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パンデイロのレッスンはまぢめに通っている。昨日が二回目。聞こえていた音が鳴らせる音になる過程。お、そーだったのかぁと合点がいく部分多し。で、忘れないうちに、とパンデイロと同伴出勤。軽いのでありがたい。特に満員電車。台風一過の夕方、皇居周辺を彷徨い「ここ」って場所を決めた。狭い公園なのに何度も人がきてはさっと服を脱いで短パン姿に変身しあっというまに走り去っていく。なんのことはない、皇居周辺のジョガーおじさんたちなのだが。走りこんでるいい脚したひとも多い。グループでわやわややる人、一人でスジ伸ばしてる人。ひとしきり走っては公園の水のみ場で「ごえぇっ」と口を漱いでいく。別に聞きたくもないだろうが、ここで覚えたばかりの手つきでドバシャカと叩いてみる。まんづ昨日のおさらい。手首の動き。続けていくうちに耳と手が理解していく。「そうだったのかぁ。」決してアタマでしているのではなく。こういう過程は楽しくかつ久しぶり。いいねぇ。ごく数秒、うまくできた(ように聞こえる)瞬間があったりすると欲が出る。いいもんです。狭い公園にはなんでかゴキブリ(でかい)とホームレスのおじさん(ここに寝泊りしてる)とジョガーのおっさん連。皆それぞれ自分のことに専念しているのがいい。ジョガーのおやじたちは出入りするけど、ホームレスのおじさんはずっと聞いてるんだなぁ、わたしの音。言語以外で学習するてのは気持ちがいい。ピアノもそうかな、と思うがちょっと違うかな。あれって楽譜にあるものをいっぺんほどいて頭の中に編みなおす、そういう作業があるからね。「いい感じ」の瞬間を手と耳で保存して持続可能にすること、が今の作業。サンバ楽器とマラソンは似ている。そういった人もいる。そうなると、「ごえぇ」とタンはいてるおやじとわたしはある意味同胞である。そうか、だからこの公園に集まってしまうんだな。よくわからんが、発見の日々を送っております。
Sep 30, 2004
わたしの住む町の隣の市はでっかい。陣馬山だの高尾山なんてのまでそこに入っている。相棒を伴い陣馬街道を走っておでかけ。あっちこっちの民家、玄関先で赤いネットに入れた栗を売ってる。ねだんもまちまち。道でいがを踏みながら拾ってる人も見かける。次の季節はたべものを通してやってくるもんなのね。JAがやってるお店で栗だの生しいたけ、梨なんかを買い梨はその場でむいて食べる。橋の下の渓流にはリス。しっぽ太し。NYのよりは小ぶり。知らない道をとりあえず地図だけみながら出口と行き先だけ見て走る。一台分しか通らない道路にも出会い、運転手のモラルを時々試していく。もっとも無免許のわたくし、隣で「うぉ!きた!でっかいの!」などと叫んでいるだけなんだが。すれ違う車のナンバーが相模、山梨。多摩・八王子に会わなくなってくる。ご近所のドライヴなのに遠くに来たなって気分になってくる瞬間。道祖神にお地蔵さんに小さな社。昔から山越えのルートだったのだろう。いろんなものに出会う。天気はずっとさえないままだけど、暑けりゃあついで違う言葉も出よう。山のスズメバチはまだお元気。甘柿の落ちたのなんかをついばんでて、う、怖い。この時期こわいのはムジナ(笑)じゃなくてハチなのだった。山に来るといつも「人間なんてどーせかよわいもんだわ」と思えるからねー。冬山だけではなくて。
Sep 25, 2004
pandeiroのレッスンに通うことにした。まだまだ無駄なフォームでやってんなぁと思うのと、この楽器くらい「へたくそだとたのしくない」ものもナイなと感じているからだ。きょうは初日。我流ながらも長時間たたけるようになってるので、えんえんと同じテンポで続けるのはわりと平気。ふふふ、どうなることやら。初回が終わってみて思うのは、このところ「できること」だけに囲まれて生活してたんだなってこと。これはよくない。予定調和ってやつよ。できないことやこれでいいって惰性でやってたことを変更していくことができないとねー。できるようになって「やったー!」これがなくちゃ。つーわけで、しかし。筋肉痛がこないといいのだが。
Sep 22, 2004
吉祥寺「よみた屋」にて400円。う~む、大学時代の演習で読んだっきりだったのだが。今よむほうが楽しめるね。きっと当時より、今のほうがたくさん「鬼」をみてきてるから。出てくるのは「首だけ食い残され」たり「手足だけ食い残され」たりする女の死体。そして鬼の姿はそこにない。食いあとが「鬼」なのだ。ここによく登場する在原業平っていう兄さん、ここ100年ちかくの最近だったら放浪のブルースマンだぜ。わが身を「えうなきもの」=「用無きもの」として「あはれ」と「歌詠み」に生き東へ「下った」・・・「えうなきもの」worthless,だからこそ「鬼」との遭遇率も高まり、また見なくてもよいものを見てしまってたに違いない。そんでもって「夜這いに失敗して切ない」だとか「あちこちに見張りがいてお会いできず悲しい」だの「足ずりをして泣けどもかひなし」などといろいろな言葉を残している。政略・謀略・あらゆる組織のはかりごとに背を向けつづけた(といわれる)姿勢は結果的にはかりごとに血道をあげたものどもよりもよっぽど現代に通じてるのだ。カッコイッす!それこそがある種の「鬼」であろうぞ。きっと業平兄ぃは現代でも立派に生きていけるだろう。よっぽど百鬼夜行の現世だしさ。ひょっとすると今、どっかの駅前やガード下で、スライドギターにょわわわわんと鳴らしつつ小銭稼いでるかもしれぬ。百鬼夜行の中央線。ヒッピーもコミューンもああいう宗教も古本もいまだ健在。
Sep 21, 2004
「火曜日のサウンドストリート」。このフレーズだけで「あぁ」っていろいろ思い出す人けっこういるんだろうな。どっちかっていうと、耳の記憶。実は結構、長い間このことについて忘れていたのでした。(なにせ「こうこうせい」だったしさ。当時。)で、ちょっと思い出したのでしゃべっておきます。うーん。1983年だったっけ?(あいまいだなぁ。)火曜日のサウンド・ストリート、坂本龍一さんがDJしていた。新しいテーマ曲ができて、タイトルを募集してたのね。で、すごーく好きな草野心平さんの詩「冬眠から出てきた蛙」の詩の一部(いや全部だな)から「両眼微笑。」とつけさせてもらったのでした。いや、つけたっていってもわたしは「ただそうハガキに書いて渋谷区・神南・NHKに送った」だけ。選んでつけたのは坂本龍一さん。(うーむ、確かこの時期は「こうこうせい」かつ「じゅけんせい」であったような気がしたのだが・・・まあ、どうせ好きな教科しかがんばんなかったから・・・・こんなことばっかしてたのでした。)放送されるまえに突然自宅に小包が届いたのでした。事務用クラフト封筒(角4!)に何か小さな箱が入ってて、NHKとか何とか書いてある。「何か、懸賞に応募したんだっけ・・・?」バリバリ封を破るとMIKIMOTOって書いた箱が出てきた。シルバーで「∞」っぽい形、そこに真珠がくっついてるペンダント。裏に小さく「NHK」って刻印がついてる。でも、しばらくなんでそれがわたしあてに届いたのかわからなかった。何もおてがみがついてなかったし。(最近したことといえば・・・?え、ひょっとして。でもいまいち何のことやら・・)ヒカリモノよりリキテックスのアクリル絵の具や100色入りパステルが欲しいこうこうせいは、こういうモノにいまいちピンとこなくって。細い鎖をぐるんぐるんと指で振り回しながら考えた。翌日、学校に件の箱を持っていく。「こんなの届いてさぁ。」「火曜のサン・スト」を聞いているおともだちは他にもけっこういたのだ。「え、あんた、ひょっとして!」「・・かもしれないんだけど、なんだかわかんないのよー」「まぁ、火曜になればわかるじゃん」そんなこんなで翌週、火曜日の夜。一応レコーダー、まわしたりして。(笑)母までわけわからず一緒に聞いていた。(爆笑)「なぁによ、もっとはっきりしゃべればいいのにねぇ」「・・・だからァ、こういう声のひとなんだってば・・・(なんであたしがフォローしてんのさ・・)」で、だいぶたってから「両眼微笑、これにします。」例のぼそぼそ声がそう言った。うわぁ。りょうがんびしょう、だって!(どう喜んでいいか、わからないな。)できごとの取り扱いに困ったので、わたしのピアノ師匠に報告。楽器を通して就学前からつきあってる人だ。ある意味、誰よりもわたしに詳しいと思う。彼女は坂本龍一さんと高校時代に「となりのクラス」の人だったのだ。卒業アルバムの「坂本くん」の顔なんか見せてもらうと、こういうこともすごく普通に自分の延長として解釈できたりして。(実は大学受験寸前までバリバリのクラシック・ピアノをやってたのでした。)数年後、「両眼微笑。」は「デモテープ・1」としてアナログLPとしてレコードやさんに並ぶ商品になった。これも結構、びっくり、っていうかうれしいというか。大学の卒論は、もちろん。「草野心平のオノマトペ」いろんなことへの感謝とオマージュいっしょくたにして。何日もどてらを着っぱなしでバリバリ書いた。暖房すると寝てしまうので、寒い部屋で書く。脱稿後の気分はもちろん、「冬眠から出てきた蛙」でしょ。CD発売されたことなんかも、ぜーんぜん知らないから。そのころには「両眼微笑。」したこともすっかり忘れてたし。中古CDやさんで見つけたのでした。神保町JANIS!「あー、試験勉強の逃避行動がこんな形になってるよ!」なんだかおかしな気分。このとき、すでに2001年。どこでナニがどういう形で変換されていくのか、まったくわからんもんです。だからって、これで何があったって、そうねぇ。となりの人よりちょっと「ムフフ」って思い出してうれしい気分になる回数が多い、くらいのもんじゃない?たぶん、一回とか二回くらい。!Gracias a la vida!ついでに言えば、未知数の人々とこういうことばを共有できたんだなっていう。それを想うと、さらに「ムフフ」って気分ですね。
Sep 14, 2004
週末から二日酔い:累積夏バテ=6:4くらいの体調だったもんで寝ること、ねること!いや、「おきらんない」というほうが正確かもしれぬ。目が覚めないのよぉ。このままさめないのはまずいでしょう、いくらなんでも!ゲロゲロに辛い、体内の胃液まで排除したくなるような(事実でござる)二日酔いに、どーしてなるのよ!水飲んでも徹底排除ですもんね。あぁ、すてきな金曜日・・♪こうなったからって、あんまり「反省」とかっていう思考にはいかないのがいいのかわるいのか、大体反省て「もうしません!ごめんなさい」って省みなければいけないのよね。当方、そんなヨユーなし。こんこんと眠るか頭痛の芯みたいのを意識しながら無視して天井を見るのみ。脳内のあせとあるでひどがネガティブな思考を生むのだろうかねー、ロクなこと考えられないし。ベルギービール2本と大ジョッキいくつだっけ・・・・覚えてましぇん。ベルギーがやばかったのかしらん。ただ、今回のヤバ酔い感覚はちょっと違ったな。嘔吐感5:妙な不安感(終電近いのに乗り過ごしそうとかいう)5くらい通常なんだけど今回のは「ひたすら眠い」感8:嘔吐感2くらい。ともかく、ねむいのよー。なんでしょうね。大体、キモチワルくても覚醒してるのに。いっかん、このままでは中央線で寝ゲロではないか。(寝ゲロで窒息死だけは避けたいものだ。)嘔吐感2割のうち0.5くらいでちゃんと不安を感じるのであった。(なぁんかきょうのはビロウなお話ねー、めしどきのひとはすまんっす)思い切り眠ってついに何も口にすることなく夜になる。空腹を感じたら、復活したって解釈しているので。そうなるのを待ってみたけど来ないのよぉ。水分も摂らないから排出もせず。夜中12時。ほえぇ、さすがになんか腹に入れなきゃ。残りもんのおにぎりとゆでとうもろこし。(すっかり収穫すそびれたような、思い切りできすぎた、歯でバリバリやって食うような出来のトウキビがわたし好みなの。昨今流行のヤタラやわらかいのは駄目ですな!)空腹感様が光臨してるわけではないが、このままではまずいでしょう。かよーなRoundaboutmidnightにとーきび食って寝なおせるんだから体調は戻ってきている。しかし、また寝る。また朝になる。ちょっと食べ物のことを考えてもいやにならなくなった。(ゆうべのは何なんだって・・)思い浮かぶのはやっぱりフェジョアーダ、あれさえ食えば治る気がする。そういえば1Kgくらいの大缶を買っておいたんだった・・でもでかすぎだわ・・・ほんとに今食えるかしらん・・・結局、食わずにすごす。それでも懲りずに外出。相棒を巻き込み、いとしの「あんず村」まで遠征。(いやー、いつもいつもどぉもっす。)駅までの道、下り坂歩くのに力が入らない。そりゃそーでしょう、食ってないもの。頭からひじあたりまでしか充電できていないかんじ。水分も足りない。何とかそれらしく食べ、ついでに近所のお菓子屋さんまでハシゴ。もっと体調万全のときにリターンマッチしたいものだ。でもね。サイテーな体調でも本は欠かさない。・「流人の島」八丈島の歴史と民俗についての本。300円。・「パリ左岸のピアノ工房」某大手書店にて不本意ながら定価で購入。これはもっと元気なときに読了したい。そうでないともったいない。・「アマゾン音楽漂流記」のなか悟空著、情報センター出版局・・・これは楽しかったすよぉ。いっきに寝床にて読了。これについてはいつか詳しくしゃべりたいもんです。・「女の町フチタン-メキシコの母系制社会」V.ベンホルト・トムゼン編 藤原書店・・出だしがちょっとつらいかな。ま、それでも面白い。先週買ったFABLIC FOLIOのメキシコ編に近い場所の話。・「現代民話考」松谷みよ子他編 これの「戦争」テーマのに入った。太平洋戦争当時、戦地で語られた怪談にうわさに実話。その他。美化されない「ふつうのへいたい」の声。酔った帰りの電車では、さすがに読めなかった・・・いや、10ページほどがんばったが・・・これも寝床で読む。偉そうな上官にわざとノミの手入れをせずに馬を用意してやって、痒がって暴れる馬から落馬するのを見て笑うとか、まあ楽しい話もあるのよ。はい。本って読みすぎても吐き気もよおしたりしないから、いいっすね。
Sep 13, 2004
だらだら書いてやっとカウンターがひとけた上がったみたい。最初からずっとネットカヘでずっと更新してるって、・・・知らないわよねぇ、言ってるわけじゃないんだし。でも、そうなのよ。込み入ったことをしないのは、そのせいでもあります。限られた時間の中で、必要なことを(いや言いたいことを)ささっとその場で書いてしまう、そういう瞬発力がほしくってこうしているのでした。はい。はじめっから言ってるとおり「文章の筋トレ」。まだまだ、続きます。こまめにいらしてくださるかた、ゆきずりのかたも、みなさんありがと。
Sep 12, 2004
国内の織物てのはどのくらい残存するんだろう。うだうだ考えつつ、またまた昼休みの神保町。「上海朝市」にフられたので「ムイト・ボン」ヘ。んんん、今日は当たりなり。pollo asadoのでっかいの+arroz branco com carioquinha(いすぱにや語圏ではflijoles coloradoって言ってると思う豆)、linguica,(つづりに自信なし)・・などなどのあとにarroz com leche,カフェヂーニョで締め。ポリョ・アサド、なんのことはない鶏足のグリル(アサドじゃなくてトスターダか?ポルツゥグェスでは何ていうのだろう)なんだが焼き加減があいかわらずぜつみょー。鶏味がしっかり身の中にしまいこまれていて、火力がいかほどのものかがしのばれる。食材の仕入れ、いや持ってくる人もブラジゥの人だそうで、鶏の大きさがかなーりマチマチ、選択基準がゆるやかなんだそうだ。皿からはみ出しそうなやつあり、内径以下のかわいいのあり。ま、工業製品じゃないんだからそれでいいのよね。今日の足も皿からはみ出してる。このメニュウ、キューバ人も落涙必至なはずだ。で、食後路上に出たら台風のおまけ雨。どんどんひどくなる。古書センター一階店頭で雨宿りついでに物色。で、ひときわ手の込んだ表紙の本が。「民芸案内」伊東安兵衛著(この字でいいのか・・)芳賀書店刊、1979年。これが500円。ネット古書店では色んな年代(何度か再販されたらしい)のものが1500円~2500円くらいで値つけされてる。わたしがうろうろと考えていた答えがここにあった。迷わずお持ち帰り。所持金が80円になったけど、かまうものか。銀行、混雑にて引出しできず。ちらっと読んだらもう戻れない。わが意を得たり的文言も多数。うれしい。「けら」と「ばんどり」と「雪沓」その他もろもろの世界。「紙布」と「紙子」!楮でつくる布。そんなんあったんだ!はい、興奮しております。あいやしばらく。ちょっと、いってきますんで。
Sep 7, 2004
”FABLIC FOLIOS”大英博物館ファブリック・コレクションTEXTILES FROM・・のシリーズ。*アフリカの絹 /Chris Spring & Julie Hudson*メキシコの織 /Chloe Sayer*グアテマラの織 /Ann Hechtインドとパキスタンの刺繍 /Sheila Paine*アフリカの染色 /John Gillow中国ミャオ族の織 /Gina Corrigan(*しるしは今回わたくしお買い上げの巻。)それぞれ衣服になったものはその着用法、端っこのディテイル、刺繍のアップまで「あ、ここ見たい」って部分がちゃんと出てくる。布好きの目線で作られてるし、それぞれの著者も「ここをお見せしたい!」って部分が「見たい人」と共通してるんじゃないかな。どれもこれも大英博物館の民族誌部門のコレクションなんだそうだ。んまぁ、こんなものまで強奪(笑)してきたんかい、大英帝国は。と呆れもするがその熱意も評価したほうが、いいのかな。装丁もこれでもか!な柄がばんばん出てきます。持っていてうれしい。あ、しかもこの本は神保町「日本特価書籍」で680円でした・・・。昨年出た本です。もとは2800円。布好きなら、走れ、急げ。デザインエクスチェンジ株式会社刊。http://www.dex.ne.jpこれを眺めていて、こないだうちに来てたFairTradeカタログのことを思い出した。博物館にしまわれるんじゃなくって街に出てあるく時にぶらさげる袋やらなんやらにこの手の「仕事」が施されている例も、いくつか。こういうあっちこっちの細々と続く(すたれつつあるかもしれない)手仕事を維持すべく、生産者が大量生産の波に飲み込まれないように、継続的にお仕事を依頼し続けていくっていう趣旨の運動でもある。こういうことにお金を払っていくことも、ある意味投資じゃないかと思っている。あらゆる差別的要素・難民援助・南北問題というのに加えて。あ、えらそうだなぁ。でも、こういう問題に向かう人々(たまたま”今回”はわたしはそういうことからハズれて生きてるだけだ)に対するただの消費者なだけ、なんだけど。わたし。ただ、日本国内にだってたくさん「織」の仕事ってあるんだよね。後継者がいなくなりそうな「仕事」だってあるかもしれない。有名無名問わず。どうしても、南北問題etc.的観点をポイントにすると日本の「仕事」が「救済」とつながらないのかもしれない。でも、国内もそろそろ、こういう保護や維持の方法を考えたほうがいいんじゃないのかね。そうでないと、博物館でしか会えないものになっちゃうもん。「もの」は手にとってくったくたになるまで使われてこそ本望じゃないかと。
Sep 6, 2004
ん、もおおおおぉうどうにかなっちゃいそうに忙しかったのよ。ほんとは、実生活っつうか仕事上。ここでは、移動ばっかしてるみたいになってますが。ちゃんと働いてんのさ。嗚呼。なもんで長期休暇計画なんて、そんな気分じゃ立てられませんで。そろそろやるぞーと思い立ち、チケット価格を調べ歩いたりしてるとこ。なんだか便利になっちゃって。キューバの通販もそうだけど、ホテルもとれるんだよね。こういうの、実際に行くまでの準備が楽しい。ほとんどPCあればなんでも手配できるよのなかになってしまいましたもん。というわけで、そんなことやってるのでした。たとえ2年ぶりにいつもの通りを歩いたとしても、まるで昨日も居たみたいに「HOLA!」と声かけてくれる人々がいる町。トーキョーで覚醒してる次元以外でもわたしは同時に生きてるんだなっと思える瞬間。ひょっとするとわたしは同時に存在するのかもしれんと錯覚する。セントロ・ハバナで飯かっ食らってる自分とばったり出会ってしまうのではないか、とか。今回は10日くらいは居られそう。いや、そのつもりよ。
Sep 1, 2004
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