湘南フレンチ奮闘記

湘南フレンチ奮闘記

PR

Profile

rannbo

rannbo

Freepage List

Keyword Search

▼キーワード検索

Calendar

Archives

November , 2025
October , 2025
September , 2025
August , 2025
July , 2025
March 17, 2007
XML
カテゴリ: 料理・食べ物
当時の私(ヤット中学生になった頃)は体が弱かった。
喘息持ちの私は、風邪をひくと息が苦しくなり、医者通いを余儀なくされていたのだ。

だが自分の将来像はしっかりともっていた。

前にも書いたが10才の頃には漠然と!だが食べ物商売に進む決心をしていた。
だから、そのために日々を費やしていた。

学校は地区外の町の学校までバスや電車で通っていた。
当時から倶楽部活動はあり、担任からしつこく入部を進められたが、決して強制される物ではなかったので、私は余り参加してはいなかった。

学校が終わるとアルバイトに精を出していたからだ。
アルバイトには八百屋を選んだ。



何を経験しても無駄はないと考えたからだ。
これは父の教えが大きく影響していた。

父は文筆業を生業としていて、何時も人と遭い話をしていた。
それと物凄い酒豪でもあった。
晩年,病床についていても酒は手放さず、何かにつけ要求し、ストローでチュウ々とやっていたのを思い出す。

私の記憶に残る父の姿は、警察の道場で柔道をやる姿や、家で合気道の型を練習する後ろ姿、和弓の弓を引く姿などが殆どだったろうか・・・

一番嫌な思い出は、剣道をやらされた事だ。
何処であつらえたのか、子供のからだに合わせた胴や面が支度してあり、ご丁寧に胴の裏には家紋と私の旗印まで漆で書かれていた。

竹刀は大人用ではなく私のサイズに作り直されていたが、その竹刀を何百回も素振りするのが嫌で嫌でたまらなかった・・・

しかし、日本刀には興味があり、父が手入れをする時には何時も傍らに正座をして眺めていた。

当時の時代劇では、刀を自由自在に振り回すタチマワリが主流だったが、実際に目の前にした刀をあのように振り回す役者が不思議でならなかった。



第一あの繊細な刃のついた刀同士の刃と刃が当たれば、かなりの刃こぼれをおこすし、第一そんな接近戦など考えられなかったからだ。

実際に私も真剣での素振りや立ち回りの型をやるが、あの役者の振りはやはり演劇なのだと、当時からブラウン管の役者を冷ややかに眺めていた。

だが日本刀の姿は実に美しい物だ。

16歳の元服式に「左陸奥」と銘が入った古刀を1本送られたが、この刀は実戦で使われた形跡が、峰にキズとして残っていた。

前の所持者の姿を思い浮かべることは出来ないが、新刀とは違い古刀には神秘的な魅力があった。



しかし父はやさしかった。
私が学校をサボり、釣り三昧で金を稼ごうとも何も言わなかった。
普通なら、首に縄をつけてでも学校に行かされたのではないか?

その父の口癖はサブ!(私は三男坊で三郎貞裕が幼い頃の呼び名)阿呆と言うのは、自分に関係ない物には関心を示さず、アホズラをして見過ごしてしまうから「アホ」なんだ!
何でも見て吸収しておけ、後で必ず役に立つ!だった。

その言葉に私は従っていた・・・続く・・・



ル・パスポートのホームページはこちら ル・パスポートのホームページ

人気blogランキングへ





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  March 17, 2007 11:12:02 AM
コメント(0) | コメントを書く
[料理・食べ物] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: