気晴らし 0
お詫び 0
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昨日は朝からとっても風が強く、急に大粒の雨が降ったり、晴れたりコロコロ変わるお天気。これは台風の影響だと思います。空を見ると薄暗くグレーの雲が風に流され早く動いていきます。窓の外の流れる雲をボーっと眺めていました。1階から母が私を呼ぶ声がします。「この洗濯物庭に落ちてきたんだけど栄子ちゃんの??」とタオルがたくさんかかった洗濯物干しを持っています。私は「違いますよ。こんな風の強い日に外に干さないですよ」と言うと、母は「お隣のかもしれないから聞いてくるね」と言いました。外へ出るとお隣の家の若いママは洗濯物が外に干してありました(^-^;お隣は2人の幼稚園児を育ててみえる若いご夫婦が住んでいて時々庭でビニールプールで子供たちを水遊びさせている声が聞こえてきます。私はあまり関わることはありませんが、幼稚園への送り迎えの時など顔を見ると挨拶する程度です。それでも、お庭で子供さんたちが遊ぶ楽しそうな声や時々泣き声が聞こえると、私も子育て真っ最中のあの頃を思い出し、微笑ましく懐かしく切なくなるのです。あの頃は本当に毎日すっごく忙しくて、楽しくて、娘たちが可愛くって、本当に充実した幸せな日々でした。さえりんと次女は2人とも甘えん坊で、私のことが大好きでいつも「ママ!ママ!」と競争のように取り合いされていました(^.^)本当に戻れるものならもう一度あの頃に戻りたい!!そして、さえりんが20歳11カ月で事故で亡くなる人生を変えたかった・・・いつまでも2人の娘が元気で、それぞれ自分で幸せを見つけて、私は年老いて最期は2人の娘に惜しまれ看取られる、幸せな人生を送りたかった・・・(>_<)そんな普通のごく当たり前の日常が、もう二度と叶わぬ夢になってしまうなんて思いもしなかった・・・娘たちが小さくて可愛くて幸せいっぱいだった私には、こんな未来が待っているなんて想像もしなかった・・・私の何が間違っていたのでしょうか??何がいけなかったのでしょうか??どうしてあんなに優しいさえりんがこんな酷い目に遭わなくてはいけなかったのでしょうか??何度も何度もどう考えても答えは永遠に見つかりません・・・昨日は特に予定もなく、家でストラップの台紙を印刷して切ったり、たくさん作って送っていただいたストラップの袋詰めをしたりしながら、コロコロ変わる空模様を見ながら思いにふけりながら過ごしました。もうすぐお盆が来るからでしょうか??これも記念日反応なのかな??私の心はこの台風の荒れ模様とよく似ているなと思います。さえりんを亡くした2019年の初盆には最終日に紗愛理に会いたくて会いたくてお仏壇の前で泣きながらうたた寝した私に、さえりんは逢いに来てくれたのです。「ママ私は元気だよ。お友達とゲームをして楽しくやっているよ。忙しくて会いに来れなくて、ごめんごめん。でも仲良しのK君とは時々一緒にゲームして遊んでいるんだよ♡だから心配しないで!」紗愛理はとっても元気そうな顔でした。私は紗愛理をぎゅっと抱きしめ泣きながら、それでも紗愛理が元気で楽しそうで安堵したのでした。泣いて悲しんでばかりの私を心配し会いに来てくれたのです。その次の2020年のお盆には同じように紗愛理のことを想いお仏壇の前でうたた寝しても、もうさえりんは会いに来てくれませんでした。ママはもう大丈夫だとさえりんはそう思ったのでしょうか??それとも忙しかった??3回目になる今年のお盆は果たして、私に会いに来てくれるでしょうか??さえりんはそらから私のボランティア活動を見ているから「ママ頑張れ!!」と応援しに来てくれるといいなあ。それとも「私が行かなくてもママなら仲間も出来たから大丈夫」と会いに来てくれないのかな??でも紗愛理に会いたいなあ・・・(さえりん11歳の時 サンリオピューロランドpart9) 昨日はそんな思いにふけっていたら、お昼過ぎに次女が「安城市の図書館アンフォーレに借りた本を返したいから一緒に行ってよ!」と言ってきました。帰りに2人で遅めのお昼ごはんに丸亀製麵でうどんを食べました。食品の買い物も一緒に付き合ってくれしました。こういう何気ない日常こそがささやかでも、私にとっては贅沢な時間なんだとそう実感するのです。もしかしたら次女は未だ私に甘えてくれているのかなそう思ったら、この次女との時間も貴重で、今この時も大切にしていかなくっちゃと思うのです(^-^)もう二度と会えなくなってしまった娘のことももちろんいつまでも大切です!!でも今傍にいて私を必要としてくれる娘のこともしっかり見ていきたいです!!だって、2人とも私の大切な大切な、かけがえのない宝物なのですから♡ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2021年08月10日
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昨日は暑いくらいの真夏日でした☀このところ雨が多かったのですっかりほったらかしにしていたお庭の草がどんどん育ってしまい、木や花は久々にお水が欲しそうに干上がっていました。長い梅雨が明けてようやく本格的な夏がやってきたような晴天でした。そういえばこうしてのんびりお庭を眺めるのも久しぶりな気がします。せめて花壇の中だけでも草取りをしたかったのですが、急に暑くて体がついていけないので昨日はやめました(;'∀') パパは暑い中での仕事なのにごめん💦外庭ではいつの間にかムクゲがピンクの可愛い花を咲かせてくれていました。そして、百日紅は蕾が膨らんできてもうすぐ可愛いお花を咲かせてくれそうです。アサガオも葉っぱは育成不良ながら、花は咲かせてくれています(^-^;季節はいつの間にか長い梅雨から、真夏へと移り変わろうとしています。今までずっと暇だった私が、少し前から急に慌ただしく心の余裕がなくなって、こうしてお庭をのんびり眺める心のゆとりも必要だったんだと感じました。 昨日はとっても暑かったので外に長くいられず、家の中でエアコンをかけて、にととらさんが作って送ってくださったストラップ125個の袋詰めをしました。このところ新規開拓場所が多くてたくさんのストラップを置いて頂く場所や個人で配っていただける方も急に増えましたので、在庫がカツカツになってたんです。本当に助かりました(≧▽≦)そしてTさんからも「80個くらいできたから明日持って行くね」とラインを頂きました!!本当にみなさまありがとうございます♡こうしてみなさんにご協力していただけるからこそ、また新たな場所を開拓したい、1人でも多くの方にこのストラップを手にして頂き、死亡事故を抑制していきたいと、純粋な気持ちでそう思えるのです!!(にととらさんが作って下さったストラップ125個)昨日は特にこれといったこともなく、こうして穏やかに過ごせる日がどれほど幸せなのだろうかと、またあらためて気付かされるのです!!何だかさえりんの優しさにフワッと包まれたような・・・あったかくて優しくて穏やかな日に心から感謝です(⋈◍>◡<◍)。✧♡たまにはこんな日もあってもいいのかなと思いました。(さえりん10歳の時 西尾市幡豆町で潮干狩りpart2)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2021年07月12日
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昨日は曇り空のお天気🌤私も朝からどんよりした気分でした。身体はだるく、頭もボーっして、くしゃみが連発、目も痒くなってきました。とうとうあの嫌~な季節病がやってきました・・・(;'∀')イネ花粉症です!!昨日急に症状が現れて気が付けば重症に・・・朝パソコンを開いても頭がボーっとして文章が頭に入りません。理解力ゼロです。とにかく目がしょぼしょぼして眠いような体が重いような感じで何にも手につきません。パソコンやろうと思っても出来なくて、そのまま床にうつぶせになっていたら、自分の部屋から起きてきた次女に踏んづけられちゃいました(^-^;おまけに「なんでこんなところに寝てるの??調子悪いなら病院へ行きなよ!!」と叱られてしましました・・・(-ω-)/私はもう30年来のイネ花粉症で、スギやヒノキの季節には全然平気なのですが、田んぼに水が入ってイネ科の植物が成長し始めるこの時期に重症化します。今年はもうこのまま症状が出なくて終わるのかななんて思っていたのは甘かったです(^-^; 日曜日に外庭で張り切ってアサガオの残りの種を蒔いたり花壇の中の草をとったり、気持ちよく布団を干してしまったのがまずかった・・・(+_+)このままでは一日中何も出来ずに終わってしまいそうなので、いつもの耳鼻科へ行きました。一応電話予約はとっていったのですが、私が付いた11時過ぎには誰もいなくてすぐに診てもらえました。そして外の薬局で薬をもらって15分くらいで終わりました(´▽`) ホッお薬手帳を見たら昨年は5月末から6月いっぱいまではお薬もらっているけど、一昨年は処方薬のシールが一枚も貼ってありません。さえりんが亡くなったことがあまりにショック過ぎて、花粉症の症状が出なかったのか、引き籠り家から一歩も出なかったので重症化しなかっただけなのかその頃の記憶があまりありません。もっと先のことなら容易に思い出せるのに・・・2年前のあの日から、私は何を食べて、いつ寝て、どう過ごしていたのかも覚えていないくらい精神的に重症化していたのかもしれません(´;ω;`)ウッ… 昨日、浜松に住む妹から荷物が届きました。外箱をとってみると中の箱に、のしがあり「御供」の文字が・・・中身は、浜松温州の100%のみかんジュース🍊でした。さえりんはみかんも大好きだったので、喜ぶと思います!!I君T子ちゃん、ありがとう(⋈◍>◡<◍)。✧♡早速まずは箱のまま、さえりんに報告しお仏壇前にお供えしました。本当に妹夫婦からの心遣いが嬉しくて、感謝の気持ちになりました。しかし、その一方でもうすぐ三回忌の法要をお寺で行うことを思うととっても複雑で憂鬱な気持ちになるのです・・・(;'∀')さえりんの三回忌法要は5月30日(日)です。祥月命日は6月4日ですが、早めにするのです。 実家の母は今度こそ間違えないように電車で来ると言ってくれました。一昨年さえりんの100ヵ日法要の時、母は電車で来て降りる改札口を間違えて迷子になり、携帯を持っていない母探すのが大変でようやく見つけて車で家に着いたときには、法要が途中まで終わっていたんです(=_=)私は母に何かあったらと気が気ではなくて、必死で汗だくで探しました。家族は家で時間には住職が来てくださり、先に法要を始めてくれていました。あの時は本当に大変で、母に対して腹も立ったけど、今思えば母が迷子になったことで、私の気が紛れて悲しみにとっぷり浸らずに済んだのも確かです(^-^;一昨年は母のトンチンカンな行動に結果的に救われたような法要だったのです。 昨年、一周忌の時はとっても悲しかったけれど、刑事裁判の真っ最中で私の心はすっかり心は戦闘モードになっていました。躁鬱で言うならば躁の状態です。一種のハイテンションだったかもしれません。そして一年間ずっと悩み続けた、さえりんの法名の最初の一文字を変えたいと勇気を出して家族や住職に言えた日でもありました。さえりんの法名最初の一文字は「香」こうと呼みます。でもこの字は憎き加害者の名前の一文字なのです!!何も気づかず付けた住職と、何の疑問もなく受け入れた家族に、私だけが1年間毎日ずっと悶々と悔やみ悩み続けていたのです。そして住職から、「それならこの法要が終わるまでに希望する文字を自分で決めていいですよ」と言われ、法要の間中ずっとそのことばかりが頭を駆け巡っていたんです。そして教本に一番たくさん出てきた一文字に目が留まり直感で決めたのです。それが「光」こうという字だったんです!!私にはこの文字がまるでさえりんの希望の「光」のように思えてなりませんでした。でしたので昨年の一周忌も私の頭の中は法名の一文字探しでいっぱいで、この時も結果的に悲しみのどん底には落ちずに救われたような気がするのです(´▽`) ホッ そして、もうすぐ今週の日曜日がいよいよ三回忌なのです。またも何かのハプニングがあるのか??それとも私のメンタルが落ち込み過ぎておかしくなってしまうのか??今度は父の意向で自宅ではなくお寺なので私の不満がまた爆発してしまうのか??父と母と弟は果たして来てくれるのだろうか??お前たちだけで勝手にやりなさいと突き放されたら私の心はどうなるのかな??それでも正常でいられるだろうか??怒りが爆発してまたも家出したくなるのだろうか??実家の母は今度は降りる改札口を間違えないだろうか??そんなざわざわした思いが頭をグルグル駆け巡るのです・・・(;'∀')落ち着かないこの思いはいったいいつ、どうすれば治まるのでしょうか??逆縁・・・これがどれほど辛いことなのか痛感させられるのです(´;ω;`)ウッ…(さえりん10歳の時 おじいちゃんあーちゃん妹と一緒にバスツアーでもも狩りへ) 昨日はどんより曇って時々ぱらつく雨の空模様とちょっと涼しい気温の落差、イネ花粉症が重症になって、余計に身体も心は重たくなってしまうんです。昨日耳鼻科から帰ってお昼ご飯を食べてから薬を飲みました。ところが余計に頭がボーっとしてきて、ますます理解力が低下して結局何も出来なかったんです・・・(;'∀')そして午後から夕方まで、久しぶりに寝込んでしまいました(^-^;これは私持病の季節病だから仕方ありません。決してメンタルが落ちたわけでも、他の病気でもありませんのでご心配しないでくださいね。ただ、皆様のブログにコメントできなくってごめんなさい💦お邪魔して読むことだけは出来ましたが・・・頭が痛くて散漫でまとまらず書くことが出来なかったんです。お許しくださいね💦このブログだけは夜、何とか書けましたが・・・(-_-;)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますさえママへのメールはこちらからにほんブログ村、応援おねがいします!!この「さえりんの部屋」を一人でも多くの方に読んでいただき、交通死亡事故で悲しむ人がもう増えませんようにと心から願っています!!さえりんをクリックしてください!! にほんブログ村人気ブログランキングよろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2021年05月25日
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今日は25日(月)、あと3日で刑事裁判の初公判です。私の心はさらに不安と緊張いっぱいで、少しずつ戦闘モードへと変わっていくのです!!昨日ふと思いました。裁判当日の服装のことです。主人はもちろんスーツです。私も喪服ならあるんですが、さすがにダメですよね。だから、私もそれなりの格好でと思い、タンスの中を探してみましたが冬用のフォーマルなのはあるけど、今の季節に着れそうなカチッとしたスーツがない・・・(-_-;) ひとつだけあったのはベージュでふわーっとした明るい感じのスーツ。これじゃあ裁判ではあまりに軽く見られそうで、迷っていました。私はもともと白とか明るいグレーとか淡い色のスーツしか持っていないのです。今までカチッとした服を着る必要がなかったから・・・この一年間すっかり引きこもり生活になりスーツやそれなりの格好で出掛ける機会は、昨年4月の次女の大学の入学式以来でしょうか??おめでたいことならいいのに、今回は人生初の法廷の場です。しかも法廷の中へ入り、検察官の隣に座るのです・・・(;'∀')淡い色や緩い恰好では相手ににらみを利かせることは出来ないと思うのです。(私の勝手な想像ですが・・・)裁判の様子なんてテレビのニュースかドラマでしか見たことありません。それとは違って、きっと田舎の裁判所の小さい法廷だとは思いますが、それでも殆どの人がそんな場所には一生縁もないところなのに、私たちは未知の世界へと踏み込んでしまうのです(>_<)それで、昨日は思い切って近くのアピタへ服を探しに行きました。まあ新入学でもないこんな時期にスーツはあんまりなかったけど、フォーマルコーナーで手ごろなものを見つけ、あとはテナントで単品の紺色の七分袖のジャケットと紺色のワンピースを買いました。4日間の裁判にはこれを交互に着ていこうと思います。家に帰ると、久しぶりに浜松の妹からラインが来ました。私のことを心配してくれる内容と、訂正がひとつ。前に、さえりんが妹の夢に出て私にメッセージを伝えてくれた内容ですが、『「泣いてもいいんだよ!」ではなく「泣いたっていいんだよ!」だそうです。という事は、笑ったって怒ったっていいんだよ。さえちゃんはお姉ちゃんのすることを全部肯定して抱っこしてくれたんだよ。絶対の味方。強くなれるね☆』と妹が教えてくれました。これはもちろんさえりんからと、あと妹からの私へのエールだと心から感謝するのです!!私は強い味方と後ろ盾にまた勇気をもらい、刑事裁判に向かって、ためらわず素直に感情をぶつけていこうと思いました。少し前から、みなさんの温かいコメントの中で「署名をするなら協力するよ」と書いて下さる方もみえて、私は心から嬉しくそのお気持ちが本当に有難いです。実は私はこのブログをはじめた当初「こんな理不尽で一方的な交通事故が軽い罪で簡単に許されてはいけない!!」との思いで、署名を集めようと意気込んで、少し準備もしていました。ですが、私の心が弱く不安定なため、署名を集めるだけの気力と勇気が出なかったのです。こんな無名のよくある交通事故で果たしてどれだけ集められるんだろうか??もし集めたとしても結果あまり意味のないものになってしまったら申し訳ない。友人・知人・葬儀に来て下さった方々に頭を下げてお願いするだけの勇気がなかったのです。あとブログでお願いしたとしても折角のみなさんのご好意を無駄にするような結果になったら・・・と思うとどうしても一歩が踏み出せませんでした。それで尻込みをしてしまい、結局やらずじまいになってしまったのです(>_<)先日2回目の担当検事との打ち合わせの最後に、その事を聞いてみました。すると担当検事は「起訴される前ならともかく、加害者が起訴された今では署名を集めても、あまり効力はありません。それより、加害者がいかに誠意がないのか、遺族の処罰感情がいかに強いのかを裁判官に訴えていきましょう!!」とおっしゃられ、私は肩の荷が降りてホッとしました。私に勇気がなく署名を集められなかったせいで、裁判の有無が左右されることはここまで来たら、まずないと言って下さったからです。そして担当検事がおしゃったように、加害者への強い処罰感情をいかにしたら裁判官へ伝わるのかに全精力を向けようと思ったのです。本当ならこのブログを裁判官にも、加害者にも相手の弁護士にも見てもらいたいのです。そうすれば私の言いたいことは全部ここに書いてあるんだから!!今はまだ、相手の弁護士がこのブログを証拠書類としての提出を同意するかどうかわかりません。不同意されたら、目に触れさせることは出来ません。「その時はまた違う方法を考えましょう」と担当検事は言ってくれました。だから、今私に出来る事はこのブログに私の正直な思いを素直に書くことただそれだけなんです。もう裁判まであとわずかです。決戦に備えて戦闘モードに入り、私の怒りの感情はどんどん激しく強くなってくると思います。ブログにもきついことや激しい感情をぶつけて書いてしまう時もあると思います。もしお辛いようならスルーして下さいね。結局署名は集めませんでしたが、私にはたくさんの心強い見方がいてくださること、たくさんの方々がこのブログを見守って下さること!!温かいコメントや皆さんからのメッセージが、何よりの私の励みなんです!!!(さえりん4歳公園にてpart7)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年05月25日
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昨日はすっごく暑い真夏日和でした。最高気温は27℃、家の温度計では29℃まで上がりました。朝からあまりにも暑いので思わず今年初めての半袖に着替えました。ところが、畑へ行くと超大ショックな出来事が・・・つい先日まであと少しで大きく赤く美味しくなるはずだったサクランボが・・・殆ど全滅・・・鳥に食べられて食い散らかされていたのです(>_<)とってもショックでした・・・(;'∀')せっかくさえりんに美味しくなったサクランボを一番にお供えしようと楽しみにしてたのに!!鳥に先を越されてしまいました(>_<)しかも全部・・・今までだったらここまで全部食べたり、荒らしたりしなかったのに。ネットを買って張っておけばよかったと後悔。かろうじてまだ残っていた、小さくまだ赤くなっていない実を2つだけ仏壇へお供えしました。「さえりんゴメンね(>_<)美味しいの食べさせてあげられなくって・・・」暫くショックで木を見ながら悔しくて落ち込んでいましたが、でもよく考えたら今年に限ってこんなに全部食べられるなんて・・・オカシイ。もしかしたらさえりんが鳥になって食べに来たのかもとそう思うことにしました。そう思えば、「さえりん美味しかった??」と少しでも心の慰めになります。夏はさえりんの季節です!!さえりんは夏生まれ、夏になると海や川、プールと楽しいことがいっぱいあってさえりんが本領発揮する季節なんです(≧▽≦)とにかく水に入っていればご機嫌なさえりんでした。小さい頃はお庭の車庫の屋根の下でビニールプールを出して何度水遊びをしたことでしょうか!!少し大きくなってからは近くの市の温水プールに何度通ったことでしょうか!!スイミングにも通い泳ぎ方も覚えて、学校のプールでもどこでも泳ぐのは大好き。おじいちゃんに何度、海や渓谷に連れて行ったもらったことでしょうか!!大人になってからも、水が好きなのは全然変わってなくて、お祖父ちゃんの運動がてら温水プールに一緒に連れて行ってもらっていたね。さえりんは温泉も大好きで、「刈谷ハイウェイオアシスのかきつばたの湯」にお祖父ちゃんと2人で何度行ったことでしょうか!!夏になると思い出すことがいっぱいです!!その時は大変だったこともいっぱいありましたが、今となっては楽しいことばかりが思い出されます!!水に入って喜ぶさえりんの笑顔ばかりが思い出されます・・・そんな時つい、思ってしまうんです。今もし、さえりんがいたらなんて言うんだろ・・・って。「ねぇお祖父ちゃん、今度の〇曜日ヒマ??私プールに行きたいんだけど(≧▽≦)」「ねぇママ、今度この温泉に家族旅行に行きたんだけど。ねぇいいでしょ💛」「ねぇみんなでまた海に行きたいんだけど!!絶対に行こうよ(^^♪」「ねぇ今度はナガシマのジャンボ海水プールにも行ってみようよ!!」さえりんは子供頃と全然変わらない無邪気な( ^ω^ )ニコニコ笑顔で・・・あれ・・・どうしてここにさえりんがいないんだろう・・・・なんでさえりんは一人で違う世界へ逝ってしまったんだろう・・・・夕方の涼しい風で我に返った私は、涙がこぼれて悲しくなるのです・・・・(夏の夜に花火をしてスイカを食べる、さえりんもうすぐ5歳 自宅にて)昨日の庭(鳥に荒らされたサクランボの木と、食べられ落とされたサクランボ)(クレマチスがたくさん咲いてきた) (もうすぐ咲くミニバラのつぼみ)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館ミヤちゃんさんへミヤちゃんさんの昨年は、今の私同様に何を見ても何をしていてもつい涙がこぼれたり、悲しみに浸ってしまうそんな日々をお過ごしだったんですね。私だけじゃないんですね。なんだかホッとしました。コロナで窮屈な日々ですが自分勝手で無責任な行動自分一人ぐらいと思う心が大事な家族や知らない誰かの命を脅かすかもしれないと自覚して行動を慎んで欲しいですね!!シャルルさんへ昨日のコメント読んで、シャルルさんのお心遣いがすごく嬉しくて有難いです!!さえりんの月命日を大事に思って下さるそのお気持ちだけで充分です。今コロナのこんな時期ですからお店も自粛休業仕方ないことです。シャルルさんのお気持ちは私がたくさんたくさんいただきました!!心から感謝いたします。だからご無理なさらず、さえりんも私と同じ気持ちです。ありがとうございました💛💛宝ママさんへお互い娘を喪って来月で1年。もうすぐ一周忌近づいてきて、どうしても去年の今頃は・・・とか、もし娘がいてくれたなら・・・って思ってしまいますね。まだまだ辛い日々はいつまで続くかわかりません。だけど今だから思うんです。家族を愛し、娘を愛し、一年前だって今までだって私たちはその時々に出来る精一杯を一生懸命生きて来たんです。親として娘を喪った後悔は一生尽きませんがきっと娘たちはわかってくれてるはずですから・・・(*^^*)
2020年05月02日
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今私は仕事もしておらず、毎日家でさえりんとのんびり過ごしています。コロナの影響で大学も休校になった次女と3人ゆっくり過ごす日々。主人だけが毎日仕事に行ってくれてるけど、主人はサービス業なので長期休暇もなく、我が家はみんないつも通りです。だけど気が付けばいつの間にか世間は、ゴールデンウイークになっていた。でもゴールデンウイークになっても何も変わらないただ流れていくだけの日々・・・去年の今頃は何をしていたんだろうって振り返る去年の今頃は私はとにかくお金を稼ごうと必死だった。次女を私立大学へ行かせる為の、主人との約束は学費は私が工面する事。次女の学費は高くて、家計を切り詰めたくらいでは捻出できない。私が1年扶養家族の範囲内で精一杯働いても100万円。それではとても1年分の学費には足りない・・・父(舅)からは奨学金は借りてはいけないと言われていました。女の子が奨学金を借りたら、返済期間はとても長いので結婚して子育てや仕事が出来ない時でも返済をしないといけないから、だからダメだという理由。だから父が学費の一部を貸してくれました。でも私はなるべく父に返したかった。借りはあまり作りたくなかったのです。だから何年かかっても私が働いて返したいと思っていました。ただひたすらに私はムキになっていたのかもしれません。私はもともと大きな病気もしたし、体力もなかったし、仕事はハードで私は体がきつくて毎日ヘトヘトでした。仕事以外にももう長年続けていた活動もあり、睡眠時間は毎日4時間。でもこっちは、きっとさえりんのためになると信じていた私は止めることはできません。前の年の11月次女が私立大学へ行くと決めてから始めたこのハードな生活も半年となり私は自分の体がどれだけ持つのかと不安でした。そんな私の体をいつも気にかけ、心配してくれるのは、さえりん。「ママ、無理しないで!!次女の学費は私も助けるから、仕事辞めたら」と私が疲れた顔を見せる度に心配そうに、そう言ってくれる心優しい長女。「さーちゃんいつもありがとう💛どうしてもママが働けなくなったら頼むね」と。さえりんは「いいよ!!その時は私に任してよ!!だって私は長女だから!!」と頼もしい笑顔で答えてくれるのです。「ママが少しでも疲れがとれるようにマッサージでもしようか?」とやってくれる「いつでも言ってよ!!私に任せて!!」と本当に頼もしく家族思いになったさえりんの姿がすっごく嬉しくて自慢の娘でした。でもさえりんの心の中は寂しかったのかも知れない・・・どうして私はさえりんの本当の気持ちに気付いてやれなかったんだろう・・・一年前の私は本当に愚かでした。こんないい娘があと1ヶ月後にはこの世からいなくなってしまうなんて全く思わず、想像も出来ずにその優しさに頼り切っていたんだから・・・今思えば、なぜもっとさえりんを気にかけて、もっとたくさん楽しい時間を一緒に過ごしてやらなかったんだろう・・・なぜもっとさえりんのやりたいことや、行きたい場所、食べたいもの、願いを叶えてやらなかったんだろう・・・なぜもっと、さえりんが一番大事!一番大好きって昔みたいにぎゅっと抱きしめて言ってやらなかったんだろう・・・今はそんな苦い後悔と深い反省から仕事も活動も辞めた。学費は父に借りていつか次女が働いて返せばいいと、思えるようになり父に頭を下げて借りることにも抵抗が無くなった。もっと早く素直にこうしておけばよかったのです。もっともっとさえりんと一緒にいてやりたかったから・・・もう遅いかもしれないけど、さえりんのことを毎日毎日考えて「大好きだよ」って言える心のゆとりと感謝ができる生活をしたかったから・・・一年前の私は忙しすぎて心を亡くしていたけど、そんな中、さえりんという何より大事な娘を亡くして、本当に真っ暗闇の絶望の一年だったけど、私は今、少しずつだけど心を取り戻そうとしてるんだよ。あなたの気持ちは絶対に無駄にしないからね!!今ママは毎日がホームステイ週間、さえりんと一緒に!!本当にありがとう、大好きだよ!!さえりん(家でカラオケをするさえりん9歳 何を歌ってるのかな??) ※答えはさえパパ動画でわかるよ!!ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年04月30日
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昨日は朝から凄い雨がたくさん降っていて風も強かった。お昼過ぎには晴れたけどまたすぐに土砂降りの雨と雷が・・・不安定なお天気だった。こんな日は私の心もとっても不安定になり、気持ちを切り替えようと朝から掃除機をかけたり片付けをしたり気を紛らわせた。でもやっぱり寂しくて次女の所へ行き、ついつい余計なことを聞いてしまった。すると次女は急に大声で「もうママには何も話さない!!!」と怒り出した。私は「またやってしまった・・・」と思ったけどもう遅かった(-_-;)言い訳をすれば、雨で憂鬱なのと、コロナでこの先の事がとっても不安だからなのですが、次女にとってはあれこれ親に干渉されるのはすっごく嫌なお年頃なんです。わかっていてもコロナの影響で家にずっといるのでついつい・・・また反省です(>_<)テレビでもやっていましたが、昨日のシャルルさんのコメントを読んで今、医療従事者の方々がどれ程大変な思いをして、過酷な労働と、家族を犠牲にして限界以上に、コロナ患者と向き合って見えるのかを思い知らされました。そう思ったら私なんて情けないやら、恥ずかしいやらで、自分が嫌になります。これからの私はいつまでも娘のためだけじゃなくて、そろそろ自分の人生をしっかり生きていかなくてはいけないのかなあと思うのです。自分の生きがいややりがいが何もないから、長女がいなくなった寂しさから余計に次女に依存していたのかなと思います。そりゃうざいはずです(;'∀')こんなことで悩んでいること自体が甘い自分なのですね。私は手に職も資格もないし、仕事もしていない、人の役に立つことも何も無い。今すぐに出来る事、変われることなんて何もないですが、せめて家にいながらささやかでも楽しみを見つけよう、元気になれることはないかと思って、昨日は家にある材料でこんなものを作ってみました!!(写真は一番下に)(マスクの方が役立ちそうですが・・・)これを作ったからといってどうなるものではありませんが、私の心が安定すれば家族の平和が保たれます。ちっぽけなことですが(;^ω^)これからさえりんの1周忌と刑事裁判が終わったら、私も真剣に自分の生き方と向き合わなければと思うのです!仕事もそうですが、これから何をして、どうやって生きていくのかを!!もちろんさえりんのことを忘れることなんて出来ません。一緒に前を向いて生きていけれるようにです!!そうだよね、ずっとママと一緒に生きようね!さえりん(さえりん9歳 岐阜県中津川付知峡キャンプ場part6)2日目さえりんは帰る直前まで川で泳いでいた!あれ服のままでも入ってる??(昨日作ったクラフトのストラップ)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年04月19日
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昨日は夕方までは晴れていたので、午前11時から午後3時近くまでお昼ご飯以外はほとんど庭にいました。昨日は思い立って家の外周と畑の木の下などの草取りに没頭しました。家の外周は長方形になっていて道路に面した角なので道路側の2辺には草がたくさん生えるのです。反対の2辺は隣の家と裏の家にフェンスで仕切られていてこっちは草はありません。畑は家の前の道路に面した目立つ場所ですが、家を建てた10年前は父(舅)が定年後畑をやっていましたがここ数年腰を痛めてから畑は止めてしまったので物凄く草だらけになっていました。見兼ねた父が昨年草を刈って今は草除けのビニールシートを一面張った空き地になっている場所です。でもそこに植わっている8本くらいの木の下やビニールシートの隙間にも草がいっぱい生えていました。昨日は草取りに没頭しながら、私は何かに没頭するのは決して嫌いじゃないなあと思います。その間は夢中になれるからです。でも頭の中ではいつも何かを考えている自分がいます。昨日は『人は何故この世に生まれてきて、何故死んでしまうのか』という疑問が頭に浮かび、ずっと考えながら草をとっていました。私は何故この世に生まれたのか?人生は修業というけれど、それほど苦難もなく平凡に幸せな人はたくさんいる。それなのに私は50歳を過ぎて人生の中盤から後半に向かおうとする時なのに今なおこうして苦難が与えられるのは何故か?私はこれからどう生きていけばいいの?さえりんは私の娘としてこの家に生まれてきて幸せだったのだろうか??さえりんは何故20年という短い人生だったのだろうか??どうしていい人は早く亡くなり、悪い人はまだ生きてるのか??どうしてさえりんは死んじゃったのに、加害者はまだ生きているのか??どうして娘が死んじゃったのに、母親はまだ生きているのか??死んだらどうなるんだろうか??死んだら何も感じないのかな??それとも痛かったり、悲しかったりするのかな??そんな答えの出ないことをまた考えながら、それでも没頭している時間は決して嫌いではない。悲しくもならない。ただひたすらやる作業があるから。何かに没頭している時間は自分を客観的に見れて、悲しい現実もどこか他人事みたいな感覚で淡々としていられる気がする。ある意味辛い現実から身を守る隠れ蓑のような気がするのです。かといってずっと現実逃避するわけにはいきませんが。昨日は夢中で草をとっている私に、突然声をかけてくれた人がいました。「あら、久しぶり元気だった??」と、通りすがりに気さくに声をかけてくれたのは近所の次女と同級生の娘さんがいるお母さんのYさんでした。Yさんは明るくて優しくて、一緒に子供会の役員もやった懐かしい方。近所に住んでいながら、この頃引きこもりでご近所の方とも関わらない私です(-_-;)Yさんももちろんさえりんが亡くなったことを知っていてうちの次女と同級生の三女さんを連れて一緒にお葬式にも来てくれました。それ以来でした。Yさんは可愛い1歳くらいのお孫さんを抱っこしてお散歩中でした。お孫さんはYさんの長女さんの内孫さんだそうです。婿養子さんがみえたことは知っていましたがお孫さんが生まれたことははじめて知りました。いつの間にか私たちもおばあちゃんになる年なんだなって実感しました。Yさんはあえてさえりんの事には触れず、次女の事、ご自分の娘さん達の事を少し話され「じゃあまたね!」と笑顔で帰っていかれました。私は、静かで穏やかだけれど確実に無情にも、時が流れていることを感じました。我が家には10ヵ月前までいたさえりんは亡くなり、Yさんのお宅には1年くらい前に初孫さんが生まれていた。時の流れの不思議さをまた感じるのです。この先、また1ヵ月先、1年先、5年先、10年先本当にどうなっているかなんて誰にもわからないことだと思いました。ましてやこのコロナがいつまで続くのか、また災害や震災はやってくるのかこの先どうなるのかなんて誰にもわからないのです。ただ一つ言えることは、私は今まだ生きているということ。生きているから、悲しいも苦しいも辛いも、嬉しいもあるのだということ。生きているから、まだやらなくてはいけないことがあるということ。私が生きている限り、さえりんの事を想い続けて、ブログに書き続けて私たちの心の中でさえりんを生かし続けなければいけないという使命があると思うのです!!昨日は草取りに没頭しながら、そんなことを漠然と考えながら過ごしました。ねぇさえりん、ママはまだ人間が出来ていないから修業が終わらないみたいだよ。もう少しそっちで待っていてね!さえりん(さえりん9歳 岐阜県中津川付知峡キャンプ場part5)さえりん不機嫌、何か怒ってる??もしかしてまだ川に入りたかったのかな??ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年04月18日
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愛知県にも県独自の緊急事態宣言が出されました。外出自粛はいいのですが、私にとってはとても心配になることがあるのです!!昨日は朝主人が仕事に出勤すると同時に近くの大型スーパーへ買い出しに出かけました。暫く4、5日分くらいは引きこもり生活が出来るようにと思って。朝早くならきっとお客さんも少ないだろうと思ったのに、結構たくさん人がいてみんな考えることは一緒なんだと思いました・・・(;'∀')それでもショッピングカートに山盛りの食品と切花をたくさん買いました。切花はお墓用とさえりんのお仏壇用、それと今月4日、さえりんの10回目の月命日の時シャルルさんが送って下さった、シナモンのアレンジフラワーのお花が枯れてしまったので新しく再生するためのお花を買いました。しかし、肝心のシナモンのお顔になる白いポンポン菊が売ってない・・・仕方なくお墓参りに行った後、近所のスーパーに行っても黄色のポンポン菊はあるのに白は売ってない・・・(>_<)白じゃないとシナモンになりません。もう諦めようかなと思っていると、夕方次女が車に乗りたいというので少し離れたスーパーに行ってもらいお花だけ探したけどやはりありません。こうなったらどうしても欲しくなり、最後にアピタのお花屋さんに寄ってもらいようやく見つけることが出来ました。家に帰るとボンドと格闘しながらポンポン菊に顔のパーツを取りかえ貼り付けて、他のお花も新しいものに差し替えて少し不格好にはなりましたけどやっと可愛いシナモンを再生することが出来ました💛気がついたら4件くらいスーパーを回ってしまい、外出自粛生活をしようと決めていたのに、昨日は失敗してしまいました(-_-;)まあ余計なところへは行かずに必要なものだけ、さっと見に行っただけなのでよしということにしましょう(≧▽≦)それでも折角いただいたアレンジフラワーを無駄にせず、また可愛く再生できたことはきっとさえりんも喜んでくれたと満足でした!!(再生したシナモンアレンジフラワー)昨日は県の弁護士会からこんな通知が来ました。紛議調停手続き(調停期日)の中止、延期について(ご通知)つまり、愛知県の緊急事態宣言が発令されたことにより4月13日より弁護士会の業務を停止したということでした。私たちは前のK弁護士に対しての紛議調停が15日に3者での話し合いになっていたので、それを中止または延期にされたというお知らせです。ここにもコロナの影響は出るんだと溜息が出ました。私としてはこちらはとりあえずはお金は戻ったので、あとはK弁護士からの弁明を聞くだったので、中止になってもこの際どっちでもいいのですが、それより一番の心配は、刑事裁判は果たしてちゃんと開かれるんだろうかということです!県の弁護士会がお休みなら、検察庁や裁判所もお休みになるんでしょうか??今月22日にN弁護士と共に裁判検事にはじめて会いに行き裁判の打ち合わせの予定が入っています。ところがこの緊急事態宣言が出てしまったことで、果たして予定通り行われるのかが危うくなってきました。しかも、N弁護士は大阪の方なので新幹線で来ていただかなければいけません。大丈夫なんでしょうか???もし今の時期が無理ならこの際延期されるのは仕方ないとして、心配なのはこのままこのコロナ騒動に乗じてうやむやにされたり、簡単に済まされたりしないかと、それが不安でならないのです!!一度起訴されたのでそんなことはしないとは思いますが、コロナ騒動に乗じてもしかして交通死亡事故への関心が薄まり罪が軽くなるのはだけは、どうしても納得ができないんです!!待つことはこうなったら、いつまでも待ちます。だからどうかこのコロナが治まったら、しっかりと刑事裁判で裁いていただきたいと、心から願うばかりです!!このコロナのお陰でK弁護士は紛議調停をとりあえず免れたように、事故の加害者が得をするようなことにだけはなりませんように!!それだけはどうかどうかお願いしたいのです!!今日からは本当に外出自粛で引きこもり生活です。実は昨日と一昨日でミニドールガーデンの新作を2つ作りました!!ブログには明日載せようと思っています。暫くはささやかな楽しみを見つけて、お庭でのんびりと過ごそうと思っています。コロナウイルスがもたらした全世界の不幸に比べたら、大勢の感染された方々、お亡くなりになった方々、仕事を失い貧困で大変な思いをされてみえる方々などたくさんのニュースを見聞きしながら、本当に私なんてどれ程恵まれているんだろうかと思います。だけど、それでも、どうしても私はさえりんの事を簡単に片付けられる事だけは我慢出来ないんです!!もしかしたら、今現在大変な思いをされてみえる方にとっては、「そんなこと」って思われるかもしれませんが、私にとっては自分の生き死に匹敵するくらい大事な出来事なんです!!どうかコロナが一日でも早く、もうこれ以上の不幸を増やさないように終息してくれることを、心から願わずにはいられません!!さえりんお願い!!力を貸して!!そんなこと頼まれても困るかな??・・・ゴメンね。(さえりん9歳 昭和村part5)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえパパの「可愛いさえりん1分間動画💛」ぜひ見にきてね!!さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年04月12日
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昨日は変なお天気でした。これが寒の戻りなのだろうか??朝は晴れていたかと思ったら、風が強く冷たくてにわか雨。その後また晴れたと思ってベランダにお洗濯物を干したら急にあられがバラバラを音を立てて降ってきた。私は慌ててお洗濯物を取り込みにベランダへ。すると慌ててハンガーを引っ張ったら物干し竿が落ちてきた。私は手がふさがっていたのでつかめずにそのまま頭を直撃して下に落ちた。ゴーン、ガランガラン・・・とっても痛かった・・・(;'∀')でも私はそれ以上に悲しくなって少し泣いた。さえりんは10トントラックに頭を潰され即死したとき、どれほどどれほど想像を絶するほど痛かったんだろう・・・と(>_<)私なんてこんなたった物干し竿一つで痛がって申し訳なく感じた・・・暫くしてまた晴れてきたけど、風が強く寒かったのでお庭でさえりんミニガーデンを見て癒されることは出来なかった。出窓から見える外は冷たい風が音を立てて吹いていた。昨日は寒の戻りと変なお天気のせいか、私の心も少し不安定だった。自分でもよくわかっているのです。不安定になる要素は他にあるのです。それは検察官の言葉通りなら、いよいよ多分今週か来週なんです。加害者の起訴、略式起訴(罰金のみ)、不起訴が決定するのが。自分では主人と一緒にやれることはすべてやったつもりです。でもこれは検察官が決めること、もう私たちには成す術がありません。多分今週のどこかで検察官か弁護士経由で連絡が来るはずなんです。まるで審判を待つ被告のような気持ちです。私たちは加害者ではなく、被害者なのに・・・先日ニュースで見た、愛知県西尾市で昨年5月に起きた、横断歩道を渡る妊娠中の母親と幼い息子さんが無謀な運転手に轢かれ母親が死亡、息子さんは怪我を負った交通死亡事故の求刑がたったの禁固3年。しかもまだ裁判途中で判決は出ておらず、もしかして執行猶予がつけば加害者は刑務所に入らず何もなく済んでしまうんです。許せません!!!私はそのニュースを見て体の中から熱いものが込み上げまるで自分事みたいに悔しいと思った!!!しかもその検察庁の支部は、私たちのさえりんの事故と同じ支部です。裁判所も同じになるはずです。だからこそ不安になってしまうのです。さえりんの死亡事故だって同じように簡単に軽い求刑になる可能性は高い。悔しいことに、それでも遺族には出来る事なんて殆どありません!!せいぜい裁判で意見陳述したり、加害者に質問ができるくらいなんです!!うちはまだ裁判になるかどうかの審判すら下されていなくて裁判のスタートラインにすら上がっていないんです。それが多分、今週か来週には決まるんだと思うから心が不安定なんです!!先週からここ数日さえりんのハナミズキを植えたり、ミニガーデンを造ったり草取りに没頭したり庭で癒されることで不安な心を安定へと保てていたんだと思います。そうでないと私の心は病んで死んでしまいそうだから・・・昨日は一見いいお天気なのに、ゴーゴーと冷たい風が吹き荒れる窓の外を見ながら、ふとそんなことを思っていたのです。「私たちももうすぐ、法律の壁に守られた加害者への刑の甘さと理不尽さが、寒風となり断崖となって嫌というほど襲い掛かり突き付けられるのだと・・・」昨日は不安定なこの心を保つのが精いっぱいで、早くお庭に癒されたいです。でもブログがあったから皆さんと出会えた喜びや、コメントやメールを下さる方々との関わりが今の私の心の支えだと、実感しています!!ブログが無かったら今頃、私の心はどうなっていたかわかりません。皆さんにご縁を繋げてもらい本当に嬉しいです。皆さんありがとうございます!!ありがとうさえりん!!(さえりん8歳公園にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。さえりん動画はこちらさえりんの部屋別館
2020年03月17日
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昨日は3月11日、東日本大震災から9年が経ちました。私はこの時何をしていて、何を考えていたのだろうと思いました。私の住む愛知県は揺れを感じた程度でしたが、地震の状況が明らかになるとニュースで映し出される惨劇を見て衝撃が走りました。被災された方、津波に巻き込まれて亡くなられた方々と残されたご家族、家を失った方々はいったいどんなに思いでどれ程お辛かったのだろうと・・・でも心の奥底ではいつか東海地震も来るのだろうかと自分の事を心配している、こんな自分が嫌でした。当事者じゃないと深くはわからないことはいっぱいあるのです。そして年月が経ち、昨年最愛の娘を喪ってはじめて、家族を喪う辛さ苦しみはこれほどのものだったのかと痛いほど身に沁みているのです。昔子供の頃、明治生まれの祖母から教えてもらった人生の教訓の中に「人のふり見て我がふり直せ」ということわざがありました。祖母は私に「人のことを笑ったり批判してはいけないよ。自分だってそうかも知れないんだから。どんなことも他人事ではないと思えるような人になりなさい」と教えてくれたことを思い出しました。そう思うと私はいつの間にか、自分をいつも安全なところに置いて表面はいい人でも心の奥底では、自分はまだよかったと安心して高みの見物をしていたのかも知れません・・・こんな私だったから罰が当たったのかな(>_<)自分がその立場になってはじめて、その人たちの辛さに気付けたのです。言い換えれば、自分が大事な人を喪はなければ気付けなかった・・・本当に自分が悔しくて情けないです!!こんな風にならなくても、祖母の人生の教えのとおり何事にも「他人事ではないと思える心」を持ち合わせていればもしかしたら、今のような辛い現実は起きなかったのかも知れないと思ってしまうのです。本当の真実は神のみぞ知る世界かも知れませんが・・・昨日は夕方、久しぶりに私の友人が訪ねて来てくれました。庭先での立ち話でしたが、その友人もこの3ヵ月くらいの間にいろんな事を体験して「さえりんのこと、交通事故の事が決して他人事とは思えなくなった」と話してくれました。私は友人の話を聞き、人はいろんな体験を通して人のことを深く思いやることができるのだとも思いました。そして素直に体験したこと、感じたことを私に話しに来てくれる友人は素敵で凄いなと、また好きになりました。友人は「パパのたくさんの写真を見るとさえりんへの愛情の深さを感じる。あなたが思っていること、さえりんの交通事故のこと、遺族の苦しみを毎日ブログで発信していくことは大事なことだと思うよ!!」と言ってくれました。今まで大震災や事件事故など数々の悲しくご不幸な出来事に対して、もしかしたら傍観者であり偽善者だったかも知れない私が、ある日突然当事者になり、被害者遺族になってしまったこと。他人事ではなく自分の事になってしまったこと。だからこそ、今気が付けたこと。それは、当たり前の家族や日常は決して当たり前ではない。もっともっと感謝して尊んで大切に日々を暮らしていくことが大事ということだったかも知れません!!この世に誰一人として必要のない人はいない、みんなみんな親や友人はいて、誰かの大切な人だということを知るということかも知れません!!まだまだもっともっと大事なことに気が付くまで、私の「番」は来ないのかもしれないなと思いました。私の果たすべきこの世での修業が終わらなければあの世でさえりんに逢うことは叶わないんだと。私がこの拙いブログで娘への想いを細々とでも毎日発信し続けることも、もしかしたら誰かの心に繋がるための大事なツールになるのかも知れないと昨日はそう実感したのです!!だから今は辛いけど、ママは頑張るからね。さえりんのいるところに届くような人になれるまで・・・待っていてね、さえりん(さえりん8歳)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年03月12日
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昨日は朝から一日中、窓を閉めていても音がよく聞こえるくらいの雨が降っていた。次女は午前中からお友達と遊びに行ってしまった。私はまた一人寂しく、窓の外の止まない雨をボーっと眺めていた。そしたらまた憂鬱な気分が襲ってきて、自分を責めたくなってきた。どうして、あの日は雨が降らなかったんだろう・・・どうして、あの日私は娘を送り迎えしてあげなかったんだろう・・・どうして、娘はあの時間にあの場所へ行ってしまったんだろう・・・どうして、娘はたった一人で交通事故に遭い、 たった一人であの世に逝ってしまったんだろう・・・どうして、あの時私は娘の身に起きたことを何も知らずに 家でぼーっと過ごしていたんだろう・・・そうして、もうさえりんは二度と、大好きなお家と家族のもとに 帰って来れなくなっちゃったんだろう・・・一人で雨を見ていたら、そんな答えの出ない堂々巡りの疑問ばかりが浮かんでは消え、また浮かび、取り返しのつかない後悔が次々に襲ってくる。このままだとまた心が病んでしまいそうだと我に返った私は、本を読んで過ごそうと思い、ミヤちゃんさんに送ってもらったもう1冊の「天使のまなざし~天国からの訪問者~」を手に取った。読みはじめると、本の最初の「この世を去る時」という詩のような文章にすごく惹かれたので長いですが引用させてもらいました。「この世を去る時」この世を去ってから、私たちはどこに行くのでしょう?私の番が来ました。光のトンネルを通って、私は澄み切った輝かしい場所へと行きます。向こう側で、友だちがみんな待っています。少しこわいけれど、私の横には天使がついています。私の番が来たのです。あなたが悲しみに泣くことは知っています。でも、私の番が来ました。「なぜ?どうして?一体なぜ?」とあなたが思うのもわかっています。でも、私の番が来たのです。私はこの世の仕事をすべて終わりました。もうこの地上にとどまることはできません。天国はすばらしい所です。私は幸せで、楽しみです。私の番が来たのです。あなたをずっと愛しています。そしてあなたも私をずっと愛することでしょう。でも、私の番が来たのです。どうぞ私を忘れないでください。でも、あなたには前へ進んでほしいのです。だって、私の番になっただけだから。すべては終わってゆきます。あなたはいつも私の心の中にいます。あなたはずっといつまでも私の友だちです。でも、私の番が来たのです。今はお別れしなければならないけれど、それもほんのしばらくのことです。まだ、あなたの番は来ていません。私があなたを誇りに思えるように、堂々と生きてください。あなたには、まだ時間がいっぱいあります。あなたが年老いて白髪になるまで、私は待っています。あなたを置いてゆかなければならなくて、ごめんなさい。でも、まだあなたの番ではないのです。人生は貴いものです。けれども、どの人生もいつかは終わります。でもまだあなたの番ではありません。人生は続き、まだ自分の番ではないことを、あなたは知っています。私がいなくなっても、あなた方はお互いに愛し合い、いつくしみ合ってください。あなたが別れの意味を理解するよう、私は祈っています。私の番が来ました。私の番が来たのです。 ジャッキー・ニューカムこれを読んだとき、さえりんから私へのメッセージのように思えちゃいました。私は単純なのかも知れないけど、もしかして本当にさえりんがこんな気持ちでいてくれたらいいなあとも思えました。だってこの文章の「私」は少なくとも、苦しんだり、嘆いたり、悲しんだり、恨んだりしていないのだから。「天国は素晴らしいところで、私は幸せで、楽しみだ」と言っているから。自分の定められた「番」を理解して、憂いることなく素直に自然に従おうとしているから。そして大切な「あなた」つまり私が前に進むことを願って、いつまでも私を「愛している」「待ってる」と伝えてくれているのです。もしこれが本当に、さえりんからのメッセージだとしたら・・・私の心はどれだけどれだけ救われることでしょう!!そんな気持ちになりました。本を読みながら、まだまだ全然途中ですが(読むのが遅いので)窓の外を見ると、いつの間にか雨がやんで眩しいお日様が射していました。もうすぐ夕方です。外に出てみると雲の合間から射す夕日が微笑んでいるみたいに優しく感じられました。真っ青な空に大きな動かない白い雲たち、その下に何かに登れば手が届きそうな位置に、小さな白い雲がこちらに向かってさーっと流れてきました。きっとさえりんがあの小さな雲に乗って上から私を見に来て、笑っているのかなと思えたのです。そうだよね、さえりん(さえりん8歳自宅前で妹と)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。ミヤちゃんさんへ素敵な本を本当にありがとうございました(*^▽^*)これから少しずつ本も読んで、外にも出て元気を取り戻そうと思っています!!焦らず心のままに、ゆっくりマイペースで進んでいけたらいいなって思います。宝ママさんへ私と宝ママさんは同じですね!!あっ、でも宝ママさんは仕事復帰してみえて私は仕事辞めた引きこもり主婦なので社会の役立たずなのですが・・・(;'∀')でも同志がいてくださることがどれ程、心強いかと感謝しています!!シャルルさんへシナモン一家のバルーン少し空気が抜けてきましたが、フワフワ浮かんでいます。さえりんの遺影がバルーンを見て笑っているように感じるんです(≧▽≦)このブログでシャルルさんと出会えたことをさえりんもすっごく喜んでいます!!なおみさんへ30日お見えになる予定だったんですね。主人も私もすごく残念に思っています。講演会もですが、折角なおみさんにお会いできるチャンスだったのに(>_<)いつかお会いできる日を楽しみにしています(^^♪娘によく頼んでおきます!!
2020年03月11日
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昨日は特に何にもない穏やかな一日だった。このところいろんなことがありすぎて、心穏やかではなかったから救われた気分だった。昨日は一日中ほとんど家に引き籠っていた。ボーっと過ごしたり、珍しく家に居た次女とのんびりおしゃべりをしたりテレビドラマを見たり。これからも毎日がこんな風だったらどんなにいいだろうかと思った。これからはじまるであろう裁判や交通事故の知りたくない辛い現実が待ち受ける前の、嵐の前の静けさなのかな??今コロナウイルスが騒がれて、マスクや手洗いうがい外出制限など報道されているけど、もし今さえりんが生きていたらどうだったんだろうって考えてしまった。さえりんは超潔癖症だった。外出から帰ると必ず手洗いうがい、手の消毒は必需品だった。あまりにもたくさん消毒液を使うので薬局で買ってはもったいなくてアマゾンの定期販売で毎月1ケース箱買いしていた。それでも足りなくなって薬局で買い足していたくらいです。家でも、職場にも携帯容器に入れて持ち歩かないと落ち着かなかった。ハンドソープも使いすぎて手が荒れて、固形の石鹸を毎日何度も使っていた。さえりんが生きていたら私は今頃、消毒液探しに奔走していただろう!!さえりんのためにどんなに遠くでも探しに行って買いあさっていたに違いない。きっと大変だと愚痴をこぼしていたかも知れないけれど、今こんな状態になるよりは10000倍幸せだったに違いありません!!さえりんは潔癖症なのに、就職してからは何故か毎年インフルエンザに罹った。学生の頃は殆ど病気も怪我もせず学校はほぼ皆勤賞だったのに、就職してからは年に数回、風邪やインフルエンザ休むことがあった。今、思えば余程仕事でストレスが溜まり、きつかったからだと思う。そんな思いに気付いてやれなかった母親で本当に申し訳なかったと思う。さえりん、ごめんね!!私もよくさえりんと一緒にインフルエンザに罹ったことを思い出す。パパと次女は絶対に移らなかったけど、さえりんと私は体質が似てるのかな??さえりんと私はインフルエンザ同志一緒に寝てたこともあるよね。熱があって真っ赤なほっぺのさえりん可愛かったなあー。だから去年の秋には2人で一緒に予防接種受けようねって約束してたよね。今頃はコロナウイルスに感染しないか2人で心配していたかも知れないね。さえりんは本当に大事な娘だったから、コロナ感染が心配で自転車はやめて毎日職場まで私が車で送り迎えしていたかも知れないね。私はすごく過保護で親バカだからね(;'∀')もしそうだったらどんなに幸せで楽しかったんだろうか??さえりんは嬉しそうな顔をして「ママいつもありがとう!大好き!!」ってきっと毎日言ってくれたよね。私も「可愛いさーちゃんのためなら喜んで何でもするよ!!」って言っただろう。こんな妄想が頭の中に広がっていた。あんな事故さえ無ければこれは妄想ではなく、当たり前の日常だったのに!!そう思うとまた悲しい現実に引き戻される・・・(>_<)昨日の晩ごはんは次女のリクエストで手作りのギョーザを作った。次女に「包むのを手伝ってよ!」って頼んだら「えーーー」って嫌がられた。(結局最後には手伝ってくれましたが)こんな時さえりんだったら嫌がらずに「OK任せて!!」って手伝ってくれたのになあって、さえりんがいたらギョーザ大好きでたくさん食べてくれたのになあ、ここにさえりんがいて欲しかったって、また思ってしまった・・・昨日はさえりんも一緒に家でのんびりしてギョーザ美味しいって食べてくれたよね。姿は見えなくても、ずーーっと一緒にいるんだよね!さえりん(さえりん8歳2ヵ月)(さえりん8歳の誕生日に)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年02月28日
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昨日は午前中から雨が降っていた。激しく降るわけでものく、シトシトと一日中降っていた。昨日は特に何もすることなく、次女の自動車学校の送り迎え以外は窓の外に降っている雨の音を聞きながらボーっとして過ごした。物置を片付けながら雛人形を出そうかと思っていたけどこんなお天気だし、何かする気力も無くなった。私はボーっとしながら、自分を振り返っていた。最近私の精神状態はあまり良いものではなかったなと思った。突然加害者からの連絡や手紙で感情は逆立っていて、検察での調書のための面談、生命のミニメッセージ展などなど私の心は攻撃的になったり、深い闇に落ちたり、決して穏やかではなかった。昨日はそんな私の心を落ち着かせるための雨だったのかな??冷静になって考えてみれば、私だって優良ドライバーとは言えない。免許だけは今はゴールドだけど、過去には事故を起こしたり、自損事故で愛車を廃車にしたこともある。スピード違反や、運転中に携帯電話をかけて捕まったことも、駐車違反で罰金を払ったこともある。免許をとって32年の間にはいろんなことがあったなと思う。私も娘がこんな事故に遭うまではそれほどの危機意識があったのだろうか??そしてこんな危なっかしい私でも、今まで人を殺すほどの加害者にならなかったのは、運が良かっただけなんだろうか??何かの力で守られていたからだろうか??娘の事が無ければ、もしかしたら事故の加害者になっていたのだろうか??さえりんはそんな私を守るために犠牲になってしまったのだろうか???果たしてこんな私に人を責める資格なんてあるのだろうか???ボーっとした頭でいろいろ考えが頭の中をグルグルめぐっている。雨のせいか、いつもなのかわからないけどやっぱりあまり前向きにはなれない。こんな日は読書でもしようかなと思い立ち先日、ミヤちゃんさんが送ってくれた本を手に取って、『夢でもいいから亡くなった人に会いたい』という本を読み始めた。「幸せになるために、がんばって生きている人に勇気をあたえること」「悟りという無の境地に至り、生きている人を大慈悲で見守ること」これが、仏となられた故人のあの世でやるべきお仕事です。だから私たちは、魂の故郷で故人と再び出会って一緒に過ごせるように、「天寿をまっとうするときが来るまで、幸せになるために今をがんばるから、向こうで待っていて」と言葉をかけてあげてください。と書かれていた。まだ最初の方しか読んでいないけど、さえりんもそうなのかな?あの世で私たちを見守るため無の境地に至る修業をしているのかな?って思った。今の私はまだまだ自分が幸せになるためになんて生きられないなあって思った。そして悟りの境地に至ったさえりんならどんな出来事も大慈悲で見守れるのかな??たとえ自分を轢いた加害者ですら許せる境地にまで達するのかな??って思った。今の私には到底無理ですが・・・だけど、こんなママでも一生懸命今できる事をし、天寿をまっとうしたらさえりんはあの世でちゃんと待っていてくれるのかなって、絶対に逢いたいって強く願っている!!そんなことを思いながら、ふと窓の外を見るといつの間にか夕方になっていて雨は上がり、空が明るくなっていた。きっとママの心が少しは落ち着いて穏やかになったからさえりんが微笑んでくれているのかな??って思えた。ミヤちゃんさんありがとうございます!!さえりんはホント凄いよ!!生きている時から、子供の頃は天使みたいに天真爛漫だったし、大人になってからはいつも家族を気遣ってくれる心優しい娘に。そして今はあの世でみんなを大慈悲で見守るための修業をしてるんだね。ママはさえりんがママの娘でいてくれたことを誇りに思うよ!!これからも迷えるママを正しい方向に導いてね!!ママはあなたのためなら、鬼にも蛇にも、仏の心にだってなる努力をするよ。(努力はするけどなれないかも知れないけど(;'∀'))いつかあの世で逢えるその日まで、頑張って生きていくからね。見守っててね、さえりん(小学2年生4月のさえりん)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年02月23日
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「お天道様に恥じない生き方をしなさい」これは祖母に教えられたこと。子供の頃、両親が共働きだったので私と妹と弟の3人は昼間毎日、祖母に面倒を見てもらった。私はお祖母ちゃんっ子で夜寝る時もいつも祖母と一緒だった。だから、祖母からたくさんの事を教わった。祖母は明治生まれの人で子供のころから片親で苦労して育ち戦争も乗り越え大変な思いもしながら、家族のため強く逞しく生きてきた。祖母の経験豊富な言葉は子供だった私の心にも深く響いたのです。「人間にとって一番大事なものは信用。 人は信用を無くしたらこの世では生きていけないんだよ」「今の状況から逃げても、結局また同じ状況に陥る。 人は嫌なことから逃げる事は出来ないようになっている。 それは人生が修業だから。修業を放棄したらまともな人間になれないよ」「お天道様に恥じない生き方をしなさい。 自分の胸に手を当てて耳を澄まして、良心に尋ねる事。 人に後ろ指を刺されるような、お天道様をまともに 仰げないような生き方だけはしてはいけないよ」祖母の教えは私の心の中にしっかりと根付き、それが生きる指針になっていた。私自身はその教えを守って健全に日向の道を生きてきたつもりだった。だからかわからないけど、今まで出会った方々はほとんど倫理的で素敵な方が多かったと思う。そして、今このブログを通して出会った方々も本当にお優しい立派な方々ばかりです。それなのに・・・突然奈落の底に突き落とされてから理不尽で到底納得なんてできない現実に悩み、苦しんでいる。どうして人は罪を犯すんだろうか??どうして人はついうっかりで簡単に人を殺してしまうんだろうか??どうして人は自分の犯した罪を正直に認めず、保身に走るんだろうか??どうして人は自分が幸せになれれば人を犠牲にしても構わないと 思うのだろうか??どうして人は信用を無くしても生きていけるなんて思うのだろうか??どうして人は悪いことやズルいことをしてもそれを恥ずかしいとも思わず 堂々と生きていくことが出来るんだろうか??どうして人は罪を犯しても自分の良心が痛まないんだろうか??今までの私には理解不能な現実が襲ってくる。私は、こんな酷い目にも、酷い人にも会ったことが無かったから、世間知らずで平和ボケでのうのうと生きていただけだったかも知れない。こんな過酷で厳しい現実を前に、私は未だどうしていいかわからない。いくら自分の胸に手を当てて良心に尋ねてみても、答えは見つからなかった。『絶対に加害者を許すことなんて出来ない!!』『だけど、加害者に復讐したり、一生恨み続けることも出来ない・・・』宙ぶらりんになった、祖母から教わった私の倫理観が今は自分を苦しめている。一層の事、私も相手と同じように非道な人間になってしまえば楽なのに・・・それでも、綺麗ごとだと笑われるかもしれないけど、やっぱり私は「お天道様に恥じない生き方をしたい!」と思ってしまうのです。その心が返って自分をズタズタに傷つけ苦しめる事になると分かっていても・・・それが馬鹿で間抜けでお人好しでも、さえママという人間なんだから仕方ないんです。だって私はいつまでも、さえりんの自慢のママでいたいから・・・いつかあの世に逝ったとき、正々堂々と胸を張ってさえりんと再会するのが、今の私の一番の夢なんだから・・・いつか「ママよく頑張ったね!!」って褒めてくれるかな?さーちゃん(小学校の入学式のさえりん)(6歳のさえりん 海にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。昨日は嬉しいことが3つあった!!1つ目はいつもさえりんを可愛いというコメントを頂戴するシャルルさんとはじめてお電話でお話する事が出来たこと!!緊張してあまりうまく話せなくてごめんなさい(;^ω^)でもとっても嬉しかったです(≧▽≦)これからもよろしくお願いします!!2つ目は、独身時代からの友人Hちゃんがまた我が家を訪ねて来てくれ、一緒にテイクアウトしたお惣菜を食べながら楽しい時間を過ごせたこと。Hちゃんの地元の名物のクルクルパンをたくさんお土産に頂き、三人文殊さんからいただいた文旦をHちゃんと一緒に頂きました。美味しかったです!!三人文殊さんご馳走様でした(*^▽^*)Hちゃん来てくれて嬉しかった!!ありがとうございました。(クルクルパン)3つ目は、「なおみさん」という方から二度目のコメントを頂きmeronさんに「なおみさん」のことを教えて頂いたこと。お会いできる日をとっても楽しみにしています(#^.^#)これからもどうかよろしくお願いいたします!!これも「お天道様に恥じない生き方をしたい」と願う私へのさえりんからのプレゼントなのかな
2020年02月07日
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昨日は午後から行くべきところがあったのに行けなかった。前の日から私の心はざわざわしていた。昨日も朝からずっと迷っていた。行こうか?やめようか?それはTAV被害者遺族の会。昨年10月はじめて参加した。その時はmeronさんに連れて行ってもらった。その時会の人に言われたことが「よくここまで辿り着いてよかった。この会の存在を調べて連絡を入れてきても当日来られない人も多いいんだよ」と。それだけ交通被害者遺族が一歩踏み出すのは困難で勇気がいる事なんだと知った。その頃の私は藁尾も掴む思いで感情も麻痺していたかもしれない。しかもmeronさんの存在が大きかった。だから行けたんだと思う。meronさんは私の師匠みたいな付いて行きたい人だから(≧▽≦)(迷惑だったらごめんなさい)でも今回はいつまでもmeronさんを頼ってばかりではいけないと思い、自分一人で行ってみようと思っていた。一度行ったんだから、2回目だから行けるような気がしていた。だけど昨日は朝から体が重く、気が重く、頭痛もしてきた。行けばきっといい方たちばかりだとはわかっていたけど、一歩踏み出す勇気がなかなか出なかった。またつい最近みたいにメンタルブレイクするかもと怖くなった。人見知りでメンタルの弱い自分に自己嫌悪した。まるで登校拒否の子供みたいだなって思った。それで昨日は珍しく家にいた次女とぼーっとドラマを見て過ごしてしまった。だけど次女がいてくれたことが何より救いだった。私は今まで後悔するような人生は送りたくないとずっと思っていた。だけど、さえりんを失ったあの日からは後悔の連続だった。どうしてあの時、もっとさえりんと話をしなかったんだろう??どうしてあの時、「ママは仕事が休みだよ」の一言が言えなかったんだろう??どうしてあの時、「お昼はママと一緒にお寿司を食べにこう」って言わなかったんだろう??そうしたら、こんな交通事故は起きなかった!そうしたら、さえりんは死なずに済んだ!!そうしたら、今頃今までと変わらない平穏で幸せな毎日だったのに!!!今日は被害者遺族の会へ行けなかった、ただそれだけなのに今までのやれなかった事の後悔がまた押し寄せてくる。不甲斐ないママでごめんね。さえりん。次女はこんな私を見て「まあそういう時もあるよ。それでもいいんだよ」と肯定してくれた。きっとさえりんも次女と同じことを言ってくれると思う。多分パパも。こんなダメな私だけど、優しい家族に恵まれて幸せだと思った。ありがとうみんな。(さえりん5歳の時)(三人文殊さんお供え物ありがとうございました!!)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年02月03日
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あの日からよく考えることは、あと何年したらさえりんに会えるんだろう??あと何年待てばさえりんのところに逝けるのか??あと何年経てばさえりんが迎えに来てくれるのかな??ってこと。こんなこというと早く死にたいみたいに聞こえるかも知れないけど自ら命を絶ったり自暴自棄になっているのではありません。そうではなくて自然に私の寿命がきてさえりんに会えるのが待ち遠しいのです。だから決して暗くて悲しい気持ちではなく、明るく前向きに考えているのです。私の寿命はあと何年なんだろう???次女に聞いてみた。「ママは大きい病気もしてるし、あちこち悪いところばかりだし、 お姉ちゃんにも早く会いたいから、最低あと何年は生きて欲しい??」と。そしたら次女は「最低あと20年!」と言った。「長いなあ。70歳と少しか、そんなに生きられるか自信ないなぁ」と私。次女は「私の理想は大学を卒業して2、3年働いて25歳くらいで結婚して子供は3人。子育ては大変だからその子供が少し大きくなって手がかからなくなるまでは、ママに相談もしたいし手伝ってほしい。だから最低でもあと20年は生きていてくれなきゃ困まるんだよ!もっともっと長生きしてもいいんだよ」と。自分の未来予想図をはにかみながら語ってくれた次女がとっても健気で可愛かった!!私は仏壇のさえりんに向かって「次女があと20年はママに生きていて欲しんだって。さーちゃんそっちに逝くのが遅くなってもいいかな??ママが逝くまで待っていてくれるかな??」って聞いてみた。遺影の中のさえりんがニコニコと優しく笑ってくれた。それは「うん、いいよ!」っていう意味なのか?「ママは欲張りだな。そんなに長く生きられないんだよ」っていう意味かな?それとも「ママの寿命が来るまで待ってるからね!」って言ったのかな?私の寿命がいつまでなのかわからない。さえりんを亡くした私は「早くさえりんに会いたい」「早く寿命がくればいいのに」って毎日毎日、想っていた。だけどこの頃は次女にも会えなくなることの寂しさや、残された次女がこれから母親の助けなしで生きていく大変さを思ったら、主人が私まで亡くして生きる気力を完全に無くしている姿を思い浮かべたら、もう少し生きていかなくっちゃと思うのです。あと何年??、何十年??生きられるかは誰にもわからない。もしかして、さえりんは知ってるのかな??知っていて優しく見守ってくれてるのかな??さえりんも本当はママに早く会いたいけど、今は我慢して妹にママを譲ってくれてるのかな??ママはさえりんのママだけど、次女のママでもある。だからあと何年かはわからないけど、今もこれからも片時もさえりんのこと想わないときはないけれど、次女がいつか結婚してもう大丈夫って安心して思い残すことがあまりなくなるまでは、まだ死ねないんだ。ごめんね、さえりん。寂しいかもしれないけど、もう少し待っててね。ママはさえりんに会える日をずーっと楽しみにしてるからね(12歳のさえりん 雪が降った日に自宅にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年01月28日
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私は昼間一人で過ごす時間、よく音楽をかけてブログを見たり書いたりカゴを作ったり没頭していることが多い。先日もYouTubeで音楽を聴いていたら、すごくいい曲が流れてきた。ふと手を止めて歌詞をよく見ると、これはまるで私とさえりんの事を歌っているように感じられて思わず涙がこぼれた。それはMISIAの「アイノカタチ」ドラマ「義母と娘のブルース」の主題歌だった歌。私も大好きなドラマで毎週欠かさず、年始のスペシャルドラマも見ました。ドラマを見ていたときは内容がとってもいいお話でこの曲と合っていて綾瀬はるかさんの演技に感動の余韻があって、だからあまり感じなかった。あらためて歌詞を見ながら歌に浸っていると、さえりんのことを想って、涙が流れてきた・・・「アイノカタチ」はみんなそれぞれ違う。私とさえりんのアイと、私と次女とのアイも違うと思う。だけど、このアイはたとえ遠く、あの世とこの世に分かれても絶対に途切れることはないと信じている!たとえ今までみたいに笑顔を見たり、おしゃべりしたり、触れたりできなくてカタチは変わってしまっても、離れてしまった分だけもっともっとアイは深くなり、強くなっていると信じたい!!アイノカタチ feat.HIDE(GReeeeN)MISIA作曲:GReeeeN作詞︰GReeeeNあのね いつの間にか 気づいたんだ 愛に もし カタチがあって それがすでに わたしの胸に はまってたなら きっとずっと 今日よりもっと あなたのことを知るたびに そのカタチはもう あなたじゃなきゃ きっと隙間を作ってしまうねあのね 大好きだよ あなたが心の中で 広がってくたび愛が 溢れ 涙こぼれるんだこれから沢山の 泣き笑いを 知るたびに増えていくの飛び出たとこ へこんだとこ 二人になってく時にぶつかり すり減って そして また 埋めあっていけばいい大好きなあなたが そばにいないときに ほら 胸が痛くなって あなたのカタチ 見える 気がしたんだあのね 大好きだよ何万回も 伝えよう 温かく増えた想いは全部 アイノカタチですずっと ずっと 大好きだよ あなたが心の中で 広がってくたび愛が 溢れ 涙こぼれるんだ星の数ほどの中 ただ一人のあなたが 心にいるんだ あのね あのね ずっと 大好きだよ大好きだよ ああ ありがとうさえりんずっとずーっと大好きだよ(さえりん9歳 モリコロパーク(愛・地球博跡地)にて)(モリコロパーク内のサツキとメイの家にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年01月27日
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私は昔から目には見えない不思議な力が欲しかった。霊感、予感、第六感、気付き、危険予知能力などなど・・・しかし全くの凡人の私には何も無い。小さい頃から、テレビ番組で霊能者が亡くなった人の遺志を伝えたり、行方不明者の居所を見つけたり、九死に一生を得たスペシャル番組などを見ては、私にもそんな人と違った能力があったらいいのにって思っていた。その想いは密かな憧れになり、大人になってからは心の奥底に沈めて日々の忙しさに追われていた。だけど娘を突然亡くした私は、またそんな思いが強くなっている。もし私にそんな危険予知能力があったのなら、絶対にさえりんを死なせたりしなかったのに・・・この日は自転車で仕事に行ってはダメだと車で私が送り迎えするか仕事は休ませたのに・・・そんな思いが次々に後悔となって湧き起こる。でも残念ながら凡人の私にはそんな能力はなく、さえりんを九死に一生から救ってあげられなかった・・・嫌な予感も、第六感も、気付きも何も働かなかった・・・そして、もし今私に霊感があればさえりんの姿が見えたり声が聞こえたり、遺志の疎通が出来るのに・・・残念ながら凡人の私は何も感じてあげられない・・・でも、たまに不思議なことがある。・昨日も朝開けたはずのさえりんの部屋のドアが閉まっていた。・ときどきガタガタ音が聞こえる。・私がパソコンに向かっているとリビングのドアがスーッと開く時がある。・ブログを書いていると完成真直に全部消えてしまうことがある。多分これは偶然と勘違いによるものだとはわかっている。・さえりんの部屋のドアは私が掃除機をかけたときなどに無意識に閉めている。・ガタガタ音は犬か外の音。・リビングのドアは換気のため窓を開けているから空気の流れで。・ブログ消えたのは単なる操作ミス。たとえ勘違いだと分かっていても私は信じたいんです!さえりんが家にいて私にメッセージを送っているんだと!だからガタガタ音がしたり、ドアが開くとつい「さーちゃんお帰り!」って言ってしまう。パソコン操作のミスで打った文字が消えたら、これはさえりんが書いてほしくないのかなって思ってしまう。私は霊感なんて全くないけど、今まで怖いから幽霊なんて見たくないって思っていたけど、今は霊感が欲しかったと思う。たとえ幽霊でもいいからさえりんに会いたいから・・・私の妹は少し霊感があるらしく、時どき亡くなった父や祖父が夢枕で何か訴えているらしい。今は妹が羨ましいと思う。どうしたらそんな能力が備わるのかな??何か修業がいるのかな??それとももともと生まれ持った能力なのかな??以前古本屋で、「あの世とホットラインが繋がり亡くなった人のメッセージが受け取れる」という本を買って縋る様に読んだ。だけど、全然ダメだった・・・私にはそんな才能がなかったのだ・・・私は悲しいただの凡人だった・・・でも思ったのは、たとえ姿が見えずや声が聞こえなくてもさえりんとは絶対に繋がっているんだと信じること。たとえ勘違いでもいいから、さえりんはいつも私の側にいるんだと信じて疑わないこと。毎日仏壇やお墓に手を合わせ「今日もさえりんをよろしくお願いします!次女も無事に帰って来れるように見守って下さい!」と念じること。本当かウソかなんて誰にもわからない。目には見えない不思議な力が存在するかどうかもわからない。だけど、信じる者は救われると私は思いたい!神も仏も信じないと心底思った無礼者の私だけど、娘との絆だけは決して切れることなく、親子の愛は永遠に繋がっているんだと信じたい!!私はそうでなくては生きる気力も意味も無くしてしまうから・・・(さえりん6歳の時 ラグーナ蒲郡(現・ラグーナテンボス)にて)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年01月25日
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昨日は一日中しとしと雨が降っていた。私は特に何もやる気がなくボーっとしていた。午前中昔の私の仲間だった人が3人来てくれて30分くらい話して帰って行かれた。「もう7ヵ月だね」と言われたが、私には「もう」なのか「まだ」なのかよくわからなくなっていた。昨日は特に何も感じない静かな雨の日・・・先日ニュースでこんなことを聞いた。「愛知県は昨年何十年ぶりに、交通死亡事故ワーストワンではなくなった。しかし、1月からまた交通死亡事故は増え続けている」と。「(* ̄- ̄)ふ~ん」私の心はかなり冷めていた。一生懸命に仕事をされている警察の方々には大変申し訳ないんですが、私からしたら「だから・・・」「それで・・・」と思ってしまうのです!交通死亡事故といっても、それは24時間以内に亡くなった人の数。さえりんは即死なので該当する。病院に運ばれ医学の力で24時間以上生存させれば数にははいらない。だから、ワーストワンが奪還した、死亡者が減ったと言われても交通事故そのものが減ったわけではない!!そんなことを素直に喜べるほど人間が出来ていない私なんです!!その証拠に昨年は減ったと喜んでいても、1月からまた増え続けているようでは本末転倒ともいえるのではないでしょうか??そして、私のように悲しみに断崖で途方に暮れている家族は決して減ることはない現実。どうしたら交通事故事体を減らすことが出来るのか!どうしたら横断歩道は安全な場所になるのか!どうしたらこんな悲しい被害者や遺族を減らすことが出来るのか!どうしたら運転者の危機意識を高めることが出来るのか!どうしたら人々が安心して笑って暮らせる社会になれるのか!もっともっと真剣に考え、急いで対策を実施していただきたいんです!!さえりんのような被害者はもう出さないでもらいたいんです!!!こんなことをなんの力もない一主婦が叫んでも誰も聞いてはもらえない。「面倒くさい、うるさいおばさんだな」と怪訝に思われるだけである。だけど、もし自分がある日突然交通事故に遭ったら!もし家族や大事な人がこんな目にあったら!もし自分や家族が加害者になってしまったら!もし誰かの命を自分のせいで奪ってしまったら!そんなふうにちょっとだけ想像力を広げてみて下さい!!決して、自分には関係ない、他人事だと簡単に片付けられるでしょうか??だって明日何が起こるのか人間には誰にもわからないんですから。明日は我が身の可能性は誰にだってあるのですから・・・娘の交通死亡事故から7ヵ月、延び延びに感じられる刑事裁判はまだ水面下でくすぶっている。N弁護士からのメールだと多分もう検察官の調べは終わり、加害者が検察に呼び出されているはず。それで私たち被害者遺族も呼び出されるのか?不起訴や略式起訴で簡単に片付けられてしまうのか??検察官の腹次第なのである。多分、前例や地域性が考慮されて決まるのだと。愛知県は車王国!車の所有台数も全国トップレベル。なんせ天下のトヨタ自動車のお膝元。私に言わせればまた「だから・・・」「それで・・・」である。そんな理由で理不尽に娘の命を奪われた罪が軽く、簡単に済まされてしまうのなら私は決して許さない!!親として死ぬ気で戦う覚悟です!!こんな憂鬱な雨のせいだろうか、何もする気になれず、深い憤りだけが強く感じられる。(お寺に咲いていた花)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年01月24日
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時どき「親孝行って何だろう??」って思うことがある。私自身はあまり親孝行な娘だとは思っていない。それどころか、もし親に心配をかけないことが親孝行なのだとしたら、いくつになっても心配ばかりかけている私は大の親不孝である。昨日は実家の母に頼まれて、母と一緒に市役所と税務署と農協に行った。母はまだ少し足を引きずって腰を曲げてすごいおばあさんみたいな歩き方をしていた。母は「少しは動けるようになったけど、足の痛みがなかなか治らないの。危ないからバイクに乗れなくて、頼んじゃってごめんね」と遠慮がちに言った。私は「まだ仕事もしていないし、毎日暇だから全然大丈夫だよ」と身軽に動けることが良かったなと思った。親不孝娘の私が母に出来る事はこんなことぐらいだから。本当の親孝行って何だろう??何かを買ってあげること??旅行に連れってあげること??おこずかいを渡すこと??美味しいものを一緒に食べたり、話を聞くこと??それとも、親より先に死なないこと??よく親より先に死ぬことは親不孝だと聞いたことがある。さえりんのお通夜の時、夜遅くお参りに来てくださった高校の時の同級生のお母さんがこんなことを言われた。「さえちゃんお母さんより先に死んじゃうのは親不孝だよ!! もっと長生きしてお母さんを喜ばせてあげて欲しかった」と。そのお母さんが、私のためにそう言ってくれたのはよくわかった。でも私は「さえりんだって死にたくてこんなに早く死んだんじゃない!!本当はもっともっと長生きして親を楽させてあげたかったに違いないのに!!」って心の中で、さえりんの悔しさがたまらなく辛かった・・・さえりんは決して親不孝な娘なんかじゃない!!家族が大好きで、いつも私の体を気遣ってくれた心優しい娘なんです!!また別の方はお通夜の時、私にこう言われた。「娘さんが家中の不幸を全部背負って逝ってくれたんだから、 とっても親孝行な娘さんだよ」と。そう聞いたときの私の心は、さらに悲しみ辛さが倍増した・・・さえりんは私たち家族の犠牲になってこんな最後を遂げてしまったのかと・・・私は娘の犠牲の上で幸せになっても嬉しいことなんて何一つない!!だったら私が犠牲になったほうがよっぽどましだ!!そんなの親孝行でも何でもない!!と、相手は私を慰めようとして言ってくれたと思うのに、その時の私は素直にその言葉を受け取ることなんて出来なかった。親孝行、それは親子それぞれの思い方次第なのかな??戦争中、日本の国や親兄弟、妻子、家族を守るために大勢の方々が戦場で命を落とされた。それは愛する者のため、自らが犠牲となられた。これは親より先に逝ってしまって親不孝にあたるのだろうか??それともその犠牲の上で平和が訪れ、親孝行したのだろうか??親孝行がますますわからなくなってきた・・・でもひとつだけ確かなことは、さえりんは親不幸なんかじゃない!!誰が何と言おうと、さえりんは親孝行な最高の私の娘なんです!!私はそう思っている!!お通夜や葬儀の時、その後もたくさんの方が私たち家族を心配していろいろとお言葉を下さった。でもどれも私の心には響かなかった。きっとあの時はどんな言葉も心を慰めることなんて出来なかったけど、あれから7ヵ月経って、ブログを通して皆さんからたくさん励まされて今の私の心境なら、きっとこういう言葉がしっくりくるような気がする。「さえりんと私たち家族は、あの世とこの世に遠く離れてしまっても お互い信じあって絆を繋いでいけるかどうかの新たなステージへ 挑戦し始めたんだ!!」と。そうだよね!さえりんご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。ミヤちゃんさんへこういう心境なのは少しは前進してるからということなんですね。そうですね。私はさえりんのこと忘れることなんてないから大丈夫ですね。meronさんにも言われましたが「大丈夫」と言われると安心します!!いつかさえりん師匠と一体感になれたら弟子として最高ですね💛ありがとうございました(*^▽^*)宝ママさんへお仕事お忙しくて大変ですね。忙しいのは気が紛れていいような気もしますが、私の場合以前は心を無くし、体もボロボロでいいことはありませんでした。それで、今は娘の事だけ考えてまったりとさせてもらっています。これがいいのか良くないのかはわかりません。さえりんと一緒に居たいただそれだけです。変な影響してたらごめんなさい(≧▽≦)Jamoniaさんへ生命のメッセージ展のこと知って下さってありがとうございます!!私もまだ一度だけ東京の生命のミュージアムへmeronさんに連れて行ってもらっただけなので、知らないことばかりです。でも今の私には希望の光に見えるのです。皆さんに励まされ与えられてばかりですが、少しでも誰かに何かを与えられるような人になれたら幸せです(#^.^#)
2020年01月21日
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昨日と一昨日は雪がチラついた地域もあったそうですが、私の住む地域は比較的暖かく穏やかなお天気だった。我が家の次女はこの土日は珍しく家でテスト勉強していた。来週行われるテストが無事終われば長い春休みがくるようで、そのためのラストスパートを頑張っていた。私はいつもと変わらず午前中はブログの訪問、11時頃からお墓参りとお買い物、午後からはカゴ作りとブログ訪問、午後4時頃から翌日のブログ書き、またその後カゴ作りと家事。いつものルーチンワーク。でもこの2日間は2階のリビングのテーブルでパソコンやカゴ作りに向かう私の左前にはこたつで勉強する次女の姿が見える。教科書をブツブツ口ずさみながら読んだり、ノートに書いたり、勉強する次女の様子を時どき見ながら、まだ少しあどけなさが残る顔も可愛いなあって微笑ましく思える。お昼過ぎ次女が「ちょっと気晴らしに散歩でも行こうよ」と言ったので、久しぶりに少しだけ2人で近所を30分くらい散歩した。閉店した次女のバイト先だったラーメン屋を横目に見ながら国道わきを入ると地元の神社の隣の公園にツバキが綺麗に咲いていた。次女が「昔は神社にニワトリがたくさんいたけど今はいないね」と言った。公園の中をゆっくり歩きながら私は、昔そのニワトリをさえりんがいつも楽しそうに追いかけまわしていた姿を思い出していた。そして今はあの頃のさえりんもニワトリもいない・・・あるのはあの時と変わらない神社と公園と穏やかに降り注ぐ日差しだけ。それが妙にもの悲しく想え、でもこうしてこんな穏やかな日曜日の午後に次女と2人で散歩していて幸せだなと感じる自分もいる。とっても不思議で複雑な気持ちになった。その時ふと、こうやってさえりんの事がいつの間にかどんどん思い出になっていくのかなって恐怖感を覚えた。さえりんがいなくなって7ヵ月。いつまで経っても悲しみが癒えることなんて絶対にないのに一日一日あの日から遠ざかって過ぎ去っていく毎日に慣れてしまいいつの間にか過去のことになっちゃうのかな??さえりんがいない現実が当たり前になっていくことが怖いと思った。さえりんの事を想わない日なんてありえないのに、それがどんどん思い出に変わり、私の心の奥底にしまわれてしまったらさえりんが可哀そうだと思った。だってさえりんは今も私と共に現在を生きているはずなんだから・・・姿が見えない、しゃべれないだけで、いつも一緒にいるんだから・・・あらためて自分にそう言い聞かせていることに少し悲しくなった。さえりんごめんね!ママは決してさえりんを忘れたり思い出にしたいわけじゃないんだよ。でも、もう7ヵ月も会えない現実が辛くて心がちょっと麻痺してきたのかな??あの世とこの世の隔たりが限りなく果てしなくてつい、今、目の前にある現実に身をゆだねたくなる。こんなママだけど許してね・・・それでもさえりんのこと、片時も忘れないからね!!さえりんママからのメッセージ届いてる??ママのブログ毎日読んでる??次女は「親の書いた文章なんて恥ずかしいから読まない」んだって、まあいいけどね。内緒で次女の事書いたり、写真載せたりしてるから。これはさえりんへ向けてのメッセージなんだからね。ママとさえりんとの絆だからね。(パパもだけど(*^。^*))ママの心模様も日々いろんな時があるけれど「さえりんへの愛」だけは決して変わることなくずーっとここにあるからね(近所の神社隣の公園のツバキ)(6月には菖蒲が咲く公園になっている)(公園内を歩いている次女)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年01月20日
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私は最近よく「生きることと、死んでゆくこと」の意味を考えてしまう。昨日1月17日は阪神淡路大震災から25年の日。本当に大勢の方が犠牲になられご冥福をお祈り申し上げます。当時20代中半だった私はニュースの中の大惨事の光景を見ながら、地震の恐ろしさと共に、多分こう思ったのだと思う。「人は一寸先のことは誰にもわからない。だから今を後悔のないように生きていかなければ」と。そして今から11年前の1月17日、実家の父が亡くなった。父は胃ガンで見つかった時は末期で転移が広がり手術も出来ない状態で余命半年、よくもって1年だと宣告されていた。父は当初治療はしない「命は自然に任せる」と言い抗がん剤もしなかった。母の意向もあり途中で少し治療はしたけど、父は自分の力で1年4ヵ月生きた。そして自分の誕生日1月14日の3日後の17日に静かに息を引き取った。母は病院ではなく最後は自宅で父を看取った。その日の早朝私の携帯に母から電話が入った。「お父さんの容体が・・・すぐに来なさい」と。私はその2日前実家に行き父の様子を見て少ししゃべって握手をして帰ってきた。その時はいつもと変わらず笑顔だったのにと思った。急いで主人と娘たちを起こして支度をし実家へ着いたとき、父は近所の主治医に心臓マッサージをされていた。弟たちも交代で。当時10歳のさえりんは怖かったのか2階の弟の部屋のこたつに潜って隠れた。当時8歳の次女はお祖父ちゃんの手を握り最後を見送った。その時の光景が今も忘れられない。父の通夜は自宅で行い、二間続きの和室では足らず台所まで座る場がないほどいっぱいの近所の方々がお参りに来てくださった。印象深かったのは近所の小学生の男の子たちが何人も親と一緒に父とのお別れに来てくれたこと。みんな礼儀正しく父に手を合わせて、口々に「川で釣りを教えてもらった。優しいおじさんだった。ありがとう!」と目に涙を浮かべていた。父は子供たちから「釣りの師匠、川のおじさん」と呼ばれて親しまれていた。父にこんなに小さなお友達がたくさんいたことが驚きだった。その時私が思ったことは「人はどれだけ長く生きるのかではなく、どう生きるのかが大事なんだ!」ということを父から教わった。それから10年後、突然のさえりんの死・・・私はあらためて「生きることと、死んでゆくこと」の意味を考えている。人は何のために生きていくんだろう・・・人は何のために死んでいくんだろう・・・人の寿命は生まれたときから決まっていたのだろうか???こうなる運命だったのだろうか???人の運命は誰が決めたのか???運命を変えることは出来なかったんだろうか???私の頭の中はまた答えの出ない問で押しつぶされそうになる。でも一つだけ分かったことがある。それは父も、さえりんも時間は短かったけど、生きていた証はちゃんとしっかり残っている。短い人生を精一杯生きて、私たちの心の中に大事なものをたくさんたくさん残してくれたのである。それが父が、さえりんが生きていた意味だと思う。だからこそ、かけがえのない尊い人生だったのです。それは他の人も同じだと思う。阪神淡路大震災で、東日本大震災で亡くなられた大勢の方々も理不尽に命を奪われたメッセンジャー達も、病気の方も、事故の方も、残されたご家族やお友達の心の中に大切なものをたくさんたくさん残して行かれた、意味のあるかけがえのない尊い人生だったのだと。私にはまだまだここまでしかこの「生きることと、死んでいくこと」の意味がわからない。生きることの意味は何となくわかる気がするが、死んでゆくことの意味、なぜ死ななければいけないのかは、きっと死ぬまで本当の答えはわからないんだと思う。でも私が最後を迎えたとき、この答えがきっとわかるのだろう。迎えに来てくれたさえりんが優しく教えてくれるのかもしれない。そして私も、さえりんや父のように誰かの心の中に、私が確かにこの世に生きていた証や、意味を残して逝けたら、どんなに幸せだろうと思うのです。(入院している父のお見舞いに行ったとき。10歳のさえりんと私の妹と父)(病院の外でいとこ同士5人で)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年01月18日
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昨日仕事が休みだった主人が、私に言った。「お前最近よく俺を触ってくるなあ。昔はそんなことあまりなかったのに。 俺をさえりんの代わりにしてるんだろう!」と。私は無意識だったから言われてはじめて気が付いた。そういえば最近通りすがりや、ソファでテレビを見てる時、夜寝る時など、私は主人の腕や足やお腹や胸をよく触っているような気がする。私、急にボディタッチが増えた原因はどうしてだろうって考えた。確かに主人とさえりんは体質や体系や顔がよく似ている。男と女の子の違いはあるけど、肉の付き方やふわっと柔らかい感じも似てる。だから主人をさえりんの代わりにしてるのだろうか??さえりんも小さい頃ならいつもぎゅっと抱きしめたり、手を握ったり繋いだりしていたけれど、大きくなってからはさえりんの方から嫌がって拒むようになっていた。当然である、親離れの時期だから。そうならないほうがおかしいのだから。特に高校生以降は潔癖症が酷くなり、手を触られるのも嫌がった。だから、さえりんの代わりにボディタッチしたくなってるのかな??でも、簡単にそうだとは言い切れない気がする。だってさえりんが生きていた頃だって、昔みたいにはさえりんにボディータッチなんてさせてもらえなかったんだから。さえりんに触れたのは、私をマッサージしてくれる時くらいだった。私は毎朝次女を最寄り駅まで車で送っている。歩いても10分くらいの距離なのに、坂を上がるのがキツイからとか、時間がないからという理由で頼んでくるので、甘いかなとは思いながら頼って来られる嬉しさもあってつい甘やかしてしまっていた。それが、今では当たり前になってしまっている・・・(;'∀')毎朝次女を駅の改札口近くで車から降ろすとき、私は次女に「気を付けていってらっしゃい」と手を出して握手を求める。次女は急いでいて面倒くさそうに「ハイハイ」と私の手をチョンと触れる程度で「いってきます」と言って、さっと降りて行ってしまう。私は次女が改札口を入って人ごみの中に消えて見えなくなるまで車の中から見送っている。心の中で「どうか次女が無事に帰ってきますように!」と願いながら・・・そして、家に帰り今度は主人が仕事に出勤するときも、車に乗り込む主人に握手しながら「いってらっしゃーい」と角を曲がり車が見えなくなるまで手を振っている。一見すごくいい奥さんに見えるが、決してそうではない。主人のお見送りは子育ての会で教わり形だけは昔からしていたけど、心はどうだったのかよく覚えていない。ただ今は心から「どうか無事に帰って来てください!!」と願っている。主人にも次女にも毎日毎日、強くそう願っている。「どうかどうか何事もなく無事に家に帰れますように!!」と。「いってきます」と元気に家を出た娘が「ただいま」と二度と家に帰って来ない・・・もうあの時みたいに、さえりんの時のように、砂を噛むような悔しくて苦い、死ぬほどの後悔は二度としたくないから・・・きっとこれが最近私がやたらとボディタッチをしたくなる原因だと分かった。大事な家族にもう二度と触れられなくなってしまうのが怖いから、誰だっていつどこでどうなるのか先のことはわからないから、もう後悔はしたくないという恐怖感が物凄く強くなっているんだと。私が心に受けた傷は目には見えないけれどあまりにも大きくて、それが原因になっているのだと気付いた。だから主人には迷惑かもしれないけど、ごめんなさい(>_<)次女には呆れられ拒まれちゃうけど・・・(;'∀')でも、さえりんの事が原因ではあるけれど、ボディタッチするのは決してさえりんの代わりにしているわけではないんです。さえりんが私に教えてくれたから。今生きている事への感謝と、大切な家族には大切だと、言葉や態度で思ったときに伝えないといけないんだと。さえりんありがとう(11歳のさえりん 家族でサンリオピューロランドに行ったとき)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年01月16日
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娘、さえりんが残してくれたものはまだまだたくさんある。さえりんは本当にたくさんのカゴを作った。自分で考えて寸法を決めて、作り方まで残して。自分のためではなく人にあげて喜んでもらうために・・・たかが小さなクラフトのカゴだけれど、尊いさえりんの分身なんです。何十個、何百個作ったんだろうか??今、家に残っていたのは数えてみたら33個。さえりんの思いがこもった、魂がこもった貴重で大切な大切な形見・・・あとほとんどはさえりんが私の友達や仲間にプレゼントしてくれた。ボランティア活動の会のバザーで販売して会の活動資金へと寄付したり、母の日や敬老の日にカゴに中にお菓子を詰めて会のみんなにプレゼントした。さえりんの気持ちのこもったたくさんの分身たちは、今もさえりんを知っている人たちのもとで生きている。そんな気がするのです。そう思いたいんです!!それがさえりんが確かにこの世に生きていた証だから・・・私は今、さえりんの分身をもっともっと全国に増やそうと大きな野望を持って、その夢があるから心病まずに生きている。最初は泣きながら作っていたカゴが今では泣かずに楽しく作れる。でも不器用で遅いから一日1個完成するかどうかのペース。しかも出来栄えも歪んでいたり、まだまだ上手とは言えない・・・こんなで全国になんて何十年かかることか・・・(;'∀')それでも、いいんです!このブログを見たり、理解してくださる方の元にいつか届いたら。いつかメッセンジャーになった、さえりんと一緒に全国へ。そして交通死亡事故が少しでも減る社会へと願いを込めて・・・それが今の私に出来るささやかな願いであり、生きる希望なんです。これがさえりんが私に残してくれたもの。さえりんの人を想う暖かい心、平和を願う心、感謝の気持ちを受け継いでいくことが、今の私を支えてくれている原動力。ママには聞こえるから。さえりんが「ママ頑張って!!」って言っている声が(さえりんが作った分身のカゴ33個)(私が作ったカゴ74個とコースター30個 もう少しで大きい箱に4段でいっぱいになる)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。宝ママさんへ三連休中、お仕事お疲れ様でした!!宝ママさんは凄いですね(*^^*)頑張って働くお母さんの姿は、娘さんも誇らしく応援してると思います。レモンケーキ作られたんですね。娘さんきっと味わっていますよ!!絶対に想いは娘に届いていると信じていなければ生きる希望がありませんね。私も娘の遺志を継ぐ姿を、娘が喜んでくれると信じて生きていきたいです!!ミヤちゃんさんへ実は私もさえりんのものが使えるかと言われたら、多分無理です(;^ω^)今も歯ブラシや歯磨き粉専用のコップなど、捨てることも使うことも出来ずそのまま置いてあります。主人に、私が年末に廊下にワックスをかけたので今まであったさえりんの足跡が消えたと言われ、しまった(;'∀')と後悔した。私達はそのくらいさえりんの形跡を今も大事に想っているんです!!シャルルさんへ亡き妹さんのこと「私の心の一部になりました」と言われるシャルルは本当に素晴らしい方ですね。どうかお母様を大切に、妹さんのことを語り合われれば、妹さんはいつもでもお二人の心の中で生きていられますね!喜んでみえますね!さえりんもいつもでも家族の中で、たくさんの人の中で生かしてあげたいです!『さえりんの部屋』へ来ていただけたこと、心から感謝いたします!!Jamoniaさんへブログの件、大変失礼いたしました(>_<)よくわかっていない私です。奥様を亡くされてみえたんですね。変なこと聞いてしまいごめんなさい。さえりんのこと知っていただき、本当に嬉しいです!!またお一人の方の心の中で娘は生きているんだと実感できるから。共感してくださる方の存在は本当に私の励みです!!これからもまた、時々コメント下さったら凄く有難いです(≧▽≦)どうかよろしくお願いいたします!!
2020年01月15日
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昨日母(姑)が自分の部屋のブルーレイレコーダーが動かなくなったと仕事中の主人に電話をかけていた。主人から指示されたことをやってみたけど全然ダメで「壊れちゃったかもしれない」と私に言って来た。「主人は家に帰ったら見てあげるから」と言ったそうですが、母は心配していた。母は一日の殆どを部屋でテレビや録画したBVDを見ながら過ごしているので使えなくなってしまうとすごく困るのである。私は思わず「だったらさえりんのを使ったらいいですよ」と言った。すると母は「それは出来ない。だってさえちゃんが可哀そうだから」と突然泣きながら言った。私は母に申し訳ないこと言っちゃったと反省しましたが、でもさえりんならきっとこう言うだろうと思う、「あーちゃん使っていいよ!あーちゃんんにあげるよ!!大事にしてね」って。さえりんはそういう優しい娘だから、きっと自分がもう使えなくなったものを家族が喜んで使ってくれたら、自分も嬉しいって思うような娘だから・・・さえりんの部屋にはまだ一年しか使っていない43インチのテレビとブルーレイレコーダーと任天堂スイッチとソファがあります。一昨年の5月、それまで2階のリビングのテレビやDVDデコーダーを占領していたさえりんに自分のお金で買って自分の部屋に置いたらと提案して、主人と私とさえりんで部屋を片付け模様替えして、電気屋さんと家具屋さんに買い物に行って主人がセッティングした。さえりんは主人と私に勧められるまますぐに選んで、でもひとつだけ任天堂スイッチが欲しいなってはにかみながら言い、一緒に買った。それから一年間一度も使わなかった日がないほど、毎日毎日さえりんの相棒だった電化製品やゲーム機やソファたち。今では持ち主が帰って来ない寂しさで静まり返っている。使ってあげたらきっとさえりんも機械も喜ぶだろうと、今なら思えるのです。夜、主人か帰って来て母のデコーダーを見たら設定が解除されてしまっただけで、壊れてはいなかった。主人に設定やりなおしてもらったら使えた。本当に良かった。母もホッとしたと思う。母は「さえちゃんがいつも履いていた私のサンダルもう壊れて使えなくなっちゃったけど、捨てられないでいる」と言う。「だってさえちゃんの思い出がいっぱい詰まってるから、もったいなくて」と。母はいつまでもさえりんの事を大切に、思い出までも大切に想って下さることが有難いと思う。さえりんが残したもの、私たちの心に残してくれたものは本当にたくさんたくさんある。私は、私たち家族は、いつまでもいつまで経ってもずーっと大事にしていこうと心に決めている。(私がタイルでデコレーションしたさえりんの写真立て まだ写真が入っていない)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。ミヤちゃんさんへさえりんの気持ちになったコメントありがとうございました!!本当にさえりんはそう思ってたのかなと感じました。コメント見てたら泣けました・・・(>_<)やっぱり親子の愛はあの世とこの世に分かれても、いつまでも絶対に繋がっているんだと信じたいです!!ミヤちゃんさんのお母様も一緒ですよ。きっと!!シャルルさんへコメントありがとうございました。娘さんのいいお話聞かせていただきありがとうございました!!私は名古屋市の郊外の三河地域の小さな市に住んでいます。小さいながら名鉄本線の特急電車が必ず止まる市です。田舎ですが生活には困りません。さえりんも生まれ育った大好きな市でした。
2020年01月14日
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昨日は午前中からしとしとと穏やかな雨が降っていました。朝Oさんから「一昨日は美容院は休みだったが午後から出かけていてメールにも気づかなかったと」メールが来た。私はOさんに「渡したいものがあります」とメールすると「午後ならいいよ」とお返事が。「雨なので、私がご自宅まで持って行きます」と言ったんですが、Oさんはとってもお元気で、合羽を着て身軽に自転車で午後から我が家に来てくださった。Oさんはさえりんのお土産に焼き芋を持って来てくださり、お参りしてくれた。私はお忙しいのに呼びつけてしまって申し訳なかったなと思いながら、シクラメンを渡すとOさんは「可愛い色だね。お店(美容院)に飾るね!!」と喜んでくださった。Oさんの笑顔に私も嬉しくなった。そしてこんな雨の日でも、快く来てくださったOさんに感謝した。私の心は少し和んだ。昨日は、主人が思いがけず午後3時半頃に仕事から帰ってきた。早退の理由はあまり聞かなかったけど、主人もいろいろと思うところがあるに違いないとわかっている。だから、私は何も言わないでいる。主人がいつも悲しみに耐えながら、家族を養うために頑張って働いてくれてることをわかっているから・・・1階では父が誰か知人に電話をかけていた。内容はよくわからなかったけど、聞こえてきた言葉は「いるべき人がいない寂しさにやりきれない。順番なら仕方ないがあんなに若いのにどうしていなくならなきゃいけないんだ。時間が経つほどに辛さが込み上げるんだ」と誰かに話していた。父は秋ごろから、さえりんの遺骨を小さな骨箱に入れて1階の仏壇に供えて、さえりんの遺骨を少しお守りにの中に入れてペンダントにして身に着けている。私もいつかはソウルジュエリーを買ってもらいさえりんの骨を身に着けたいと思ってはいるけれど、今はまだとてもじゃないけど、怖くてできないでいる。まだまださえりんがいなくなった現実を遺骨として突き付けられたら耐えられないんです。その気持ちは母も一緒だった。昨日の穏やかな雨降りに家族それぞれ思うことはやっぱりさえりんが何故ここにいないのか???どうしてこんなことになったのか???その疑問は一生解決することなく、私たちの心を蝕むのです。こんな穏やかな雨の日だからこそ、さえりんを想って、辛くなってしまう家族もいるんです。殆どの人は知らない、この世界の片隅で・・・(10歳のさえりん 穏やかな雨の日に・・・)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。ミヤちゃんさんへ先日のコメント、本当にそうだなって参考になりました!!私だって人から見たら一見幸せそうな主婦に見えるかもしれない。だから人を見た目だけで判断して、羨ましがってはいけないんだって思えました!心の中の辛さや苦しみは誰にも言えず黙って抱えて、それでも明るく振舞ってみえる人も、世の中には大勢いらっしゃるんだと思えました。どうしても自分が一番不幸だみたいな感覚になっちゃうんですよね(;^ω^)だから心を閉ざさず、なるべく開いていこうと思うことが出来ました!!宝ママさんへはちみつ漬けの残ったレモンの使い方、ありがとうございました!!早速、バターを買って来て今から作ってみようと思います(#^.^#)パウンドケーキ!!ドライフルーツの代わりに煮詰めて柔らかくしたはちみつ漬けのレモンを刻んで入れて焼いてみようと思います。パウンドケーキの上に輪切りのレモンをそのまま飾ってみようかな。私がケーキ焼くのは何年ぶりだったかなって、娘たちがまだ小さい時に一緒に作った頃がとっても懐かしくなりました(>_<)レモンのパウンドケーキ焼けました!!でも飾りのレモンの違えて裏に付けちゃった(≧▽≦)レモンの爽やかなほろ苦さがあって美味しかった!!(昨日のさえりんの仏壇のお供え物)
2020年01月08日
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昨日朝、お墓参りに行った帰りいつもの道を車で走っていると前からずっと気になっていた場所に人がいる気配がした。少し通り過ぎた畑の前に車を止めて歩いて近づいてみると、ご夫婦らしきおじさんとおばさんがみえた。そこは、ビニールハウスの中でシクラメンを栽培している直売所。いつも人の気配がしなくて入りづらかったんですが、「すみません、シクラメン一つ売っていただけますか?」と声をかけるとそのご夫婦は「どうぞお好きなのを選んでください」と値段の説明をしてくれた。おばさんが一緒に選んでくれて、可愛らしいシクラメンを買うことが出来た。帰りに100均に寄って、不織布ラッピングシートとリボンを買って家でラッピングした。このシクラメンは、いつもお世話になっている美容院の先生Oさんへの感謝の気持ちのお礼にしようと思って買ったのです。Oさんには本当にずっと、心配してもらい心をかけてもらってばかりだから・・・シフォンケーキや手作りのおかずを持ってきてくれたり、話を聞いてくれたり、いつもお世話になりっぱなしで、何一つお返しが出来ていなかったから。何かいいお返しがないかなって少し前から探していたんです。本当に可愛いシクラメンが買えて良かったです!!Oさん喜んでくれるかな(#^.^#)昨日は午後、主人からLINEがきて「さえりんの高校の先生が店にみえた」と。主人の職場は、さえりんが通っていた特別支援学校の近くです。その男の先生は最初は主人がさえりんの父だとは気付かず買い物をしていて主人は顔を見てすぐ気付いていたので、買い物を終え先生が外へ出たとき主人が「さえりの父です。娘がお世話になりました」と声をかけたら気付いてくださり先生は「さえりさんの明るさが忘れられない」と言って下さったと。主人は涙か出てきたと教えてくれました。そういえばさえりんの通夜、葬儀には、特別支援学校の先生方も大勢来てくださった。もう転勤されたり、退職された先生方も来てくださった。本当にありがとうございました!!何のお返しも出来ませんでしたが、さえりんはこんなにも大勢も先生方に可愛がっていただいて高校生の3年間育てていただいたんだと、感謝の気持ちでいっぱいになりました!!本当にさえりんはいい出逢いがたくさんあって、幸せだったんだと・・・今頃になって、あらためて感謝の気持ちが湧いてくるのです!!あの時は何が何だかどうやって通夜や葬儀を行ったのかすら意識が飛んでいた。そのあとはさらにさえりんがいなくなった寂しさに襲われ心が押しつぶされて、毎日どうやって過ごしていたのか、よく覚えていません・・・(>_<)こんな状態だったのであれから半年以上たった、今ようやく少しずつ周りがみえて、たくさんお世話になった方々のこと、共に涙を流してくださった方々のこと、心をかけていただいた方々のこと、本当にありがとうございましたと感謝の気持ちでいっぱいになるのです。まだまだ悲しさは、一生死ぬまで消えることはありませんが、ほんの少しだけ心に余裕が出来てきたのかな??と感じています。それは、さえりんがいつも側にいてくれていると信じてるから。目には見えなくても、触れられなくても、おしゃべり出来なくてもきっとこの仏壇があるリビングが今は「さえりんの部屋」になっていて私と一緒に過ごしているんだと。そんな安心感の中で私はパソコンに向かってさえりんの広報活動をしてるんだと。それが今のママのお仕事なんだと。そしてさえりんのカゴを「交通安全の願い」として世に送り出すこと。今、私はさえりんと一体になって、大事なお仕事に挑戦しているんだと。信じているから、生きていけるんです。昨日は新しい方からコメントをいただき、また励まされました!!主人にそう言うと「きっとさえりんが向こうの世界で知り合った人達に『ママがブログをやってるから見てね!!』ってたくさんたくさん宣伝してるんじゃないか?」ってそんなことを話しました。さえりんも私を応援してくれてるのかなって、そしてさえりんが向こうの世界でたくさんたくさんいいご縁を繋いでくれてるのかなって、そう考えただけでも嬉しくてたまらなくなる。さえりんと私たち家族は今も固い固い絆で結ばれているそう信じているから、感謝の気持ちが湧いてくるのです。(さえりんが買っていたお気に入りのクラフトデープで作った新色のカゴ)(庭で日向ぼっこするマロン たぶん7.5キロくらい??)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年01月07日
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お正月休みが終わり、今日から仕事始めの方も多いと思います。我が家は主人は昨日から仕事始め、次女が今日から大学が始まります。私はと言うと相変わらず、年中お休みの生活です(;^ω^)でも、お正月ムードが少しずつ過ぎ去ってなんとなくホッとしています。いつの間にこんな偏屈な人間になっちゃたんだろうってちょっと落ち込んだりしますが、これも仕方ないかなと・・・自分を甘やかすことにしました(≧▽≦)でないと、生きていけないので。こうやって少しずつ、逃げられない辛く悲しい現実から身を守り、やり過ごす術を身に着けていくのかな??って、私なんてまだまだ未熟だけど、meronさんたちは何年もずーっとそうやって強くたくましく温かくなられたんだなって思いました。昨日は主人が仕事始めで、次女も朝からお友達と遊びに行ったので久しぶりに綺麗にお部屋を掃除して気分もさっぱり、お庭の花の水やりしながら綺麗に咲いてきたお花が可愛く見えて、いつも通りの日常に戻ったことに安心感を覚えた一日でした。レモンのはちみつ漬け本当にめちゃ美味しくって毎日2、3杯くらいホットレモネードにして飲んでたら、残りがあと少しになってしまい・・・昨日、残りのレモン全部使ってもう一瓶作っちゃいました(≧▽≦)いつからこんな蜂蜜好きになったんでしょう??私、クマのプーさんみたいになりそうです(体系??)(;´・ω・)宝ママさんレモンありがとうございます!!naominさん作り方ありがとうございます!!本当にほんのささやかだけど、庭のお花が可愛いとか、元気に花を咲かせていてくれるシクラメンが愛らしかったり、ホットレモネードがめちゃ美味しいとか、犬に癒されたり、ブログで毎日みなさんと関わっていただけることも、こんな毎日が送れること自体、私には奇跡だと感じるんです。人からみたらバカみたいな些細なことなんですが・・・だって数か月前までこんな日はもう一生訪れることはないと絶望の淵に立たされていたから・・・人生は本当に、突然何が起きるかわかりません。今この瞬間だって災害に遭うかも知れないんです。でも、自分がそういう状況に置かれてはじめて感じたことは人間はどんなことがあっても、命さえあれば絶望の淵からでも生きていけることは出来るんだってこと。こんな状況になって、はじめて現実問題として実感したことは・・・「いってきます」って出掛けた家族が、「ただいま」って元気に帰って来てくれる事は決して絶対に当たり前なんて思ってはいけないんだってこと!!今まで当たり前にあぐらをかいて感謝の心が足りなかった自分に、痛いほど気付かされた・・・自分が実際にそうなってみないと、頭ではわかったつもりでいても、心底実感なんて湧かなかった。それなのに、生意気で偉そうで分かったような気になり思い上がっていた自分が今では恥ずかしくて情けない。でも、私はこうなってはじめて、人の心の温かさに心底救われました。そして、ネットの中で出会った方々から、どれだけ励まさているか。今までも今も変わらず接してくれる優しい人たちがいてくれたことに感謝。今はこれらが絶望の淵から学んだことです。でも、まだまだこれからも私の絶望は続いていくと思う。だから、私はこれからもいろんなことをたくさん学ぶんだと思う。そして、いつの日かmeronさんたちみたいに強い自分になれる日が来ることを願って・・・(マロン11歳)(昨日作ったレモンのはちみつ漬け2本目)(庭の花壇のお花)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。ミヤちゃんさんへ今頃ですが、今年もどうかよろしくお願いいたします!!お正月ムードが終わってようやく街に出てもざわざわが少なくなりました。通常モードになってきてホッとしています。私はこんな思いは今年はじめてなんですが、去年からこんな思いをしてらしたんですね。世の中にはいろんな方がいらっしゃるのに、何にも知らなくて申し訳なかったなって思いました。人から温かい心をもらっていることに気づいてはじめて、自分もそうなりたいと思えるんですね。ミヤちゃんさんに出会えて本当に良かったです(≧▽≦)宝ママさんへ遅くなりましたが、今年もどうかよろしくお願いいたします!!お正月にはそう言える心境ではなかったので、ごめんなさい・・・本当に夢でもいいから会いたいです。この頃は出てきてくれなくなっています。レモネードばかり飲んでると、はちみつ漬けにしたレモンが残ってしまいます。勿体ないのでお菓子にでも使えたらと思いますが、娘さんはどうやってレモンを使っていましたか??何かいいレシピや、美味しい食べ方を知っていたら教えてください!!せっかくいただいたレモンさえりんにも食べさせたいから(*^▽^*)最愛の娘のパパさんへはじめましてさえママと申します。昨日はコメントありがとうございました。娘さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。ご心中お察ししなんと申し上げたらいいのかと。こんなことを言ったら失礼かもしれませんが、私はこの不思議なご縁は向こうで娘が結んでくれた大切なご縁だと思っています。向こうで娘さんとうちの娘が仲良くなってくれていたら嬉しいです。私はブログをはじめてネットでたくさんの方と知り合えて、どれだけ助けられ救われたかわかりません。悲しみは決して消えることはありませんがそれでも生きていかなきゃいけません。どうかこれからもこのご縁を大切に、末永く仲良くして頂けたら有難いです!!
2020年01月06日
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はじめて味わう、悲しいお正月。今日で正月3日。めでたいムード満載の世間に比べて、我が家は喪中。しかも大事な大事な長女、さえりんを亡くしてもうすぐ7ヵ月。明日4日は7回目の月命日。世間のムードとはかけ離れた孤独感でいっぱいです。我が家の近くには地元の神社がある。小さいながら由緒ある地元の人々に慣れ親しまれた神社である。春には江戸時代から続いた山車が出る神社のお祭りがあり、秋には秋葉の手筒花火があがり、たくさんの見物客で賑わう。だから地元の人はこの神社に初詣に家族で訪れる。駐車場が少ないので、我が家のすぐ近くの保健センターの駐車場が臨時駐車場となってそこから歩いて神社に行きかう家族連れの楽しそうな声が聞こえてくる。ワイワイガヤガヤ普通にしているのに、私にはその姿が楽しそうに見える。この人たちは一年間、家族が誰一人として亡くなっていないから、こうしていつも通り和やかに初詣が出来るんだって思うとなんだか急に寂しく、悲しくなる。よその家族を恨めしく感じてしまう、自分が嫌になる・・・去年までは我が家もそうだったのに・・・当たり前過ぎて感謝もなく、感動もなく、普通に過ごしていた毎日。こんな風になってはじめてわかること。当たり前に感謝しなくちゃいけない事。当たり前は決して当たり前じゃなくて、本当は凄いことだったんだということ。お正月は辛いなって・・・幸せそうに歩く家族と、我が家との隔たりを感じあらためて孤独を味わう・・・こんな家族の中で、唯一希望と明るさをくれるのは次女の存在。2日も元日に引き続き「お買い物行こうよ!」と甘えてくれる次女。元日は主人も一緒に3人で車でショッピングモールの初売りへ。2日は次女と私は電車に乗って、名古屋駅へ次女のお洋服選びのお付き合い。主人は一人車で車屋さんや電気屋さんにウインドショッピングへ別行動。次女は元日も洋服をたくさん買っていた。そして2日は初売りの第2弾、張り切って洋服やアクセサリーショップ巡り。お小遣い(お年玉)を使い切るつもりだろう・・・きっと・・・(;´・ω・)帰る時には大量の荷物と満足そうな次女の姿に、都会のあまりの人の多さに体は疲れたけど、不思議と心は和んでいる私がいる。(名古屋ゲートタワーモール内のリラックマ)(お買い物帰りの次女、大量の荷物に・・・(;^ω^))本当に次女がいてくれて良かった!!今、我が家の救世主と言ってもいい存在。次女のお陰で人ごみの中へ行けることにも感謝。少しは悲しい現実から逃避することが出来る。帰りに名古屋駅で売っていた赤福餅をさえりんのお土産に。帰って早速お供えした。さえりんは喜んでくれたかな??「次女とお買い物に2日間連続で行ったんだよ」って報告したら、さえりんはまたいつもみたいに皮肉っぽく言ってくれないかな・・・「大学生はお気楽でいいね!社会人になったら大変なんだよ!!」って笑いながら・・・(>_<)3日は家でのんびり過ごす予定。さえりんと家族4人一緒に・・・なるべく外の世界を遮断して・・・お正月早く終わらないかなと願いながら・・・ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2020年01月03日
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いよいよ今年最後の一日となりました。この一年は私にとって、50年ちょっとの人生の中で運命が大きく揺さぶられた、最悪の激動の一年となってしまいました・・・誰にも「人生には、上り坂と下り坂とまさか!?がある」と聞いたことがあります。今年は私にとって、我が家にとってその「まさか!?」の年でした。しかも、一番最悪の状態で・・・きっとこんなこと誰にでもあるわけじゃないし、起きてはいけないこと。それが起きてしまった・・・私はずっと昔から不思議だったことがある。一年の初めに元気で生きていた人が、一年の終わりにはいなくなっているということ。たった一年の間の無常な出来事。人の命の儚さ。昨日まで、朝まで元気だった人が突然いなくなってしまう現実。その瞬間から、家族も別世界へと迷い込む恐怖。ずっと昔から不思議に思っていたことが、本当に自分の身に降りかかった時もしかしたら、心の奥底で潜在的にこんな日が来ることを私は予感していたのではとさえ思える。一番起きて欲しくないことが・・・二度と戻れない、辛く苦しい出来事が・・・そして、今までこの「まさか!?」が起きてしまったらその人はそれから、どうなちゃうんだろうか??という疑問が残った・・・今はそれを実体験しているのです。私はさえりんを失ってから3ヵ月間はどうやって、何をして生きてきたのか良く覚えていない。きっと心が死んでしまったからだ。夢も希望も平穏な生活も粉々に砕かれてしまったからだ。気が付いたとき今のこの状況をどうにかしようともがいていた。そんなときブログと出逢って、meronさんと出逢った。これもさえりんの導きだったと今は思う。今は毎日毎日ブログを書いて、みなさんのブログに心開かれ、私のつたない文章を読んでくださる方々に元気をいただいて、みなさんの優しいコメントに励まされて、勇気をいただいて、会いに来てくれる友人達の優しい気持ちに支えられて気が付けば、なんとか100日とあまりを生きてきました。本当にありがとうございました!!みなさんと出逢えたことが、この人生最悪の激動の一年を「まさか!?」の人生を生きる糧になっているんです!!まだまだ立ち直るとか、元気になったなんて簡単な問題じゃなくて、きっと一生癒えない逆縁という重い十字架を背負ってしまったことに変わりはありませんが、それでも悲しみながらも前を向いて生きようと思えるようになれただけでも、心から感謝でなりません!!来年こそは、またさらに一歩力強く前に進める一年になったらと願うばかりです。今年はブログを通して、さえりん共々大変お世話になりました。みなさんが来年、良い一年でありますように心から願っています!!来年も『さえりんの部屋』をどうかよろしくお願いいたします!!(お寺のバラ)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2019年12月31日
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昨日と一昨日はちょっと頑張りました!と、言っても大したことはしていませんが・・・(;^ω^)一昨日はお天気がよく暖かかったので、思い切ってホームセンターに行って、フローリングのワックスを買って来て、せめてここだけはと思っていた、廊下とトイレと階段にワックスをかけることが出来た!ホームセンターがガヤガヤ家族連れで賑わっていてレジも行列になっていて嫌だなあって思いましたが、なるべく人を見ないでワックス1つだけさっと買って車に逃げ込みました。でも、なんとか行って来れたことでちょっと勇気が出ました。その調子でもう一軒、混雑しているスーパーに行きはちみつを買って、(残念ながらnaominさんに教えてもらったはちみつは売ってなかったです(;^ω^))宝ママさんからいただいたレモンではちみつ漬けをやっと作ることが出来た。昨日はサークルのスキー合宿から2日ぶりに帰ってきた次女の出した大量の洗濯物2カゴ山盛りを干したら、久しぶりにテンションが上がってきてお天気もよく穏やかな暖かい日だったので、なんとなく花壇が気になった。またホームセンターへ行き、お花と土を買って来て花壇の植え替えをした。花壇の一番前列のペンタスが枯れてるように見えたから、古都さくらと花かんざしを買って来て植えた。ペンタスもよく見たらまた蕾がたくさんついていたから捨てちゃうのは可哀そうだったので空いていた大きいプランターに植え替えて花壇の後ろに置いた。お花コーナーにはいろんな寄せ植え見本が販売していて、見てたらやってみたくなって、花とプランターを選んでやってみた。ホームセンターでお花を選んでいると、たまたま知り合いのご年配のご婦人がみえて私を見つけ声をかけて下さった。娘の事を知ってらっしゃる方で「娘さん可哀そうなことになったね。大丈夫?少しは元気になった?」って。不意だったのでちょっと戸惑ったけど、昨日は落ち込まず受け答えが出来た。花壇が終わって部屋に戻って、レモンのはちみつ漬けまだ一日しかたってないから早いかなって思いながら、ホットレモネードにして飲んでみた。レモンのいい香りがして優しい味がして、とっても美味しかった!!宝ママさんありがとうございます!!さえりんにもホットレモネードをお供えした(*^▽^*)父からも「玄関先の寄せ植えの花、なかなかいいなぁ」って言われちょっと嬉しかった。(昨日作った寄せ植え)(さえりんのシクラメンもまだ綺麗に咲いている)(植え替えた花壇)(宝ママさんに頂いたレモンをはちみつ漬けにした)(ホットレモネードをさえりんにお供えした)この年末年始は大掃除もお正月の準備もやる気が全然出なくて本当は落ち込んでいたけど、みなさんのコメントで励まされて、何もしないって決めて、やれなくてもいいんだって思えたら、なんだかホッとして肩の荷が下りた。そして自然に任せておこうって思えたら、気持ちが楽になって軽くなった分、一昨日と昨日は身軽に気付いたまま、思いつくまま動くことが出来た。本当に不思議だけど、これでいいんだって思えた。まだまだ、目には見えない心の闇を抱えながら、どうしょうもなくダメな時や、不意に涙か止まらなくなって沈んだり、落ち込んだり、ちょっと元気になったりと浮き沈みの繰り返しだけど今はこれでいいんだ!こういう風にしかできない自分もありのまま、そのまま認めればいいんだってそう思えた。こうやって、ちょっとずつ前を向いていくしかないんだと、昨日は思えた。写真のさえりんが「うん!そうだよ!ママそれでいいんだよ!!」って優しく笑っているような気がした。ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2019年12月30日
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街はクリスマスムード一色で盛り上がるこの週末、ひとり喪に服し、真っ暗な心でいる私がいる。クリスマスがちょっとも楽しくない、少数派の一人。ぼっちクリスマスではないが、我が家にはもうクリスマスもお正月も来なくなってしまった。今年は・・・来年も・・・その先の事はまだわからない。次女は土日は大学の友人たちとクリスマスロックフェス(ライブ)に丸2日間、朝から夜遅くまで行っている。とっても楽しそうである!!次女はまだ若いからそれでいいと思うし、次女が楽しんでいる姿は私も嬉しい。ただ私はこの賑わいが今年はとても不快に感じて、孤独になる。昨日は被害者サポートセンターの遺族の集まりがあり参加した。人数はいつもより少なかった。みなさんお忙しいのかな?年末だし・・・私は、名古屋まで出るのになるべく電車ではなく、車で行く。車は交通事故が怖いが、車中は自分一人の空間になるからまだいい。電車は人がたくさんいて、ざわざわしている賑わいが辛い。目に飛び込んでくる人たちや、お店や、音楽も、どこか浮かれていて楽しそうなのが私には悲しくなる・・・テレビやみなさんのブログで見ているだけなら素直に素敵って思えるんですが、自分がその場にいると物凄く疎外感を感じて、別世界に感じてしまう。まるで、私だけが白黒の、色のない世界にいるみたいに。今年はクリスマスケーキは買わない。クリスマスのお料理も作らない。さえりんがいなくなった今、私から色が消えた。お祝いも、楽しい行事も、笑顔の食卓も消えた。ただあるのはあの日から、現実を奪われたみすぼらしいおばさんが一人だけ。でも、寂しくはないよ・・・本当のひとりぼっちじゃないから。パパも次女も両親もみんないる。でも、みんな心にポッカリ穴が空いているんだ。それは、みんなを笑顔にしてくれる大切な存在の、さえりんがいなくなちゃったから・・・さえりんはサンタさんをまだ信じていた。だから、毎年さえりんには枕元にプレゼントを夜中の内に置いておいた。起きて喜んでいる顔が見たいから。でも本当はさえりんだって次女同様に、もうサンタさんはパパなんだって知っていたと思う。だけど、知らないふりをしてくれた。その方がパパとママが喜ぶから、笑ってくれるから。さえりんの優しさだったと思う。こんなに心の綺麗な、優しい娘だったのに・・・もしも、本当にサンタクロースがいるんだったら、一生のお願いだから、ひとつだけ望みを叶えてよ!もう一度でいいから、さえりんに会わせてよ!!私の宝物を運んできてよ!!それが叶わないならもう我が家には、クリスマスもお正月も来ない。私は、キリストも神様も奇跡も信じない。「早くこんな季節が終わってしまえばいい」と、心の中で叫ぶ。誰にも聞かれないように・・・こんな僻み根性の醜い姿を、人に知られたくないから・・・この季節は本当に辛い・・・思い出すことがいっぱいありすぎて・・・心を正常に保つことが難しい。さえりんに会いたい気持ちが抑えられなくなるから・・・さえりんは、向こうでできたお友達と、ケーキを手作りして今頃クリスマスパーティーしてるのかな??きっとそうであってほしいと、ママは願っています!!(11歳の時のさえりん クリスマスイブに)ご訪問いただきありがとうございます!!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2019年12月23日
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昨日はさえりんの6回目の月命日でした。あの日と同じように、晴れて穏やかな日差しに包まれて静かにときが過ぎて行った・・・朝、主人と一緒にさえりんのお仏壇にお経をあげた。教本を見てお経をあげながら、ふと、考え事をしていた。いつもと何も変わらない、穏やかで静かで、太陽の日差しが優しい光となって暖かく降り注ぐ、こんないい日なのに、どうして私たちはお経をあげてるんだろって・・・そして、どうしてここに、さえりんがいないんだろうって・・・あの日も、こんな穏やかな日だった・・・さえりんは仕事帰り、自転車に乗ったまま旅立ってしまった・・・お別れも告げずに、突然に・・・いつもと何一つ変わらない、穏やかな光の中で・・・この世の中からさえりん一人だけが静かに、いなくなってしまった・・・ボロボロに折れ曲がった自転車だけが、今もぽつんと淋し気にブルーシートに包まれて、痛々しく眠っている。どうして、こんな日がきてしまったんだろう・・・昨日は、喪中はがきが届いて訃報を知った方から香典をいただいたので、お返しの品を送る為、主人とショッピングモールに行った。帰りにピンク色の可愛い花束を買って、事故現場へと向かった。国道バイパスの降り口の信号を、先頭で信号待ちをしていたら、突然、主人が泣いた・・・「俺は大丈夫だって思ってたのに・・・」って主人がつぶやいた。主人だって全然大丈夫なんかじゃない、私を庇うため我慢してるだけ・・・私は前を見ないよう、目を反らせていた。そう、その目の前の信号の横断歩道は6ヵ月前、さえりんがたった一人で、旅立った場所だったから・・・信号待ちの間も右折や左折の車やトラックが、目の前の横断歩道を横切って、どんどん通り過ぎていく。その様子を見ていたら、どうしょうもなく抑えられない衝動に駆られた・・・気持ちがフラシュバックして動揺しそうになった・・・信号が変わり、主人は近くのコンビニの駐車場に車を止めた。気持ちを強く持ち、反対側から横断歩道を主人と二人、歩いて渡った。電柱にはこの前検察庁に行った朝に私たちが供えたお花と、もう一つ多分今朝、供えられたであろう新しいお花があった。そのお花は電柱に固定する器具が取り付けられそこに入っていた。どなたがしてくださったかはわからないけど・・・私はその隣の切ったペットボトルに新しいお水を入れてお花を飾って、二人で静かに手を合わせた。さえりんのこと、忘れないでいてくれる人がいるのは有難かった・・・家に帰るとさえりんのお仏壇にお土産を供えた。ショッピングモールでたまたま見つけた、小さなスノーマンの光る置物。今年はクリスマスもお正月も来ないって思ってたけど、ぱっと目に入ったら、さえりんが喜ぶかなって買いたくなって私のポイントで買った、ささやかなさえりんへのクリスマスプレゼント。さえりん喜んでくれたかな・・・こうして、昨日の6回目の月命日は静かに過ぎて行った・・・(さえりんへのプレゼントのスノーマン)(昨日の事故現場)ご訪問いただきありがとうございます!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。
2019年12月05日
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昨日は朝から雨気持ちもどんより、時々激しく、午後からもしとしと降り続ける雨を見ながら、ふと、禁断の言葉が頭の中を占領しはじめる。さえりんが亡くなりもうすぐ6回目の月命日。こんなこと思っても今更どうしょうもないって、分かっているのに主人にだって、もうその話はするなって言われちゃうのに、こんな雨を見ていると、どうしてもどうしても思わずにはいられない・・・もしもあの日が雨ならば・・・さえりんは、今も生きていた。もしもあの日が雨ならば・・・私が車で送り迎えをしていたから、もしもあの日が雨ならば・・・帰りにはお昼ご飯に一緒にお寿司を食べに行って、もしもあの日が雨ならば・・・「美味しかったね💛」って二人で満足して、もしもあの日が雨ならば・・・今頃、クリスマスやお正月を楽しみにしてたよね。もしもあの日が雨ならば・・・さえりんはレアチーズケーキをたくさん作って、もしもあの日が雨ならば・・・新しい年を家族で笑顔で迎えられたよね・・・だけど、あの日は雨が降らなかった・・・梅雨だったのに・・・どうして、あの日は雨が降らなかったの???どうして、あの大型トラックの運転手は さえりんが自転車で横断歩道を渡ってたのが見えなかったの???どうして、さえりんは死なくちゃいけなかったの???どうして、さえりんがいないのに私は生きているの???どうして、こんな悲しい現実が本当にあるの???どうして、こんなに優しくていい子なのに???どうして、さえりんじゃなきゃいけなかったの???どうして、この世には神も仏もいないの???もしも・・・の後には必ず、どうして・・・がやって来て、私を苦しめる・・・答えのない堂々巡りの問いかけは、ナイフのように私の心に突き刺さる・・・だから主人は、「もしもは、もう言うな!!」って怒るんだよね。わかってる、もうどうしょうもないことだって、わかってるよ私だって。だから、いつもは「もしも」が出ないようにコントロールしてるのに、この冷たい雨を見てたら、コントロールが効かなくなっちゃった・・・(>_<)傷だらけになり、血だらけになり、動けない私がいる・・・もしすぐ、さえりんの6回目の月命日。だから、今はまだこんなだけど仕方ないよね・・・また、さえりんに手紙書こうかな?こんな私だからまだ外の世界に出る自信が持てないんだよね・・・だけど、今までより少しは強く、ならなきゃって思ってる。だから、昨日はさえりんのカゴを作って過ごした。雨を見ながら、答えの出ない問いで自分を痛め、傷つけながら、それでも、前に進みたい気持ちで、傷口を癒しながら・・・早く雨が上がらないかな・・・早くお日様がみえないかな・・・早くこんな時間が過ぎていかないかな・・・早く希望の光を掴むことができないかな・・・夜には3日ぶりの次女が帰って来る!!晩ごはんは暖かい鍋でも作ろっかな・・・(≧▽≦)ほんのささやかでも幸せがあるから、まだ生きていける。そうだよね、さえりん!!ご訪問いただきありがとうございます!いつも温かいコメントありがとうございますよろしければ応援お願いします。よろしければこちらも応援おねがいします。また夢の話(*^_^*)昨日は雨でどんより、一昨日の学祭に行った疲れもあって、ブログを書いてから午後ちょっと、うたた寝しちゃったら・・・会いにきてくれました!!さえりんちゃん11歳か12歳くらいだったかな?昨日の夢は家族や他の人にはさえりんが見えないんだけど、私だけが見えて、しかもさえりんとお話も出来るっていう嬉しい夢!!さえりんが遊び心いっぱいでいたずらしたり、私だけに抱き着いて甘えてきてチョーしあわせ!!きっと私を励ますために会いに来てくれたんだよね!!目が覚めたらちょっとの間ボーっとしたけど、お仏壇に手を合わせて「さえりんありがとう!!できればまた会いに来てね!」ってお礼を言いました。さえりんがくれたささやかな幸せ・・・ママはまた頑張れるよ!! 外を見たらいつの間にか雨があがっていた。(11歳の時のさえりん)(さえりんが大好きな回転寿司を家族で食べに行ったとき)
2019年12月03日
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