1

ニワトリ小屋を作り始めた。近所のおばあちゃんが倉庫を壊すというので、何かもらえるものはないか見に行った。使えそうな建具や杭、板をもらってきた。それを組み立ててニワトリ小屋にしようと思っている。ただ、やったことのない作業なので、組み立ててはやっぱり駄目だとやり直して、やっと枠組みだけはできたかな。最後に扉をつけるとき、隙間ができるとか、トラブルが起きそうな雰囲気だが、とにかくやってみたことに意義ありということか。今、ニワトリが4羽いる。山梨から連れてきたチャボはもう卵を産まない。昼間は庭に放してあるが、ぼくの姿を見ると後を付いてくる。かわいいじゃないか。3羽の烏骨鶏は、毎日のように卵を産んでくれる。この冬は、あと5羽くらい増やしたいと思っている。朝、ニワトリ小屋へ行くと1個2個、卵があるというのは、なんとも豊かな気持ちになれる。鳥インフルエンザのことがニュースになったりするが、我が家は、広いところで動き回っているから病気にはなりにくい。ぼくが子どものころは、白いニワトリが10羽くらい、庭でエサをついばんでいた。庭にニワトリがいる。ホッとする光景だ。今はヤギもいるのだから。
2025年11月28日
閲覧総数 177
2

今後、どうしていくのか、家族で話し合っている。普通なら、60代後半の親と、30歳前後の娘となれば、それぞれ別々に生計を立てていていいのだが、我が家は、家族経営の株式会社で進んでいこうとしている。会社は2011年にぼくと妻で設立した。事業としては、ぼくの執筆や講演活動、妻のヒーリングサロン。会社を大きくしようとか、仕事を増やそうとか、あまり一所懸命にやらなかったので、大した売り上げがあったわけではない。よく15年ももったと思うような低空飛行が続いてきた。しかし、15年は15年だ。3年くらいでつぶれる会社がいっぱいあるというのだから立派な実績と言える。うまく活用して、娘たちの代に継承してもいいかなと思っている。娘たちも、会社勤めのできない3人なので、自分たちで事業をしていくしかない。となると、会社をうまく活用するのはひとつの手だ。我が家には、ヤギ6頭、犬4頭、ネコ1匹、ニワトリ4羽がいる。それも、田舎だからこそ飼えるわけで、動物、田舎というのは、これからやっていく事業、活動においてはカギになる。ぼくと妻がかかわってきた「癒し」の世界もこれから大切になってくる。今は長女、次女が中心になっているが、やがては三女も加わってくるだろう。そこでテーマを決めた。「犬とヤギと人と。すべてが癒される限界集落楽園化事業」事業の第一段階として、ぼくが相続した田舎の土地にドッグカフェ、ドッグランを作ろう。そこを癒しの本拠地にする。愛犬を連れて食事ができ、犬たちは広いドッグランで走り回れる。犬連れでない人はヤギとふれあう。食材は自社農園と地元の高齢者たちが作った野菜。卵も自社生産。ジビエの肉も使う。ヒーリングやアニマルコミュニケーションのセッションも受けられる。食事をしているだけで癒される建物。自社農園では疲れた人が農作業をして元気になる。人が集まってくれば、村も元気になる。空き家が出れば、そこに越してくる若者も現れるだろう。希望のない村に光が灯る。そんな夢を見ているわけだ。まずは第一歩を踏み出さないといけない。今はその準備中。
2025年11月27日
閲覧総数 282
3

人は、背伸びしたらあかんと思う。自分の身の丈で生きることが大事。だけど、それは、今の自分に妥協することとちがうね。あくまでも、自分のいる地点を明確にすること。今、自分がどこにいるかがわってこそ、行きたい場所へのルートも決まってくる。そういう意味で、ぼくは、守護霊様にお願い事をするようにしている。別に人に見せたり、話したりするわけじゃないから、目先のこと、下世話なことをお願いする。収入が、今の倍になりますように!人からもっと高く評価され、ほめられますように!ベストセラーになるような本が書けますように!お腹が引っ込みますように!髪の毛がふさふさになりますように!カミさんにもっとやさしくしてもらえますように!自分本位の願いだから、かなえてもらえるかどうかわからない。この願いがかなったからと言って幸せになれるかどうかもわからない。守護霊様やから、ちょっとくらいはかなえてくれるだろうという気持ちもあるかな。(神様には個人的なお願い事はしない)でも、大事なのは、願いがかなうとかかなわないということよりも、そんなことを願っている自分がいるという事実を認識すること。そういう下世話なことを願っている自分にふたをして、高尚なことにばか目を向けてしまうと、たいていの場合、道に迷ってしまう。宮澤賢治の「雨ニモマケズ」が、ぼくのあこがれの生き方だけれども、そこへたどり着くには、今の自分を知らないといけない。それが、いろいろな欲をもって生きている自分であり、その欲を、一つひとつそぎ落としていくことで、自分の理想に近づいていける。何をそぎ落としていくか、今の自分の欲が明確でなければ、考えることも行動することもできない。下世話なことにずっとふたをしてしまって、ないことにしていると、いつか、ふたの奥では、さまざまな欲が腐敗して、強烈なガスを発生させ、ドカーンとふたを吹っ飛ばして外に飛散する。それこそ、悲惨なことになってしまう。守護霊様、何でも聞いてくれる存在だ。しょうもないプライドを捨ててかかわれる人。何でも、頼むといい。ただし、何でもかなえてくれるわけではない。願いがかなわないからと言って恨むのはお門違い。しょうもないことを頼む自分を見せることで、その殻を破るきっかけをくれるんじゃないかな。守護霊様といえば、ずいぶんと前の話を思い出す。まだ結婚前、ある霊能者に、「結婚したいんですけど」と、おうかがいをたてたことがある。相談に行ったわけではなくて、すごい人だと聞いていたので、取材のつもりだ会いに行ったら、「あなた、相談事があるでしょ。聞いてあげるわよ」なんて言われて、当時35歳くらいで、まだ独身だったので、必然的にそういう相談になって、そしたら即座に、「大丈夫!」という答えが返ってきた。「大丈夫よ。もう守護霊様同士で話し合って、決めているから。すぐに決まるわ。相手は、一回か二回は会ったことはあると思うけど、お互いに意識しているわけではないわね。これから、急速に展開するわよ」それから1年もたたないうちに、ぼくは結婚した。一回しか会ってなくて、仕事で一緒にオーストラリアへ行くことになって、それがきっかけで、とんとん拍子に話が進んでいった。以来、守護霊様は、ぼくにとっては、腹を割って話ができるありがたい相談相手。何でも、相談したり、願い事をしたりしている。おかげで、願い事がかなうかどうかはともかく、心の中はいつもすっきりしていて、いい感じだ。何も頼んでくれないので退屈している守護霊様はいっぱいいると思うよ。守護霊様は、もっと、自分が守っている人のこと、知りたいのだから。言葉にすると願いがかないやすいというのは、守護霊様が、「こいつはこんなことを願っているんだ」と、わかってくれるからじゃないかな。世界平和や全人類の幸せは、神様に任せておいて、守護霊様には、もっと生身の自分のことを知ってもらうといいのになと、ぼくは思う。必要な願いなら、きちんとかなえてくれる。ただし、願いが叶ってもかなわなくても、いつも守ってくれているのだから、感謝は忘れないように。
2015年09月29日
閲覧総数 10426
4

インフルエンザがすごく増えているそうだ。みんなワクチンを打って、手洗い、うがいをして、栄養にも気をつけているのに、なんで増えるんだろう。幸い、ぼくはこの何十年、インフルエンザで困った記憶はない。感染はしているだろうが、発症はめったにしない。ワクチンは打ったことない。手洗いは外仕事で手が汚れたときくらい。うがいはほとんどすることはない。食べ物もけっこういい加減。たぶん、生来の免疫力が活躍してくれているのだろう。それにしても、こんなにも感染症患者が多いのは、免疫力が低下しているからに違いない。ワクチンで何とかしようとしているが、免疫力だって無限の力があるわけではない。たくさんのワクチンを打たれて、それぞれに反応しないといけないし、かなり疲労がたまっているのではないか。病気を予防するためのワクチンで、逆に病気を作っているということも考えられる。ワクチンの効果は、理論上は「もっともだ」である。しかし、現実の人体はもっと複雑にできていて、限界もあって、感染症はワクチンで撲滅できるというのは、今や幻想ではなかろうか。万能の治療薬と思われていた抗生物質も、使い過ぎて耐性菌が現れて、効きづらくなっている。薬は、だらだらと使うものではなく、ここぞというときに使ってこそ効果が出る。薬を使わず免疫力を高めることをやらないと。例えば、昔のように寒風摩擦でもやれば、インフルエンザも減るのではないか。
2025年11月10日
閲覧総数 159
5

面白い話を聞いた。いわゆる「輪廻転生(生まれ変わり)」というシステムが、7年前に終了していると言うのだ。輪廻転生自体、信じるか信じないかの世界。前世を記憶する子どもたちが紹介されているが、世の中のほとんどの人が眉に唾をつけて聞く話だ。ぼくは死後の世界も輪廻転生も信じている。生まれ変わりの実例を研究している方もいるし、これから、輪廻転生は科学の俎上に乗ると楽しみにしていたのに、もう終わってしまっているというのだから、面食らってしまった。そんな話をしてくれたのは16歳の少女。小柄でかわいい女の子。彼女は、大きな節目である現代に、人々がもっと覚醒するようにという役割をもって、ある星からやってきた。と言っても、異星人ということではなく、生まれたのは地球で、魂の故郷が別の星ということだった。彼女の話に、ぼくの創作も加えてみた。かつて、と言っても、想像もできないほど昔の話だと思うが、地球は、宇宙の生命体が島流しにあう場所だった。その星の秩序に合わないことをすると、地球に送られる。地球では、肉体をもたされ、たくさんの縛りを背負い、何度も何度も生まれ変わるという罰が待っていた。輪廻転生という無限ループの中で、ある魂は成長して別の星に向かうが、別の魂はいつまでも地球から出られず、朽ちていく(地球のエネルギーに飲み込まれる)。これが地球の第一段階。次のステージは修行の場所。罪人たちが送られるのではなく、自らがもっと成長したいと望む魂たちが、修行してやってくるようになった。さらに、もっと気楽に学びができるということで、けっこう地球は人気のスポットになるわけだ。観光気分でやってくる魂もいるのかもしれない。どんどんエネルギーが重くなってしまう。それではいけないということになり(地球自身が気づいたのかな)、いわゆる「アセンション」と言われている次元上昇を決断する。今回が7回目のことらしいが、ずっと失敗してきた。これが最後の挑戦。失敗するわけにはいかない。そこで、とても次元の高い星々から魂が来はじめた。7年前から、どんどんやって来るようになった。輪廻転生で地球が成長するのでは間に合わない。古くから輪廻転生を繰り返している魂たちに任せておくと、いい方向にはいけない危険性が出てきて、地球OBをはじめ、たくさんの高いレベルの魂の力を借りようということになったのだ。高いレベルの星からやってきた魂たちを「光の子」と呼ぶ。その少女は、先乗りしてきた光の子のようなのだ。これまで、地球人が肉体を脱ぎ捨てて魂になると、天界と言われる場所に行くことになっていた。天界は、我々の目には見えないけれども、地球の一部で、魂は次の生への準備をして地球に帰ってくる。もし、輪廻転生がなくなったら、この魂はどこへ行くのだろか?違う道筋がついていて、ひょっとしたら、地球と同じ役割を与えられた星に生まれ変わるのか。そのあたりのことは定かではないが、7歳以下の子は、ぼくたちとは違う経験や知識、価値観をもっていて、これからの地球を次元の高い星にしてくれるのだそうだ。そう言えば、30年ほど前、関英雄先生という見えない世界を研究している先生が、「地球は不良星だ」とおっしゃってた。これから優良星になるためには、人類が意識を変えないといけないという話だった。今の時代のことを、先生はおっしゃってたのかもしれない。と言うわけで、輪廻転生が終わったという話、いよいよ地球も覚悟を決めて、次のステージに進もうとしているようだ。ぼくたちも、うかうかしていると振り落とされてしまうぞ。
2025年07月13日
閲覧総数 274
6

定時制の非常勤講師をして8か月近くになる。10月からの後期では授業を受け持っている。80分の授業。退屈させない話題を織り交ぜながら進めて行こうと努力しているが、基本的に、勉強など興味もないし、する気もない連中。なかなかこっちに意識を向けてくれない。工業高校だから、数学とか物理とかを学ばないといけない。つまり、数字というのが何か、そんなことを話している。いろいろネットで調べているうち、現代というのは、数字にこそ信頼性が置かれているということだ。数字で示せば、それが客観性となり、説得力をもつ。世の中で起こっているさまざまな現象がある。たとえば、ニュートンが発見した万有引力の法則。リンゴが落ちるのを見てひらめいたと言われている。リンゴが木から離れれば地面に向かって落ちるのは当たり前。でも、そんな当たり前の現象でも、世の中の人を納得させるには、数式で示さないといけないのだ。ニュートンはそれをやった。ぼくは、万有引力を求める数式の意味も価値もわからない。必要なことなのだろうか。リンゴは落ちる。それでいいではないかと思う。だけど、さまざまな法則が見つかって、数式化されることで、さまざまな発明がなされ、それが後世に伝えられていくわけだ。小難しい数式を勉強するのは、当たり前の現象を、客観化、普遍化するためなんだということなのだろう。そんな話をするのだが、わかってくれているような反応は皆無。ぼくだって、工業高校で授業をするようになってはっと思ったこと。数式化まではしなくても、リンゴが落ちるのを見たら、当たり前のことと見過ごすのではなく、「どうして落ちるのだろう」と疑問をもてる感性を育てる。それも教育の大事なところではないのだろうか。
2025年11月26日
閲覧総数 222
7

トルストイを読んでいる。たいそうなことに聞こえるかもしれないが、イワンの馬鹿から始まって、民話をもとに、彼が書いたと言われる作品を読んでいるのだ。文豪の作品というと、骨が折れるようなイメージをもっていたが、トルストイは、読みながら、いろいろなことを思わせてくれる。それに、北御門二郎さんの翻訳がいい。岩波文庫のでも、面白いけど、北御門さんの訳には、温かみがある。トルストイの本意を伝えたいという情熱のようなものを感じる。「イワンの馬鹿」を読んで、つぎに「人は何で生きるか」を読み、また「イワンの馬鹿」を読みという具合に、何度も読んでいるのだ。「戦争と平和」とか「アンナ・カレーニナ」といった大作も読んでみたくなってきた。そういえば、今は読書の秋だ。
2009年09月26日
閲覧総数 33
8

今、OriHimeにほれ込んでいる。分身ロボット。高さ30センチほどで、UFO番組に出てくる宇宙人のような顔をしている。上半身だけのロボットで、首が上下左右に動き、小鳥の羽のような両手でもいろいろな表現ができる。インターネットを通して、遠隔操作ができる。たとえば、お母さんが入院してしまったとする。お母さんも家族もさみいしいよね。そんなとき、OriHimeがいると、お母さんは、病室でパソコンやタブレットを使って、居間にいる子どもたちの顔を見たり、お話をしたりすることができる。テレビ電話と違って、お母さんは、自分の意思で右を見たり左を見たりできるし、手を挙げたり、振ったりして、意思を表現することもできる。まるで、本当に目の前にお母さんがいるみたいに思えるし、お母さんは、病室にいながら、家にいるような気分を味わうことができる。とんでもなくすぐれものロボットだ。このロボットを小笠原へ連れて行こうと思っている(企画中)。寝たきりの人とか入院中の人で、小笠原に興味がある人に、OriHimeを通して小笠原を体験してもらおうという企画だ。海には潜れないのは残念だが、小笠原の海や山を味わってもらうだけでも、たくさんのパワーがもらえるはずだ。家族の人が、OriHimeを連れて行けると一番いいけどね。そうでなければ、こんな方法もある。中学生の女の子が小笠原に参加するとする。その子は、入院していたり、体が不自由で小笠原は行けない同世代の子とバディを組む。小笠原へ行く前から、OriHimeを通してコミュニケーションをとり、OriHimeを介して一緒に旅をする。我ながらいい企画だと自画自賛している。今年の夏の小笠原ツアーは8月3日に出発し、8日に帰ってくる。10日父島発までの延期もありにしようかとも思っている。興味ある人は、こちらまで。案内ができたら送ります。2月14日 TBSの夢の扉で、OriHimeが紹介されます。
2016年02月10日
閲覧総数 353
9

あえていばらの道を進まなければいけないときがある。どうだろう?楽なほうにばかり動いていては成長はないのではないか。ただ、あえて進まなくても、そちらへ行かざるを得ない状況が作られたりする。そんなときは、迷わず行くしかない。覚悟を決めて進めば、たとえいばらのとげが刺さろうが、大した痛みは感じない。もうひとつ忘れてはならないのは、必ずありがたい助けがくるということ。立往生しているとこころに車が通りかかったりする。「乗っていきませんか」声をかけてもらえる。ありがたく乗せてもらえばいい。覚悟を決めてがんばっている人を助けることで、その人も徳を積むことができる。びくびくおどおど生きていても仕方ない。いやいや、内心はびくびくおどおどしていても、もうやるしかないと感じたら、思い切って飛び込むしかない。意外とうまくいくものだ。世の中全体が覚悟を求められている。やるべきときにはやるしかない。
2020年01月25日
閲覧総数 176
10

人は変われるというけれども、そう簡単に変われるものではない。スピリチュアルなセミナーを受けて変われる人もいる。しかし、劇的な体験をしないと、そう簡単には変われない。ぼくが長年かかわっている真氣光。氣の可能性を広めようと活動している団体だが、かつては難病から短期間に回復する人がいた。一週間の合宿があって、目の前で歩けない人がすたすた歩き出したり、食物アレルギーが出なくなったり、奇跡的な治癒が起こっていたので、それを見て、生き方、意識が変わる人がたくさんいた。今は病気治しをメインにしていないので、かつてのインパクトはなくなったが、氣を受けることで、自分の体調や運勢が変わる体験をして、意識が変わる人がいる。世の中は目に見えるものだけの世界ではないということ。これを知ると、生き方も考え方も大きく変化するものだ。ぼくもその一人だけれども、氣を体験することで、自分のまわり、半径500メートルの物質にしか目が向かなかったのが、地球のこと、宇宙のことにまで視野が広がったのだから、生き方が変わるのも当然のことだった。目に見えない力に助けられたり支えられたりしている自分も、意識できるようになった。すると、「感謝」することも自然に多くなった。太陽や月や星々を見上げて、手を合わせるような、それまでの自分では考えられないことをするようになった。目先の欲に振り回されることもあったが、それでも、そうじゃないんだと方向転換ができるようになった。生き方はとても楽になった。いいこともいっぱい起こった。流れがとても良くなったのだ。今は、東京を離れて、しばらく山梨で暮らしたあと、生まれ故郷の鈴鹿にいる。山があれば谷があるという、浮き沈みはあるものの、全体としては上昇している気がする。いい人との出会いもある。それでも、急激な変化というわけではない。徐々に徐々に変わっていった。まるで子どもが成長していくように。
2025年11月13日
閲覧総数 280
11

生きる上で何が大事かと問われたら、ぼくは、「正直さ」と答える。これは、自分が正直だと言っているわけではなく、そうありたいという気持ちである。つまり、正直でない自分も認める正直さという、ちょっと矛盾めいたところもあるが、認めたくない自分というのは、必ずあるわけで、そこときちんと向き合える正直さが必要かなと、ぼくは、思うわけだ。ずるいところもあれば、腰抜けのところもある。だけど、そんなのは、あって当たり前のことで、だけど、問題は、それを誤魔化したり、正当化することにあるんじゃないだろうか。ああ、ずるいことやっているよなと、その事実を見ればいい。そして、あまり、それに評価を与えないことも大事かもしれない。だから、自分はダメなんと思ってしまうと、つらくなって、向き合えなくなる。淡々と、事実だけを見る。そうすると、自然に自分が変わってくる。事実を見ないから、いつまでもずるい自分のままでいてしまうということもあるだろう。正直に生きられたらいいな。正直さ。これからのテーマにしたいと思う。
2013年06月05日
閲覧総数 4