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今日はおうちのオーブンで天然酵母パンづくりに挑戦! なかなかうまくできました。僕が作ったわけじゃないけどね
2009年02月23日
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昨日、今日と千葉の鴨川の魚彩和みの宿 三水ホテルに泊まって、南房総を満喫してきました。山水ホテルは見た目は昔ながらの旅館って感じだけど、温泉も気持ちよかったし、料理はかなり豪華でしたね。おいしかった。しかし勝浦から白浜に抜けるあたりの南房総ってほんと「花」が咲き乱れてすごいですね。天気もよくて気持ちよかった↑ 鴨川の小湊の誕生寺(日蓮宗、日蓮聖人誕生の地らしい)↑ 南房総のローズマリー公園(とてもきれいでした)
2009年02月21日
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村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチ全部知りたいなあと思って探したら、http://d.hatena.ne.jp/sho_ta/20090218/1234913290のブログにあるスピーチ翻訳が一番詳しそうでした。スピーチの原文もその場の記者が聞き取ったらしいから、どこまでに正確かはわからないけれど。翻訳も微妙なニュアンスは難しいだろうしね。~~~ ここから ~~~『HAARETZ』紙に掲載された村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチ いつも「卵」のそばに 村上春樹本日、僕はここエルサレムに、プロフェッショナルな「嘘」の紡ぎ手、すなわち小説家としてやってきました。もちろん、嘘をつくのは小説家だけではありません。政治家もまた、嘘をつきます(これは皆さんよくご存じですよね)。外交官も、軍人も、機会さえあえば、中古車のセールスマンや肉屋、建築業者であっても、彼らなりの嘘をつきます。しかしながら、小説家のつく嘘は、彼らの嘘とは違います。彼らが嘘をついた時のように不道徳だと責め立てられることはありません。それどころか、小説家の嘘が器用であればあるほど、世間や批評家たちからより大きな賞賛を得ることができるのです。これはなぜでしょうか?僕なりの答えはこうです。つまり、小説家によってつかれた巧妙な嘘は、あたかも本当のように見えるフィクションを作り出すことによって、新たな場所に「真実」を導き出し、その真実に新しい光りを照らすことができるからです。多くの場合、「真実」をもとのかたちのまま理解し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ僕たち小説家は、その隠された場所から真実を誘い出して尻尾を掴もうとし、フィクションの位置に移し替え、フィクションのかたちにそれを作り替えるのです。しかしながら、僕たちがこれを達成するためには、まず最初に真実が僕たちのどこに属するのかを、はっきりさせる必要があります。これが、上手に嘘をつくための重要な資質です。けれども本日、僕は嘘をつくつもりはまったくありません。それどころかできるかぎり正直でいようと努めます。僕にだって年に数日は嘘をつかない日があるし、今日はたまたまその日なんです。ですから今日は、どうか皆さんに本当のことを言わせてください。本当に多くの人々が、僕に「エルサレム賞を受け取りに行くな」と忠告してきました。或る者は、もし僕が受賞するなら僕の本に対してボイコットを扇動すると警告さえしました。その理由はもちろん、ガザで激しく続いていた戦闘です。国連のレポートによれば、封鎖されたガザ地区では1000人以上の非武装市民――子供や老人たちが命を落としました。受賞の通知を受け取ってから、僕は何度も何度も自問しました。「こんな時期にイスラエルにまで旅行して、文学賞を受け取ることは適切な行動なのだろうか?」「僕はどちらか片方を支えることになり、圧倒的な軍事力を行使する国策を是認したと思われやしないか?」。もちろん僕は、そんなふうに受け取られるのは御免です。僕はどのような戦争にも賛成しないし、どのような国家も支援しません。そしてむろん、僕の本がボイコットの憂き目にあうのを見たくはありません。しかしながら、熟考のすえ、最終的に僕はここに来ることを決心しました。僕がここに来ると決めた理由のひとつは、あまりにも多くの人々が僕に「行くべきでない」と言ったことです。おそらくほかの多くの小説家と同じように、僕は天の邪鬼です。多くの人々から「そこに行くな」、「それをしないでくれ」と警告を受けると、そこに行き、それをしたくなる傾向があるのです。あなた方は「それは小説家だからだよ」と言うかもしれません。そう、確かに小説家は特別変わった種族です。この連中は、自分の目で見たもの、手で触ったものしか本当に信じることができないのです。 それが今日、僕がここにいる理由です。僕は立ちすくむよりもここに来ることを、目を反らすよりも見つめることを、沈黙するよりも語ることを選びとりました。これは僕がいままさに、政治的なメッセージを伝えにきた、という意味ではありません。もちろん、あることについて正しいのか、間違っているかの判断をすることは、小説家の重要な義務のひとつです。けれども、こうした判断をどうやって他の人々に伝えるかを決めるのは、それぞれの書き手に任されています。僕自身は、そういったことを物語、それも超現実的な物語に移し替えて示すことを好みます。これが今日、僕が直接的な政治的メッセージを伝えないにもかかわらず、皆さんの前に立った理由です。しかしながら、どうか皆さん、ここで非常に個人的なメッセージを送らせてください。これは僕がフィクションを紡ぐ時、常に心に留めていることです。僕はそれを一枚の紙切れに書いて壁にはっておくというよりもむしろ、僕の「心の壁」に彫りつけられていること……それはこういうことです。「高く、固い“壁”と、それにぶつかると割れてしまう“卵”があるとき、僕はいつも卵のそばにいる」ええ、どんなに「壁」が正しく、どんなに「卵」が間違っていようとも、僕は「卵」のそばに居続けます。どこかの誰かが「何が正しくて、何が間違っているのか」を決めるとき、それはおそらく時間と歴史が決めるのでしょう。けれどもし、どのような理由があろうとも、壁のそばに立って仕事をする小説家がいたとしたならば、その作品にはどんな価値があるというのでしょうか?このメタファー(暗喩)はいったい何を意味しているのでしょうか?それはいくつかの場合において、とてもクリアで単純です。高く固い「壁」とは、爆撃機であり、戦車であり、ロケット砲であり、白リン弾です。そして「卵」とは、それらに壊され、燃やされ、撃たれる非武装市民……、これがその暗喩が意味することのひとつです。けれどもそれがすべての意味というわけではありません。もっと深く考えることもできます。こう考えてはどうでしょう。僕たちひとりひとりが、多かれ少なかれ「卵」なのです。僕たちは唯一かけがえのない魂を内包した、壊れやすい殻に包まれた卵なのです。これは僕にとっての真実であり、皆さんにとっての真実でもあります。そして僕たちはそれぞれ――多少の違いはあっても――高くて固い壁に直面しています。その「壁」の名は、そう、「システム」です。システムは僕たちを守りを固めるためのものですが、しかし時折自己増殖して、冷酷に、効果的に、システマティックな方法で、僕たちに殺し合いをさせるようし向けます。僕が小説を書く理由は、ひとつしかありません。それは個々人の魂の尊厳を立ち表わせ、光りをあてることです。「物語」の目的とは、システムが僕たちの魂を蜘蛛の巣のように絡め取り、その品位を落とすことを防ぐために、警戒の光りをあて、警鐘を打ち鳴らすことです。僕は強く信じています。物語を書きつづること、人々に涙や慟哭や微笑みをもたらす物語を書くことによって、個々の魂のかけがえのなさをはっきりさせようとし続けること、それこそが小説家の仕事であると。僕の父は昨年、90歳で亡くなりました。彼は教師をリタイヤし、たまに僧侶として働いていました。彼が大学院にいた頃、軍隊に招集され、中国戦線に送られました。戦後生まれの僕は、彼が朝食前に必ず家の仏壇の前で深く祈りを捧げる姿をよく見かけました。ある時、僕は父に「なぜお祈りをするの?」と訪ねたところ、彼は「戦争で亡くなった人のために祈っている」と答えてくれました。彼は敵味方の区別なく、すべての人のために祈りを捧げている、と語っていました。仏壇の前で正座する彼の背中を見ると、僕は彼に死の影がまとわりついている、と感じました。そんな僕の父も、彼の語った思い出とともに死にました。僕はもうその思い出を知ることはできません。けれど、彼のまとっていた死の存在感は、僕の記憶に残っています。それは彼が僕に遺してくれた数少ないなかのひとつ、そして最も重要なものです。僕は今日、皆さんにお伝えしたかったことはただひとつです。僕たちは誰もが人間であり、国籍や人種や宗教を超えていく個人であり、システムと呼ばれる固い「壁」に直面する「卵」だということです。どう見たって僕たちに勝ち目はなさそうです。壁はあまりにも高く、あまりにも強く、そしてあまりにも冷たい。もし僕たちに勝利の希望がいくらかあるとすれば、それはかけがえのない独自性を信じ、自分と他の人々の魂とを互いにつなぎ合わせた「暖かさ」に頼るしかありません。少し考えてみてください。僕たちはそれぞれ、いまここに実態のある魂を持っています。システムはそれを持っていません。僕たちはシステムが僕たちを司ることを許してはなりません。僕たちはシステムがひとり歩きすることを許してはなりません。システムが僕たちを作ったわけではない。僕たちがシステムを作ったのです。これが今日、僕が皆さんに語りたかったことのすべてです。僕はエルサレム賞をいただいたことに感謝します。僕は世界中の多くの地域で僕の本が読まれていることに感謝します。そして今日ここで、皆さんに語る機会をもらえたことにもまた、感謝します。 http://www.haaretz.com/hasen/spages/1064909.htmlより拙訳~~~ ここまで ~~~このスピーチについてもっと考えたい方は、「モジモジ君の日記。みたいな。」村上春樹、エルサレム賞授賞式でイスラエルを批判 「村上春樹」を巡る政治 がおすすめです。
2009年02月18日
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村上春樹さんがイスラエル文学賞のスピーチで「イスラエルによるパレスチナ自治区ガザ地区への攻撃を批判」したそうです。さすがの村上さんも相当の覚悟でスピーチしたんじゃないですかねぇ。スピーチの内容も、村上さんらしいメタファーを使った素晴らしい内容で僕は感動しちゃいました。村上作品のファンだからっていうのもあるだろうけど。「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の二つの世界とか連想してしまいます。以下、AFPBBニュースより抜粋~~~現地英字紙エルサレム・ポスト(Jerusalem Post)によると、スピーチに立った村上さんは、ガザ地区に対する攻撃を理由に、日本国内で受賞や式への出席辞退を求める声があったことを紹介。「イスラエルを訪れることが適当なことかどうか、一方を支持することにならないかと悩んだ」と明かした。そして考えた結果「作家は自分の目で見ていないこと、自分の手で触れていないものは信じることができない。だからわたしは自分で見ることを選んだ。何も言わないよりも、ここへ来て話すことを選んだ」と述べた。また人間を壊れやすい卵、制度を壁にたとえ、「固い、高い壁があり、それに1個の卵がぶつかって壊れるとき、どんなに壁が正しくても、どんなに卵が間違っていても、わたしは卵の側に立つ。なぜならば、わたしたち1人1人は1個の卵であり、ひとつしか存在しない、壊れやすい殻に入った精神だからだ。わたしたちが立ち向かっているのは高い壁であり、その壁とは制度だ」と語った。http://www.afpbb.com/article/life-culture/culture-arts/2572390/3808317~~~比喩で「高い壁」と言ってるのは、イスラエルの戦車だったりロケット弾、卵はパレスチナの非武装の民間人のことでしょうね。イスラエルのことだけでなくパレスチナの強硬派も含めて「壁」、つまりは国家の制度やシステムのことをさしているのでしょう。おそらくそれだけでなくて、決められたシステム(「壁」)の中で生きていかざるを得ないすべての人々(「卵」)のことをさしているんだろうな。村上さんはひとつの言葉でたくさんのこと表現(それぞれの人に想像させる)するのがうまいから。小説のなかでも。ニュース映像もYOUTUBEにアップされてました。>>>http://www.youtube.com/watch?v=4c7BmEJ9aisその後、検索してみたら、、、やっぱりこのスピーチはとても話題になっていて、ブロガーが早速スピーチの全文を翻訳したサイトとかでてました。>>>http://d.hatena.ne.jp/nakamu1973/20090217/1234789406「卵と壁」のことについて先のニュースよりもう少し分かりやすく翻訳されていたので紹介します。~~~ ここから ~~~「たとえばそこに硬くて高い壁があって、一個の卵がそこにぶつかって行くとしたら、たとえ壁がどんなに正しくても、卵がどんなに間違っていたとしても、僕は卵の側に立ちます」「なぜか? 僕ら一人ひとりが一個の卵だからです。壊れやすい殻に入った、唯一無二の魂だからです。僕らはみんな高い壁に立ち向かっています。壁とはつまり、個人としてまっとうとは言いがたい行為を僕らに無理強いしようとするシステムのことです」「(システム)はしばしば一人歩きをはじめ、私たちを殺したり、私たちが他人を冷たく、効率的に、システマティックに殺すように仕向けたりします」「私たちひとりひとりには、有形の生きた魂があります。システムにはそんなものはありません。システムが私たちを思うままにすることを許してはならないのです。」「僕が小説を書く目的はひとつしかありません。個人の持つ独自の神性を引き出すことです。独自性を満足させ、システムにからめ取られないようにすることです。だから――僕は、生命の物語を、愛の物語を、人を笑わせ、泣かせる物語を書くのです」「目に見える限りでは、私たちには希望が無いように思えます。壁はあまりに高く、あまりに強い。もし私たちに勝利への何らかの希望があるとしたら、それは私たちの完全なる独自性から来るものでなければならないでしょう」「システムが私たちをコントロールしたり、私たちを何者かに作り上げたりすることのないようにしなければなりません。私たちこそが、システムを作ったのですから」~~~ ここまで ~~~村上さんはいままでオウム事件関連の本を出したりもしてるけど、こういう問題にはっきり答えてるのって初めて見たな。僕も大好きな作家だけにこの言葉は「深いい」ですねいろんなことを考えさせられます。あと2008年3月30日付けの信濃毎日新聞に村上春樹のインタビューが載ってたそうですね。これも読み応えがあります。>>>http://af-site.sub.jp/blog/etc/080330-murakami-hi.htmlya
2009年02月17日
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今日は、鎌倉の鶴岡八幡宮のなかにある、神奈川近代美術館<鎌倉館>で開催されている「伊庭靖子 -まばゆさの在処-」を見に行きました。今日はちょうど伊庭靖子のアーティスト・トークもあって、実際に作者の話を聞けました。いいのか悪いのかはわからないけど、話を聞く前と聞いたあとの作品の見方や感じ方って変わりますね。この絵描きさんっていうのは不思議な雰囲気をもってて、ある意味正解のないものを自分の感性で、つきすすんで行こうという生き方ってステキだなと感じました。あと行ったときにちょうど鶴岡八幡宮の本殿で神前結婚式をやってました本殿の前は、めっちゃ観光客もいるのでこういうところでやるかどうかはほんと好みですね。知らない人でもたくさんの人に祝福してほしいって人にはおすすめかも。↑ 神奈川近代美術館<鎌倉館>「伊庭靖子」展↑ 鶴岡八幡宮の神前結婚式
2009年02月15日
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今日はお昼にハワイで一緒だったYURIが葉山に遊びにきました。ひさびさに会えて楽しかったその後、夕方に、葉山御用邸の隣に「Nowhere but Hayama」という隠れ家的別荘(?)のオープニングを記念した展示会をしているとのことで見に行きました。ここは1週間ステイ(4名)でシーズンによって34万~49万円というかなりの高級貸別荘。まあ人数で割れば一人一泊1~2万円だからめちゃ高いというわけではないけど。一色海岸まで歩いて1分という最高の立地で、日本家屋の趣きを残したまま、なかは最新設備で快適に過ごせる感じで、たしかにいい感じでしたねぇ。葉山で暮らしてるのにわざわざここに泊まる人はいないと思うけど。日本家屋好きの外国人とか喜びそうだな。↑ 海を見ながらお風呂にはいれます。
2009年02月14日
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今日は千葉の船橋で「はなまるカフェのおめざ」をやっていたので行ってきました。おいしそうなのがいっぱいありました葉山に戻ってきたら、数日前から葉山御用邸に天皇陛下がきていたらしく、ちょうど帰るときでめちゃ人が沿道に集まってました。帰りの車で手を振っている美智子さまを見ることができました。↑ おめざフェアで売ってたモンブラン。めちゃおいしかった!
2009年02月08日
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今日は鎌倉の長谷寺で節分祭(豆まき)があるとのことで行ってきました。相撲の高砂親方やタレントの人たちもけっこうきてて盛り上がってました天気もよくてよかった。しかも福豆の景品が当たった。ラッキー!!
2009年02月03日
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今日は逗子市民プラザでガイアシンフォニー第6番の上映会&龍村監督のトークイベントがあったので行ってきました。いい映画でしたねぇ
2009年02月01日
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