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けっこうな雨降りなんだがきょうはいつもの国分寺・とうほぐイタリアンへ食べに行く。駅までのバス、休日の昼間だから本数なし。でぇい、歩いて行くぞ。駅までの途中、区画整理とかで曳き家の作業中だったり壊していたり。時々寄ってた酒屋さんに閉店30%引きの文字が。えっここもなわけ!あわてて店に入る。まんず目についたのは八丈島の芋・麦焼酎「島流し」。すごい名前だ。とりあえずこれを、と決めてお店のおばちゃんに渡すと「焼酎、お好きですか」と。「ええ・・・その、粕取り焼酎をさがしてまして」(ナイだろうな、というニュアンスで言っている)「え、それなら・・・ありますよ、これ。かなり変わった味だけど」といって案内された棚には粉緑色の陶器の瓶が。紹興酒の粕取り焼酎、「湖水晶」。「それがねぇ、面白そうだってウチで取り扱ってみたらこれがなかなかクセのある味で」「え、オッケイですよ。私設粕取り研究会(?)のひとたちはもうタダモノではがまんできなくなってますし。山形の”樽平”の粕取りが好きなくらいだからきっと美味しいんじゃないかな」と飲む前から勝手に決め付けてしまう。大体、うるち米の粕取りだからそうそうヘンなわけないのだ。あとは好みの問題で。「そういってくれるなら・・・試してもらえるかしら」といわけで、これ一本(湖水晶25度)と「島流し」はお持ち帰り決定。まだまだ、物色。あれ、これなに。「蔵の素」?料理酒なんだそう。食材の味を引き出してしまう16度の日本酒。うわ、どんなんだろ。これも一緒に連れていく。相棒と国分寺で会い、喰いに行くまえに大久保新大久保へおでかけ。またまた、上海蟹を以前買った店で今度は太刀魚を。なんと4本500円。もってけ!ってやつ。さすがにこれを黙って持ち込むのは気が引ける。事前に連絡。太刀魚はいきなりレモンバターソースのムニエルになり、それからあともう一品作ってもらう。ひとり一本食べたことになる。三枚におろした間にチーズをはさんでつなぎにして、粉と卵とパン粉をかけてオリーブオイルでさっと焼く。ああ、うまうま。実の薄い魚だから、いろいろプラスしていくのね。さて、件の「蔵の素」。いきなり試飲してみる。黄色いお酒。ちょっとすすっただけでもものすごい奥味がある。なんじゃこりゃぁ。これを魚だの煮物に使ったら、そりゃナニカ起こりそう。これはうちで試してみよっと。「湖水晶」、こっちもここでは好評(でよかった。)かなりにおいのする酒だから、濃い目の味のものとやるのがいいみたい。少しおいたら味が変わったように感じるのは気のせいかな。本日のおまかせメニュウ:アンティパストじゃがいものサラダ メロのトマト煮 きのこのマリネ 根菜のラタトゥイユ風(さつまいもだ!) etc.太刀魚のムニエル レモンバターソーススップリ ア・ラ・テレフォーネ!アンチョビのピザ太刀魚のパン粉焼きポロネギ+ベーコンのパスタ香茸のリゾットベリーのタルト+コーヒー、シェフのお兄さんちのりんごこれだけ食べればもう、倒れそう。ふう。でもって、この料理のあいだに紹興酒粕取りと会津の辛口の日本酒がいったりきたり、していたのだった。おすすめの黒板には上海蟹のペンネがあがっていた。お、上海蟹採用されたのかしらん。むふふ。今度またたのんでみよっと。
Oct 31, 2004
むあったく、始まるまえから激しい現場も目撃しちゃったし。もう。岩波書店のビルヂングの間に設営された古本バーゲン会場の前をきのう歩いたら。机を並べ終わって、その上に本を並べはじめていて・・ほんの一部の机に並べ始められた本のまえに(幅150cmほどか?)すでに2.3人の人が寄ってきて抜いている。オイオイ、それって「ご内覧?」ま、並べるほうもべつに売れてくれればいいわけで。なんだかすごい勢いがいつもの通りに押し寄せてる。物欲とか知識欲とかいう、まぁ所有欲の引き出しに入ってるやつね。そういうのをふだんから人並み以上に抱えてる人がたくさん「それ」をしょってくるもんだから・・・もう、日々淡々と均一生活してる身には胸焼けしそうであります。どんどん買っていってね。わたしは「まつり」終わってからまた返り咲くことにしましょ。ふぅ。で、なぜ人はそれほどまでに書物を・・・え、自分に訊けって。こたえはおのれの中ですわね。「神田神保町・古本まつりへ!ご内覧日含む6泊7日パック・ツアー。 お買い上げになった本はまとめてご自宅へ。宅配便サービスつき。お昼は毎回神保町名物中華料理・インド料理含むカレー・ロシア料理の名店で。ご希望のかたには「いもや」もOK。ランチタイムの混雑時でもご予約席をご用意(地元ではたらく人々のド顰蹙企画!オラオラ、のんびり喰ってんじゃねえよとドツく者続出か) ご希望のかたには早稲田古書店街への送迎つきオプショナル・ツアーも」こんな企画が・・・・いや、成立しないか。同好の士どうしが同じ本を取り合う場面続出かもしれないな・・・。あとで同じ宿でけんかになるかもしれないし。古書店めぐりは孤独がいちばん。ほっといてくれ、探さないでくれ、すべて早いもの勝ち。で、この時期は買わないなんつっといてきょうの本。「紙と共に生きて」ダード・ハンター/樋口邦夫訳 図書出版社刊 ビブリオフィル叢書「琥珀 永遠のタイムカプセル」 アンドリュー・ロス/城田安幸訳 文一総合出版 1800円+税「月刊 秋田人」創刊号 特集 きりたんぽにまつわるエトセトラ 500円どれも週末の友になりそうなものばかり。琥珀はとてもすきなので、この本はどーしても読みたくて。思えば旅先で琥珀を売ってるとこが多いのだった。バルト海のまわりやメキシコだの。古代生物についての本でもあり、鑑定の本でもある。テーマがひとつだけというわけではないので、この本はどこの棚に置いたらいいのか書店員ならちと戸惑うことでしょう。ま、でっかい書店できっちりジャンルが分けられてるとこなら心配ないんでしょうが・・。さて「秋田人」。まっすぐな雑誌ですね。作ってる人々のきまじめさがとってもよく出ている。紙面にただよふ郷土愛もたいへんなものだ。でも、「非秋田人」もスタッフに加えるともっと風通しがよくなるかもね。もっとね、ガハハって笑い飛ばすとこがあってもいいというか。(ただ、この一途なきまじめさがよいところなのかも、しれないな。)なんとなく”内陸の人々”っぽい雰囲気がある。個人的にはもくじページに今年の正月明けに能代の「べらぼう」で食べた「赤紫蘇まんま」の図があったのでうれしい。やっぱり秋田を発信するならま~んづ「んまい食い物」で攻めるのがいちばんでないだろうか。だって、秋田以外で喰えないものって多いんだもん。まだ奥深いことまで首も口もつっこんでないわたくしなんぞ「赤紫蘇まんま」だけでも「おぅ!」と反応して買ってしまうのでした。でもって、創刊号なんだそうで。500円。われらが中南米マガジンとおなじおねだんではないか。しかも月刊だ。応援の意味もこめてお買い上げだ~。最初から月刊でいがすか?と人事ながらも心配になる。(しかし立派な広告があちこちにあるのだった。)このまま濃い記事を続けて読ませてほしいと思う。けっぱれ!ついでに濃い情報には地図がほしいなぁ。というわけで、誰にたのまれたわけでもないが秋田ファンのわたしとしてはもっと売れていいと思うのでした。神保町「書肆アクセス」で売ってます。残部僅少。だって、わたしが買ってしまったし・・・。市販のガイドブックなんざつまらねぇって人にはおすすめです。琥珀の本はもうじろじろ眺めて楽しんでいる。岩手の久慈に行きたくなった。きょうはインフルエンザ予防接種も受けてしまったし・・。体内流感ごっこが始まった。うぅ、熱がでてきてだるい。もうねます。まんづ。
Oct 29, 2004
うーん。昼から雨だと、神保町の均一特価箱はビニールがけされたまんまだ。つまんないの。かといってこういう日はよけいに中まで入ろうって思わないのだ。古本祭りのやぐらは日に日に完成に近づいている。通り全体が暖色系の色で飾られ、いやがうえにも購買欲をそそるのであった。3冊100円のものでも購買欲によるものには違いないだろう。きっと古本まつりのためにすでにスタンバってる人たちって各地にいるんだろうな。お持ち帰り用のキャスターの具合みたり、はきやすい靴をちょっとそろえたりしてさ。いくらネットでものが手に入る時代になったからって、偶然の出会いまで用意されているわけじゃない。そういうのは回線がつながらない部分にころがっている。しかもころがっているのは「自分のなか」だもんね。さて、そんなんで雨。これから売る気まんまんの岩波側から、いつもどおりの淡々とした向かい側に移動。八百屋さんと米屋さんなんかが並んでる、間口の広くない建物が並ぶ場所。店の前には山口ベニーサイクル(配達用)、ホンダのスーパーカブ、(これも配達用でしょう)その隣には真っ赤なDUCATIがでーんと居る。威風堂々、壮観。これが並列にひとしく存在し調和しているとこがここらへんの良さなんだぜ。赤いタンクの色がトタンの色とビミョーなコントラストを生む。特価本以外にも目がたのしくなるものはたくさんある。帰り道は天然酵母パン「HEARTBEAT」のチョコクリームコロネをみっつ。外にはみだしそうなクリームと、生地の香ばしさがたまらんのであった。これを職場の冷蔵庫に入れておいて帰りに持ってかえる。コーヒーいれるのがたのしみになる味。
Oct 26, 2004
第四日曜日におこなわれる神社の骨董市へ行った。気温40度の7月に行って以来かもしれない。さすがにいい気候だし、店も多いし。お客さんのほうは・・気温40度でも20度でもおんなじだなぁ。ま、本気のひとたちは朝8時くらいに来てしまうんだろう。わたしはおっとり刀であるから13時。帆前掛けは人気がでてきたみたい。今回の発見は東京の地名いり。練炭、米、味噌、しょうゆ、酒なんかの店のが多いしだいたい地方の地名が入ってる。それが主流だなって思ってた。それが今回は。品川に神田!神田のは二枚あったからお買い占め。佃煮と煮豆をつくってる店のだって。さて、なんにして遊ぼうかな。「お客」=「じぶん」「職人」=「じぶん」のブランド「DECCI」製おかいものバッグができる予定。DECCI?え、「丁稚」ですってば。前掛けするったら丁稚です。はい。登録商標(笑)それから笑える一枚。酒の漉し袋はいつでも骨董市のにんきもの。それがね。「未使用」の漉し袋の真っ白のがあった。500円ていうから400円にしてもらった。これこそ「使用後」にこそ価値がでるもんだもんねぇ。束で買ったもののなかに混じっていたんだって。もうひとつ。いつもこの市に出してる、ちいさなものばかり扱っているひとがいる。今回もいた。だいたい「ふぅん」てかんじでお金を払うまではいかないんだが。小さく仕切ったはこのなかにいた山さんごの彫り物の柴犬と目が合ってしまった。手に取るとなおかわいらしい。前足を組んで腹ばいになっている。あかいしっぽがくるっとまいていて純日本産のイヌらしい。「あぁ、それと目があっちゃいましたか。」「ええ、手に取ったらもう・・」「安くしますよ」「うーん、それならかんがえます」で、・・・結局言い値の半分ちかくで手を打つ。上着のポケットに小さな赤いいぬを入れて神社を出た。長さは60mmくらい。よく削られ磨かれているらしく、手触りもつるっとして。あるきながら時々とりだしてみる。立派な龍だの、でなくって「ふつうのいぬ」を山さんごでわざわざこしらえた人がいたっていうことがなんとなくうれしいのだ。心残りは一点。河童、たぬき、ろくろっ首の姉さん、唐傘おばけ、などの古典的なおばけがひとつずつ書かれた豆皿。たぶん揃いで売るのだろう。載せられたものを食べ進むとおばけが出てくるってのがなんだか楽しい。日本のおばけさんは、こういう場所に登場してもなんとなく許せるのだ。
Oct 25, 2004
昨日の帰り、中央線が事故で遅れかかった。下りにのってるのでモロに影響するわけではないが、折り返し電車が滞るためにどこでとまってしまうかわからない。そこで流れた車内アナウンス。「この電車はさきほどの事故の影響でこの先止まってしまう可能性がありますが、行けるところまでは進んでまいります」おい、どう解釈したものか。「いけるところまではいく」とは「いけないところにはいけない」ということなのね。(でもそれは事故のせい。わたしたちのせいじゃないんだけど不可抗力なのよ。わたくしの一存では動けないの。でもいけるだけはいってみる。でもでも、もしもあなたの目的の駅まで行けなくてもわたしたちにアタらないで~。)そういっているのだろう。組織の人間の悲哀をかんじる一文だ。それにしても、うまくやつあたりの的の軸をずらしているものだのぅ。過去の度重なる事故によりこういう言い回しが発明されてしまったのだ。今まで何人の駅員さんが怒った客に胸ぐらつかまれたことだろう。でも、わたしはさいごのフレーズがすきだ。「いけるところまでは進んでまいります」一応あきらめてないのだというかんじがいい。先行き不透明、視界3mの道にだって「前」はある。どっちみち「後ろ」も視界3mなのだから「前」にいったほうがいい。と、自分にいってみるのだ。本日の特価(いや、きょうは店内で買ってしまった)本。「オババコアック」ベルナルド・アチャーガ著、中央公論社OBABAKOAK/Bernardo Atxaga,1988スペイン、バスクの作家の小説。タイトルはバスク語。ちょっと読み始めただけでも不思議な語り口。南米文学の「ああいう感じ」とはまた違う、けれどどこかでその記憶がちょっと入ってるなっていう。通勤中に読むにはちと重い。でもウチに帰ると枕元には柳田國男大先生の「山の人生」が待っている。これもいいです。鬼、天狗、貉、狸、おさき狐、河童、山女に山男、神隠しにあう人々。この文庫のオールスターキャストっす。
Oct 22, 2004
あまりの低気圧とついでにちょっと扁桃腺炎の気配がしたので昨日は仕事休み。ついに低気圧負けかぁ。いや、無理してもいいことなさそな日でしたので。TVをつけると「オイ、いいのか!?」というようなLIVE映像が各地から流れてくる。10年ほど前のキューバで見たTV映像もこんなんだった。自然災害、事故、etcあらゆる天災人災の映像(しかも北米のばっか)を新旧取り混ぜえんえんと市民のごはん時間に流していた。しかもその時間、「停電」「停ガス」「断水」が順繰りにあってごはん時間なのにごはんにならない。だもんでお昼にいれたコーヒー甘くしてちびちびやりつつこれを鑑賞することになる。ハバナから出て行った友人の姉宅で、彼女とその夫と3人でロッキングチェアで足をぶらぶらさせながらながめた。あれはなんとも不思議な時間であった。1994年。「特別な期間」とか呼ばれたのだったか。ホテルに滞在するわたくしどもも、朝は「めだまやき一個」だった。前の年はゆでたまごもって行き放題だったのに。席に座ると奥の厨房から制服を着たムラータのおばちゃんがめだまやきひとつうやうやしく運んでくる。「あのぅ、おかわりはありますか」「ないわよ。一人にひとつだけなの」寂しそうにしかも毅然ときっぱりとおばちゃんは答えた。市民ひとり、一週間に卵ひとつ当たったかどうかっていう時期だったのだから仕方ない。こちらも大事に、大事におはしで少しずつ食べた。あとになって、この年にいたんだよ。という話をキューバから留学してる女の子にした。「え、あの時期に、観光!!よくきたわねぇ!!」それからあの「特別な期間」の話で盛り上がり、いっきに距離が縮まる思いがした。それがヘヴィであればあるほどなおのこと。空気はあいかわらず蒸し暑いのに、街にたたずむ人は冷え冷えしていた。友人たちは脂っ気が抜けてやつれていたのに、ガスが使える時間になるとごはんをふるまってくれた。食後に一緒に食べた硬いパイナップルはそれでもとても甘かった。道で涼んでる中学生に水飲みたいよぅっていうとうちに連れてってくれて、そこんちのオカアちゃんが冷蔵庫の水をコップいっぱい飲ませてくれた。何人かの人にドルショップでの買い物をたのまれ、帰りに郵便を託された。明らかにたくさん食べてて脂っ気もある外国人のわたしにも、同じようにふるまってくれる人々。(あんたなら2.3日食わなくても大丈夫じゃないのっていわれりゃハハそーですねって答えるほかないだろう、なのに。)もちろん、彼らができないことはわたしが手伝う。このとき「観光」よりもいいものを持って帰ったと思う。いくつか。(リゾートを期待する人なら、ひでー目に遭ったよっていうかなぁ。)閑話休題。オイ、いいのか!は日本の出来事である。現在の。低気圧でまいっちゃってぇなんて布団に入ってるわたしは安全圏にいるのだった。何か申し訳ない気持ちがする。自然現象の前には人なんてまことにかよわいものだ。こういう気候が続くと「んもー」ってな気分にもなりがちだが、天候が人に合わせてるのではなく、人が何とか順応しているだけなんだっていう思いに達する。本を読む根性が出なかったので考え事ばかり。来月「帰郷」するキューバの空気やらセントロの商店街で知り合いにばったり会う瞬間なんかを思う。そこらに落ちてる果物の皮のずるっとしたのとか、犬の糞とか。
Oct 21, 2004
このごろエンジンのついた乗り物で移動して遊んでいた。といっても、わたしは旅券と保険証以外の身分証明書がないやつなんで相棒の運転をあてにしている。そんなわけで、ここのところ脚が萎え気味なんじゃない?と脚での移動を提案してみた。そこで選んだのが「盆堀林道」。八王子から西東京バスで陣馬坂下行きにのり急行でゆられること約40分。関場で下車、そっからひたすら歩く。目指すのは友人のやってる五日市のギャラリーだ。バスを降りたらいきなり息白く。ジャケツのジッパーを思い切り首まで上げて体温を保持。「きっとここが自販機最後の場所かも」と思い思いの一缶を選ぶ。なんとなく、これから未知の林道に入るせいもありいつもは買わない「甘い味」のする缶ものを買ってしまう。民家があるところでは挨拶を欠かさない。たまに人に出会ってもおんなじ。奥に行けばいくほど、なつかしい感じのつくりの日本家屋に出会うようになる。ガラスの入った木の格子窓。縁側。しっくいは土の壁。しばらく歩くとそれも途絶え、里からは完全に離れた。あとはひたすら渓流の音だけ。上を見れば杉林、しかもかなりの傾斜にかろうじて道がつくられているから見上げるとこれから上る道がすぐ見える。きっついコーナーの連続。ま、徒歩だから、きょうは。気温と傾斜に慣れはじめたころに「500m」の表示。以後500mごとにこれが現れ、われわれを励ましたり落ち込ませたりする。疲れると「まだこんだけかよぉ」でありそうれなければ「もうここまできたか!」と小躍りする。げんきんなもんね。数字ひとつにこれだけ反応してしまうのは、この道になんの表示や情報がないからなのだ。渓流の音だけが断続的に続き、時折「くずれたて!」「おちたて!」ってな感じの土砂崩れのあとのむき出しの雑木林の根っこや岩石を見ると「ここって、ホントに人こないんじゃ・・」とちょっと寂しく、かつワクワクしてくるのだった。時々あるものといえば獣の糞。それからあけびの実の食べかす。中身だけしっかり食って皮だけ放り投げてある。野ぶどうはていねいにもがれた跡の枝が散乱。これは人間の仕事かしらん。栗も小さい実を除いてしっかりとられており、熊が先か人が先かという世界のよう。そのうち、岩間から滲みだした水が道路を覆っている場所に出る。先の見えない山道。不安だがたのしい。わたしの場合、先行き不透明なことに不安よりも楽しみが先行してしまう性質のようだ。向こうがわからおじさん一人降りてくる。あいさつしてすれちがう。どっから来たのか、って地図を見ればやっぱり五日市方面からなのであろう。よく歩いてきたねぇ。時々お茶の時間にする。甘い缶コーヒーがおいしいなんて。相当やばい。選べないって時にはいいことなんだな。糖分とってまた歩く。まだ先が見えない。途中。軽自動車が二台通り越していく。「入山トンネル」をくぐる。このへんから五日市側なのかな。さっきとは違う雰囲気になってきた。咲いてる花が多いなとか、(まだアジサイが咲いてる)地層の色が変わったなとかいうことなんだけど。杉林の整備のしかたもなんだか違う。またまたそこらへんの水を味見したりしながら行く。獣の糞はまだ続く。誰なんだろうこれ。だんだん見上げる山がなくなってきた。そろそろここでの頂上に近いみたい。下りの舗装された道路と、まったくの山道と、車の通る幅あるが未舗装で通行禁止の道路。三つ出てきた。刈寄山と盆堀林道。うーんどっちなんだろうといっていると山の向こうからコンガの音がする。いったい、誰が。未舗装の林道をいっても目的地にはつくけれど、初めての道だから舗装してあるほうを選ぶ。この地点からは下り坂。それだけでも楽になる。ジャムベっぽいリズムにコンガの音。これが山々に響いて、ちょっと面白い。こんなふうにきこえるのか。コンガの音の源は案外近いとこであった。さっき追い越していった軽自動車のひとり。「いいですねぇ、山じゅうに響きわたってますよ!」「ここにくるの久しぶりなんですよ、天気やっとよくなりましたからね」「リズムがジャムベっぽいのにコンガだったから・・いや、山道でどっちなんだろって思ってたんです」「これね、最近人からもらって。ジャムベはけっこう長いんですけどね、コンガは最近レッスン受け始めたんです。」「え、あの、ひょっとしてK駅にあるあそこですか」「え、そうですよ。」「わたし、パンデイロのクラスにいってるんで・・」「ぼくは半年くらい、通ってるんです。ジャムベは独学でやってたから、コンガはちゃんとやろうって」「あぁ、わたしもそんな動機ですね。やっぱり、ちゃんとできないと楽しくないやって」「練習、したいですよねぇ・・先週もいきなりいい天気だったでしょう。うーん、今日なら山で思いっきりたたけるのにって思いながら職場の窓から空眺めてましたよ」「ほんと、そういう日に限ってパンデイロ家に置いてきてて、くやしかったりして」(おいおい、いきなり山でタイコ談義になってしまったよ。しかも彼はけっこう久しぶりにここに来たんだとか。わたしなんぞ、初めてですぜ)と、しばらくおしゃべりしてからお別れする。あー、ぜんぜん人に会わないとこだなんていってたらずいぶん濃い出会いは用意されてたりして。なんだか、笑えてきちゃう。休日にあえて思わず盆堀林道に来てしまうことと、コンガやパンデイロを志すのはどっかで通低しているかもしれぬ。アッハッハ。そんなやこんなで、なんだか面白い道になってきた。渓流はさらに太く深くなり、水の音も大きくなる。見覚えのある採石場(以前五日市側からきたことがある)が見えた。もうここからは手探りで歩く気分ではなくなり。途中「山神社」急な階段を発見。とても小さな、でもきれいにつくられたお堂(なぜか中で正座するくらいの奥行きがある)を見つけたのでおまいり。この道がいつからあるのかはわからないが、山の神さまにはアイサツしていかねば。お神酒と米、塩が白いお皿に丁寧に盛られている。酒と塩って「結界」をつくるものだったなぁ。おかげさまで無事先行き不安な大散歩もなんとかゴールできそうよ。このあと、人里に入るのだけど、あちこちに「天正」「明和」「文化」年号の石碑がある。そのころからあったってことは、山神社の歴史は推して知るべし、ってことなのね。川沿いにユズの実が黄色く色付きはじめている。ひとつもいでみようとしたらいきなりとげが。身についた枝にとげが生えてるのねー、びっくりした。しかもとる時ぜったい力が入りそうな箇所。かんきつ類も頭つかってるのね。しかし、痛ぁ。用意のよい相棒(えらいっす・・こういうときはホント)にばんそうこうをもらって巻き巻き歩く。そんなこんなして、目的地へ。「歩いてきたってぇ!」ひととおりの話をして、アンダルシア風パエリャをほおばる。サングリアもつけてもらった。歩いたあとの軽いアルコール。ああ、うまうま。きょうは寒いので、暖炉に火を入れてしまったのだそう。確かに、昼間のさなかから火がありがたい気温。緊張をほどいて、しばし昼ねしてまた下山。駅までまた数キロ、楽しい移動。ここちよい疲れとおやつ。久しぶりに真っ赤な夕日をみた。
Oct 16, 2004
連休はしっかり、風邪でおこもりしてたりまたもや文字通りの五里霧中なる奥多摩~国道139号(38だっけ)から小菅村~・・・で水をくんだりきのこ(なめこ)を買ったり。大月で買った「黒玉」って和菓子がおいしくって発見でしたね。まだこちらでは熊出没の話は出てきてない。このまま冬へ突入してもらいたいもんだわ。で、休み明け。三日のブランクを経て特価本の棚あるき復帰。まんず「梅崎春生」。ちくま文庫。こんな気の抜けた戦後派の作家がいたのか!というだけで稀有な人。ものによっては相当につらい内容なのに話のどこかに通気孔があいていて、すっと読んでしまう。それからとても視覚的な文章を書く人ね。そのまま誰か、映画にしてもいいくらい。しかし話に出てくる飯のうまくなさそうなこと。映画で飯をうまくなさそうに描くという点ではアキ・カウリスマキといい勝負でしょう。ああ、アキが梅崎氏の作品を映画化したらどうなるんだろう。解説で中野翠氏も「アキに近いものを感じる」というような指摘をされている。銅なんかなぁと思って読んだらなるほど、ってわけ。松村書店の前を通る。ビアズレー風の絵のついた看板は横に取り外され、中は真っ暗。ところどころコンクリートが破壊され、入り口から人間の足二人分、地下足袋がにゅっと出ている。奥は真っ暗だし、一瞬テロかと思ったよ。まわりには何の変化のない静かなテロ。時々、目に入る映像と判断がばらばらになることがあって(不注意ともいう)解体中っていう場所に意識が到達しなかったりする。頭の中で勝手にキャプションつけているだけなんだな。そう、ここの風景とって横に一行添えたらテロだと思う人もいるだろうな。だとしたら、毎日すげぇとこにいるわけで、わたし。大好きな松村書店、おじさんは「パタリロ!」に出てきそうなキャラクターの人でひそかにわたし、ファンだったのよ。これから息子さんが解体中の場所から徒歩15秒の場所で新しい松村書店をやる。またまた楽しみ。応援したい。
Oct 13, 2004
気温はともかく、湿度の変化が激しいのは苦手みたい。すぐに耳鼻咽喉まわりに影響が出る。おまけに職場の近所ででっかいビルヂングを壊してる最中で、そこらの木造家屋よかホコリっぽい。で、鼻とのどがぐずってきた。季節の変わり目だしなぁ。三連休を控えて、この状態は看過できぬ。こういうときどうするか。やばいな、と午前中に感じたらお昼は薬膳カレー屋になる。「じねんじょ」神保町店。ここで「風邪ひき用を」と頼めばいつものメニュウにちょこっとアレンジ加えて出してくれるのだった。実はきわめて簡単、カレーの上にしょうがの細かく刻んだのと紅花を散らすだけ。でも、けっこう効果あるのだ。今年の冬あたりにぐじゅぐじゅさせて食べに行ったら何にも言わないでこの「風邪ひき用」にしてくれた。それ以来、ちょっとキテルかなと思ったらお願いしている。食べて道端に出たあとに汗すごくかく。えっ、というくらい。このまま九段まで歩いてたら汗はひいてからだの中だけぬくぬくする。汗かきながらお金を払うと、店の兄さんはちょっとうれしそうなのだった。お、効いてるねって感じで。薬膳っていうメニュウの性質上、というのもあるがお客さんの体調を何となく気にしておられる。(ここまで歩いてがっつり完食してるんだから、大丈夫よ。)体調不安なときにも駆け込めるひるめし処を確保しておくのもワザのうち、だぜ。
Oct 7, 2004
暑いかな、というくらいのいいお天気。早稲田の穴八幡でやってる古本市へ。赤い手すりの階段を上りきると、すでにおなじみのうつむき姿勢で皆それぞれ何かと出会うべく格闘しているのだった。この姿勢は中古レコード屋と同じだね。ま、レコードの場合は「ドスドスと見る(cf.ラズウェル細木のコレクターもの漫画。)」わけで、そこだけが違う。皆人の見てる棚が空くまで横でネバってるのとか、何を取り出すのか表紙を見てしまうのはおんなじ(笑)。なんだかんだいって、4冊お買い上げ。京の手仕事についての本、ラテンアメリカ文学についての本(これはバブル期の刊行。装丁、豪華)に住居学の本。それから昭和40年代のマーガレット・コミックス「カリブの女海賊」(!)。なんなんだ、こりゃあ。初めて出会いました。(なにせりぼん派だったもので・・・)物心ついてないころに出たものだから知る由もなく。これらを買いつつ、お会計テントの裏でお仕事していた古書現世の二代目氏とあれこれ話す。お天気でよかったね。今回は何も購入しなかった相棒とともに早稲田から大久保まで歩き。この地域まできたら必ず寄る「日光食品」。おう、丸ごとのドリアンがむき出しでおいてある。この地区らしいたたずまい。漢方のお茶とか、台湾&タイ製の化粧品など所望。実はどの品もリピート買いなのだった。時々、見たことないものが入荷されていて、また試したくなる。ここからさらに新大久保方面へ。今度は中華系食品店へ。(「日光」も中華系といえばそうなんだけど、東南アジア全般で活躍する華僑ネットワークからの仕入れ品を扱っているみたい。タイにマレーシア、インドネシアなんかのもの多し。)こっちの中華系の店はまたちょっと趣向が違う。どうもこの通りにチェーン店いくつかあるらしい。コリアン街に進出中、のよう。品揃えも横浜中華街的な観光っぽいのではない。在日華人の実用向け。うむ、たくましいことだ。この通りに昔からあるであろうおせんべい屋さんやおすし屋さん、トンカツやさんなんかの前を通ると「おっ、日本のお店だ!」と却って「発見」してしまう感覚に陥る。どちらも力があるから、並列にしても違和感ないのだった。店に入ったとき、ちょうど兄さんがスチロールの箱を前に出したとこだった。見たらば上海蟹じゃないの。一匹ずつ白と緑の斑のヒモで十字にくくられている。時折ちょっとほどけたのが暴れてる。おお、活きがいいみたいよ。動けないのも目玉出たり引っ込んだり。「これ買って行かない?」相棒が言い出す。「うーん、どんだけ食えるかわかんないけど」いってみようか。実はこの先、いつもの「とうほぐイタリアン」に行くつもりでいるのだ。店のアンちゃん、袋だけよこしてあとはすきなの選んでくれって言う。甲羅の大きくて、持つと重いかな?と思われるのを三匹。二匹はわれわれに、一匹はシェフのまかないの飯用に。このところあっちこっちの奥多摩やなんかで入手したサケも持込みつつ店へ。行くなりシェフに袋の中身を見せる。「んー、この量ならパスタだね。ペンネを使おうか」かくしてあきる野の酒「千代鶴」の生おろしと粕取り焼酎25度つきの晩飯となる。ほどかれた蟹はけっこう暴れる、まことに活きがよい。そのおかげでとてもいいソースになった。腕の肉が甘い!ありがたいありがたい。その他もあいかわらずの腕前。散歩と古本とイタリアン(最近やや赤提灯化しているのだが・・)の週末。予定通り、予想以上なのであった。これもまわりによいメンバーあっての結果っす。感謝、多謝!
Oct 2, 2004
職場の近所にある「きんび」、東京国立近代美術館へRINPA展みにいった。新聞やさんが券くれてたのを思い出し。金曜は20時閉館、で余裕じゃんなんて気をゆるめてたらあにはからんや!信号待ちで溜まってる人々、いったいどこまで行くのかと思ったらみな同じとこ。入場制限までしている。こんなことで無事見ることができるのだろうか。入場制限「ハイ、ここまで」って列を切られる経験といえばハバナのアイスクリーム・パーラー「コッペリア」以来ではないか。制限しようがどうせ中はいっぱいなのだ。で、何とか入場して人だかりを見学。風神&雷神の詳細を見ることができた。あいかわらず、楽しそうに飛んでる二人。金箔貼ったのが模様みたいに見えるのね。これ以降も金箔・銀箔を何度も見ることになる。時代を経てなお風神&雷神のモチーフな何度となく登場する。作家を変え技法を変えて。いろんな解釈で弾き継がれるバッハやモォツァルトの曲を想う。(作曲者はどんなプレイをしたのだろうか)おんがくの場合、音源として保存されてるのはせいぜいここ100年くらいのもんだが、絵画の場合はそれがある限り誰もが見ることができる。こういう「物質」として残る表現のメリットもあるんだねぇ。ついでに面白いのが「金箔」のsampling。近代になってから欧州のギュスターヴ・クリムトが絵の隅に四角い金の柄を書き入れている。とーぜん「琳派」からの影響、なんだろうけどこれが金箔の柄だって、意識してたのかしらん。違う物質でもって形のみを採用する、こういうことも後におんがくの分野でも行われてるもんね。クリムトの金箔柄見て、俵屋宗達は尾形光琳は何て言うかな。時間があったので常設展の部屋にも行く。なんたってここで会いたいのが「村山知義」と「土田麦遷」。10代のころから時々見に来てたけど、久しぶり。でも、あいかわらず。どぉ元気って友達に会いに来たみたいに絵を見る。それもアリだと思う。(村山知義!10代後半、わたくしのアイドルだったしさぁ。ブーベンコップ、おかっぱ頭で前衛舞踏する伯林帰りの男。)ここでちゃんと初めて見たのがLeonard Foujitaの「アッツ島玉砕」。ショックでしたねー。秋田市の美術館にあるみたいな愛らしいのをずっと見てたから。阿鼻叫喚のきちんとした地獄絵が確かな腕で描かれている。恐ろしいけど離れることできず。これからも、時々来ようっと。常設なら小銭で見ることができるし。職場から徒歩10分なのに、どうして思い出さなかったんだろう。さいきんは好きな町でさえいつまで形を成しているのかわからないものになった、でもまだ「かわらないでいるもの」はここにあったんだっけと気づくことができた。よかった、よかった。
Oct 1, 2004
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