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カテゴリ: 映画の話
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だから、ずっと見逃していたこの映画が「地上波初登場!!」と、新聞のテレビ欄に載っているのを読んでも、最初は迷っていたのです。
ところが、最初の5分を観たらもう、テレビを切ることはおろか、チャンネルを変えることすら出来ませんでした。

観ていて切なく、苦しいのに、途中では止められない映画。そう、この作品は観ていて“おもしろい”のですね。
主人公のたどり着く先がどうなっていくのか、追わずにはいられないという点で。

(以下、若干の“ネタバレ”を含みます)


映画の冒頭、まったく身に覚えのない痴漢事件の犯人として捕らえられ、警察署で主人公(加瀬亮くん、すばらしい演技!)が取調を受けるシーンがあります。

大森南朋演じる刑事が、
「私は○○いたしました。私は××だったのです。」


実は、これとよく似たシチュエーションを、私は昨年体験しました。
夜道で、背後からひったくり狙いの何者かに襲われるという経験をして、110番通報して警察署に行ったときのことです。

つまり、私は映画とは逆に、事件の被害者として調書を作成したわけで、警察の方々はとてもやさしく、パニック状態の私をなだめ続けてくれました。

こちらはもう、年甲斐もなく嗚咽が止まらない状態に陥っていて、言葉も途切れ途切れだったのですが、その時も女性の警察官が

「私は○○へ出かけた帰り、××電車で午後5時30分に□□駅に着きました」
「私はその時大変な恐怖を感じ、犯人の姿をしっかり見ることさえ出来なかったのです」
「私は何も悪いことをしておらず、ただいつもの道を帰ろうとしていただけなのに、こんな思いをさせた犯人を許すことは出来ません」

・・・と、それはもうスラスラと、ジグソーパズルのように私の断片的な言葉を美しい口語に編み上げてくれたのです。

映画のシーンを観ていて、立場は真逆なのに
「おんなじだ。あの時と同じだ」
と、思いました。


でも、あのよどみなく調書が作成されていく手際が、毎日毎日、似た様な事件と向き合っている人ゆえの「手馴れた仕事ぶり」だったことが、冷静になった今はわかるのです。

その「慣れ」は、物事に対する予断に通じ、手抜きに通じ、判断を鈍らせることに通じていくかもしれない。
もちろん、仕事で経験を積んでいくということには、少なからずそういう側面が含まれるものだと思います。

・・・でも、それが、人を人が裁く場で、絶対的な権力を持つ側の人々にはびこっているとしたら??

そう考えて、背筋がゾーっと冷たくなるようなシチュエーションが、いくつもこの映画には出てきます。


観る側をのめりこませ、テンポ良く1年間の物語を進めていく脚本・演出の妙に、すっかりハマりました。

正直、「シコふんじゃった。」の、そして「Shall We ダンス?」の周防監督ですからね。
判決前夜のシーン、私の思いは、もたいまさこ扮する主人公の母が発する一言のセリフと、まったく同じものだったのです、が・・・

この物語の結末が描いたものは“絶望”ではありません。
でも、映画の冒頭とラストシーンに、序文とエピローグのように映し出される短い文章は、映画を観終わった後も本当に重く、胸に残ります。

神のような完全無欠の存在ではあり得ない・・・それが、人間の本質というものなら、人が人の罪を量り、裁くということはどういうことなのか?

面白い映画を観たなぁーという満足感の中に、何か、真剣な宿題を突きつけられたような思いが残る、力のある映画でした。観てよかったです。ぜひ、DVDで完全ノーカット版を見直してみたいと思います。






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最終更新日  2008.03.04 15:17:35
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