2023.05.06
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姑とは一度も同居しないまま亡くなってもう3回忌も終わった。

大正生まれの姑とは価値観や性格が合わないと思っていてあまり交流もなかった。

今日買い物に行っていかなごのくぎ煮を買ってきた。この時期うちは二人なので買い物に行ったら小さなパックを買ってくる。

姑が元気だったころいかなごのくぎ煮とかラッキョウとか梅干とかよく自家製のをもらっていた。

買ってきたくぎ煮を見てもう姑のくぎ煮を食べられないのだなと改めて思った。

私はくぎ煮は食べるけどラッキョウとか梅干は嫌いだったけど、夫は姑のつけたラッキョウや梅干は大好きだった。

亡くなってから私が姑が元気なうちに習いに行って味を引き継いでいたらよかったと夫が言った。

私は黙っていた。自分が好きなものでもないのに苦手な姑のところに教えてもらいに行くような気は全くなかった。

そして姑は私が気に入らず、あれでは到底一緒には住めないと言われていた。



でもそこまで私を全否定する人と一緒に住むなんて考えられなかった。

人間関係で完璧に何もかも一致して仲良くできる相手なんてそんなにはいない。

自分と合うところ、相手の長所を少しでも見つけて歩み寄らないと仲良くなんてできない。

姑に私に歩み寄る気がなくて、一方的にそういわれたから私は義実家と距離を取った。

でも客観的に見て姑は家庭や家族を大事にしてなんでも手作りするいい姑だったなと素直にいいところを今になって認められるようになった。

本当は年下の私の方かㇻ歩み寄っていかないといけなかったのかも。

姑が亡くなったとき棺に家族親せきの寄せ書きを棺に入れた。

夫はそれのコピーを斎場からもらってきて今もリビングに貼っている。

そこには私の知らない姑の姿があった。

明るくて冗談をよく言って、歌が上手で孫や子供に人気者だった姑。

私にはそんな面は見えていなかった。気難しい人としか見えてなかった。



仕方ないから「いろいろお世話になってありがとうございました」とだけ書いた。

夫は「もっとないんか?」と不満げだったけど頑張って思い出そうとしても

姑に嫌がらせされた思い出しか思い浮かばなかった。

私も若かったから今ならもう少しうまくやれるかもしれない。

夫は義実家でお正月などに人が集まったときの和気あいあいとした雰囲気が好きだった。



和気あいあいというか私的には結構きつい言葉の応酬があって私はその輪の中にはなかなか入れなかったんだけどね。

私は言いたいことを言える立場ではないし、言われっぱなしで義実家へ行ってもちっとも楽しめなかったんだけどね。

まあ何にしても夫が愛した義実家は義父母がいて成り立っていたから、もう今の義実家は
義姉一人が住む家で夫も積極的には行きたがらない。

明日は姑の月命日だからいろいろ思い出して感慨深い。

いつも夫と私は義姉は一体いつまで月命日をやるんだろうね?と言い合っている。

夫も義父母がいなくなった義実家はあまり居心地がよくないらしい。

あんなに毎週末出掛けて行って、一緒に住みたいとまで言っていた義実家なのにね。

いかなごのくぎ煮で久しぶりに姑のことを思い出した。

家族を愛し、家を愛し、家族のためにおいしいものを作ってきた姑。

大正、昭和、平成、令和と4つの時代を懸命に生きて家族を守ってきた。

戦争もあった、戦後の食糧難の時代に結婚して子供たちを懸命に育ててきた。

それはそれですごい人生だったなと思う。





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最終更新日  2023.05.06 21:49:02
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