1

『24』シーズン6の5巻(9話10話)を返却しに行ったら、6巻(11話12話)が1本だけあったので借りてきて、日ハム優勝を見届けてから見た。なんで今シーズンはイマイチなんだろうと思いながら見る。つまり、頭がよそに行くほどのレベルなんだが。その1.「前回(シーズン5)までの24」は、敵A→敵Aを操るボスB→さらにその計画を利用する黒幕Cという「一難去ってまた一難」で、敵を順番に(芋づる式に)追ってはつぶしていたが、今回の場合、敵A(ファイエド)が初めに話に出た後、ジャックは敵Aにはずっと接触できず、敵Aの居場所や情報を知っている関係者など、Aの周りをぐるぐる回っているだけでなかなかAにたどりつけていない。どうしてこうなったか想像するに、話を先まで作りすぎているのだ。だから、逆算して敵をAもBもCも出してしまい、今何を追いかけているのかがぼやけてしまっている。敵Aをやっつけたら、実は敵Bが登場、というパターンの場合は、敵Bのことは初め、考えてもいない。敵Aとの戦いにアイディアを全部投入しているから、面白い。敵Bのことまで踏まえて敵Aの話を作ると、敵Bの時にこういう風にしたいから、敵Aの話では布石だけ打っておこう、と出し惜しみしてしまう。力石だって、まさか死なせるつもりはなかったし、ニーナがまさか、敵だと思ったらそうではなくて、でもやっぱり敵だった、とは作者自身思いもしない展開であったからこそ、面白かった。初めから力石を殺すつもり、ニーナが敵のつもりで、作者が話を書いていたら、あそこまで面白くはならなかった。その2.ジャックの独断と暴走がウリなのに、全然攻めていない。それどころか、折にふれ、泣き言を言っている。拷問シーンあってのジャックなのに。その3.前にも書いたけど、このシリーズに通底する裏テーマは、ジャックとパーマーの「友情と信頼」に基づく「決断」の物語だ。前回はパーマーの反動として、ローガンが「(キャラが)立って」いたが、今回の大統領とは、別に「友情と信頼」もない。(1話目でそれがはっきり出ている)だからメインのCTUと、サブの大統領府が、有効にからみ合っていない。実はこの、大統領府がらみの話が、今回つまらない原因の一つ。アーロンもマイク・ノビックもいない。それはつまり、ジャックの独断を信用して、それに賭ける人間がいない、ということ。CTUでも、ジャックに賭けているのは、クロエだけ。しかしいまのCTUには、そのクロエを阻害する人間がいない。それもまた問題。その4.その3を受けて。クロエの周囲、もっとはっきりしろ。ビル・ブキャナンは、いいキャラクターなのだが、今回はまだ、そのキャラクターを生かせていない。ビルが上司のおかげで、やりやすくなったのはいいが、ものわかりのいい爺さんにとどまっている。もうちょっとトンがっていても、いいかも。シリーズ屈指の美女・新キャラのナディアも今のところ、誰の味方で誰の敵なのか立場が不明確。味方の中に敵がいる、という自民党型組織が面白い、とシーズン1を見た時から、言っているのだけど。その5.話は戻るけど、ジャックとパーマーの関係は、八犬伝に出てくる「仁義礼智忠信孝悌」にあてはめることができるかもしれない。ジャックのパーマーに対する態度が「忠」。パーマーのジャックに対する態度が「信」。なおも言えば、トニーのジャックに対する態度が「悌」。キムのジャックに対する態度が、不「孝」。ジャックの自分に対する態度が「仁」。テロリストの自分に対する態度が「義」。無理やりあてはめれば、ジャックの上司に対する態度が、無「礼」。クロエのジャックに対する態度が、「智」。仁・・・己に克ち、他に対するいたわりのある心。義・・・人のおこないが道徳・倫理にかなっていること。礼・・・敬うこと。礼儀。 智・・・物の道理を知り、正しい判断を下す能力。忠・・・真心をこめて物事をすること。まごころ。信・・・あざむかないこと。いつわらないこと。忠実なこと。孝・・・親によく仕えること。 悌・・・兄や年長者によく従うこと。また、兄弟の仲が良いこと。 今回は、こういう「情」の部分が弱い。ほとんどない、と言っていい。単なるストーリーで、ドラマになっていない。「情」があるからこそ、裏切られたり苦渋の選択をしたりが面白い。・・・・とは言いつつ。12話の最後でようやく、ジャックが暴走し、窮地に立たされた。中国から帰ってきて、まだ半日。半日でようやくスイッチ・オン。二番煎じのプロットであるのは気にかかるが、こういう事態が続いてほしい。
September 29, 2007
閲覧総数 2012
2

去年、地元選出の都議会議員が飲酒運転で自損事故を起こした。居酒屋で酒を飲んだ後、同じ党の女性都議の自宅に向かう途中で、事故を起こした直後、警察が来るまでに、アルコールを消そうと、雪を頬張っていた、という話だ。当然、即刻議員辞職。そんな話もすっかり忘れていたら、今日、ポストにこの元都議のチラシが入っていた。反省して、禅寺で修行していたらしく、修行が終えた後は、病床の父を介護し、最期を看取ったとある。しかし、わざわざこんなものを配るには何か理由があるはずと思い、最後までざっと読んでみると、どうも政治の舞台に復帰したいらしい。禅寺で修行というと聞こえはいいが、政治家お得意のパフォーマンスの匂いがプンプンする。修行というのも、もしかして3日やそこらかもしれんし。立候補したところで、どれだけ票が入るというのだろう。それとも対立する党の候補の票を奪う噛ませ犬になることで、誰かの覚えが目出度くなり、先につなげる、という青写真でもあるのか。一度の過ちを許さないわけではない、誰しも過ちを犯すもの、過ちを反省した後、これから何をするかで人生は決まる。ふつう周囲はそう言うけど、そしてそれは確かにそうだろうけど、周囲がそう言ってくれてると自分で言っちゃってるのがどうもね。この人には何かが欠けているとしたら、それは美徳じゃないだろうか。
June 29, 2009
閲覧総数 2


