れられて、ワールドカップに行けませんでしたが、今回はそのリベンジのようにも見えました。ここまでくれば、是非アジアトップになって欲しいものです。*********************************************フェルメールとレンブラント展 #7昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、ネットの情報を使って紹介しています。 【2】オランダ黄金時代(続き)2-4 海洋画家たち世界を相手に貿易を行っていた海洋貿易王国、オランダ。海はオランダの発展や日々の生活に大事な役割を担っていました。港には大きな貿易船が停泊し、活況を呈していたことでしょう。オランダの海洋画では財力と国力を誇るかのような立派な貿易船や軍艦を描いた作品から、生活の糧として河口で釣りをする漁船を光に満ちた落ち着いた雰囲気で描いた作品まで、幅広い水辺の風景画があります。●作品23 コルネリス・クラースゾーン・ファン・ウィーリンゲン《港町の近くにて》 1615-20年頃 ロッテルダム海洋博物館本作はオランダ経済にとって重要な役割を担った17世紀初頭の船舶の様子を鮮明に伝えています。実在の船と画中の船の同定ができないことなどから、歴史的事件を主題としたのではなく、一般的な海洋画と考えれます。【コルネリス・クラースゾーン・ファン・ウィーリンゲン】《港町の近くにて》を描いたコルネリス・クラースゾーン・ファン・ウィーリンゲンは、伝記作家によると水夫の経験があったようです。そのため船の細部について熟知していました。彼は船の専門画家として成功し、いくつかの重要な注文も受けたそうです。●作品24 シモン・デ・フリーヘル《海上のニシン船》 1649-50年頃 ロッテルダム海洋博物館ニシンはオランダの人々にとって食糧であると同時に、輸出や商業にとっても重要な資源でした。多くの魚が網にかかっているところを見ると、どうやら大漁のようですね。穏やかな波上に漂う船と、はるか遠景の船をのみこむ霞んだ大気まで見事に表現されています。【シモン・デ・フリーヘル】《海上のニシン船》を描いたシモン・デ・フリーヘルは、17世紀における最も重要な海洋画家のひとりです。彼は後代の印象派を先取りするような海の景色を描いています。●作品25 ウィレム・ファン・デ・フェルデ2世 《ロイヤルプリンス号の拿捕》 1670年頃 アムステルダム国立美術館戦火から昇る煙の上には雲が立ち込め、前景の海面には淡い影が落ちています。ぼろぼろになった帆があらゆる方向になびいている様子から、ロイヤル・プリンス号が座礁しているのがわかります。トゲルンマスト[一番上のマスト]には、白旗を引き下ろそうと、ひとりの男が登っているところが描かれています。【ウィレム・ファン・デ・フェルデ(2世)】《ロイヤル・プリンス号の拿捕》を描いたウィレム・ファン・デ・フェルデ(2世)は、海洋画家ウィレム・ファン・デ・フェルデ(1世)を父親に持ち、同じく海洋画家であるシモン・デ・フリーヘルのもとで学びました。画家として早熟な才能を発揮し、精緻な船舶が描かれ、静謐な趣をたたえる作品の多くを20代の頃に制作しましたが、後に静謐さを打ち破るように、嵐や難破といった主題を好んで描くようになりました。●作品26 リーフェ・フェアシュフイエール《河口の風景》 1660-70年頃 個人蔵ひとりの男が漁船を漕ぎ、別の男が漁の成果を確かめようとして網をのぞき込んでいます。右側の盛り上がった岸辺には2艘のボートが引き揚げられており、ふたりの男が立って水面を見つめています。本作での波の描き方はきわめて独特で、大量の小さな波が、ほとんどパターン化されながら重なり合っています。【リーフェ・フェアシュフイエール】《河口の風景》を描いたリーフェ・フェアシュフイエールは一般的に海洋画家として知られています。彼は彫刻師として船飾りを手がけていたため、船の外観について熟知していました。木彫・石彫彫刻家組合長をつとめていたこともわかっています。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/01/27
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【2016年1月26日(火)】 今日も冷え込みました。朝、車を出したとき、外気はマイナス3度でした。駅ではマイナス1度だったので、やはり私の住んでいる山沿いは2度ほど気温が低くなるようです。それでも、昼間は太陽が出て暖めてくれて、風もなかったので、夕刻は8度とそれほど低気温ではありませんでした。 昨日、有償ボランティアを辞めたという証明書を書いてほしいとお願いしていた小学校の方から電話がありました。退職証明書を書いていただいたとのこと。取りに来てほしいというので、午後車で行ってきました。小学校の職員室なるものに50年ぶりくらいに入りました。不思議な感覚でした。これで、健康保険切り替えのための必要な証明書で、ややこしかったのが一件落着です。小学校の方にはお手数おかけしました。感謝です。 その足でハローワーク西陣へ。2月3日が初回の失業給付認定日なのですが、それまでに2回の求職活動が必要です。1回はこの前の説明会でOKです。もう1回必要ですので、職業面談に行ってきました。 以前は、ハローワークの端末で求人情報を閲覧するだけでよかったのですが、少し前からそれでは認められず、係の人と面談しなれけばいけないようになりました。といっても、しばらく就職するつもりがなければ、求人情報を検索した結果をプリントアウトして持っていき、「求人情報を検索したけれど、条件に合うのが今回はありませんでした。引き続き探します。」と係の人にいえばそれで求職活動1回にカウントされるとのこと。私も今回この方法で面談して、求職活動1回と認めてもらいました。 帰りに、厚生年金受給申請用の証明書類を市役所支所にもらいに行くつもりでしたが、前述の小学校に向かうのが遅くなったため、市役所支所到着が閉庁時間ギリギリになってしまいそうだったので、今日はあきらめました。 錦織選手、やはりジョコビッチに完敗でしたね。ビッグ4と呼ばれる選手とは、格の違いが歴全です。でも、第7シードでベスト8。最低限のところまでは勝ち上がりました。 今からサッカーのオリンピック予選の準決勝。勝てば五輪出場決定です。ガンバレ、ニッポン!!!!*********************************************フェルメールとレンブラント展 #6昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、ネットの情報を使って紹介しています。【2】オランダ黄金時代(続き)II-3 建築画家たちオランダで発達したユニークな分野のひとつが教会建築内部の絵画。建築画を得意とした画家たちは、様々な都市に建てられた教会の白い壁のシンプルな内部を、遠近法を用いて細やかな描写で描きました。この分野を得意とした画家にはピーテル・サーンレダムが有名で、本展でもその作品が紹介されています。●作品19 ピーテル・サーンレダム《聖ラウレンス教会礼拝堂》 1635年 カタレイネ修道院美術館、ユトレヒト身廊と礼拝堂が交差する、この教会の複雑な建築構造を把握できる位置が、鑑賞者の視点として選ばれています。画面はとても低い視点から捉えられており、そのために床がほとんど視界に入らず、鑑賞者はあたかも自分が教会のなかを歩いているかのような錯覚に陥ります。●作品20 ピーテル・サーンレダム《マリア教会の翼部》 1637年 アムステルダム国立美術館プロテスタントの教義にのっとり、教会内部が質素に描かれています。下絵段階では描かれていた装飾付の内陣障壁が、最終段階で消されていることがわかっています。他にも中央の基柱と南側廊のアーチを飾っていた模造タペストリーが完成作では金箔ごと塗りつぶされるなど、意図的にその簡素さを強調したことが伺えます。 《聖ラウレンス教会礼拝堂》と《マリア教会の翼廊》を描いたサーンレダムの作品の特徴は、建築構造の細部にわたる丹念な描写にあります。その制作準備も実に周到であり、精確な平面図に加えて、測量をもとにした縮尺立面図を作成するというものでした。「実在する教会の精確な記録」という新分野を生み出したことにより、彼の作品の値段は大きくはね上がりました。●作品21 エマニュエル・デ・ウィッテ《ゴシック様式のプロテスタント教会》 168-85年 アムステルダム国立美術館架空の教会です。ここに描き出されているのは、17世紀における社交場としての教会であり、多くの人物が歩き回り、また会話を楽しんでいます。画面中央にはじゃれあう2匹の犬が描かれていますが、こうした光景も、実際には珍しいものではなかったようです。エマニュエル・デ・ウィッテ《ゴシック様式のプロテスタント教会》を描いたデ・ウィッテは17世紀における最も卓越した教会建築の画家の一人です。サーンレダムとは対照的に、デ・ヴィッテは実在する教会内部の忠実な再現を描くのではなく、アムステルダムの主要な教会や市庁舎の諸要素を組み合わせたような想像上の建物を描きました。●作品22 ヤン・ファン・デル・ヘイデン《跳ね橋》 1660-72年 アムステルダム国立美術館3本の運河が交差する複雑な構図の作品です。前景に置かれたふたつのひき臼が主役の跳ね橋と同じくらいに目を引きますね。町の往来の真ん中にこのようなひき臼が置かれているのは違和感がありますが、この作品の舞台であろうアムステルダムの港付近には、このような石を扱う市場が存在していたそうです。ヤン・ファン・デル・ヘイデン《跳ね橋》を描いたヤン・ファン・デル・ヘイデンは、画家としてだけでなく、発明家、技術者、そして市の公職者として成功した人物です。彼が立案し施工に移したアムステルダムの道路照明設計は約170年にわたって採用されました。また、兄のニコラースとの共作による、ポンプ駆動式消火機器は、消火活動の効率を劇的に向上させました。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/01/26
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【2016年1月25日(月)】 この冬一番の冷え込み。朝は積雪は1センチくらいで、この前の積雪よりは少なかったのですが、明らかに路面が凍っていたので、朝は送りの車は出せませんでした。太陽は出ていたので、雪は融けて午後には車は通れる状態にはなりましたが、温度はさほど上がらなったのではないでしょうか。ハローワークでの求職活動に行くことも考えていたのですが止めました。天気はよかったので二人散歩には行きましたが、それ以外は、家でじっとしていました。 N社を辞めた後、協会健保の任意継続健康保険に入っています。この2月で61歳になり、特別支給厚生年金の受給資格が得られますが、そうなると以前勤めていたM社健康保険組合の退職者用健康保険に入ることができます。ちょっと前に計算してみたところ、私の場合このM社退職者保険のほうが保険料が安くなります。また高額医療の限度額もこの退職者保険のほうが大幅に低額になります。それで、3月には協会健保任意継続保険からM社退職者保険に切り替えるよう、必要書類を準備してきました。 今日、どこにもでかけず時間があったので、書類を書き始めました。 まず現在の協会健保の任意保険が2月分の支払いでいつまで有効かを、協会健保の京都支部に電話して聞いてみました。ときどきこの京都支部に電話することがあり、いつもは丁寧に対応していただけるのですが、今日電話に出た方は、高飛車というかなんというか、プチンと切れかかるのをがまんしないといけないくらいでした。今はハローワークでもこんな人いませんよ。とりあえず、3月10日まで有効だというのが分かりました。 次に、M社健康保険に電話。家内を扶養家族にするのですが、もらってきた非課税証明書は26年度の収入が書いてあるものです。そのころ家内は有償ボランティア的なものをやっていて、少しだけ報酬をいただいていたのですが、私が発病して以降中断したかっこうになっています。そのときの報酬がごくわずか(年間数万円)入っていました。申請書には、これからの見込み収入を書くことになっているのですが、家内は働いていないし、その予定もないので、これはゼロです。収入ありから収入なしに変化するわけです。このことを質問しました。「仕事を辞めれば、その会社なりから届いた源泉徴収票にいついつ退職と書いてあるはずだから、それを添付していただけばいいですよ。」とのこと。源泉徴収票を見ると、退職した日は書かれていません。長期に休んだ恰好になっているからです。「では今はその仕事はしていないことを証明できる書類を何らかのかたちで添付していただければいいです。」 ややこしくなってきました。止むなく家内がお世話になっていた小学校のボランティアグループに電話して事情説明。何らかの証明を書いていただけませんかとお願いしました。相談して回答しますとのこと。 厚生年金の受給申請もあります。確定申告もあります。これからしばらく、こんなことに時間を多く費やすことになりそうです。*********************************************フェルメールとレンブラント展 #5昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、ネットの情報を使って紹介しています。【2】オランダ黄金時代II-2 イタリア的風景画家たち当時、イタリアに旅し学んだオランダ出身の画家は多く、彼らはその影響を色濃く残した作品を制作しています。明るい陽光、朽ちた古代の遺跡、新鮮な青い空──オランダ風景画とは一風異なるエキゾチックな風景が描かれたイタリア風の風景画は、オランダで人気のある分野だったため、イタリアを訪れたことのない画家も様式を真似て描いていました。●作品15 ピーテル・ファン・ラール《イノシシ狩り》 1640-42年頃 個人蔵太陽の光が降り注ぐイタリアの風景の中で、狩人たちがイノシシを狩りに夢中になっています。前景にはすでに仕留められた2頭が横たわっています。そして、犬に襲われた3頭目が騎手によって間もなく仕留められようとしている瞬間です。【ピーテル・ファン・ラール】《イノシシ狩り》を描いたピーテル・ファン・ラールは若くしてローマを訪れ、長期間滞在しました。そこで彼は多くのオランダ人画家に大きな影響を与えました。彼の追随者にはオランダ人だけでなくイタリア人も含まれ、彼のあだ名である「バンボッチョ」にちなんで「バンボッチャンティ」と呼ばれていました。●作品16 ヤン・パブティスト・ウェニークス《地中海の港》 1650年頃 個人蔵イタリア沿岸の架空の景観を描いたものです。着飾った美しい女性、買い求めたばかりのワインの味を楽しむロバに乗った男性、遠くの方には海で泳いでいる人の姿が見えますね。画面右側には、ここがイタリアであることを鑑賞者に思い起こさせるかのように、古代ローマの建造物群が描かれています。【ヤン・バプティスト・ウェーニクス】《地中海の港》を描いたヤン・バプティスト・ウェーニクスは18歳で結婚し、その後1642年から4年間をイタリアで過ごしました。ローマではネーデルラント出身画家たちで構成されたグループ「群鳥」の一員となりましたが、「おしゃべり」という愛称で呼ばれたそうです。理由は、彼が大変なおしゃべりでしかも早口だったから、とされています。●作品17 フィリップス・ワウウェルマン《川辺の野営》 1650-55年頃 個人蔵白馬にまたがった兵士に何かを売りつけようとしている女性、そのそばでは自分の馬に赤い布をかけている兵士。その他、用を足している犬や太鼓のそばで眠る3人の兵士などが描かれています。17世紀、多くの兵士は集団で国を越え、戦場に召集されるのを待ちながら放浪していました。この時代にはありふれた光景だったのでしょう。●作品18 フィリップス・ワウウェルマン《川辺にいる馬乗りたち》 1650-55年頃 個人蔵水の中で横向きに転倒しかかっている馬が一頭。馬乗りはひどく驚いていますが、川岸にいる3人の馬乗りの顔を注意深く観察してみると、楽しんでいるのが明らかです。登場する馬がそれぞれ違う角度から、異なった姿勢で描かれていることに注目してください。馬の描写に長けたワウウェルマンならの作品です。【フィリップス・ワウウェルマン】《川辺の野営》と《川辺にいる馬乗りたち》を描いたワウウェルマンは、17世紀において馬の描写に関して最も優れた画家でした。馬の専門家によると、解剖学的に正確に描いているそうです。彼は18世紀に特に高く評価され、各国で彼の作品が大量に収集されました。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/01/25
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【2016年1月24日(日)】 三重県の私の実家への月1回のお墓参りの予定でしたが、天気予報で大荒れの一日とのことでしたので、次の土曜日に延期しました。新名神で雪の多い滋賀県を通って、鈴鹿山脈を越えますが、往きがOKでも帰りが危険になる可能性も大きいし、次の土曜日あたりは少し暖かくなるとの予報もありましたので延期しました。 で、今日も私は散歩以外は外出せずの一日でした。気温は確かに低く、午前中は風も強かったですが、昼からは風はそうでもなかったです。晴れている時間も長かったです。お墓参りは大丈夫だったかもしれませんが、やはり寒いのもいやだし、延期して正解でしょう。 ブログ、三味線の練習以外には、年賀状の整理をしました。住所が変わった人をチェックし、住所録を更新。去年の年賀状を捨てました。以前は、5年分くらい残していたのですが、翌年の年賀状を書くのにその年の年賀状を見ることはあっても、それ以前の年賀状を見ることはまずないので、最近はその年の年賀状しか残さないようにしています。「断捨離」です。枚数からいって、お年玉当選が2~3枚いつもあるのですが、今年は1枚だけでした。 全豪オープンで錦織選手、第9シードのジョーウィルフリード・ツォンガ(仏)に6―4、6―2、6―4で勝ち、2年連続3度目の準々決勝に進出しました。初の4強入りをかけ、第1シードのノバク・ジョコビッチ(セルビア)と対戦します。今回は、積極的で危なげない試合が続いています。ただ、ジョコビッチはきついかな?*********************************************フェルメールとレンブラント展 #4 昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、ネットの情報を使って紹介しています。【2】オランダ黄金時代II-1 風景画家たち (続き)●作品10 アールト・ファン・デル・ネール 《月明かりに照らされる村》 個人蔵 1645-50頃ふたりの男性が暗がりに立ち、話しながら遠くを指差しています。そして、暗闇のなかには木の柵と家々がぼんやり浮かび上がっています。本作で素晴らしいのは、月からの冷たい光を、暖かみのある陽光と異なるように描き分けている点です。実際に絵の前に立つと、月の光の冷たさを感じられます。【アールト・ファン・デル・ネール 】《月明かりに照らされる村》を描いたファン・デル・ネールは、生涯にわたって冬景色と月明かりに照らされた風景を描き続け、その分野において卓越していました。彼は、19世紀に入ってから偉大な画家のひとりとして再発見されたものの、生前はきわめて貧しい暮らしでした。彼は15か月分の家賃を滞納したまま亡くなり、埋葬された墓地は極貧の人々のみが入るような場所でした。●作品11 アールベルト・カイプ 《牛と羊飼いの少年のいる風景》 1650–60年頃 アムステルダム国立美術館海を干拓してできた新たな土地で草を食み、収入を生み出してくれる牛は、黄金時代の増えゆく富の象徴でした。そのため、人々は国の誇りである牛の姿を自分の家に飾りたがり、農場の母屋を描いた絵画や牛の肖像画を画家に依頼しました。【アールベルト・カイプ 】《牛と羊飼いの少年のいる風景》を描いたアールベルト・カイプは、ドルドレヒトの著名な画家一家に生まれました。1650年代にはかなりの財産を相続し、その後、南ホラント州の裁判所のメンバーとなり、改革派教会の執事を務め、そのほかにも慈善団体の役職を歴任しました。新たな立場を得たために絵からは遠ざかったようで、1660年以降、年記のある作品は存在しません。●作品12 ヤーコブ・エッセレンス 《フェヒト川に集う人々》 1660-65年頃 個人蔵中央の巨大な木が、構図全てを支配しています。また、画面手前の葉むらには濃い緑色が使われ、遠くの木々にはごく明るい緑が使われています。独特な緑色の使い方によって、パステル画のような雰囲気を醸し出していますね。ユトレヒトにあるドーム教会の高い塔が遠くの方に描かれていることから、この絵は街の近郊の風景だということが分かります。【ヤーコプ・エッセレンス】《フェヒト川沿いに集う人々》を描いたヤーコプ・エッセレンスは絹やベルベットの商人としても成功し、アムステルダムでも裕福な人々が居を構える地域に住んでいました。彼の作品は1660年から70年にかけて描かれたと推定され、その後は描くことをやめ商売に専念したと考えられています。●作品13 ヤーコブ・ファン・ライスダール 《家と鳩小屋のある砂丘風景》 1648年 アールベルトコレクション穀草が黄色く実る夏の日の風景です。空に暗い雲が描かれ、雨が降り出しそうな様子です。肩に棒を担いだ男性が鳩小屋のある農家のほうへ向かい、連れている2匹の犬は、1匹が水の中を進み、もう1匹は男性の後をついて行っています。【ヤーコプ・ファン・ライスダール】《家と鳩小屋のある砂丘風景》を描いたヤーコプ・ファン・ライスダールは、ごく若い頃から絵を描きはじめました。20歳を前にして、署名と年記の入った絵を8点も残しています。しかもきわめて個性的な様式であり、それまで制作されていた風景画とは異なっていることから、神童といっていい存在でしょう。●作品14 メインデルト・ホッベマ 《水車小屋》 1666年頃 アムステルダム国立美術館飛沫を立てて池に流れ落ちた水路の水が、こちら側にとうとうと流れてくるようです。納屋を備えただけの素朴な水車小屋のまわりでそれぞれの仕事に励む人々が、日常的で心安まる風景として描かれています。【メインデルト・ホッベマ】《水車小屋》を描いたホッベマは、水車小屋の絵を30枚以上も描いたそうです。彼は特に水路や車輪の機構を支える木造の足場に強い注意を向けていましたが、これは父親が大工だったことからくるものだと考えられています。気取らず、質素ともいうべき主題が好みの風景画家だったそうです。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/01/24
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【2016年1月23日(土)】 どんよりと曇った寒い一日でした。でも風がなかったので、散歩のときはそれほど寒いとは感じませんでした。 昨日が飲み会でしたので、今日は何も予定を入れておらず、散歩以外は外出せず、のんびりしました。*********************************************フェルメールとレンブラント展 #3 昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、ネットの情報を使って紹介しています。【2】オランダ黄金時代【2-1】風景画家たち17世紀のオランダ絵画で最も発展をとげたのは、風景画でした。風景画は様々なテーマで描かれ、画家たちは町の風景、夜の風景、郊外の風景などそれぞれ得意分野を中心に制作していました。ヤーコプ・ファン・ライスダール、ヤン・ファン・ホイエンなどに代表される17世紀オランダ風景画は、季節や時間で移り変わる当時のオランダの風景、自然、町の様子などを現代に新鮮に伝えています。●作品5 エサイアス・ファン・デ・フェルデ 《砂丘風景》 1629年 アムステルダム国立美術館この作品の見どころのひとつは、たくみに計算された「視線の誘導」かもしれません。画面左に描かれた猟犬グレイハウンドが狙っているのは画面右側のウサギですが、最初からウサギの存在に気づく人は少ないのではないでしょうか。また中景に描かれたふたりの旅行者の存在によって、柳の下に描かれる女性と子どもや画面右側の杖を突く人物に気づかされます。【エサイアス・ファン・デ・フェルデ】《砂丘風景》を描いたエサイアス・ファン・デ・フェルデは、「黄土色といくつかの緑色」という限定された色彩を薄く塗り、筆跡の見える素早い筆の運びによって新しいタイプの自然主義を生み出しました。これは、ヤン・ファン・ホイエンなどの画家たちが1630-40年代に完成させた、単色の風景画の出発点です。●作品6 ヤン・ファン・ホイエン 《夏》 1623年 個人蔵夏の情景が描写されています。左手の大きな木には葉が豊かに茂っており、木陰に農家が建っています。前景では、3人の農夫がひとりの女性と話しており、その他の人々は川を渡る小船に乗っています。画面全体に、田園らしい喜びが満ちています。●作品7 ヤン・ファン・ホイエン 《冬》 1623年 個人蔵冬の情景が描写された作品。画面左手の木には葉がなく、運河は凍っています。屋外には沢山の人が描かれており、氷上での遊びに興じています。後景では、人々がコルフ(当時流行していたパターゲーム)で遊んでおり、背の高い橋の背後には、都市の塔や家々が見て取れます。【ヤン・ファン・ホイエン】《夏》と《冬》の頃の彼の様式は、師匠エサイアス・ファン・デ・フェルデを彷彿とさせるものでした。しかし、ファン・ホイエンはやがて、自分の様式を見出していきます。素早く幅広い筆づかいが次第に明確なものとなり、彼自身の特徴となりました。ファン・デ・フェルデと並び、まるで自然を前にして直接描いたかのような写実的な印象を生み出す風景画を制作した最初の画家でした。●作品8 サロモン・ファン・ライスダール 《水飲み場》 1660年 アムステルダム国立美術館けだるい日の差す静かな午後の光のなかに、喉の渇きをいやす牛や、紋章付きの馬車で旅行する高貴な人々が描かれています。視点を低く設定し大きく広がる木々や空に湧き上がる雲を描くことで、日常的な情景にある種の威厳を与えています。【サロモン・ファン・ライスダール 】ファン・ホイエンとほぼ同時期に活動したサロモンは、1630年代初期にはすでに川の景色を多く描いていました。彼が好んだ主題は、フェリーが横切る川景色や、旅行者たちが停泊したであろう水場や宿屋です。ところで、同時代の画家の多くがそうであったように、彼は絵画制作だけで生計を立てていたわけではありません。1651年の記録では、ハールレムの有名な漂白場の藍染を扱う商人とされています。●作品9 ピーテル・デ・ブロート 《旅行者のいる村の景色》 1625–30年頃 個人蔵この作品の注目ポイントは、強烈な陽光が左から差しているなか、手前(右側)にいるふたりの人物のいるところに陰が落ちている表現です。作者のデ・ブロートはあまり有名ではありませんが、この作品を見ると、光と影の扱いに長けた画家といえるでしょう。【ピーテル・デ・ブロート 】《旅行者のいる村の景色》を描いたデ・ブロートは、農民の暮らしをはじめとした日常生活の光景や、静かな室内と風景を描いた画家です。彼は画家であるとともに不動産業も営んでいました。また、タイル職人でもあったといいます。多才な人だったのかもしれません。私生活では3度結婚しました。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/01/23
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【2016年1月21日(木)】 今朝、雪は止んでいましたし、道路にも雪はなかったので、朝、車を出しましたが、昨日午後雪が雨に変わったためか、フロントガラスの雪が凍りついていて、雪を除去するのが一苦労でした。天気は回復しましたが、寒い一日でした。 二人とも家にいてのんびりとした一日でした。*********************************************フェルメールとレンブラント展 #2 昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の作品を、種々のネットからの情報を使って紹介していきます。 この展覧会は「フェルメールとレンブラント:17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち 世界劇場の女性」と題されています。 17世紀はオランダ黄金時代といわれ、オランダは歴史上稀にみる発展の最中にありました。 1560年代に始まるスペイン支配からの独立戦争に伴い経済が急成長するとともに、1602年に世界に先駆けて設立された株式会社、オランダ東インド会社の貿易網を通して世界に名だたる強国、富裕国として発展していきます。 17世紀はまた、新たな芸術文化が発展し、絵画の分野においても多くの優れた画家を輩出し数多くの傑作が生まれるという、特別な時代でした。 絵画は一般市民が手に入るような大きさや価格でも出回っていました。 当時の海外からの訪問者は、オランダのごく一般の家庭にさえも多くの絵が飾られているのに驚いたといいます。 この時代に活躍した画家たちの中には、「光の画家」として知られるデルフト出身のヨハネス・フェルメール(1632-1675)やアムステルダムで名声を手にし、独特な発想、技法と構図で人気を得たレンブラント・ファン・レイン(1606-1669)など、今日我々がよく耳にする名があります。 彼らの作品は400年近く時を経た今でも色褪せることなく、我々に感銘を与えてくれます。 この展覧会では、60点の作品を通して、オランダ黄金時代と当時活躍した画家たちが紹介されています。 フェルメール、レンブラントと並び、フランス・ハルス、ヤン・ステーン、ピーテル・デ・ホーホなど、黄金時代を彩った様々な画家たちの作品によって、当時の文化と人々の生活が目の前によみがえります。 ニューヨークのメトロポリタン美術館、ロンドン・ナショナル・ギャラリー、アムステルダム国立美術館を中心に個人蔵の作品も加え60点が一堂に展示されています。中でもメトロポリタン美術館の傑作、フェルメールの《水差しを持つ女》とレンブラントの《ベローナ》は日本初公開作品です。【1】ハールレム、ユトレヒト、アムステルダム-オランダ黄金時代の幕開け 17世紀初頭から、オランダの各都市において画家たちが活発に制作活動を行い、独特の絵画を発展させていきました。特に、ハールレム、ユトレヒト、アムステルダムでは、イタリアやフランスで経験を積んだ画家たちが独自の絵画を開花させていきます。 展覧会のこの導入部では、当時ヨーロッパで人気を博した画家ヘンドリック・ホルツィウスや明暗技法と豊かな色彩を融合した独創的な画家アブラハム・ブルーマールトなどの作品を通して、黄金時代の幕開けが紹介されています。●作品1 ヘンドリック・ホルツィウス《苦悩するキリスト》 1607年 ユトレヒト中央美術館 その身体はたくましく、まるでギリシア・ローマ神話に出てくる英雄のようです。古代芸術に着想を得た、「理想的」ともいえる裸体像が描かれています。当時は、こうした古代風の理想的な人物像を自宅に飾っていた人もいたようです。【ヘンドリック・ホルツィウス】《苦悩するキリスト》は1607年に制作されました。ホルツィウスはもともと版画家としてヨーロッパ全土に知られる存在でしたが、1600年頃に絵画制作へと転向。ローマまで出向いて、古代彫刻やミケランジェロ、ラファエロらの作品をスケッチした経験などを経て、完璧な裸体像を描くことができる作家として人気を博しました。●作品2 アブラハム・ブルーマールト《ラトナとリュキア人の農民》 1646年 ユトレヒト中央美術館 ハールレムの画家たちよりも少し後、アブラハム・ブルーマールトをはじめとするユトレヒトの画家たちも外国に赴きました。ブルーマールトは、1581年頃、15歳でパリ旅行を行い3年ほど滞在します。パリで取り入れたマニエリスムに影響を受けた様式は、帰国後ユトレヒトの画家仲間に衝撃を与えたそうです。その後、彼の作風はより静謐で古典的なものになります。 この作品は、ブルーマールトが80歳の時に描いたとされるもの。青、緑、黄、そして前景に描かれたラトナの深紅のガウンなど、鮮やかな色彩で描かれています。【アブラハム・ブルーマールト】《ラトナとリュキア人の農民》が描かれたのは、ブルーマールトが80歳のときだと言われています。当時としてはかなりの高齢ですが、この時点でも十分に優れた画家であることが分かりますね。この作品もそうですが、日頃から農場のデッサンを描きため、それを絵画制作に利用していたそうです。●作品3 ヤン・ファン・ベイレルト 《マタイの召命》 1625-30年頃 カタレイネ修道院美術館 イエスが収税所で働いているマタイを指さし、自分についてくるよう呼びかけるシーンを描いた作品。その後のマタイの運命を左右する劇的な一瞬が、強烈な明暗効果で表現されています。また黄・赤・青などの鮮やかな色彩が用いられており、印象的な作品です。【ヤン・ファン・ベイレルト】ブルーマールトの弟子でもあったベイレルト。ちなみに、《マタイの召命》で用いられている明暗効果を考案したのは、イタリアの画家・カラヴァッジョです。ベイレルトをはじめ、多くのユトレヒト出身の画家がこの明暗効果を実践しました。●作品4 ピーテル・ラストマン 《モルデカイの凱旋》 1617年 レンブラントハイス美術館 旧約聖書の物語です。アハシュエロス王が支配する国に暮らすモルデカイは高官ハマンの怒りを買ってしまい、そのせいで自分を含む全てのユダヤ人が迫害されるまでの危機にさらされます。しかしモルデカイに恩賞を与えようと思い立ったアハシュエロス王は、ハマンにその準備をさせます。憎きモルデカイが乗った馬を引いているハマンの悔しさはいかばかりか。複雑な表情が見てとれます。【ピーテル・ラストマン】《モルデカイの凱旋》を描いたラストマンは、デンマーク王から注文を受けるなど、アムステルダムの歴史画家たちに多大な影響を与える存在でした。彼はまた、レンブラントの師匠でもあります。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/01/21
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【2016年1月18日(月)】 雨が降ったり止んだり、太陽が顔を覗かせたり急に陰ったり、風も強く、荒れ模様の一日でしたが、気温はそれほど低くはなかったようです。関東では大雪だったのですが。二人で歯医者に行きました。私は3ヵ月に一度のメンテナンスです。 私は特別なことのない一日でしたが、夜、ドイツ時代の仕事仲間で現地の社長をしていたB氏から電話がありました。New Year Cardを送った後、メールで「がん」にかかったことなどを連絡したら、電話してきてくれました。私より1つか2つ年下だったと記憶していますから、まだ60歳になっていません。私がいたアメリカの工場が閉ったとほぼ同時期にこのドイツの会社も閉りましたので、その後、独立して人事コンサルタントをしているのですが、経験や実績がないだけに、なかなか厳しいようです。ただ生活が困っているわけではないので、これでいいのだというようなことを言っていました。年金は65歳からなので、それまでは働きたいとのこと。奥さんといっしょにゴルフを始めたそうです。ビジター料金を聞いたら日本と同じような感じでした。ただ彼らは車で10分くらいの年会費制のクラブに入っていて、週3回もゴルフをしているとのこと。最近、奥さんといっしょにベトナム旅行もしたそうで、生活を楽しんでいるようです。 「是非、ドイツに遊びに来てよ。」 そうしたい気持ちはありますが、先立つものが・・・・ ワンちゃんもいるし・・・・ 「日本に来てよ。」「女房を説得しないとダメだな。」てな具合でした。 本当に久しぶり(2年ぶり)に英語で会話しましたので、なかなか言葉が出てきませんでしたが、わざわざドイツから電話してきてくれて嬉しかったです。もうちょっと落ち着いたら、昔の仕事仲間との再会を兼ねたドイツ旅行ができたらいいなぁと思っています。 全豪オープン1回戦、錦織選手がドイツの世界ライン34位のコールシュライバーに危なげなく3-0で勝ちましたね。このごろどこかおかしかったのですが、今日は強気に攻めてました。今回は期待できるかも。*********************************************フェルメールとレンブラント展 #1昨年の12月19日に二人で京都市美術館に観にいった「フェルメールとレンブラント展」の様子を思い出し出し、ネットで後付けで調べながらアップしていきます。■「フェルメールとレンブラント:17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち 世界劇場の女性」 期間:10月24日(土)~16年1月5日(火) よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2016/01/18
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【2015年12月19日(土)】 ようやくほんとうに冬らしい一日になりました。寒いのもいやだけど、どこかでほっとした気持ちもあります。 昨日相談して、今日は二人で京都市美術館に「フェルメールとレンブラント展」を見に岡崎まで行ってきました。昨日、年末までのTo Do Listを書いて、忙しいと言いましたが、京都検定勉強でこのごろ外出をしていなかったので、今日くらいはと思い出かけてきました。 観光オフシーズンだし、「ルーブル美術館展」ほど人気はないだろうと思い、土曜日だけど空いていることを期待していたのですが、結構混んでいました。またその様子は後日アップします。ついでに京都検定の勉強。岡崎エリアの建物の設計者の復習。(結局京都検定の勉強?)京都市美術館 前田健二郎京都国立近代美術館 槇文彦京都府立図書館 武田五一京都市勧業館 みやこめっせ 川崎清京都会館 前川國男 (改修整備後はロームシアター京都)平安神宮 伊藤忠太他 京都市認定通訳ガイド研修受講生応募用紙も記入して提出しました。To Do Listの一つは完了です。閑臥庵の続きは、今日はお休みです。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/12/19
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【2015年10月6日(火)】 朝は少し冷えましたが、日中は日差しもあって昨日よりは暖かでした。 印鑑証明を区役所でもらってこなければならなかったので、区役所に行って、ついでにその近くで散歩しました。こともあろうにそこで道に迷ってしまいました。その様子は「お散歩」カテゴリーにアップしました。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201510060013/ 上記以外は在宅で、いつものような一日でした。京都検定勉強は、解答1件、出題1件。 右手のダルさや右肩の痛みは、次第に軽減しているようです。照射部の浮腫もましになっているような気がします。●ルーブル美術館展~#22(最終回)副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」9月4日に二人で観に行った「ルーブル美術館展」の展示作品の紹介は昨日で全部終わりました。最後に美術館の写真です。京都市美術館。 メトロポリタン展、ワシントン・ナショナルギャラリー展、竹内栖鳳展などなど、私が訪れた美術館の中では一番回数多く訪れている美術館です。 1928年(昭和3年)に京都で行われた昭和天皇即位の礼を記念して計画が始まったため、当初は大礼記念京都美術館という名称でした。本館の設計は前田健二郎。公立美術館としては東京都美術館に次ぎ日本で二番目。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/10/06
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【2015年10月5日(月)】 午後からは雲の多い天気でしたが、雨の心配はありませんでした。気温もかなり低く感じ、ご近所散歩のときはベストを羽織ったくらいでした。 扇風機を直しました。今まで2台でしたが、家人が増え、この夏三重の実家から母が使っていた1台を持ってきたので、合計3台。腕が痛いことや、日常行動で手いっぱいのところもあって、片づけが滞っていましたが、手伝ってもらって二人がかりで、今日済ませました。本格的に秋です。 この2、3日で、色んな行事のことが少し進みました。12月12日の前の会社の本社同期会は、物理的には参加できるのですが、京都検定受検の前日なので、不参加で返事しました。去年は抗がん剤治療で入院中で参加できなかったので、今年こそと思っていたので残念です。元気でい続けて来年こそ参加したいです。 前の会社の最後の職場の有志6人会は私が今回幹事なのですが、11月7日に設定しました。紅葉には少し早いのですが、京都で紅葉狩りの後、会食です。 最後の会社の同日入社の4人会は、11月23日に設定済みですが、やはり京都で紅葉刈り後、夕食会。これは紅葉はベストタイミングと思います。 両方の夕食会とも、祇園の中華料理の店が予約できました。私は使ったことがないのですが、欠席する本社同期会をここでするので、間違いないだろうと思い、そこにしました。 右手のダルさは軽くなってきているような気がします。痛みも、前は顔を洗うのに手が少し痛くて気が進まなかったのですが、それがなくなりました。イスをクローゼットに直すときなども少し痛かったのですが、それがなくなりました。ただし、照射部の浮腫は変化なしです。ちょっと悪くなっているかもしれません。照射部を下に寝したり、体を側屈したときに圧迫感があります。前からだったのかもしれませんが。●ルーブル美術館展~#21副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」(続き)9月4日に二人で観に行った「ルーブル美術館展」の様子を少しずつアップしています。Wikipediaなどを読んで、事後勉強しています。■第6章_アトリエの芸術家(続き) 080 オクターヴ・タサエール「アトリエの情景」(1845年) 081 ユベール・ロベール「ルーヴル宮グランド・ギャラリーの改修計画1978年頃」(1798年頃)18世紀のフランスの画家ユベール・ロベールがルーヴル宮殿のグランド・ギャラリー(中央美術館)を1798年頃描いた作品。フランス革命の後、ルーヴル宮殿は王室美術コレクションを公開するために改修工事が行われ、1793年に正式にルーヴル美術館として開舘しました。ユベール・ロベールはこのルーヴル美術館の整備と運営に深く関わっており、なんどもルーヴル宮のグランド・ギャラリーを描いています。また、彼は崩れかけた古代建築の趣に富んだ景観を描くことが得意で、「廃墟のロベール」と呼ばれていました。 082 ジャン=ジャック・ド・ボワシュー「室内の情景」(1767年) (写真なし)083 ルイ=レオポール・ボワイー 「アトリエでボナパルトの胸像を制作するアントワーヌ・ウードン」 (1802-1803年頃)「籠の鳥(恋人たちと飛び立つ小鳥)」に次ぎ、この展覧会2作目。(写真なし)(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/10/05
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【2015年10月4日(日)】 今日は昨日より雲は多かったですが、お天気もよく、風もあって爽やかでした。 昨日、今日ふたりでお寺巡りに行くことを約束していたので、午後出かけました。もともとは浄福寺という町なかにあるお寺に行く予定でした。普段、堂内が拝観できない浄土宗のお寺がこの季節に日を限定して拝観できるようになっており、浄福寺もその一つになっていたからです。しかし、浄土宗京都のWebサイトで調べてみると、拝観は2日、3日のみで、今日は拝観できないことが分かりました。 他の特別拝観している浄土宗のお寺でもよかったのですが、嵯峨の清涼寺が霊宝館という宝物館の定期的な公開をしているので、そちらのほうに行くことにしました。清涼寺も浄土宗なのですが、普段から本堂は公開しているので、特別拝観のリストには載っていませんでした。案外道は空いていて、我が家から30分で清涼寺近くのグルメシティの有料駐車場に到着。離れたところに停めたのは、駐車場料金の節約とウォーキングのためです。 清涼寺の拝観記は、このルーブル美術館展の紹介が終わったらアップします。 帰りに門前の「森嘉」さんのお豆腐と「ひろうす」を買って帰りました。 夕食にその「森嘉」さんのお豆腐をいただきました、噂にたがわず、濃厚で美味しかったです。お醤油なしで食べました。お薦めの一品です。 外出したので、京都検定の勉強は今日はまだです。寝るまで少し時間あるので、解答1件、問題1件にトライしてみます。 手の痛みや照射部浮腫の状況ですが、朝起きたときは右肩・腕が少し痛かったのですが、その後、だいぶましになりました。浮腫の状況は大きな変化はないのかなと思います。少しましなような気がしますが。●ルーブル美術館展~#20副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」(続き)9月4日に二人で観に行った「ルーブル美術館展」の様子を少しずつアップしています。Wikipediaなどを読んで、事後勉強しています。■第6章_アトリエの芸術家 ◆077 ジャン・シメオン・シャルダン「猿の画家」(1739-1740頃)020「買い物帰りの召使い」に次ぎ2作目です。当時、フランドルでは様々な行為を猿に託して描くことが流行していて、シャルダンはその影響を受けているそうです。「猿まね」では真の画家とは言えないということを伝えたいのでしょうか。 ◆078 アレクサンドル=ガブリエル・ドゥカン「猿の画家(アトリエの情景)」(1833年頃)028「稼いだお金を数える物乞い」に次ぎ2作目です。ドゥカンは風俗画、主にフランスとアルジェリアの家庭の暮らしを多数描いていて、ユーモアが特徴的です。それは多数の動物画も同じで、とくにドゥカンは猿を描くのが好きでした。この作品は猿ですが。◆079 レオン=マチュー・コシュロー 「コレージュ・デ・カトル・ナシオンにおけるダヴィッドのアトリエの情景」(1814年のサロン)モデルの男性のところが少し明るく、そこに目が行ってしまいます。美しく力強い裸体です。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/10/04
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【2015年10月3日(土)】 今日もよいお天気でした。風も適当にあって爽やかな一日でした。昨日、二人でのお寺巡りは明日の日曜日にしようというので、今日は散歩以外家にいました。 右腕のダルさは、大きな変化なしです。やはり前のような痛みや、PCを叩くのが負担ということはありません。左はほとんど問題ありません。一時のことを思うとましかなという感じです。前開きではない服を着たり脱いだりするときに少し痛いので、着たり脱いだりが嫌な感じです。照射部の腫れも変化なしかな? 少しましになったような気もしますが。時々ジンジンしたり、たまにチクッっとすることもあります。 京都検定勉強は、昨晩日記アップしてから1問出題できましたが、今日はまだ何もできていません。ラグビーを見る前に、1件解答だけでもしておきたいところです。●ルーブル美術館展~#19副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」 9月4日に二人で観に行った「ルーブル美術館展」の様子を少しずつアップしています。Wikipediaなどを読んで、事後勉強しています。■第6章_アトリエの芸術家 074 バーレント・ファブリティウス「アトリエの若い画家」(1655-1660頃)オランダの画家。弟のカレル・ファブリティウスとともにアムステルダムのレンブラントの工房で絵を学びました。 075 フランソワ・ブーシェ「アトリエの画家」(11730-1735頃)ブーシェ再登場です。076 ニコラ=ベルナール・レピシエ「素描する少年」(1772年)レピシエはフランスの画家です。絵画スタイルは、ロココから新古典主義にまたがり、歴史画、神話画、風景画、肖像画と幅広いジャンルの作品を制作しました。レピシエは、とくに子供の肖像画を得意としています。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/10/03
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【2015年10月2日(金)】 昨晩は、台風のような雨と風でした。でも、あっという間に来て、あっという間に去っていきました。今日は、台風一過のようなすがすしいお天気でした。 京都検定勉強は、解答1件のみでした。就寝までもう少し時間があるので、出題1件できないかなと思います。 野球はヤクルト優勝です。明日は、ラグビー、サモア戦。ガンバレニッポン 体のほうは、左首筋の痛みが、かなりましになりましたが、昨日ほとんど感じなかった右手のダルさが少し戻ってきました。でも、以前のような強いダルさはありません。腕を動かしたときの痛みも軽いです。照射部の浮腫と思われる「肉厚」はあまり変化なしです。●ルーブル美術館展~#18副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」 9月4日に二人で観に行った「ルーブル美術館展」の様子を少しずつアップしています。Wikipediaなどを読んで、事後勉強しています。 ■第5章_室内の女性-日常生活における女性(続き)070 ジャン=バティスト・イレール「幸福な囚われ人」(18-19世紀) 071 フランソワ・ブーシェ「オダリスク」(1745年?) ブーシェはフランスの画家、素描家、エッチング製作者。ロココを代表する画家であり、上流社会の肖像画や神話画などを描きますした。多作家として知られ、生涯に1000点以上の絵画、少なくとも200点の版画、約10000点の素描を制作し、壁画装飾、タピスリーや磁器の下絵制作、舞台デザインの仕事をこなしました。072 テオドール・シャセリオー「風呂からあがるムーア人の女性(ハーレムの室内)」(1854年)シャセリオーはロマン主義に属するフランスの画家。自画像、歴史画、宗教画、寓意的な壁画、それにアルジェリア旅行にインスパイアされたオリエンタリズム溢れる作品が有名です。073 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー「コローのアトリエ」(1873年頃)「身づくろいをする若い娘」と同じように、モノトーンの絵です。落ち着いていて好きな絵です。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/10/02
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【2015年10月1日(木)】 今日から10月。今年も4分の3が過ぎてしまった。京都検定まであと2カ月と少し。アクセルを踏まなければいけません。今日は京都検定ブログ解答2件、問題1件できました。 左の首筋が昨日から痛くなりましたが、逆に右手のダルさも、右肩の痛みなど、右半身全体の症状は軽減しました。照射部の「むくみ」はあまり変化ないようですが。左の首筋の痛み(寝違えたような感じ)は、右をカバーするために起こったのかなという気がします。2、3日前から塗り始めた消炎剤が効いてきただけかもしれないですが。このまま快方に向かえば嬉しいです。 今日は、ついに天気が崩れました。気温は上がらなったようですが、湿度は高かったです。体を冷やしたくないので、夜はパジャマのうえに上はベスト、下はルームウェアを着ています。「むくみ」や手の痛み以外で苦しみたくはないので。●ルーブル美術館展~#17副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」 9月4日に二人で観に行った「ルーブル美術館展」の様子を少しずつアップしています。Wikipediaなどを読んで、事後勉強しています。 ■第5章_室内の女性-日常生活における女性(続き)066 ウィレム・ファン・ミーリス「お茶の時間」(1680-1690年頃)ミーリスはオランダ黄金時代の著名な風俗画家 067 ヤン・フェルコリエ1世「授乳する女性」(1675年) 上下の明暗がいいです。068 ヘラルト・テル・ボルフ「読み方の練習」(1652年)お母さんと子供でしょうか。服が二人とも黒っぽくて、二人の顔だけが強調されているのが印象的。ボルフはオランダの画家。069 ジュゼッペ・マリア・クレスピ「蚤をとる女性」(1720-1730年頃) 画面全体どこを見ても生活感がにじみ出ています。でも整理整頓されています。貧しい中にも誇りだけは持っていようと、そんな感じでしょうか。クレスピはイタリアの後期バロックの風俗画家。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/10/01
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【2015年9月30日(水)】 今日は雲の多い天気で気温もあまり上がらなかったようです。 背中右の粒子線照射部が浮腫ではないかという粒子線医療センターからの返事が月曜日にありましたが、確かに治療前に先生にいただいた副作用一覧に「浮腫」があり、可能性ありのことで丸印が付いています。治療から3ヵ月経った以降に起こる「晩期有害反応」という中にあり、「発生率は低いが、治癒しにくい」とあります。 今のところ日常生活に支障なく、普通にしていると痛みとかはないのですが、やはり自然に行動が制限されたり、意識的に行動を制限してしまいます。この状態がずっと続くのはちょっとつらいし、これ以上悪化するようなことがあれば、生活の質も落ちるでしょう。腎機能低下による影響かもしれないですが。いずれにしても少々ブルーな気持ちです。様子をみるしかありません。 長女から引越し手伝いを頼まれましたが、体の状態から判断し、断った格好になりました。なんか左側の首筋も身がはいったような感じになってきました。全身にこのような状況が及ばないことを祈るばかりです。●ルーブル美術館展~#16副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」 9月4日に二人で観に行った「ルーブル美術館展」の様子を少しずつアップしています。Wikipediaなどを読んで、事後勉強しています。 ■第5章_室内の女性-日常生活における女性063 ティツィアーノ・ヴェチェッリオ「鏡の前の女」(1515年頃) ティツィアーノは盛期ルネサンスのイタリア人画家。ヴェネツィア派で最も重要な画家の一人。肖像、風景、古代神話、宗教などあらゆる絵画分野に秀で、ヴェネツィア派でもっとも重要なイタリア人画家の一人となっています。作風は生涯にわたり変化し続け、ヴェネツィア派最大の特徴である色彩の魅力を存分に発揮し、その鮮やかに彩色された色彩は≪色彩の錬金術≫とまで呼ばれました。064 フランス・ファン・ミーリス1世「身づくろいをする女性と召使いの黒人女性」(1678年) 背景の黒、黒人の黒、メインの女性の肌の明るさ、これらのコントラストが印象的です。065 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー「身づくろいをする若い娘」(1860-1865年頃) コロ-は第4章「水汲み場の・・・・」で登場済みです。この作品は、淡い茶色の微妙な色の違いで全体を構成しています。柔らかいタッチで日常の一瞬をとらえています。今回の展覧会で好きな作品の一つです。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/09/30
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【2015年9月29日(火)】 今日も、気持ちのよいお天気でした。昼間はやはり少し暑いくらいでした。でも朝晩はかなり気温が下がり、一日の寒暖差が大きいようです。 今日は、午後、久しぶりに二人で散歩をしました。今の季節、本当に散歩が気持ちいいです。しかし、右肩や右手のダルさ、右足の軽いむくみ感は相変わらずです。 京都検定の勉強は4日ぶりにしました。解答が2件。寝るまでに、できたら出題を1件アップしたいところです。先週金曜日は病院、土曜日は飲み会、日曜日はお寺拝観と色々忙しくて、勉強のペースが落ちています。何か切り捨てないといけないのかもしれません。●ルーブル美術館展~#15副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」9月4日に二人で観に行った「ルーブル美術館展」の様子を少しずつアップしています。Wikipediaなどを読んで、事後勉強しています。 ■第4章_日常生活における自然―田園的・牧歌的風景と風俗的情景(続き)060 ジャン=オノレ・フラゴナール「嵐(ぬかるみにはまった荷車)」(1759年頃) 今回の展覧会で私が一番気にいった絵です。ディテールが描かれていませんが、切迫感が伝わってきます。ルーベンスのような流れのある構図もいいですね。フラゴナールはロココ期18世紀後半のフランスを代表する画家。フランス・ロココ美術の典型的な画家であるとともに、時代の変化のなかで、ロココ時代の最後を飾った画家ともいえます。 061 コンスタン・トロワイヨン「柵」(1853年) 牛がのんびりと水を飲む様子が、おおらかな感じで伝わってきます。何故タイトルが「柵」なんでしょうねフランスの画家。バルビゾン派の一人で,風景画と特に動物画を得意としました。062 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー「水飲み場のブルターニュの女たち」(1840年頃)遠景に2人置いて、遠くまで女性が重い水瓶を運ぶのは大変そうだということを連想させながらも、やさしい絵です。コロ-は19世紀のフランスの画家。コローの風景画は、神話や歴史物語の背景としての風景ではなく、イタリアやフランス各地のありふれた風景を描いたものが多い。コローの作品は、モダニズムを先取りしたものとして、後世の美術家に多大な影響を与えました。コローの影響を受けた画家としては、印象派・ポスト印象派のピサロ、モネ、セザンヌ、フォーヴィスムのマティス、ドラン、キュビスムのピカソ、ブラック、グリスなどが挙げられます。ヨーロッパ以外では日本でもコローは早くから紹介され、浅井忠ら影響を受けた画家が多い。コローは、ミレーやテオドール・ルソーなどの画家と親交があり、バルビゾンで作品を描く事も多かったので、バルビゾン派の一人に数えられています。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/09/29
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【2015年9月28日(月)】 雲一つない秋晴れの良いお天気でした。少し暑いくらいでした。 粒子線治療センターに、照射部が「肉厚」になっていることを示すCT画像をメールで送りました。さっそく返事があって、照射部の皮下に「浮腫」が発生しているのではないかとのことです。詳細は医師に診てもらって回答するとのことでした。返事待ちです。肩や腕にアンメルツのような薬を塗り始めました。塗ると楽にはなります。 夕方の散歩のとき、きれいな「スーパームーン」を見ることができました。今までで一番きれいな満月だったかもしれません。●ルーブル美術館展~#14副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」 9月4日に二人で観に行った「ルーブル美術館展」の様子を少しずつアップしています。Wikipediaなどを読んで、事後勉強しています。 ■第4章_日常生活における自然―田園的・牧歌的風景と風俗的情景(続き)056 シャルル・パロセル「像狩り」(1736年) 057 ニコン・ランクレ「狩りの食事」(18世紀) 058 ジョゼフ・ヴェルネ「風景、雷鳴」(1763-1769頃) 059 ウジェーヌ・フロマンタン「アルジェリアの鷹狩り」(1862年)フロマンタンは、フランスの小説家、画家。フランス・ロマン主義時代後期に画家、評論家で活躍しました。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/09/28
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【2015年9月26日(土)】 今日は雲が多かったですが、雨の心配にない一日でした。少し暑いくらいでした。前の会社での最後の仕事の関係での、OB会があったので、梅田に行ってきました。 2週間くらい前にM病院に経過観察で行った帰りに阪急電車の中に文庫本を忘れたのですが、梅田の忘れ物センターに保管されていることが確認できていないたので、会場に行く前にそこに寄りました。母の遺した本だったので、交通費をかけても取りに行きたいところだったのですが、ちょうどこの会があったので、ついでに取りに行けてラッキーでした。 お昼の時間帯の開催で、場所は曽根崎の「がんこ」。開店準備をしている飲み屋街の中を歩いて会場へ。会員33人中、20人出席。これに現役5人を加えて25人の盛会でした。関東方面から来られている方もいらっしゃいました。去年からこのOB会が発足していますが、去年は抗がん剤治療中で出席できませんでしたので、初めての出席になります。数人初対面の方々がいらっしゃいましたが、大部分の方は仕事で関係のあった方々でしたので、リラックスして過ごせました。 途中で、全員の近況報告がありました。前の仕事の関係したところに再就職しておられる方、前の仕事とは全く関係ないところに再就職しておられる方、ボランティアや自治会活動に汗を流す方、趣味の世界に生きる方、様々な方がおられ、色んなお話が聞けて楽しかったです。 私は、がんを罹病して、抗がん剤治療、粒子線治療を経て、経過観察に入っていること。これからどうなるか分からないが、来年もこの席にも元気で出席したいと思っていることを話させていただきました。出席された方の中には、お見舞いに来ていただいた方も何人かいらっしゃいましたが、大多数はご存知なく「そんな大病をしたようには見えない。」と皆さん驚いておられました。 今日、行きがけ、最寄りの電車の駅に着いたとき、結構脈拍が高くなったし、ここ1週間午前中、体がダルい感じです。多少腎機能が弱ってきているので、その影響かとは思います。お酒は控えめにしようとは思ってましたが、結構飲んでしまいました。おまけにウォーキングのため、帰りのバス停を5つ手前で降りて、上り坂を帰ったので、かなり疲れました。この頃、肩コリが継続しているのと、脱力感があるのが気がかりな点です。 でも、こういう席に出席できるようになれて感謝、感謝です。来年も元気な姿で出席できればと思います。 今日のスポーツ。 照富士が怪我を押して土俵にあがりました。出番を待って座っているときも、足を伸ばして痛々しかったです。案の定、なすすべなく負けてしまいました。これで優勝の可能性は鶴竜(2敗)と、照富士(3敗)の二人。照富士は千秋楽出るんでしょうか。出て仮になんかの拍子に勝ったとしても、優勝決定戦にも勝たないとダメです。右ひざをダメにして、相撲人生を短くするだけだと思うので、私は出ないで欲しいと思っています。鶴竜が今日の一番の立ち合いで変化をしたことでブーイングが起こったようですが、私はブーイング覚悟で「勝負に徹する」ということのほうが立派だと思います。 ジャイアンツがヤクルトに先勝しました。面白くなってきました。ここに来て阪神脱落。阪神ファンには申し訳ないが、阪神らしくて、これはこれで面白いですね。●ルーブル美術館展~#13副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」9月4日に二人で観に行った「ルーブル美術館展」の様子を少しずつアップしています。Wikipediaなどを読んで、事後勉強しています。 ■第4章_日常生活における自然―田園的・牧歌的風景と風俗的情景 053 パウル・ブリル「鹿狩り」(1590-1595年頃) 054 アンニーバレ・カラッチ「狩り」(1585-1588年頃) カラッチはバロック期のイタリアの画家。イタリア美術における初期バロック様式を確立した画家の一人であり、イタリア北部のボローニャを中心に活動したボローニャ派の代表的画家。アンニーバレを中心とするカラッチ一族の門下からは多くの著名画家が育っており、後世に大きな影響を与えました。アンニーバレを中心とするカラッチ一族の功績としては、イタリア・バロック期絵画における古典主義様式を確立したことがあげられます。16世紀に盛行したマニエリスム絵画は技巧的な構図、自然の比例を無視して引き伸ばされたような人体表現などの反古典主義的様式を特色としていました。16世紀末になると、トリエント公会議や対抗宗教改革などの影響もあって、こうした技巧的な様式は宗教画としての規範に反するものと考えられるようになり、盛期ルネサンス風の明快な構図、写実的な人体把握がよしとされるようになったのであるりました。カラッチ一族の様式は、マニエリスムの画家たちの技巧や奇想に走った様式とも、カラヴァッジョ風の冷徹な写実に徹した様式とも一線を画したもので、「マニエラ」(様式、理想美)と「ナトゥーラ」(自然、写実)との調和が取れた様式と評されました。055 ペーテル・パウル・ルーベンス「満月、鳥刺しのいる夜の風景」(1635-1640年頃)「鳥刺し」とは「鶏の刺身」ではありません。鳥類を捕獲して生業とする人を「鳥刺し」と呼ぶそうです。ルーベンスの流れのある宗教画が私は好きです。この絵の中にも、右上に向かっての流れが少しですが見てとれます。雲、左側の木々の枝や幹、中央右下の流木など。ルーベンスはバロック期のフランドルの画家、外交官。祭壇画、肖像画、風景画、神話画や寓意画も含む歴史画など、様々なジャンルの絵画作品を残しました。『フランダースの犬』において、主人公のネロが見たがっていたアントウェルペン大聖堂の絵画である『キリスト昇架』と『キリスト降架』の作者はルーベンスで、ネロが祈りを捧げていたアントウェルペン大聖堂のマリアも、ルーベンスが描いた『聖母被昇天』です。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/09/26
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【2015年9月25日(金)】 今日も雨がちの一日でした。今日は一か月に一度のワンちゃんのトリートメントの日で、二人で2往復しました。 今日は、スポーツは大相撲くらいでしたね。照富士が2敗目で、しかも右足を怪我してしまったみたいで、優勝争いが混とんとしてきました。●ルーブル美術館展~#12副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」 9月4日に2人で観に行った「ルーブル美術館展」の様子を少しずつアップしています。Wikipediaなどを読んで、事後勉強しています。■第3章_雅なる情景―日常生活における恋愛遊戯(続き) 050 トーマス・ゲインズバラ「庭園での会話」(1746-1748年頃) 男性は、何か熱心に語っているようですが、女性はうんざりしたような眼差しで見つめています。一見ふんわりとした印象の作品ですが、2人には大きな温度差があるようにも見えます。 ケインズバラは18世紀のイギリスの画家。今日でこそ優れた肖像画家として知られ、生涯に700点以上の肖像画を残しているが、真に描きたかったのは風景であり、「肖像画は金のために、風景画は楽しみのために描く」と言っていたと伝えられています。051 ヘンリー・シングルトン 「ヴァルシュタイン伯爵、姉マティルデとリンドルフ男爵」 旧タイトル「二人のライバル」(1786-1791年頃) タイトルはもともと「二人のライバル」だったのですが、後に『リヒトフィールトのカロリーネ』という物語の一節を描いたことが判り、《ヴァルシュタイン伯爵、姉マティルデとリンドルフ男爵》というタイトルに改められました。 この時代は、絵画にタイトルを付ける習慣があまり無かったようで、のちに画商や持ち主らが勝手に命名することもあったので、このようなことが起こったようです。 052 ルイ=レオポール・ボワイー「籠の鳥(恋人たちと飛び立つ小鳥)」(1800年頃)乱れた髪と衣服が人を愛する喜びと同時にエロティシズムを表しているのでしょうか。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/09/25
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【2015年9月24日(木)】 シルバーウィークが終わるのを待つかのように、雨が降りましたね。しかも一日中降っていました。観光地はラッキーでしたね。 粒子線治療後の2回目の経過観察の画像データや診察結果を入れた「マイカルテ」を粒子線医療センターに郵送しました。雨なのでご近所散歩もせず、ブログを書いたり、録画してあった「サンダーバード」を見るなどして、のんびりと過ごしました。「サンダーバード」は私が小学生の頃、よく見ました。発射シーンは胸キュンものです. 昨日のラグビーワールドカップ、対スコットランド戦、残念な結果でしたね。スコットランドは初めての試合で体力は十分、日本が強いと分かったので、最初から真剣に臨んできた。かたや日本は南アフリカ戦後、中3日しかなく、体力的のもきつかった。体もあちこち痛んでいたでしょうし。全体的には押していたと思うのですが、ミスから多くの得点を許していたように思います。あとの試合全勝で、南アフリカ、スコットランドと1敗で並んだりすると、今回の大きな点差が順位に響いてきそうです。サモアとアメリカはランキング上は勝てる相手ですが、大きな点差で勝つことが必要だと思います。ガンバレ・ニッポン。●ルーブル美術館展~#11副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」9月4日に二人で観に行った「ルーブル美術館展」の様子を少しずつアップしています。Wikipediaなどを読んで、事後勉強しています。■第3章_雅なる情景―日常生活における恋愛遊戯(続き) 047 ピエール=ユベール・シュブレイラス「鷹」(18世紀) シュブレイラスは18世紀のフランスに生まれの画家ですが、主にイタリアで活動していたためかロココの奔流に呑まれることなく、どちらかといえばプッサンの古典主義に近い静的で抑制のきいた作品をものして賞賛を博しました。新古典主義の先駆けと言われることもあります。048 ジャン=アントワーヌ・ヴァトー「二人の従姉妹」(1716年頃)ヴァトーはロココ時代のフランスの画家。18世紀のヨーロッパはロココの時代であり、前世紀のバロック様式に代わって、曲線的、装飾的で甘美なロココ様式が全盛となります。絵画の主題においても歴史画や宗教画から、男女の愛の駆け引きを主題にした風俗画が目立つようになります。バラを胸に飾っている女性と男性とは、恋人同士でしょうか。背を向けて立つ女性は、泉の中のビーナス像を見ているようです。049 ジャン=バティスト・パテル「庭園に集うイタリア喜劇の役者たち」(18世紀) パテルはロココ時代のフランスの画家。この絵は「屋外合コン」でしょうか。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/09/24
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【2015年9月22日(火)】 昨日に続き、天気の良い一日でしたが、少し暑いくらいでした。シルバーウィークに入ってずっといい天気で、観光地はホクホクでしょうね。 昨日の三重へのお墓参りで疲れているので、ご近所散歩以外は家にいました。この3日間、同期飲み会、散髪、お墓参りと忙しかったので、京都検定勉強ができていませんでした。今日久しぶりに問題を2問投稿しました。もう一問投稿できるかな? バレーボール男子ワールドカップ、全勝ポーランドに対して第1セットを取って、ラグビーに続き大金星かと思わせましたが、甘かったです。結局1対3で負け。あと1試合を残して5勝5敗ですが、6位確定とのこと。世界ランクからいけば上出来ではないかと思います。ネクストフォーの活躍もあり、未来への期待が持てそうです。最後のロシア戦勝って、勝ち越して欲しいものです。●ルーブル美術館展~#10副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」 9月4日に二人で観に行った「ルーブル美術館展」の様子を少しずつアップしています。Wikipediaなどを読んで、事後勉強しています。■第3章 雅なる情景―日常生活における恋愛遊戯 043 ヤン・ステーン「不埒な集い」(1665-1670年頃)17世紀のオランダ絵画黄金期に活躍した風俗画家。日常における陽気な出来事や生活を鋭敏な洞察力を用いて、教訓的な内容を含ませた風俗画を制作。丁寧な細密描写と明瞭な色彩による独自の表現様式はオランダ絵画史上において一定の評価を受けています。また風俗画の他にも、聖書や神話を典拠とした物語画や自画像も手がています。(写真はなし) 044 ピーテル・デ・ホーホ「酒を飲む女」(1658年)17世紀のオランダの画家。オランダ全盛時代(「黄金時代」)の風俗画家の一人に数えられ、とくにデルフト時代の風俗画はデルフト派の絵画として高く評価されています。ヨハネス・フェルメールとほぼ同時代を過ごし、フェルメールの作品にも影響を与えていることでも知られています。 045 ユーディト・レイステル「陽気な集い」(1630年)オランダの女性画家。 046 ハブリエル・メツー「若い女性を訪れる士官」(1660~1661年頃)018の「リンゴの皮をむく女」に次いで2作品目です。オランダの画家。メツーは好んで市民の家庭生活から主題を選び、その新鮮な色彩感と、穏やかで優しい画風のうちに、素朴で優しい情趣を漂わせ、親しみやすい作品を描き続けました。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/09/22
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【2015年9月20日(日)】 朝起きたら、雲一つない晴天でした。良いお天気の一日でした。夕刻、散歩をしたとき風も吹いていて、空気が美味しいと思いました。 昨日の飲み会の影響か、朝方はちょっと胃のムカツキを感じましたが、昼ごろには快復、二日酔いにはなりませんでした。 午前中散髪に行きました。いつもの兄ちゃんに刈ってもらいましたが、「このごろ、粒子線治療の副作用か、右肩が凝ったり、ダルかったりする。」と雑談で話したところ、いつもの最後のマッサージを特に念入りにしてくれました。そのせいか、少し右腕が楽になったような気がします。 ラグビー日本やりましたね。昨晩、前半で10-12で負けているところで、「どうせ後半、ボコボコにされるだろう。」と思って寝ました。真夜中の試合だったので、朝刊にも結果はまだ載っていませんでした。少しだけ気になったので、ネットニュースで調べてみてびっくり。なんと34-32で南アフリカに勝ったとのこと。床屋から帰ってきて、ちょうど再放送やっていたので、家人といっしょに見ました。3人とも、結果が分かっているのに画面に釘付け。「外人が多いので、応援する気にならない。」と昨日言っていた次女も真剣にみていました。繰り返しになりますが、結果分かっているのに、最後のシーンは痺れました。もう試合時間オーバーしており、反則とか攻撃が切れたりしたら、そこで終わりという状況。それを切らさず、失敗なしで攻め続けてついに逆転トライ。いやぁ、すごかったです。簡単に予選リーグ敗退と思っていたのが、決勝リーグ進出が現実味を帯びてきました。 午後、家内と次女は、家内の実家へ行きました。明日が敬老の日ですが、明日は三重にお墓参りに行く予定なので、今日行きました。私もいっしょに行こうかと言ったのですが、「ワンちゃんのお守をしてくれたほうが助かるかも。」ということで私は留守番でした。この前ネットで買った軍歌のCD2枚セットを娘たちからのプレゼントとして渡しました。ところが、CDプレイヤーが動かず聴けなかったようです。DVDでも聴けるはずなので、連絡してみます。 夕食は、「豆乳鍋」。ついに鍋のシーズンになりました。●ルーブル美術館展~副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」 9月4日に二人で観に行った「ルーブル美術館展」の様子を少しずつアップしています。Wikipediaなどを読んで、事後勉強しています。■第2章 日常生活の寓意―風俗描写を超えて(続き)038 ヨハネス・フェルメール「天文学者」 (1668年) 今回の展覧会で、一番有名な作品でしょう。フェルメールは、レンブラントと並び17世紀のオランダ美術を代表する画家とされます。生涯のほとんどを故郷デルフトで過ごしました。現存する作品点数は、33~36点と少ないことでも有名です。 人物など作品の中心をなす部分は精密に書き込まれた濃厚な描写になっているのに対し、周辺の事物はあっさりとした描写になっており、生々しい筆のタッチを見ることができます。この対比によって、見る者の視点を主題に集中させ、画面に緊張感を与えています。 フェルメールの絵に見られる鮮やかな青は、「フェルメール・ブルー」とも呼ばれます。この青は、天然ではラピスラズリに含まれるウルトラマリンという顔料に由来しています。この天文学者の着ている服は、日本の丹前(たんぜん=どてら)だとの説明が、音声ガイドでありました。039 アブラハム・ブルーマールト「冬の寓意」(1625-1630年頃) ブルーマールトは、オランダの画家。油彩画だけでなく版画作品も手掛けましたた。歴史画や風景画で知られています。040 セバスティアーノ・リッチ「サテュロスと農夫」(1720-1730年頃) リッチはイタリアのヴェネツィア派の画家。17世紀前半のイタリア絵画の主流表現であった激しい運動性と劇的な場面展開の中に、ルネサンスの栄光への回顧的な古典的観念を取り入れ、当時のヴェネツィア絵画に新風を起こしました。特に主題への新鮮な観点からの取り組みや華麗で豊潤な色彩表現はヴェネツィアのロココ絵画の先駆的存在となり、後にティエポロを始めとした多くの画家たちへ影響を与えました。041 ウィリアム・ホガース「オックスフォードの放蕩者(放蕩者一代記より)」(1733年頃) ホーガスはロココ時代のイギリスの画家。銀細工師の弟子、版画家として下積み生活を送った後、当時の世相を痛烈に風刺した連作絵画で知られるようになりました。なかでも欲得ずくの政略結婚とその不幸な結末を描いた『当世風の結婚』シリーズが著名。このほか『娼婦一代』、『放蕩息子一代』などの版画連作が庶民に人気を博し、風刺画の父とも呼ばれました。042 ジャン=バティスト・グルーズ「割れた水瓶」(1771年)グールズはフランスの画家。宮廷風俗を描いた同時代の他の画家と違い,市民生活に題材を求めた風俗画を多く描きました。以下、この絵について「ルーブル美術館」本家のホームページから。 無邪気な目を大きく見開き、紫色のリボンと花を頭に挿した、子供っぽい無垢な少女が佇み、ドレスの中で散った花を両手で押さえている。ひび割れた甕が、少女の左腕に掛けられている。フィシュ(三角形の婦人用スカーフ)は乱れて、少女のふくよかな喉下が垣間見え、ドレスの身ごろに付けられた一輪のバラの花弁はむしられ、白サテンの美しいドレスはやや無造作に身に付けられている。 少々悔しそうな雰囲気を見せているにもかかわらず、モデルは、穢れのない無邪気さと挑発との間で揺れ動いている。グルーズは、おそらく画家自身の妻とも考えられているこの見事な人物像の、肌の透明感や滑らかさ、それに偽りの純情も見抜いて、巧みに表現している。背景には古代風の噴水が認められる。 (続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/09/20
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【2015年9月19日(土)】 今日も良いお天気でした。前の会社の同期入社の遊び仲間が、私の退院祝いをしてくれました。夕刻高槻まで出かけました。家内が、夕刻買い物に行くついでに、送ってくれるというので、スーパーの駐車場まで乗せてもらって、そこから最寄り駅まで散歩目的で歩きました。 人身事故で電車が遅れていましたが、早めに出たので、余裕で高槻に到着。開始まで時間があったので、高槻の町を10分ほど散策。裏道に入ると、けっこう風情のある民家が残っていて、プチ発見をしました。 集まってくれたのは、いつもの6人のメンバー。場所はいつもの「たごさく」さん。 皆さん、私が何とか元気でいるのを、とても喜んでくれました。いつものように楽しく語らった3時間でした。 帰ってきたら、ワールドカップのラグビー日本対南アフリカをしていました。きっと南アに気持ちが入っていないのでしょう。大差がつくと思っていたのに、前半終わったところで、10対12。中ジョッキ3杯+焼酎水割り1杯は少々飲みすぎか。眠くなったので、寝ます。 興臨院・今宮神社の参拝記が終わったので、「ルーブル美術館展」鑑賞記再開です。●ルーブル美術館展~8副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」 9月4日に二人で観に行った「ルーブル美術館展」の様子を少しずつアップしています。Wikipediaなどを読んで、事後勉強しています。■第2章 日常生活の寓意―風俗描写を超えて(続き)034 ニコラ・レニエ「女占い師」(1626年頃)占い師に手相をみて貰ってその言葉をうっとりと聞き惚れている婦人の背後から、老婆が婦人の財布をくすねようと紐を引っ張っています。占い師と老婆は結託した泥棒仲間。さらに占い師の背後にいる男が、二人の上前をはねるように鶏を盗んでいます。この絵に含まれる寓意は、占い師を信ずるとすべてを失ってしまうという教訓だそうです。035 フィリップ・メルシエ「手品師」(1720-1725年頃)036 ル・ナン兄弟「トランプ遊びに興じる少年たち」(1642年)012「農民の食事」に続いて、ル・ナン兄弟再登場です。フランス北部の地方都市ランに生まれたル・ナン三兄弟は、宗教画や肖像画のほか、農民など下層階級の人々を主題にした風俗画を描いて成功しました。(写真なし)037 ジャン・ミシュラン「旅籠屋で休息する兵士たち」(17世紀)(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/09/19
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【2015年9月11日(金)】 秋晴れの爽やかないい天気になりました。しかし、昨日に続いて、今日は東北地方で同じような堤防の決壊による大被害。天気予報で、警戒が必要とは言ってはいましたが、警戒するだけでは堤防の決壊は防ぎようがありません。私が住んでいた三重県の故郷でも、子供の頃(もう50年も前のことですが)何度か床上、床下浸水したことがありましたが、家の前の道路を茶色い水が流れていく程度で、家が流されるとかの恐怖は感じることはありませんでした。多分、小さな川の水があふれただけだったからでしょう。 大きな川の堤防が決壊すると、津波のような大きな被害になるということを今回知りました。それに津波は来るときと引く時の2回の衝撃だけですが、堤防決壊の場合は、水量が少なくならない限り、ずっと続きます。津波とはまた違った怖さがあることも知りました。 被災地の皆さまにお見舞いを申し上げるとともに、これ以上犠牲者の方が増えないことを祈るとともに、一日も早い復旧、復興をお祈り申し上げます。 今日は、後腹膜脂肪肉腫粒子線治療後の、3ヵ月に一度のCTによる経過観察の日でM病院に行ってきました。2回目です。来週の金曜日に血液検査をしたうえ、結果を確認に行きます。これについては下記にアップしました。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201509110007/ 調子が悪かったテレビ、画面が半分になってしまう現象が頻繁に起こるようになりました。買い替えようとは思いますが、機種選定とか時間がかかるので、寝室のテレビをリビングに移動させました。新しいテレビ購入という、新たな仕事が発生してしまいました。明日、ダメ元でサービスセンターに電話して、直す方法がないかどうか聞いてみます。 京都検定の勉強は、病院行きもあったので、今日は、ほとんど進みませんでした。 その代わり、電車の中で本がたくさん読めて、向田邦子さんの「男どき女どき」という文庫本を読み終えることができました。http://plaza.rakuten.co.jp/saaikuzo/diary/201509110008/ 夜、ご近所の方が、国勢調査の依頼に来られました。インターネットでできますとの案内でした。スマホよりPCの方が入力しやすいので、二人でPCで入力しました。分かりやすい画面で5分くらいで入力できました。字の入力が多いので、スマホ、PC両方アクセスできる方は、PC入力がお薦めです。●ルーブル美術館展#6副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」 9月4日に二人で観に行った「ルーブル美術館展」の様子を少しずつアップしています。Wikipediaなどを読んで、事後勉強しています。■第2章 日常生活の寓意―風俗描写を超えて030 ダーフィット・テニールス2世 「トランプ遊びに興じる人々のいる衛兵詰所での聖ペテロの否認」(1646年) ダーフィット・テニールス2世は第1章でも紹介したフランドルの画家です。 命の危険を感じおののきキリストを知らないと答えるペテロと、手前の無関心な 衛兵の対比が描かれているとのこと。 031 ジョヴァンニ・パオロ・パニーニ 「神殿から追い出される商人たち」(1717-1718年頃) 聖書のマルコ福音書11章の、イエスが境内で売り買いする商人を激しい勢いで追い出した というくだりを描いたもの。 パンニーニはイタリア出身の画家、建築家で新古典主義の一翼を担いました。 032 レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン 「聖家族(指物師の家族)」(1640年) レンブラントは17世紀を代表するオランダの画家です。 大画面と明暗を画面上に強く押し出した技法を得意とし、「光と影の画家」 「光と影の魔術師」の異名をもちます。人物画の黒々とした瞳が特徴。 アムステルダム国立博物館の絵画「夜警」はレンブラントの代表作として有名です。 この絵は、「夜景」に比べると柔らかですが、絵の一部を明るく引き立たせている ところはよく似ています。 033 ルーカス・ファン・レイデン 「トランプ占いの女」(1508-1510年頃) 占い師の女性に帽子を取って挨拶をしている若い男性が、この女性への深い狂人的愛を 抱いているという解釈があります。 若い男性が占い師の女性に手渡しているカーネーションには『婚約』の意味があり、 2人の背後に描かれた変わった帽子を被り、杖を持つ男は道化師を表しています。 道化師は、『狂人』を意味し、その杖の顔が若い男性に向いていることから、 若い男性の狂人説が浮かんでくるとのこと。 いやいや、複雑です。 レイデンはオランダの画家,版画家。父親の指導を受けて 12歳頃から版画家として活躍。 アントウェルペンで会った A.デューラーの影響のもとに遠近法,自然の細部描写を用いて 大胆な技術的な実験を試みました。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/09/11
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【2015年9月10日(木)】 午前中は雲が多かったが、午後から陽も差して爽やかな秋の天気になりました。でも、関東のほうでは、家が流されるくらいの大洪水。山の近くの家ならまだしも、平地で命が危険になるくらいの水害に会うなんて全然皆さん予想していなかったでしょうね。 ヘリコプターで、一人一人救助される場面は、屋根から落ちはしないか、ヘリコプターが電線か何かに引っかかって大変なことにならなければいいがと、祈るように見ていました。日本の救助体制、技術、大したものです。それにしても、こちらの天気と、関東の天気の落差には驚くばかりです。 今日は、詳しくは書けませんが、偶然ですが私以外の家族3人のそれぞれが新しい一歩を踏み出した日でもありました。 レスリング女子、吉田選手の世界選手権、五輪16連勝のニュース。これはすごい。五輪に採用されて世界のレベルが上がなか、そして注目され研究されるなか、そして年齢が体力のピークを過ぎるなか、本当にすごい記録だと思います。 それに対して、男子のグレコは全員初戦敗退。 ちょっと古くなりますが、バスケットボール女子がASIAバスケットボール選手権大会で優勝し、リオ五輪出場を決めました。これもすごい。バスケット協会のゴタゴタがあったなか、それから試合会場が中国でアウェイだったなかよく優勝できたもんだと思います。予選ラウンドは中国に1点差で勝ったのですが、決勝では85-50の大差。いやぁ、すごいすごい。 今、バレー男子ワールドカップ、日本がオーストラリアに3-1で勝ちました。オーストラリアは世界ランク13位。それほど強くはありませんが、最近の日本はこんな相手にも勝てなくなっていました。世界ランク5位のアメリカには歯が立たなかったものの、この前のエジプト戦と同様、これくらいのランクであれば、何とか勝てるようになったということでしょうか。この大会で五輪出場決定は無理としても、あとどんな戦いするか、ちょっと興味が湧いてきました。正直全敗だろうと思っていましたので。●ルーブル美術館展#6副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」9月4日に二人で観に行った「ルーブル美術館展」の様子を少しずつアップしています。Wikipediaなどを読んで、事後勉強しています。◆第1章 「労働と日々」-商人、働く人々、農民 その4026 ピーテル・ブリューゲル1世 「物乞いたち」(1568年) ピーテル・ブリューゲルはフランドル(現在のベルギー)の画家。 同名の長男と区別するため「ブリューゲル(父、または老)」と表記されることが 多いですが、今回の案内には「1世」となっていました。 彼の絵では1枚の絵にたくさんの人を描いたものが好きです。 ヒロヤマガタは彼の絵に影響を受けたのではないかと私は思っています。 この絵は後期に描かれた寓意的作品の一つです。 足の不自由な5人の衣服には狐の尻尾が付けられていますが、これは「乞食団」という 貴族グループのシンボルとのことです。 宗教裁判に対して、乞食に扮して抗議活動を行った「乞食団」を表しています。 更に、彼らが被っている帽子は冠や司教の物のようです。027 ダーフィット・テニールス2世 「慈悲の七つの行い」(1640年頃) ダーフィット・テニールス2世はフランドルの画家。 農民の野外での祭りや祝賀の様子、酒屋や台所の風景など大衆的な題材で知られています。 宗教画や寓意画、風刺画や肖像画など多くの作品を残しています。 (写真なし)028 アレクサンドル=ガブリエル・ドゥカン 「稼いだお金を数える物乞い」(1833年) ドゥカンはフランスの画家。 風俗画、主にフランスとアルジェリアの家庭の暮らしを多数描いていて、ユーモアが特徴的 です。 二人の子供の表情が何ともいえません。029 バルテロメ・エステバン・ムリーニョ 「物乞いの少年(蚤をとる少年)」(1647-1648年頃) ムリーニョはスペインの画家で、大画面の宗教画が有名です。特に幼子イエスや天使をなどを 描いた絵は、何ともいえない優しさをたたえています。 そんな優しさが、この少年の表情にも現れているように思います。 今回の作品群では、フェルメールの「天文学者」に次ぎ、有名な作品ではないでしょうか。 (続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/09/10
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【2015年9月9日(水)】 台風心配しましたが、京都はそれほど風も雨も強くなく、日本海に抜けました。三重県のほうが大雨で実家が心配でしたが、鳥羽とか伊勢のほうがひどかったみたいで、私の実家近辺はそうでもなかったようです。やれやれです。 台風通過しても、天気はよくならないような予報でしたが、今日の夕刊では明日から雨のマークは少なくなっていて、予報が変化していました。この気温のまま、天気だけよくなればありがたいです。毎年は9月になってもエアコンを使うことが多かったと記憶しているのですが、今年はまだ一回も使っていません。このまま使わず済めばうれしいです。 昨晩、まず男子ワールドカップ・バレー第1戦でした。対エジプト。エジプトは世界ランク15位。日本は20位。負けると思っていましたが、Nextフォーの一人19歳の石川選手の活躍で3対2で勝ちました。出場チームで2番目に世界ランクの低い日本ですので、女子と違い正直このワールドカップで出場権が得られるとは思っていません。若い選手が経験を積んで、その後の予選に生かせればいいのではないかと思います。 そのあとにあった、サッカーワールドカップ予選は、ようやく入るべき点が入って6対ゼロで勝ちましたね。アウェーですが、アフガニスタン政情の問題で、第3国の試合。第3国といってもイラン。隣国なので、たくさんアフガニスタンの応援がありました。トラブルにならないように入場制限をしたと放送で言っていました。イスラムの国なので女性は入場できずということでちょっと異様な光景でした。日本人の女性は入場できたみたいですが、頭のにヘシャブを着けていました。後半に興奮したサポータが一人グラウンドに侵入して取り押さえられていました。入場制限、さもありなんという感じでした。ちょっと異様な応援風景でしたが、まぁ大差で勝ててよかったです。この勢いであとは全勝して欲しいものです。●ルーブル美術館展#5副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」 9月4日に二人で観に行った「ルーブル美術館展」の様子を少しずつアップしています。Wikipediaなどを読んで、事後勉強しています。◆第1章 「労働と日々」-商人、働く人々、農民 その3022 ウジェーヌ・ドラクロワ「鍛冶屋」(1822頃) ドラクロアはフランスの19世紀ロマン主義を代表する画家。この作品は未完成のものですが、この超有名な画家の絵がさりげなく置いてありました。「ルーブル美術館」では、この「民衆を導く自由の女神」が特に有名です。023 シャン=フランソワ・ミレー「箕をふるう男」(1855年頃) ミレーはフランスの画家。パリの南方約60kmのところにある、フォンテーヌブローの森のはずれのバルビゾン村に定住し、風景や農民の風俗を描いた画家たちを、今日「バルビゾン派」と称していますが、その一人です。 バルビゾン派の中でも、大地とともに生きる農民の姿を、崇高な宗教的感情を込めて描いたミレーの作品は、早くから日本に紹介され、農業国日本では特に親しまれたようです。「晩鐘」や「落ち穂拾い」が有名です。オルセー美術館に所蔵されています。024 ヘリット・ファン・ホンホルスト「抜歯屋」(1627年) 今回の作品群の中で一番インパクトのある絵でした。絵の迫力もそうですが、よく見ると歯を抜かれる人の巾着を盗もうとしているところ、籠に入った鶏を盗もうとしている人も描かれていて面白いです。抜歯屋と彼らはグルだと説明がありました。ホンホルストはオランダの画家です。025 ジャンドメニコ・ティエポロ「大道商人」または「抜歯屋」(1754-1755年) ルネサンス最後期のイタリアの画家。ジョヴァンニ・バッティスタ・ティエポロの息子です。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/09/09
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【2015年9月8日(火)】 今日は一日雨が降っていました。早々と夕方の散歩もあきらめました。なんですか、この天気。お盆から、日照時間が平年の2、3割しかありません。残暑がなくていいのですが、いくらなんでもこんなに天気が悪い日が続くとうんざりです。 今日は、サッカーワールドカップアジア2次予選を見なければ。●ルーブル美術館展#4副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」 9月4日に二人で観に行った「ルーブル美術館展」の様子を少しずつアップしています。 Wikipediaなどを読んで、事後勉強しています。◆第1章 「労働と日々」-商人、働く人々、農民 その2018 ハブリエル・メツー 「リンゴの皮をむく女」(1655-1657年頃) メツーはオランダの画家です。 メツーは好んで市民の家庭生活から主題を選び、その新鮮な色彩感と、 穏やかで優しい画風のうちに、素朴で優しい情趣を漂わせ、親しみや すい作品を描き続けました。019 ヘラルド・ダウ 「田舎料理の女」または「水を注ぐ女」(1640年頃) ダウはオランダの画家。自分自身の手で作った筆と細かく砕いた絵具を用いました。 彼の師匠であるレンブラントの前期の緻密な筆遣いで描かれた作品とは近似しています。 正確さを期す筆遣いが用いられているにもかかわらず、作品の全体的な効果は調和がとれ、 ぎこちなさはありません。また彩色は常に新鮮で透明感があります。020 ジャン・シメオン・シャルダン 「買い物帰りの召使い」(1739年) シャルダンはロココ時代のフランスの画家。 ロココ美術全盛の18世紀フランスを生きた画家ではありますが、その作風は甘美で享楽的 なロココ様式とは一線を画し、穏やかな画風で中産階級のつつましい生活や静物画を描き 続けました。021 マルタン・ドロリング 「台所の情景」(1739年)(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/09/08
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【2015年9月7日(月)】 また、ぐずついた天気に逆戻りです。ニュースで報道されていますが、日照時間が少なくなっています。気象庁のホームページで私の住む京都市の日照時間を調べてみました。下のグラフを見てください。 平年なら6時間くらいある日照時間が過去1週間の平均で2時間から3時間しかありません。半分以下です。これが、お盆頃から続いています。まだしばらく続くようです。気分的にも滅入ります。 午後の外出の帰りに、本屋に寄りました。家族も京都検定の勉強を開始したのですが、公式テキストは私が使い古した旧版を使っています。「線やマーカーが書いてあって勉強しにくい。」と言いますので、「それなら新しいの買おう。」ということになったからです。税込2160円もするので、躊躇しましたが、思い切って買いました。私のほうは、色々他に手をつけてしまって、今日は京都検定の直前勉強は、スタートできませんでした。 昨日、U-18の野球、決勝でアメリカに1対2で惜しくも負けましたね。今まで大勝していたので、大丈夫と思っていたのですが・・・・。一発勝負では、何が起こるか分からないのが野球ですね。今まで、大勝したのが気の緩みにつながったような気もします。あと、メンバーがやはり野手は打撃中心で選んでいるので、普段バンドをすることが少なかったりとか、清宮は守備なしのDHだったりとか、そんなことも微妙に影響したんでしょうね。なかなかむつかしいものです。●ルーブル美術館展#3 先日(9月4日)に二人で観に行った「ルーブル美術館展」の様子を少しずつアップしています。副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」◆第1章 「労働と日々」-商人、働く人々、農民 その1013 クエンティン・マセイス(フランドル) 「両替商とその妻」1514年 夫の前に散らばる金、真珠(色欲の象徴)や宝石の誘惑が、彼の妻を聖書の読解という 精神的活動からそらせている。火の消された蝋燭と棚の上の果実は、本質的な罪の暗示で、 腐敗を予告し死を喚起している。水差しとぶら下がったロザリオは、聖母の純潔を象徴している。 さらに小さな木箱は、女神が隠れた宝石箱を表現している。 この場面は、特にマリウス・ファン・レイメルスワールといった画家やその他の数々の作品の中 でも登場している。(以上、ルーブル美術館のHPより)014 マリヌス・ファン・レイメルスウァーレ(オランダ)に基づく 「徴税吏たち」16世紀 収税人は17世紀当時に人気のある題材で、彼の作品も多くの複写が制作されたらしいのですが、 何故人気の題材だったんでしょうかね。015 アドリアーン・ファン・オスターデ(フランドル) 「書斎で仕事をする商人」17世紀016 アブラハム・ホンディウス「鳩売り」1673年頃017 アドリアーン・ファン・オスターデ(フランドル) 「魚売りの屋台」1659年(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/09/07
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【2015年9月6日(日)】 天気予報どおり雨の一日でした。肌寒いくらいでした。雨がけっこうきついのでお散歩もなし。アッシー君した以外は外出なしでした。 京都検定の過去問分析終わりました。一応出題傾向が把握できましたので、これから約3ヵ月、今回の分析結果も参考にして勉強していきます。 さきほどテレビが半分しか画面が出なくなりました。縦に縞も入っています。視聴できる映像ではありません。電源を切ってみましたが、ダメです。今の家を買ったときですから、ちょうど7年になります。パナの42型のプラズマです。明日、コールセンターに電話してみますが、恐らく寿命でしょう。●ルーブル美術館展#2 昨日(9月4日)に二人で観に行った「ルーブル美術館展」の様子を少しずつアップしています。副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」◆プロローグ2008 シャルル・ル・ブラン「キリストのエルサレム入場」17世紀ロバに乗り、青く輝くマントをはおったキリストが使徒に伴われてエルサレムへ入城するシーンを描いているらしいです。 キリストに癒された病人や障害者も描かれています。キリスト教徒ではないので、説明を聞いても、「あー、そういうことか。」とうなずくところまではいきません。009 フランソワ・デボルト「狩人としての画家の肖像(自画像)」1699年動物などといっしょに描かれた自画像。伝統を破る手法だったようです。010 クロード・ロラン「夕暮れの風景」恐らく1639年奥行き感がいいですね。 011 リュバン・ボージャン「チェス盤のある静物」17世紀後半ボージャンは17 世紀フランスの画家。「触覚(トランプ、ビロードの巾着、チェス盤)、味覚(パン、ワイン)、嗅覚(花)、聴覚(マンドリン、楽譜)、視覚(鏡)といった具合に「五感」と関連づけられます。しかし、パンとワインはキリストの体と血を、3本の花は父なる神・子なるキリスト・精霊の三位一体を連想させ、一方で、楽器、トランプやチェス盤は享楽と結びつけられることから、信仰生活と世俗生活、天上の愛と地上の愛といった、二つの概念の対比も読みとれます。」などと説明があるのですが、前半部分は「ああなるほど」と思っても、キリスト教徒でもない私には後半部分はなかなかピンときません。こういう宗教が絡んだ絵画は、なかなかすーと入ってきません。単純に絵を楽しめばいいのではないかと思っています。012 ル・ナン兄弟「農民の食事」1642年フランス北部の地方都市ランに生まれたル・ナン三兄弟は、宗教画や肖像画のほか、農民など下層階級の人々を主題にした風俗画を描いて成功したとのこと。 食卓のパンとワインはキリストの体と血の象徴とも解されるため、宗教的寓意を読みとろうとする研究者もいるそうですが、011と同じようになかなかピンときません。赤い帽子をかぶった少年の眼が印象的。(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/09/06
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【2015年9月5日(土)】 今日も天気が良い一日でした。昨日は雨が一時降りましたが、今日は全く降らずでした。午後からは、少し蒸し暑くなってきましたが、エアコンを使うほどではありませんでした。 「ルーブル美術館展」行きで、昨日は疲れましたが、今朝は7時にそこそこ元気に起きることができました。 バレーボール女子、五輪出場をかけたワールドカップ、今日、米国に1-3で負けて、予選突破ならず。2-3で負けたロシア、セルビアに勝っていればというのはありますが、そこで勝つか負けるかというのが実力でしょうから、今の力であれば妥当な線だと思います。まだ、別の機会の予選がありますから、がんばって五輪に出場して欲しいと思います。●ルーブル美術館展~1 昨日(9月4日)に二人で観に行った「ルーブル美術館展」の様子を少しずつアップしていきます。副題「日常をい描く-風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」・パンフレット◆プロローグ1「すでに、古代において・・・」 001 「シドンの彩色墓碑」前1-前2世紀 (古代オリエント美術部門から) 高さ82センチの石灰岩でできた墓碑。 古代フェニキア人の都市国家シドン、その地で亡くなった母親の墓石です。 002 「雄牛と牛飼いを表したオストラコン」前1295-前1069 (古代エジプト美術部門から) デイル・エル・メディーナで出土 高さ7~13センチ 5片 エジプト南東部の古代都市テーベ(現ルクソール)のナイル川西岸にある村。 (写真なし) 003 「ピュクシスと蓋 夫人部屋の情景」前430年頃 ルーブルのケンタウロマキアの画家 (古代ギリシャ・エトルリア・ローマ美術部門から) (写真なし)004 「黒像式頸部アンフォラ」前525-前520年頃 ぶらんこの画家 (古代ギリシャ・エトルリア・ローマ美術部門から) (写真なし)005 「アンテステリア祭の赤像式オイノコエ」前425-前420頃、前400-前380年頃 2点 (古代ギリシャ・エトルリア・ローマ美術部門から) (写真なし) 006 レアグロス・グループ「黒像式ヒュドリア」 肩の部分:戦士たちの出発/腹部:水を汲む女性たち 前510-前500年頃 (古代ギリシャ・エトルリア・ローマ美術部門から) 007 ジョゼフ=マリー・ヴィアン「アモルを売る女」1763年 18世紀後期のフランス画家 アモルはキューピッドのこと。(非公開日記に記入あり)(続きます)よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/09/05
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【2015年9月4日(金)】 前の天気予報では、今日は天気が悪いとの予報だったのですが、昨晩の天気予報では、土、日とも良いとの予報になり、昨晩二人で「ルーブル美術館展」行こうと相談していました。予報どおり、今朝は良い天気に。長い間、お預けになっていた「ルーブル美術館展」にようやく行くことになりました。 午後1時に家を車で出て、1時間弱で岡崎の京都市美術館へ。地下駐車場に停めました。家内は音声ガイドを借りました。平日ですので、館外の待ち行列はなかったですが、中は相当な混雑。絵を「かぶりつき」で観るのは、なかなかむつかしかったです。 展示作品数は約80点。有名なのはフェルメールの「天文学者」、ムリーニョの「物乞いの少年」など。ルーブルなので、印象派などの作品がなく、重い絵が多かったですが、2時間弱、久しぶりに西洋絵画の逸品をゆっくりと観賞させてもらいました。去年の6月に、悪性腫瘍が発病したので、こういうところに来るのは恐らく2年ぶりくらいです。 あまり座るところがなく立ちっぱなしだったので、かなり疲れました。入場料:1600円x2音声ガイド:550円駐車場:1100円・館内の看板・京都市美術館 後日、少しずつでも絵の紹介ができればと思います。 疲れてはいましたが、帰ってきてから、散歩だけは行きました。毎日歩いていると、散歩しないと落ち着きませんので。 女子バレーボール・ワールドカップ 今日はアルジェリアに3-0で楽勝でした。放送時間がいっぱい余って、たくさんの選手にインタビューしなければ時間が消化しきれないような短時間での勝利でした。 日本は7勝2敗。8勝1敗が中国、ロシア、セルビア。残り2試合、セルビアは格下しか残っていない。10勝1敗は確実。ロシアは中国と格下。明日の試合でロシアが中国に勝ってしまうと、ロシアが10勝1敗が確実で、日本の2位は無理。日本が2試合勝って、9勝2敗。ロシアが中国に負けると、ロシア9勝2敗、中国9勝2敗。この場合で、やっと勝ち点勝負。非常にきびしいのには変わりなし。よろしかったらぽちっとお願いします。にほんブログ村
2015/09/04
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