”旅” って・・・・・・・ロマンか?
花と月をこよなく愛した平安末期に西行法師という人がいた。
旅を住みかとして旅に病んだ松尾芭蕉もいる。
漂泊の俳人、種田山頭火は貧窮の旅で没した。
”自分を見つける旅” に行くといって定住しないサッカー選手もいる。
ブログ仲間で、”旅” をテーマにしている方があちこちにおられる。
”旅” とは自分の属性からの一時的逃亡ではないのか? という人がいる。
芭蕉の ”旅に病む” という標題は自分の属性の引力圏から逸脱することが
どんなに心細いことかということの象徴と言う。
「旅情」 なるものは目的を持たない 「あてどない旅」 に尽きるとしたら、旅に
病みそこで朽ち果てる運命に甘んじる覚悟こそ、究極の旅の美学としている。
日常の自分の所属するフレームから脱出して新しい世界を彷徨する。 何か
新しい出会い、可能性、伝奇(ロマン)を求めて出立する。 旅はロマンの同義語
と言ってもいい。
今どき適当な費用をフトコロに目的もなくふらっと電車に飛び乗れる人がいたと
したら、それは幸せな人だろう。 ”片雲の風に誘われて” あてどない旅に出れ
る人は変人でロマンティストと言うべきだろうか。
見たことのない風景とか、聞き慣れない言葉、風俗、習慣さらに珍しい食べ物に
出会いびっくりしたりわくわくしたり・・・・・今までの時間と違う流れに戸惑いながら
その中に身を浸しているその嬉しさと感動はどうだ。
西行も芭蕉も山頭火も自然を愛で、出会いに感動し、ロマンにわくわくしながら
筆をすすめたことであろう。
旅に没するという美学はこの現代には通じ難いと思うがいかがなものか?

冬ざれの大阪千里
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