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悩まされるのではなく、鳥が歌うことに歓喜する。
それはなぜか。
朝はやくがっこうに着き、しばらくうとうとするあいだ、耳は鳥の歌声に開かれ、子守唄へと化する。鳥の歌声につつまれる。
気がつくと、終日、鳥の歌声に耳をそばだて、たえずあたまのなかを響く。
そう、あの少年(青年)に近づいているのか。
あのイーヨーに。
しかしこのわたしは、恥ずかしいかな、鳥の名をしらず、鳴き声を聞き分けられない。
ああ、恥ずかしい。
自分を取り巻く樹木も数多くその名を知っているとはいえず、つまり自分を取り巻く自然について、それらの名をごくわずかしか得ていない。
これは恥ずかしいこと。
いまさらながら、大江の燃え上がる木の第三部にまで読みおよびながら、そんなことを痛感する。
そう、イーヨーにははるかにおよばない自らが情けない、情けないというまえに知識を充実させるべきが筋だとは思うが。
ああ、自然、自然を愛するというまえに、まず自然のことを知り、自然を組み立てているそれらの名に通じなければ。そんな思いをあらたにする日々。
(07 of April, 2009)