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いいチームを作りましょう 〜ソーシャルと成果を両立させる金融とボランティア組織の共通本質から学ぶ〜(「いいチームを作りましょうプロジェクト」第一回キックオフイベント)日時 2015年6月24日(水)19:00~21:00 開場:18:30場所 めぐろパーシモンホール(大ホール) 参加費 2000円(Paypalによるカード決済での事前お支払い)申し込みはこちらから。新井さんのプロフェッショナル仕事の流儀が大反響で、申し込みが殺到しているため、定員になり次第締め切らせていただきます。お早めにお申し込みください。http://akademeia.jp.net/?page_id=475
2015/05/13
鎌倉投信の新井和宏さんらと「いいチームを作りましょうプロジェクト」を立ち上げました。http://akademeia.jp.net/?page_id=583これが当面のメインフィールドになっていくと思います。趣旨にご賛同いただける方にはどなたでもご参加いただけます(無料です)。ふるってご参加ください。
2015/05/13
「あなたが自然体で輝ける場所、それがあなたの居場所です。」
2015/05/13
国際的に活躍されており、多数のご著書も出版されている原田武夫さんが、IISIAの公式Facebookページに『チームの力』の書評を書いてくださいました。https://www.facebook.com/iisia.jp/posts/865217800216109以下に引用させていただきます。ありがとうございました!(^o^)—————————————————————原田武夫です。あらためまして・・・こんばんは。本日は午前は執筆、その後かるーくワインを買いにお買い物。そして午後はどっぷりと読書デー。いやー、久々にとれた読書時間に楽しくて仕方が無くって。。(^^)/そんな中出会ったのがこの1冊。西條さん、私と全く違ってナイスガイ+イケメンですが(!)、他方、考え方は非常に共感できるなぁと思いました。東日本大震災の直後に全くもってspontaneouslyに支援組織を全国規模で立ち上げられ、意味ある緊急災害支援をされた方です。早稲田大学の先生でもあります。非常に参考になったのは次の一句です:「では、人間とはどのような心を持っているのだろうか。すべての人間に共通する本質とは何だろうか。それは、『すべての人間は関心を充たして生きたいと欲してしまう』ということだ」(西條剛央「チームの力」第151頁参照)正直、ハッとしました!普段、human resource managementのコンサルティングや産業人財育成をやっている私ですが、ここに来てvolatilityが激しくなる世の中に対応出来るのは基本的に、行動特性(コンピテンシー)が高いこと、それ以上でもそれ以下でもないという頭に凝り固まっていたように思います。つまり「達成志向」「柔軟性」「自己認知力」ですね。要するに素直でなんでもやる人ということですが。。。しかし!お仕事は「関心」があってのこと。確かにそうだなぁ、と。それがヴォランティアではなおさらですよね。実体験に基づいた言葉が胸に刺さります。是非ご一読を。読みやすく、HRMの世界、心理学の世界、哲学の世界、そして何よりも自己啓発しながら前に進む力の世界、その中間領域を示して下さいます。西條先生・・・これからもっともっと売れそうな方です(^^)/(※トレンド・ウォッチャーの私がいうのだから・・・・間違いない!!)【楽天ブックスならいつでも送料無料】チームの力 [ 西條剛央 ]価格:842円(税込、送料込)
2015/05/13
「西條剛央のブログ」、ひさしく更新していないにもかかわらず、平均300人ほどの方にご来訪いただだき、気づいたら100万人を突破しておりました。感謝感謝です。http://plaza.rakuten.co.jp/saijotakeo0725/「別名たまにしか更新されないブログです。すいません。」と書いてありますが、11ヶ月振りに更新します。年1ぐらいのペースですな(笑)。少し遡って5月からFacebookの記事をアップしてまいります。しかし、この楽天ブログ、間違ってたまたま使うことになったのですが、正直使い勝手がよくないんですよね〜(>_
2015/05/13
我々「いいチームを作りましょうプロジェクト」(http://akademeia.jp.net/?page_id=583)代表の新井和宏Kazuhiro Araiさんが昨日「プロフェッショナル仕事の流儀」にご出演されました!(再放送は5月16日(土)午前1時10分~午前1時58分です!)自然体で、本質からぶれずに、投資先の企業のことを親身になって考え、本来の投資のあるべき姿を体現している姿、本当にかっこよかったです。世の金融マンにも本来こうあるべきだよなと響くものがあったのではないでしょうか。思わず自分のことのように誇らしくなり、2歳前の娘に「パパのお友達なんだよ」と自慢してしまいました(笑)。子どもに自信をもって見せられる大人の姿って素敵ですよね。新井和宏著『投資は「きれいごと」で成功する』Amazonでも、本のベストセラー総合2位になっていました。⇒ http://u111u.info/kTi2総合2位は、かなり驚異的なことです。ここまできたら、みなさんのお力で1位にしちゃいましょう!まだ購入されていない方は、ぜひご購入ください。以糸井重里さんもTwitterで絶賛していたように、買って絶対損はしないです。というか歴史のターニングポイントになる本です。読まなきゃ損です!—————————————————————糸井 重里 @itoi_shigesato 『プロフェッショナル』新井和宏さんの回、よかった。『投資は「きれいごと」で成功する』という本とおおよその内容は同じなんだけど、肉声がとても大事なんだよなぁ。最後に登場していた会社が、問題をどう乗り越えるか、とても興味深い。再放送は5月16日(土)午前1時10分~午前1時58分—————————————————————ご支援のほどどうぞよろしくお願いします。
2015/05/12
数日前、 「是が非でも叶えたい願いを叶えるためにはどうすればよいか? 答えはシンプルで、 流れやタイミングを見つつ、その目的を実現するために役立つと考えられる“すべてのことをやる”ことだ。」 といった記事を書いた。 この“すべてやる”のもっともよい見本は、結婚式のときの花嫁さんだ。 結婚式に出て、みなれた友人や後輩達をみて、「うわぁ、綺麗だなあ」と思ったことは一再ではないはずだ。ときには「こんなに綺麗だったとは」と驚いたこともあるだろう。 綺麗とは姿勢やら衣装やら表情やらすべてを含んだ、全体的な雰囲気を指している言葉なのだと思う。そういう意味で、綺麗じゃない花嫁さんはいない。ということは、綺麗であろう、素敵であろうとしてできることをすべてやれば、綺麗な人だと思われることはほぼ誰にでも可能だということだ。もちろん、プロのトーナメント戦のような激しい競争となれば、そこを勝ち抜くためには「できることをすべてやる」という姿勢で臨んでくる人たちとの勝負になるため、そうすればすべて叶うといえるほど単純ではない。しかし、そうしたバトルロワイヤル的なシチュエーションは、むしろ競争をわかりやすくゲーム化するために人為的に作られたひどく偏った状況といえる。だから、そういうことを除けば、たいていのことは、本気で望んで「できることをすべてやれば叶う」ということを、漏れなく綺麗な花嫁さんは教えてくれている。 * あるいは、目的に向かって、すべてのエネルギーを一点集中、板にキリで穴をあけるようなそんなイメージ。 太陽光線ですら、虫眼鏡で集めるだけで、着火することができる。 あなたのエネルギーもすべて集中させれば、たいていのことはできる。 紀元後になってたかだか2000年ちょっと。 ぼくらはうまくすれば100年生きることができる。紀元後の世界史の1/21を僕らは作ることができるのだ。 ひとり一人の集中力と継続力が組み合わさったなら、世界だって変えられる。 そう思うと希望はいくらでもある。
2015/05/11
初の新書にして近年の集大成となる『チームの力——構造構成主義による“新”組織論』が公刊されました。おかげさまで公刊前に重版が決まったとのことです。感謝感謝です。こちらの筑摩書房特設サイトで、序章の「進撃の巨人の“巨人”とは何か」に加えて、あとがき「いいチームとは何か」も全文無料で試し読みできます。ぜひ、ご一読ください。http://www.chikumashobo.co.jp/special/team_power/【楽天ブックスならいつでも送料無料】チームの力 [ 西條剛央 ]価格:842円(税込、送料込)
2015/05/10
気づいたらFacebookに、200人以上の友達申請がΣ(゚д゚lll)共通の友達が多くいたりしたかたは一部承認させていただきました。全部は見切れませんでした。すいません…。共通の友達がいないと、いまだ乗っ取られることもあるようなので、友達をご希望の方はお手数ですが、一言メッセージをいただけるとありがたいです。あるいはフォローをしていただければと思います。どうぞよろしくお願いします。
2015/05/09
意志の強さは願望の強さに相関(比例)する。 意志の強さは欲求に逆相関する。 ゆえに、願いと欲求が背反している場合、ブレーキとアクセルを両方踏んでいるような状態になる。 願望が強く、欲求が弱ければ、意志はつよいということになる。 欲求が強く、願望が弱いと、意志は叶えられない。 たとえば、もう少し痩せて綺麗になりたいとなんとなく願っていても、食欲が圧倒的に強ければ、食べてしまう。 そういう場合、願いと欲求を両立できないか?と考えてみるとよい。 食べても痩せる方法を考えるのだ。冷蔵庫にカロリーの低い好きな食べ物をたくさんいれておくとか。 それから欲求を弱くする方法を考える。たとえば、部屋にいるとつい漫画を読んでしまうという人は外で勉強する。テレビをみてしまうという人は、テレビをしまう(捨てる)とか。 自分の願望だと思っているものが、実は幻想で、他者の欲望が伝播したものだったり、なんとなく社会的によいとされていること(英語は勉強したほうがよい)だったりすることもある。 また、一見欲求にみえる美味しいものを食べることが、実はその人にとって願望(最も強く望んでいる)ことだったりすることもあるかもしれない。 欲求だと思っていたものすら、ただの惰性と習慣と思い込みでそうしているだけで(毎日ビールを飲まなきゃ損とか)、実は求めていないということもある。 自分の本当の願望と欲求をきちんと自覚することが、自分が望む人生を生きる第一歩になる。
2015/05/09
是が非でも叶えたい願いを叶えるためにはどうすればよいか? 答えはシンプルで、 流れやタイミングを見つつ、その目的を実現するために役立つと考えられる“すべてのことをやる”ことだ。 え、そんなこと?と思うかもしれないが、考えうるすべてのことをやろうとすると、やるべきことは無限といってよいほどある。 ふんばろうは、できることはすべてやると決めたから、あれだけでかい総合支援組織になった(もちろん実現したのはチームメンバーの尽力のおかげだけども)。 でも、たいていの場合は(僕も含めて)、そのための方法をいくつかやってみて終わることが多い。 それは、是が非でも叶えたくはない、ということなのかもしれない。 本当に叶えたいなら、そのために役立ちうることは、“全部”やることだ。それしかできることはない。 え、何が役立つかわからないですって? そういう方は本やネットでそれを研究することから始めましょう。全部やる、ってことはそういうことも含んでるわけですから。
2015/05/08
「お酒を飲むとだるくなる」という当たり前のことを今更ながら自覚(笑)。だるいの嫌だなあ。⇒お酒飲まなきゃいい。ということで、禁酒してみることにしました(笑)。いつまで続くか。まあみんなで飲むのは楽しいので時間の問題だろうけどね。
2015/05/08
大川小学校に行ってきました。今回はリーディングカウンセラーさんと、園田 ばくさんと奥さまの竹林 加寿子さんと一緒に行きました。たくさんの人が手を合わせに訪れていました。それぞれが、亡くなられた方のご冥福を祈りながら、なぜ逃げれなかったのだろうか、いや自分がその場にいたら本当に逃げれたと言い切れるだろうか、といったことを語りながら、哀しい眼差しで校舎や裏山をみつめているように感じました。 ご遺族であり、小さな命の意味を考える会の佐藤 敏郎さんのお宅にも伺い、それぞれの思いを聞きながら、 自分があのご遺族の立場なら、同じように思うかもしれない、いやとても向き合うことはできないかもしれない、どうしても諦められないかもしれない、もし教員遺族なら哀しみすら口にできないかもしれない…と、もとより想像など及ばないのですが、それぞれの立場の人に思いを馳せる自分がいました。それぞれがそれぞれの立場で苦しみ哀しみ悩んでいるのは確かで、きっと子ども達は残された家族に幸せに生きて欲しいと願っているだろうと思います。もし自分が先に死んだなら、家族の幸せだけを願うだろうから。僕の母も震災で兄(伯父さん)を失いましたが、残された人は一生懸命幸せに生きることが、先立ったひとの願いを叶えることになり、冥福を祈ることになるのかもしれません。そんなことを思いました。
2015/05/06
この記事はアルスエレクトロニカでのゴールデン・ニカ受賞に際してHP掲載用に作成したオリジナル原稿です。英語の得意な方はこちらをお読みください。This article was used in the press release on the website of Ars Electronica.http://www.aec.at/prix/en/gewinner/#digitalcommunities——————————————————————Project Fumbaro Eastern Japan: An autonomic crowdsourcing model to cope with the critical situation utilizing Structural constructivism and Social Network Services March 11,2011. Eastern Japan was hit by a massive earthquake. The Great East Japan Earthquake and the Fukushima No. 1 nuclear power plant accident drove Japan into a national crisis. The number of missing and dead reached 18,800, and in addition 2,916 citizens died from the after effects of the complex disaster. In total 21,716 people lost their lives. (as of June 2014). Project Fumbaro Eastern Japan(PFEJ) is an autonomic crowd-sourcing platform utilizing a number of Social Network Services (SNS) and a Philosophy (Structural constructivism) systematized by Takeo Saijo Ph.D. Coping with such a critical situation was made possible by inviting citizens to connect autonomously and initiate various projects rapidly. Fumbaro is structured as 3 prefectural chapters (Miyagi, Iwate, and Fukushima) several city chapters in Tohoku and other area and other project based groups and administration groups, over fifty in total. Project Fumbaro Eastern Japan became the largest organization among the community of multi-skilled volunteers on the internet in Japan by co-ordinating many groups effectively. This system ,also named The Fumbaro Japan Model (FJM)could be utilized in other disasters, such as those caused by heavy rain and landslides, as a general-purpose methodology to cope with such situations.Project Fumbaro Eastern Japan began with an emergency supplies project. At first, the damage level of this massive and unprecedented earthquake was so variable depending on the area that it was extremely difficult for the government and the existing framework to identify and determine all affected areas and to provide necessary support. As a result large quantities of supplies sent from around the country did not reach small and medium size shelters and people still living in Tsunami damaged houses. What victims really needed differed depending on their situation. Therefore a shelter in a village suffering from electric power failure needed a chain saw to prepare firewood and not large quantities of clothes and picture books. Everything was washed away in the devastated areas and it was difficult for the survivors to move around or access the internet so the survivors actions were extremely limited.At first, he visited the devastated areas and started by listening to the individual requirements. With this information he made a homepage (HP) and published details of the individual and unofficial shelters needs on the HP and in his blog the next morning . He linked the URL of the HP to his twitter account and spread information about the fact that survivors living in small shelters and individual shelters could not receive supplies and about what was needed currently in affected areas. Writing about these requirements on twitter tended to cause an excessive supply, on the other hand HP can update the information in real time. Donors were requested to update information about their donations as soon as they were sent. As son as requirements were satisfied the HP announced this, thus avoiding continued unnecessary supply. In this way he developed a new structure for delivering essential supplies directly to the right people in the correct quantity by directly listening to survivors requirements in each shelter. The requirements were then met by utilizing the phone and existing infrastructure such as twitter which can disperse information rapidly, a blog and a homepage that can update information at any time and Takyuubin (delivery services)However it was impossible to visit all the thousands of unknown shelters in Tohoku. To cope with this dilemma Mr Saijo spread information about the fact that survivors living in small shelters and individual shelters were not receiving supplies, about what was needed immediately in affected areas, and about how to deliver them effectively. Based on this, he put the Funbaro brochure on the HP so that anybody could download it, and asked the volunteers to play the role of sales people spreading the methodology of Fumbaro as they delivered necessary supplies. When volunteers made a delivery they asked about survivors requirements and also handed out the brochure which enabled survivors to call Fumbaro directly. As a result hundreds of shelters scattered over a wide area were given continuous support. More than 3000 small and medium scale temporary shelters were supplied with over 155,000 items over more than 35,000 deliveries where municipalities' support did not reach. We also utilized Amazon’s Wishlist system and more than 55,000 items such as bicycles, home appliances etc were donated.Various localities around the country wanted to send supplies but were unable to, due to the lack of storage facilities in the affected areas. FJM was able to match supply and demand and over eight hundred tonnes was supplied.An additional benefit was that since supporters send supplies with their names and phone numbers on the delivery box, survivors know from whom they have received the goods. Survivors are able to give thanks directly and supporters are able to understand the severity of the situation and how much their help is appreciated through direct contact with the survivors. This connection often motivates the supporters to further action. Some of them start direct support outside of Fumbaro while others start visiting the affected area with necessary supplies directly. This structure nurtures heart to heart connection by directly connecting supporters and survivors.In emergencies when conventional top down administration systems do not function adequately, we struggle to construct structures that connect supporters with victims needs. Sharing structural constructivism systematized by Mr Saijo among the volunteers made it possible to effectively realize autonomic and organizational activities. For example there is The principle of methods in the meta-theory. According to this principle, the effectiveness of a method depends on purpose and situation. So while one person agrees with the method, another disagrees but there is no universally correct method. In fact almost nobody knew what to do after the unprecedented disaster in which existing methods failed. However the principle “The effectiveness of a method depends on purpose and situation”is universal. We can return to this principle anytime to devise an appropriate method depending on the situation and purpose. For example there was the unreasonable situation in which the survivors who went back to their own half-destroyed houses or who were living in apartments could not receive home appliances delivered by Japan Red Cross, while the survivors living at temporary shelters could. Seeing this situation, we started “The Home Appliance Project” in which we collected and sent donated home appliances, mainly from the Tokyo area. In summer many electric fans were needed. We set up a special E-commerce web site and developed a new method to deliver home appliances purchased by supporters for the survivors who needed them. When winter came we proposed a new method to support the survivors scattered in many different areas in Japan. We put an announcement in national newspapers and other media, requesting survivors to send a copy of their “Certificate of proof as a disaster victim” and to let us know what kind of home appliances they needed. The Home Appliance Project was successful with 25,000 affected homes receiving home appliances. In the early phase after the disaster, many survivors who had lost their houses and workplaces were forced to live in shelters day after day, surrounded by huge amounts of rubble. With this in mind we started “The Heavy Equipment License Project” aiming to help the jobless survivors get a license to use heavy equipment so they could find a job clearing rubble or in re-construction. This project supported more than 1,000 local survivors to obtain a license to operate heavy equipment.More than 3,000 volunteers were mobilized for more than 30 projects such as Study aids for kids, Job assistance, Jobs using sewing machines, Teaching traditional Nuno-Zouri, Hand-made goods, writing encouragement letters, Geiger counter use, Entertainment, PC + Internet use, Horticulture, Fishery projects and Manga/Illustration charity auction projects.These projects were started and managed autonomously, utilizing existing systems such as Facebook groups, Cybozu, and Paypal. Project Fumbaro Eastern Japan has enabled support to disaster affected areas as the next generation crowd-sourcing model which realizes its aims autonomously, for citizens and by citizens, and also as an autonomous network model for civil volunteers. The essential principle of this model is; Effectiveness of the method depends on the situation and aim. Project Fumbaro Eastern Japan maintains the principles of not clinging strictly to one model, promptly dropping any project which has finished its role and even changing the organizational structure according to the situation. In the case of a massive disaster, problems relating to an inflexible approach to relief operations tend to surface. Our creative and flexible approach taught us many lessons for the future.
2014/06/03
※以下はアルスエレクトロニカにて発表されたプレスリリース用の文章(http://www.aec.at/prix/en/gewinner/#digitalcommunities)を和訳したものです。日本語で読みたい方はこちらをどうぞ。——————————————「ふんばろう東日本支援プロジェクト」 :構造構成主義とSNSを用いた危機的状況に即応する自律型クラウドソーシングモデル2011年3月11日。東日本はマグニチュード9.0、1000年に一度といわれる超巨大地震に襲われた。津波により沿岸は400kmに渡って壊滅的な打撃を受けたことに加え、福島第一原発事故も発生し、日本人は未曾有の複合災害によって国家的危機に陥った。震災による死亡者は15,861人、行方不明者2,939人にのぼった。さらにその後の長引く避難生活や震災の影響によって2916名が死亡し、合計21,716名もの尊い命が失われた (2014年6月現在) 。「ふんばろう東日本支援プロジェクト」(以下「ふんばろう」)は、危機的状況に対応するために、西條により体系化された哲学(構造構成主義)といくつかのソーシャルネットワークサービスを活用した自律的なクラウドソーシング・プラットフォームであり、それによって市民が自律的につながり、様々なプロジェクトを迅速に生み出すことが可能になった。「ふんばろう」はテーマ別の支援活動に特化した各プロジェクトと、岩手、宮城、福島といった3つの前線支部、その他全国の都市にある後方支部からなっており、プロジェクト、支部、運営チームの総数は50以上にのぼる。それぞれが効果的に連携することによって「ふんばろう」は日本最大級の支援組織へと成長していった。西條はプロジェクト立ち上げた時点で、次世代のモデルとして世界に広がることも視野に入れて、Fumbaro Japan Modelという別称も与えた(そのためTwitterアドレスは@fjm2011となっている)。そして実際に、大雨や土砂災害などの大規模災害が発生した際にも対応するより汎用性の高いモデルとしてその方法論が活用されている。「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は、震災直後の緊急支援物資提供活動から立ち上がった。当初、この想定を大きく超える巨大地震によりあまりに広域にわたり壊滅的な打撃を受けたため、行政による被災地の状況把握は困難を極め、必要な支援を行うことも困難な状況であった。そのため、全国から届けられる支援物資は中小規模の避難所や個人宅に残された人々の元には届かない状況が多く見られた。あるいは、その現場の人々のリアルなニーズとは異なる物資が届くという状況が多くみられた。(例えば、ある時電力が途絶え孤立したある避難所が本当に必要としていたのは、大量に届く服や絵本のかわりに、暖をとるために木を切るチェーンソーだったりした、等。)被災したエリアはあらゆるものが流されており、車もガソリンもないため移動は困難で、パソコンやインターネットも使えず、被災者が自分達でできることは極めて限られている状況であり、避難所ごとに必要としているものは異なり、また変化していく中で、支援物資のマッチングは困難を極めた。西條は現地に入り、その場のリアルニーズを把握することからはじめ、ソーシャルメディアなどの既存の利用可能なシステムを、ブリコラージュ的にすぐさま組み合わせて活かすという方法論を瞬時に立ち上げることで、こうしたミスマッチングの問題を解決していった。当初、彼は壊滅した地域に行き、それぞれの地域で本当に必要としているものを聞く活動からはじめた。彼は被災していないエリアに戻ると、翌日すぐにホームページを作り、それぞれの避難所で被災者が必要としているものをホームページや彼のブログに掲載した。そして彼のTwitterにそのHPのURLをリンクして、小さな避難所や個人避難宅では物資を受け取ることができないことや、その時点で被災地で必要としている物資の情報を拡散した。というのも直接Twitterに必要な物資を書き込んでしまうと、Twitterが無限に拡散することにより必要なくなった物資が避難所に届き続けてしまうという弊害が起こるためだ。そのためその都度情報を更新できるHPに情報を書き、それをTwitterにリンクして広めたのである。それをみた人はそれぞれの避難所に直接物資を送る。どこに何をどれくらい送ったかだけ報告してもらい、必要な物資の数を減らしていき、すべて送られた時点でその物資を消す。そうすることにより必要以上に物資が届くことを防ぐことを可能にした。こうして、彼は、現地での聞き取り、電話、宅急便、情報を随時更新できるブログやホームページ、拡散力のあるTwitter、インターネット上の販売サイト(EC)等といった既存のインフラを組み合わせることにより、必要な物資を必要な量だけ必要としている人に直接届ける新たな仕組みを開発したのである。しかし、東北のどこにあるかもわからない何千という避難所を一人で訪ねるのは不可能である。そこでどうしたのか? 彼は、HPからふんばろうのチラシをダウンロードできるようにして、必要物資を届けながらふんばろうの仕組みを伝える営業マンになって欲しいと呼びかけたのである。そして呼びかけに応じた人がそれぞれ独自の判断で動き始めた。物資を届けるときに現地で必要な物資を聞き取ってくると同時に、そのチラシも一緒に渡してもらうことで、避難所から直接ふんばろうに電話できるようにして、継続的なサポートが可能な避難所を何十箇所、何百箇所と広範囲に渡って急速にカバーしていったのである。それによって、震災から1年弱の間に、行政の支援が及ばなかった東北の小規模避難所や仮設住宅、個人避難宅エリアなどを中心に3,000カ所以上に155,000品目、35,000回以上におよぶ物資支援を実現させた。さらに、amazonのwishlistなどの既存システムを援用するアイデアを応用し、55,000アイテム以上の支援を実現した(*2013年度までの動物班の実績も含む)。さらに全国の自治体は被災地に物資を被災していない全国の自治体の倉庫の中でマッチングできずに送り先を失った大量の物資と、被災エリアで必要としている避難所とをマッチングすることで、4tトラック200台分以上もの物資を被災者に届けた。さらに、上記に示された膨大な実績を遥かに上回る意義がある。というのも、支援者は宅配便に自分の住所や電話番号を明記する形で個人や避難所に直接物資を送るため、支援された人は誰から支援されたかがわかる。するとお礼の電話がいくようになる。支援者は被災された方々の生の声で、いかに厳しい状況かを知り、また自分の支援がいかに役立ったかを知る。するとその支援者はさらなる支援を行う。またふんばろうの仕組みを通さずに直接支援するようになったり、現地に直接物資を持ってボランティアに行ったりするようになる。この仕組みは支援者と被災者をつなげて、深い絆を育むきっかけを提供することも意図していたのである。このように、従来のトップダウン型の仕組みが機能しない緊急事態において、支援者と被災者をつなぐことによって、結果として精度が高く心が通う被災者支援が自己組織的に成立する仕組みを構築したのだった。こうしたボランティアによる自律的な支援プロジェクトが生まれた理由は、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げた早稲田大学の西條剛央が約10年前に体系化した「構造構成主義」という考え方が市民ボランティア内で共有されたことによる。その都度「状況」を判断しながら「目的」を実現するための有効な「方法」を打ち出していくという構造構成主義が唱える「方法の原理」という考え方が、市民ボランティア内に浸透していくことで、さらに現場で生まれる新たな課題に対応する新しい方法とプロジェクトが自律的に次々に生まれていった。デジタルツールではなく、いわば「思想」「哲学」がボランティアたちを動かしたのだった。仮設住宅には日本赤十字社から家電が配布されるのに、半壊した自宅に戻っている自宅避難民やアパート等で暮らす被災者には家電が配布されないという理不尽な状況があった。そこで2011年5月には、こうした“支援格差”を埋めるべく、家庭で使われていない家電を回収、清掃して送る「 家電プロジェクト」 を立ち上げた。まず、東京を中心として各地で家電が収集され、 東北各地の被災者に届けられた。やがて夏になると、大量の扇風機が必要となった。そこで専用のECサイトを立ち上げ、 支援者に家電を購入してもらいそれを必要とする被災者に届ける新たな方法を開発した。さらに冬が近づくと、全国各地に散らばった被災者にも支援を行うため、全国紙をはじめとしてあらゆるメディアに大々的に告知を載せ、 それを見た被災者に罹災証明書のコピーと希望の家電を書いて送ってもらい、直接希望家電を送るという新たな方法を提案した。こうした家電プロジェクトは約25,000世帯に家電を贈ったのだった。また当初、被災地は大量の瓦礫で埋め尽くされている中、家も仕事場も流された多くの被災者は避難所で鬱々と過ごす日々を強いられていた。そこで、就労先を失った被災者の重機免許取得を支援することで、瓦礫の処理や復興建設関係への就労を可能にすることを目指した「重機免許取得プロジェクト」を立ち上げ、現地の被災者1,000名以上の重機免許取得にかかる費用の支援を全国から取り付けることにも成功した。他にも状況の変化に応じて、「学習支援プロジェクト」「就労支援プロジェクト」「ものづくりプロジェクト」「布ぞうりプロジェクト」「おたよりプロジェクト」「ガイガーカウンタープロジェクト」「漁業支援プロジェクト」「PC設置でつながるプロジェクト」「緑でつながるプロジェクト」「チャリティーブックプロジェクト」といった30以上のボランティアプロジェクトが立ち上がった。これらのプロジェクトの運営は、目的に応じて、FacebookグループやCybozu、Paypalといった複数の既存システムを駆使して自律的に立ち上げられ運営されていった。明確な境界をもたない市民ボランティアの自律的ネットワークモデル、次々と自己組織的に目的を達成していく市民による市民のための次世代のクラウドソーシングモデルとして「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は災害エリアの支援を実現していった。構造構成主義の「方法の有効性は、状況と目的に応じて決まる」という方法の原理にしたがい、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」では、役割を終えたプロジェクトは速やかに解散したり、状況に応じて組織構造すら柔軟に変えていくなど、一つのモデルに固執しない姿勢が徹底されている。大震災の現場では、前例主義により硬直化した組織の抱える課題が浮き彫りにされた。その教訓がここでは活かされている。
2014/06/03
おかげさまで、Prix ArsElectronicaという世界で最も歴史あるデジタルメディアのコンペティションにおいて「ふんばろう東日本支援プロジェクト」が最優秀賞にあたるゴールデン・ニカを受賞しました。http://www.aec.at/prix/en/gewinner/http://www.aec.at/prix/en/gewinner/#digitalcommunitiesPrix ArsElectronicaとは、オーストリアにある文化機関「アルスエレクトロニカ」が主催する国際コンペティションで、「アート・テクノロジー・社会」をテーマに、社会を動かすイノベーティブなアイデアや取り組みを世界各地から選出し奨励することを目的としたものです。その最高賞であるゴールデン・ニカ賞は「コンピューター界のオスカー」とも呼ばれているそうです。日本でのゴールデン・ニカ賞(最優秀賞)の受賞者には、坂本龍一さんが1996年にinteractive musicの部門で受賞するなど何人かの受賞者がおりますが、コミュニティ部門でのゴールデン・ニカは国内初受賞とのことです(他の部門をあわせても日本での最優秀賞受賞は7年ぶりとのこと)。このコミュニティ部門では、過去、Webの創設にあたるWWW(World Wide Web)や Wikipediaがゴールデン・ニカを受賞、WikiLeaks が準グランプリを受賞するなど、実際に、その後世界を変えてきた枠組みに対して与えられてきたものです。今、それを受賞したことの意味をあらためて考えています。「ふんばろう東日本支援プロジェクト」は明確な境界をもたない市民意思機能です。この受賞は、これまで無償のボランティアとして昼夜を問わず運営を支えてくれた3000人にのぼるスタッフや、自ら被災したにもかかわらず立ち上がった現地のボランティア、定期的にご寄付いただいている1000名以上のサポータークラブの皆様、協力してくださった70社以上の企業や団体の皆様の御尽力はもちろんのこと、サイトやAmazon、ECサイトを通して物資や家電を送ってくださった何万人という皆様、TwitterやFacebookで情報を広めてくださった何十万人という皆様、温かく見守ってくださった皆様、陰ながら協力してくださった皆様、また真摯に改善点を指摘してくださった皆様も含め、協力してくださったすべての方々のおかげに他なりません。あの日から3年以上が経過し、多くの困難を乗り越えてきた今、みなさま全員とこうした栄誉と喜びをわかちあえることをとても嬉しく思っています。そして、だからこそ、原点に戻ることの大切さも感じています。先日、74名の子ども達の命が失われた大川小学校のご遺族でもあり、スマートサバイバープロジェクトという新たなプロジェクトで一緒に活動している佐藤敏郎さんが、韓国の沈没事故のご遺族に向けて手紙を書かれました。(http://japan.hani.co.kr/arti/politics/17501.html)以下はその一節です。「あの子たちの犠牲が無駄になるかどうか、それが問われているのは生きている私たちです。小さな命たちを未来のために意味のあるものにしたい、それが、三年かかってようやく見つけた私にとってのかすかな光です。」震災をただの悲惨な出来事で終わらせてしまうのか、そこに新たな意味を見出せるのかは、やはり僕らのこれからの行動にかかっているのだと思います。あらためて関連死も含め亡くなられた方々のご冥福を心からお祈りするとともに、震災の教訓を活かした防災教育などの活動も視野に入れながら「目指すべき未来」に向かって一歩ずつ進んでいければと思っております。今後ともどうぞよろしくお願いします。2014.6.3.ふんばろう東日本支援プロジェクト代表・早稲田大学大学院客員准教授 西條剛央追記:できるだけ多くの活動にかかわってくださった方にお知らせしたいので、可能な範囲でのシェア拡散にご協力いただけるとありがたいです。m(__)m※以下はアルスエレクトロニカにて発表されたプレスリリース用の文章(http://www.aec.at/prix/en/gewinner/#digitalcommunities)を和訳したものです。日本語で読みたい方はこちらをどうぞ。http://plaza.rakuten.co.jp/saijotakeo0725/diary/201406030001/
2014/06/03
池田清彦先生、相変わらず天才でした。参加された方は、おそらく多くの衝撃を受けたことでしょう(笑撃も)。池田先生の「20年も経てばおれたち団塊世代は死んでいくから高齢化問題は解消していく」といのは目から鱗でした。直接的な解決策ではないものの、その期間をどううまいことやりすごすかが重要だというようにポイントを掴み直せば、方法を考えることはできそうです。*他にも「一度できたシステムをいかに安楽死させるかが重要だ」と、「ふんばろう東日本」についても言及しながら述べていて、これは本質を衝いていると感じました。参加してくださった方も(環境省の若手)、それに言及しつつ、「システムの移行をどのように考えればよいか」というご質問をいただいたので、後半の対談はそれを軸に進めていきました。そうして話しているうちに、自分の中で「時間」というキーワードが浮かんできました。僕らは時間を止めて考える思考に染まりすぎているのかもしれない。以下、対談の内容を踏まえながら、最後のほうにまとめた結論部分を少しまとめてみたものです。****『思想がひらく未来へのロードマップ』で京極さんが言っていたように、社会が流動性を持てないのも、既存のシステム(利権)にしがみつくのも、再就職が難しい社会だから。原発が止まらないのも、それで食べている人は食べていけなくなるから。家族を路頭に迷わせるわけにはいかない、と原発の再稼働を目的にがんばることになる。固定化されて流動性がない社会。失敗が許されない社会。成功の道から外れると戻れない社会。だから競争が激しい研究分野では不正も横行する。特に最新の機器がなければ研究できない分野は、研究費がもらえなければどんどん置いて行かれるという負のスパイラルになる、と池田先生。ゆえに、不正をしなければ確実に負け組になりそうなったらもう逆転は不可能とわかっている人の中から、いちかばちかで不正をしてもばれないことに賭けるのが合理的、と考える人が出ても不思議ではない。成功者はずっとアクセル全開で走り続けていなければ、という強迫観念にかられる。一度、ひっくり返った亀はもとに戻れないから。*研究者でも非常勤で暮らしている人は、1ヶ月数万円という低賃金で働くことになる。どんなに人気の講義であってもそこから常勤にあがることはできない。上がたまっているから、下が入れない。無責任な大学院政策の犠牲者は何十万人もいる。他方、大学だって、博士号を持っていなくても、なんらかのルートで一度生涯身分が保障されるポジションになってしまえば、一人の受講生もいない人でも、論文を書かなくても、つまり教育も研究もしなくても学務もしなくても、犯罪を犯さない限りはクビにはならない。法律も特定の人が儲かるよう補助金を支払える法律ばかりが何百本も純増していると池田先生。一度できると無くならない。一部の人の利権のためにずっと存在し続ける。*システムが恒久的であることがデフォルトのため、努力しなくてもお金が入り続ける人と、努力しても低賃金しかもらえない人に二分される。格差は広がる一方。そして、努力してももがいても報われない、という思いをした人の中には、次第にルサンチマンがたまっていき、社会で成功したひとを妬み、批判、攻撃するようになる。今回のSTAP細胞問題において、これまで報われずに夢を諦めて研究者のためにも絶対に責任をとってもらう、といって執拗なまでの批判的検証をしていた人のブログをみたときに、そういうものがあるのかもしれないな、と感じた(よい悪いは別として)。これが今僕らの社会を取り巻く「閉塞感」の正体ではないか。成功しても失敗しても憂き目に遭う社会。*つまり、今社会で起きている数々の不合理は、無自覚に恒久的なシステムを構築してしまうことにより、流動性がなくなることから生まれているのではないか。であれば、むしろ【システムを時限制にする】ことをデフォルトにすることで、この不条理の結果もたらされる閉塞感を打破できるのではないか。*なぜ非常勤の給料が低いかといえば、常勤職に払うお金がかかりすぎているため。だから、会社も非常勤を基本とする。そうすれば非常勤の給料もあげることができる。そしたら非常勤だけでも食べていける。そしたら、自分にあった会社、あった働き方を選んで、自分にあった生き方を作っていける。大学の教員も、任期制を基本とすれば、まったく働かない人が増えていくことで、仕事のできる人に負荷が集中したり、若い優秀な人を採用できないということも減っていくはずだ。池田先生がいうように、法律も時限制にする。継続するには2/3以上の賛成が必要といった厳しいハードルを設けて、クリアできなければ自然になくなるようにする。補助金にしがみつく人を減らしていく。組織も時限制にする。行政に新たな部署を作るときも、さしあたり3年で、というようにしておく。組織がなくなっても、ちゃんと再就職ができるような流動性があれば、そして非常勤でも常勤との待遇に大きな差がなければ、そういうことも可能になるはず。*それでも、今、生涯保証されてい人をそうじゃなくすることは大きな抵抗を生むため難しいかもしれない。ところが、そういう人も時間が経てば,ところてん式に定年になり辞めていく。あるいは死んでいく(人間必ず死ぬので)。いなくなった人の分の給料で、新たなに採用する人を任期制で採用していけば、時間が経つほど任期制の人が増えて、ついには任期制が基本、ということになる。*さらに、池田先生が「技術が社会を変える」といっていたように、SNS等の台頭により、伝達速度はあがっている。よいこともわるいこともどんどん伝わっていく。行政の右に倣えの特性をうまく利用すれば、変革のスピードはさらにあがる。たとえば、時限制を導入するモデルケース出てくることで、それのほうがいいね!と思うところが真似をして自己増殖的に増えていけば、オセロがひっくりかえっていくようにパタパタと変わっていくということもあるかもしれない。<時限制の導入 × 自己増殖 × 時間経過 = 閉塞社会の打開>この方程式は案外いけるのではないか?という希望を見出せたシンポジウムでした。こうした考え方に希望を見出せると感じた方は、ぜひシェアしていただければと思います(ブログ等で引用明記の上コピーしていただくことも歓迎です)。いただいたご質問もそうですが、おそらく会場のみなさんと波長があっていたことも創造的な場になった大きな要因ではないかと思っています。ご来場いただいた皆様にあらためて御礼申し上げます。【楽天ブックスならいつでも送料無料】思想がひらく未来へのロードマップ [ 西條剛央 ]価格:2,808円(税込、送料込)http://www.amazon.co.jp/思想がひらく未来へのロードマップ-構造構成主義研究-西條-剛央/dp/4762828521
2014/04/29
僕は、上手に器用に世渡りできる人より、純粋で不器用だけど一生懸命生きる人の方が好きな気がしています。不器用な人をみると、バカだなあもっとこうすればいいのに、なんでわからないかなあとも思うけども、我が身を振り返ると、同じようなことをやっているからかもしれません。でも一見器用に生きているような人も、実は不器用な人で、その人のいろいろな事情があって必死に身につけた結果、そう見えているだけなのかもしれない。そう思うと、そういう人も愛おしいなあと思います。不器用でもいいじゃないか。一生懸命生きているなら。
2014/04/28
器の大きい人とはどういう人か。それは、もれなくコインの表裏のように長所と短所でできている人間のよいところを引き出して、肯定して応援して、さらに引き上げることができる範囲の広い人のことなのだろう。だから、たとえば、最初から欠点が少なく優秀な人の、よいところだけを引き出せる人は、そういう器の人。高級食材を与えられればよい料理ができるセレブシェフみたいな人。それはそれで優秀な人。他方、世間一般では欠点が多いように見えても、その人だからできる部分に焦点を当てて、その人の良いところを何百倍、何千倍にも拡張、凝縮して力を引き出し、さらに他の人にもそれをわからせられる人が、本当に器の大きい人なのだと思う。こういうたとえは適切かどうかわからないけど、どんな食材でも美味しい料理にできるような、一般的には毒になるものさえ慈しみ、すんごい薬にできる人だっている。そういう人に私はなりたい。
2014/04/27
北海道から大阪、京都、名古屋、と全国からご来場いただいき、本当にありがとうございました!また急遽スタッフとしてお手伝いいただいた方々も本当にありがとうございました!一言で言えば、濃いイー、シンポジウムだったと思います。構造構成主義研究に執筆してくださった方でお会いしたことがない方々とも何人も会えましたし、「ふんばろう東日本」で以前がんばってくれていた人もいたし、東北発未来塾に出演したという方もいたし、池田先生のファンもいたし、年代も職業もいろいろでしたが、不思議と波長があうシンポジウムだったように思います。懇親会も、その場で流れをみて決めたにもかかわらず、たくさんの方にご参加いただき、まさに「はじめてあったとは思えない」ほどの意気投合で盛り上がり、僕も楽しい時間を過ごすことができました(雰囲気をうまく書いてくださった記事を最後に許可を得て引用させていただきました)。『思想がひらく未来へのロードマップ』に『人を助けるすんごい仕組み』の書評も掲載されている民話の語り手中谷さんのブログです。八十代万歳!というブログの題名にもありますように、ご高齢にもかかわらずご来場いただきました。本当にありがとうございました。・素晴らしかった一日 早稲田大学にて[追記あり]http://hisakobaab.exblog.jp/19722102/・西條先生からコメントをいただいて_____富岡製糸場 世界遺産へhttp://hisakobaab.exblog.jp/19726889/またこうした機会を設けられるようにがんばりたいと思います。高木さんのFacebookより引用————————————————————————————シンポジウム後は懇親会に参加してきました☆池田清彦先生・西條剛央先生に加え30名ほどが参加。どうしてでしょう。西條先生以外ほぼ全員初対面なんですが、初めて会ったとは思えない会話の盛り上がり感。ついつい私も饒舌になっていた気がします笑。なんでこんなに楽しかったのかなーとあえて分析してみたら、みんなかなり変わった方々なんですよね笑!真面目な社会に対するお話を、本気で、でもすんごい楽しそうに話をしている20代、30代、40代、50代、60代の集まり。社会的にも様々な分野でご活躍されている方々ばかりで、大変刺激になりました。池田先生、西條先生をはじめとして、飲みながら気軽にお話できる機会を頂けた私はとてもラッキーでした♪こういう変わった方々といるとリラックスする私も、やっぱり結構変態的なんでしょう。また今日みたいな機会を楽しみにしています☆もっと勉強・経験を積むぞー!
2014/04/26
Today is the first day of the rest of your life.(今日があなたの残りの人生の最初の日です)。僕が浪人時代に好きだった言葉だ(今も好きだけど)。なぜかといえば、今日もがんばれなかったなあという日が続いていたから、この台詞がそういうダメダメな過去をリセットしてくれるように思えたからだと思う。今があなたの残りの人生の最初の時です。
2014/04/25
〜したいが、〜しなきゃと思った時点で別のものになる。願望が義務になると途端に足取りは重くなる。したいからするであり続けることができたなら、どれだけ軽やかに生きられるだろうか。
2014/04/25
何をするかは大事だ。でも、どういう気持ちでするかはもっと大事だ。それによってどういうものになるかが決まってしまうから。
2014/04/25
他人に勝たなくてもいい。自分に負けないことが大事。いや、ときに負けるときがあってもいい。また立ち上がればそれでいい。
2014/04/24
カリスマ鍼灸師で有名な若林 理砂さんの『安心のペットボトル温灸』は、「お灸の効果はツボ付近の皮膚の温度を50-70度にすることで得られる」ことから逆算して、だったらペットボトルに熱湯1:水2で入れて80度にしてツボエリアにあてたら同じ効果があるよね、というコロンブスの卵的な発想から生まれた、ペットボトルのお茶代120円のみで、お灸よりも安全かつ簡単にお灸と同じ効果を出せてしまう、という魔法のような方法です。http://www.amazon.co.jp/安心のペットボトル温灸-若林理砂/dp/4906790089*先日、娘が突発性発疹になり高熱が治まった後、かつてないほど夜泣きが凄くて、あらゆる手を尽くしてもどうにもならなかったので、これが続いたらノイローゼになる気持ちがわかるなというほど途方に暮れました。ちょうど温灸の本を読んだばかりだったのですが、さすがにこの状態には効かないかなと思いつつ、他に方法もないので、温灸を試してみることにしました。哺乳瓶にミルクが入っていたので、電子レンジで数十秒チンして温めて、服の上から背骨に沿って上からあてていったのです(詳しくは本を読んでね)。本には「あちっとなったらすぐ離す」と書いてあったので、あちってしゃべれないけどどうするんだろうと思ったのですが、身体があちっていう動きをする(ぴくっと動く)のですぐわかりました。すると、その後大人しくなってすぐに寝てしまいました。あまりにもすんなり収まったので、そのときは温灸の効果だろうか、たまたま疲れ果てたのだろうかと思ったのですが、ともかく助かったと思い休みました。朝になるとまた大泣きしたので、再度背中に温灸をやってみることにしました。そのときは少し温度が低めだったので、これでいいのかなと思ったのですが「お灸の効果はツボ付近の皮膚の温度を50-70度にすることで得られる」というポイントを思い出し、ようするに、そのぐらいの温度になるよう少し長めにすればいいんだろ、と思ってやったら、すぐにふにゃー背中を丸めてその場で眠ってしまったのです(そんなことは今までに一度もないのでびっくりしました)。 いやほんとウソみたいに効きました。誰にも同じように効くのかは実験していないからわからないのですが、哺乳瓶のミルクでお金をかけずに試してみることできますから、試してみて損することはありません。夜泣きで悩んでいる方だけでなく、心身の失調でお悩みの方は、ぜひ一度試してみてください。**また、個人的には第二部の「不調を減らし、健康でいるために知っておきたい10のこと」は、なるほどと目から鱗の連続でおもしろくためになりました。もともと第二部だけで1冊書く予定だったらしく、1冊で二度美味しい本です。現在Amazonで64位まできているとのこと。ぜひたくさんの人がこの本を読んでお金をかけずに楽しく健康になってもらえたらなと思います。http://www.amazon.co.jp/安心のペットボトル温灸-若林理砂/dp/4906790089
2014/04/23
以下の引用は、僕が先日、大川小の御遺族でもあり女川中の石碑の立役者でもある佐藤敏郎さんの家に泊めていただいたときに、学校を残したい、とはじめて言い始めた大川小出身の長女佐藤そのみちゃんの想いです。何気なく語っていますが、こんなまっとうなこと、大人にだっていえるだろうかと思うと涙が出てきます。これはシェアしないと。http://www.huffingtonpost.jp/2014/04/12/okawa-sho-graduates_n_5140512.html?utm_hp_ref=fb&src=sp&comm_ref=falseこども達が勇気を振り絞って踏み出した第一歩なんだから。以下、佐藤そのみちゃんの文章から引用---------------------------------------------校舎を「見るだけでつらいから壊してほしい」って言う人や、報道関係の人や遠くから来る人がたくさんいて、「校舎が見せ物になっているのが嫌だから壊して欲しい」という人の気持ちもよくわかります。あの場所には悲しい気も記憶がたくさん詰まっているし、大川地区自体、たくさんの人が犠牲になっています。私自身、震災後大川小に関わるさまざまな出来事に苦しんだこともあります。例えばいろいろな報道や、いろいろな人の声を聞いたり、ネットの掲示板で嫌な書き込みを見ちゃったりとか……すごい苦しいこともあったんですけれど、でも、むしろ校舎がなくなって慰霊碑だけという形になってしまったら、そういう光景を見たら、余計につらくなってしまうのではないかなと思っています。遠くから来る人の中には、もしかしたら最初遊び感覚で来ている人もいるかもしれません。だとしても、あの校舎を実際に見れば、それまでの考えも意識も変わるのではないかと思います。私はむしろいろいろな場所のいろいろな立場の人に、大川小を知ってもらいたいです。私はこの3年間、一瞬たりとも大川小の事を思い出したくない、忘れたい、などと感じたことはありません。どうしても自分自身の気持ちにばかり寄り添った言い方になってしまうけれど、大川小で犠牲になった子供たち先生方のことは、忘れ去られてしまうのは本当に嫌です。時間が止まらない限り、風化っていうのはどうしても避けることができないんですけれど、それでもその校舎があるだけでも、その風化をちょっとだけ妨げることができると思います。最後に、“遺す・遺さない”について決定するまでには、長い時間が必要になると思うんですけれども、とりあえず今は、あの校舎を壊さないでそっとしておいて欲しいです。壊してからでは、何もかも手遅れだと思います。校舎を遺していくにはお金がかかるし、やはり様々な意見は尽きないはずです。それらを承知の上で、私はこれからも、「大川小の校舎を遺したい」と言い続けていきたいと思います。--------------------------------------------
2014/04/22
おもしろいということは、ただしいということよりずいぶんだいじだ。おもしろいことで争いは起こらないが、正しいということで争いは起こる。おもしろいことは広がるが、正しいことは狭くなる。おもしろいことはふわふわしているが、正しいことは硬い。でも、おもしろいだけだと、そこには何も残らない。なら、ただしいことをおもしろくできたらどうなるか。面白きこともなきを世を面白く ってそういう意味なのかもしれない。
2014/04/21
人間は、自分が最初からもっているものはリソースとは思わない(だからよいということもあるのだけど)。しかし、それは他者からみたら貴重なリソースということはけっこうある。たとえば、「信頼」などというものは、目には見えないけど、簡単に築けるものではなく、すべての根幹を成す極めて重要なリソースだ。*そういう、"見えない財産"というものは確かにある。しかし、「信頼を得よう」と作為的に行動した時点で、それは本来のものとは別の何かになる。作為というのは「〜のために」ということだ。だからノウハウ本を鵜呑みにして、作為的に(打算的に)動く人は、本当に欲しいものは得られないという逆説が生まれる。作為のないところに、たいがいの"本当"は生まれるのだ。*じゃあどうすればよいのか?ノウハウ本を読むのはいいけど、そこから「作為」を抜くこと。たとえば、人に動いてもらうには感謝することが大事と書いてあったら、相手を動かすために感謝するのではなく、結果として動いてくれることもあるかもしれないが、そういうことは忘れて、ただ自然に湧いてきた感謝の思いを相手に伝えるようにすること。自然にできる人は、自然にしていればいい。ただ、感謝を忘れがちな人は、誰かが何かしてくれるのは当たり前と思っていないかと自分に問うて、意識的に感謝の言葉を口に出すようにすることはよいことだと思う。それは〜のためにという作為ではなく、たんに意識して習慣づける、ということだからだ。習慣になればあとは自然にできるようになる。*ようするに、事後的にそういうことだったからそうしたほうがよいという作為的な方法と、進行形で起こっていることは違うので、本に書いてあることは真に受けずに作為を抜いて受け取った方が良いですよ、ということですね。
2014/04/13
2014年4月26日に、近年の構造構成主義の集大成ともいえる『思想がひらく未来へのロードマップ——構造構成主義6』の公刊を記念し、構造構成主義チャリティーシンポジウムを開催します。【楽天ブックスならいつでも送料無料】思想がひらく未来へのロードマップ [ 西條剛央 ]価格:2,808円(税込、送料込)池田清彦、西條剛央の単独講演に加え、池田先生との対談では、会場のみなさんの質問をもとに、気心知れた池田先生とだからこそ生み出せるライブならでは知的興奮に満ちた場にしていきたいと思っています。本シンポジウムはチャリティー企画でもあります(学生は無料です)。終了後、サイン会も実施します。このイベントページも含め事前登録等の申し込みは不要です。皆様奮ってご参加ください。(以下の情報はご自由にコピー&ペーストしていご活用ください)---------------------------------------------------第3回構造構成主義チャリティーシンポジウム「思想がひらく未来へのロードマップ」<日時>2014年4月26日(土)13時〜16時15分<場所>早稲田大学早稲田キャンパス10号館109教室(定員600名)http://www.waseda.jp/jp/campus/waseda.html<参加資格> 関心のあるかたはどなたでもご参加いただけます(一部のみの参加も可能です)。<登壇者>池田清彦(早稲田大学国際教養学術院教授)西條剛央(早稲田大学商学研究科客員准教授・ふんばろう東日本支援プロジェクト代表)<趣旨> 3.11以後噴出した原発をはじめとする問題群を哲学と科学で解き明かす『思想がひらく未来へのロードマップ—構造構成主義研究6』の公刊を記念し、第2回構造構成主義シンポジウムを開催します。 第一部の講演では、震災後、構造構成主義をもとに「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げ、日本最大級のボランティア組織に成長させた西條氏に、未曾有の震災で哲学がなぜ、どのように役立ったのかをお話しいただきます。そして「ほんまでっかTV」で一般の方にも広く知られている、構造主義科学論の創唱者である池田清彦氏には、3.11以後噴出した原発をはじめとする問題群をどのように考えればよいのかその青写真を示していただきます。 第二部では会場の皆さんからいただいた質問をもとに、お二人で対談を行って頂き、さらに議論を深めていきます。 混迷する日本社会の希望となるロードマップを示す当シンポジウムにぜひご来場ください。<タイムスケジュール>開場 12時30分〜第一部 講演 13時00分〜14時30分・西條剛央「未曾有の震災で哲学がどのように役立ったのか」・池田清彦「3.11以後噴出した問題群をどのように解決するか」*第一部終了後、質問を用紙に書いたものを受け付けます。その質問の中からピックアップする形で第二部の対談を進めていきます。第二部 対談(質疑応答) 14時45分〜16時15分対談 池田清彦×西條剛央「日本社会のこれからのロードマップ」<参加登録等>事前登録等の申し込みは不要です。学生は参加無料です。社会人の方は北大路書房からが出版された『思想がひらく未来へのロードマップ』*が参加チケットの代わりとなりますのでamazon等でご購入の上ご持参ください(受付での購入も可能ですが数に限りがありますのでお早めにご来場ください)。(*『思想がひらく未来へのロードマップ』の編集委員の印税全額と、『構造構成主義とは何か』や『構造構成主義研究1〜6』を含む構造構成主義関連書籍の売り上げの10%が北大路書房より東日本大震災の支援活動に寄付されます。)http://www.amazon.co.jp/思想がひらく未来へのロードマップ-構造構成主義研究-西條-剛央/dp/4762828521主催:構造構成主義研究会 / 協賛:北大路書房・構造構成主義アカデメイア
2014/04/12
信用は損得の成立する場面でうまく立ち回ったときに成り立つが、信頼は損得以前の関係性において育まれる。さらに、それを超える「絶対的信頼」はそれがどこでどのように醸造されたのかという問いを立てる必要性がないほど、あまりに自明なこととして成り立ってしまっていること。たとえば、人間が生きている間には地球が無くならないということを前提としているように。たとえば、自分の親は、いざとなったら自分の代わりに死ぬことも厭わないであろうとなんとなく思えるように。
2014/04/11
「企業文化」が染みついてしまっている人は、家族や親友関係では無条件に与えることができる人でも、殊仕事的なこととなるとできるだけ有利に運ぼうという交渉的思考パターンがデフォルトとしてインストールされているのかもしれない。しかし、まさにその態度が相手に警戒心を与え、同じような交渉的態度を引き出してしまうのだが。思えば僕は交渉や駆け引きの必要ない人とだけ親密な信頼関係性を築き、結果としてお金では買えないほどのリソースを提供し、提供されてきたような気がする。本来そういうものなんじゃなかろうか。
2014/04/10
方針決定に数ヶ月かかったのははじめてかもしんない。Facebook上だけで何十万字議論したか。戦略上重要な方針を間違えると、その後ずっと間違え続けることになるので、こういうところでは決して妥協していけない。できるだけ多くの意見を聞き、それぞれの関心を取り込んで、一見矛盾する関心を両立させるアイディアはないか、と考え続けている。明日は一日子連れ狼状態。寝よう。
2014/04/09
「あなたのためを思って」と安易に言う人は、実際には「自分のことしか考えていない」ので、静かに距離を置いたほうがよい。
2014/04/08
お金は食べ物みたいなものである。ないと死ぬし、ある程度は必要だが、あればあるほど幸せというものでもない。お金の場合は、万能性があるために、それに囚われるあまりに本質を見失うという副作用がさらにパワーアップしている。*大金持ちと圧倒的な美貌の持ち主と有力な政治家は似ている。多くの人の欲望の対象になるという意味で。そうした欲望から身を守る力がないと“食い物”にされてしまう。
2014/04/07
表向きの「原則」は大切だ。しかし同じぐらい「例外」を認めることも重要だ。なぜなら、それらはいずれも目的を達成するための手段だからだ。状況と目的に照らして有効な方法を選ぶ原理によれば、原則と例外を矛盾なく機能させる方法を作れば良い、ということになる。これはこれから生き延びる“しなやかな組織”には必要な考え方になるだろう(やっているところはやっているが大組織になるほど難しくなっていく)。
2014/04/06
仕事をしたくない、という人は簡単です。ちゃんと仕事をしなきゃいいのです。仕事をしなければ仕事もこなくなります。だから、仕事が欲しいと思っていても、よい仕事をしない人には仕事はこなくなります。仕事が欲しいひとは、いつでも相手が求める以上の仕事をするようにすればよい、ということになります。仕事の質と量は相関するのです。(「相関」なので必ずそうなるということじゃありませんが、概ねそういう傾向にあるということですね)。
2014/04/05
構造構成主義は板チョコみたいなものだ。硬くみえるけど食べたら甘い(エッセンスはシンプル)。実際、中学生に話してもちゃんと受け取ってもらえる。
2014/04/04
真理はシンプルだといった言葉では片付けられないほど世の中は複雑だが、だからこそシンプルに本質を捉まえようとする態度を堅持しないと進むものも進まなくなる。
2014/04/03
□To do list的な思考が苦手。□そのためだいたいやるべきことがわからなくなっている。□重要なイベントやミーティングは気合いで乗り切る。□そのためその後エネルギー切れになりだいたい連絡がとれなくなる。□メール、メッセージの上の方しかみれない。ゆえにたくさんきていると読み過ごす(読み落とす)、読んで心の中で返事をしているつもりになっている。メッセージの上の方しかみれない。□「重要なお知らせです。必ず開封して読んでください」という類の書類になるほど開封せずにどこかに積んでおく。□ビジョンを見出すのは得意でも、先の予定を決めるのが苦手。□ゆえに予約するのが苦手。□だから髪を自分で切ることになる。□早割とか絶対とれない。□本を出すまでは少しでもよい本にしようとがんばるが、出た後に営業的なアピールを怠る(満足してしまう)。□いろいろ損する(自業自得)。□いろいろな人に迷惑をかける(なんかすいません)。
2014/04/02
ようやく新年度になりました!桜も満開!今年度は、早稲田大学大学院の客員准教授となります。「ふんばろう」の代表を辞めて、テレビや雑誌といったマスコミにも一切出ず、子育てに専念するために夢の専業主夫になりたいと思います。みなさま、今年度もどうぞよろしくお願いします。m(__)mはい、エイプリルフールということで半分は冗談です(笑)。ですが、方向性としては(半分は)そんな感じでいきたいと思っています。よく今年度はブログを書くようにしよう(⇦ほんとか)。
2014/04/01
前号の『よい教育とは何か』から早3年。「ふんばろう東日本支援プロジェクト」を立ち上げたこともあり、公刊が2年もお遅れしまい、関係者には多大なるご迷惑をおかけしましたが、おかげさまで発展深化した構造構成主義の集大成がついに公刊されます↓。http://www.amazon.co.jp/思想がひらく未来へのロードマップ-構造構成主義研究-西條-剛央/dp/4762828521(*本書の編集委員の印税は全額寄付させていただき、3月〜4月の期間限定で、北大路書房から公刊される構造構成主義に関連する全著書の10%が北大路書房から復興支援活動に寄付されるというチャリティーになります。)*第一部の特集は書名にもなった『思想がひらく未来へのロードマップ』。という鼎談です。ここではホンマでっかTVでもお馴染みだと思うのですが、構造主義科学論の創唱者、池田清彦先生と、信念対立アプローチの京極真さん、西條が3.11以降に噴出した問題群を哲学と科学の両面から探求し、原発をはじめとする日本社会が陥っている閉塞的状況をどのように捉え、打開していく方法があるのか、未来へのロードマップを描きます。手前味噌ではありますが、こう考えれば日本社会の難問は解けるという青写真を示すもので、これまでの鼎談の中でも桁違いに意義深いものになっているのでは、と思っています。*第二部は構造構成主義に関連した珠玉の研究論文が多数収録。ここでは芸術解釈の原理論、実存論、工学的手法による構造構成主義の図化など、さまざまな研究テーマの論文が掲載されています。ひとつひとつがとても深くて面白いです。拙論としては、他の学会誌に掲載された論文が2本再録されています。1本目が「ボランタリズム研究」に掲載された「ふんばろう東日本支援プロジェクト」に関する論文。もう1本が「科学基礎論学会」に掲載された科学哲学の難問を一通り解明する論文です。*第三部は書評、参加体験記。第三部では、マネジメントをしている門松さんの「マネジメント/ボランティア」というマネジメントの観点からボランティアの形を論じた新たなボランティア論や、糸井重里さんをして「面白い」と言わしめた冬物家電リーダーの中谷さんがプロジェクトの舞台裏を描いた奮闘記、サイボウズLiveMAGAGZINさんのHPに掲載された記事など、「ふんばろう東日本支援プロジェクト」に関する活動報告があります。また苫野一徳さんや寺岡睦さんなどの新進気鋭の研究者、そして東京で語り部をされている中谷さんのお母様からも書評をご寄稿いただいています。そして最後の『編集後記』は必読です。構造構成主義研究は今後どうなるのか?僕たちの学問的態度が、ここに凝縮されています。お楽しみに。*『思想がひらく未来へのロードマップ』の出版記念イベントも4月26日(土)に行います。池田清彦先生と西條の登壇は決まっております。さらに詳細が決まりましたら追ってお知らせいたします。(お友達に関心を持っていただけるようでしたら本文面をコピーの上シェアしていただけるとありがたいですm(__)m)以下、すべてチャリティー対象書籍となります。この機会にぜひ。*********************************◇西條剛央の主著:構造構成主義の原点◇構造構成主義とは何か ◆ 次世代人間科学の原理西條剛央 著 / 北大路書房 / \2,800+税http://www.amazon.co.jp/構造構成主義とは何か―次世代人間科学の原理-西條-剛央/dp/4762824275◇新しい学術媒体:構造構成主義研究1~5◇現代思想のレボリューション ◆ 構造構成主義研究1西條剛央、京極 真、池田清彦 編著 / 北大路書房 / \2,600+税http://www.amazon.co.jp/現代思想のレボリューション(構造構成主義研究-1)-西條-剛央/dp/4762825441/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1394446440&sr=1-1&keywords=現代思想のレボリューション信念対立の克服をどう考えるか ◆ 構造構成主義研究2西條剛央、京極 真、池田清彦 編著 / 北大路書房 / \2,600+税http://www.amazon.co.jp/信念対立の克服をどう考えるか(構造構成主義研究-2)-西條-剛央/dp/4762825980/ref=pd_bxgy_b_img_yなぜいま医療でメタ理論なのか ◆ 構造構成主義研究3西條剛央、京極 真、池田清彦 編著 / 北大路書房 / \2,600+税http://www.amazon.co.jp/なぜいま医療でメタ理論なのか―構造構成主義研究%E3%80%883〉-西條-剛央/dp/4762826693/ref=pd_bxgy_b_img_z持続可能な社会をどう構想するか ◆ 構造構成主義研究4西條剛央、京極 真、池田清彦 編著 / 北大路書房 / \2,600+税http://www.amazon.co.jp/持続可能な社会をどう構想するか-構造構成主義研究-4-西條-剛央/dp/476282707X/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1394446498&sr=1-1&keywords=持続可能な社会をどう構想するかよい教育とは何か ◆ 構造構成主義研究5西條剛央、京極 真、池田清彦 編著 / 北大路書房 / \2,600+税http://www.amazon.co.jp/よい教育とは何か-構造構成主義研究5-西條-剛央/dp/4762827541思想がひらく未来へのロードマップ ◆ 構造構成主義研究6西條剛央、京極 真、池田清彦 編著 / 北大路書房 / \2,600+税http://www.amazon.co.jp/思想がひらく未来へのロードマップ-構造構成主義研究-西條-剛央/dp/4762828521◇構造主義科学論から構造構成主義へ◇科学の剣 哲学の魔法 ◆ 構造主義科学論から構造構成主義への継承池田清彦、西條剛央 著 / 北大路書房 / \1,600+税http://www.amazon.co.jp/科学の剣-哲学の魔法―対談-構造主義科学論から構造構成主義への継承-池田-清彦/dp/4762824933/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1394446586&sr=1-1&keywords=科学の剣細胞の文化、ヒトの社会 ◆ 構造主義科学論で読み解く池田清彦 著 / 北大路書房 / \1,900+税http://www.amazon.co.jp/細胞の文化、ヒトの社会―構造主義科学論で読み解く-池田-清彦/dp/4762825921/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1394446607&sr=1-1&keywords=細胞の文化、ヒトの社会感染症は実在しない ◆ 構造構成的感染症学岩田健太郎 著 / 北大路書房 / \1,800+税http://www.amazon.co.jp/感染症は実在しない―構造構成的感染症学-岩田-健太郎/dp/4762826960/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1394446631&sr=1-1&keywords=感染症は実在しない◇西條剛央の編集専門書◇構造構成的発達研究法の理論と実践 ◆ 縦断研究法の体系化に向けて西條剛央 編著 / 北大路書房 / \2,800+税http://www.amazon.co.jp/構造構成的発達研究法の理論と実践―縦断研究法の体系化に向けて-西條-剛央/dp/4762824283/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1394446652&sr=1-1&keywords=構造構成的発達研究法の理論と実践」エマージェンス人間科学 ◆ 理論・方法・実践とその間から西條剛央、菅村玄二、斎藤清二 他 編著 / 北大路書房 / \2,600+税http://www.amazon.co.jp/構造構成的発達研究法の理論と実践―縦断研究法の体系化に向けて-西條-剛央/dp/4762824283/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1394446652&sr=1-1&keywords=構造構成的発達研究法の理論と実践」*********************************マメ情報 裏表紙の奇蹟の1本松の写真は2011年陸前高田で撮ったものです。
2014/03/10
先日、大川小学校検証委員会の最終報告が行われました。しかし、室崎委員長も「一定以上の限界があった」と認めたように、残念ながら、なぜ大川小学校の悲劇が起きてしまったのかを解明するには至りませんでした。僕もご遺族の要請を受けて独自に大川小学校の研究を進めてきましたが、これまで、国に真相解明を望む遺族の気持ちに答えて欲しい、遺族が納得のいく解明をして欲しいという気持ちから、検証委員会の動向を見守ってきました。室崎委員長とは何度かやりとりさせていただきましたが、少なくとも室崎委員長はできる限り真摯に調査、対応されようとされていたと思います。特に、11月の中間報告で専門家等から69ものパブリックコメント↓が寄せられたことは大きな転機になっていたように思います(僕も記述の根拠や出典を明示しないと科学的検証にならないことを論証する意見論文(60番目)を提出しました。結局出典等の根拠が明記されることはありませんでしたが)。http://www.e-riss.co.jp/oic/_src/sc502/81u8E968EC08FEE95F182C98AD682B782E982C682E882DC82C682DF81v82C98AEE82C382AD88D38CA981y8DB782B591D682A694C581z.pdfそれによって、それまで一切触れられることのなかった山に逃げようと進言した子ども達がいた話なども不十分ながらも取り上げられるようになるなど、検証内容に一定以上の修正はなされたように思います(その前後の検証結果を比較するとわかります)。http://www.e-riss.co.jp/oic/また実質的に事務局や調査委に任せていた委員の先生方も、本腰を入れ始めたためか、委員の検証にかけるエネルギーも密度が濃くなっていったようにも感じました。実際、検証委員会が公式に「学校の防災対策の問題点や、同校が避難所に指定されているのに行政からの災害情報の伝達が不十分だったことも指摘した」ことは、今後の学校防災を考えれば大きなことだと思います。*しかし、「報告書では、避難開始の意思決定が遅かったことと、津波を免れた裏山ではなく、危険な河川堤防近くを避難先に選んだことを「最大の直接的な要因」と結論づけた」わけですが、それは様々な報道でも言われていたように、検証委員会前にわかっていたことでした。飛び降り自殺により生徒が亡くなった事故になぞらえれば、ご遺族が知りたいのは、「なぜ自分の子どもは飛び降りざるを得なかったのか」なのです。それに対して生徒が亡くなった「直接的要因」は「飛び降りたこと」といわれて納得できる遺族はいないでしょう。「なぜ裏山に逃げず校庭に留まり続けたのか、堤防の方に向かってしまったのかを、学校文化や人間関係も含め踏み込んで明らかにして欲しい」というのが遺族の願いであり、実際、前回前々回と検証委員会で遺族との意見交換の場が設けられてからも、ずっとそれだけを言い続けてきたといってもよいです。しかし、それに答える踏み込んだ調査はなされなかった。だからこそ、ご遺族が「原因の核心部分はなく、重要な証言が出ていない」という話になったのでしょう。*津波の情報はラジオで聞いており、証言が得られているだけでも、教頭先生、教務主任、安全主任の先生とその場にいたトップ3の先生が、山に逃げようと言った。この3名は前年の津波の防災研修も受けています。迎えにきた保護者や地域住民の中にも津波がくるから逃げてといっていた人達もいた。6年生の児童の中にも山に逃げようと強く進言していた子達もいた。実際、1分あれば逃げることのできる傾斜の緩い裏山があった(1枚目と2枚目の写真はその裏山から撮った写真です。1枚目の右下の青いテープが津波到達地点です。誰もが逃げれることがわかると思います)。だからこそご遺族は、子ども達は裏山に逃げて助かっているものと信じていた。しかし、実際には意志決定することができず、津波が目前に迫る校庭に50分間留まってしまった。そして最終的に河川堤防近くの三角地帯と呼ばれる場所に向かったが、移動して1分たらずで津波の飲まれてしまい、74名の児童が死亡・行方不明となり学校管理下にあった95%の児童が亡くなるという戦後最大の悲劇が起きてしまったのです。だからこそ、助かった命ではないか、どうして我が子は死ななければならなかったのかを解明して欲しい遺族は望んでいたわけです。それを明らかにしなければ、また同じことが起きて、自分達と同じような悲惨な目にあう人が出てきてしまうからです。しかし、検証は遅々として進みませんでした。それどころか11月の中間報告では「逃げられなかった要因」だけが取り上げられ、「裏山への避難道がなかった」とされていました。僕はできるだけ建設的に検証委員会の動向を見守っていこうと思っていましたが、これにはさすがに戦慄しました。あたかも「仕方なかったのだ」と結論づけようとしているかのようにみえたためです。*それによって、危機感を持ったご遺族は佐藤敏郎さんを代表とする「小さな命の意味を考える会」が立ち上がりました(佐藤敏郎さんは石碑のプロジェクトで防災甲子園グランプリをとった女川中学校で防災担当をしておられます)。http://311chiisanainochi.org/wp/ここには検証結果に対していくつもの重要な提言が書かれています。たとえば、そこには検証報告書の一部が掲載されており、その語尾表記の形式をとりあげて「「ほぼ間違いない場合」は「推定される」なのだそうです。違うと思いますが…。「ほぼ間違いない」と書けばいいのに」とまっとうな指摘がされています。本当にそう思います。辞書で「推定」を引くと、「はっきりとはわからないことをいろいろな根拠をもとに,あれこれ考えて決めること。」ありますが、一般的に「推定される」という言い方は確度が高いときに使わない言葉です。読んだ人は誤解するでしょう。まさに誰に向けての何のための検証結果なのかということです。*あと全体に渡って違和感を感じるのは、「可能性は否定できない」という語尾を、証言もあり確度の高い事象にも使われているところが散見されることです。たとえば「地震後にラジオを持ち出し、聞いていた可能性は否定できない」とあります。「可能性は否定できない」ということは=ゼロではない、ということであり、いってみれば、ほとんどゼロということです。「あなたが明日死ぬ可能性は否定できない」といったときには、「理論上はありうるが実際にはない」ということを意味します。しかし、市の教育委員会の報告書だけでも、「ラジオから、「津波警報」と聞こえていた」(1年生存児童)、「教頭先生がラジオを聞いていた」(5年児童)という証言があるのに、なぜ「可能性は否定できない」という書き方になるのかなと思います。そうした指摘に対しては「聞いていなかったという証言があるから」という返答が帰ってくるのですが、防災無線も聞こえていた人と聞こえていなかった人がいます。聞こえていない人がいるからといって、複数の聞いたという人の証言が「防災無線を聞いた可能性は否定できない」とは書かないのになぜラジオはそう書くのだろうかということです。そもそも、震災の直後に行われたインタビュー調査結果よりも、震災から2年以上が経過してからの証言のほうを重視(優先)しているのですが、これ自体妥当なことなのか疑問です。僕も震災のときのことは、当時書いたTwitterなどをみれば正確な情報が載ってますが、今思い出してもぼんやりと不正確なことしか思い出せないです。子ども達だって迎えにきた保護者だって同じじゃないでしょうか。*学校側はマニュアルも作成しておらず(教育委員会にはやったと虚偽の報告をしていたことが明らかとなっていますが)、津波に対する訓練もしていませんでした。たしかに誰もが経験したことがない津波です。ハザードマップでも津波は届かないとされており、津波の被害に遭ったことがない地域でもありました。そのことが学校の防災に対する意識に影響を与えていたことも十分考えられます。他にも同じように避難訓練していなかった学校もあったのも事実です。だから学校の防災のあり方だけが今回の悲劇をもたらしたとはいえない。しかし、他方で、一度でも裏山に避難する訓練をしていたならば、検証委員会でも指摘されている「意思決定の停滞」自体が起きませんから、全員助かったことも確かなように思います。そして校長自らも認めているように、引き渡しのためのカード作成も当時の校長になってからは「怠慢」により止まっていました。僕が遺族なら、もし震度5以上のときは迎えに来るようにという決まりが通達されていたなら、這ってでも迎えに行って我が子の命を助けることはできたのに…といういたたまれない気持ちになると思います。そもそも遺族は学校に子ども達の命を預けたのです。学校管理下においては子ども達の命を守る義務がある以上、子ども達の命が亡くなったことの責任の一端は学校にあると思うのですが、今回の最終報告では責任の所在は明記されませんでした。そのため、一部の遺族が「裁判などしたくなかったが、責任の所在をはっきりさせるため裁判に踏み切る」とのこと。裁判などしたくないからこそ、今まで裁判に踏み切ることなく、粘り強く検証委員会に真相を明らかにして欲しいと求めてきたのに、司法の場に訴えるほかなくなったわけです。我が子を失ったご遺族は、調査メモを廃棄するといった市の教育委員会の不適切な事後対応に追い打ちをかけられ、何度も何度も心を折られながらも、亡くなった子ども達の命を無駄にするわけにはいかないと、真相解明を訴え続けてきました。ご遺族が、これからも長く苦しい戦いを強いられること、それをこれまでの事情を知らない世論に「仕方がなかったのにごねている遺族がいる」といった心ない批判をされる可能性を思うと胸が痛みます。*これはダイヤモンドオンラインで連載されている大川小学校に関する記事です。http://diamond.jp/articles/-/48702これを読むと検証委員会立ち上げの時点で、遺族が「ハザードマップの作成にかかわった東北大の教授は委員に入れないで欲しい」と要請していたにもかかわらず、東北大の首藤名誉教授が委員となったばかりか、その娘のやっているコンサル会社が事実上の検証を担う事務局となり、5700万円で検証が発注されることになった経緯などが書かれており、これを読むとなぜ遺族は不信感を強めざるをえなかったのかもよくわかります。*僕がずっと話を聞いてきたご遺族は子どものことをすごくすごく愛しているのが伝わってくる本当に心優しい方々ばかりです。一般の人にもぜひこの記事を読んで、正しく何が起きているのかを把握し、我が子を失ったご遺族を傷つけることがないようにしていただければと、心よりお願いしたいと思います。2014.2.24.早稲田大学大学院商学研究科ビジネス専攻専任講師・ふんばろう東日本支援プロジェクト代表 西條剛央大川小学校の検証委員会について正しい情報を共有するため、もし共感していただけるようでしたらシェアしていただければと思いますm(__)m
2014/02/27
なぜ無党派層が負けるのか。それは、無党派をメタレベルで調整できる人や仕組みがないから。無党派の人はみんな「自分が出たい」というだけでどんどん出るため、その結果票がばらつき、力をあわせて一点集中突破ができない。その点、有力党は必要に応じて各党でスクラムを組みトップダウンで1本化して、組織票をかき集め、どんな人であろうとトップに据えてしまう。対抗馬を出させて敵対戦力の力を分散させる作戦だって簡単にできてしまう。その結果、全体でみれば不支持の人が多いはずの人が当選することになる。こうして「選挙の不合理」が起きる。*戦争で考えてみよう。人数は同じ規模だったとする。各自がばらばらに戦っているアメーバ状の組織と、統制がとれているピラミッド型の軍隊型組織のどちらが「拠点」をとれるか。それは後者に決まっている。「拠点」をとるという目的を実現するために全体をコントロールし、すべてのエネルギーを集約させることができるのだから。ゆえに基本的に軍隊はそのような編成をする。そのような編成ができていない時点で、無党派層は相当な追い風が吹かない限り、戦力が分散されるためまず勝てない(アメーバ状の組織の長所は組織というほどの確固たるものもないため攻撃されにくく、自己増殖的に考え方を広めていくことができる点だが「拠点」をとるのに向いていない)。したがって、無党派層の人達が、党派政治に勝つためには、無党派層の考えをメタレベルで調整し、1点突破できるよう調整する人や仕組みが必要になる。*そもそも各自が「出たいから出る」という次元の戦い方をしている時点で勝てない。脱原発なら脱原発で、大きなところで方向性が一致するなら、それぞれのよい政策を取り入れる形で、有力な人達の間で誰に1本化するか協議するか、それでも決着つかなければ有力者によるジャンケンでもよいから、1本化したほうがよい。先の神戸市長選は完全にそう。無党派層が元副市長と僅差で争った実績のある樫野孝人さんに1本化していれば、60年続く官僚政治を終わらせることはできた。都知事選は脱原発で1本化しても票は届かなかったという人もいるかもしれないけども、潜在的に同じ戦力がみこめるならそのエネルギーを集約させたほうが「勝ち目」が出てくるため、さらに票は集まり、圧勝できたのではないかと思う(それがわかっているから小泉さんは細川さんを応援した)。「我も我も」と自分が出馬することに固執していては、大義を成し遂げることはできない。また投票する側も「自分の政策に最もフィットする人に投票しよう」と思っているうちは大義を成し遂げることはできない。もっとも民主主義の原則は一般意志を反映させることだから、本来「自分の政策に最もフィットする人に投票しよう」でよいし、むしろ「一部の利権を反映させる組織票や政党政治」のほうが民主主義の原理に反しているのだけど、しかし上述したように、現状においては組織票を武器に1点突破戦略が可能な政党政治を打倒することはできない。これは「イノベーションのジレンマ」ならず、「改革のジレンマ」という。明治維新のときもそうだ。薩摩と長州が、ローカルな大義の元で争っていたなら江戸幕府を倒すことはできなかった。坂本龍馬に代表されるように本質的な大義のもとにローカルな大義を調整すべく奔走した人達がいてこそ、新政権を作ることができた。*そういう人が現れるまで、無党派層(たとえば脱原発派)は苦汁をなめ続けることになるだろう。実際、人数的には原発の恩恵を受けている人より迷惑をこうむっている人の方が多いのだから、今回「なぜこれだけの声があるのに勝てないんだ」と思った人も少なくないと思う。それと同時に蓋を開けてみたら「やっぱりそうか」と感じた人も多いと思う。なぜか?それは戦力分散と戦略が統一できない不利さを直観していたからであり、これまでも、それによる敗北を繰り返してきたからだ。これの真に怖ろしいところは、「だからどんなにがんばってもどうせ勝てないんだ」となるところだ。これを心理学では「学習性無力感」という。実際、今回の都知事選も投票率が下がっているのは、若者を中心にこの学習性無力感に陥り、「どうせ結果は同じだ」という人が増えているからではないかと推測している。「選挙にいかない人と付き合ってはダメだ」とか「なぜ選挙にいかないんだ」とか「関心が低いのがいかん」といった正論をいうことも必要かもしれないが、いかない人がいかないことにもちゃんとした理由があると考えたほうがよい。人間は無駄なことだと思ったら関心を失うのだ。実際、政治に関心を失うには十分すぎる理由があると思う。他方、既存の政党政治は「やはりこれなら勝てる」とその戦略の有効性に確信を深め、その行動は強化されていく(これを心理学の強化理論では「好子により強化された」という)。ただでさえ、既得権益を守ろうとする人は積極的に全力で保守しにかかるのに対して、改革派は消極的で中途半端な人が多いため、その傾向はさらに加速されることになる。*しかし、これは単に「方法」がなかっただけで、なければ作ればよいのだから、諦めることはない。先も触れたように、いま無党派層に必要なのは、誰にもどこにも私的にコミットすることなく、国民を県民を市民を幸せにするという目的に照らして全体を調整できる人や仕組みなのだ。それこそが今求められる本物の「政治家」であり、本当の意味での一般意志を反映する「政治」なのだと思う。*だれかそういう人達が現れてこないかなあと思って考えてみるとたとえば次のような人が思い浮かぶ(ちなみに僕はどこの党を応援するといった考えをもったことは一度たりともないです。念のため)。神戸市長選で僅差で敗れたものの、地域政党を立ち上げ、行政の実践コンサルタントとして広島市の業務の1/3にあたる500の事業を請け負うなど、行政のプロとして活躍している樫野孝人さん。国会での質問回数1位を誇るが、超党派の考えがあったために党をやめさせられて無所属となった衆議委員議員の柿沢未途さん、あるいは、お会いしたことはないけど家入一真さんも既得権益のしがらみから遠く、特定の考えに固執しなそうなので、そうしたポテンシャルを備えているかもしれない。細川さんとか小泉さんがそのままそういう立場になったらそれはそれですごいと思う。二人で応援するとかね。僕は基本的に「政治」嫌いなので、こういうことを考えることしかできないけども、これが僕なりの諦めないための「哲学」であり、「希望」です。
2014/02/10
http://taiyou77a.blogspot.jp/2014/02/20140208_9.html「細川さんの演説もすばらしいが、19分以降の小泉さんの演説は史上最高の演説です。」とあるように、これは名演説。*世の中に絶対にやってはいけないことというのはある。子どもやその子ども達に、目の前の利益のために自分達も処理できない猛毒の放射性物質を押しつけるということは、絶対にやってはいけないことだと思っている。恥ずかしながら、僕ら日本人は、それをやっている。負けるとわかっていて戦争を続けたことを今どうして?と責めるように、50年後、100年後の子孫から、僕らは責められるだろう(そんな非道な事はナチスドイツですらしていない)。東京から日本を変える、世界を変える、そういう契機になることを願っている。*以下、上記サイトの小泉さんの演説部分から引用。--------私たちがなぜ立ち上がったか、原発派安全だ、原発はコストが一番安い、そうじゃなかったのが分かったからなんです。安全じゃない、第二次世界大戦後、平和利用ということで原発が導入された。約60年が経過した。案園だったのか?、30年ほど前、アメリカのスリーマイル島で原発事故を起こした、未だに地域に帰れない、病人も出ている、ソ連のチェルノブイリでまた大事故を起こした、これも故郷なくなっちゃった、地域にまだ帰っていない。あれはアメリカの出来事、ソ連の出来事、日本は安全だ、外国の方もそう思っていた、なぜなら日本人はまじめだ、誠実だ、日本の技術は優れている、日本は大丈夫だろう、我々も思った。ところが3年前、原子力、メルトダウン、あやうく東京との都民が何万人も避難せざる得ないとの危険を持った、外国の大使館員の中にはあわてて本国に帰った大使館員も結構いた。そういう中で私も勉強しなおしました。原発は安全ではなかった、これからも決して事故を起こすことができないものが原発なんです。”世の中に二度と事故を起こしていけないものなんて出来ますか”22分32秒)だから我々は。これは原発を若い世代に原発を残してはならない”原発無しで十分発展できる、確信したから細川さんと一緒にお互い余生はそんなに無いけれども若い世代に原発を残してはならない、(そうだー)原発無しに発展できる、自然を大事にしたそういう国づくりをはじめよう、(おーー)東京都に五輪が決まった、原発の電源無しで五輪を成功させよう、(そうだー、おーー)そうすれば世界は、日本の首都、世界の大都市、日本でも一番電力を消費している東京が原発の電源無しで五輪を成功させた、この姿を世界に見せれば必ずまた世界は日本に、ああ、期待を抱く。日本は自然を資源にする国づくりに立ち上がるな、(そうだー)細川さんが知事に就任すれば必ず国も動きます。(そうだー)原発無し、国民が支持してくれれば、そう政治が決断すれば、この、原発無しで発展できる日本っていうのは実現可能な夢なんです。(そうだー)原発コスト安い?大嘘ですよ。 よく調べた、今、日本の電力会社、原発、、様々な電源を持っています、しかしながら原発に関して政府の資金投入無しに、国民の税金を多額に投入すること無しに、電力会社、収益をあげること出来ないんですよ。(そうだーおー)原発の電力会社、国民の多額の税金の投入無しで採算あわない。建設にもコストがかかる、様々安全対策にも莫大なコストがかかる、まず第一に事故が起こった場合にこの賠償、どれほどかかるか分からない。そういうことを考えると、原発は安全でもないし、コストが安いどころか、一番金食い虫が原発なんだ。その金を自然の世界に無限にある、そういう再生可能エネルギーによって日本を発展させよう成長させようってのは実現不可能な夢じゃないです。壮大な事業だけども実現可能な夢なんです。(そうだー)やればできる、それをなぜやらないのかとうのが、私は残念でならない。これから様々な動きが出てきますよ。電源を原子力を基幹的エネルギーにしようとする勢力と、いや、細川さんや私みたいに原発の電源無しに発展させようという鬩ぎ合いが今、始まっている。なんとかこの都知事選をやり過ごしてまた原発を再稼動させようという動きは顕著になっている。これは止めなきゃならない。(そうだー)原発は廃止するにしたって廃炉にするのに40年50年かかる。そういうことを考えたら、(26分32秒)”原発の電源で恩恵を受けている生きている人我々、その陰で若い世代、まだ生まれてこない子供たちが、どんなつけを負わなければならないか、それを考えただけでも原発を直ちにゼロにしたほうが、様々な企業が準備が出来ます用意ができます”福島の事故を見てドイツは原発ゼロに切り替えた。与野党が一致して原発ゼロを表明して今やっている。ところがゼロを表明したけれどもドイツは少しまだいくつかの原発が動いている。日本はまだどっちに行くかわからない、原発を基本的エネルギーにしろ、あるいはゼロにしろ、迷っている。ところが世界の原発を持っている国で、原発ゼロと表明しないで、実際原発ゼロでやっているのは日本だけですよ。(わーーー)やればできるんです。(そうだ)私はこの選挙、細川さんを応援する、しかしね、初日か2日くらい街頭で応援すれば良いと思ってたんです、ところが連日、雨が降っても雪が降っても一緒にやっていますよ。そりゃそうだ、細川さん、出る決意、覚悟、並大抵の覚悟ではない、矢でも鉄砲でも持って来い、という覚悟をしている人の前でね、ああ、雨だからやめようとかね、ちょっと雪降るからきょうやめようとか言えなくなっちゃった。(わははは)(いいぞー)こういう皆さんの熱い声援を感ずるとね、不思議なことに、70過ぎてのこのこ出てこない引っ込んでいろ、という声があるのは分かっているけども、連日こうして皆さんの熱気を感ずるとね、不思議なことですよ、私が始めて衆議院に立候補したときの思いが蘇ってきたんですよ。40年前、私は初めて衆議院に立候補したときにどういう気持ちだったか、自然と蘇ってきます。若い、当時は青年だった、私は未熟だけども経験は無いけどもこの国をより良い国にしたい、そういう使命感を持って立ち上がったんですと、皆さんに伝えた記憶が蘇ってきたんです。70過ぎて今、細川さんと一緒になって同じ思いが蘇ってきのは皆さんの熱い声援のおかげです。(いいぞーーわーー)不思議なもので70過ぎてね、少年よ大志を抱けという言葉がまた思い出された。中学校のときに初めて聴いた言葉ですよ。英語の事業だったかな、“Boys, be ambitious!” ・・これは、少年よ大志を抱け、クラーク博士の言葉、これは英語の引用で、これはいい言葉だな、今その少年よ大志を抱け、あそうだ、年とっても気持ちさえ若ければ、年取っても大志を抱いて良いんだ、と思った、(わーーーーー)危険な膨大なコストがかかる原発を、これからの若い人たちに残したくない、自然の社会を大事にする、無限にある自然の再生エネルギーを我々の生活、発展に生かすことが出来る、やればできる、これを実現する、それこそ高い志ではなかったか。(そうだー、わー)やるべき仕事やらねばならない仕事を見つけると若返るんですよ気持ちが。(わーー)元気が出てくる。こういう気持ちを持ってこれからは皆さんとともに原発無しの国作り、原発無しで成長発展できる東京都、日本、その夢のある事業に向かって細川さんを当選させて、また皆さんと一緒身がんばりたい。(わーーーーー)こうして皆さんが寒い中、大雪の中、声援、拍手、熱気を感じながら元気で戦うことが出来たのも、細川さんの覚悟を目の当たりに見て、皆さんが連日、熱い心を持って、支援してくださったおかげです。最後までがんばります、(わーー)この熱気を無限にある自然、自然を破壊しかねない科学技術大国ではなく、日本は自然の生態系を尊重する、そういう自然を大事にして原発無しの再生可能エネルギーで発展させる。その姿を世界に見せるために、これからも細川さんと、皆さんと一緒に戦い抜こうではありませんか。(わーーー)最後まで皆さんの貴重な一票を細川さんに賜りますよう心からお願い申し上げまして最後の演説に変えます。”もう私の生涯で雪の中でこうして皆さんに訴える機会は、二度とこないと思いますけど、まだまだ原発無しの社会を作るためには、いっしょにがんばります。ありがとうございました”(細川コール)
2014/02/09
「あまちゃん」と「半沢直樹」この2大巨頭を比べ論じることで、「あまちゃんとは何か」その本質に迫ってみたい。嫁さんは、「半沢直樹」の最終回をみた後に、「半沢直樹は“怨みハラスメント”で、あまちゃんは“愛情はぐくみメント”かもね」とうまいこと本質観取していた。たしかにそれも当たっている気がする。*二つとも俯瞰すればコメディドラマだと思うのだが、僕なりに言い直せば、「半沢直樹」は“正義と怨みハラスメントを基調とした劇画風コメディドラマ”であり、「あまちゃん」は、“愛と明るさにより呪いが成仏する愛嬌ドラマ”だ。「半沢直樹」は父親を殺された仇を討つ、怨みを晴らす“意志”の物語ということもできる。最後は出向になったが、あれだけの公の場で怒りに震える宿敵を這いつくばらせたんだから個人的な怨みは晴らしたといえよう。そしてあまちゃんに通底しているのは、すべての登場人物に対する“愛”だ。ヘンなひとはたくさん出てくるがすべてのキャラを愛でる視点がある。*「あまちゃん」では、ひどいこといわれても、「うええ」と泣いたり、「なんだこのやろー!」と怒っても、倍返しだとかはいわない。ただ、怒ったり,悲しんだりする。家を出て、鈴鹿ひろみの影武者させられたあげく、夏ばっぱに「おめーだれだ、けえってくんな」といわれた天野春子は「もういい!」とひどく傷ついて25年ほど帰ってこなかった。そんなひどいことを言ってしまった夏ばっぱ自身も同じように傷ついていた。その天野春子に、「地味で暗くて向上心も協調性も存在感も個性も華もないパッとしない女の子」といわれて育った天野アキも傷ついていた。鈴鹿ひろみも,アイドルを夢見て状況してきた天野春子に自分のせいで影武者をさせてしまい,夢を奪ってしまったことを知り傷ついた。それを仕組んだ太巻も傷ついた。父親が倒れ、母親がいなくなり、あこがれの東京にもいけず、アイドルの道をあきらめたユイちゃんも深く傷ついた。考えてみれば,ひそかにアキちゃんを慕っていたとおもわれるミズタクも、琥珀を評価されないベンさんも、「あまちゃん」に出てくる登場人物は,たいがいふられたり離婚したりしていて、傷つきながらも笑っていた。そして東日本大震災が起こり、みんな、深く傷ついた。それでも誰一人、倍返しだ!とかいわず、哀しみを受け入れながら前を向こうとする。みんな傷つきながらも、なんとなく天野アキに象徴される“明るさ”が光となって、そうした負の連鎖を“逆回転”させて、みんなの呪いが解け、哀しみが成仏する物語、それが「あまちゃん」なのだ。鈴鹿ひろみの歌を聴いたときにそう思った。「三代前からマーメイド、親譲りのマーメイド」この歌を歌うために、すべてがあって、この歌でこの親子三代の物語は成仏し、完成をみたのだろう。鈴鹿ひろみの歌は、誰もよりものびやかで透きとおっていて、涙が出てきた。*「あまちゃん」が一元論的な世界観だったのに対して、「半沢」は、敵と味方の二元論的世界観でできている。もちろん半沢は元々良い人で味方に対しては異様なまでの度量をみせるし、できれば敵なんか作りたくはないのだが、野蛮な世界で生き延びるには、そうもいってられず、断固たる態度で物事に対処するしかなかったのだろう。「半沢」が流行るのはわかる気がした。あまりにも多くの理不尽がふつうにまかり通っている世の中だ。まっとうなことがまっとうに通じない。いい人には本当に生きにくい世の中になったのだと思う。「倍返しだ!」という台詞は、この理不尽な世を生きるサラリーマンの鬱憤を晴らしてくれたのだろうし、それですかっと爽快になるのだからエンターテイメントの鏡だ。そして、「半沢直樹」からリアルに学ぶべきところがあるとしたら、明らかにこっちをなめて増長してくるような人には、断固たる態度を示したほうがよいときもある、ということかもしれない。*しかしながら、やはり「倍返し」は本質的に幸せになる方法ではない。最終回、半沢直樹は、自分の父を自殺に追い込んだ大和田の不正を暴き、会議の場で土下座させて本懐を遂げるが、その宿敵は取締役に降格で済み、半沢直樹の方が出向させられた。それについて「なるほどね」と腑に落ちる説明をしてくれるサイトもあって、すっきりしない気分も幾分か収まったのはありがたかったけども、結局の所は、そういうことではなくて、「倍返しを地で行っていたらああなるのが当然」ということを示すためにも、あの結末は妥当なものだと思った。宮藤官九郎が、「半沢直樹」について聞かれたときに、「恩返しでしたっけ」とおどけて、みうらじゅんが「仏教的に倍返しはよくない」と言ったという記事をみた。また「半沢直樹の取材で、半沢の生き方について聞かれたときに、半沢役の堺さんも「やられたら微笑み返しですね(笑)」と語っていたが、やはりそのぐらいがいいのだろう(みんな重々わかったうえでみているのだろうけど)。*話がずいぶんそれた。半沢直樹は結論をいえば、ひどくおもしろかった。最終回みながら「これは最高視聴率行くだろうな」と思った。堺雅人さんの演技も凄かったが、大和田(香川照之さん)は、もはや志村けんを彷彿させるほどだった(笑)。というか「龍馬伝」の弥太郎そのままだった(なぜか音楽も弥太郎のときの音楽が鳴ったような)。あるいは耳までグイッと動かすところなどは、顔面をきめ細かく割って動かす韓流の女優を彷彿させた(例えば「善徳女王」の宿敵ミシル役のコ・ヒョンジョン)。僕の中では、従来のドラマのラインの中での最高到達点という感じだ。たしかにエンターテイメントの量的な増加という意味では一位だ。ぜひ続編をみたい。*しかし「あまちゃん」は“質”がまるで違った。「あまちゃん」はドラマのあり方を変えたと思う。「半沢」は“みせる”ドラマだ。通常ドラマはそういうものだ。しかし「あまちゃん」は視聴者に“さんかさせる”ドラマなのだ。何重にも伏線が張り巡らされており、今日のあのひとはこうだったとか、あそこにあれがあったとか、何度みてもその都度発見がある(たとえば鈴鹿ひろみのコンサートの後ろには、「あまちゃん」の音楽を担当した大友良英さんがいたが録画せずに初見で見つけるのは難しいだろう)。これほどまでに視聴者が参加できるドラマを僕はみたことがない。「半沢」はドラマとして外部から楽しんでみるという意味で、超一流のエンターテイメントだ。他方「あまちゃん」は、ドラマとわかっているのだけども、あたかも実際にそういう愛すべき人達がいて、自分がかかわれるような不思議なドラマなのだ。だから、「あまちゃん」は録画したものを、2回、3回とみてしまうのだ。そして驚くべきことに、気がつくとテレビに表示されている「8:11」や「8:14」という表示をみて、「ああ、もう終わってしまう〜」という気持ちになりながらみてしまう何かがあるのだ。もっとみていたい、というより、もっとそこにいる人達とふれあっていたい、という感じのほうが近いのかもしれない。だから「あま絵」が流行るのだろう。あれは、もっとふれあっていたいと思い、その技量のあるひとがおもわず描いてしまった、という現象なのだと、思う。ふれあいたくなるドラマ、それが「あまちゃん」なのだ。*「あまちゃん」は、そこにいる人達とふれあう1分1秒を惜しむような気持ちにさせ、視聴者がいろいろな視点から探し、発見し、解釈し、参加することができる、あらたなドラマの形をみせてくれた。いろいろな人が口にする「あまちゃんロス」とは、“あの人達に会えなくなる寂しさ”のことなのだ。東京新聞の社説に「放送終了をこれほど惜しまれたドラマがかつて、あっただろうか」と書いてあったが、本当に、これほど愛されたドラマはかつてなかったと思う。これほどまでに愛される作品になったのは、クドカンが「視聴率」を目指したのではなく、「東北の、被災地の、仮設住宅で暮らす人達に、毎朝起きるのが愉しみになるようなドラマを作ろう」と心の深いところで決めたからからだろう、と僕は感じている。本当に奇蹟的な作品になったと思う。東北の人達の“感じ”をやけにうまくとらえるなと思ったら、宮城県の栗原市出身だったんだね、知らなかったけど妙に納得。おかげで、僕も毎朝起きるのが愉しみになった。「クオリティ・オブ・ライフ」なんてものを変えるドラマがあるとは夢にも思わなかった。それにしても、このドラマのおかげでどれだけ多くの人が明るい気持ちになったことか。宮藤官九郎さんには感謝の言葉しかない。*「半沢」は野蛮な世界で生きるため、自分を誇りを家族を守るために、覚悟を決め、諦めず、知恵を絞り、あらゆる観点から方法を模索し、問題を打開しようとする。「あまちゃん」は、あまちゃんな世界といわれようと、震災も不幸も、笑顔で乗り切ろうとする。その二つの世界観のドラマが、今なぜこれだけ多くの人に響くのか。それは両方必要な視点ということなのだと思う。喜劇に悲劇が織り込まれている中で、悲劇を喜劇に変えながら、それでも笑顔で生きていく。そういう力が僕らには必要なのだろう。(早稲田大学大学院商学研究科(MBA)専任講師・西條剛央)
2013/09/29
おはようございます。何を隠そう隠れあまちゃんファンで す。密かに毎日楽しみにしてます(笑)。しかし、昨日ドラマはついに2011年3月11日の昼を迎えてしまい、いきなりテンションダウン。実際、あの後に多くの人が亡くなくなったわけだからそりゃテンションも下がる。伯父さんもそのうちの一人。自分でも落ち込むんだから、あまちゃんを楽しみにしている現地の人達の心中はいかばかりかと思う。*「あの震災っていったいなんだったのだろう……」と今でもたまに思う。いつだって、いまだって、どこかで悲劇は起きて、人が亡くなったり、財産を失ったりしているわけだけど、戦後の日本であれほど同時にあれほど甚大な悲劇が多くの人を襲ったことはない。だから2011年3月11日のお昼というのは世界の分岐点で(そういえばあのときの昼には自分何食べたんだろう)、これからあれが起こるかと思うとドラマと思っていてもテンションは下がらざるを得ない。そして否が応でもあの日のことを思い出す。そこに防災の日をぶつけてくるあたりは、くどかんやはり狙っているのだろうか。*他方で、ふんばろうの仲間や現地の方々をはじめとして、震災がなければ出会わなかったであろう多くの素敵な 人達と出会えたのも事実。中には支援活動がきっかけになりよきパートナーと出会い結婚した人もいる。そういう意味も含めて、あの震災は多くの人の人生を変えた。それは間違いない。そしてあの震災がなんだったのか、その意味は、これから僕らがどういう未来を作るかによって決まるのだと思う。原発のことも含め「あれだけのことが起きたのに結局社会は何も変われなかったね」という事態だけは避けなければならないと思っている。失われた命も、その人を想う哀しみも、放射能で故郷を追われた人達も、それじゃあまりにも浮かばれない。「あの悲惨な出来事を肯定することは決してできないけども、あれがあったからこんな風になれたと思うことはできる。それが僕らの目指すべき未来なのだ。」(『人を助けるすんごい仕組み』より)ということで、目指すべき未来に向かってがんばりますかね。*という記事をFacebookにアップしたら、「その日のTwitterは「胃が痛くなってきた」というツイートがあふれていました。無かったことにしたいけどあったんだよね。。。という声も多く、思いは同じなんだなあと感じた昨日でした。」というコメントをいただきました。おかげさまで、震災とは何なのか少しわかった気がしました。あの震災の僕らにとっての意味本質を一言でいえば、“できることならなかったことにしたいけど、それでもそこにある現実”なのかもしれないと。バタイユという哲学者が、次のように言ってます。「「不可能なことなのに、それでもそこにある」。死が人々に抱かせる感情をこれ以上にみごとに表す叫びがあるだろうか」と。「不可能なことなのにそれでもそこにある」直後に現地に入ったときのコトバにならず涙が出てきた人は多いと思うのですが、そんな感じだった気もします。僕らにとってあの震災は「できることならなかったことにしたいけど、それでもそこにある現実」だからこそ、「できることならなかったことにしたい」という思いの方が強い人は、あたかもなかったかのように振る舞うし、「それでもそこにある現実」という思いの方が強い人は現実をみつめて動こうとする。その力点の違いから震災遺構などを巡って対立も起こる。本質を把握すると、その現象をそれ以前よりも明晰に理解できるようになる。僕の中で震災とは何なのか少し分かった気がした瞬間でした。
2013/09/01
昨日は、東京→盛岡から宮古に行き、復興フォーラムで基調講演&シンポジウムのパネリストとしてお話してきました。岩手県は四国相当の大きさがあるだけあって、県内の移動だけでもけっこう遠いです。とはいえ、ふたを開ければシンポジウムは立ち見もいるような満席状態で、こんなに人が参加していると思っていなかったので驚きましたが、大変有意義な時間を過ごすことができました。*岩手県知事は、安倍総理が急遽陸前高田にこられたということで欠席となったという話を聞いたので、携帯を交換していた知事に総理に伝えてくださいとメールをしました。各地で聞いてきた要望、たとえば東北道を今後10年無料化すること。また、必死に立ち上がろうとしている被災企業には4月から税金をとるのに、最近(外から)被災地で起業した企業は無税というのでは、戦いにならず、現地の企業を苦しめるあべこべの政策でしかないこと。復興が自己組織化する(自動的にうまいこといく)ための条件を整えられるのは、国であり、立法機関のみ。僕らもボランティアでやるべきことはこれからも続けて行くけども、国があべこべな法環境を作っていては、どうにもならない。知事には安倍総理にそうした要望を伝えてくださいとお願いしたところ、「わかりました伝えます」とお返事をいただきました。今年の復興関連の目標の一つは復興が自己組織化する法律を成立してもらうために、効果的な方法を考えて、実現していくことだと思っています。*シンポジウムでは、そんな話もちょっとさせていただきました。本題としては、ふんばろう東日本支援プロジェクトの話もしたけども、連携をうまく実現するためには、構造構成主義の価値の原理、方法の原理、人間の原理のような考え方がいかに必要なのか、という話をさせていただいた。シンポジウムの司会役の岩手大学学長の藤井先生は「西條先生の基調講演を聞いて、なぜボランティアが活動がうまくいかないことがあるのか、目から鱗がはがれ落ちるようによく理解できました」と言ってくださってありがたかった(そのうち「ほぼ日」で連載させていただく構造構成主義入門的な内容でも扱えればと思っています)。*その後、宮古→盛岡に戻り、岩手支部のミーティング&懇親会。ミーティングには、ふんばろう岩手支部の皆さんの他に、SAVE IWATEの皆さんや、東北発未来塾の盛岡大学の塾生&その友だち、陸前高田の戸羽市長、ひいては岩手県達増知事とのつながるきっかけを作ってくださったさわや書店の栗澤さんなどすがすがしくすばらしひ皆さんが参加してくださり、懇親会はさらに多くのメンバーで楽しい時間を過ごす事ができました。途中から参加された青木さんや未来さんなど皆さん素敵に素晴らしい方で、ふんばろうを立ち上げた初期に陸前高田に入っていた吉野さんとも再開することもできて嬉しかったです。*今日今野夫妻に送っていただき陸前高田経由で大船渡に行き、清水さんと初めてお会いすることができました。また前田さんらと創造空間プロジェクトの打ち合わせ&下見をして、陸前高田→気仙沼→南三陸町のみうらさんのお店に寄り、観洋で嶋津さんや長さんらとたまたま?お会いすることができました。みうらさんの以前のお店に寄ると足場が組まれていたので、あれと思ったら、明日ついに解体されることになったそうです。ふんばろう東日本支援プロジェクトが立ち上がるきっかけとなった場所なので、感慨深いものがありますが、たまたま最後の前日に行く事ができてよかったです。その後、石巻に行き、大川小のご遺族宅でいろいろ話を伺って、仙台の実家に戻ってきました。二日間で1000km以上運転された岩手支部長の佐々木さんやweb班リーダーの岡本さん、本当にありがとうございました&おつかれさまでした。ふんばろうを立ち上げた後の超密度の濃い強行軍を彷彿させるものがあり、当時のことをいろいろ思い出しました(あのときは平島さんの運転で道路も通じてないなか各支部やプロジェクトを立ち上げながら被災地三県を往復するあり得ない密度の5日間でした)。お会いしたすべての皆様に感謝申し上げます。本当にありがとうございました。また明日は東北大学での番組収録&イベント×2+宮城支部ミーティング&懇親会があります。また新たな皆様とお会いできるのを愉しみにしております。
2013/02/10
先日、練馬区で講演をして、今日はいくつかのプロジェクトの今後の相談に乗り、夜はコンテンツワークスさんで講演。2月に入ったら落ち着くはずと思ったけど、なんだかんだで連日講演。いつの日か始まるほぼ日の連載の原稿にようやく着手できた次第。取材を受けたのは夏(笑)。本日から東北を廻ってきます。9日は岩手県主催のイベント「復興のかけ橋フォーラム」で基調講演⇨岩手支部ミーティング&懇親会。10日は、大船渡を廻り、大川地区⇨仙台。11日は、東北大学で復興サポートのイベント&収録 ⇨東北発未来塾のイベント&収録 ⇨夜はふんばろう宮城支部のミーティング&懇親会。 我が実兄も参加しますので、乞うご期待。以下に詳細を記載しておきますので、お近くの方でご都合がつきましたらご参加いただければと思います。久しぶりにみなさんに会えること、またはじめてお会いできることを楽しみにしてます。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━2月9日岩手県主催のイベント「復興のかけ橋フォーラム〜つながりを力に〜」にて基調講演を行います。詳細はこちらをご覧ください。http://www.pref.iwate.jp/view.rbz?cd=43316&ik=0&pnp=14◆その後ふんばろう岩手支部ミーティング、岩手県公会堂12号室で18:30~行います。参加費無料でどなたでも参加できます。ふんばろうに入っていなくても全然大丈夫ですし、NPOなどに入っている方も大歓迎です。お気軽にご参加ください。その後20時過ぎから懇親会もあります。皆さんで楽しく飲めればと思います^^◆ちなみに岩手支部のグループは以下になります。情報共有の場として東京の方も多く参加しています。関心のある方はこちらもお気軽にご参加いただければと思います。http://www.facebook.com/groups/fjmIWATE/------◆2月11日にNHKの番組の企画で行われます、東北大学での2つのイベントにはしごで登壇します。http://www.nhk.or.jp/ashita/kokaisapo/tohoku/a/index.html1つは「復興サポート」(13時〜16時)、もう1つは「東北発☆未来塾」(15時30分〜17時)です。東北発☆未来塾につきましてはこちらをご参照ください。http://flat.kahoku.co.jp/u/volunteer17/9wLd4t8TuZiq7gPxFYXs/どちらも事前予約が必要のようです。復興サポートに参加ご希望の方は以下に電話でお申し込みくださいとのこと。090-2336-9506(復興サポート政策担当)◆ また同日18時からふんばろう宮城支部のミーティング&懇親会を行います。もちろん僕も参加します。参加費無料でどなたでも参加できます。様子見も大歓迎ですのでお気軽にご参加下さい。場所宮城県仙台市青葉区一番町1-16-5 河北仙販ビル5階会議室宮城支部の皆さんも優しくてよい人ばかりですので、ざっくばらんに語り合って、愉しい時間を過ごせればと思います。宮城支部のフェイスブックグループはこちらです。http://www.facebook.com/groups/212974215399528/
2013/02/08
放送終了後になってしまい恐縮なのですが、1月のNHKのEテレ「東北発未来塾」の「リーダーのチカラ」の講師として4週連続で出させていただきました。本日1月26日(土)11:20から再放送があります。4週連続の最終回テーマは「全員がやる気になる○○のチカラとは」です。今回はふんばろう東日本支援プロジェクトを代表する自立支援の一つ「手に職・布ぞうりプロジェクト」が取り上げられます。お母さん達も布ぞうりプロジェクトのスタッフも学生もキラキラ輝いていて素敵です。http://wallpaper.fumbaro.org/zouri以下今までの概要。-------------2013年1月4日(金)リーダーのチカラ・西條剛央さん第1週「人を集めろ!人を動かせ!強い組織のつくりかた」http://www.nhk.or.jp/ashita/miraijuku/archives/130104.html2013年1月11日(金)リーダーのチカラ・西條剛央さん第2週「変化への対応術 その時、どうする?」http://www.nhk.or.jp/ashita/miraijuku/archives/130111.html2013年1月18日(金)リーダーのチカラ・西條剛央さん第3週「組織をまとめる魔法のメガネ」http://www.nhk.or.jp/ashita/miraijuku/archives/130118.html2013年1月25日(金)リーダーのチカラ・ 西條剛央さん第4週 「全員がやる気になる○○のチカラとは」http://www.nhk.or.jp/ashita/miraijuku/archives/130125.htmlまた、ディレクターブログ。読んでみたらけっこうおもしろいので、1月のリーダーのチカラに関係するものをピックアップしてみました。番組内ではカットされた内容についても紹介してます。-------------2013年01月03日 (木)現代っ子http://www.nhk.or.jp/ashita-mirai-blog/2013/01/03/2013年01月04日 (金)新シリーズ「リーダーのチカラ」http://www.nhk.or.jp/ashita-mirai-blog/2013/01/04/2013年01月05日 (土)哲学とリーダー論http://www.nhk.or.jp/ashita-mirai-blog/2013/01/05/2013年01月06日 (日)アクシデンツ(複数形?)http://www.nhk.or.jp/ashita-mirai-blog/2013/01/06/2013年01月07日 (月)美織ちゃんの書き慣れノート その2 http://www.nhk.or.jp/ashita-mirai-blog/2013/01/07/2013年01月08日 (火)倉庫で開講!http://www.nhk.or.jp/ashita-mirai-blog/2013/01/08/2013年01月09日 (水)ビール党代表・西條剛央さんhttp://www.nhk.or.jp/ashita-mirai-blog/2013/01/09/2013年01月10日 (木)塾生紹介1 五十嵐由香さんhttp://www.nhk.or.jp/ashita-mirai-blog/2013/01/10/2013年01月11日 (金)塾生紹介2 佐々木 祐介さんhttp://www.nhk.or.jp/ashita-mirai-blog/2013/01/11/2013年01月13日 (日)埋没コスト~恋愛における事例~http://www.nhk.or.jp/ashita-mirai-blog/2013/01/13/2013年01月14日 (月)塾生の意外な共通点http://www.nhk.or.jp/ashita-mirai-blog/2013/01/14/2013年01月15日 (火)塾生紹介3 貝羽 和基さんhttp://www.nhk.or.jp/ashita-mirai-blog/2013/01/15/2013年01月16日 (水)塾生紹介4 古川優月さんhttp://www.nhk.or.jp/ashita-mirai-blog/2013/01/16/2013年01月17日 (木)塾生紹介5 安井美貴子さんhttp://www.nhk.or.jp/ashita-mirai-blog/2013/01/17/2013年01月18日 (金)アカペラで番組紹介♪http://www.nhk.or.jp/ashita-mirai-blog/2013/01/18/2013年01月19日 (土)あなたは 女性 or 男性 ?http://www.nhk.or.jp/ashita-mirai-blog/2013/01/19/013年01月20日 (日)あなたは 男性 or 女性 ? 続編http://www.nhk.or.jp/ashita-mirai-blog/2013/01/20/2013年01月22日 (火)あなたは 男性 or 女性 ? 続編の続編http://www.nhk.or.jp/ashita-mirai-blog/2013/01/22/2013年01月25日 (金)未来塾オフショット「息抜き」http://www.nhk.or.jp/ashita-mirai-blog/2013/01/25/
2013/01/26
1月27日(日)に内閣府(防災担当)の防災をテーマにしたシンポジウム@神戸に登壇します。お近くで関心のある方はご参加頂ければと思います。『みんなのBOUSAI!! 共助・コラボ・ミーティングin神戸 ~広がる、共助の輪~』http://www.bousai-vol.go.jp/kyojo/主催:内閣府日時:平成25年1月27日(日) 11:00〜16:30会場:兵庫県立美術館ミュージアムホール(兵庫県神戸市)(なお、イベント参加には事前の申し込みが必要ということですのでお忘れなく。)
2013/01/18
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