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私が阿波古代史の勉強に行き詰まった時、朱鷺さんにお願いして会わせてもらったのがMさんでした。私は古事記に出てくる神々の話をしてくださるものと思って、ワクワクしながらMさんが口を開くのを待った。ところが、Mさんの口から出てきたのは、須佐之男命でもなく大国主命でもなく、645年に起きたクーデター、乙巳の変だった。内心がっかりしながらも、我慢して聞いていると、古代史を語る上で、この事件は決して無視することのできない出来事だとわかってきた。それは、もう10年以上も前の話・・・それから毎月1回、朱鷺ギャラリーで深夜12時まで、Mさんの話を聞くという贅沢で幸せな時間を過ごすことができた。陰と陽、八卦、道(タオ)、古代中国、シュメール、人麻呂、木瓜、阿呆のこと、秦と秦、日本文字のこと、Mさんの話は尽きることがなかった。朱鷺さんが忙しくなり、Mさんに会う回数が減って来たころ、北島古事記研究会の会長から連絡をいただき、Mさんと一緒に会に参加させていただくようになった。その頃からMさんの体調が、万全ではなくなってきた。暢気な私は、Mさんの「いける」という言葉を鵜呑みにし、ただ、第2土曜日を楽しみにしていた。2月2日に入院したとラインをいただいた時も快復されるものと、信じて疑わなかった。バカですね。私は。「骨に転移しても、治るらしい」「そうなんじゃ」と・・・バカすぎて、暢気すぎて、自分に呆れてしまいます。2021年2月22日、Mさんは旅立たれた。犬の大好きなMさん、何で猫の日なん?・・・なんてこんな時、何でこんなことを思うのでしょうね。Mさん、もっともっと研究したかったですか?Mさん、もっともっと発表したかったですか?Mさん、もっともっと分かり合える人と、出会いたかったですね。今まで、Mさんのことを師匠と呼んだことはありませんがこれからは師匠と呼ばせていただきますね。師匠、見守っていてください。師匠の遺志を思いを繋げていきます。そして師匠、明日は65歳の誕生日ですね。天国で人麻呂とお祝いしてくださいね。おめでとうございます。
2021.03.06
平成最後の日曜日、島田島の低~いお山八王子山に登ってきました。標高149m。登るというより上がるという感じ。10分弱で登頂できるお手軽なお山です。不思議なもので、低い山でも1歩足を踏み入れるとそこは別世界。特に春は、山の呼吸山の若さ山の勢いが、足を踏み入れる側を元気にしてくれるような気がします。次は八王子大権現を目指します。一旦おりて、広めの参道を登っていきます。途中、彫りの深い岩と石仏が。岩の向こうは鳴門海峡。潮の匂いがしてきます。ここから5分ほど登ると祠が見えてきました。神様が移されて空っぽになった祠です。八王子山から南西にあたる場所。何やら古墳っぽさを感じますが、見えている石はこの山の石・・・泉砂岩です。古墳でないのかな~(´▽`*)そして少し下ると八王子大権現。毎年8月には夏祭が行われるそうです。八王子大権現と相対しているのが、嶋土神社だそうです。(嶋土神社の写真はありません)神社名から推測すると島田島の産土神でしょうか?八王子大権現のことが何もわからないので、何とも言えません。久しぶりに図書館に走らなければ(^^ゞ山をおりて車で海の方に・・・・若い命が失われた戦争。この事実が明らかになったのは近年のことだそう。平成になって間もなくの頃に建てられた慰霊の碑。島田島を出る前に内の海、大毛島を撮影。筏がたくさん浮かんでいます。GW中にも関わらず釣り人は少ない。帰りに遅めの昼食。お昼時だと並ばなければいけないお店。丸亀といううどん屋さん。チェーン店の丸亀とは違う店。旦那は人気の焼きうどん。名前は焼きうどんでもあんかけになっています。ボリュームがあって、なかなか食べ応えがあります。私は今回はミニ天丼セット。ちょうどよい量で、おいしくいただきました。今日は令和元年の初日。令和もどうか良い年でありますように・・・・
2019.05.02
3月末の日曜日、隊長が急に小豆島の山に行くという。最近、島づいている隊長。何があったのか?多分、何もないだろう(笑)オリーブライン。久々の船で、少々興奮気味のへなちょこ登山隊(^^ゞ船に乗り遅れたため、予定の草壁港ではなく土庄港へ🚢慣れない土地で慣れないバスに乗り、草壁港まで行き、草壁港から紅雲亭へ。時間がないので紅雲亭からロープウエイに乗って上の登山口へ。やっと、星ケ城のお山に到着です。星ケ城神社このお山一帯はお城があった場所ではなく砦があった場所。確かに、西峰からは南がすべて見渡せる。東峰からも東峰というだけあって、東がすべて見渡せる。船の出入りもよく見えたであろうと思う。祭神は佐々木信胤。南北朝の人。佐々木信胤には恋の物語が太平記に残されているそうな。京洛三美人といわれるほどの美人であったお妻の局。足利直義の家臣である高師秋の愛人であったお妻の局を奪い、小豆島へ連れ帰った。北朝方であった佐々木信胤は、この恋のため南朝方へ。しかし、北朝軍の細川氏が大軍を率い小豆島に攻め寄せ、最期は力尽きて自刃したそうです。そう思ってみると、何やら寂しげな佇まい。いや、写真が傾いているからか?兵どもが夢の跡・・・・ほんの600年前は、全然違う景色だった。続いて西峰に鎮座されている阿豆枳神社。祭神は大野手比売・罔象女神(ミツハノメ)大野手比売は小豆島の別名。最古の古事記の複写本、真福寺古事記には、大野手比売の手が「手」ではなく「午」という字になっているのが気になる所。ネットで、大野手比売をおおぬでひめと読み、「ぬで」を鐸とし、銅鐸と関係のあるようなことを書いてある記事があった。実際のところどうなのだろうか?自説があるわけもないので、疑問を持ったまま、流れていきます(笑)西峰からの景色。右側の岬が釈迦の鼻中央の島のように見えるのが24の瞳で有名な田浦地区。どんよりの空。この日は猫の目のように移り替わる天気でした(=^・^=)小豆島で一番高いところ、東峰817m。東峰の阿豆枳神社。祭神は豊受大御神・天之御中主神・高皇産霊尊・瓊瓊杵命・天児屋根命・天太玉命。神社のすぐそばに烽火台。ここから東の海が見渡せます。烽火台のそばに祭祀跡。いつの時代なのか?城が置かれる以前のものらしい。小豆島は奇岩が多く、地質も興味深い。サヌキトイドという特異な安山岩もあるらしい。次に来た時は、奇岩巡りなどよいかなと思う。多分・・・・山登りになるだろうけど(笑)
2019.04.02
南あわじ市の諭鶴羽山は、水仙の季節には、灘黒岩水仙郷から登るルートと、水仙郷登山口近くにある表参道の古道、近畿自然道のルート、諭鶴羽ダムから登る裏参道の古道があるみたい。我らへなちょこ隊は、多少急で、多少荒れているという表参道古道から登った。諭鶴羽神社(標高550m辺り)に着くまで、このルートはほぼ見晴らしなし。神社まで18丁ある丁石や、茶店跡、椿や変な形に巻かれた木を見ながらの登山となった。偶然にも24日の今日は諭鶴羽神社護摩行の日。神社に近づくにつれて、太鼓の音がし、護摩行の匂いがしてきた。登山道では誰にも会わなかったのに、ここではウソのような賑わい。たくさんの方が護摩行を見守り、参拝しておられました。諭鶴羽神社。諭鶴羽神社は五大修験の一つ。「西天竺の霊神が第十代崇神天皇の御代に五つの剣を東に向かって投げられ、『我が縁のある地に留まれ』と誓いたもうた。らしい。一は、紀伊国、熊野三山に一は、下野国、日光山に一は、出羽国、羽黒山に一は、豊前国、彦山に一は、淡路国、諭鶴羽山に留まったと伝えられているそうです。突っ込みたいところのあるご由緒ですが、ここはスルー(*'▽')頂上社 諭鶴羽大神 八天狗 イザナギ、イザナミの命が鶴羽に乗り給いここのカヤの大樹に舞い降りられた処頂上は300度の眺望(^^)/まずは徳島、大鳴門橋。いつもとは反対に、淡路から徳島を見る。和歌山や大阪方面も見えるけど、徳島ばかり見てしまう・・・・ふるさと愛(#^^#)お湯を沸かして金ちゃんラーメンを食べていると山伏の卵の青年さんが、ほら貝を吹き始めた。「雰囲気出るわ~」と、山伏の卵の青年さんに写真を撮らせてもらった。「フレー、フレー、命~」と、生きとし生けるものに、エールを送る青年さん。それを見守る彼女さん(じゃないと言っていたけど彼女にしとく)こういう若者を見るとうれしくなるおばさんは、すぐに写真を撮る。頂上で出会った鳴門出身のおじさんに、沼島の絶景ポイントを教えてもらった。空撮とまで行かないまでも、かなり沼島の全貌が見える。そう言えば・・・・このおじさん、へなちょこ隊長の髪を見て「髪の毛多いな~」と・・・・しきりに感心。いつも髪だけは感心してもらえる隊長。そして、「松井知事によう似とるな~」と・・・それも最近、よく言われる隊長。知らない人でも「知事ネタ」で盛り上がれるので便利だ(^^)/載せ忘れたらアカン。諭鶴羽神社と頂上へ行くまでの間に鎮座されている篠山神社。奥ノ院(篠山神社) 伊弉諾尊 伊弉冊尊 大地主尊諭鶴羽山縁起に伝わる古いお社 元の諭鶴羽神社。最後に登山道で見つけたかわいい物。樫の木のウロの中に、根付いた槇の苗木。順調に育ちますように、願いを込めて。育つかな~(´▽`)
2019.03.25
地質学から若杉山遺跡を読み解くと題して、石田先生の講演会があった。先日の加茂宮ノ前遺跡の現地説明会で朱の付着した土器が出てきたと知り、辰砂がどのようにして出来たのか、この疑問を解決できると、楽しみにしていた講演会。付加体の分布と赤色顔料遺跡群の分布若杉山から津乃峰山塊は、中世ジュラ紀の付加体。中生代前半以前(3憶年前~1.5億年前)の低緯度深海底のチャートや海底火山頂部周辺の石灰岩が分布していて、それらの割れ目に新生代(1400万年前頃)になって、熱水脈が貫入し、辰砂が形成されたそうです。少しボヤケてます<m(__)m>加茂宮ノ前遺跡で縄文時代後期前葉の土器に辰砂が付着していた。この時すでに、かなりの量の辰砂が採掘されていたらしい。若杉山辺り一帯で採れた辰砂の供給地はどこだったのか?日本国内か?大陸か?想像は膨らむばかりです。鋭利な破片の辰砂砕かれたり、すり潰されたりしたことの表れ。左は平場で採れた辰砂。黒辰砂ではなく赤い辰砂だそうです。右は坑内で採れた辰砂。平場と坑内でこんなにも色が違うのが面白い。石田先生の話を伺っている時は、わかったつもりでいても、伝えようとすると、きちんと伝えられない。全然、わかっていない証拠ですが、とにかく、すごい遺跡が阿波から出てきました(^^)/と、いうことで。おわりです。
2019.03.23
今日は中日さん。中日さんのお墓参りはご先祖様が一番喜ぶと、中日さんを迎えるたびに母が言う。私も、あと10年もすれば子供たちに、毎年、母のように言うのでしょう(^^♪実家からの帰り、吉野川沿いの土手を走っていると、鳴門方面に不思議な雲のかたまりが見えていた。あの雲の写真を撮りたいと、マリンピアまで来たけど、残念ながら消えていた。川内から沖洲の間にかかる橋。ついこの前、しらさぎ大橋ができたと思ったら、また河口に橋ができる。南へと続く高速道らしい。沖洲のマリーナ ベイ サンズ(笑)マリンピアがまだできていない頃、釣りによく来てた。マメアジや太刀魚ねらいで。初心者にはよい釣り場だった。遠くに眉山。先日、眉山の縦走をした。低い山だけど、10キロ超は歩ける。また、登ろうと、思う(^_-)-☆
2019.03.21
ここんとこ、日曜日の天気がよく、毎週のように山登りに行ってます。ありがたいことです♪と、いっても、本格的な登山ではなく、2~3時間で登って降りてこられるような初心者向けの山(^-^)3月5日(日)は、星の岩屋から中津峰へ。3月12日(日)は、旭ケ丸から高鉾山へ。そして、今回3月19日(日)は、正善山へ。正善山の登り口は、杖立峠にあります。記念碑の向いっかわに「正善山登山口」と書いてあります。↓ ↓ ↓さあ、登山開始・・・登山道をしばらく歩く・・もう少し歩く・・・林道を横目に見ながら、山登り気分を味わうために、無理やり山道を歩く・・・・( ̄▽ ̄) (・。・) (゚∀゚)横目に林道を見ながらでは、イマイチ山登り気分になれず、諦めて林道へ・・・・林道をしばらく行くと、山側が直登になって岩がゴロゴロしているところがありました。剣山が見えそうなので、ここは山側を登ります(^^)vケッコウ、急な登りで・・・私は得意の四つん這い・・・(笑)一応、剣山方面(笑)←いい加減また、林道に戻り、しばらく行くと大岩があるところに出ました。多家良町の天津麻羅のような。古代史仲間のO本さんが見たら、何というか・・・大岩軍団を後にし、また林道を・・・所々に、こんな案内板が。↓ ↓ ↓迷うことがないので、ありがたいけれど、距離が消えている( ̄▽ ̄)吉本新喜劇の「これだけはハッキリ言うとく・・・・フニャラララ・・・」みたいな・・・・案内板( ̄▽ ̄) (一一") (゚∀゚)林道を歩いていると、正善山が見えてきた↓ ↓ ↓吉本新喜劇のような案内板にうっすらと見えた、正善山まで「5キロメートル」ここから、やっと本格的な山道です。正善山は細く痩せた尾根。時々、急な登りもあって、気を付けて登らなければ、滑り落ちそうな所も・・・・(゜.゜)山道を行くこと・・・30分か40分くらい?畳2畳くらいの狭い頂上に到着です。頂上からの眺めです。東に東宮山と左後ろにうっすらと見えるのが焼山寺山。この角度から見ると、双子の山のようにそっくりです。これは、高城山。頂上に気象台の建物があるので、わかりやすい山。以前、登りましたが、もう一度登りたいです(^^)v畳2畳分くらいの狭い頂上で(←2回目)お弁当です。今回はトンカツ弁当を作ってきました。山登りと言えば、ダイタイ、軽いものを皆さん食べられると思うのですが、私たち夫婦は、食べるためと景色を見るために、山に登っているようなものなので、ガッツリといただきます(笑)トンカツは、人間の鼻ではあまりニオイませんが、から揚げ弁当の時などは、前を歩く旦那のリュックからから揚げのニオイがプンプンッ(一一")獣がいたら・・・狙われるかも?畳2畳分くらいの正善山の頂上は←3回目(笑)南側に木があるため、太陽光線が当たらず・・・寒い(ーー゛)食べ終わると、早々に下山です。急な登りに思えた山も、帰りは楽々です。帰りはブルーヴィラ穴吹に寄って、温泉です。疲れた足をジェット風呂で、マッサージ(笑)正善山は、林道ができたことで登りやすくなった山なのだとか・・・ありがたい林道だけれども・・・山登り感が半減???でも、林道のおかげでここまで来れたのですから・・・よっしゃー です ね (^^)前
2017.03.22
今日も暖かい1日となりました。もうすぐ3月・・・・暖かいはずかぁ・・・・今日は、東かがわ市の翼山に登ってきました。↑ ↑ ↑こんな山(^^)v高そうに見えるでしょ?実は・・・30分くらいで登れる125メートルの山なのです(笑)今日は、午前中に与治山(185メートル)を登り、昼食は牟礼の道の駅の中にある「じゃこや」でオリーブハマチの漬け丼を食べ、昼から翼山に登り、その後、翼山温泉に行って帰ってくるという予定を立てていました。しか~~し、与治山には、動物よけの網が張り巡らされ・・・どこからも人間が入れない( 一一)のです。そういえば・・・・(思い出し中・・・・)★★☆☆☆彡☆彡(゚∀゚)(-"-)数年前・・・・水主三山のうちの一つ、虎丸山(新宮山)に登ろうと、徳島からはるばる行ったのに、この山も、きれいに網が張り巡らされ・・・動物どころか、人さえも入れてくれない山だった( ̄▽ ̄)と、いうのを思い出した。香川の山はよくリサーチしていかなければ、お手頃山を登りたくてウズウズしている私には、時間が勿体な~い( ̄▽ ̄)のです△△△△△すぐ目の前にあるのに登れない・・・・ぐ・・・ぐやじい~この悔しさはオリーブハマチを食べて、忘れよう。。。。と、牟礼まで一目散に車を走らせ、漬け丼とオリーブハマチのお刺身、お味噌汁、長芋の揚げ煮を、飲み込むようにして食べたのでした。愛しのハマチが光ってるゥ(*'▽')飲み込んだせいか・・・体が重っ・・・・てか・・・そうじゃなくて、体重が重っ・・・・。こんなんで、山登れるかな~125メートルでも、普通の人より息がゼエゼエ言うし・・・でも、せっかく来たのに登らなソンソンやもんな(笑)みんなは引田のひなまつりの会場に・・・それを横目に見ながら、トレッキングシューズに履き替え、リュックを背負い、首に白タオルを巻き、オッサンのようないでたちで、いざ・・・・翼山へ・・・この山は、岩峰。低いわりには、足元が滑りやすく、芸人でもないのに、スベルのがコワイ私は、四つん這いになるやら、お尻でスベルやら・・・結構、楽しめる山登りとなりました。足とお尻を駆使して・・・頂上です(^^)v今日も無事、山登りを楽しむことができました。不完全燃焼にならずにすんでよかったぁ(-。-)y-゜゜゜後は、使いすぎた足とお尻をケアしに、翼山温泉へ・・・・極楽を味わったあと、真っ赤な顔をしたまま、徳島へと帰ってきました(笑)
2017.02.26
今日は大寒。その名の通り、寒い一日となりました。晩御飯は、お鍋に・・・・と思っていましたが、旦那がカレーが食べたいと言っていたのを思い出し、今、コトコト煮込み中(^-^)さて、この前の日曜日(15日)は、津乃峰山の隣、鍛冶ケ峰に登ってきました。この日も今日に負けず劣らず寒い日となりましたが、空気が澄んで、山頂からの眺めは最高でした。眼下の桑野川、阿南市街、淡島海岸、眉山に大鳴門橋に淡路島、そして和歌山県御坊市の関西電力の建物まで、肉眼ではっきり見えるほど・・・・ヨレヨレになり、呼吸はゼエゼエ言うけれど、こんな景色を見たいがために登りたくなる・・・・山頂で食べるお弁当と温かいお味噌汁も最高です(^^)v鍛冶ケ峰は、その昔、行場として有名だったことから、「行者はん」とも呼ばれているそうですが、名刀を鍛える鍛冶屋が住んでいたことから、鍛冶ケ峰と呼ばれるようになったとか・・・この日は風がきつく・・・・山の北側の道になると、風の音で声もかき消されるほど。大きな磐や、立石に目を奪われながら・・・古代に思いを馳せ、登りました。下の写真は、鍛冶ケ峰の登り口にある石門公園です。帰りは・・・かもだ岬温泉まで足をのばし、海に沈む夕日を見ながら・・・ではなく(^○^)昼の空から夕方の空になっていく様を見ながら一日の疲れをとりました。いつもは、山登りの疲れで月曜日の仕事は、しんどいのですが、今回は、体も軽く元気に仕事ができました。さすがは温泉ですね(^^)v22日も天気が良ければ、近くの山に登ろうと思ってます。晴れればいいな~
2017.01.20
明けましておめでとうございます(^^)v今年のお正月は、暖かく良い天気でした(^^)こんな天気の日は・・・・山登りに行きたくて、行きたくてウズウズしていましたが、3日の日にやっと、八多の五滝から中津峰に登ってきました。中津峰は、如意輪寺から2回、平石山からの縦走1回、今回で4回目になります。五滝は徳島市内とは思えないくらい、秘境感を味わうことができるので、是非、おすすめしたいのですが、途中、2ヵ所ほど通行止めになっていました。一つは橋の土台が片方なくなっており、もう一つは防護柵の擁壁が崩落していました。最初からわかっていれば、五滝から中津峰ルートは諦めるところですが、「ここまで来て引き返すんは、しんどいよな~」と、いうことで、自己責任で通行止めロープをかいくぐり、強硬突破しました←大げさな(笑)相変わらずのゼイゼイ呼吸で、必死に登るのは・・・・頂上に登ったときの景色と・・・格別美味しく感じるお弁当を食べるため(笑)登り約2時間半下り約1時間半・・・心地いい筋肉痛を感じながら、今、ブログを書いてます。今度の日曜日、天気は下り坂・・・登りたい山が山ほどあるのに登りたいのは山々なのに・・・山のように増えていく体重をどうにかせねばと思うのに・・・・・・・・山・・・山・・・・あっ、もう出てこない(笑)と、いうことで・・・・今年初ブログを終わりにしたいと思います(一一")
2017.01.06
日曜日の天気予報は晴れ(^^)v土曜日の夜、旦那に「高尾山へ行こう」と・・・言えば案の定・・・・「東京の高尾山か?」と・・・・「違う!板野にあるんよー」(私も今日、知ったんやけど・・・)261mの低めの山。今日は、高尾山だけの、つもり・・・たっぷり時間があるので、素晴らしい眺めをカメラに収めながら、ゆっくり頂上を目指しました。地元の方がきちんと整備されていて、至る所に道案内があったり、ベンチがあったりと・・・快適なプチ登山を楽しめそうです。奥宮の登り口から約30分。高尾山頂上に到着です。天気が良すぎて霞んで見える、山並みを見ながら、手作りのから揚げ明太子弁当をのんびりといただきます(^^)vとりあえず、「あせびのところまで行こうかああああ」と、いうことで・・・お気楽に下ったり、登ったりを繰り返し行く。「もうここまで来たら藍染まで行くか?」と、旦那の一言で、「ヤッタネ」と思いながら・・・・・・・・登ったり、下ったり・・・愛染山は眺望はゼロと、地元の人に聞いていたので、さほど期待せず、歩を進めましたが、日差しのまぶしい高尾山とは対照的に、日陰の多い木立の中の山道は、心地よく・・・大好きな山道の一つとなりました。藍染山に到着。「ここまで来たら、万石、千石も行くか?」と・・・「お前の足を考えたら、山から出れるんは4時くらいになるかもしれんけど」・・・・・低い山とは言え、平地とは違い、3時を過ぎるともう夕方の顔になる山。体力、脚力がないわりに、山に登りたがる私は、だんだん乗り気になってくる旦那に、心の中でガッツポーズをして、万石山向けて歩きはじめました。しかし・・・藍染山までの快適な道とは違い、シダが道を覆い隠していたり、滑りそうなところが、あったりと・・・万石山までの道は、山登りらしい道となりました。約1時間半・・・万石山到着です。写真を撮ってすぐ出発です。早く山を降りなければ・・・と思う気持ちが足にきて、枯れ木につまづき、石につまづき・・・ツルにつまづき・・・(一一")悪戦苦闘しながら、千石山に到着です(^^)v万石山とは違い、眺望よしです(^-^)千石山から高尾山を見る。さあ、あとは降りるだけです。太陽と競争しながら、早く歩けるところは、旦那のペースと同じくらいに頑張ります。「まだ?」「あと、どれくらい?」「さあ、わからん」を繰り返しながら、4時過ぎに高速道路の脇、川端まで降りてきました。金網のフェンスが見えた時の、ホッとした気持ちは、タブン忘れられないだろうな~平地に降りて見上げた空は青く、飛行機雲が一直線に伸びていました。左が高雄山、真ん中奥が藍染山。あの山を歩いてきたんだと、感慨にふけりながら、駐車場を目指します。「えーーーっ、まだ30分も歩かなあかんのぉ」「また、坂道があるう」と、ブツブツ言いながら、5時前に駐車場に着きました。予定外の万石、千石山に登山で、ヨレヨレになりましたが、楽しい一日を過ごせました。よ(^-^)
2016.12.19
一年ぶりのブログ更新。今日は、徳島と高知の県境にある木頭北川まで行ってきました。ここは、旦那の亡きお母さんの故郷・・・天気がよければ天神丸に登る予定でしたが、天気予報は午後から雨・・・なので予定を変更して、ゆず酢や木頭番茶を買いに北川まで来たのでした。さて、写真は、木頭北川と影を結ぶ吊り橋です。この吊り橋は、20年くらい前に一度、渡ったことがありますが・・・その時と変わらず・・・ドキドキ・・・ブルブルの吊り橋でした。一歩一歩、足を進めるたびに揺れるコワさはモチロン、何よりコワイのは、錆び錆びになった吊り金具がああああ・・・コワいのです(笑)北川の吊り橋は、高さはそんなにありません。でも・・・・落ちるかもしれない・・・・と思いながら渡る橋は、スリル満点です(笑)那賀には、吊り橋が100余りあり、パンフレットも作ったみたいですが、今は道の駅にも置いていません。那賀の吊り橋ファン?としては、是非とも手に入れたいパンフレットですが・・・那賀の観光関係の方が、このブログを偶然読んでくださって、吊り橋パンフの入手の仕方など教えてくだされば、吊り橋ファンとしては嬉しいかぎりです。私たち夫婦にとって、木頭への道は過去へタイムスリップする道です。懐かしい吊り橋を渡って、ほっこりするやら恐怖するやら(笑)良い一日を過ごせました。さあ、明日からまた仕事!全力で頑張るぞ(^-^)では。。。明日も皆様にとってよい一日でありますように・・・
2016.12.04
故、大國主の神、出雲の御大の御前に坐す時に、波の穗より天の羅摩の船に乘りて、鵝の皮を内剥に剥ぎて、衣服と爲て、歸り來る神有り。 爾くして其の名を問えども答えず。 且た從える諸の神に問えども、皆「知らず」と白しき。 爾くして多邇具久白して、「此は久延毘古必ず知りたらん」と言うに、即ち久延毘古を召して問いし時に、答えて、「此は神産巣日の神の御子、少名毘古那の神ぞ」と白しき。 故、爾くして神産巣日の御祖の命に白し上げしかば 答えて、「此は實に我が子なり。子の中に我が手俣より久岐斯子なり故、汝 葦原色許男の命と兄弟と爲りて、其の國を作り堅めん」と告げき。 故、爾より大穴牟遲と少名毘古那、二柱の神、相い並に此の國を作り堅めき。 然くして後は、其の少名毘古那の神は常世の國に度りき。 故、其の少名毘古那の神を顯し白しき所謂久延毘古は、今には山田の曾富騰なり。 此の神は足は行かねども、盡く天の下の事を知れる神なり。上記は、古事記での少名毘古那の神様の登場シーン(^-^)小さなガガイモの船に乗って、少名毘古那神が颯爽と風を受けながら近づいてくる・・・そんな風景が目に浮かびます。※ガガイモ・・・一説には、かがみ草が変化してガガイモになったとか。※ガガイモの実・・・長さ10センチ、幅3センチ程の大きさだそうです。Wikiより舟の形です(^^)/しかし、けれども、「波」とか「船」とか・・・・という文字があるせいか、海の上をやってきたようになっていますが・・・そうではありません!←言い切った(゚∀゚)「波の穂より」と、は、風にゆれる波のような稲の穂・・・・広い広い田んぼの上を、ガガイモの船に乗ってやって来たと、するほうが・・・・辻褄が合ってきます(^^)vまず、少名毘古那神が乗っているガガイモの実。ガガイモは水田などのあぜ道に生える草であり、稲の生育には邪魔な雑草なのでは?と・・・・そして、衣服としている「鵝」←「ひむし」とされていますが・・・「ひむし」って何のことやら?調べてみないとわかりません(=_=)※蛾(ひむし)・・・蚕のさなぎ。また、その羽化したもの。ひひるむし。 漢字が「鵝」から「蛾」に変わっています。 少名毘古那神はガガイモの実の船に乗れるくらい小さいので、 鵞鳥の羽では大きすぎるということで、 「蛾」に変わったようです。が・・・ガチョウの皮を内剥ぎに剥いだ衣服で私は良いと思います。※ガチョウは、野生の雁を飼いならして家禽化したもので、 家禽としてはニワトリに並ぶ歴史を有しており、 古代エジプトにおいてすでに家禽化されていた記録がある (Wiki)ガチョウは、稲の生育を邪魔するガガイモのような雑草や害虫を食べてくれるのです。今で言う「カルガモ農法」ならず「ガチョウ農法」をしていたのでは?と・・・・そして、次に登場する「多邇具久」←ヒキガエルの古名。ヒキガエルは、雨水のたまった田んぼや浅い側溝、神社やお寺、公園の池などで繁殖するそうです。田んぼに「カエル」はセットですよね(^^)vカエルもまた、ガチョウと同じように害虫を食べてくれるし・・・(^-^)最後に出てくる「久延毘古」は、今に言う「山田の曾富騰なり」案山子!!ですよね(^-^)稲を守ってくれる頼もしい神様。。。。古代中国の黄帝が軍鼓の材料とした「キ」山海経:第十四大荒東経には、「キ」の姿は、牛のようだが角はなく、脚は一つ。体色は蒼。水に出入りすると必ず風雨を伴い、光は日月のように強く云々とある。一本足は雷を表していると、何かで読んだような。この「キ」が久延毘古の元ネタではないかと思うのです。雨や風を運んできてくれる「キ」=久延毘古。作物には欠かせないものです。少名毘古那神は酒造りや薬の神様としても有名ですが、効率のよい精米の仕方や、植物や動物などの「薬効」など、あらゆることに精通していたのではないかと?※例えばガチョウ・・・脂肪を精油したものを、白鵞膏と呼ぶ。 白鵞膏は、皮膚を保湿し、腫れ物やしこりを散ら す作用があり、主に手足の荒れ、化膿性の腫れ物 でき物の治療に用いる。また、古代エジプトでは 発熱と咳のある患者に、豚の脂肪、小麦、ガチョ ウの脂を混ぜて夜露にさらしたものを4日間食さ せた(Wiki)※膠飴(こうい)・・・イネ科糯米(もちごめ)を大麦芽汁で発酵した水飴 を濃縮したものに、さらに麦芽を加えて精製したア メである。膠飴は消化機能が低下して、食物からの 栄養分を十分に吸収できない時に用いられる。 2000年以上前より、膠飴は小建中湯、大建中湯の 主要な構成生薬として記され、今、尚用いられてい る。 参考:東邦大学医療センター 大森病院 東洋医学科 田中耕一郎先生の漢方薬と身近な食材 日本の土壌と文化へのルーツ 稲 1 よりなど・・・など・・・・子孫繁栄、五穀豊穣するには、少名毘古那神のような人が、必要だったのでは?と・・・民は国。まさに、国造りです・・・ よね(^-^)なので、御大を「みほ」(大を「ほ」と読ませる?)御前を「みさき」なんて、三保の岬という海にする必要なんてありません。これは、衣食住に関わる大切なシーン。。。。日本人の主食である「米」水田での風景だと思うのです。私のオリジナル少名毘古那神!!通説とは違って、??????と、思われるかもしれません。が。。。少名毘古那神の着ている服も登場しているカエルも案山子も全て意味があると思うのです。古事記の中に書かれている一文字、一文字に意味を持たせている・・・韓人(からひと)が力を持っている時代の中で、どのように苦心して古事記を完成させたのか書き手の心を、正確に読みとりたいと思います。豊玉比売が出産時にワニの姿になったことや、コノハナサクヤビメが炎の中で出産したことは、その出自をあらわしているように、少名毘古那神の登場シーンも、この神様の自己紹介をしているのだと思います。
2015.12.22
久しぶりにブログ更新です(^^)v今回は勝浦と徳島の境にある平石山に登ってきました。前日が夫婦そろっての飲み会だったので、雲早山は諦めて、しぶしぶ近場の平石山に登ることに・・・。(平石山に失礼な言い方(-.-))平石山は高さ648.8mハイキング感覚で登れる山!! 健脚の人には(一一")「クッスン」タイプの私は・・・どこに登ってもゼーゼー・・・ハーハー(>_
2015.12.08
ガーン!スマホを壊してしまった・・・というか、割ってしまった(>_
2015.09.16
昨夜は、息子の少年野球時代の母たちとの女子会(^-^)子供たちの近況に、孫たちのこと。おばちゃんが5人集まると、にぎやか(≧◇≦)昔のことを知ってくれているという安心感は、シロップのような、甘くてゆる~い空間を作りだしてくれます。そんな中、以前ブログに載せた、孫たちの写真・・・・N母が、「兄と弟のTシャツ良いよな~」と、ほめてくれたので今日はバージョンアップしたTシャツ写真を掲載します。楽しかった女子会の余韻に浸りながら、そろそろ眠ろう・・・・zzzz明日も楽しい日にするぞがんばろー(^^)v
2015.09.12
梅雨が明けて、一気に夏モードに突入しました。脂肪が溶けそうなくらいの暑さの中(溶けてくれ~)頭の中は、阿治鉏高日子根と下光比売のことでいっぱい。下光比売が兄のことを歌った「阿米那流夜・・・」の歌・・・一般に訳されている内容が、イマイチ納得できず、自分なりに、あれやこれやと考えてはみるものの・・・・行き詰まり・・・・それなら、お兄さんの方をと手を出すも・・・一筋縄では行かず・・・立ち尽くしています。最後には、阿治鉏高日子根と事代主が同神に思えてきたりする始末(=_=)と・・・・最近は、このようなことを考えておりました(-。-)y-゜゜゜さて、今日は、那賀町木沢の方へ行ってきました。暑いけれども、山の空気は平地より若干低く、風が心地よいですね♪那賀町は吊り橋がたくさんありますが、今日は、木沢の広野の発電所近くにかかる吊り橋を渡ってきました。低い吊り橋なので、高さに対する恐怖は・・・・ナシ(^-^)けれども、歩くと揺れるのが気持ち悪く、よく見ると、ワイヤーが錆びているゥーーー(=_=)那賀町の吊り橋は、「落ちるかも?」の恐怖が魅力なんだね~と・・・・(コレコレ)吊り橋からの風景青い川に、飛び込みたい衝動(綾瀬はるかのようにカッコよく・・・(笑))木沢の風車にも行ってきました。オランダチックな風車が良いですな~。と、いうことで今日は木沢ー土須峠ー神山へとまわり、帰ってきました。
2015.07.26
八上比売が八十神に私は大穴牟遅の神と結婚しますと言ったので、八十神は怒って大穴牟遅命を殺してしまいました。哭いた御祖の神は、神産巣日命にお願いし、大穴牟遅命を生き返らせてもらいます。すると、また八十神は大穴牟遅命を殺そうと企みます。是八十神見且欺率入山而切伏大樹茹矢打立其木令入其中即打離其氷目矢而拷殺也ここに、八十神見、また欺きて山に率入りて、大きな樹を切り伏せ、茹矢をその木に打ち立て、その中に入らしむるすなはち、その氷目矢を打ち離ちて拷ち殺しき。古事記を読んでいて疑問に思った「茹矢」と「氷目矢」同じ「ひめや」なのに、なぜ字が違うんだろう・・・・とそれも、茹でると書いて「ひめ」って・・・「何で?」安萬侶は、気まぐれで字を変える訳はなく、これは絶対、私へのメッセージだ!!と・・・思い込み、私なりに考えてみました。昔の矢は木で出来ていて、木でできた矢は湯の中に入れるとお湯を含んで膨張。。。。大きくなった矢を切り伏せた樹に打ち込んで、出来た隙間に大穴牟遅命を入れる。時間がたつにつれ、お湯を含んで膨張していた矢は冷えていき、氷のように冷たくなった矢は小さくなってしまう。だんだん締まっていく樹の中で・・・うあーイタイっ!!そして最後に冷えて小さくなった矢を引き抜く・・・樹の中にいた大穴牟遅命は・・・あーーーーーーっ想像しただけで痛いよーっ「圧死?」のようになったのでは?と・・・・拷は身体が曲がるまで拷問する様子を表す形声文字。嫉妬がもたらした八十神の怒り・・・残酷すぎです(一一")私は嫉妬しても、藁人形なんて作らんぞ(笑)釘なんて打ち込まんぞ(笑)怖い怖い・・・・三好の馬岡新田神社の杉
2015.06.07
昨日から一人で行くと決めていた、大俣の八幡さん。「私の好きな道を通って、ずーーーっと行ったら右に西条大橋が見えるだろ?そこを通って・・・鳴池線に出るのが一番迷わんよな?」ブツブツ・・・ブツブツ・・・・1人でどっか行く時のいつもの会話。旦那に道の確認('◇')ゞそのおかげかどうか・・・無事に目的地の大俣の八幡神社にたどり着くことができました。最近、古事記を読み直していて「何で、菟神のうさぎの漢字にクサカンムリがついとんだろう・・・」と・・・思って調べて目についたのが、大俣の王の子供である「菟上の王」菟上の王は、第9代開化天皇の孫で、お父さんは日子坐王、お母さんは山代の荏名津比売。日子坐王のお母さんは、意祁都比売:おけつひめ(又の名を姥津媛)。意祁都の「祁」は、「け」と読めるのだろうか?私には、しっくりこないので、「き」と読むことにします(笑)意祁都比売:おきつひめ!意祁都比売のお兄さんは丸邇氏の日子国意祁都命です。日子国意祁都命の曾祖父は第5代 孝昭天皇。御真津日子訶恵志泥命ですね。そんなこんなで、難しいことはわからんなりにシンプルに「菟」という漢字を追ってみたら・・・自分なりには収穫があったような・・・(^^)vそして、豊国に鎮座されている宇佐八幡宮。私はまだ行ったことがないけれど(泣)境内の春宮社に「菟道稚郎子」が祭られているではないかぁ。。。。と・・・宇佐とはぶっちゃけ・・・ウサギの「ウサ」と思っている私(短絡的で恥ずかしいけど)難しいことがわからん私が古事記にはまったもんだから・・・こんな考えしか浮かばない(笑)菟道稚郎子・・・古事記では宇遅能和紀郎子。お父さんは第15代 応神天皇、お母さんは、宮主矢河枝比売。丸邇之比布礼能意富美の娘。丸邇氏ですね。菟を調べていたら、丸邇氏につながっていく。当たりまえと言えば当たり前だけど、今まで気が付かなかったよ~。後は、木の国が絡んできたりするのだけど、イマイチ、整理できないというか・・・つながらないというか・・・・(=_=)大国主命と八上比売の子供が何故、木俣神、又の名を御井神というのか・・結論が出ていません。八上比売が木の国の人だからだろうな・・・とは思うのですが、接点が見つからない(一一")淡路の御井とか・・・三井寺とか・・・紀三井寺とか・・・少し調べたけど、ピンときません。大俣小学校横に鎮座されている、高部神社です。祭神は奥津彦と奥津媛。奥津媛が日子坐王の母、意祁都比売:おきつひめだったらな~という希望で写真掲載です。今日は久々に古事記探訪をしました。お義母さんが今月初めに天国に逝き、しばらく家でこもっていましたが、そろそろ動き始めようかと・・・(暑いけど)旦那はまだ、そんな気分になれないだろうな・・・・。もうそろそろ、梅雨入りですね。皆さん、お体ご自愛ください。
2015.05.30
今朝の空とくすのき。やっぱり、木には青空が似合う。今日もがんばりました。久々のブログ・・・・短い・・・・(笑)明日もがんばろうっと♪♪
2015.04.22
11月23日、日曜日。愛媛県と高知県の県境にある瓶ケ森へ行ってきました。瓶ヶ森は、石鎚山脈に属する山で、標高は1897メートル。吉野川源流のある山。今回は、源流へ行きたいという欲望を抑え、ピクニック気分で登れるというE氏の言葉を信じて、瓶ケ森へと来たのでした(^^)尾根伝いに作られた道路というのだろうか・・・瓶ケ森を登っていく道路は、やたら明るくまぶしく拓けていて、どちらかというと、薄暗い山道に慣れている我ら2人徳島県人は、この超明るい山道に、すっかり魅了されてしまった。下から湧き上がっては、風に流される雲。。。曇り空かと思えば、思いっきり晴れてくる。。。。女心と瓶ケ森の空・・甲乙つけがたいほどの変わりようの早さ。まず目指すは手前にある「男山」おとこのやまと書いて、「おやま」ん?そんな説明いらん?ごつごつした山だから「男山」というのだろうか・・・駐車場に車を入れる時は、雲で視界1メートルくらいの、雲をつかむような運転だったのが、駐車場から男山まで、ほんの数分。見てください。この青空を・・・視界1メートルだったのがウソのよう・・・まったく、全く「おやっ、まあ~」ってな感じですよ(笑)10分くらいで男山に到着。次はなだらかな姿態をした女山、瓶ケ森山頂を目指します。ミヤマクマザサに覆われた瓶ケ森。身長156センチ、体重が1キロくらいだったら、このミヤマクマザサの上を沈まずに転げまわることができるのに・・・と、想像してしまうのは、雄大な景色のせい?頭の中は、アルプスの少女ハイジが着ていた「シミーズ」のようなもんを着て転げる私の姿が・・・ぶるぶるっ・・・・怖っ(一一")このミヤマクマザサは、冬の間の鹿たちの貴重な食糧になるのだとか・・・知らなかった。恐ろしい妄想のせいで、鹿の貴重な食糧を奪うところだった。山頂から見る「西黒森」1861メートル。今度はこの山も登ってみたい・・・雄大な西黒森を眺めながら、おにぎりを頬張った。サンドイッチも頬張った。玉子焼きも・・・タコのから揚げも・・・頬張った。でも、一番楽しみにしていたお味噌汁はすすれなかった・・・ガックシ。そのおかげで、隣で鍋焼きラーメンを作っていた3人組の若者が、やたらに羨ましかった。食い物の恨みはコワい・・・そんな感情をいだきつつ下山。途中、瓶壺なるものがあるのを知り、寄り道することにした。瓶壺の近くで不思議な松に出会った。お父さん、ジャマ、ジャマと思いながら写真をパチリ。この松は・・・私には、瓶ケ森の主のように思えた。この松に出会えただけで、ここに来てヨカッタと思った。若干ハート型をした瓶壺に到着。中央構造線沿いにある瓶壺の水は青い。周りの景色を映す澄んだ水は冷たくておいしい。この水は難病に効くらしい。あの松の不思議さも、この生命の水のせいなのかもしれない。。。。最後に子持ち権現の写真と石鎚山の写真です。幻想的で気に入ってます(^_^)次はどこへ行こうかな~・・・
2014.11.26
枚岡神社へお宮参りに行ってきました。4人目にして初めての女の子。神様に健やかに育ちますように・・・そして顔はどうぞ息子に似ずに、お母さんに似ますように。。。と、お願いしてきました(笑)さて、この枚岡神社ですが、ご由緒によりますと創祀は初代神武天皇が大和橿原の地で即位された皇紀前3年と伝えられているとのこと。神武天皇がご東征の砌、勅命を奉じて天種子命が国土平定を祈願し、天児屋根命、比売御神の二神を本殿背後の霊地、神津嶽に祀られたの始まりだそうです。天種子命は、日本書紀に登場してくる神様のようで、ネットで調べてみると、「日本書紀」にみえる豪族。天児屋命の孫。中臣氏の遠祖。神武天皇の東征に従軍し,筑紫の宇佐で菟狭津媛と結婚したという。と、ありました。私は・・・・当然・・・筑紫の宇佐が九州のことだとは思っていません(^^)その後、孝徳天皇白雉元年(650)に中臣氏である平岡連等により、現在の場所に奉還された。称徳天皇神護景雲二年(768)に天児屋根命・比売御神の二神が春日大社に分祀されたことから「元春日」と呼ばれ、その後、経津主命・武甕槌命が増祀され四殿となった。「元春日」と言えば、私の乏しい知識の中で浮かんでくるのが「率川阿波神社」率川阿波神社は、率川坐大神御子神社と同じく延喜式に見える古社で、事代主神を祀る。奈良坊目拙解(1730)の社伝によれば、 宝亀2年(771)冬、大納言藤原是公(不比等の孫・藤原南家)の夢にいう、『吾狭井御子神也。汝の氏神建布都神と共に阿波国に住む。今皇孫命の招集により建布都神とともに帝都に来臨す。建布都神は御笠山に、吾は率川の辺に住まんと思う。宜敷之を敬うべし』と。公この夢告により、神殿を造り、阿波より勧請し、阿波神と云う事代主神も建布都神も阿波に住んでいたと思う私にとっては、ウッシッシ←(肉勢かっ)です鹿島神宮の武甕槌神も香取神宮の経津主神も千葉ですが、千葉の旧国名は安房や上総・・・天富命(安房斎部系図では天太玉の孫、後藤田家文書では天日鷲命の孫)が開拓した国です。何が言いたいかって、事代主神も武甕槌神も経布津神も、一番最初は阿波に住んでいたのですよーーーーーってこと(^^)v郷土自慢(^-^)お宮参りから郷土自慢になってしまった(笑)ご縁のあった枚岡神社、この機会にと、強引に阿波と関連付けさせていただきました。東大阪に住む二人の孫を、どうぞお見守りください。イヤイヤ・・・全ての子供たちの成長をお見守りください・・・と、好感度をあげたところで、終わりたいと思います(笑)
2014.11.06
10月19日、日曜日 天気 晴れ明日の朝、起きれるかな~と心配しながら、目覚ましを4時20分にスムーズ設定。(スムーズに起きられるようにと、あえてスヌーズと言わずスムーズと言う)ちょっと寒くなってきて布団から出るのがつらくなってきているだけに、・・・・不安(-_-)だったけど、年のせいもあり、メッポウ朝に強くなってきた?目覚ましが鳴る前に・・・とはいかなかったけど、きっちり4時20分に目を開けることができた(^^)v遊びに行く日は、早く起きるのが何の苦にもならんとはいえ・・・前の日、寝るのが遅かっただけに、体と目がもう一回寝ようとするのを、強靭な意志でねじ伏せ起き上がった(大げさな)フラフラになりながら登山用の服に着替えて、車に乗る。石井古事記研究会主催の剣山行き・・・・集合場所は「雲南植物園」前もって旦那に場所を聞き、「マヨ」という喫茶店(カフェというのか?・・・しかも「マヨ」ってマヨネーズみたいやんけエ・・・マヨは確か漢字のはず。ネコちゃんの置物がいっぱいある喫茶店なのだぁ)そうそう、マヨのとこに来たら右さえ見ていたらいけると思っていたのに・・・・・・・ない(=゚ω゚)ノあっという間にボーリング場(-_-)そう、ボーリング場まできたらここはもう石井町ではなく鴨島町。ちょっと引き返してもう一回行き直す。右よな・・・右、右・・・いくら交通量が少ないとはいえ、このスピードは迷惑?と思いながら・・・右を見る。むむっ(楽天カードかっ)・・・・・ないではないか?また、鴨島に来てもーた(-_-)もう一回引き返す。確か・・・「マヨ」を越えたら、右を見よったらあるわって言よったよな・・・超不安・・・。石井古事記研究会副会長のM氏に電話したい気持ちを抑えつつ、人に頼らず行ってみようと、車をノロノロと走らせる。旦那、最近、勘違いが多いぞ~。年のせいか?自分の方向オンチを棚に上げ、旦那の年に矛先を向ける(笑)右でないかもしれん。左かもしれん・・・。今度は左を見ながら行こう・・・・・・・薄暗い中に、白地に黒の字で書かれた「雲南植物園」の文字が細い目の中に飛び込んできた。あった・・・あった(^^)/やれやれ・・・無事、到着。(方向オンチは毎回ビクビクしながら集合場所に行くのだ)車が数台、停まっていて、人も何人かいたのに、普通、気がつくだろっ・・・と自分にツッコミをいれつつ、車を道路脇に駐車した。あとは、Nさんの車に乗って剣山に行くだけ。天気が祝福してくれている。日頃の私の行動および心構えが良いせいで、こんな日は剣山に登らずしてどこへ行く?・・・ぐらいな天気。自慢のスマホで撮った写真はこれだぁ(珍百景かっ)一の森から撮った風景。遠くに見える山の名前・・・Nさんに教えてもらったのに・・・全部忘れた(-_-)教えがいのない私だと知らずにNさんは、山の名前、全部教えてくれたよなぁ。。。調子にのって、木の名前まで聞いたっけ。。。「木の名前はわからんっ」って・・・とにかくっ、磐座大好きなOさんや、足の弱いHさんをいじりながら、一の森から剣山へ、へっこらへっこら登って行った。旦那と行くのは、モチロン面白いけど、たまには、こんな団体さんで山を登るのも面白い。旦那と二人だったら、「この花、なんていう名前だろう?」「わからん」「この木、なんていう名前だろう?」「わからん」「あの山って、なんていう名前だろう?」「わからん」ってな感じで・・・・体力だけ消耗しに行っているみたいな・・・(一一")「あの山の名前はなんていうのですか?」「あれはな、正善山」「あれは?」「あれは高城山」打てば響くとは、こういうことを言うのねエ・・・何たる気持ちの良さ。メッチャ打ちまくったでエ。。。(笑)帰りもNさんに乗せてもらい、車の中で4人、会話が弾む・・・弾む(^^)vが・・・・・私の様子が次第に怪しくなってきた。気疲れ?と、慣れない団体行動のため、みんなの会話を子守唄に、車の揺れに合わせて、首を振り始めた。「ヤバい・・・眠たい」Nさんにバレないように、お行儀よく寝ようっと・・・と、本能に勝てないので、眠るのは我慢せずに、バレずに寝る方を選んだ。zzzzz「かんまんけん、寝なよ」ギクッ( ゚Д゚)動かず寝ていたハズなのに・・・バレていた。のね。人間って、5分、10分寝ただけで元気になる。のね。遠慮なく寝た私は、その後、復活。楽しい剣山行きの締めくくりに、Nさんの結婚の経緯を聞きながら、雲南植物園に帰ってきたのでした。あっ、剣山というタイトルなのに、剣山のことを書いてないじゃあないか・・・・剣山で検索して、訪問してくださった方がいたなら、お許しを~
2014.10.23
「せっかくの休みやし、どっか行こう・・・ほんでも台風が来よるし・・・近くでどっかないかな~」と、徳島県の山という本を引っ張り出す。「五剣山は?」「五剣山なー(一一")」「鬼ケ岩屋は?」「鬼ケ岩屋なー(一一")」「鈴ケ峰は?」「どこなほれ?」「あっ、津乃峰に行こう」「津乃峰なあ~行くかあ?」で・・・・やってきました津乃峰へ(^^)vほんの50メートル程、登っただけでこの景色。橘湾が目の前に広がる。。。津乃峰って意外と凄い♪津乃峰中腹の展望台にある祠。展望台からすぐのところに鳥居さん。ここから参道に突入。頂上に到着。参拝より先に景色を堪能(^○^)「よう見えるわあ」「・・・・よう見えただろな( 一一)」(肉眼で(-_-))やっと参拝(^-^)神紋は八角形・・・お三方さん?津乃峰神社の祭神は賀志波比売。私にはイマイチよくわからない神様です。賀志波は柏・・・膳?神紋では、オオヤマヅミ神と関係がありそう・・・やし・・・賀志波比売という名前から受ける感じは・・・和爾氏と関係がありそう・・・やし・・・孝昭天皇関係の匂いがプンプン(^-^)隣には台風に備えて鈴が固定された大国主命が・・・考えがまとまらん!!海神系の神さまでは・・・ある。帰り道・・・私の好きな看板が・・・「あ缶・・・」
2014.10.13
そろそろ涼しくなってきたし、マムシも夏場ほどいないだろうし、もう、動きだそうかあ・・・ということで、ずっと行きたい行きたいと思っていた石尾神社へ行ってきました。場所はここ ↓ ↓こ~んなザックリした地図でわからんっ。。。。( 一一)と・・・・いうことでザックリ地図の次はザックリ道順を書いておきますね(笑)(方向オンチの私の説明かぁ( 一一))阿波古代史が大好きな人ならみ~んな知っている穴吹町口山の白人神社前を通り、首野の集落を抜けていきます(492号線)492号線を走っていると、右手に平田組。そして前方に、石尾神社と書かれた案内版がコンクリートの中に埋められています。右に曲がります(平田組の方へ曲がる)平田組の前の道しばらくすると、右手に小谷橋が見えてきます。この小谷橋は渡らずに無視してまっすぐ走ります(笑)(郵便ポストの後ろに石尾神社の案内板があるけど、ぜんぜん見えない)当分の間、安全運転で走ります。前にパトカーがいたので、法廷速度を遵守し、安全運転で走りました。(旦那には車間距離があいてないとツッコマレタけど(-。-)y-゜゜゜あっ、林道「杖立線」の案内板(^^)vパトカーとお別れして、ブイブイ走ります(ブイブイのつもり)左手に落合橋が見えてきます。橋を渡らずにまっすぐ行くと喜来へ。。。喜来へは行かずに橋を渡って平谷の方へいきます(ややこしい説明(>_
2014.09.28
石楠花で有名な徳円寺。8月の蒸し暑い日、雨が降ったり止んだり、雷がなったり・・・・天気の定まらない日曜日に行ってきました。ブログもなかなか更新する気になれず・・・8月に行ったものを今頃になってアップです(笑)徳円寺の境内は素晴らしく趣のあるものでしたが、ずっと心の中に居座っているのは、出迎えてくれたこの言葉でした。井の中の蛙 大海を知らずされど天の深さを知る月もさしこむ 花も咲く「されど天の深さを知る・・・」「天の深さを知る・・・」親に叱られ暗い庭に座り込み星を見ていた子供のころを思い出した。何でだろう・・・・?天の深さを知っていたわけではないのに・・・。静けさが思い出させたのか・・・な・・・じっとりと湿気が肌にまとわりつき・・・雷も心配で、危険ということで断念した徳円寺の上に続く山道・・・昨日、今日とグッと季節が進んで、プチ山登りを再開しようかな~と・・・次の休日・・・徳円寺に行くか・・・九王野神社に行くか・・・石尾神社に行くか・・・・吉野川の源流に行くか・・・旦那と相談です♪
2014.09.19
「富貴山(ふうきゅうさん)へ行きたい」急に私が言うもんで、助手席で慌ててスマホでリサーチする旦那。川井峠に車を置いて山菜を採りながら、富貴山へ向かいかけたのだけど、「山から離れて行っきょる気がする」と・・・川井峠へ引き返しました。川井峠で思いがけない満開の桜・・・・桜の下でおにぎりを頬張りながら、「どうする~?」と話し合い。リサーチ不足と時間の関係もあり、急遽、天行山へと予定変更になりました。鳥居さんをくぐってまっすぐ行くと、すぐに山道へ突入し、巨大な花崗岩がお出迎えしてくれます。「オー」テンション↑↑緩くて歩きやすい山道・・・・至るところに巨大な岩・・・石・・・岩・・・「巨石の写真、撮ってないー」と、ブログをアップし始めて後悔・・・・(>_
2014.04.28
刹那に散りゆく運命と知って・・・・♪さくらの歌の中では、この歌が一番好きかな~さくらには「刹那」という言葉が似合います。今日は石井の方へ買い物に行きました。気延山を見ると、薄いピンクが、ポツ・・・ポツ・・・ポツポツポツ・・ポポポツ・・・ポポポポポ・・・(笑)誘われるようにハンドルを切って、桜を愛でに、そして、八倉姫神社へ参拝に、行ってまいりました。春の日差しをめいっぱい浴びながら、宮谷古墳の裾で集っているおじいちゃん、おばあちゃん。春の日差しが一番似合のって、人ではおじいちゃん、おばあちゃん、そして動物では、ネコ?にぎわっている麓とは違い、静かな桜。最近、ふさぎこみがちな心を、八倉姫神社に置いてきました。何でも受け取ってくださる神様・・・・節目には八倉姫神社へ・・・というのが私の定番になりそうです。
2014.04.03
ここに来ればスズメに会えます。精米したお米を少しだけおすそ分け。近寄ると逃げるので、車の中から撮影です。いつもは那賀川町のお米ですが、今回は方上のお米。30キロいただきました。消費税もあがったことだし、助かります。皆様は買い物、行きましたか?もう8パーセントなのですね・・・・( ̄▽ ̄)
2014.04.01
今の職場では、まだ右も左もわからなくて、教えてもらうことばかり。わかりやすく丁寧に教えてくださる方もいれば、冷たい方もいて・・・・凹んだり、凸になったり(^O^)「オイオイ、そんな言い方せんでもー」と、突っ込みを入れたくなるくらい、きつく言われることも・・・・新米のつらさですね(ToT)/~~~今日も、そんな一コマがあったのですが、無事、仕事を終えて帰ろうと自転車置き場へ行くと、自転車が屋根のある所まで動かされていた。雨に濡れた自転車は、座る部分だけは、濡れていなくて・・・言葉のないやさしさが、一気に心に充満して・・・ペダルが軽くなりました。凹んでいるときに、こんな無言のやさしさは反則ですね(^O^)誰だかわからないけど、ありがとうございました(^-^)「あっ!獲物にゃっ」「シュワッチにゃ」
2014.03.14
須佐之男命が「八俣のをろち」を退治した時に、尾からでてきた「都牟羽の太刀」「都牟羽」の「都牟」って何だろう・・・・私の持っている本の解説には、「都牟羽」は渦の紋様がついた刀の意か。旋毛・旋風・紡錘などの「つむ」(渦状)と関係あろう。って書いてあるけど、イマイチ、ピンときません。名前的にも全然かっこよくなく・・・・でも、須佐之男命が佩いていた十拳剱より強い剣。「都牟」「つむ」古代の人の名前のつけ方って、見たままんま、感じたまんまをストレートに名前にしている場合が多いことを考えると、「都牟」は・・・・「詰む」ではないかな?と考えました。手名椎・足名椎が、不純物をたたき出してできた、目の詰んだ強い鋼の剣。「都牟羽の太刀」=「目の詰んだ太刀」なんて・・・・あり得ない?(笑)ダジャレっぽいし・・・(笑)都牟羽の太刀に、「手名椎・足名椎 作」なんて彫刻されていたら・・・・楽しいだろうな~なんて想像してます。切れ顔のフー猫パンチを繰り出す前の顔です。
2014.03.13
さっきまで、ものすごく眠かったのですが、お風呂から出ると、当分起きていられるんですよね。本を読んだり阿波の古代のことを調べたいと思っても、11時前後になると眠くなるので、結局、何もできずに終わってしまう・・・・残念!!昨日は、よい天気に誘われて上勝の山犬嶽へ行ってきました。一休茶屋でお昼ご飯を食べたあと、旦那手作りの竹の杖を持って、登ってきました。山犬嶽は苔で有名なところ。ひょっとして、雪の白と苔の緑がきれいかも?と思い登ってみましたが、寒さのせいで苔の色に元気なし!!!苔も私と同じ夏生まれで、寒さに弱いのですね(笑)・・なんて・・・山犬嶽登山は、やっぱり・・・苔の緑がきれいに映える梅雨時がいいですね。お留守番のフーでした。
2014.03.10
今日は暖かでしたね。いつも事務所にこもってパソコンや書類をにらみつけてますが、少し時間ができたので、200部ほどポスティングしてきました。おじいちゃん、おばあちゃんがたくさん住んでいそうな市営住宅を、1枚1枚「お願いします」と、心をこめて配ってきました。1階から4階まで全部で8棟・・・・願いが通じて、明日からデイサービスの申し込みが殺到するかも?・・・・なんてんな訳ないか!!少し汗をかいて、足の筋肉も少しは使って、程良い疲労感。帰って、フーに癒してもらおうと思ったのに・・・・今日は、あまりヒザの上で落ち着いてくれません(+o+)ネコは暖かい場所も涼しい場所も、独自のセンサーで探し出し、よりよく快適に暮らしているらしいけど、もう、人間のヒザは暑いんかいな?男の子のネコは抱っこがいやな時は、こっちの胸が痛いくらいに思いっきり突っ張って・・・・ほんなにイヤがらんでも・・・と思うけど・・・ちょっと傷つく(笑)いつも誰も居ない家で留守番してくれてありがとう(^◇^)ただいまって、ドアを開けた瞬間に、コロンとお腹を見せてくれるフー・・・今日もいっぱい遊ぼうなーーーー
2014.02.26
「サクラサク」おめでたい名前がいいな~と、つけたブログタイトルやけど、以前、会社のブログで使っていた「電話番のフー」という、大好きだったハンドルネームをブログタイトルに改めました。電話番だったあの頃、そして今も、違う会社で電話番です(笑)唯一の自慢だった「声」も、声帯神経の不全マヒで、アルトのだみ声になりました(T_T)電話番のフーの頃と、心は何も変わってないのに、環境や体は、変わっとるんやなーー((((*゜▽゜*))))今日は、寒さも和らいで、お墓参りも心地よかったですよ。あまりの気持ち良さに、久しぶりに本屋さんへ…「猫に言いたいたくさんのこと」「2時間でおさらいできる世界史」の2冊を買いました。猫に言いたいたくさんのこと…猫に好かれるために73の方法が書かれているようだけど、フーにも通用するかな~(=^..^=)ミャー今から、一時間ばかり読書タイム。8キロ近くあるフーを、たくましいヒザにのせて、読みますね(^^)それでは、電話番のフーでした。(やっぱり私的には、こっちがシックリくるな(^_-))
2014.02.22
今日の徳島は、朝から雪、みぞれ、雨。それぞれの種類が、交代で地上に降りてきました。スリックタイヤ気味になっている私の車は、雪道は危険(笑)古事記講座の参加を迷いましたが、積もる心配はなさそうだったので国府まで行ってきましたよ(^ー^)雪は街の色をモノクロに変えてしまいますね。オリンピックも始まりました。選手の皆さんが、悔いのないプレイができますように……少しばかり、モチベーションが下がり気味の私には、オリンピックは、良薬になります。選手の中では一番年齢が近い葛西選手。そして真央ちゃんや高梨さらちゃんなど、ここまでくるのに、それぞれの物語があったでしょう。何度も読み返したくなる、オリンピック物語になるように、日本から力を送りたいと思います。頑張れ~(^^ )
2014.02.08
ただ話を聞いて欲しい時、ただ、ただ、聞いて欲しい時、「ほんまやなー」って、いう一言で、いつも救われてきた。隣に「ほんまやなー」って言ってくれる人かいるのは、幸せやな(^ー^)「ほんまやなー」は、少し弱った私の心に染み渡る栄養言葉。 カンフル剤(^-^)今日は、薄曇り。もう少ししたら出かけます。本宮山へいってきます(^ー^)
2014.02.02
おこたに足を突っ込んで、レースのカーテン越しの白っぽい光を浴びながらぼんやりしてます。いつもは、私のそばに箱座りしているフーも見あたりません。タブン、二階のお気に入りの場所で毛穴を広げて、太陽の光を浴びているのでしょう(^^)一月末から新たな一歩を踏み出しました。前向きな気持ち満々ですが(笑)さらに前向きになるために、YouTubeで、プロフェッショナル仕事の流儀本田圭佑スペシャルを見ていました。私の年の半分くらいの青年が…もがきながら、人生に向き合っている姿は、胸を打ちます。さー、今から旦那と自分のご先祖さまに会ってきます。月二回行っているお墓参りは、必ず行かなければ気になるので…(^-^)土曜日は、用がなければ家の片付け、お墓参り、そして両親の顔を見にと…のパターンです(^ー^)徳島は今日も暖かいです。今日も1日、心も暖かです。
2014.02.01
介護実務者研修の勉強をしている仲間4人で、老人ホーム秋祭りのお手伝いに行ってきました。私以外の3人は、1対1でおじいちゃんおばあちゃんのお世話役を、私は受付係となりました。私も、おじいちゃんおばあちゃんのお世話係がよかったな~と、3人をうらやましく思いつつ与えられた仕事を、一生懸命させていただきました。受付嬢?の私の隣には、本物の「嬢」として高校3年生の女の子がくじ引き係をしてくれました。直接、おじいちゃんおばあちゃんと、触れあう機会は少なかったけれど、声を聞いたり、楽しそうに踊っている姿を見て、ものすごく癒やされました。「介護の仕事は一度したらやめられないよ」と、仰った先生の言葉が少しだけ理解できたような気がした。今は、程良い体の疲れと、カイロのようなゆるい温かさの心が心地いいです。みんな、いい顔してました。本当に…介護の仕事に対して、少し迷いがあったけど、もう、迷うなんて…どうでもよくなったかな?今、やらなければいけないことを一生懸命して、あとは、自然な流れに身を任せよう…それが、私には一番合ってるような気がします…(^ー^)
2013.10.27
急に思い立ち出かけた塩塚高原。9月末の日曜日。薄を好きだと言った友人は、先日、徳島を離れました。折れそうな心を必死で奮い立たせてきた友人に、塩塚高原の薄を送ります。薄のように地に根を張って、薄の穂のように、光を浴びて輝きますように・・・いつか一緒に、薄を見に行きましょう・・・・。
2013.10.12
「昨日の近藤さん、頑張ったなー」「カッコよかった」「男になったな」休み時間に、半沢直樹のことをアレヤコレヤ(笑)今度は好きな芸能人の話。「僕は小泉今日子が昔から1番好きっすねェ・・・2番言っていいっすか?ほたるのひかりの時の綾瀬はるか。ジャージ姿で畳の上をコロンコロンしたヤツ・・・もう、あれはアカン!!可愛すぎっ!!」とNさん。「うん、わかるわかる!!あれ、めっちゃ可愛かったもんなぁ。キョンキョンも可愛いし、カッコイイし、女からみても好きやな」と、Wさんと私。「金城武が好き」とWさん。「金城武がこの世におっただけで生まれてきてヨカッタと思う」「生まれてきてって・・・・そんなにー?」と私。席の近い人同士、何が好きで、何が嫌い。前の仕事はどんなだった。家族のことなど・・・・いろんなことを話すようになって、ますます楽しくなってきました。今日のテストも励まし合ったり、問題を出し合ったり、本当に年のことを考えなければ、学生生活と同じです。まさかこの年になって、こんな気分を味わえるとは思いませんでした今日はいつもに増して、心が弾んでます。新しく知るということは、こんなにも楽しくて若返るんですね。ひょっとして、来年1月の卒業を迎える頃には、20程、若返っているかも?「・・・・・」「それはないかっ(笑)」土、日に続いて今日も涼しい1日となりました。皆様、暑さで疲れた体を、今日はゆっくりと休めてください♪そして明日も元気に頑張りましょう!!生命に感謝です!!
2013.08.26
徳島の阿波踊りも終わり、車のナンバーもいつもの通り、徳島ナンバーがほとんどとなりました。お盆の間、我が家の家の前にも、横浜ナンバーと大阪ナンバーが止まってました( ^-^)今は、その車の持ち主たちも帰り、夫婦二人の静かな生活が始まりました。今年のお盆も全力で子供や孫たちの世話をし、全力で遊ぶことができました。もっと~しておけば良かった。みたいな後悔はできるだけしないように……ね( ^-^)後悔といえば………お盆前に、ドキドキ怖い体験をしました。健康で元気だけが自慢の私でしたが、1、2ヶ月前から声がかすれて、おすぎとピーコのような声に。更年期障害からくる甲状腺の関係かなーと思っていたのですが、病院嫌いの重い腰を上げ、耳鼻咽喉科へ。そこで告げられた病名は「声帯の不全麻痺」「……(・_・、)」「不全麻痺って何よー」聞いた瞬間、頭はクラクラ、冷や汗タラタラ。多分、顔色は「青」だったと思う(^◇^;)左の声帯の動きが悪い…とのこと。声帯の神経は頭から耳の近くを通って、首、胸を通って声帯まで上がってきているらしい。長い道のりの途中、腫瘍が当たって神経を圧迫しているかもしれないので市民病院で検査をしてくださいとのこと。「はい…(T-T)」12日、「私は絶対、大丈夫!」と言い聞かせながら市民病院へ。検査結果が出るまでの間、これまでの人生を考えた。「今まで以上にもっと一生懸命生きよう!」限りある命のことを思ったのでした。お陰様で腫瘍もなく、声帯不全麻痺は回復途中だとのこと。原因はわかりませんが、体も節目を迎えているのでしょうね。相変わらず、おすぎとピーコのような声ですが、声が出るだけでありがたいですよね。もっともっともっと一生懸命生きよう!そう思います(^ー^)
2013.08.19
今日の授業は人間の尊厳。1時間目から5時間目まで授業を受け、6時間目にテストという予定。70点以下なら追試になります。午前中は真面目に先生の話を聞けたのですが、お昼からは、時々舟を漕いで夢の国へ行ってしまいました(笑)カクンッとなるたび、夢の国から舞い戻って眠気との戦いでした(笑)今日はダンスもしましたよ♪氷川きよしの「ずんどこ節」に合せて・・・・おじいちゃん、おばあちゃんが好きそうですよね。これからは、演歌や簡単なダンスなど恥ずかしがらずにできるようにならなければいけませんね。それと「手紙」という歌を聞きました。年老いた親から子供へ贈る歌。涙なしでは聞けません。少し、歌詞を書きますね。年老いた私が ある日 今までの私と違っていたとしてもどうかそのままの私のことを理解して欲しい私は服の上に食べ物をこぼしても 靴ひもを結び忘れてもあなたに色んなことを教えたように見守って欲しいあなたと話す時 同じ話を何度も何度も繰り返してもその結末をどうかさえぎらずにうなずいて欲しいあなたにせがまれて繰り返し読んだ絵本のあたたかな結末はいつも同じでも私の心を平和にしてくれた悲しい事ではないんだ 消え去ってゆくように見える私の心へと励ましのまなざしを向けて欲しい楽しいひと時に 私が思わず下着を濡らしてしまったりお風呂に入るのをいやがるときには思い出して欲しいあなたを追いまわし 何度も着替えさせたり 様々な理由をつけていやがるあなたとお風呂に入った懐かしい日のことを悲しい事ではないんだ 旅立ちの前の準備をしている私に祝福の祈りを捧げて欲しい・・・・・・・・・・・・・・・・高齢者は「喪失の世代」ともいうそうです。この世とお別れするために、少しずつ、少しずつ、持ち物を置いていくのですね。さあ、明日もテストです!!知識を身につけて、少しでも誰かの役に立てるように・・・寝ている場合じゃないですね(笑)
2013.07.16
太陽の光を浴びながら、風に身を委ねているチガヤ。この季節はツツジもキレイだけど、私はチガヤの方が好きかなーーー。ウィキペディアよりチガヤの海の中にフー(うちのネコ)を連れて行ったら、どのチガヤで遊んで良いやら???と、あっちこっちへ目移り・・・じゃなくて体移りしてヘトヘトになってしまいそうです(笑)茅は身近な植物で、古来から生活必需品に始まり呪術的なものまで余すことなく使われてきました。私の好きな神様の1人に「鹿屋野比売」という野を治める神様がいらっしゃいますが、茅は害悪を防ぐ植物とされていることから、鹿屋=茅野比売様ではないかと思います。照葉樹林帯に生きている茅は中国でも「茅社」「茅旌」「茅蕝」「蕭茅」「白茅」「茅蒩」「神藉」「茅狗・茅龍」など宗教的なものに使われていたそうです。中でも1番気になったのが「茅蕝」朝会の儀に使う「カヤ」で作った座席のしるしとされているもので、茅蕝は南方の楚の礼儀の習慣だったそうです。海人のことを、アレヤコレヤと探っては妄想している私には「オッ?」と思える情報です。そういえば、神事の時に使われる敷物って茅で編んだような座布団だったな・・・(天理教も茅のようなものを編んだ円座です)茅の敷物で地中からの悪霊を防いでいたのでしょう。五月五日の子供の日には「柏餅とチマキ」チマキは中国の屈原のお話が出てきますが、チマキを悪霊に見立て、それを縛り上げて食べ、退治してしまうという意味もあるようです。茅を調べることで鹿屋野比売神の手がかりが何かあるかな~~っと思いましたが、・・・・・です。せめて貴女の旦那様だけでもわかれば、多少 霞がはれると思うのですが・・・。大山津見神なのか大麻比古神なのか大年神なのか・・・まさか全員?(うっ・・・うらやまぢい・・オット)では、ないですよね・・・・イヤ・・・わからんじょ・・・モテそうやし・・・)(笑)
2013.05.09
徳島市入田町の伊勢神社神宮の元の元の元の元・・・・の神社が、こんな小さな祠だったと言えば、一部の人を除けば、きっとのけぞるくらい驚くか、一笑して終わりというところでしょうか・・・・。昨日、20年に1度の式年遷宮に沸く神宮を参拝しながら、「こんなに立派な神社になって」と、畏れ多いことですが、こんな風に思ってしまいました。帰りのバスの中で、旦那がスマホで地図をチェックしていたら、「志摩の磯部町に、阿津摩里崎神社っていう神社があるぞ」と、言ってきた。「あずま?ふ~ん」と私。ネットで御祭神を調べてみましたが、わかりません。伊勢神社が鎮座している入田町に「安都真」という地名があるだけに、何かニオう・・・・ヨォ。。。。(笑)度会氏と磯部氏が、伊勢では物凄い氏族らしい。「磯」の「部」と書くくらいですから、磯部氏はきっと海の人たちでしょう・・・・。安曇さんたちの仲間でしょうか?安曇さんの仲間だとしたら、(阿の津にいた人たちが、黒潮に乗って伊勢へ移住してきたのか・・・) ↑ ↑これは私の勝手な解釈です。やっぱり、その地を訪れますと何かしら収穫があるものですね。さあ、今晩は海の人たちを思いながら、黒潮に乗った気分で、志摩で買ったイカや魚の干物をアテに、旦那とビールでも飲もうっと・・・・。泡だけに(笑)何のこっちゃ(笑)
2013.04.01
遅れがちだった阿波の桜の花が一斉に開き始めました。人の目には触れない土の中で、頑張っている根っこたち。あなたたちがいるから、今年もキレイに咲くことができました。今日の天気は花曇り。桜の咲く頃の曇りがちなお天気のことを花曇りと言うんですよね。日本語って。。。。美しい。。。。今年の春のお彼岸には、「ぼたもち」を150個ほど作って、ご先祖様へお供えし、他は親、兄弟、友人などに配りました。このぼたもち、季節ごとに呼び名があるそうで、春は「牡丹餅」秋は「お萩」夏は「夜船」冬は「北窓」というそうです。ラジオで言っていたのを聞いて、初めて知りました。こういう言葉に接するたびに、日本人として生まれて良かったと思います。久しぶりのブログ。今日はお客さまから、ありがたいお言葉を頂戴し、涙。。。。心が「愛」でいっぱいになったので、文字にしてみました。相性の悪い楽天ブログですが、今日はすんなり開いてくれましたよ。「コイツめ」と思っていたら、想いは通じないのかもしれませんね。
2013.03.29
阿波沚(あわはえ)釣り好きの佐川男子、Tさんからもらった出羽島のパンフレットを見ていたら阿波沚の記念碑というのが目にとまりました。☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆ー☆出羽島では、1914年の夏以来不漁続きで、漁師は、その日の米代にも困る状況にあった。その年の11月19日、出羽島山村組の大正丸(24t)は、島民の最後の頼みの綱としての期待を背負いつつ、四国沖を南に航行していた。父雪太郎に代わって舵を握っていた山村源太郎は25 歳の血気盛りで、25 名の乗組員と共に、のるかそるかの気持ちで漁場を求めてさまよっていた。そして、大正丸は偶然シビの大群に遭遇し、大漁旗をかかげて出羽島に意気揚々と帰港することになる。 その後、その漁場での大漁が続き、本物の好漁場であることが確認されると、当時の出羽島漁業組合長であった雪太郎は、私すべきでないと考え、県の水産試験場に連絡する。県は、翌年1月に早速その漁場周辺調査を実施、その結果、室戸岬から南40 余海里の地点に漁沚を発見したのである。そして、その漁沚を、「阿波沚」( 現在の土佐碆) と命名した。 しかし、漁民たちは、発見した大正丸の功績をたたえて、「大正沚」と呼びならわしているという。この好漁場には、その後広く、高知、和歌山、三重、静岡の各県から漁船が続々とつめかけ、今日に至るまで、わが国における鰹一本釣りの好漁場となっている。 昭和8年、出羽島の人びとや徳島県遠洋出漁団組合は、山本雪太郎の功績をたたえ、感謝の心をこめて、出羽島漁港口の正面に「山村雪太郎君業績の碑」を建設した。とあります。「はえ」って阿波沚のように良い漁場のことだけでなく、岩場や磯場のことも「はえ」と言うそうですね。阿波南部の鞆の浦には、地図や地形図には記載されずに、口頭伝承で伝わってきた「はえ」を使った地名がけっこうあるそうです。ー阿波学会紀要ーかわはぎ碆(カワハギバエ)お多福碆(オタフクバエ)大碆(オオハイ)ぶだい碆(エガンバイ)丸碆(マルバ)狸碆(タヌキバエ)などなど・・・たくさん!!この「碆」は、四国南東部、南部にたくさんあるそうです。第三代、安寧天皇の后、阿久斗比売の父親が「県主波延:はえ」というのですが、前々から「はえって変な名前やな~、蝿のこと?」などと、無礼かつ馬鹿なことを思っていましたが、謎に思っていた「はえ」は、たまに耳にしていたはえ縄漁法などの「はえ」だったのか~と・・・・一人納得したのでした。阿久斗比売は日本書紀では、渟名底仲媛命(ヌナソコナカヒメ)事代主命のお孫さんになります。漁業の神様の孫であり、子供だもの。「はえ」ってこの「はえ」だと思ってもいいですよね????そして日本書紀の第一の一書では、安寧天皇皇后、磯城県主葉江の娘である川津媛とあります。この「磯城:しぎ」って、マグロの子供「しび」のこと?なんて・・・・思ったり。でも、これはちょっと言い過ぎ?古代に想いを馳せて、あれやこれやの空想・・・・楽しいですね~(^.^)追記※他にも第六代 孝安天皇后の 姪忍鹿比売(めひおしか)命も→忍鹿→おしか→アシカかも?魚や海関係で調べたら面白そうです(^O^)/(悪しをオシに変えた?)
2012.12.08
1週間くらい前、旦那が風邪気味だったので、もみじ川温泉の道の駅で花梨を買いました。カリンジャムで喉ハツラツにと・・・・。(愛情たっぷりの動機(笑))でも作るの面倒くさいと、1日たち、2日たち、1週間・・・・旦那の風邪が治ったと思われる月曜日にカリンジャムはできました(笑)甘酸っぱくて美味しい!!このジャムは風邪予防にします(笑)
2012.12.04
古事記「しかれども、くみどに興して生みし子は水蛭子。この子は葦舟に入れて流しうてき。次に淡嶋を生む。是もまた子のたぐいに入れず。」流し雛3月節句に川や海へ流し送る雛人形。鳥取市周辺では竹骨に貼った小型の一対の紙人形を、三月節句に飾り祭ったうえ、3日の夕方供物の苞ともども、桟俵にのせて川へ流す。現在は郷土玩具とし流布もするが、なお罪穢れを流す「祓え」の形代の古意をとどめるもので、岐阜県などにも粗製の土人形を流し送る風習が残っている。また関東・中部の各地には、三月節句に子供たちが野外に雛人形を据えて祭り、名残を惜しみつつ「雛送り」をする風習がかなり見られた。さらには古びた雛人形を神社や辻に送り納める習俗も広くみられ、流し雛と一脈のつながりを示している。(京人形商工業協同組合公式サイト)桟俵(さんだわら)俵の両端につける円形の藁ぶた。桟俵は神座や神饌の容器として、正月には年神の幣束をさしたり、鏡餅をのせるのに使われる。しかし、最も顕著なのは、疱瘡や麻疹にかかったり、はやったりした時に、桟俵に御幣、赤飯、神酒などをのせて、辻や村境に捨てたり、川に流す風習である。3月節句の流し雛も桟俵にのせて流す。また胞衣(えな)を埋める際に桟俵にのせ埋め、葬式で枕飯や枕団子を作った道具や灰は桟俵にのせて辻や庭先に捨てる。(コトバンクより)唐突の「桟俵」ですが、神山町史を見ていたら、「サンダーラの淵」というのが目に入りました。サンダーラ?何じゃコレ!ガンダーラじゃないのか?何のことやらわからないので調べてみると、「サンダーラとは石井町や出雲で使われていた方言で桟俵のこと」と出てきました。なるほど~「サンダーラって桟俵のことなのかぁぁ」桟俵→さんだわら→さんだあら→さんだーら→サンダーラ(↑「わ」が「-」になっただけですね(笑))桟俵は「流し雛」に関係があるみたいで、各地に残っている流し雛を検索してみると、阿波に関係ありそうな場所ばかりが出てきましたよ。1 奈良県吉野川の流し雛 吉野川のほとり奈良県五條市阿田の流し雛。 竹の皮で作った船に乗せて吉野川に流すそうです。 千代紙のお雛様は、吉野川から紀ノ川を下り、 女性の病封じ・安産・子宝の神様である紀州淡島神社まで旅をするそうですよ。 (有名すぎる吉野川とか阿田とか、気になります)2 鳥取県の流し雛 鳥取県八頭郡用瀬町の流し雛。 (用瀬は「ようぜ」じゃなくて「もちがせ」とよむそうです) 用瀬町では旧暦の3月3日に紙雛や花、菱餅などを載せた桟俵を 近くの千代川に流して、無病息災を祈るそうです。 (用瀬のお隣は岡山県阿波村です)3 龍野の流し雛 兵庫県揖保川沿いの龍野では、春分の日に雛流しが行われるそうです。 折り紙で作った衣装の雛人形に紙粘土の顔を付け、桟俵の上にのせ、 菜の花や春の花を添えて揖保川に流すのだとか。 (揖保川沿いの宍粟市に伊和神社:祭神大己貴命が鎮座しています)4 埼玉県岩槻市の流し雛 岩槻市は、お雛様や五月人形の産地として有名で、 毎年4月のみどりの日に岩槻城址公園の池で流し雛のイベントが 行われているそうです。 岩槻の地名の由来は、「巌をもって築けるがごとき城」という意味から起こり、 古くは「岩付」や「岩築」の文字が用いられ、 「岩槻」になったのは宝暦明和の頃(1751~1771の間) からなのだとか。 また一説によると、岩槻には「久伊豆神社」があることから、 神を祭った土地の意味とも云われているそうです。 (久伊豆神社の御祭神は大己貴命、伊和神ですよね。 伊和神が尽きた所・・・北限?)その他には、岡山県笠岡市北木島大浦では、旧暦3月3日に海に流す流し雛が行われたり、京都下鴨神社では盛大に流し雛が行われているそうです。岡山も下鴨も阿波に関係ありですよね。神山町阿川にある「サンダーラの淵」から流し雛の話になってしまいました。何故、サンダーラというのか名前の由来は私にはわかりませんでした。でも、やっぱりとういうか、当然というか・・・阿波に関係ありそうな場所で流し雛の風習が残っているようですね。サンダーラってガンダーラか、はたまた、神山町にいたローカルなヒーロー「サンダーラマン」か?ぐらいにしか思いませんでしたが、思わぬつながりが出てきて、ワタクシ・・・サンダーラウーマンもびっくりでした(笑)・・・って誰がサンダーラウーマンやねん\(-o-)/
2012.11.27
気になる名前のお城を見つけました。「筑紫城」☆☆市場町史より☆☆「阿波志」阿波郡山川の部に筑紫城 亦大影村に在りとあり、「阿波郡誌」などに筑紫城跡 大字大影八町坂の南端にあり、東西20間(約36m) 南北凡60間(約110m)平坦にして中央に二塚あり、一を経塚といひ他は詳ならす、西南は大影谷を環らし、東方は境川回り、周囲七町(約770m) 高さ凡50間(約90m)山頂を経野といふ、城主姓名伝はらす。とあるが、全ての条件を満たす場所は見つかっていない。また遺物が出土したり遺構が残っていないので、どこに城があって、だれが居館していたのかわからない。郷土研究家の人たちは、総合的に考えて赤●の地点であろうかと言っている。その理由は、1、昔の讃岐から阿波への通路(讃岐ー御番所ー平間ー大影ー大楢番所ー 日開谷の谷川沿いの蛇行した道)2、大影村関係3、熊野神社関係など。一方地元の人たちは、古老からの伝承として黒●の地点であろうかと聞いている。八丁坂の峠から三割くらい下がった南斜面にあったが、昔大雨があって崩壊した。そこには番所をちょっと大きくしたような建物があったという。大影地区で古い石造文化財を調査している地元の人が、五名への昔の道 赤● へ案内してくれた。今はあまり人の通らない古道の両側に、凝灰岩製の五輪塔が土に一部うずもれて散在していた。これら五輪塔にかかわる人たちは筑紫城のことを知っているのでなかろうか。☆☆以上市場町史より☆☆何で筑紫城という名前なのでしょうか?ここら辺は神武さんに関係ありそな所だし、ひょっとして東夷伝に載っているという「筑紫城」だったりするかも?(それはないかな(笑))地図の●印の所は多少のズレがあると思いますm(__)m方向オンチは、地図上でも方向オンチです(笑)あっ・・・・それともう1つ筑紫城に関係ないのだけど、鹿江比売は何で野椎の神なのかと思い、Wikiで調べたらこんなのを見つけました。ツチノコは、京都、三重、奈良、四国北部などで用いられていた方言。だと。鹿江比売の神社は徳島県北部に鎮座ですよね。ツチノコ=鹿江比売・・・・何かイヤなんですけど(笑)茅をたたく横椎から野椎?草原に居そうなツチノコが横椎に似ているから?(私の)イメージでは草の妖精のような感じなのですが、ツチノコではちょっと違いすぎです(笑)でも「ツチノコ」が方言だとは知りませんでした。
2012.10.26
田寸神社で出会った「オンブバッタ」馬岡新田神社で見つけた「でんでんむし」ドキンちゃんの顔のようなツリフネソウ←名前合ってるかな~。そして、古事記にも登場する「タデ」白の花は何ていう名?昨日は古事記研究会の暑気払いの会がありました。仕事の都合で遅れての参加。着いた早々、なみがしらさんから「挨拶を」と言われ、少しパニック!!慣れない挨拶に心臓をドキドキさせながら、短いおふざけのような挨拶をさせていただきました。人前でも緊張せずに話ができるようになりたいと思っていた私に、これは、なみがしらさんからのさり気ないプレゼントだったのかな~昨日、0.1歩、前へ踏み出しました。今度は昨日より、一言でも多く話をしよう!!少しずつ・・・・前進です。
2012.09.26
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