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ニワトリ小屋を作り始めた。近所のおばあちゃんが倉庫を壊すというので、何かもらえるものはないか見に行った。使えそうな建具や杭、板をもらってきた。それを組み立ててニワトリ小屋にしようと思っている。ただ、やったことのない作業なので、組み立ててはやっぱり駄目だとやり直して、やっと枠組みだけはできたかな。最後に扉をつけるとき、隙間ができるとか、トラブルが起きそうな雰囲気だが、とにかくやってみたことに意義ありということか。今、ニワトリが4羽いる。山梨から連れてきたチャボはもう卵を産まない。昼間は庭に放してあるが、ぼくの姿を見ると後を付いてくる。かわいいじゃないか。3羽の烏骨鶏は、毎日のように卵を産んでくれる。この冬は、あと5羽くらい増やしたいと思っている。朝、ニワトリ小屋へ行くと1個2個、卵があるというのは、なんとも豊かな気持ちになれる。鳥インフルエンザのことがニュースになったりするが、我が家は、広いところで動き回っているから病気にはなりにくい。ぼくが子どものころは、白いニワトリが10羽くらい、庭でエサをついばんでいた。庭にニワトリがいる。ホッとする光景だ。今はヤギもいるのだから。
2025年11月28日
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今後、どうしていくのか、家族で話し合っている。普通なら、60代後半の親と、30歳前後の娘となれば、それぞれ別々に生計を立てていていいのだが、我が家は、家族経営の株式会社で進んでいこうとしている。会社は2011年にぼくと妻で設立した。事業としては、ぼくの執筆や講演活動、妻のヒーリングサロン。会社を大きくしようとか、仕事を増やそうとか、あまり一所懸命にやらなかったので、大した売り上げがあったわけではない。よく15年ももったと思うような低空飛行が続いてきた。しかし、15年は15年だ。3年くらいでつぶれる会社がいっぱいあるというのだから立派な実績と言える。うまく活用して、娘たちの代に継承してもいいかなと思っている。娘たちも、会社勤めのできない3人なので、自分たちで事業をしていくしかない。となると、会社をうまく活用するのはひとつの手だ。我が家には、ヤギ6頭、犬4頭、ネコ1匹、ニワトリ4羽がいる。それも、田舎だからこそ飼えるわけで、動物、田舎というのは、これからやっていく事業、活動においてはカギになる。ぼくと妻がかかわってきた「癒し」の世界もこれから大切になってくる。今は長女、次女が中心になっているが、やがては三女も加わってくるだろう。そこでテーマを決めた。「犬とヤギと人と。すべてが癒される限界集落楽園化事業」事業の第一段階として、ぼくが相続した田舎の土地にドッグカフェ、ドッグランを作ろう。そこを癒しの本拠地にする。愛犬を連れて食事ができ、犬たちは広いドッグランで走り回れる。犬連れでない人はヤギとふれあう。食材は自社農園と地元の高齢者たちが作った野菜。卵も自社生産。ジビエの肉も使う。ヒーリングやアニマルコミュニケーションのセッションも受けられる。食事をしているだけで癒される建物。自社農園では疲れた人が農作業をして元気になる。人が集まってくれば、村も元気になる。空き家が出れば、そこに越してくる若者も現れるだろう。希望のない村に光が灯る。そんな夢を見ているわけだ。まずは第一歩を踏み出さないといけない。今はその準備中。
2025年11月27日
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定時制の非常勤講師をして8か月近くになる。10月からの後期では授業を受け持っている。80分の授業。退屈させない話題を織り交ぜながら進めて行こうと努力しているが、基本的に、勉強など興味もないし、する気もない連中。なかなかこっちに意識を向けてくれない。工業高校だから、数学とか物理とかを学ばないといけない。つまり、数字というのが何か、そんなことを話している。いろいろネットで調べているうち、現代というのは、数字にこそ信頼性が置かれているということだ。数字で示せば、それが客観性となり、説得力をもつ。世の中で起こっているさまざまな現象がある。たとえば、ニュートンが発見した万有引力の法則。リンゴが落ちるのを見てひらめいたと言われている。リンゴが木から離れれば地面に向かって落ちるのは当たり前。でも、そんな当たり前の現象でも、世の中の人を納得させるには、数式で示さないといけないのだ。ニュートンはそれをやった。ぼくは、万有引力を求める数式の意味も価値もわからない。必要なことなのだろうか。リンゴは落ちる。それでいいではないかと思う。だけど、さまざまな法則が見つかって、数式化されることで、さまざまな発明がなされ、それが後世に伝えられていくわけだ。小難しい数式を勉強するのは、当たり前の現象を、客観化、普遍化するためなんだということなのだろう。そんな話をするのだが、わかってくれているような反応は皆無。ぼくだって、工業高校で授業をするようになってはっと思ったこと。数式化まではしなくても、リンゴが落ちるのを見たら、当たり前のことと見過ごすのではなく、「どうして落ちるのだろう」と疑問をもてる感性を育てる。それも教育の大事なところではないのだろうか。
2025年11月26日
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ボクシングの地上波での放映はほとんどなくなった。今の日本のボクシング界はスターがあふれている。昨日のプライムビデオの配信でも、メインイベント級の試合が3試合も4試合も並んでいた。井上尚也というスーパースターが登場して、それに続けとばかりに、中谷潤人をはじめ、すごい選手が次々と現れてきた。今、世界チャンピオンは何人いるのだろうか。チャンピオン候補の若い選手も、どんどん出てきて、うれしくなってくる。注目される分、放映権料も高いのだろう。だから、地上波ではまかなえない。配信としては、いいコンテンツになっているのだ。この間、ラグビーの試合が観たくてWOWOWを契約したが、トップクラスのテストマッチが観られる。世界が注目するようなボクシングの試合も放映されている。地上波はバラエティかグルメ番組ばかりで、見ごたえのあるものは、すべて有料の配信という時代になってきた。井上拓真と那須川天心の世界王者決定戦は面白かった。拓真はモンスターの弟として、あの真っ赤な太陽の横で、光り輝く才能なのだが、その光がかき消されてしまっていた。キャラクターも試合内容も地味だし、偉大すぎる兄がいる悲哀も感じてきただろう。天心は兄に似た太陽だった。下馬評は天心有利。1ラウンド、2ラウンドを見ると、天心に翻弄されるのではという危惧もあった。徐々に自分のペースを取り戻し、結果的には完勝だった。インタビューでは、「天心選手のおかげ・・・」と連呼していたが、まさに、兄に似た陽キャラの天心によって、彼の素質が開花したのではないかと思わせられる試合だった。天心もこの敗戦は大きな節目になるはずだ。スポーツも、いい試合はお金を払って観るという流れになっている。どんなスポーツもやる人は命がけだ。観る側もそれなりの姿勢が必要だ。ただで観て、言いたいことを言うというのでは、アンフェアではないか。井上拓真と那須川天心の覚悟を決めた戦いぶり。どちらかに肩入れするのではなく、純粋に好試合にエキサイティングした。年末にはまたすごい試合が待っている。
2025年11月25日
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ラグビー日本代表、やっと勝った。相手はジョージア。終了3分前にトライをとられ、ゴールも決まって、ウエールズ戦に続いての逆転負けが目の前だった。しかし、最後の最後、相手が痛恨のペナルティ。SOの李がPGを決めて2点差の勝利。解説の沢木さんも言っていたが、もっと点差をつけて勝てる試合だったと、ぼくも思った。ゴール前まで攻めてのペナルティやノックフォワード(ノッコン)。あそこで仕留めていれば楽勝だったのに。もどかしい試合だった。どんな試合でも流れというのがある。チームに有利な流れのときに、しっかりと得点しておく。そうしないと、流れが変わったとき、あっさりと点を与えてしまったりするものだ。特に、スプリングボックスとかオールブラックスとか、強豪国と対戦するときは、数少ないチャンスはきちんとものにしておかないと大敗してしまう。でも、目標は再来年のワールドカップと考えれば、とりあえず、昨日の勝利によってランキング12位を決めたことで、ベスト16のノックアウトステージに進出する可能性は高めた。今回から24か国が出場することになり、6グループで予選を戦う。上位2チームと3位の4チームが決勝トーナメントに。世界ランキングの1~6、7~12、13~18、19~24で抽選をして、グループが決まる。でも、24チーム中16チームの準々決勝へ行っても自慢にはならない。とにかく、ランキング10位以内のチームを倒して、ベスト8、さらにはベスト4に進出してこそ、「強くなった」ことを実証できる。ワールドカップで1勝することを目標にしていた時代からすれば、ずいぶんとぜいたくになったものだ。来年から2年に1度、ネイションズチャンピオンシップという世界大会が開かれるそうだ。ジャパンも参加12チームに選ばれて、ヨーロッパの強豪6ヶ国と対戦する。日本ラグビーも新しい時代へと突入する。楽しませてもらいたいものだ。
2025年11月24日
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東京を離れて5年になるが、月に一度の割合で東京へ行っている。敬愛する帯津良一先生(ホリスティック医学)の取材をし、一杯飲んで一泊して帰るのだ。28歳のときにへ住むことになった。あのときは調布市にアパートを借りた。渋谷が仕事場だった。「田舎者」とバカにされている空気も感じながらも、東京には可能性が詰まっていると、心はウキウキしていた。ずっと東京での生活はあこがれていたから。東京ドリームは、ぼくにはあった。文章を書いて暮らしたいという夢がかなった。さらには、一冊でもいいので自分の著書を出したいという夢も、一冊どころか30冊ほどにまで実現して、最初のころはベストセラーも出せたし、講演にも呼んでもらったし、考えられない流れになったのだ。中川先生、帯津先生という偉大な師にも出会え、気功とかイルカとか代替療法、ホリスティック医学、自然栽培という、新しい世界を案内してもらった。中川先生には世界のあちこちに連れて行ってもらった。本当にエキサイティングだった。東京へ出たからこそ体験できたことだったと思う。結局、生まれ故郷に帰ってきたわけだが、ずっと小さな村で暮らしていては得られなかったものが、東京では手に入った。これからは、故郷とご先祖様への恩返しだ。肉体は衰えた。仕方のないことだ。しかし、精神的には充実している。まだまだやることはある。
2025年11月21日
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「イルカみたいに生きてみよう」というタイトルなのに、イルカのことはまったく書いてない。タイトルを変えた方がいいと思いつつも、イルカは、ぼくにとっての原点なので、そのままにしてある。ぼくがイルカと会ったのは、1990年代の初め。気功の取材をしていた。1988年6月から9月の約4ヶ月間、中国を旅した。上海、蘇州、大連、吉林省延吉、瀋陽、北京、銀川、呼和浩特、敦煌、ウルムチ、トルファンといった町を延吉までは一人旅で、延吉からは中国在住の友だちと回った。32歳。若いからこそできた旅だった。この旅で、ぼくは気功を知った。それも手から氣というエネルギーを出して、病気を治したりする中国伝統の技だ。上海で何人もの気功師と会った。そして、氣を受ける体験をした。衝撃だった。気功師は5メートルも向こうから氣を放っている。目をつむって立っているぼくの体に、電気が走るような感覚があったと思ったら、前に引っ張られ、後ろに押された。ぼくは気功に夢中になった。9月の上海。ぼくは西郊賓館という高級ホテルで開催された気功の国際大会の会場にいた。そこで、日本人医師の帯津良一先生と、氣が出る機械を開発した中川雅仁先生と出会った。人生を大きく変える出会いだった。ぼくの知り合いのぎっくり腰が中川先生の、わずか30秒の治療で完治した。帰国後、中川先生を訪ね、気功の取材を始めた。その過程で知ったのが、イルカの癒しの力だった。オーストラリア、バハマと中川先生に随行して出かけた。イルカと会って、彼らと意識交流をするという企画だった。氣を受けることで特殊な能力が芽生えた人がメッセージを伝えてくれた。中川先生の弟子として氣を勉強している2人の女性だった。それがイルカとの出会い。氣のこと、イルカのメッセージを本にした。大反響があった。以来、しばらくぼくは「イルカの先生」と呼ばれて、本を出したり、講演をしたり、大忙しだった。30代のときの話だ。氣とイルカによって、ぼくは華やかな日々を送らせてもらったのだ。たくさんのことを学んで、くすんだ人生から、光の当たる世界に導いてもらった。そんなこともあって、「イルカ」はぼくの指導霊でもあり守護霊でもあるのだ。コロナ騒ぎの前までは、毎夏、小笠原にイルカと泳ぎに行った。5年以上、イルカとは会ってないが、彼らから教えてもらったことは心に残っている。「イルカみたいに生きる」というのは、どんなことであれ、ぼくも根底にある精神だ。
2025年11月18日
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さすがに夜中の2時に起きるまでの情熱はなかった。ラグビーのジャパンとウエールズの試合だ。今のジャパンには期待しているし、期待しているだけに、ずっと不調が続くウエールズにまで完敗したらどうするんだという、不安、危惧もあった。まして、チームの柱であるリーチやガンターが出られないわけだ。WOWOWはあとからでも観られることは確認していた。だから、ネットの起きてもネットのニュースを見ないで、朝のヤギの世話を終えたらゆっくりと観戦することにした。惜しかった。勝てる寸前までいったのに。怖いのはペナルティ。逆にペナルティをもらったら確実に点を入れないと。でも、今回の接戦で、ジャパンの現在地ははっきりした。シックスネーションズの上位5チーム、チャンピオンズリーグの3チームには歯が立たない。しかし、オーストラリア、フィジー、ウエールズとは対等に戦える。ジョージアも同じグループ。ワールドカップでは、同じレベルのチームに勝った上で、上位8チームのどこかを倒さないとベスト8にはいけない。最終戦のジョージアには勝って、とりあえず終わりよければすべてよしとして帰ってこないと。帝京と明治の大学ラグビーも面白かった。ぼくは、早稲田、明治、同志社の時代にラグビーに熱中した。頭では大学ラグビーに革命をもたらした帝京には敬意を表している。しかし、気持ちの上では、どうしても早明による優勝決定戦が一番燃えるわけだ。帝京は常に敵役だ。今年の明治は筑波に負けたり、慶応とも接戦だったりと、調子が出ない。すごい高校生がたくさん入学してくるのに、強くなれない明治。今年も同じだと、あまり期待していなかった。意地を見せた。タックルが良かった。スクラムもがんばった。これで12月の早明戦が楽しみになった。日本代表の試合が来週終わって、大学ラグビーとリーグワン。しばらくラグビーで楽しませてもらおう。
2025年11月17日
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月に何度か歯医者さんに行っている。左奥の上と右奥の下に虫歯があって、根っこの治療をしている。子どものときから歯は弱かった。夏休み、冬休みは歯医者通いだった。大人になってからも、何年かに一度は口の中の大工事。50代くらいから虫歯になる箇所も少なくなってきて、小工事くらいになって、左奥の親知らずを抜いただけで、思ったよりも長持ちしている。今日は型どりだったのだが、若い女性の歯科医が言うには、「嚙む力が強いですね。だからすり減っているんですね」とのことだった。そうかと思った。まわりからは何もやってないように思われているが、自分でもがんばっているつもりはなかったが、実は歯をくいしばっているのかもしれないなと。もうちょっと力を抜かないと。でも、どうやって脱力すればいいのか。
2025年11月14日
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人は変われるというけれども、そう簡単に変われるものではない。スピリチュアルなセミナーを受けて変われる人もいる。しかし、劇的な体験をしないと、そう簡単には変われない。ぼくが長年かかわっている真氣光。氣の可能性を広めようと活動している団体だが、かつては難病から短期間に回復する人がいた。一週間の合宿があって、目の前で歩けない人がすたすた歩き出したり、食物アレルギーが出なくなったり、奇跡的な治癒が起こっていたので、それを見て、生き方、意識が変わる人がたくさんいた。今は病気治しをメインにしていないので、かつてのインパクトはなくなったが、氣を受けることで、自分の体調や運勢が変わる体験をして、意識が変わる人がいる。世の中は目に見えるものだけの世界ではないということ。これを知ると、生き方も考え方も大きく変化するものだ。ぼくもその一人だけれども、氣を体験することで、自分のまわり、半径500メートルの物質にしか目が向かなかったのが、地球のこと、宇宙のことにまで視野が広がったのだから、生き方が変わるのも当然のことだった。目に見えない力に助けられたり支えられたりしている自分も、意識できるようになった。すると、「感謝」することも自然に多くなった。太陽や月や星々を見上げて、手を合わせるような、それまでの自分では考えられないことをするようになった。目先の欲に振り回されることもあったが、それでも、そうじゃないんだと方向転換ができるようになった。生き方はとても楽になった。いいこともいっぱい起こった。流れがとても良くなったのだ。今は、東京を離れて、しばらく山梨で暮らしたあと、生まれ故郷の鈴鹿にいる。山があれば谷があるという、浮き沈みはあるものの、全体としては上昇している気がする。いい人との出会いもある。それでも、急激な変化というわけではない。徐々に徐々に変わっていった。まるで子どもが成長していくように。
2025年11月13日
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尊敬する帯津良一先生は、毎日、「今日が最後の日」だと思って生きているそうだ。しかし、「そう思えるようになったのは70歳になってからです」とおっしゃる。ぼくは来年3月で70歳になる。少しだけ、「70歳になったらもっと死を意識できる」ような気がする。死後の世界はどんなだろうかとか、そもそも死んだときはどんな感覚なんだろうかととか、死んだらだれが迎えに来てくれるのだろうかといったことを考えるようになった。死をそばに置きながら生きると、人には深みが出てくる。死を遠ざけていると、薄っぺらにしか生きられない。そういう面では、70代というのをどう生きるのか、自分に興味がわいてくる。確実に死が近づいてくるから、やりたいことを精いっぱいやるとか、悔いのないように生きるとか、そんなことは考えないような気がする。日々を淡々と暮らす。すると、ふっと「こんなことやりたいな」と思ったりする。じゃあ、やってみるかと手を出す。うまくいくかどうかはわからない。でも、トライすることで心が満たされるものが生まれる。「今日が最後の日」と毎日を生きられるほどの高い精神性はもてないが、そんなことでいいかと思っている。
2025年11月11日
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インフルエンザがすごく増えているそうだ。みんなワクチンを打って、手洗い、うがいをして、栄養にも気をつけているのに、なんで増えるんだろう。幸い、ぼくはこの何十年、インフルエンザで困った記憶はない。感染はしているだろうが、発症はめったにしない。ワクチンは打ったことない。手洗いは外仕事で手が汚れたときくらい。うがいはほとんどすることはない。食べ物もけっこういい加減。たぶん、生来の免疫力が活躍してくれているのだろう。それにしても、こんなにも感染症患者が多いのは、免疫力が低下しているからに違いない。ワクチンで何とかしようとしているが、免疫力だって無限の力があるわけではない。たくさんのワクチンを打たれて、それぞれに反応しないといけないし、かなり疲労がたまっているのではないか。病気を予防するためのワクチンで、逆に病気を作っているということも考えられる。ワクチンの効果は、理論上は「もっともだ」である。しかし、現実の人体はもっと複雑にできていて、限界もあって、感染症はワクチンで撲滅できるというのは、今や幻想ではなかろうか。万能の治療薬と思われていた抗生物質も、使い過ぎて耐性菌が現れて、効きづらくなっている。薬は、だらだらと使うものではなく、ここぞというときに使ってこそ効果が出る。薬を使わず免疫力を高めることをやらないと。例えば、昔のように寒風摩擦でもやれば、インフルエンザも減るのではないか。
2025年11月10日
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自由に生きたいとよく言う。はてさて、自由とはどんな状態なのか。好き勝手生きれいれば自由なのか。自由にも、「体の自由」「心の自由」「命の自由」といった階層があると思う。この3つが全部自由なら一番いい。しかし、体の自由ならある程度のレベルなら達成している人はたくさんいる。飛行機やら新幹線があるので、空を飛んだり、すごいスピードで移動する自由も手に入れた。遠い人と話をしたり、たくさんの情報を瞬時に手に入れる自由もある。「経済的に不自由だ」「仕事に縛られている」と不満をもっている人は多いかもしれないが、もし、それが解決されたとして、果たして本当に自由なのか。その上の階にある「心の自由」が満たされないと、どんなに物質的に恵まれていても、満たされないものがあるはずだ。逆に、病気や事故で体が不自由になった方でも、心が自由な人もいる。そういう人は、イキイキしている。心の自由がなんだとか、まして命の自由というと訳がわからないが、多くの人が、体の自由だけを求めてあくせくしているので、いつまでも幸せになれないのではないか。体のレベルで自由を求め続けてもきりがない。自分にとって、心の自由とは何か、命の自由とは何か。考えてみる必要がある。
2025年11月09日
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このごろ、あれこれ忙しくなってきた。山梨の数年は、ヤギの世話、桃やすももの手入れくらいで、比較的のんびりしていた。ところが鈴鹿へ戻ってから、ヤギの世話など日々の仕事以外に、週に2回は定時制高校で教えているし、東京は月に1~2回だが、遠くなったので1泊しないとクタクタだし、歯の治療にも毎週通っているし、ほかにも、鈴鹿大学とのコラボ企画など、のんびりできなくなってきた。新しい本の企画も始まった。新事業もスタートする(娘たちが中心だが)。あれもこれもと手をつけたがるのは性分なのだろう。どんどん手を広げていくという年齢でもないけれども、ぼくには趣味らしい趣味はない。のんびりと余生を楽しむという気持ちもない。だから、これもいいのかもしれないと思ったりもする。昨日は東京で89歳の帯津良一先生とお会いした。相変わらずお元気だ。月曜日から金曜日は診察、土日は講演と、休みなく働いておられる。ぼくにはマネはできないけれども、20歳も年下のぼくがへこたれてはいられないだろう。人生の幸せは後半にある。先生の持論だ。まずは働ける幸せ。明日に希望がもてる幸せ。かみしめないと。感謝しないと。
2025年11月06日
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3日の高校ラグビーの決勝のハイライトをYouTubeで観た。劇的な逆転劇だった、現場に行っていれば大声をあげていただろう、まわりの応援団と抱き合っていたかもしれない。大感動のチャンスを逃してしまった。今更どうしようもないが、悔しい、悔しい、悔しい。ぼくが練習を見たとき、選手たちは、ボロボロとボールを落とすし、前へ投げる奴もいるし、とても決勝に行けるチームとは思えなかった。でも、レベルの低い三重県だし、一試合勝てば決勝だから、くじ運も良かったのだろう。去年は引き分けだったとは言え、相手は十何年も連続して花園に出ている高校だ。全国大会の一回戦に勝った経験もある。監督も、今年は期待できないという口調だったし。だからボロ負けするのではないかと、ぼくは予想した。だから、行こうと思っていたのに、お昼ご飯を食べているときには、試合があることが完全に頭から抜けてしまっていたのだ。あとからネットで調べて、ぼくが勘違いした理由がわかった。監督は、練習に「めちゃビー」というのを取り入れていると言うのだ。なんじゃそりゃ。興味を持って読み進めた。めちゃめちゃラグビーの略だそうだ。何がめちゃめちゃか。ルールがないのだ。ボールを持っての追いかけっこ。前へ投げても落としても大丈夫。とにかく、どっちかがトライするまでゲームは続く。めちゃビーを取り入れている保育園もあるみたいだ。監督は、ラグビーをしたことのない部員が、ボールになじんだり、追いかけっこをして楽しく遊ぶことで、ラグビーに馴染んでもらおうと思って、幼児の遊びを採用したのだそうだ。そんなことでラグビーが上手になるのかと思ってしまうが、おーるぶらっくすの選手たちは、めちゃビーで育ったのではないか。そんな気がする。あのとき、ぼくが目撃したのはめちゃビーだった可能性がある。穏やかそうな顔をした監督が思い返された。ぼくの好みだ。金曜日には学校へ行くから、練習をしていたら、顔を出してみよう。めちゃビーを見てみたいな。
2025年11月05日
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大失敗やった。3日は高校ラグビーの三重県大会の決勝を見に行こうと思っていた。天気も良かったし、ラグビー観戦日和だったし。それに、ぼくが非常勤で先生をしている四日市工業が出る。先週、ラグビー部がグランドで練習をしていたので、見学をしていたら、監督さんがいたので、少し話をした。「どうですか? 今年のチームは?」実は去年の決勝戦では、前半は20点以上のリードをしていたのに、後半に追いつかれて、結局、抽選で花園を逃した。「今年は100キロ以上の選手が何人かいるので、どんどん前へ出て行きますよ」威勢のいい感じではなかった。練習を見ていても、ぽろぽろボールを落としている。「これは勝てないかな」ぼくの感想だ。でも、応援に行こうとは思っていた。しかし、うっかりしていた。気がついたら3時を過ぎていた。もう終了まじか。4時過ぎ、ネットに投稿があった。四日市工業24対22朝明。勝ったじゃん!それも僅差。生で観ていたらむちゃくちゃ興奮する点差。行けば良かった。楽しめたのに。後の祭りだ。どんな展開だったのだろう。そのうち動画が配信されるだろうから見ようと思うが、ライブの興奮はもう味わえない。せっかく縁ができた高校だ。花園まで応援に行くか。バスの応援ツアーがあるかもしれない。というわけで、悔しい思いをした。
2025年11月04日
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脱帽だ。完敗だった。南アフリカの強さに、悔しさもなかった。日本代表は何もかもがうまくいかない。それだけすごいプレッシャーがあるのだろう。南アのメンバーの半分くらいが日本のリーグワンでプレーしている。一人ひとりの圧力には慣れていても、彼らが集まると途方もない力になってしまうのか。日本代表の選手たちはどんな思いで一晩を過ごしたのだろう?ただ、ぼくはこのチームに可能性を感じている。あくまでもイメージだけど、これまでのジャパンにはない「明るさ」が伝わってくる。やっと東の空が明るくなってきた感じ。しぶとさというか、したたかさというか、めげない強さというか、これからの成長が期待できるのだ。ぼろ負けから始まったヨーロッパ遠征だが、あと3戦、新生ジャパンの真価、進化を見せてほしいものだ。試合は1時から、3時に終わって7時ごろまで寝た。そしたら、「快挙」を観ることができた。アメリカで行われたブリーダーズカップクラシックで、日本馬のフォーエバーヤングが優勝したのだ。ダート競馬の世界最高峰のレースだ。ぼくは40年以上も前から競馬を観ているが、ずっと「日本馬は世界では勝てない」と言われてきた。実際、史上最強と言われたシンボリルドルフでさえアメリカでは勝てなかった。ディープインパクトも凱旋門賞では勝てなかった。日本は地震が多いから馬産には向いていないとか、草の質が悪いとか、広い調教場がないとか、調教の仕方が悪いとか、騎手がへたくそとか、海外の競馬場とは芝も砂も違うとか、いろいろ言われた。それが今や、世界のレースで日本馬が大活躍している。悲願の凱旋門賞を勝つのも遠くないと思う。関係者のがんばりには拍手を送りたい。日本人は、いわゆる「自虐史観」と言うが、スポーツの世界でも、「通用しない」から始まる。大谷はどうだ(ドジャースの試合も延長になってからテレビで観た)。野茂が大リーグに行ったときは、「日本選手は通用しない」が圧倒的だった。サッカーだって、ブラジルにも勝った。来年のワールドカップは期待できる。ぼくは、ラグビーも日本らしさで、世界を驚かせる日がやってくると信じている。
2025年11月03日
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深夜日付が2日に変わってから、ラグビー日本代表の試合がある。相手は南アフリカ。世界1位の強豪国だ。ちょうど10年前の9月19日、イギリスでラグビーワールドカップがあって、日本代表は南アフリカ代表に対して正規の番狂わせを演じた。勝てるとは思ってなかった。今回と同じで、日付が変わった時間にキックオフ。ぼくは、テレビ中継を録画して寝たのだったか、ライブでは観ていない。薄れる記憶には、試合が放送される前に、MCの上田さん(クリームシチュー)が、「すごい試合だった」といったコメントを出している姿が残っている。遅れて録画中継があったのかもしれない。結果を知らずに試合を観て良かった。一生忘れられない試合になった。あれからワールドカップは2回行われ、19年の日本大会ではベスト8に入った。第一回のワールドカップが始まるもっと前から、ずっとラグビーを観ているが、日本代表の試合にはがっかりさせられてばかりだった。2015年以降は、ジャパンの試合を望みをもって観られるようになった。昨年は弱いジャパンだった。しかし、今年はPNC、先週のオーストラリア戦と、いい試合をしていた。若い選手が伸びている。南アフリカのあとは、アイルランド、ウエールズ、ジョージアと続く。すべてランキング上は格上だけれども、ウエールズには6月の試合で勝っているし、ジョージアも勝てる相手。ここで2勝して、南アかアイルランド相手に番狂わせを。高い望みなのはわかっているが、メンバーも固定してきて、オーストラリア戦のディフェンスもすごかったし、接点でも負けてないし、セットプレーも安定しているし、バックスの展開プレーもスピード感があるし、潜在能力が表に出始めている気がする。問題は不用意なペナルティだ。ペナルティを侵すと、チャンスが一気にピンチになるから。スクラムで負けず、低いタックルで倒し続ける。そうすれば必ず勝機が見えるはず。今晩、ライブで観るか、明日、録画で観るか。やっぱりライブだな。
2025年11月01日
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毎日のようにクマの被害が報道されている。ぼくの周囲ではクマ目撃情報は出ていない。しかし、栗拾いに何度か行ったが、ついついまわりをきょろきょろ見回してしまった。 目撃情報や被害のあった場所の近くに住んでいる人は、毎日怖い思いをしているだろうと思う。 もし、目の前にクマが現れたら、逃げるのは難しいそうだから、戦うか、ひたすらうずくまってクマが去っていくのを待つか。 戦っても勝ち目はない。頭を抱えていなくなるのを待つしかない。 そんなことを考えていると、外へ出るのが怖くなってくる。とんでもない世の中になったものだ。 「心配学」という本を読んでいる。心配は感情からくるもので、人間である以上、心配はつきものなのだ。感情に流されてしまうと、心配に押しつぶされてしまったりする。 しかし、心配を減らす方法がないわけではない。感情から論理に頭を切り替えて、数字で考えれば、本当に震えるほど心配する必要があるのかが冷静に判断できるとのことだ。 クマの被害はどれくらいか?亡くなった人は10数人だ。 日本で殺人事件はどれくらい起こっているか。年に1000件近く起こっている。少なくとも1000人の人が殺されているわけだ。クマの被害がもっと増えたとして、10倍になれば100人以上が亡くなることになる。それでも、数字を比較すると、人間の方が数倍恐ろしいということになる。ぼくたちは、数字の上で言えば、クマよりも人間を怖がった方がいいということになる。 交通事故で亡くなるのは4000人とか5000人。数字から見れば、クマよりも車に注意した方がいいのではないかという話になるのだ。 実際はそんなふうに割り切れるわけではない。クマ被害のあった場所に絞れば、殺人事件も交通事故もない場所で、クマが出没して人を殺してしまうわけだからとんでもない大事件なのだが、ただ怖がる、不安になる、心配になるばかりではなく、冷静な目で対処を考える必要もある。
2025年10月31日
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講演もずいぶんとさせてもらったし、人前で話すのは慣れている。しかし、学校、それも定時制となると勝手が違う。講演は、演者の話を聞きたくて集まってくる人がほとんど。しかし、定時制に先生の話を聞きたいと思っている生徒はほとんどいない。みんな、仕方なく授業を受けているわけだ。今、ニュートンの運動の法則の話をしているのだが、第三法則である作用反作用の法則が成立しないのだ。いろいろ興味をもってくれそうな話を仕込んでいったり、ヤギのことで一息入れようと工夫をしているのだが、反作用が感じられない。のれんに腕押し。ぬかに釘。プリントを配ったが、一人だけまったく手をつけない生徒がいる。「一緒にやろうか」と声をかけると、ぼそっと「遠慮します」と言って顔をそむける。プリントを集めると、彼のは紙飛行機になっている。腹は立たないが、ぼくは、いい子、いい人とばかり付き合ってきたので、理解不能。またまた新しい修業が始まった。
2025年10月28日
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土日はラグビー観戦を楽しんだ。Jスポーツで。まずは日本代表とオーストラリア代表とのテストマッチ。先週はJAPAN XVとオーストラリアAという代表予備軍の試合があったが、7対71という無残な結果。最近、オーストラリア代表はB&Iライオンズでも熱戦を繰り広げ、ラグビーチャンピオンシップでも南アフリカ代表とアルゼンチン代表とは1勝1敗、オールブラックスには連敗したが2試合とも僅差。完全に低迷状態から抜け出した感がある。ぼろぼろにやられてしまうのではという危惧もあった。ただ、秋のツアーの第一戦ということで、相手は1軍半レベルのメンバーで臨んできたのが、一縷の望みか。そんな下馬評だった。ぼくは、この間のフィジー戦を見て、強くなったなと思った。南アを破り、日本大会ではベスト8まで進んだジャパンから残っているのは、リーチくらい。若返ったジャパンは、勝利の味を引き継いでいる気がする。「国際試合では勝てない」という負け犬根性は、たぶん選手たちからは払拭されているのではないか。ひょっとしたら勝つかも。そんな期待をもって観ていた。結果は15対19の惜敗。いい試合だった。ディフェンスは良かった。アタックも通用していた。ペナルティはいくつあったのだろう。ちょっと多い気がした。ペナルティは、選手たちにはどうなのだろう。観ている側はガクッときてしまう。日曜日の好ゲームは、関東対抗戦の帝京大学対筑波大学。今年の筑波は強い。だけど、帝京はかなわないだろう。そんな予想をして観ていたが、驚いた。筑波大が、タックルでどんどん相手を後ろに追いやる。SOのキックもいい。バックスのランもいいし、スクラム、ラインアウトも勝っていたし、モールも威力があった。逆転勝ち。帝京の一強では面白くない。こうやって、打倒帝京でほかのチームががんばってこそ、大学ラグビーのレベルが上がる。大学ラグビーが日本代表強化の足かせになっていると言われているが、そんなことはないという意地を見せてほしい。前々から言われているが、対抗戦グループとリーグ戦グループ。早く一緒になればいいのに。リーグ戦グループは、関東学院大学の復活が楽しみだ。
2025年10月27日
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近所のおばあちゃんのところへ、娘が作ったおはぎを届けた。「今日は誕生日なんやわ」と言う。一人暮らしのおばあちゃん。さっきまで息子さん夫婦が来ていて、ささやかなお祝いをしたそうだ。「78になったわ」まだまだ元気で、毎日畑仕事をしている。年を取ると、「誕生日おめでとう」と言っても、「何にもおめでたくないわ。こんな年になってしもた」と嘆く人が多い。しかし、考えてみたら、ぼくが80歳まで生きるとして、あと11回しかない誕生日だ。自分がこの世に誕生した大切な日。年を取れば取るほど大事にした方がいい。そんなことを思った。あと4ヶ月で70歳の誕生日を迎える。60歳も大きな節目で、悲喜こもごも、エキサイティングな60代だった。10年たって70歳。もっと面白くなる70歳のような気がする。だからこそ、年に一度の誕生日を大切にしようと思う。その延長上に、家族の誕生日を大切にし、さらには、一日一日をしっかり生きる生き方につながっていくのではないか。年を取ったから、もういいやとだらだら生きるのではなく、日々をきちんとていねいに過ごしていくようになりたい。
2025年10月26日
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馬の話を何度か書いたが、昔、テレビで競馬を見ていたぼくに、妻が行った。「あなたが颯爽と走って、一着でゴールにするのを見たいわ」ぼくは返した。「ぼくは走らない。走っている馬を見ながら、レース場の真ん中の広場で草を食んでるよ」競争は好きじゃない。負けるのは嫌だし、最初から走らない。走らなくてもぼくらしい何かができないか探してみる。
2025年10月25日
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昨日はプロ野球のドラフト会議があった。テレビで一巡目の指名だけ見た。華やかな上位指名選手と、注目されない下位指名、育成選手たち。指名の順位に関係なく、厳しい世界へ足を踏み入れたわけだ。5年後10年後、どれだけの人がプロに残っていられるか。1位だからと言って、成功の約束があるわけではない。まずは怪我をしないことだ。やるだけのことをやって通用しなければ仕方ないと諦められる。しかし、怪我による不完全燃焼は気の毒だ。しかし、どの選手もプロ野球選手というは夢だったのだろうと思う。誰でも実現するできる夢ではない。限られた人間の特権だ。昨日、それが叶った。まずは、お祝いだ。先のことは今日から考えればいい。大谷だって、ここからスタートしたのだから。
2025年10月24日
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競馬が好きで、毎週日曜日の競馬中継は楽しみだったし、たまには東京競馬場まで足を運んだ。だけど、競馬のもっているうら寂しさがだんだんなくなって、若い女の子も抵抗なく馬券を買ったりする時代になり、だんだんと興味がなくなっていった。馬券の種類が多くなったのも、熱が冷めていくきっかけになった。単勝、複勝、枠連、馬連、馬単までは受け入れられた。ワイドだとか3連複、3連単・・・。訳がわからない。思い入れのある馬の単勝馬券を握りしめてとか、枠連での代用馬券で救われたとか、人生が投影されている感じがした。寺山修司さんの世界が好きだった。おけら街道。なんともいい響きだった。勝って自慢、負けて自慢、祝い酒に涙酒。ハイセイコーが走っているのは見てないが、ハイセイコーが3月6日に生まれたと知ったときはうれしかった。そして、テンポイントが死んだのが3月5日。よし、俺は3月5日に死ぬことにしよう。誕生日がハイセイコー、命日がテンポイント。まだまだ若い盛り。そんなことに心高ぶらせたのも、競馬のおかげだ。今年は、久しぶりに有馬記念を買ってみようと思っている。ネットの投票は嫌だ。名古屋の場外馬券場(まだあるのかな)か中京競馬場まで行って、窓口で買う。もう自動販売機だけか。昔ながらの単勝と枠連、馬連。若いころは穴馬券ばかり買って外していたが、もう70に手が届く寸前だ。固いところでいくかな。日曜劇場で競馬がテーマのドラマが始まったので、ちょっと気持ちがくすぐられているわけだ。
2025年10月23日
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ずっと氣というエネルギーを意識しながら生きている。氣の先進国である中国では、氣は「量」と「流れ」が大切だと言われている。適切な量を取り入れ、それをスムーズに流す。量が少なくても多すぎてもいけないし、滞ってもいけない。量の過不足、流れの停滞によって、起こってくるのは、病気を始めとするさまざまな不幸だ。お金もそうだね。お金をエネルギーと考えれば、付き合い方もわかってくる。お金が不幸を作ると考えている人もいるけれども、お金そのものが悪いわけではない。過不足、停滞によって、さまざまな弊害が起こってくるわけだ。子どものころからよく言われた。「お金は腐るものではない。たくさんあった方がいい」だけど、お金そのものは腐らないけれども、その人にとって適切な量でなければ、さまざまな問題が起こってくる。少なければ、ひもじい思いをすることが多いし、それがもとで家族の不和が起こったり、心身が病むこともある。多過ぎれば、浪費に走ったり、お金に依存、執着したりもして、さまざまな問題が起こる場合もある。キャパに応じたエネルギーが必要なのと同じで、お金も人によって適切な量があるのだろう。あとは上手に流すこと。入ってくるエネルギーと出ていくエネルギー。食べたら排泄するのが健康なのと同じで、お金は入ることばかりを考えてしまいがちだけど、上手に出すことも必要なのだ。きっと、稼ぐよりも使うことの方が難しいのではないか。使うといっても、湯水のように使えばいいということではなく、上手にお金を活かすということ。ただ欲望を満たすためだけでなく、自分の成長や、まわりのために使えるということかな。世の中にお金というものがあるのは、ぼくたちが、エネルギーの使い方を学ぶためかもしれない。執着したり、振り回されたりするのではなく、お金は学びの道具として活用しないと。
2025年10月22日
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定時制の非常勤講師を始めて半年になる。後期は月曜日に1年生、金曜日に2年生の、それぞれ2コマを担当している。定時制に来なければならないというのは事情があってのことだろう。経済的な理由で昼間は働いて夜、学校へ行くという、昔ながらの勤労少年もいる。しかし、今は少ないと思う。中学校時代は不登校で、全日制に行けない子。大人数の中では萎縮してしまうので少人数の定時制を選んだ子。勉強は嫌いだけど、親から「高校くらい出てないと」と言われて仕方なく通っている子。とにかく覇気がない。80分ぼんやりと椅子に座っている。いろいろな話をして意識をこちらに向けようとするのだが、乗ってこない。ぼくにも緊張があって、一方的に話しているせいもあるかなと思いつつ、いかに、あいつらを授業で乗せるか、試行錯誤の日々だ。余談ばかりではまずいし、でも、余談の方が、少しだけ乗りはいいし、どうすればいいか、知恵を絞ろう。
2025年10月21日
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ずいぶんご無沙汰しました。ずっとWindows10を使っていて、10月14日にサポートが終了したのでパソコンをネットにつながないようにしていた。昨日、パソコンを新しいのに代えた。パソコンもスマホも、数年で買い換えないといけない。昔の道具は何十年も使えた。我が家のテレビは20年くらい使っているのではないか。何の不具合もない。パソコンもスマホも便利ではあるけれども、金食い虫だし、たくさんの人がすぐに買い換えるようなことが続けば、ゴミも出るだろうし、環境を汚すことにもなる。「足るを知る」を忘れた世界の発明品なんだろうな。便利な社会イコール幸せなのだろうか。この流れは止まらない。自分の生活だけでも、流されないようにしないといけない。簡単ではないが、ぐっと踏ん張ることも必要だ。と言いつつも、スマホを忘れると不安になるし、毒されてしまっているなあ。
2025年10月20日
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ニュートンがリンゴが落ちるのを見て万有引力を発見したという話、作り話だと言われているが、そんなことがあっても不思議ではない人だったのだと思う。日常のありきたりの出来事の中に、大発見の種はあって、天才と言われる人たちは、ふとしたことで種に気がつくんだろうな。法則というのは、ぼくたちが「当たり前」と思っていることだから、そこに「なぜ?」と疑問をもてる慣性こそ、発見の原動力になるのだと思う。あと地球の引力のこと。地球はすごいスピードで自転と公転をしている。その表面で生きているぼくたちは、どうして吹っ飛んでいかないの?引力で引っ張られているからという答えがあるが、だけど、地球の猛烈な動きに負けないほどの引力で引っ張られていたら、歩いたり走ったりジャンプしたりできないのでは。そんな疑問も出てきた。人間が自由に動けるほどの引っ張る力ということだ。強烈な力で引っ張らなくても、地球の表面では、まるで動いてないかのような穏やかで暮らせる。どうしてだろう?空気の層が関係しているという人がいる。空気の層によって、ぼくたちは飛行機の中にいるような状態なのだろうか。昨日の授業では、そんな話をしながら、当たり前だと思っていることが、実は不思議に満ちているというところで終わった。SNSで流れてきたが、1=3分の1×3で間違いない。3分の1を少数にすると、0.333333・・・無限に続く。となると、1=0.333334・・・×3=0.999999・・・となる。なんで1と0.999999・・・がイコールなんだ?これも疑問だ。もうひとつ、1と2の間には数字が無限にある。時間で、12時から12時1分になるには、12時0分1秒と通らないといけない。12時1秒になるには、12時0分0秒1を通らないといけない。と考えると、あんなふうに時計の針が進んでいくのがわからなくなる。数字を超えた、何かの力があるのでは。わからないことだらけだ。次の授業でも、そんなことを話し合ってみよう。
2025年10月11日
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今日は久々に定時制の授業。後期に入ったので、週に二回の出勤となる。今日の授業は「運動の法則」。いわゆる運動の三法則。第一が慣性の法則、第二が力と加速度の法則、第三が作用反作用の法則。高校時代に習った覚えはあるが、説明しろと言われてもよくわからないわけで、教科書やネットでがんばって予習をした。これが意外と面白い。まず、「法則って何だろう?」というところから気になる。よく使う言葉だ。「因果の法則」とか「引き寄せの法則」とか、スピ系の人たちはよく使う。厳密には法則ではないと思う。例外だらけだもの。それはともかく、昔から言われている自然法則は、一定の条件化で必然的に起こることを法則と言うということかな。たとえば万有引力の法則。すべての物体の間には引き合う力が働くということ。ニュートンがリンゴが落ちるのを見て、地球には引力があると発見したのは有名な話。作り話らしいが。運動の法則もニュートンが発見した。すごい人だ。第一法則というのは、止まっている物体は外から力を加えないといつまでも止まっている。動いている物体は放っておくといつまでも動いている。何か、当たり前に思えることだ。しかし、この当たり前のことを深く掘り下げて、すごい発見にしてしまうわけだ。第二も第三もそうだけど、法則というのは、当たり前に起こっていることを言うのではないか。水は高いところから低いところへ流れるとか、寒いと水は氷になるとか、朝になると太陽が東から昇るとか。当たり前だから、みんな疑問に感じない。そういう当たり前の現象に対して、「なぜだろう?」と思える人が、すごいことをやってのける。予習をしているうちに、そんなところに思考がいく。いわゆる進学校ではないし、言っちゃ悪いが、学力も高くない生徒たちばかりなので、こんな話もいいかもしれない。日常的に起こっているさまざまなことに、「なぜ?」と思えると、人生が変わってくる。力学なんて、ぼくにはまったくの素人。得意な話をした方が、生徒たちのためにもなる。そんなことを思いつつ、これから出かける。
2025年10月10日
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「直線に入ったけれどももうヨレヨレで、果たしてゴールできるかどうかわかりません」そんなメッセージがあった。20代のころ、彼とは同じ職場のライター仲間だった。競馬が好きで、何人かでグループを組んで、共同馬主になったりもした。だから、たまにメールがあっても、競馬の話題がほとんどだった。今回も、共同馬主だったころの馬にひ孫がいることがわかったので、それを知らせたときにきた返事だ。彼もぼくより少し若いが、高齢者の仲間だ。競馬で言えば、4コーナーを回って、ゴールに向かって、最後の力を振り絞っているところ。彼は、直線を向いた途端に、足が上がらなくなった。息も絶え絶え。東京競馬場だと、直線コースには長い坂がある。中山競馬場だと急坂。これがきつい。「ついこの間、心筋梗塞で救急搬送されて、今入院中です」とのことだ。坂を上る自信がない様子だ。「俺は余力があるよ」と返したら、「すごいな、うらやましい」と弱気な返事。何歳がゴールなのかわからないし、ゴールは人それぞれで、彼はもうすでに坂を上って、自分のゴールに駆け込もうとしているのかもしれないし、同じ60代後半でも、人によって状況が違うのは当たり前だ。しかし、一緒に働いたり遊んだりしてきた同世代の仲間が、病に伏しているというのは、やっぱりさみしい。心筋梗塞だと、そのままあっちへ行ってしまう危険性もあったが、こちらに踏みとどまったというのは、彼の生命力だろう。全力疾走はしなくていいので、体力に合わせて、もう少し先のゴールを目指してほしい。彼のメールで、改めて最後の直線を思った。レースはいつまでも続くわけではない。直線コースは最高の盛り上がりの舞台。できるだけいいパフォーマンスをしたいと思う。彼の復活も祈りながら。
2025年10月08日
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あまり競馬を見なくなったが(馬券は10年以上買ってない)、凱旋門賞で日本馬が勝つかもしれないと聞くと、興味が戻ってくる。クロワデュノールとビザンチンドリーム、それにアロヒアリイが挑戦した。3頭とも前哨戦のレースを勝っているというから、期待は高まる。ぼくが競馬に夢中になっていたのは、1979年から2010年くらいまで。1985年にはヨーロッパを一人で旅して、イギリスではニューマーケットへ、パリではロンシャン競馬場まで行くくらいだから、相当熱が入っていたわけだ。1980年代、海外遠征する馬はほとんどいなかった。ロンシャンへ行ったときには、ダービー馬のシリウスシンボリが走るのを応援した。シリウスはこのレースをはじめ、14戦走って1回も勝てなかった。翌年には、無敗の三冠馬のシンボリルドルフがアメリカのレースに出たが、6着に終わっている。1981年にジャパンカップという国際レースの第一回目が東京競馬場であった。このころの日本の競馬は「自虐史観」。日本の馬が欧米の一流馬に勝てることは半永久的にないというのがもっぱらの論調だった。実際、最初のジャパンカップでは、日本のトップクラスが欧米の一流とは言えない馬たちに歯が立たなかった。1984年にカツラギエースが逃げ切ったのは驚かされた。1998年には、シーキングザパールとタイキシャトルがヨーロッパのG1レースに勝つという快挙。凱旋門賞でも、1999年にエルコンドルパサーがあわやの2着。ディープインパクトも初勝利の期待を集めた。オルフェーブルの2着も「勝った」と思えるようなレースだった。もう一息というところまできているのだからすごいことだ。ぼくが競馬を見始めてから20年で、日本の馬のレベルは世界でもトップクラスになったのだ。今では、たくさんの馬たちがヨーロッパ、アメリカ、ドバイ、サウジ、香港、オーストラリアの大レースに出て、優勝したり上位に食い込んだりしている。野球でもサッカーでも、「日本はダメだ、遅れている」と言われながら、本場で大活躍しているすごい選手が出てきているわけで、ぼくが若いころは、「日本は欧米と比べて」とか「アメリカはこうなのに日本ではこんなことをしている」と劣等感を植え付けられてきたが、今は世界を舞台にのびのびと活動している人が増えている。人と馬とは違うかもしれないが、日本で生まれて、日本の草を食べて成長し、日本流の調教で鍛えられ、世界に飛び立っていくというのは痛快な物語だ。昨日は、日本の研究者がノーベル医学生理学賞を受賞された。雨が降りそうな曇り空の日本に、ぱっと光が差した感じだ。
2025年10月07日
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ネットニュースではクマ被害の話がずいぶんと流れてくる。今年は急に増えた印象がある。彼らの間には情報網があって、「人間なんか怖くないよ」みたいなことが流されているのではないか。三重県のクマ情報を見ると、鈴鹿市内での目撃情報はない。しかし、山はつながっているし、いつやってくるかわからない。我が家もまわりが山だから、いつ現れても不思議ではない。クマも怖いけれども、もっと怖いのは人間かもしれない。クマによる被害よりも、殺人事件の方がはるかに多いのだから。傷害事件や交通事故を加えたら、比較にならないほどの差になる。なのにクマばかりが騒がれるのはどうしてか?日常からかけ離れているからか。生のクマは動物園でしか見たことがない。それが目の前に現れたら、どんな恐怖か。連続殺人犯がすぐ横にいても、危険な人かどうかわからないもの。クマも人も、凶暴になっているのは原因があるわけで、そこにメスを入れないと解決はしないでしょう。人間は、自然の一部であるにもかかわらず、自然を支配しようとしてきました。自分たちの都合ばかりを考えて動いてきたので、バランスが崩れてしまって、さまざまな弊害が生まれてきたのだと思います。クマの駆除は、緊急避難であり対症療法です。根本的な問題にアプローチしないと、クマばかりではなく、もっとさまざまな問題が起こってくるのではないでしょうか。このままではどんどん深刻化して、危険の多い、住みにくい世の中に加速的に進んでいくと思います。
2025年10月04日
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自民党総裁選。さてどうなるのか?だれがなってもダメや。そんな声も聞こえてくる。安倍さんのあと、菅さん、岸田さん、石破さんと続いたが、ダメやったね。ぼくは、この際、史上最悪の総理大臣が誕生してもいいと思う。それで、やっと国民が目を覚ます。何とかせんといかんと、動き出す。希望的観測かな。そうでもならんと、ホンマ、立ち直れんぞよ。
2025年10月02日
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昨日は巨人のマー君が200勝をあげた。難産だった。ぎりぎり届かないまま引退するのではと心配もした。ぼくは中日ファンで、巨人は嫌いだけれども、昨日のマー君だけは応援した。全盛期のマー君は、すごいなとは思っていたが、ファンではなかった。今の彼を見ていると、1勝の重みを感じる。24勝0敗だったころは、投げれば勝てるという感覚だっただろうが、アメリカから帰ってきたあとは勝ち星が伸びず、去年は0勝、今年もなかなか勝てなかった。ぼくは、野球人生晩年に差し掛かったマー君の方が、深みがあるように見えて好きだな。かつてのように思うような球が投げられなくなっていると思う。肉体が衰えた分、精神力で補わないと。そこに、味わいが生まれてくるのでは。苦労しながら200勝まで到達した。すごいことだと思う。人は、晩年の過ごし方で、その価値が決まるのかもしれないと思ったりする。とにかく、マー君おめでとう!
2025年10月01日
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毎週木曜日、真氣光の中川雅仁会長と1時間ほどのライブ中継(19時30分より)をしている。ヨガの龍村修先生をお迎えしての回。中川会長とぼくたち夫婦がよもやま話をしているだけだが、なかなか中身は濃いと自画自賛している。氣とは何ぞやといった話はしていない。それが知りたかったら、中川会長が一人でお話されている動画を見ればいいわけだから。ぼくは、いわゆるスピリチュアルというと、特殊な能力とか、奇跡を起こすとか、特別な修行とか、聖人君子になるとか、そんな方向に走りがちだが、日常生活ときちんと向きあわないと、いくらインドを放浪しようが、山の中で瞑想しようが、表面的なもので終わってしまうことが多いと思っている。ぼくたち夫婦も、表向きは仲がいいように見えるけれども、順風満帆なわけがなくて、火花が散ったり、口をきかなかったりすることもよくある。そんな中で、自分を見直したり、相手を理解しようとしたりすることによって、少しずつ成長しているわけだ。その底辺にあるのは真氣光から得た考え方だ。だれかが言っていた。「ありがとう」の反対は「当たり前」だと。なるほどと思う。毎日の「当たり前」と思っている生活の中にこそ、「ありがとう」があって、それを見つけるのが修行なのかもしれない。真氣光も、氣とか霊的なものがテーマだから、怪しく思われる節もあるが、基本は毎日の生き方だ。一日30分ほど静かに座って氣を受ける。少しでも「当たり前」を「ありがとう」にする。氣を受けているときや生活の中で気づいたことを大切にして、気づいたことがあれば、できるだけ行動をする。ぼくがやっているのはそれくらいのこと。自分としては、いい感じで時間が流れていく。
2025年09月26日
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ぼくはスポーツを観るのが好きだけど、勝った負けたで一喜一憂するようなファンだ。野球で言えば中日、ほかの競技では日本の代表チームがひいきで、もう勝てないとわかるとテレビのチャンネルをかえてしまう。中日が弱いから、せっかく東海地方に戻ってきたのに、野球中継を観たり聴いたりしない。この時期、優勝を争っていれば、何を置いてもテレビにかじりついていたはずだ。スポーツを観る上で、勝ち負けは重要な要素だ。しかし、それだけではつまらない気もする。せっかく子どものころから好きだったスポーツだ。もう少し深く観ることができたらと、このごろ思ったりしている。YouTubeに、玉木正之さんというスポーツジャーナリストの番組がある。たまに見るのだが、スポーツにはこういう側面があるのだと、いろいろ発見があって面白い。スポーツが権力に利用されたり、利権が絡んでいたり、世界平和の貢献するスポーツの在り方とか。そういう面も踏まえて、スポーツを考えることも大切だと、思えるようになった。玉木さんとは関係ないが、萩原孝一さんという元国連職員で講演家の『頭はおかしいけど氣は確か』という本にも興味深いことが書かれていた。スポーツで世界平和を、という提案だ。日本の技術で、韓国と北朝鮮を仕切る38度線あたりの地雷を撤去する。まずは、スタジアムが建てられる広さをきれいにして、そこでサッカーの試合をする。もちろん「韓国対北朝鮮」だ。これを年に一度でもやれば、両国の関係は変わってくるはずだというわけだ。ファン同士が大げんかする危険性もなきにしもあらずだが、人間の良心を信じたい。そこから両国の友好が始まり、いい形で朝鮮半島が平和になればいい。権力に利用されるばかりではなく、利権まみれでもなく、「平和の祭典」としてのスポーツ。そんなことも考えると、スポーツをもっと面白く観られるかも。
2025年09月25日
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世界陸上でびっくりしたのは、たくさんの選手が日本のアニメの大ファンだったこと。ワンピースだったり、ドラゴンボールだったり。200メートルと400メートルリレーで金メダルをとったノア・ライルズの、スタート前のルフィのポーズ。400メートルリレーでの、選手紹介のときのリレー侍のワンピースのパフォーマンス。日本のアニメがいかに世界に広がっているか、改めて知った。アニメにあこがれて来日したり、日本を好きになる外国人もいっぱいいる。日本人でもそうだ。アニメオタクと呼ばれる人がどれだけいるか。かつては、オタクというのは、ちょっとバカにするようなニュアンスがあったが、今は、アニメを語れない人の方がバカにされてしまう。昔は、「キャプテン翼」を読んでサッカーに夢中になり、スーパースターになった選手が、国内外にたくさんいた。もう、それどころの騒ぎではなくなっているのではないか。ぼくは、世界陸上を見ていて、アニメで世界は変わるのではないか、平和は実現するのではないかと、思うようになった。本当に大切なものは何なのか。繰り返し繰り返し、アニメによって訴えていけば、たくさんの人がそれを見てくれて、次第に人の心は変わっていく。世界陸上では、スポーツとアニメが合体した。そもそもスポーツは平和を訴えるイベントだから、そのことをアニメでも表現する。そういう仕掛けを、だれか考えてほしいものだ。
2025年09月23日
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組織というのは、大きくなればなるほど、不調和が起こってくるようだ。少人数で理想をもって活動を始めても、人が増えると、さまざまな思いが混入し、進む方向にずれが出てきてしまう。時と場合に応じて理想を修正していくのは悪くはないが、目先の損得で議論され始めると黄色信号、赤信号だ。たとえば、独身時代は理想に燃えて生きていた人が、結婚し、子どもが生まれると、生活に追われて、理想が現実に飲み込まれてしまったりする。理想と現実をいかにオーバーラップさせるか。政治もそうだ。もともとは日本を良くするという理想があって、政党を立ち上げたはずだ。小さなうちは、大声で改革を訴える。しかし、大きくなると、雑音が混じってくる。議員を増やして権力をもつ。そんなつまらないことが目的になってしまったりするのだ。自民党の総裁選。さらには総理大臣選び。政治とは何か?初心に帰って、この国を治めてもらいたいものだ。
2025年09月22日
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世界陸上。やり投げの北口榛花選手。残念ながら予選で敗退した。しかし、話を聞けば、右の肘を故障していたらしい。良くはなっているけれども、完治ではないのだろう。今回は予選落ちで良かったと思う。決勝までいって、あと6回も投げていたら、肘はどうなっていたか。スポーツ選手はケガが一番怖い。だれもが、どこか痛いところがあるのだろうが、致命的にならないようにしないと。完治させてほしい。でも、彼女も苦悩は絶えないだろうな。世界陸上でもオリンピックでも金メダルを取って、頂点に上ったのに、まだ世間は期待するわけで、自分自身もそれに答えようとするのが人情というもので、引退するまで安らぎはない。世界的なスーパースターの大谷翔平も井上尚哉も、まだ上っている途中だが、これから5年後、どう坂を下っていくのか。上るのも大変だけど、下るのはもっときついと言われる。ぼくも、70歳と言えば、上り坂とは言えない。「俺はこれから離陸する」と強がりを言っているが、上手に下りて行かないと。とぼとぼと下りるのは嫌だな。胸を張って、下り坂を楽しんでいきたい。北口さんはまだまだ上り坂だから。もうひと花もふた花も咲かせてほしい。
2025年09月20日
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地球に自然治癒力はあるのだろうか?あるとしたら、どう説明すればいいのか?そんなことを考えているところだ。自然治癒力が生命あるものの特質だとしたら、地球に生命があることを説明しないといけない。ぼくは、地球は生命体だと思っているが、それが通じるのは限られた人たちだけだ。地球はでっかい石ころのようなもので、その表面で人間は暮らしていると思っている人はたくさんいる。石ころに生命などない、割れた石ころは自然にはもとに戻らない。自然治癒力などないという認識だ。もっと違う説明をしないと。昨日、帯津先生とお話していてひらめいた。先生のおっしゃる「場」を考えればいい。場のエネルギーの乱れを元に戻そうという力を自然治癒力と言えばいい。人間の体も場である。その場が乱れると、体調が悪くなる。場には、正常な状態に戻そうとする作用があるから、ある程度の病気なら、しばらく休んでいれば元気になる。場が乱れてしまうと、悪いことが次から次へと起こる。今の地球がそうだ。場が乱れ切っている。多少の乱れなら、時間がたてば元に戻ったのだが、今は壊れただるまさん状態で、転んだら転びっぱなしになってしまう危険性がある。元に戻る力=自然治癒力が低下し過ぎてしまっているのだ。さてどうするか?これが大事な話だ。みんなで考えないと。
2025年09月18日
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一昨日は、隣の四日市市が豪雨に見舞われた。四日市の駅前では、膝あたりまでの浸水があって、地下の駐車場が水没してしまったようだ。その前の東京での大雨の被害もびっくりした。去年よりも、自然災害の範囲が広がっているような気がする。規模も大きくなって。これから地球はどうなっていくのだろう。楽観視できないところまできているのではと危惧する。ぼくたちは、何の抵抗もできずに滅びへの道を進んでいくしかないのか。たとえそうであっても、この状況の中でやれることをやろう。たとえば自分が末期がんだとして。余命数ヶ月。今、何をするのか。ひょっとしたら、余命宣告はされていないものの、それと同じような状況に、すべての人類が立たされているのが、今なのかもしれない。治りたい気持ちは大切だから、一生懸命に治療をするのもいいだろうけれども、治療だけの余生というのも空しい気もする。たとえ数ヶ月であっても、自分は生きているわけだ。その貴重な時間を、病院のベッドの上で費やすのか。数ヶ月あればできることがあるのではないか。命を終わりを覚悟して、最後の数ヶ月を、自分で「よくやった」と思えるような日々にできないだろうか。自分なりに抵抗して、どうしようもなくなったら、それはそれで仕方ないとあきらめる。潔さが重要な時代になった。
2025年09月14日
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運動が苦手なぼくが、どうしてラグビーのような激しいスポーツをやったのだろうか。15歳で初めて楕円のボールに触って、高校、大学、社会人、さらには草ラグビー。60歳になって仕上げの一年があった。高校、大学、社会人は、勧誘を断れずに入部して、だらだらと続けたという感じだった。ただ、だらだらではあったけれども、それなりにがんばった。毎夏の8日間の夏合宿は厳しかった。この8日間を無事に乗り切るのが、一番の目標だった。秋に公式戦があって、本当はここが本番なのだが、ぼくの場合は、夏合宿が終われば、あとはおまけだったかもしれない。本末転倒のような気がするが。夏休みに入ると実家に帰ったが、ぼくがやったのは、夏合宿に備えてのトレーニング。実家のすぐ裏に、70メートルほどの坂道がある。ここをダッシュで何本も駆け上る。とにかく8日間走り切れる体力をということで、毎日とは言わないが、2日に1回は坂道ダッシュをやったものだ。縄跳びもやった。ただ、筋力トレーニングは一切やらなかったとにかく、走れるようになりたい一心で、腰から下を鍛えたものだ。ダッシュや縄跳びのおかげだと思うが、大学4年から社会人の1年目、2年目はよく走れた。スピードもついた。試合でもそれなりの活躍ができて、あの数年間が絶頂期だった(あくまでもぼくのレベルだが)。なぜラグビーをやったか。今でもわからないが、それでも、自分の70年を彩る大切な要素となっている。がんばって何かをやった記憶はあまりないけれども、ラグビーだけは、運動が苦手なぼくが、あそこまでよくやったと思えるのだ。50年ぶりに故郷へ帰って、北坂と呼ばれている、あの急な坂道を通るたびに、若かった自分を褒めてあげたくなる。
2025年09月12日
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小学校2年生のときだった。5、6年生から声がかかった。近所の庭へ集まれと言うのだ。面白い上級生たちだった。大雨のあとは、「川へ行くぞ」と連れて行かれた。堰で水がためられている場所がある。雨の影響で、水があふれている。流されたのか、移動してきたのか、堰の真下にはたくさんのザリガニがいた。それをバケツに入れて、上級生の家に持ち帰った。彼らは、大きな鍋に入れて、ザリガニを茹でだした。「おい、お前たち食べろ」下級生が食べさせられた。味は忘れた。しかし、あとから親に話すと怒られた。寄生虫がいるらしく、ザリガニは食用にはならないのだそうだ。幸い、何事もなかったけれども、小学校低学年のぼくたちにとってはスリルのある冒険だった。今度は何かと思っていると、バットとグローブとボールがあって、野球をやると言い出した。ぼくは野球なんてまったく知らない。バットもグローブはもちろん、野球のボール(軟球だった)も触ったこともない。たぶん、ゆっくりと投げたボールを、こつんとバットに当てる。そんな程度の野球だったと思う。グローブでキャッチする練習をしたり。野球チームを作ろうとか、そんな話ではない。上級生のだれかが道具を買ってもらったので、それで遊ぼうというくらいのことだったのだろう。しかし、ぼくには衝撃だった。面白くて仕方なかったのだ。野球にあこがれていたとか、雑誌で野球選手のことを知ったとか、まるでない。野球なんて何も知らなかったのに、その日以来、野球に夢中になったのだ。親に「バットとグローブがほしい」とねだった。父が買ってくれた。うれしかった。毎日、学校から帰ると、バットを振り、グローブをはめて、壁にボールをぶつけていた。テレビも夢中になって見た。新聞も野球の記事だけだが、毎日読むようになった。野球のことを考えると、ワクワクした。何だったのだろう? と思う。ただ、悲しいことに、ぼくには運動神経がなかった。ぼくよりひとつ下の子は、広場で野球をすると、ボカボカとホームランを打つのに、ぼくは、バットに当てるのが精いっぱい。中学校では野球部に入りたかった。しかし、野球部は部活の華で、運動神経のいい奴ばかりが入る。とてもその中に入って野球をやる自信はなかった。あきらめた。実際、小さな中学校だったが、野球部は強くて、同級生の代では三重県大会で優勝し、東海大会まで行ったのだから大したものだ。ぼくの入れるスキなどまるでなかったわけだ。そんなこともあり、もっぱら野球は観戦が中心。実践は、家で壁にボールをぶつけるくらい。それから10年以上がたって、東京へ出てしばらくしてからのことお世話になった編集部に野球チームがあって、そこに誘われた。自信はなかったけれども、やってみたかった。草ラグビーチームを作る前の話。そのチームにはピッチャーがいなかった。メンバーが交代でピッチャーをやるのだが、ストライクが入らないので試合にならないというのが悩みだったのだ。「投げてみてくれる」いきなり言われてびっくりだ。9番ライトが定位置かと思っていたら、ピッチャーというのだからびっくりだ。ぼくが投げると、みんなが喜ぶ。ストライクが入るのだ。ずっと壁に向かって投げていた成果が出たわけだ。ただ、球は遅い。遅いからタイミングととれずに、相手は凡打を繰り返す。「ナメクジ投法」と名付けられた。野球に詳しい奴に言わせると、ぼくの投球は、球離れが遅いのだそうだ。みんなは、頭上から少し下がったところでボールを離す。だから、スピードはあっても、コントロールが悪くなる。ぼくは、水平くらいのところまでボールをもっている。ひょろひょろボールが、スーッとストライクゾーンに飛んでいく。バッターは、待ちきれなくなってバットを振ってしまう。何試合くらいやっただろうか。ぼくはずっとエースだった。きちんと試合を作ったわけだから、チームとしての助かっただろうし、ぼくも楽しく野球ができたわけだ。ユニフォームを着て、マウンドに立って、いい気分だった。これも夢がかなった一つだった。
2025年09月11日
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パシフィックネーションズカップ(PNC)ラグビーという国際試合が行われとくいでている。女子はワールドカップ。PNCは、カナダ、アメリカに連勝した。T1と言われる強豪国には足りないが、その下ではトップクラスというのが日本の立ち位置だ。ラグビーを見るのは楽しみで、Jスポーツを契約している。「お父さん良かったね。ラグビーをやっていて。年取ってもラグビーを見て楽しめるもの」長女が日本代表を応援するぼくを見て言う。その通りだな。中3のときに、牧野先生というずんぐりむっくりの教員が転任してきた。理科の先生だったが、とにかく変わり者。授業は脱線ばかり。試験も〇〇について書けという問題で、どんなことを書いても点数をもらえる。彼が高校、大学とラグビーをやっていて、赴任先でラグビー部を作るのが楽しみだったようで、我が中学にもラグビー部ができた。当時、彼のいる中学校にしかラグビー部はないわけで、我が中学も県下唯一のラグビー部のある学校で、中日新聞にも紹介されたことがある。なぜか、ぼくも入部した。中3だから、ほんの数ヶ月。運動などまるでできず、体育祭で急に欠席した奴の代役で200メートル走に出されたことがあったが、当然、ビリだった。なんで入ったのだろうか。とにかく、以来、ぼくにはラグビーがついて回る。高校に入ってまでやる気はなかった。しかし、中学校でやっていたというつまらない理由で、しつこく勧誘され、仕方なく入った。練習も試合も嫌だったけど、人数が足りないから出ざるを得ない。ミスをしては怒られ、逃げ出したかったが、気の弱いぼくには辞めるなんてことはできなかった。高3のときはキャプテン。キャプテンというとかっこいいけれども、部員がいない、というより、幽霊部員ばかりだったのだから、比較的まじめに練習していたぼくが選ばれただけのこと。当時、県内には16チームがあった。うちが勝てる学校が2つあった(部ができたばかりの学校とルールも知らず暴れるだけが目的で集まったチーム)。県大会初戦でで運よくその2チームと当たれば、見事にベスト8ということになる。だいたい、うちを含め、下位のチームはスパイクもはいていない。体育の授業のようなもの。そんなぼくが、大学でラグビー部に入ることになる。最初にできた友だちがラグビー部だった。彼が高校時代すごい選手だったと先輩に言いふらしたものだから、気の弱いぼくは断れずに入ってしまう。人数がいないので試合に出ないといけない。ため息ばかりのラグビー部生活。卒業して就職したら、どこからぼくがラグビー部だったという情報が伝わったのか、またまたしつこく勧誘されラグビー部に。でも、ぼくみたいにどんくさい人間でも、大学時代にけっこう鍛えられのか、そこそこできるようになっていたのは不思議だ。だけど、へたっぴから脱することはできない。2年か3年で会社を辞めた。ここでラグビーとは縁が切れたと思っていた。そしたら、27歳のときに東京へ出て、何人かの仕事仲間と飲んでいたら、隣の席でラグビーの話題で盛り上がっている一団がいた。女の子たちと一緒にワイワイ騒いでいるうらやましいグループだった。確か、東京外国語大学のラグビー部だったと思う。そしたら、仕事仲間の一人が、「ぼく、ラグビー好きなんですよ」と言い出した。そして、こちらもラグビーの話に。もう一人の仲間が「やろう!」と大きな声を出した。「何を?」「ラグビーチームを作ろう」こんなことから草ラグビーチーム「グリーングラス」ができたのだ。言い出した連中は、いつの間にかいなくなり、ぼくがすべてを仕切ることになった。プレーもやったけれども、チームのマネジメントはエキサイティングだった。初めてラグビーが面白いと感じた。東京に出て来ている大学時代の先輩に相談したり、飲み屋で知り合った人に片っ端から、「ラグビーやりませんか」と声をかけたり、スムーズにメンバーが集まってきた。飲み屋の一件から半年くらいで初試合をしたくらいだったから、すごい展開だった。ドラマがいっぱいあった。10年くらいマネジメントをやった。右ひざを骨折して、もうラグビーをプレーするのはやめた。やっとやめられた。30歳過ぎだった。そのあと、ぼくはライターとして最盛期を迎える(あくまでのぼくのライター生活の中でだが)。もうラグビーとは観戦だけの時期が過ぎた60歳のころ。何と高校生になった三女がラグビー部のマネージャーになった。試合を見に行ったりしているうち、お父さんチームに誘われ、少しだけならと入部した。何試合か、10分くらいだったが試合に出た。体は動かないが、おっと思えるようなプレーが出たりした。いい気分だった。これでラグビーをやるのはおしまい。納得できた。こう振り返ると、ラグビーとの縁は深い。いつやめても不思議ではない中で、仕方なく続けることになって、今も、観戦を楽しみにしている。長女が言うように、嫌々だったけれども、やっていて良かった。好きとか嫌いとか、得意とか苦手とか、できれば好きなこと、得意なことをやった方がいいかもしれないが、ぼくのように、好きでもなく、得意でもないことを、仕方なく続けていると、それが楽しみになることもあるわけだ。
2025年09月10日
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何年前だっただろうか。リアカーで豆腐を売っている菅谷晃子(アコのありが豆腐)さんにインタビューしたことがあった。一人暮らしのお年寄りを訪ねて、彼らの話し相手になったり、相談に乗ったり、ときには相談をしたり、不便があれば何とか解決してあげようと走り回ったり、ただの豆腐屋さんではない。彼女とはFacebookでのつながりしかないが、何とも言えなほっとする投稿に出あうことがある。この間は、お年寄りの財布は小銭でいっぱいという話が出ていた。どうして小銭ばかりがたまってしまうのか。お年寄りは買い物のとき現金で支払う。ぼくも現金派で、カードはあまり使う気になれないし、ペイペイは使えない。セルフレジも居心地が悪い。この間も3千円くらいの買い物をしたとき、勇気を出してセルフレジを使った。1万円札を入れたのだが、慣れないことなので緊張していたのか、お釣りをとりそこねて大損した。そんなこともあって、有人のレジに並ぶことになるが、財布の中から10円玉、1円玉を探し出していると、後ろに並んでいる人が気になる。レジの人もイライラしながら待っているのではと、余計な気を使ってしまって、小銭があるにもかかわらず、千円札を出してしまう。自ずとお釣りがたまってしまうわけだ。何年か前なら、貯金箱に小銭を貯めておいて、銀行へ行けば機械で数えてくれてくれた。しかし、今は手数料をとられる。そんなわけで、小銭ばかりが貯まるのだ。お財布が小銭でぱんぱんのお年寄りが買い物をしてくれたとき、アコちゃんは、「ゆっくりでいいよ」と小銭を数えるのを待ってくれるそうだ。ほんとにゆとりがなくなった。便利なのか不便なのか。人と人とのゆったりした、温かなかかわりがあった方がいいな。合理性や生産性ばかりが優先されて、人と人との間を冷たい風がピューピュー吹き抜ける。アコちゃんみたいな人が、もっともっと増えるといいね。
2025年09月06日
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三重県の明日は大雨とのこと。ずっと暑い晴天で、畑もカラカラ。雨はありがたいのだが、限度がある。今日は秋田や新潟あたりでは大変な雨だったそうだ。今晩は関東甲信越。洪水が起こるような雨は困る。改めて人間というのは勝手なものだと思う。暑い、寒い、また雨だ、たまには雨が降ってほしい、そんなことばかり言っている。一年中、文句ばかり。疲れた、首が痛い、腰が痛い、肩がこる、眠れない、食欲がない。体調でも文句。おカネがない、税金が高い、物価が高い、忙しい。文句だらけの生活。夫の稼ぎが悪い、妻が冷たい、子どもがぐれた、近所がうるさい。そんな文句もある。どんな状況だったら幸せなのか。書き上げてみるといい。言い出したらキリがないと思う。どうなんだ。今のままじゃいけないのかい?いいこともいっぱいあるよ。偉くなって金持ちになっても、いいとは限らない。明日は雨だと聞いて、ホッとしている自分がいる。大雨にはなってくれるなと思いつつも、ゆっくりできそうな気分に、緊張感が緩む。雨なら雨でやることはあるのだが。
2025年09月03日
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我が家のまわりでは、米の収穫が終わって、ほっとひと息という状態だろうか。しかし、秋野菜が心配になってきた。雨が降らない。畑が砂漠のようになっている。それに気温が高い。ニュースでも流れていたが、キャベツが全滅している農家も多いとか。米騒動の次は野菜不足か。食糧の問題は、これからますます深刻になってきそうだ。これだけ異常な天候が続くと、田舎なら大丈夫ということはなくなってくる。畑で野菜が育たないのだからどうしようもない。我が家のヤブでは、栗の実が大きくなってきている。今年は豊作のようだ。近くの畑では柿の実が順調に育ってきている。柿も豊作のようだ。野草や木の実を取って食べるということにもなりかねない。田舎ではそれが可能だが、都会は厳しいぞ。そう危惧するぼくも、畑にウネを作ろうと思いつつ、この暑さに動けないでいる。裏の畑にサツマイモを植えてあるだけだ。朝夕は少しは涼しくなったので、畑仕事、そろそろ始めないと。
2025年09月02日
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我が家は3人の娘がいるが、長女と三女は中学時代、不登校だった。中一の夏休みが終わったころから、長女が学校を休みがちになった。ぼくは家で仕事をしていることが多かった。妻は働きに出ていた。「今日は学校へ行かせてよ」妻がそう言って出かけて行く。行かせてよと言われても、本人が行かなければどうしようもない。だいたい、朝、なかなか起きてこないのでお越しに行くと、お腹が痛いとうなっている。仕方ないと休ませる。昼ごろに長女は起きてくる。朝の苦痛に歪んだ顔はもうない。ケロッとしてパソコンの前に座ってゲームをしている。親としては腹が立つ。なんだこいつ。仮病だったのか。「明日は行けよ」「うん、わかった。絶対に行く」翌日はしぶしぶ出かけて行く。しかし、翌々日には腹痛になる。そんな繰り返しだった。学校へ行く朝は、窓から長女が出かけて行くのを見ていた。近所の友だち3人と一緒に歩いて行った。長女は3人から少し遅れて、とぼとぼ歩いていく。いかにも嫌そうなオーラに包まれている。その姿を見て、このままでいいのだろうかと、ぼくに迷いが生じた。だけど、「行かなくていい」とはなかなか言えるものではない。2学期は行ったり行かなかったりだったが、ある朝、学校を休んだ長女が泣きながらぼくの部屋に入ってきた。手には英語の辞書をもっている。「これ、見て」長女から辞書を手渡された。辞書の外箱にセロテープがぐるぐる巻きになっていた。「どうしたの?」「切られたの」カッターで真っ二つに切られていたと言うのだ。ほかにも、色鉛筆を隠されたり、筆箱の中にボンドが流し込まれたり、ひどいことをされていたと、泣きながら話してくれた。このことを妻に話すと、妻は激怒して、校長室に乗り込んだ。ぼくはなだめ役で付いて行ったが、にやにやしながら話す校長に、さすがのぼくもあきれてしまった。「この学校ではよくあるんです」「いじめは対象は次々と変わります。少しの間がまんしていればいじめられなくなります」「学校へ来たら、荷物を職員室に預けてください。そうすれば物をとられたりしなくなりますから」いじめを何とかしようという意思は感じられなかった。いじめられた子どもや親を思いやる気持ちはまるでなかった。とんでもない学校だったのだ。「もう学校へ行かなくていい」妻は長女に言った。ぼくも同感だった。何年かたって、ぼくたちが引っ越したあと、その地域の学校で大きな問題があり、新聞で大きく報道された。その記事には、地域のトップである教育長の名前が出ていたが、あの無責任な発言をした当時の校長だったのを覚えている。
2025年09月01日
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夏休みもそろそろ終わる。工業高校の定時制の非常勤講師をやって初めての夏休みだった。週に一回の勤務だったので、夏休みだからどうのということはない。ぼくの生活の中で、定時制の非常勤講師というのは、ついでという位置づけでしかないのだろう。フリーで仕事をしていて、さらには田舎にこもってヤギの世話がメインとなると、曜日を意識することがあまりなくて、どうしてもダラダラ過ごしてしまう。今日が何曜日かわからなくなることもよくあった。しかし、水曜日には仕事の締め切りがあって、木曜日はライブ配信の日、金曜日には学校と、曜日でスケジュールが決まってきて、けっこうメリハリが出てきた。土日は体を休める日にしたりして、体調管理にもいい。考えてみれば、大学を卒業してサラリーマンを2年、アルバイト1年、再就職して3年のあと、東京でフリーライターになった。最初のころは週刊誌の仕事だったので、決まったリズムがあった。しかし、月刊誌や単行本の仕事が増えてからは、スケジュール管理が難しくなった。締め切りが近づいてからあわてることの繰り返し。ダラダラ、ぐずぐず、行き当たりばったり。ほめられた生活ではなかったが、けっこう心地よかった。思い返せば、子どものころから、そんな調子だった。サラリーマン生活が続かなかったのがよくわかる。9月5日からまた学校へ通う生活が始まる。10月からは後期が始まり、週に2回になる。もっと楽しませてもらおう。
2025年08月31日
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