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新しいタイトルは、「人生の楽しみは後半にあり」とするか。尊敬する師、帯津良一先生がよくおっしゃっている。「人生の幸せは後半にあり」貝原益軒が「養生訓」で語っている言葉らしい。帯津先生自身も、60代から人生がダイナミックになってきて、70代80代と幸せな日々を送っているとのことだ。貝原益軒が生きた時代(1630~1713年)は家業を継ぐのが当たり前だった。いくらやりたいこと、好きなことがあっても、あくまでも主は家業でなければならない。職業選択の自由がない時代だった。貝原益軒は18歳から黒田藩に仕えていた。70歳まで勤めて、そのあと、著述に専念して、有名な「養生訓」を書いたのが83歳のときのこと。亡くなったのが83歳だから、養生訓は亡くなるときの著作。益軒は「養生訓」ばかりではなく、健康書、思想書など60部270余巻という膨大な数の本を書き残している。13年で270冊もの本を書いたというのだから、物を書くという仕事こそ、自分の天命と感じていたのだろう。しかし、そのためには長生きしないといけない。養生訓の根底には、好きなことをやりたいという思いがあったのだと思う。定年までは与えられた仕事をする。生活のための仕事だ。それをやりきって、本当の自分の人生が後半に始まる。最高の幸せがそこには残されている。定年退職して、これからは余生だとのんびり生きるのではなく、エネルギーをワンランクアップさせて生きるのが益軒流。すごいバイタリティだ。年をとれば、肉体は衰えていくのは、ぼくも実感している。昨日も一日、倉庫の掃除をして、今日はぐったりしている。でも、本当にやりたかったことが見えてくるのが、人生の後半。これまでの生活のための仕事の体験が生きてくることも多々あって、面白い展開になる。後半の生き方が、その人の一生が有意義だったかどうかを決める。自分の喜び、楽しみとは何か?しっかり見つめて生きるのことができるのが、人生の後半だ。年を重ねたからこその分別をもちながら、それでも年寄り臭くならない。やさしい気持ちとダイナミックな行動力を大事にする。そんな70代を過ごしたいという希望と期待をもって、益軒の言葉を拝借したいと思う。
2026年05月06日
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このブログも何年書いてきたのか。だらだらと続けてきたが、ふと気になったのは、「イルカみたいに生きてみよう」というタイトル。イルカのことにはめったにふれてないので、イルカの好きな人が読むとがっかりしてしまう。そもそも、30年以上前、ひょんな縁から野生のイルカと泳ぐ機会があった。これまたひょんな縁で本にすることができた。売れた。2冊目、3冊目、4冊目と、売れっ子気分を味わえた。うれしかった。一番売れたのが、「イルカみたいに生きてみよう」だった。大阪の大きな書店では何週か連続して1位になったし、出版社には「会社始まって以来だ」とびっくりされるほどの手紙が届いた。若い女の子ばかり。あのとき、「俺はすごい! 天才だ!」ともっと勘違いをしていたら、とんでもないベストセラーが書けたかもしれない。その後、本を出す機会はもらえたが、残念ながらすぐに本屋さんの店頭から消えてしまう本しか書けなかった。「イルカみたいに生きてみよう」の前にも、「イルカが人を癒す」という本が、書店の棚にどかんと積み上げられたいたことがある。あのころが、ぼくの文筆業生活のピークだった。70歳を過ぎて、第二のピークを目指してはいるが、まあ、あんな体験をさせてもらっただけでも儲けものだ。幸せだった。そんなわけで、「イルカみたいに生きてみよう」というタイトルにしたが、古希を区切りに、タイトルを変えようと思っている。何にするかな。しばらく考えてみようと思う。これからもよろしくお願いします。
2026年05月05日
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健康の話。ずっと健康だった人が、あるとき健康診断で引っかかったとする。がっくりきて、あわてて、頭の中は「異常値」を示した結果のことでいっぱいになってしまう。ぼくも血圧が高いとわかったときはそうだった。自分は健康だと思っていたから、ショックだった。しかし、もともと病弱な人は、健康診断の結果に一喜一憂しないのではないか。結果が悪いのが当たり前だから、「まあ、仕方ないか」とどっしりと構えていられる。だから、「あんなにも元気だったのに」と、まわりから驚かれながら急な旅立ちを迎える人も多い。逆に、病気ばかりしている人が長生きしたりする。ぼくは、頻尿気味で、ときには、夜、寝つく前に、15分おきに何度もトイレへ行くこともある。病院へ行けば、病気が疑われて、いろいろな検査を受けさせられるはずだ。しかし、ぼくは、若いころからそうだったから、なんとも思わない。小学校2年生のとき、朝礼でおしっこががまんできずに漏らしてしまった。、こたぶん、おしっこが近かったのだと思う。30代のころ、ある食事療法の大家のところへ取材に行った。3時間くらいの長い話になった。その間、ぼくは2回トイレを借りた。大先生はずいぶんと心配してくれて、どういう食事をしたらいいかをレクチャーしてくれた。40歳くらいのとき、家族で伊勢神宮へ行った。15分おきくらいにコンビニに寄ってもらって、子どもたちからも笑われた。そんなのがしじゅうあったので、今更「頻尿」と騒ぐ気がしない。物忘れもすごい。普通だったら、認知症かもと検査を受けるかもしれない。でも、ぼくは小学校のときに、担任の先生から「あなたは忘れ物の天才だね」とお墨付きをもらっている。忘れっぽさは、ぼくのトレードマークでもある。だから、今更、物忘れを心配することもない。正常値、標準値というのは無視できないけれども、こだわり過ぎてしまうと、逆に病気を引き寄せてしまうこともある。ぼくの血圧も理由がある。7年ほど前、身内の不幸が続いた。後頭部に500円玉大のハゲができたくらいだから、かなりの大きなストレスだった。あのときだ。血圧が急上昇したのは。ストレスに耐えるため、血圧が上がったということも考えられる。もし、薬で血圧を下げていたら、ぼくはストレスにつぶされていたかもしれない。表向きは元気を取り戻したが、まだ心の奥の方の傷は癒されていなかったのか、最近まで血圧は高いままだった。このごろ安定してきたのは、やっと心身のバランスがとれてきたから。そんなふうに、ぼくは解釈している。だいたい、70歳の今でも、病院へ行くことはないし、まったく薬のお世話になっていない。それだけでもありがたいことだ。このごろ、肉体の使い過ぎという面はあるが、疲れるほど働けるというのもうれしいことだ。食欲はあるし、よく眠れる。健康であろうと病気であろうと、今できることをやる。それも、面白いと思うことにエネルギーを使う。そんな日々の暮らし方をしていきたいと思う。
2026年05月04日
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面白い話を聞いた。いわゆる「輪廻転生(生まれ変わり)」というシステムが、7年前に終了していると言うのだ。輪廻転生自体、信じるか信じないかの世界。前世を記憶する子どもたちが紹介されているが、世の中のほとんどの人が眉に唾をつけて聞く話だ。ぼくは死後の世界も輪廻転生も信じている。生まれ変わりの実例を研究している方もいるし、これから、輪廻転生は科学の俎上に乗ると楽しみにしていたのに、もう終わってしまっているというのだから、面食らってしまった。そんな話をしてくれたのは16歳の少女。小柄でかわいい女の子。彼女は、大きな節目である現代に、人々がもっと覚醒するようにという役割をもって、ある星からやってきた。と言っても、異星人ということではなく、生まれたのは地球で、魂の故郷が別の星ということだった。彼女の話に、ぼくの創作も加えてみた。かつて、と言っても、想像もできないほど昔の話だと思うが、地球は、宇宙の生命体が島流しにあう場所だった。その星の秩序に合わないことをすると、地球に送られる。地球では、肉体をもたされ、たくさんの縛りを背負い、何度も何度も生まれ変わるという罰が待っていた。輪廻転生という無限ループの中で、ある魂は成長して別の星に向かうが、別の魂はいつまでも地球から出られず、朽ちていく(地球のエネルギーに飲み込まれる)。これが地球の第一段階。次のステージは修行の場所。罪人たちが送られるのではなく、自らがもっと成長したいと望む魂たちが、修行してやってくるようになった。さらに、もっと気楽に学びができるということで、けっこう地球は人気のスポットになるわけだ。観光気分でやってくる魂もいるのかもしれない。どんどんエネルギーが重くなってしまう。それではいけないということになり(地球自身が気づいたのかな)、いわゆる「アセンション」と言われている次元上昇を決断する。今回が7回目のことらしいが、ずっと失敗してきた。これが最後の挑戦。失敗するわけにはいかない。そこで、とても次元の高い星々から魂が来はじめた。7年前から、どんどんやって来るようになった。輪廻転生で地球が成長するのでは間に合わない。古くから輪廻転生を繰り返している魂たちに任せておくと、いい方向にはいけない危険性が出てきて、地球OBをはじめ、たくさんの高いレベルの魂の力を借りようということになったのだ。高いレベルの星からやってきた魂たちを「光の子」と呼ぶ。その少女は、先乗りしてきた光の子のようなのだ。これまで、地球人が肉体を脱ぎ捨てて魂になると、天界と言われる場所に行くことになっていた。天界は、我々の目には見えないけれども、地球の一部で、魂は次の生への準備をして地球に帰ってくる。もし、輪廻転生がなくなったら、この魂はどこへ行くのだろか?違う道筋がついていて、ひょっとしたら、地球と同じ役割を与えられた星に生まれ変わるのか。そのあたりのことは定かではないが、7歳以下の子は、ぼくたちとは違う経験や知識、価値観をもっていて、これからの地球を次元の高い星にしてくれるのだそうだ。そう言えば、30年ほど前、関英雄先生という見えない世界を研究している先生が、「地球は不良星だ」とおっしゃってた。これから優良星になるためには、人類が意識を変えないといけないという話だった。今の時代のことを、先生はおっしゃってたのかもしれない。と言うわけで、輪廻転生が終わったという話、いよいよ地球も覚悟を決めて、次のステージに進もうとしているようだ。ぼくたちも、うかうかしていると振り落とされてしまうぞ。
2025年07月13日
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懐かしい人が遊びに来てくださった。「地球交響曲」の上映会を一緒にやった、建築家の畠山さんと、千葉の齋藤さんご夫妻。何年ぶりだろうか。あのころ、「地球交響曲」の上映会をあちこちでやった。川越を皮切りに、厚木、和光市、千葉・・・。ぼくは声掛け人。仲間が集まって来た。みんなで企画して、チケットを売って、上映をする。時間と労力はかかる。でも、お金にはならない。逆に赤字になることもある。何のためにやったのか。この映画を多くの人に見せたいと思った。地球という規模で日常を見つめていく。たった一個のおむすびで生きる勇気をもらった人がいる。人と象との深い絆。死で人生が終わるわけではないことを教えてくれたカメラマン。地球が奏でるシンフォニーに共鳴して、気の合うメンバーが次々と集まってくる。楽しかった。上映までこぎつけるのに、思わぬことが起こって興奮した。刺激的だった。500人とか1000人とか、大きな会場がいっぱいになった。和光での上映会の日は大雪だった。電車も止まった。そんなときに人が集まるはずがない。楽観的なぼくもあきらめた。ところが、上映の直前、電車が動き出し、まだ雪がちらつく中、たくさんの人が駆けつけてくれた。スタッフはみんな感動して、手を握り合い、ハグをし、涙を流す人もいた。感動的な一日だった。しかし、厳しい現実が待っていた。20万円ほどの赤字。どう埋めようか。スタッフが一人一万円ずつ出せば大丈夫。でも、それでは面白くないではないか。「よし、フリーマーケットで稼ごう」毎週、代々木公園にみんなで繰り出した。どれくらい続けたか。とにかく20万円を稼ぎ出した。「赤字になったおかげで、上映会が終わっても、こうやって会えるんだから」雪のおかげだ、赤字で良かったと、だれかが言ったが、この考え方が地球のリズム。畠山さんや齋藤さんは、そんな仲間だった。あの当時がよみがえってくる。これまでいったい、どれくらいの人と出会ってきたのだろうか。いい人生を生きてきたなと、改めて思う。
2021年09月06日
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9日の新聞に、「イルカ、名乗ってあいさつ」という記事が出ていました。イルカには、自分特有の「口笛」のような甲高い声を発し合っています。この口笛が、相手や物の名前ではないかという研究です。つまり、イルカは、声に反応しているのではなく、声が伝える内容を把握して、それに応じた反応をしているということがわかったのです。人間は、日本人なら「あいうえお・・・」という音を組み合わせて言葉を作り出し、それによってコミュニケーションしています。イルカは、あいうえおという音はないけど、声の周波数によって言葉を作り出していると考えればいいのでしょうか。われわれ陸上に住む動物は、五感のうちで、視覚がとても重要な働きをしています。光の世界ですから、目で見て情報を得るし、視覚に訴えることで情報を伝えます。しかし、水の中は、聴覚が主役になります。音の伝わる速度が空気中の何倍も速いそうだし、音が弱くなる比率も少ないと言います。だから、音で情報交換するのが、もっとも効率的なのです。それに、深海へ行けば、光のない闇の世界になります。そうなると、視覚はあまり役に立ちません。ですから、明確な音の変化がなくても、周波数の微妙な違いで、情報は伝わり合うということも、十分に考えられます。コミュニケーションをしているのは人間だけだと思いこんでいますが、そんなことはないと思います。犬だって、ネコだって、植物だって、お互いに自分の気持ちや意思を伝え合っているはずです。人間も、動物や植物たちと意思を通じ合わせることができたら、最高にすばらしいでしょう。「だれも見ていないからいいや」って、悪いこともできなくなります。殺人事件を、現場にあった観葉植物の証言によって解決するということもできるかもしれません。まずは、イルカからということでしょう。イルカたちが、「こんにちは」「元気?」「このごろ、ずいぶんたくさんの人間たちが遊ぶにくるね」「泳ぎはへたくそだけど、楽しい連中だよね」「ああ、また船の音だ」「今度はどんなのが来るのかなあ」「さあ、遊びに行こうぜ」なんて、会話をしていたら、楽しいなあ。
2006年05月20日
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毎月第一日曜日に、塩山駅前で朝市が立つ。いつもは2か所での開催だが、コロナの影響で、2月は1か所のみとなった。ぼくは、買いたいものはないけれども、けっこうおもしろい人が出店しているので、ふらりと出かけていく。前回は、10アンペアの生活をしているという、自給自足のご夫婦、東京から移住してきて山深いところでゆっくりと暮らしているご家族。野菜を少し買って、あれこれ立ち話をした。今回、ぼくの目に止まったのは、木工製品。明らかにプロの技だとわかる優れものがテントに並んでいた。何人かが足を止めて話を聞いている。ぼくも立ち止まって、話に耳を傾けた。製作者は元大工さん。山梨で生まれて育った人で、地元が大好きで、何か山梨らしいものを作りたいと思っていたそうだ。そんなときに、「そう言えば」と思ったことがあった。山梨と言えば、桃とブドウ。桃やブドウの古木が、切り倒されて燃やされてしまっていた。実がならなくなってしまえば、役に立たないというのが農家の考え方。しかし、彼は、この古木たちを生かせないかと考えた。自分にできるのは加工して日用品やアクセサリーを作ることだと思ったが、桃やブドウの木は、その性質上、加工が難しい。そこから試行錯誤が始まり、独自の方法でいろいろなものを作り出すことができるようになったそうだ。生まれたときから、桃やブドウの木に囲まれていた。自分の人生から切り離せない存在だ。何年も実をつけて山梨の人たちを養ってきた木たちだ。恩返しがしたい。すてきな生き方だと思う。人間がほかの動物と違うのは、知恵と器用な手先によって、さまざまな加工ができること。その特技の使い方が大切で、これまでは自分たちの都合のいいように自然を利用する形だったが、まわりの命を生かすことが、今後の人間の役割だ、とぼくは思う。製作者とはゆっくりお話ができなかったが、一度、話を聞きに行かなくちゃと思っている。桃の木には邪気を払い不老長寿を招く力がある。ブドウの木には縁結び、子宝に恵まれる力がある。そう言われているそうだ。アグリヒーリングにも使えるな。
2021年02月08日
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メンマ作りを教えてもらっている。原料は幼竹といって、タケノコが2~3メートルほどにまで成長したもの。これを8センチほどの長さに切って、大きな鍋でゆでる。ゆであがったら塩漬けにして保存する。1ヶ月ほどでできるそうだ。もともとメンマはほとんどが中国産。麻竹という種類の竹でしかできないとされていた。しかし、上の方法でやれば、孟宗竹でもできることがわかって、日本中にメンマ作りが広がった。田舎では竹やぶが放置され、竹は増えるばかり。ほかの樹木が追いやられてしまう。枯れた竹が倒れ、足場が悪くなり、整備するのも気が重くなり、そのまま放置し続けることになる。子どものころ、竹はびっしりと根を張るので、地崩れしないと聞いていたが、どうもそうではなくて、浅くしか根が張ってないので、逆に地滑りしてしまうのだそうだ。我が家の北側の坂道も、竹やぶが広がってきて、側面が崩れそうになっている。竹を放置しておくと、村が侵食されてきて、やがては人が住めなくなる。まずタケノコを掘る。おいしいし栄養もあるし、食べない手はない。今年ほどたくさん出れば、ぼくは行商に行くよ。1本300円くらいで。今年は100本以上掘った。今もまだまだ出てきている。次はメンマ。これはきつい。なにしろ2メートルから3メートルの幼竹は重たい。ヤブから引っ張り出してくるのは大変な作業だ。でも、やるしかない。そのあとは、竹を切って、竹炭、竹チップ、竹パウダーにする。今はそれくらいしか思いつかない。切って捨てるだけではモチベーションが上がらないので、邪魔者の竹が役に立つという物語を作って、それを実践していくことで、竹林整備をする人が増えてくるのではないか。お金にもなった方がいい。そんなことを思いながら、重い幼竹をヤブから引っ張り出している。
2026年04月27日
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4月6日に始まったタケノコ掘り。今年はまれに見る大豊作。2日に1回、朝早くに次女と一緒にヤブに入り、20本から50本ほど掘ってきた。自分のところだけでは消費できないので、親せきや近所の人に分けても、まだ冷蔵庫にいっぱい詰まっている。タケノコ掘りはけっこうきつい仕事だ。我が家のヤブは下りの斜面になっているので、掘ったはいいが、引き上げてくるのが足腰の負担になる。力仕事をしてこなかった70歳にはハードだ。さらに、メンマ用に幼竹まで取り始めた。2メートルから3メートルになった巨大タケノコをのこぎりで切って、斜面を登ってくる。1週間ほどで25本引き上げたが、腰とひざががくがくしている。そんなわけで、かなりのお疲れモードだ。筋肉痛というよりも、全身がだるい。今日は、名古屋のつくし学園というフリースクールの子たちが5人、タケノコ掘りに来てくれた。指導だけだったから、楽ちんだった。初めてタケノコを掘るという子たちが、30本ほど掘って、学校の寮へ持ち帰った。帰ってすぐにあく抜きをして、これから数日はタケノコ尽くしのメニューになるのだろう。でも、からだはだるい。早く寝ることにしよう。タケノコもメンマも、ゴールデンウイークで終わりだ。
2026年04月30日
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