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いなかとはいえ、もちろんそんなにたいそうな庭なわけない、しかし半ばムキになって数えながら走った、二百周ぐらいはいっただろうか。
そのころは、まだ体育会系のおにいさんとは程遠いおらであったが、翌日、例をみないほどの足の痛さを感じた。
いまは、トホホ、若くはない。
走るときは翌日のことを考えてしまう。
調子がよくて、まだずいぶん走れそうでも、やめておく、よくいえば中庸の礼をまもる。
しかし、これが走れそうだからといって、いつまでもいつまでも走っていたらどういうことになるだろうか。
死刑にもさまざまな種類がある、たとえばきりもなく水をのませるとか。
だとすれば、けっして停まらずに走らなければならない死刑というのもありうるのではないか、なんて思ってしまう。
ただたんに疲れるのみでなく、まあ、心臓麻痺やら痙攣やら。
じっさい、世界では年に数例、ジョギング中に健康だと思われていたひとがぽっくり倒れてしまうという例もあるではないか。
そう思うとジョギングだってもはや命がけにちかい。。。
(ちなみに、わたしはもちろん死刑廃止論者、停まらずの走り刑なんて実施する気はとんとありません、どうぞご安心を)
(08 of April, 2009)