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カテゴリ: 本の話
ある日、夫宛に某ネット書店から大きな包みが届きました。

帰宅した彼がダンボールの中から取り出したのはなんと、光文社古典新訳文庫の 「カラマーゾフの兄弟」 全5巻。
読みやすくなったと評判の新訳で、古典作品には珍しいほどのベストセラーになった、話題の書でした。

巷の「カラマーゾフ」ブームは広がりを見せ、 ’69年作のソ連映画 まで、DVDがよく売れているのだとか・・・

パラパラと手にとってみると、なるほど平易な文章だし、5巻すべてに訳者の亀山郁夫氏による「読書ガイド」が付され、挟まれた栞にも登場人物一覧が印刷されているという“親切ぶり”。

それぞれの本に巻かれた帯のコピーも、読む気を煽る言葉が並んでいて、世間の評判につられて本を注文した夫より先に、つい読み始めてしまったのです。
そして、勢い止まらず一気に読破してしまいました。

「何よりもわたしは、グローバル化と呼ばれる時代に、最後まで一気に読みきることのできる『カラマーゾフの兄弟』の翻訳をめざしたかった。勢いが、はずみがつけば、どんなに長くても読み通すことができる、そんな確信があった」



誰も彼も、強烈に際立つ個性を持っていて、みんな痛々しいほどバランスが悪い。
それゆえに、誰もが大いなる葛藤を飼いながら生きている。

ミーチャ、イワン、アリョーシャの三兄弟とその父フョードル。
カラマーゾフの一族はもちろん、脇役の一人ひとりに至るまで、存在そのものがドラマチックなのですから、その彼ら、彼女らが絡まりあう人間関係が、面白くならない訳がない、という感じでした。

長い小説の中で、“出来事”が“人の心”に及ぼす作用、そして、“人の心”によって生み出される“出来事”・・・
この、ニワトリと卵の連鎖が形づくる“人生”というものの重みを、深く考えさせられる瞬間が何度もありました。

本の世界へ踏み込む上で、キリスト教、中でもロシア正教の宗教観についての理解は基礎知識として必要だと思われます。
また、私が特に新鮮に感じたのは、ドストエフスキーがこの小説に込めた“ロシアの大地”への思いの強さでした。
子どもの頃に覚えた世界地図のおかげか、私の中では未だに「ロシア=ソ連」というイメージが拭いきれません。
ドストエフスキーが生きた時代の「ロシア」を、しっかりと掴み直さなければ、彼の小説の魅力を捉えきれないのだな、と実感しました。

ただ、この2点については、巻末の読書ガイドや、第5巻の付録である訳者の解題を読むことで、読者に濃密な情報提供がされています。そういう点でも、かゆいところに手が届く仕事がされているのでした。


犯人探しの顛末はもちろん、後半の法廷劇も、そのストンと幕を下ろす結末にいたるまで、本当に面白かった!

でも最大のミステリーは、人殺しという出来事そのものよりも、やはり人間という存在の、それぞれの心の内側にあるのだなぁと思い知らされる。
ドストエフスキーの、圧倒的な作家としての力量が、この歳になってやっと理解できたような気がしました。

美しい描写と言葉に満ちたエピローグ。アリョーシャが叫ぶ、

「そう、かわいい子どもたち、かわいい友人たち、どうか人生を恐れないで!なにか良いことや、正しいことをしたとき、人生ってほんとうにすばらしいって、思えるんです!」



この大部の小説は、解説によれば本来は二部作として構想されたものの第一部で、ドストエフスキーは自叙伝の要素もあるこの小説を未完のまま遺したのだそうです。
でも、兄弟たちの物語の続きが書かれなかったことは、今となっては、読者の感銘をより深くしているようにも思えます。
繰り返し読む度に新たな発見があることと思われ、「名作、恐るべし」と唸らされたのでありました。(でも、当の夫は一向に手に取る気配がないのですが・・・)






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最終更新日  2008.03.07 22:00:02
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